1. いちばん さいしょの 板には、何と 書いて あったの?
1. 最初の板に書かれていたのは、来ない連れへの呼びかけ
1. 1903年の伝言標と1904年の告知板 ── 告知板に書かれた文面
駅の 伝言板は、明治の 30年代に 始まった と いわれて います。1903年には、読売新聞が 「ほくえつ てつどうの 4つの 駅に でんごんひょうが できた」と しらせた と つたえられて います[2]。1904年には、新橋・横浜・大阪など 8つの 駅に、「こくちばん」と いう 名前の 板が おかれました。どの 駅が いちばん 先かは、しりょうの 書き方が ちがいます。
その 板に 書いて あった 文は、こんな いみでした。「いっしょに のる 人が まだ 来て いない とき、つたえたい ことが あれば、この 板に 書いて ください」。
ともだちが 来ない。でも、電車は 出て しまう。そんな とき、先に 行く 人が 書きのこす ための 板だった のです。
伝言板の歴史は、明治の30年代までさかのぼります。1903年(明治36年)8月の読売新聞は、北越鉄道の4つの駅に「伝言標」が設けられたと報じたと、Wikipediaは整理しています[2]。翌1904年には、国有鉄道の新橋・横浜・大阪など8つの駅に、「告知板」という名前で板が置かれたといいます[1]。どの駅が最初かは、資料の記述が分かれています。また、「伝言板」という名前を最初に使ったのは、1906年の東武鉄道だとされています[2]。
では、その最初の板には何が書かれていたのでしょうか。告知板に書かれていたのは、次のような意味の文です。「乗車するとき、まだ来ていない連れの人などに伝えたいことがあれば、その内容をこの板に書いてください」[1]。
つまり、最初の目的は雑談でも落書きでもありません。連れが予定どおりに来られなかったとき、先に出発する人が連絡を書き残すことでした。言葉の行き先は、「来ない相手」ただ1人です。
ところが、この板の前に立つ人の数が増えると、書かれる言葉も少しずつ変わっていきます。
伝言板の起源は、明治30年代にある。1903年(明治36年)8月の読売新聞は、北越鉄道の4駅に「伝言標」が設けられたと報じたとされ[2]、1904年(明治37年)には国有鉄道の新橋・横浜・大阪など8駅に「告知板」の名で設置された[1]。最初の駅については資料ごとに記述が分かれるため、本稿は「最初」と断定しない。名称の「伝言板」は1906年に東武鉄道が初めて使ったとされ、戦後は国鉄でも使われたとまとめられている[2](これは二次資料の整理である)。
注目したいのは、告知板に書かれていた文面だ。研究発表の要旨は、旅客が乗車に際して、未着の同伴者などに伝えたいことがあれば、その旨をこの板に記載してほしい、という趣旨の文章を引いている[1]。板は最初から、「同伴者が予定どおりに来られなかったとき、先に出発する人が連絡を書き残す」ために作られていたことになる。
この段階での言葉の宛先は、特定の1人だった。では、駅が人の集まる場所に変わると、板の言葉はどうなったのか。次の章で、昭和の駅に目を移す。
2. 昭和の 駅の 黒板には、どんな 言葉が ならんだの?
