1. すな場は、だれの はつめい?
1. 砂場を考えたのは、幼稚園の生みの親ではなかった
1. 幼稚園の祖フレーベルの理論には含まれていなかった「砂場」という施設
学校の 校ていの すみに、すなばが あります。しゃがんで すなを すくうと、山も あなも つくれます。
この すなばは、ようちえんを はじめた ドイツの フレーベルさんが つくった もの、と おもいたく なります。でも、研究では ちがいました。フレーベルさんは、ねんどや すなで あそぶ ことの 大切さは かいて いても、一ていの 広さに すなを いれた 「すなば」までは かんがえて いなかった と いわれます[1]。
それなら、すなばは だれが どこで はじめたのでしょう。
学校の校庭のすみで、しゃがんで砂をすくうと、山もトンネルも作れます。この砂場は、きっと幼稚園を始めた人が考えたものだろう、と思いたくなります。
幼稚園の祖とされるドイツのフレーベルは、粘土や砂で遊ぶことの意義を語っていました。それでも、決まった広さにたくさんの砂を入れた「砂場」という遊具施設の発想までは、思いついていなかったと、北海道教育大学の笠間浩幸さんは論文で述べています[1]。
砂で遊ぶことと、砂を用意した場所を作ることは、別の発想でした。では、砂場はどこで生まれたのでしょうか。
校庭や公園の隅に砂が盛られた場所があることは、あまりにも当たり前で、誰かが考え出したものだという意識が薄い。幼稚園の祖フレーベルが作ったものだと想像する人も多いだろう。
ところが、北海道教育大学の笠間浩幸による論文(1993年)は、フレーベルも粘土や砂による遊びの意義については述べていたが、一定の面積と相当量の砂を満たした「砂場」という遊具施設の発想にまでは至らなかった、と整理している[1]。つまり砂遊びの価値と、砂場という設備は別のものとして扱われている。では、後者はどこから来たのか。
2. はじまりは、ベルリンの こうえんの すな山
2. 1850年、ベルリンの公園に積まれた砂山
2. ベルリンの砂山(1850年)からボストンの「サンドガーデン」へ
じてんでは、子どもの あそびの ために すなを こうきょうの 場所に はこんだ さいしょの れいと して、1850年の ベルリンが しょうかいされて います。こうえんに 「すな山」が つまれました[3]。
この ようすを 見た、アメリカの おいしゃさん マリー・ザクルゼフスカさんが、国に つたえました。1880年代の なかごろ、ボストンの きょうかいの 庭にも すなが つまれ、子どもたちは 小さな シャベルで ほって あそびました[3][4]。「すなの 庭」と よばれました。
すなばは、まず こうえんから ひろがったのです。では、日本には いつ きたのでしょう。
英語の事典(Encyclopedia.com)は、公共の場所に子どもの遊び用の砂を用意した最初の例として、1850年のベルリンを紹介しています。公園に「サンドベルク(砂山)」と呼ばれる砂の山が積まれました[3]。
この砂山が、海を越えます。医師のマリー・ザクルゼフスカさんがベルリンの公園で子どもたちが砂山で遊ぶ様子を見て、アメリカに伝えたといわれます。やがてボストンの教会の庭に砂が積まれ、子どもたちが小さなシャベルで掘り、砂のパイを作って遊ぶ「サンドガーデン(砂の庭)」が始まりました[3][4]。
始まった年は、博物館や事典では1885年とされています。ただし、ザクルゼフスカさんがベルリンを訪れた年を1884年とする資料もあり、ここでは「1880年代半ば」としておきます[4]。
砂場の出発点は幼稚園の教室ではなく、街の公園でした。では、日本の子どもたちが砂場で遊べるようになったのは、いつ頃のことでしょうか。
事典(Encyclopedia.com)は、子どもの遊びのために砂を公共の場へ持ち込んだ最初の例として、1850年にベルリンの公園に積まれた「サンドベルク(砂山)」を挙げる[3]。「最初に砂遊びをした」という意味ではなく、「公共の場に砂を用意した最初の例」という紹介である点に注意したい。
この砂山の様子は、医師マリー・ザクルゼフスカによって米国に伝えられたとされる。ボストンの教会の庭に砂が積まれ、子どもが小さなシャベルで掘って砂のパイを作る「サンドガーデン」が始まった[3][4]。年については資料が割れており、事典と博物館の解説は1885年とするが、ベルリン訪問を1884年とする資料や1886年とする資料もある。本稿では「1880年代半ば」と書く。
注目すべきは、フレーベルの理論から砂場が導かれたわけではない点である。一方、ドイツでは19世紀後半の幼稚園運動が砂場を取り入れ、1889年にはペスタロッチ・フレーベル・ハウスの新聞が砂場の作り方を載せたと、笠間の論文は整理している[1]。公園で始まった設備を、あとから幼稚園の側が引き受けた流れに見える。では、日本ではどうだったのか。
3. 日本の ようちえんには、いつ すな場が できたの?
