1. じんじゃには、なにを しに いくの?
1. 神社には、何をしにお参りするのか
1. 神社は何のために参拝する場所なのか:氏神と成長の報告
七五三で じんじゃに いくのは、「ここまで 大きく なりました。ありがとう」と つたえて、これからの ことも おいのりする ためです。
おまいりする さきは、とおくの 有名な じんじゃとは かぎりません。自分の すんで いる 土地の まもり神、氏神さまの いる じんじゃが、もとの かたちだと いわれます。うじがみさまは、その土地や、そこに くらす 人たちを 見まもる 神さまだと されて います。
たとえば、おたんじょうびに 家ぞくで 「1ねん がんばったね」と おいわいを するのに にて います。七五三は、それを 神さまにも 見てもらう 日です。ただし、神さまが 実さいに 見て いると、かくにん できる わけでは ありません。
七五三でお参りする目的は、神社本庁の説明では、これまで見守ってくれた氏神様やご先祖様に感謝を伝え、これからの健やかな成長を祈ることです[1]。島根県神社庁も、3歳・5歳・7歳になると晴れ着を着て家族で神社に参り、成長への感謝と、これからの祈りを神様に伝える行事だと説明しています[2]。
このとき行き先として挙げられているのは、生まれた土地の守り神である産土神や、氏神と呼ばれる地元の神社です[2]。氏神は、その土地の名で呼ばれることも多く、子どもの誕生から成長、地域の平安までを見守る、いちばん身近な神様とされています[6]。
つまり、七五三で神社に行くのは、有名な神社に願いごとをしに行くというより、「近所の見守り役」に、成長を報告しに行く習わしだと読めます。では、なぜ3歳・5歳・7歳なのでしょうか。
七五三の参拝の目的は、神社本庁の説明によれば、これまで見守ってくれた氏神やご先祖に感謝を表し、今後の健やかな成長を祈ることにある[1]。島根県神社庁も、3歳・5歳・7歳の子が晴れ着で家族とともに神社へ参り、成長への感謝と、これからの祈りを神に伝える行事と説明する[2]。
参拝先は、生まれた土地の守り神である産土神、あるいは氏神と呼ばれる地元の神社とされる[2]。氏神は土地の名で呼ばれることも多く、子どもの誕生から成長、地域の平安、日々の暮らしを見守る最も身近な神として崇敬されてきた[6]。国学院大学の神道用語データベースの英語版は、七五三を氏神の神社を訪れて特別な加護を祈る通過儀礼とし、日付が氏神の祭礼日の伝統的な日取りと重なると述べる[7]。
したがって、神社が基本とされるのは、七五三が「遠くの有名な社で願う行事」ではなく、「土地で育つ子を、その土地の神に報告する行事」として説明されているからだと整理できる。ただし、これは神社側の説明であり、全国のすべての家庭が同じ理由で参拝しているとまでは、資料からは言えない。では、報告の節目がなぜ3歳・5歳・7歳に置かれたのか。
2. どうして 3さい・5さい・7さいなの?