2. 昭和の駅で、伝言板はなぜいっぱいになったのか
2. ターミナル駅の成立と待ち合わせの文面 ── 駅が「会う場所」になった理由
だんだん、まちの そとがわに 家が ふえ、電車の 線が 広がりました。いくつもの 電車が 出会う 大きな 駅の まわりには、にぎやかな まちが できます。そして 駅は、人と 人が 待ち合わせる 場所に なりました[1]。
昭和の 駅では、かいさつぐちの よこや 待合室に 伝言板が ありました。時間どおりに 来なかった 人への 言葉が、黒板いっぱいに 書かれて いたそうです[1]。
たとえば 「先に 行く」と いう 言葉。会えなかった とき、これが のこせる 板は ありがたい ものでした[3]。ただし、これは 一つの たとえです。書かれた 言葉が みんな こうだった、と いう わけでは ありません。
大正から昭和にかけて、住宅地が郊外へ広がり、電車の路線網も整いました。いくつもの路線が交わるターミナル駅の周りには繁華街ができ、駅は人々の待ち合わせの場所になっていきます[1]。
そうなると、改札口の横や待合室に伝言板があるのは、ごく当たり前の風景になります。時間どおりに来なかった人へのメッセージが黒板いっぱいに書かれていた、と研究発表の要旨は伝えています[1]。携帯電話が広まる前は、相手に会えなかったときに「先に行く」と残せる伝言板が、ありがたい存在だったとも紹介されています[3]。
ここで大切なのは、人の流れが板の文面を決めていたことです。いまのように、連絡がつかなければ電話やメッセージで確かめるという手段は、ふつうの人にはありませんでした。だから、約束の場所に立つ人は、黒板の前で自分と同じ立場の人の言葉を読み、自分の言葉を足したのでしょう。ただし「先に行く」は一例で、昭和の文面全体の中での割合を数えた資料は、今回は見ていません。
この「待ち合わせの板」が、あるころから別のものに変わり始めます。その変化は、意外にも携帯電話より前に起きていました。
大正から昭和にかけて、住宅地が郊外へ移り、電車網が整うと、路線が交わるターミナル駅の周りに繁華街が形成された。この結果、駅は人々の待ち合わせの場所になった[1]。駅に人が集まるほど、「会えなかったとき」の備えが必要になる。そこに伝言板が置かれたと考えると、板の増加と駅の性格の変化が結びつく(ただし、資料はこの因果を直接には述べておらず、ここは筆者の読みである)。
研究発表の要旨によれば、昭和の駅では改札口の横や待合室に決まって伝言板が置かれ、時間どおりに来なかった人への伝言が黒板いっぱいに書き込まれていた[1]。報道では、携帯電話の普及前に多くの駅にあった伝言板が、待ち合わせ場所や時間を書き込んで人から人へ伝言をつなぐ役割を果たし、相手に会えなかったときに「先に行く」と残せる点が評価されたと紹介されている[3]。
注意すべきは、「先に行く」が文面の一例にすぎないことだ。昭和の伝言を実際に数えて分類した調査は、今回参照した範囲では見当たらないため、文面の割合は述べられない。だが、板の用途が「待ち合わせの失敗を補う」ことにあった点は、1904年の告知板の目的とつながっている。では、その用途は、いつまで同じだったのか。
3. 携帯電話の 前に、ともだちの 返事が 書かれたのは なぜ?
3. 携帯電話の前に、なぜ書き込みと返事が始まったのか
3. 1980年代の用途の転換 ── 通過点になった駅と、空いた板を使う若者
1980年代の ころから、書かれる 言葉が かわりました。待ち合わせの れんらくでは なく、同じ 駅を 使う ともだちへの 言葉が 書かれ、そこに また ともだちが 返事を 書く。そんな やりとりが 出て きたのです[1]。いまの LINEや Twitterを 先に やって いた ようだ、と 研究者は 書いて います。
これは 携帯電話が 広まる 前の ことです。なぜでしょう。駅が、待ち合わせを する 場所から、にぎやかな まちへ 行く とちゅうの 場所に なったからです。それに、公衆電話や 家の 電話で れんらくが とれるように なり、待ち合わせの 場所も、まちの 中の 目じるしの 場所に うつりました[1]。
あいた 黒板を、わかい 人たちが なかま との やりとりに 使い 始めた のです。
日本地理学会の研究発表の要旨は、書かれる内容が1980年代ごろから変わったと述べています。待ち合わせの連絡ではなく、同じ駅を使う友達へのメッセージを書き、それに別の友達が返事を書く、という使い方です。要旨はこれを、現在のスマートフォンでのLINEやTwitterを先取りするようなやりとりと表現しています[1]。
このやりとりが始まったのは、携帯電話の本格的な普及より前のことです。なぜ、そんなことが起きたのでしょうか。要旨が挙げる理由は2つあります。1つは、駅が待ち合わせの場所から、繁華街へ行くための通過点になったこと。もう1つは、公衆電話や家庭の電話で連絡がとれるようになり、待ち合わせの場所が街なかの目じるしへ移ったことです[1]。
使い道を失いかけた板が空き、若者が仲間との交流にそれを使い始めた、というのが要旨の描く流れです。電話が板の役目の一部を引き受けたことで、板の言葉は「来ない人への連絡」から「いつもの仲間への一言」へ移りました。