3. 日本の幼稚園では、最初は室内の「恩物」が主役だった
3. 明治の恩物中心の保育から、大正元年の倉橋惣三まで
日本で さいしょに できた 国の ようちえんは、1876年に たてられました。その 図を 見ると、すなばは ありません[1]。
明治の ころの ほいくは、へやの なかで つみきなどを つかう あそびが 中心で、そとで つかう あそびの どうぐは すくなかった のです[2]。
おかやまの ようちえんには、明治の 20年代に、すなばと ぶらんこが そろって いたと つたえられて います[1]。ただし これは その ようちえんの むかしの 本に ある はなしです。多くの ようちえんで すなばが そろい はじめたのは、明治の 40年代だと されます[1]。
大正の はじめ(1912年)、くらはし そうぞうさんは、ざっしで 大阪の ようちえんの すなばを しょうかいし、「すなばが 子どもの まなびに やくだつ ことは、あらためて いう までもない」という 内ようを かきました[2]。
日本で最初の官立幼稚園、東京女子師範学校附属幼稚園は1876年に建てられました。その配置図には、笠間さんの論文によると砂場がありません[1]。
明治の保育は、室内で「恩物」と呼ばれる積み木などを使う、形のそろった遊びが中心でした。屋外の遊具は少なかったのです[2]。
早い例として伝わるのは、岡山の幼稚園です。明治20年代には砂場やブランコが整えられていたと、その園の記念誌にあると論文は紹介しています。ただ、これは園の伝え書きなので、日本で最初の砂場と言い切ることはできません。幼稚園に砂場が一般に整い始めたのは、明治40年代とされています[1]。
大正元(1912)年には、教育者の倉橋惣三さんが雑誌『婦人と子ども』で、大阪の江戸堀幼稚園の砂場や、一人ひとりが使う砂箱を紹介しました。そこには「砂場の教育的価値は更めていふ迄もない」と書かれています[2]。この頃には、砂場の良さがすでに言うまでもないものになっていたようです。
では、砂場には何があったから、教室の外の遊び場として選ばれたのでしょうか。
日本の官立幼稚園の最初とされる東京女子師範学校附属幼稚園(1876年建築)の配置図に、笠間の論文によれば砂場は見当たらない[1]。明治期の保育は、室内で恩物(積み木など)を使う形式的なものが中心で、屋外遊具は少なかったためである[2]。
早い例として挙がるのは、岡山の深砥幼稚園である。明治20年代に砂場やブランコ、藤棚などが整っていたという。ただしこれは同園の『八十年史』の伝え書きにとどまる。確実な日本初とは書けない。一般に砂場が整い始めたのは明治40年代とされる[1]。
転機の一つが大正元(1912)年である。倉橋惣三は雑誌『婦人と子ども』12巻11号で、大阪・江戸堀幼稚園の砂場と個人用の砂箱を紹介し、「砂場の教育的価値は更めていふ迄もない」と記した(原文のルビは「しやぢやう」)[2]。冒頭の「砂場」に「しゃじょう」というルビが付いていたことは、当時の呼び方を示して面白い。ただし、「しゃじょう」から「すなば」へ定着した経緯は論文でも解明されていない。
「言うまでもない」と書かれるほど評価が定まっていたのなら、砂場の何が評価されたのか。次の問いは、そこである。
4. すべり台と すな場では、あそび方が どうちがうの?