2. 3歳・5歳・7歳は、どんな節目だったのか
2. 3歳・5歳・7歳の節目と、子を育てることの難しさ
七五三は、むかしからの 3つの おいわいが もとに なって います。
3さいの おいわいは 髪置、5さいは 袴着、7さいは 帯解と よばれて いました。名前を 見ると、かみ、はかま、おびと、どれも 身に つける ものに かんけいが ありそうですね。
むかしは、お医者さんの しごとも 今ほど すすんで おらず、小さな 子が 病気で なくなる ことが 多かった と いわれます。だから、3さい、5さい、7さいまで 元気に 育つのは、とても うれしい できごとでした。おいわいの 日は、「ここまで 来られたね」と よろこぶ 日でも あったのです。
七五三は、古くからの風習である3歳の髪置、5歳の袴着、7歳の帯解に由来するとされます[1]。名前をみると、髪、袴、帯と、どれも身につけるものに関わりそうです。
この節目が大切にされた背景には、子どもを育てる難しさがありました。神社本庁は、当時は医療が進んでいなかったため乳幼児の死亡率が高く、七五三の年齢まで無事に育てることは並大抵ではなかった、と説明しています[1]。
だから七五三は、おしゃれをする日であると同時に、「ここまで育った」という喜びを、家族と地域で分かち合う日でもありました。神社へ報告に行く習わしと、この気持ちはよくつながります。
七五三は、3歳の髪置、5歳の袴着、7歳の帯解という古い風習に由来するとされる[1]。名称からは、髪、袴、帯という身につけるものに関わる節目だったことがうかがえる。
これらの節目が重んじられた事情を、神社本庁は医療の水準に結びつけて述べる。当時は医療が進んでいなかったため乳幼児の死亡率が高く、子を七五三の年齢まで育てるのは並大抵のことではなかったという[1]。そのため、3歳・5歳・7歳に達したことは、子の成長を確かめる節目であると同時に、見守ってきた氏神や先祖への感謝を表す機会として意味を持った。
一方で、地方都市や農村では、3歳・5歳・7歳すべてを祝う風習がない地域も多かったとされる。では、いつ、どのようにして、これが11月15日の大きな行事になったのか。
3. 11月15日は、どうして おいわいの 日なの?
3. 11月15日の祝いは、どう広まったのか
3. 11月15日に祝う習慣は、どのように広まったと説明されるか
いま のように 11月15日に おいわいを するように なったのは、えどじだいの ころからだと いわれます。
むかし ばなしも のこって います。5だい しょうぐん とくがわつなよしが、むすこの 徳松の 元気を 大きく いのった ことが、人びとに ひろまる きっかけに なったと いわれます。ただ、「と いわれる」話で、はっきり そう だったと きまった わけでは ありません。
11月15日に ついては、べつの 言いつたえも あります。この 日は 「鬼宿日」と いって、おにが 自分の 家に いる 日と されて、「おにの いない あいだに」 おはらいと おまいりを する ように なった、という お話です。
11月15日に盛大に祝う形は、江戸時代から広まったと説明されています。神社本庁は、5代将軍徳川綱吉が息子の徳松の健康を盛大に祈願したことから庶民に広まったとも言われる、と紹介しています[1]。「とも言われる」と書かれているとおり、これは一つの説明で、確定した事実としてまで言えるわけではありません。
この日になった理由にも、言い伝えがあります。島根県神社庁は、11月15日が鬼が自分の家にいる鬼宿日とされ、「鬼のいぬ間」に厄払いと神社参拝をするようになったと伝えています[2]。
将軍家の祈りが庶民に伝わったのだとすれば、七五三は、もともと家の中の行事だったものが、まちの行事へ広がったことになります。ところが、そのころ庶民が全員そろって同じ祝い方をしていたかというと、そうでもありません。
11月15日に盛大に祝う形は江戸時代に定まったとされる。神社本庁は、5代将軍徳川綱吉が息子の徳松の健康を盛大に祈願したことから庶民に広まった、とも言われると説明する[1]。「ともいわれる」という書き方どおり、断定された事実ではなく、広まり方の説の一つである。
日付そのものにも言い伝えがある。島根県神社庁は、11月15日を鬼が自分の家にいる鬼宿日とし、鬼のいない間に厄払いと神社参拝をするようになったと伝える[2]。ただし、これも由来として「言われている」話である。
注意したいのは、将軍家の祈願が庶民へ伝わったという説明が、そのまま全国一律の広がりを意味しない点である。次に見る国立国会図書館の解説によれば、東京の都市部の庶民に広まったのは明治時代に入ってからとされ、全国に「七五三」の呼称が定着するのはさらに後になる[3]。
4. 「七五三」と いう なまえは、いつから みんなの ものに なったの?