ただし、「LINEの元祖」と言い切れる資料ではありません。1ページの発表要旨にある見方として読むのがよいでしょう。
日本地理学会の発表要旨は、1980年代ごろから書かれる内容が変化したことを指摘する。待ち合わせの連絡ではなく、同じ駅を利用する友達へのメッセージを書き、別の友達が返事を書く、現在のスマートフォンのLINEやTwitterを先取りするようなやりとりが登場したという[1]。
重要なのは、この変化が携帯電話の本格普及より前に始まった点だ。要旨は理由を2つ示している。第一に、駅が待ち合わせの場から繁華街への通過点へと性格を変えたこと。第二に、公衆電話や家庭の電話で連絡が可能になり、待ち合わせ場所が街なかのスポットへ移ったことである[1]。つまり、待ち合わせ需要が駅の板から他へ移ったことで板が空き、そこを若者が仲間内の交流に使い始めた、という説明になる。
この一節は発表要旨(1ページ)に基づく見方であり、各地の板の文面を網羅的に調べた結果ではない。したがって、「LINEの元祖」とまでは言えない。言えるのは、「携帯電話が板を奪った」という単純な筋書きよりも前に、すでに用途の変化が起きていたという点までである。この変化は、次の章の撤去の理由を読むうえでも鍵になる。
4. 駅の 黒板は、どうして 少なく なったの?
4. 書き込みが増えた板は、なぜ駅から減っていったのか
4. 撤去の理由 ── 落書きと通行の妨げ、そして交流の場だった側面
1990ねんごろから、JRでは 少しずつ 伝言板を はずして いきました。「いたずら書きばかりに 見える」と いう のが 理由でした[3]。1996ねんの 新聞には、ある 駅の 3つの 板の うち 9わりが ねらいと ちがう 書きこみだった、と あります[4]。
ただし、その 書きこみは、前の 章の ともだちの やりとりと つながって いる ものも あったかも しれません。いたずらだけ と きめつけるのは、ちがう かも しれません。
全部が なくなった わけでも ありません。ある 電鉄の 駅では、チョークと 黒板けしを はずして、ポスターを はる 場所に なって いました[7]。
JRでは、伝言板が使われずいたずら書きばかりに見えるとして、1990年前後から少しずつ撤去が進みました[3]。1996年の読売新聞は、駅の伝言板が次々に姿を消していると報じ、若者のいたずらの場になっていること、携帯電話の普及も一因であることを挙げています。営団地下鉄の表参道駅では、3か所ある伝言板の内容の9割が目的外の落書きでした。新宿・池袋・渋谷などのJR東日本のターミナル駅では、通勤時の通行の妨げになるとして撤去されたといいます[4]。
ただ、撤去の理由は携帯電話だけではありません。前の章で見たように、板の使われ方はその前から、待ち合わせの連絡から仲間どうしの交流へ変わっていました。「落書き」と見られた書き込みの中には、友達に向けた言葉も混じっていたかもしれません。
漫画『シティーハンター』では、1985年の連載開始以降、新宿駅東口の伝言板に「XYZ」と書くと依頼が届くという設定があります。実際の駅では、板に「XYZ」と書くいたずらも見られたと伝えられています[2]。物語の言葉が、現実の板にも書かれた例です。
いまは、全部の板が消えたわけではありません。JR東日本の東京本社管内で、2010年に残っていたのは阿佐ケ谷駅と北柏駅の2駅だけで、2018年12月には両駅とも撤去済みでした[3]。一方、銚子電鉄の仲ノ町駅の板は、会社が「長らく機能はしておりません」と説明し、チョークと黒板消しが外されてポスターの掲示場所になっています[7]。
JRは、伝言板が使われず「いたずら書きばかり」に見えるとして、1990年前後から徐々に撤去を進めた。1996年(平成8年)の読売新聞は、「次々姿消す駅の伝言板 若者たちのいたずらの場 携帯電話の普及も一因」と報じ、営団地下鉄表参道駅の3か所の伝言板では内容の9割が目的外の落書きだったこと、新宿・池袋・渋谷などJR東日本のターミナル駅では通勤時の通行の妨げになるとして撤去されたことを伝えている[4][3]。
ここで、前章の変化と重ね合わせて読みたい。記事の見出しは携帯電話を「一因」と書くが、板の用途の転換はそれ以前に始まっていた[1]。したがって「落書き」の中には、友達どうしの書き込みと返事も含まれていた可能性がある。落書きを悪者と決めて終えるのではなく、板が仲間の交流の場でもあったという面を並べて読む必要がある。
この時期の板は、大衆文化の痕跡も残している。漫画『シティーハンター』は1985年に連載が始まり、新宿駅東口の伝言板に「XYZ」と書くと依頼が伝わる設定だった。実際の板にも「XYZ」と書くいたずらが見られたという[2](二次資料の整理で、作品の設定を現実の習慣とは見なせない)。
消滅の経過には、数字がある。JR東日本の東京本社管内で、2010年に残っていたのは阿佐ケ谷駅と北柏駅の2駅のみで、2018年12月時点では両駅とも撤去済みだった[3]。他方、銚子電鉄の仲ノ町駅の板は、会社が「長らく機能はしておりません」と説明するとおり、チョークと黒板消しが外され、ポスターの掲示場所に使われている[7]。2019年時点では、新京成電鉄の24駅中18駅などに残っていたとされるが、これは時点つきの数字である[7]。
5. 2020ねん、駅の 板に 書かれた 言葉は?
