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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

ぬいぐるみは、いつごろから ある おもちゃなの?

ぬいぐるみは、いつごろから子どものおもちゃになったのか ── 針山の小さなゾウから、世界のテディベアまで

ぬいぐるみの起源は、何を含めるかで変わる ── 古代の布人形、針山のゾウ(1880年ごろ)、テディベアの登場

分野:歴史・文化

いま から 140ねんほど まえ、ドイツで ちいさな ぬのの ゾウが つくられました。ところが、これは あそぶ ための ものでは なく、はりを さして おく 針山はりやまだったのです。

ぬいぐるみは、いつ おもちゃに なったのでしょう。むかしの 人は、ぬのの にんぎょうで あそんで いたのでしょうか。この 記事で、「ぬいぐるみの はじまり」が ひとつに きまらない わけが わかります。

動物の形をした布のおもちゃの出発点として、よく名前が挙がるのは、1880年ごろのドイツで作られた小さなゾウです。ところが、そのゾウは遊ぶためではなく、針を刺しておく針山として縫われたものでした。

では、ぬいぐるみはいつから「おもちゃ」になったのでしょう。もっと昔の布の人形は、ぬいぐるみの仲間なのでしょうか。針山のゾウの話と、のちのテディベアの人気から、「はじまり」が一つに決まらない理由が分かります。

動物の形の布のおもちゃの出発点として語られる小さなゾウは、遊び道具ではなく、針山として縫われたものだった。一方、布に詰め物をした人形は、約1500〜2000年前のエジプトにまでさかのぼる[2]。

では、ぬいぐるみの起源はどこに置くのが適切なのか。答えは「何をぬいぐるみと呼ぶか」という定義で変わる。針山のゾウから、1900年代初めのテディベアの大流行までを追うと、定義を決める条件と、「世界初」と言い切れない限界が見えてくる。

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1. ぬいぐるみの はじまりは、いつなの?

1. ぬいぐるみの「はじまり」は、何を数えるかで変わる

1. ぬいぐるみの起源は、定義しだいで約2000年も変わる ── 辞書の定義と、エジプトの布人形

ぬいぐるみと いえば、わたの はいった ふわふわの どうぶつを おもい うかべます。じしょでは、わたなどを ぬのに つめて、人や どうぶつの 形に ぬい あわせた おもちゃ、と せつめい されて います[1]。

この せつめいに 「人」も 入って います。そうすると、はじまりは ずっと むかしに なります。エジプトでは、いまから 1500〜2000ねんほど まえの、ぬのに ぼろぬのや かみの ような くさを つめた にんぎょうが のこって います[2][3]。

ただ、これは どうぶつの 形では なく、人の 形です。どうぶつの ぬいぐるみの はじまりと 同じ ものか どうかは、「ぬいぐるみ」を どう きめるかで かわります。

では、どうぶつの 形で、おもちゃとして あつかわれた ぬいぐるみは、いつ うまれたのでしょう。

日本語の辞書では、ぬいぐるみは、綿などを芯にして、人や動物の形に布を縫い合わせて作った、おもちゃの人形と説明されています[1]。この説明には「人」も含まれています。そこで、動物に限らず、布に詰め物をした人形まで広げて探すと、古い例が見つかります。

大英博物館には、ローマ時代のエジプトのオクシリンコスという町から出た、ぼろ布とパピルスを詰めた亜麻布の人形(高さ約19cm、紀元1〜5世紀)があります[2]。英国のV&A(ヴィクトリア&アルバート博物館)にも、同じ町から出た、パピルスを詰めた亜麻布の人形の一部(3〜5世紀)があります[3]。つまり、布に詰め物をした人形は、約1500〜2000年前にさかのぼります。

ただし、これは人の形で、動物ではありません。「ぬいぐるみの最初」と言い切れるかどうかは、人形を含めるか、動物だけにするか、遊び用に限るか、といった数え方しだいです。

では、動物の形をして、はっきり「おもちゃ」として広まった最初のころの布の作品には、何があるのでしょうか。

ぬいぐるみの起源を問うとき、最初にそろえるべきなのは定義である。日本語の辞書は、綿などを芯に人や動物の形へ布を縫い合わせた、おもちゃの人形としており、対象に人形も含めている[1]。この定義に従えば、布に詰め物をした人形も候補に入る。