4. 千歳飴の起源と「七五三」の呼び名は、いつ広まったのか
4. 明治の都市から1960年代の全国へ:七五三が広まる過程
えどじだいの あと、めいじじだいに なると、東京の まちに すむ 人たちにも 七五三が ひろまりました。このころ、子どもに きれいな 着ものを きせ、ちとせあめを 買う、いまと にた おいわいが 根づいたと いわれます。
ちとせあめの はじまりには、いろいろな はなしが あります。そのひとつは、1688ねんから 1711ねんの ころ、あさくさで あめを 売って いた 七兵衛が、「せんねんあめ」などの 名前で 売り歩いた、というものです。
そして 「七五三」と いう 名前が 日本じゅうに ひろまったのは、1960ねんだい。思ったより、ずっと さいきんの ことです。
国立国会図書館の解説によると、東京の都市部の庶民に七五三が広まったのは明治時代に入ってからで、このころ、子どもに晴れ着を着せて千歳飴を買う、今のような風習が根づきました[3]。
千歳飴の起源には諸説があります。その一つが、元禄・宝永期(1688〜1711年)に浅草で飴を売っていた七兵衛が、「千年飴」などの名前で売り歩いたという説です[3]。発祥地をただ一つに決めることはできません。
そして「七五三」という呼び名が定着し、行事が日本各地に広く浸透したのは、第二次世界大戦のあとの、1960年代でした[3]。
この流れを見ると、「神社でお祝い」という今の形は、ずっと変わらない伝統というより、江戸、明治、昭和と、時代ごとに広がりながら整ってきた習わしに見えます。そうなると、神社以外の場所で祝う人がいても不思議ではありません。
国立国会図書館の解説は、東京の都市部の庶民に七五三が広まったのは明治時代に入ってからで、この頃に晴れ着を着せ千歳飴を買うという今日のような風習が根づいたと述べる[3]。江戸時代の祈願の話は将軍家に関わるものだったが、都市の庶民の習慣として定着するのはその後ということになる。
千歳飴の起源は一つに定まらない。同じ解説は、元禄・宝永期(1688〜1711年)に浅草で飴を売っていた七兵衛が、もとは「千年飴」などの名で売り歩いていた飴を縁起物として扱った、という説を紹介する[3]。縁起物としての飴の出自は複数の説があり、発祥地は断定できない。
さらに、「七五三」という呼称が定着し、行事が日本各地に広く浸透したのは、第二次世界大戦後、高度経済成長期に入った1960年代のことだという[3]。したがって、神社に家族で参る現在の七五三は、古い風習を土台にしつつも、時代ごとに広がり方を変えながら全国の共通の行事になったものと位置づけられる。その過程で、参拝先が神社だけに限られない理由も見えてくる。
5. おてらでも、七五三の おいわいは できるの?
5. お寺でも七五三はできるのか:成田山と浅草寺の場合
5. 寺院の七五三:成田山新勝寺の祝祷と浅草寺の加持会
できます。おてらでも、七五三の おいわいを うけつけて いる ところが あります。
たとえば、千葉の なりたさん しんしょうじでは、2026ねんは 10月1日から 11月30日まで、まいにち 七五三の おいのりを うけつけて います。よやくは いりません。ほんぞんの 前で、じょうぶな 体と、べんきょうが うまく いく ことを いのり、時間は 10ぷんぐらいです。
東京の せんそうじでは、11月15日の まえ後に 七五三の 「かじえ」を 行います。ほんどうで、ほとけさまに ゆかりの ある しるしを 子どもの おでこに あてて、ほとけさまの まもりを いただく ものです。
じんじゃでも おてらでも、「子どもが 元気に 大きく なって うれしい」と いう 気もちは、おなじです。
お寺でも、七五三の祈りは行われています。たとえば成田山新勝寺は、令和8年(2026年)は10月1日から11月30日まで、毎日七五三祝祷を受け付けています。予約は要りません。ご本尊の不動明王の前で「身体健全」と「学業成就」を祈念し、所要時間は約10分とされています[4]。
浅草寺では、11月15日前後に七五三加持会を行っています。本堂で「牛玉宝印」(観音宝印)を子どもの額にあて、ご本尊と縁を結び、そのご加護をいただく加持を行うと説明されています[5]。
神社の説明は「氏神様への感謝と成長の祈り」でしたが、お寺では「身体健全と学業成就の祈念」「ご本尊とのご縁」という言葉で語られています。呼び方や作法は違っても、子どもの成長を願う行事として、どちらにも七五三が用意されているのです。