5. 2020年の東神奈川駅で、板に書かれた言葉は何だったか
5. 東神奈川駅の期間限定の復活 ── 約1000件を数字で確かめる
板が 少なく なった あと、2020ねんに、ひがしかながわ駅で 伝言板が もどって きました。コロナウイルスで みんなが 元気を なくして いた ころです。駅の わかい 人たちが 考えて、駅の かべに 手作りの 板を 作りました[5][6]。
書かれたのは、「がんばろう」や 「コロナウイルスが なくなって」など、はげましと ねがいの 言葉でした。4月30日から 6月22日までの およそ 2か月で、1000けん ぐらいの 書きこみが ありました。1日に 20けん ぐらいの ペースです[5]。
むかしの 板は、「来ない 人」へ 向けた 言葉でした。この 板は、会えない みんなに 向けた 言葉で いっぱいに なりました。駅の 人は、「やって よかった。こちらが 元気を もらった」と ふりかえって います[5]。
伝言板が駅から減ったあと、2020年4月30日から6月22日まで、JR東日本横浜支社の東神奈川駅で、期間限定で伝言板が復活しました。コロナ禍で閉塞感が広がっていたなか、若手職員の企画で、駅係員が手作りしたものです。観光ポスターなどがはがされた改札内の壁に設けられ、利用者が自由に思いを書き込めるようになりました[5][6]。
書き込みは1日に約20件、約2か月で約1000件。中身は、待ち合わせの連絡ではなく、「がんばろう」「コロナウイルスがなくなって」といった励ましや願いの言葉が中心でした[5]。数字を確かめてみましょう。4月30日から6月22日は54日間なので、1日約20件なら合計は約1080件です。「約1000件」という報道とおおよそ合います。
この板の宛先は、もう「来ない連れ」ではありません。板の前を通る、顔の見えない誰かです。荒井愛一郎助役は、やってよかった、こちらが元気づけられた、と振り返っています[5]。
励ましの伝言板は、その後も別の場所に現れました。2022〜23年の年末年始には、池袋駅に手書きの伝言板が設けられ、全国の駅にもポスターが掲示されました。一般から集まったメッセージには、「両親へ いつもありがとう」「来年も元気に過ごそう」などが書かれたと伝えられています[6]。
板が駅から減った後、2020年4月30日〜6月22日に、JR東日本横浜支社の東神奈川駅が、コロナ禍の閉塞感を和らげる狙いで、若手職員の企画により伝言板を期間限定で復活させた。駅係員が手作りしたもので、観光ポスターなどがはがされた改札内の壁に設置され、利用者が自由に思いを書き込めた[5][6]。
書き込みは1日に約20件、約2か月で約1000件に達し、内容は「がんばろう」「コロナウイルスがなくなって」といった励ましの言葉が中心だった[5]。この数字は検算できる。期間は4月30日から6月22日までの54日で、1日約20件なら約1080件になり、報じられた約1000件とおおむね整合する。ただし、これは日ごとの記録を足したものではなく、報道の概数どうしの計算である。
ここで、1904年の告知板と比べてみたい。告知板の言葉は、来なかった特定の同伴者へ向けた連絡だった[1]。1980年代の板には、同じ駅を使う友達へ宛てた言葉が現れた[1]。2020年の板には、特定の誰かでなく、そこを通る不特定の人へ向けた言葉も書かれた。これは、資料の記述から筆者が読み取った流れで、資料自体がこの3段階を述べているわけではない。
後年の例として、2022〜23年の年末年始に企業の広報企画で池袋駅に手書きの伝言板が設けられ、一般からメッセージが集まった。「両親へ いつもありがとう」「来年も元気に過ごそう」といった言葉が紹介されている[6]。なお、助役は取材に対し、やってよかった、こちらが元気づけられたと振り返っている[5]。駅の板は、会えない誰かを待つ道具から、顔の見えない誰かを励ます場所へと、役目を変えつつ続いている。
6. 家の 人に 聞いて みよう
6. 家族に昔の待ち合わせを聞き、町の掲示板を観察する