実際、大英博物館には、ローマ時代のエジプト・オクシリンコスから出た、ぼろ布とパピルスを詰めた亜麻布の人形(高さ約19cm、紀元1〜5世紀)が収蔵されている[2]。V&Aにも、同じ町の、パピルスを詰めた亜麻布の人形の断片(3〜5世紀)がある[3]。出所の異なる2つの機関に似た例があるため、詰め物をした布の人形が約1500〜2000年前にあったことは確からしい。

とはいえ、人形であって動物ではなく、遊び道具だったかどうかも、ここで挙げた資料の記述からは決められない。人形か動物か、遊びか実用かで、起源の線は大きく動く。そこで、動物の形をした布の作品に絞ると何が見えるのか。

2. はりやまの ゾウが、どうして おもちゃに なったの?

2. 女性が縫った針山のゾウは、なぜ子どもの手に渡ったのか

2. 針山のゾウが玩具になった経緯 ── シュタイフと、1879〜1880年の記録

ドイツの ギーンゲンという まちに、マルガレーテ・シュタイフという 女の人が いました。1847ねんに うまれ、1さいはんの ころ、びょうきで 足が うごかなく なり、いっしょう 車いすで くらしました[5]。

ぬいものが とくいでした。1879ねんの おわりごろ、ざっしに のっていた かたがみを 見て、ちいさな ぬのの ゾウを はりやまとして ぬいました[5][6]。

すると、この ゾウを 子どもたちが おもちゃに して あそび はじめた と いいます[6]。1880ねんは、シュタイフの 会社が はじまった 年と されて います[6]。

アメリカの 大学の としょかんの ブログには、マルガレーテを 「ぬいぐるみを はつめいした 人」と する 見かたも のって います[7]。ただ、これは そこの 見かたで、「せかいで はじめて」と きまった わけでは ありません。

ゾウから はじまった ぬいぐるみは、どうやって 世界に ひろがったのでしょう。

ドイツのギーンゲンに生まれたマルガレーテ・シュタイフ(1847年生まれ)は、1歳半のころの小児まひで足が不自由になり、一生を車いすで暮らしました[5]。針と糸の仕事が得意で、自分の手でできることを広げていった人です。

1879年の終わりごろ、彼女はファッション雑誌にのっていた型紙を見て、小さな布のゾウを縫いました。目的は遊びではなく、針を刺しておく針山でした[5][6]。ところが、のちにこのゾウで子どもたちが遊ぶようになった、とシュタイフ社の会社史は伝えています[6]。同社は1880年を創業の年としています。

アメリカのプリンストン大学のコッツェン児童図書館のブログは、彼女を「ぬいぐるみの発明者」と呼び、動物の種類を増やしてカタログも出したと述べます[7]。ただし、これはそのブログの評価です。「世界で最初のぬいぐるみ」と決まったわけではありません。

針山のゾウが、世界じゅうの子ども部屋に届くまでには、まだ一歩ありました。そのきっかけとして語られるのが、海の向こうの大統領の逸話です。

動物の形をした布の作品に絞ると、よく名前が挙がるのがマルガレーテ・シュタイフ(1847年生まれ、ドイツ・ギーンゲン)である。彼女は1歳半ごろに小児まひで足が不自由になり、一生車いすで暮らしながら、縫い物の仕事で腕を磨いた[5]。

転機は、ファッション雑誌の型紙だった。ドイツ特許商標庁(DPMA)の資料は、1879年末にその型紙で小さな布のゾウを針山として縫ったとする[5]。一方、シュタイフ社は、創業を1880年と公式に定めている[6]。型紙を見つけた年と創業の年は別の記録なので、年を混ぜない。ゾウは針山のつもりで作られたが、のちに子どもが玩具として遊び始めたという[6]。

プリンストン大学コッツェン児童図書館のブログは、彼女を「ぬいぐるみの発明者」とし、1880年に雑誌の針山の型紙から小さなゾウを作り、のちに動物の種類を増やしてカタログを出したと述べる[7]。ただし、この「発明者」は同ブログの評価であり、世界初の証明ではない。針山という実用品が、子どもの遊びによって玩具に変わった点が、ここでの核心である。では、この玩具はどう市場に出ていったのか。

3. 大とうりょうが うたなかった くまは、なぜ ぬいぐるみに なったの?