日程や料金は年ごとに変わることがあるので、行く前に公式サイトで確かめるのが確実です。
寺院でも七五三は行われている。成田山新勝寺は、令和8年(2026年)は10月1日から11月30日まで毎日七五三祝祷を受け付け、予約は不要としている。ご本尊の不動明王の前で「身体健全」と「学業成就」を祈念し、祝祷時間は約10分である[4]。浅草寺は11月15日前後に七五三加持会を行い、本堂で「牛玉宝印」(観音宝印)を子どもの額にあて、ご本尊と結縁してそのご加護をいただく加持を行うと説明する[5]。
神社側の説明が「氏神への感謝と成長の祈り」であるのに対し、寺院側は「身体健全」「学業成就」の祈念や、ご本尊との結縁という言葉で語る。拠って立つ考え方も用語も異なるが、子の成長を願う節目という点は共通している。前節で見たように、「七五三」という共通の呼称が定着したのは1960年代であり、それ以前から各地で祝い方に幅があったことを考えると、参拝先に幅があること自体は不自然ではない。
ただし、ここから「どの寺院でも同じ内容の七五三ができる」とは言えない。受付期間や内容、予約の要否は寺院ごとに異なり、年ごとに変わる。上の記述は、2つの寺院が示している内容に限った話である。
6. じぶんの 七五三を、しらべて みよう
6. 自分の七五三と、地元の神社を調べてみる
6. 自分の七五三と地元の氏神を、一次情報で確かめる
やってみよう。おうちの 人に、「わたしの 七五三は、どこで やったの?」と きいて みましょう。しゃしんが あれば、いっしょに 見せて もらいます。
もうひとつ。おうちの 近くに ある じんじゃの 名前を 地図や かんばんで しらべて みます。そこが 「うじがみさま」かどうかは、おうちの 人や 近所の おとなに きくと わかる ことが あります。
おてらで おいわいした 家も、じんじゃで おいわいした 家も、どちらも あるかも しれません。くらべて みると、おもしろいですよ。
今日できること:家の人に、自分や兄弟姉妹の七五三をどこでどう祝ったか聞いてみましょう。神社だった家も、お寺だった家も、家でお祝いした家もあるはずです。聞いたことをメモして、友だちと比べると、「七五三」の祝い方に幅があることが実感できます。
出かけてできること:家の近くの神社の名前を、地図や看板で調べます。そこが地元の氏神かどうかは、家の人や地域の人に聞くと分かることがあります。
公式情報:成田山新勝寺や浅草寺の公式サイトには、七五三の日程や内容が載っています。年ごとに変わることがあるので、実際に行くときは、必ず最新のページを確かめてください。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
この記事は、神社本庁・各県の神社庁・寺院の公式ページと、国立国会図書館の解説をもとにしています。神社側と寺院側の説明を並べ、それぞれの言葉を比べました。
- 神社本庁「七五三」 https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/shichigosan/ (由来・目的・乳幼児の死亡率・徳川綱吉の説)
- 島根県神社庁「神道・神社のこと」 https://www.shimane-jinjacho.or.jp/shinto/index.html (七五三の説明・11月15日の言い伝え・参拝先)
- 国立国会図書館「本の万華鏡 コラム 七五三」 https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/31/column.html (明治の広まり・千歳飴・1960年代)
- 大本山成田山新勝寺「令和8年 成田山七五三祝祷」 https://www.naritasan.or.jp/lp/shichigosan/ (受付期間・祈念の内容)
- 浅草寺「七五三加持会」 https://www.senso-ji.jp/annual_event/18.html (加持の内容)
- 神社本庁「神社について」 https://www.jinjahoncho.or.jp/shinto/jinja/ (氏神の役割)
- 國學院大學デジタル・ミュージアム「神道用語 七五三」 https://d-museum.kokugakuin.ac.jp/bts/detail/?id=3933 (氏神の祭礼日との重なり。英語版の本文)
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