6. 資料の読み方と次に調べる問い
おうちの 人に、「電話が なかった ころ、ともだちと どう 待ち合わせたの?」と 聞いて みましょう。「先に 行く」と 書いた 人も いるかも しれません。
駅や まちで、黒板や けいじ板を 見かけたら、どんな 言葉が 書ける 場所か 考えて みましょう。かってに 書かないで、駅の 人の じゃまに ならない ように 見て ください。
家の人や祖父母に、電話が家にしかなかったころの待ち合わせの工夫を聞いてみましょう。「先に行く」と書いた経験があるかもしれません。昔の人の言葉は、資料にならない場所に残っています。
駅や町で掲示板や黒板を見かけたら、そこにどんな言葉を書ける場所なのか、考えてみてください。実際に書くときは、必ず駅や店のルールに従い、許可のない場所には書かないようにします。掲示板を使うときは、駅や店の案内に従いましょう。
この記事の数字を使って、自分で計算もできます。たとえば「1日20件×54日」を電卓で出し、約1000件という報道とどれくらい合うか確かめてみましょう。
この記事で参照した資料は、性質が異なる。片山雅木の日本地理学会発表要旨(2016年)は1ページの要旨であり、1980年代の変化の説明は研究者の見方として読むべきだ[1]。撤去や復活の件数は報道に依存し、概数である[3][5]。Wikipediaは二次資料なので、名称の初使用などは裏づけのある資料で確かめたい[2]。
次に調べる問いは、たとえば2つある。1つは、明治期の「どの駅が最初か」が資料で割れる理由だ。もう1つは、昭和の板の文面を実際に集めて分類した研究があるかである。後者は今回の範囲では見つかっておらず、自分で駅の古い写真や回想から、板の場所や書かれた言葉の違いを比べる余地が残っている。
身近な出口もある。家族に、電話が家庭に限られていた時代の待ち合わせの方法を聞き、1980年代のやりとりと比べる。許可のある場所で掲示板を観察し、「書ける場所」の条件を考える。なお、板の運用の最新の状況は、各鉄道会社の公式情報で確認するのがよい。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文の[数字]は、下の資料の番号に対応しています。
- 片山雅木「伝言板から見る鉄道と社会の変化」日本地理学会発表要旨集, 2016. https://www.jstage.jst.go.jp/article/ajg/2016a/0/2016a_100016/_pdf/-char/en (告知板の文面、昭和の駅、1980年代の変化)
- 伝言板(Wikipedia). https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%9D%E8%A8%80%E6%9D%BF (名称の初使用、シティーハンターの設定。二次資料)
- 乗りものニュース/文春オンライン(2018). https://bunshun.jp/articles/-/11598 (「先に行く」の例、JR東日本管内の撤去)
- J-CASTニュース(2023年1月). https://www.j-cast.com/2023/01/14454132.html?p=all (1996年の読売新聞の報道の紹介)
- BCNストラテジーなど(2020年8月). https://www.bcnretail.com/market/detail/20200802_184532.html (東神奈川駅の復活、件数と書かれた言葉)
- 乗りものニュース. https://trafficnews.jp/post/514746/2 (東神奈川駅の手作りの板、池袋駅の例)
- 乗りものニュース. https://trafficnews.jp/post/79569 (銚子電鉄などに残る板)
なおした ところ
更新履歴
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