4. すべり台は遊び方が決まっている。砂場は決まっていない
4. 砂場の砂は、遊び方をどう広げるのか ── 開かれた空間と形の変えやすさ
すべりだいは、すべる ための ものです。ぶらんこは、ゆれる ための ものです。どちらも あそびかたが だいたい きまって います。
すなばは、すなが もって あるだけです。山にも、川にも、おみせにも なります。研究した 人は、この ひらけた ばしょと、かたちを かえやすい すなが、子どもの あそびを ふやして いると かんがえました[1]。これは その人の 見かたです。
アメリカの はくぶつかんも、すなあそびは 手ざわりで まなぶ ことに 合い、りょうを くらべる など、さんすうや りかの けいけんにも つながる と せつめいして います[4]。
滑り台は滑るため、ブランコは揺れるための遊具です。使い方は、ほぼ決まっています。
砂場には、砂が盛られているだけです。笠間浩幸さんは、この「開かれた空間」と、形を変えやすい砂という単純な素材が、子ども自身の遊びを多様にしていると考察しました[1]。これは研究者の見方で、科学的に証明されたという意味ではありません。
アメリカの国立遊び博物館(ストロング博物館)の解説も似た方向です。砂の手ざわりは、フレーベル、モンテッソーリ、ピアジェらが重んじた「感覚を通した学び」に合うとされます。砂を容器に詰めて量や体積を試す算数・理科的な経験や、協力、自由な遊びにもつながると、博物館の解説は述べています[4]。心理学者のG・スタンレー・ホールは、象徴的・社会的な学びの価値を強調したと、事典は紹介しています[3]。
形を変えやすいという砂の性質は、実はあるひと工夫で大きく変わります。それが水です。
滑り台やブランコは、遊び方がある程度決まった「もの」である。砂場は違う。笠間は、単に多量の砂が盛ってあるだけの「開かれた空間」と、可塑性に富む砂という物質の単純さが、子ども自身の遊びの多様性を生み出すことにつながっていると考察する[1]。これは著者の見解であり、科学的に証明された結論ではない。
ストロング国立遊び博物館の解説は、砂の手ざわりを、フレーベル、モンテッソーリ、ピアジェらが重んじた「感覚を通した学び」に合うものとする。量や体積を試す算数・理科的な経験や、協力、自由な遊びにつながるとも述べる[4]。事典は、心理学者のG・スタンレー・ホールが象徴的・社会的な学びの価値を強調したと紹介する[3]。
いずれも教育者や博物館の解説であり、実験で効果を測った結果ではない点は区別しておきたい。ここで、砂の「可塑性」(形を変えやすく、変えた形が残ること)に注目する。乾いた砂はさらさらで形が残らない。それでも子どもが山やトンネルを作れるのは、なぜか。
5. すなは、水を どれくらい まぜると かたまる?
5. 砂は、水が少なすぎても多すぎても崩れる
5. 粒の間の「水の橋」 ── 含水量の範囲でだけ砂は固まる
かわいた すなは、さらさらで、山に なりません。ところが 水を すこし まぜると、かたまります。
理由は、すなの つぶと つぶの あいだに、水の 小さな 「はし」が できる からです。この はしが、つぶを つなぎとめる のりのように はたらきます[5]。
けれど、水を ふやせば ふやすほど よい、わけでは ありません。水が すくなすぎても、おおすぎても、くずれます。ちょうど よい 水の はんいが あるのです[5]。
日本の 海がんに すむ スナガニという カニの すあなの 研究で、じっけんでも たしかめられました[5]。
乾いた砂は、さらさらと流れてしまいます。ところが少しの水を混ぜると、固まって山やトンネルを作れるようになります。
2019年に報告された日本の海岸のスナガニの巣穴の研究によると、砂の粒と粒の間に水の橋(論文では water bridge)ができ、それがセメントのように粒を結びつけます[5]。
注意したいのは、水は多ければよいわけではないことです。水が少なすぎると橋が足りず、多すぎると砂が水に浸かって崩れます。その間のちょうどよい含水量の範囲で、トンネルなどの構造が保たれると、実験で確かめられています[5]。
砂場の砂でトンネルを作れるのも、水の量が関係しています。では、自分の手でその範囲を探すには、どうすればよいでしょうか。
乾いた砂が形を保てない一方、少量の水を含むと山やトンネルが作れるのは、粒の間に水の橋が生じるためである。2019年の研究(日本の海岸のスナガニの巣穴を対象とした実験と解析)は、粒と粒の間に水の橋(water bridge)ができ、それがセメントのように粒を結びつけると報告している[5]。
重要なのは、水を足すほど固まるわけではない点である。含水量が少なすぎれば橋が足りず、多すぎれば砂が水で満たされて崩れる。この二つの極端の間に、安定したトンネル構造を保てる範囲がある[5]。つまり砂の可塑性は、素材の性質に、水の量という条件が加わって生じる。
ただし、この研究が扱った砂や巣穴は海岸の自然環境のものである。学校の砂場の砂は粒の大きさや含む粘土分が違う可能性があり、同じ数値の範囲がそのまま当てはまるとは限らない。範囲があること自体は、似た仕組みが働くためと考えられる。
砂場の「開かれた空間」は、水の量というもう一つの自由を持つ。その自由を、自分の手で確かめるには、どうすればよいか。
6. すな場で ためして みよう