3. 撃たなかったクマから、どうしてテディベアの名前が生まれたのか

3. 1902年の逸話と風刺漫画 ── 「テディー」の名が付くまで

1902ねんの 11月、アメリカの ルーズベルト大とうりょうは、ミシシッピしゅうで くま がりに 出かけました。なかまが、おいつめた くまを きに つないで、うって ください、と いいました。

けれど 大とうりょうは、「それは スポーツマンらしく ない」と いって、うたなかった と いいます[8]。

11月16日、この 場面を えがいた まんがが、ワシントン・ポストと いう しんぶんに のりました[9]。それを 見た ブルックリンの おかしやさん ミットムさん ふうふが、ぬのの 子ぐまを つくり、「テディーズ・ベア」と なづけました[8]。テディは、大とうりょうの あだ名です。

この ぬいぐるみは 人気に なり、のちに 会社も できたと つたえられます[8]。

1902年11月、アメリカのルーズベルト大統領は、ミシシッピ州へ熊狩りに出かけました。同行者たちが追いつめて木につないだクマについて、撃つように勧めましたが、大統領は「スポーツマンらしくない」と断りました[8]。

11月16日、この場面は風刺漫画になり、ワシントン・ポスト紙にのりました。描いたのはクリフォード・ベリーマンで、題名は「一線を画す」です[9]。

この漫画を見たのが、ブルックリンの菓子店主モリス・ミットム夫妻です。二人は布の子グマを作り、大統領の許可を得て「テディーズ・ベア」と名づけました。テディは大統領の愛称で、これが人気になり、のちに玩具会社の設立につながりました[8]。会社ができた年は、資料によって1903年とも1907年ともあるため、ここでは書きません。

ところで、同じころドイツでも、手足を動かせる布のクマが生まれていました。二つの話は、どうつながるのでしょうか。

テディベアの名の由来は、1902年11月にさかのぼる。米国国立公園局の解説によれば、ルーズベルト大統領はミシシッピ州の熊狩りで、同行者が追いつめて木につないだクマの射殺を「スポーツマンらしくない」と断った[8]。

この場面は、11月16日にクリフォード・J・ベリーマンの風刺漫画としてワシントン・ポスト紙に載った(題名「一線を画す」)[9]。漫画を見たブルックリンの菓子店主モリス・ミットム夫妻は、布の子グマを作り、大統領の許可を得て「テディーズ・ベア」と名づけた。評判を得て、のちにアイデアル社を設立したと伝えられる[8]。設立年は資料により1903年と1907年の両説があり、ここでは断定しない。

要するに、新聞漫画を見た夫妻が、テディベアの名につながる人形を作ったと伝えられる。ただしこの逸話は伝聞を含み、ドイツ側の動きとの因果関係は、ここで挙げた資料からは言えない。では、そのドイツ側では何が起きていたのか。

4. ドイツの くまは、どうして 3000体も かわれたの?

4. ドイツの手足が動くクマは、なぜ展示会で大量に買われたのか

4. 55PBと見本市 ── 手足が動く毛足のあるクマと、約3000体の注文

おなじ 1902ねん、シュタイフ社では、マルガレーテの おいの リチャードが、「55PB」という くまを つくりました[6]。てと あしが うごく ところが とくちょうです。

シュタイフ社は、これを 「手足が うごく せかい はじめての ぬいぐるみの くま」と しています[6]。ただ、これは 会社の せつめいです。「せかい はじめての くま」と きまった わけでは ありません。

つぎの 年、ライプツィヒの おもちゃの 見本市に この くまが ならびました。アメリカの お店の 人が、約やく3000体を かった と かいた しりょうが あります[5]。しりょうに よって、年や かずが ずれる ことも あります。

うごく くまと アメリカの 人気が つながって、ぬいぐるみは 大きな しごとに なって いきます。

同じ1902年、シュタイフ社では、マルガレーテの甥のリチャード・シュタイフが「55PB」というクマを設計しました。手足が動くモヘアのクマで、会社は「手足が動く世界初のぬいぐるみのクマ」としています[6]。ただしこれは会社の説明で、「世界で最初のクマの人形」という意味ではありません。

1903年、ドイツのライプツィヒで開かれた玩具の見本市で、アメリカの商人がこのクマを大量に買いました。ドイツ特許商標庁の資料は、3000体すべてを買ったと書きます[5]。ただし数や年は資料によって食いちがい、シュタイフ社の英国サイトは別の数え方をしているため、「約3000体」と幅を持たせて読むのが安全です。

動かして遊べるクマが、見本市で大西洋の向こうの商人の目に留まった。針山のゾウから20年あまりで、小さな工房の布の動物は、国をまたぐ商品になったのです。では、その広がりはどれほどの大きさだったのでしょう。

テディベア型の布のクマについて、シュタイフ社は、1902年に甥のリチャード・シュタイフが設計した「55PB」を、手足が動く世界初のぬいぐるみのクマとしている[6]。日本玩具文化財団の記述も、モヘア製のクマの考案をこの年に置く[9]。ただし、主張されているのは「手足が動く、毛足のある生地のクマ」であって、世界初のクマの人形ではない。

商業的な転機は見本市だった。DPMAは、1903年のライプツィヒ玩具見本市でアメリカの商人が3000体全部を買ったと書く[5]。しかし、シュタイフ社の英国サイトは展示100体に追加の3000体の注文という形で語り、同社の公式な記述では見本市を1902年とする箇所もある。年と数量は出典間で割れるため、約3000体という幅のある数字として扱う。

出典の食いちがいを無視して一つの数字に決めるのは、読み手には親切だが、事実としては粗い。年と数が揺れることを知っておくと、のちに資料を読むときの目が変わる。では、この注文は工房の規模をどこまで変えたのか。

5. 1年に、くまを どれくらい つくったの?

5. 針山のゾウから、1年で約97万体のクマへ

5. 1907年の生産規模 ── 約97万体のクマと内職1800人、模倣対策の耳のボタン

1907ねん、シュタイフ社は、くまの ぬいぐるみを 約やく97万体 つくった と いわれます[5]。この 年は、ぜんぶの おもちゃを あわせて、約やく170万こ でした。はたらく 人は 会社に 400人、いえで しごとを する 人が 1800人 いました[5]。

これは 1年ぶんの かずで、いままでの ぜんぶを たした かずでは ありません。1日に ならすと、約やく2700体です。じっさいの 1日ごとの かずでは ありません。

1904ねんには、まねを ふせぐ ために、みみに ボタンを つけはじめた と つたえられます[6]。ほんものの しるしです。

はじめは はりやまだった ゾウから、たった 27ねんで、こんなに ふえたのです。

1907年、シュタイフ社は、従業員400人と、自宅で仕事をする内職の人1800人で、テディベア約97万体(973,999体)を含む、約170万点のおもちゃを作ったとされます[5]。

これは1年分の数で、累計ではありません。単純に365日で割ると、1日平均で約2700体です(実際の日ごとの生産数ではありません)。

人気が出ると、似せた品も出回ります。そこでシュタイフ社は1904年、模倣を防ぐ商標として、耳につけるボタンを開発したと説明しています[6]。最初の商標はゾウの図柄で、ボタンはのちの工夫といえます。

針山のゾウから、およそ27年。マルガレーテの縫い物は、1年に何十万もの数を送り出す大きな仕事になりました。同時に、「ぬいぐるみはいつから」という問いも、人形の時代から産業の時代まで、幅のある答えになったのです。

人気は生産規模に表れる。DPMAの資料によれば、1907年のシュタイフ社は、従業員400人、内職1800人で、テディベア約97万体(973,999体)を含む約170万点のおもちゃを作った[5]。この値は1年分で、累計ではない。365日で割った1日平均は約2700体で、実際の日ごとの生産数ではない。

需要が大きくなれば、模倣も増える。シュタイフ社は1904年、甥のフランツが耳のボタンを開発し、模倣を防ぐ商標としたと説明する[6]。ただし最初の商標は象の図柄で、ボタンはのちの工夫であることには注意が要る。

ここまでの歩みを定義と合わせると、起源の置き場所は少なくとも3つある。人形を含めるなら約1500〜2000年前の詰め物をした布の人形、動物の形で玩具として語られる最初の例なら1879〜1880年の針山のゾウ、一般に広まった時期なら1900年代初めのテディベアだ。針山のゾウから約27年で、約97万体という数字が示す産業になったことは、使い道が先に変わり、あとで規模が追いついた経緯を示す。