6. 砂場で水の量を変えて、山とトンネルを試す
6. 水の量を変えて試す ── 原典を読むための入口
おうちの 人や 先生と いっしょに、すなと 水が つかえる 場所で ためして みましょう。おなじ カップで すなを 同じ りょうずつ わけて、水を 小さじ 1ぱい、2はいと ふやした すなで、べつべつに 山を つくります。
水が すくないと、くずれます。ふやしすぎても、どろどろに なって くずれます。山が いちばん たかく なる ところを さがして みましょう。
あそんだ あとは、手を よく あらいましょう。学校の すなばは、ごみや どうぶつの ふんが ない ように、国の きまりで きれいに する ことに なって います[6]。
大人と一緒に、砂と水を使える場所で、水の量を変えて試してみましょう。コップ一杯の砂を何回分か用意し、それぞれ水を小さじ0杯、1杯、2杯…と変えて混ぜ、別々に山を作ります。山がいちばん高くなる水の量を探してみてください。
少なすぎても、多すぎても崩れる範囲があるかどうか、自分の目で確かめられます。条件が違えば結果も違うので、そこにも面白さがあります。
砂場で遊んだ後は、手を洗いましょう。文部科学省の告示「学校環境衛生基準」は、学校の清潔の基準として「運動場、砂場等は、清潔であり、ごみや動物の排泄物等がないこと」と定めています[6]。砂の入れ替えの頻度までは、この基準には書かれていません。
もっと調べたいときは、笠間さんの論文[1][2]が日本語で公開されています。倉橋惣三さんの記事に出てくる、砂場のルビがどう書かれているかも探せます。
水の量を変えて、大人と一緒に砂と水を使える場所で自分でも試せる。コップ一杯の砂を何回分か用意し、水を小さじ0杯、1杯、2杯…と変えて別々に山を作り、いちばん高く保てる水の量を探す。含水量に範囲があることが、自分の手で確かめられる。砂の種類や粒の大きさで結果が変わるかを比べると、前章の「同じ数値が当てはまるとは限らない」という注意の意味も分かる。
安全面では、遊んだ後に手を洗うこと。文部科学省告示の学校環境衛生基準(平成21年告示60号)は、学校の清潔の基準として「運動場、砂場等は、清潔であり、ごみや動物の排泄物等がないこと」と定める[6]。砂の入れ替えや消毒の頻度は、今回確かめた原文には書かれておらず、自治体や学校ごとに異なる。
読むなら、笠間浩幸の論文[1][2]は、日本の屋外遊具の発展を保育思想の側から追っており、フレーベルが砂場に至らなかったという記述の前後や、倉橋惣三の記事を年表で確認できる。水の量を変えた山を横から見比べて、砂の粒の大きさや湿り方の違いをスケッチしてみるのもよい。残る問いは、「しゃじょう」が「すなば」になった過程である。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
出典について:日本の保育研究の論文、事典、博物館の解説、砂の物理の論文、文部科学省の告示を使った。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。
- 笠間浩幸「屋外遊具施設の発展と保育思想(1)」北海道教育大学紀要 第43巻第2号(1993年)。https://hokkyodai.repo.nii.ac.jp/record/4094/files/43-2-1C-08.pdf (フレーベルと砂場、日本の幼稚園への導入、砂場が遊びを多様にするという考察について)
- 笠間浩幸「屋外遊具施設の発展と保育思想(2)」北海道教育大学紀要 第49巻第1号。https://hokkyodai.repo.nii.ac.jp/record/4878/files/49-1-a-07.pdf (明治期の保育の中心と、倉橋惣三の大正元年の記事について)
- Encyclopedia.com 'Sandbox'(Children's almanac)。https://encyclopedia.com/children/encyclopedias-almanacs-transcripts-and-maps/sandbox (1850年のベルリンの砂山と、米国への伝わり方について)
- The Strong National Museum of Play 'Sand'。https://www.museumofplay.org/toys/sand/ (ボストンのサンドガーデンと、砂遊びの学びとの関わりについて。博物館の解説)
- 'Physical constraints on sand crab burrows'(2019年)。https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC6494038 (砂の粒の間の水の橋と、含水量の範囲について)
- 文部科学省告示「学校環境衛生基準」(平成21年告示第60号)。https://www.mext.go.jp/content/20230817-mext_kenshoku-100000613_1.pdf (学校の砂場の清潔の基準について)
なおした ところ
更新履歴
更新履歴(改版の記録)
- 初版を公開。
- 中学生向けの題名を、日常の疑問が先に来る形に見直した。
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