6. 家の ぬいぐるみを しらべて みよう

6. 手元のぬいぐるみで、「はじまり」を考える

6. 手元のぬいぐるみと、日本の「布の人形」を手がかりにする

おうちの ぬいぐるみを ひとつ えらんで、さわって みましょう。ぬのは なんまい あわさって いるでしょう。ぬい目は どこに あるでしょう。

手や 足は うごくでしょうか。みみや せなかに、ラベルや しるしは ついて いるでしょうか。

おうちの 人に、「いちばん ふるい ぬいぐるみは いつの もの?」と きいても おもしろそうです。

日本にも、ぬので つくった こどもの にんぎょうが むかしから ありました。たとえば へいあんじだいの 這子ほうこは、わたを つめた 白い きぬで つくられた、はいはいする 子どもの 形の おもちゃです[4]。ただ、ぬいぐるみと どう つながるかは、しりょうが ないので いえません。

家にあるぬいぐるみを一つ選んで、じっくり見てみましょう。布は何枚で縫い合わされているか、縫い目はどこにあるか、手足は動くか、耳やしっぽにラベルやしるしはついているか。調べているうちに、作る人がどんな工夫をしたか見えてくるかもしれません。

家の人に、「いちばん古いぬいぐるみはいつのもの?」と聞いてみるのもよさそうです。同じぬいぐるみでも、古い時代のものは形が少しちがうかもしれません。

日本にも、布で作った子どもの人形は昔からあります。平安時代の這子は、首と胴を綿詰めの白絹で作った、這う子どもの形の遊び人形で、のちに雛人形の原型の一つになったと説明されています[4]。室町時代に広まった天児は、災いを移す形代の一種で、幼い子の枕元に置かれ、お守りの役をしました[4]。ただし、これらとぬいぐるみの関係を述べた資料は見当たらないので、ここでは「布の人形が昔からあった」までにとどめます。

手元のぬいぐるみは、「はじまり」の定義を考える教材になる。布の枚数、縫い目、手足が動くか、タグやしるしの有無を見れば、どの特徴を「ぬいぐるみらしさ」と考えるか、自分なりに決めてみよう。

日本については、国立国会図書館のNDLイメージバンクの雛人形のコラムが手がかりになる。這子は平安時代の小児の遊び人形で、首と胴は綿詰めの白絹、這う子どもをかたどり、のちに雛人形の原型の一つになったと説明される。天児は形代の一種で、室町時代に広まり、幼児のお守りとして枕元に置かれた[4]。

ただし、這子や天児とぬいぐるみの関係を述べた資料はなく、日本でいつからぬいぐるみ(布製の動物の玩具)が作られたかも、ここでは言えない。NDLのコラムを読み、家のぬいぐるみを見ながら、人形まで含めるか、動物の形だけにするかで、自分の「ぬいぐるみの定義」がどう変わるか考えてみよう。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

定義、古代の布人形、針山のゾウ、テディベアの由来、生産規模、日本の人形は、辞書・博物館・公的機関・企業の公式資料による。

  1. デジタル大辞泉「ぬいぐるみ」(Weblio辞書掲載) https://www.weblio.jp/content/ぬいぐるみ (ぬいぐるみの定義)
  2. 大英博物館 収蔵品 G_1905,1021.13 https://www.britishmuseum.org/collection/object/G_1905-1021-13 (古代エジプトの布の人形)
  3. V&A Collections O366774 https://collections.vam.ac.uk/item/O366774/doll-unknown (別の機関の同種の人形)
  4. 国立国会図書館 NDLイメージバンク「雛人形」コラム https://www.ndl.go.jp/imagebank/column/hinaningyo (這子・天児)
  5. ドイツ特許商標庁(DPMA)「Ingenious women」マルガレーテ・シュタイフ https://dpma.de/english/our_office/publications/ingeniouswomen/margaretesteiff/index.html (生い立ち・針山・見本市・生産数)
  6. Steiff 公式会社史 https://corporate.steiff.com/en/company/history/ (創業年・55PB・耳のボタン)
  7. Cotsen Children's Library blog, Who Invented the Stuffed Animal? https://cotsen.blogs.princeton.edu/2025/12/who-invented-the-stuffed-animal/ (「発明者」という評価)
  8. 米国国立公園局「The Story of the Teddy Bear」 https://www.nps.gov/thrb/learn/historyculture/storyofteddybear.htm (大統領の逸話・ミットム夫妻)
  9. 日本玩具文化財団「テディベアの歴史」 https://toyculture.org/about_toy/history_teddybear/ (風刺漫画の日付、1902年の考案)

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