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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

しろい はくちょうを なんわ 見ても、「はくちょうは みんな しろい」と 言いきれないのは なぜ?

黒い白鳥の群れが「白鳥は白い」を崩した ── 見たことと思ったことを分ける型

黒い白鳥は「白鳥は白い」をどう崩したか ── 帰納と演繹、批判的思考で事実と解釈を分ける

分野:歴史・文化

むかし ヨーロッパでは、「黒い 白鳥」と いえば、ありえない ものの たとえでした[5]。白鳥は 白い ものだと かんがえて いたと いわれます。ところが 1697年、ある たんけん家が、オーストラリアの 川で 黒い 白鳥の むれを 見ました[6]。

白い 白鳥を たくさん 見ても、「ぜんぶ 白い」とは いえないのは なぜでしょう。見た ことと、そう おもった ことを わける かんがえ方が わかります。

ヨーロッパでは「黒い白鳥」といえば、ありえないもののたとえでした。人々は長いあいだ、白鳥は白いものだと考えていたといわれます[5]。ところが1697年、オランダの探検家が西オーストラリアで黒い白鳥の群れを見て、その川に「黒い白鳥の川」という名をつけました[6]。

白い白鳥をどれだけ見ても「すべて白い」と言い切れないのはなぜでしょうか。見たことから法則を作る方法の強みと弱み、そして事実と思い込みを分ける型が分かります。

ヨーロッパでは「黒い白鳥」はありえないもののたとえで、白い白鳥ばかりが知られていたため、黒い白鳥はいないと考えられていたとされる[5]。ところが1697年、オランダの探検家ウィレム・デ・フラミングが西オーストラリアで黒い白鳥の群れを見て、川を「黒い白鳥の川」と名づけた[6]。

観察を積み重ねた結論が、なぜ1つの例外で崩れるのか。帰納と演繹の違い、「空・雨・傘」という事実と解釈を分ける型、クリティカルシンキングの4段階を、1本の筋でつなぐと分かる。

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1. 白鳥は ぜんぶ 白いと、どうして おもうの?

1. 「白鳥は白い」は、なぜ自然な結論だったのか

1. 個々の観察から法則を作る帰納 ── その強みと「飛躍」

池に 行って、白鳥を 見たと します。1わ目も 白い。2わ目も 白い。10わ見ても 白い。すると 「白鳥は 白い」と おもいたく なります。

このように、いくつもの 見た ことから、まわりにも あてはまる きまりを つくる やり方が あります[1]。ふつうの くらしでも、よく つかって います。

ただし、この やり方には よわい ところが あります。見た ことが ぜんぶ 本当でも、きまりが 本当とは かぎりません[1]。この あと、そのことが はっきり します。

池のほとりで白鳥を見かけたとします。1羽目も白い、2羽目も白い、10羽目も白い。そうなると、「白鳥は白い」と考えるのはごく自然です。

辞典では、このように個々の具体的な事例から、一般に通用する原理や法則を導くことを「帰納」と説明しています[1]。特殊なものから一般へ進む考え方で、日常でも、経験からの予想はたいていこの形です。

ただし弱点があります。帰納では、前提が正しくても結論が正しいことまでは保証されず、あくまで「そうである可能性が高い」という蓋然的なものにとどまります[1]。見た事例を超えて一般化するところに、飛躍が入るからです。

では、その飛躍が実際に破れたとき、何が起きたのでしょうか。

池で白鳥を見るたびに白いなら、「白鳥はすべて白い」と考えたくなる。個々の具体的な事例から一般に通用する原理や法則を導くこの手順を、辞典は帰納と呼び、一般から個別へ進む演繹と対比している[1]。実験や観察で法則を見つける科学の多くは、この形をとる。

強みは、まだ見ていないものについて予想を立てられる点にある。しかし、そのしくみが弱みにもなる。帰納では前提が真であっても結論が真であることは保証されず、結論は蓋然的にすぎない[1]。10羽の白い白鳥は、11羽目が白いことの根拠にはなっても、全部が白いことの証明にはならない。事例を超えて一般化する段階に「飛躍」があるからだ。

では、この飛躍は現実にどう破れるのか。実例が1697年に見つかっている。

2. 1697年、川に 黒い 白鳥が いた

2. 1697年、西オーストラリアの川で黒い白鳥の群れが見つかった

2. 例外が1つ見つかると崩れる ── 1697年の黒い白鳥と、帰納の3つの壊れ方

1697年、オランダの たんけん家 デ・フラミングは、オーストラリアの 西がわで、黒い 白鳥の むれを 見ました。そして その 川を 「黒い 白鳥の 川」と 名づけました[6]。

ヨーロッパから 来た 人の きろくでは、これが はじめてと かんがえられて います。でも、世界で はじめて 見た 人では ありません。そこに すんで いた 人たちは、ずっと 前から 知って いました。

むかしの ローマの 詩人は、「黒い 白鳥」を、めったに いない ものの たとえに つかったと いいます[5]。そんな 鳥が、本当に 川に いたのです。

たくさん 見て つくった きまりは、1つの れいがいで こわれる ことが あります。

1697年、オランダの探検家ウィレム・デ・フラミングは、西オーストラリアで黒い白鳥の群れを目にし、川を「スワン川(黒い白鳥の川)」と名づけました[6]。ヨーロッパから来た人の記録では初めての目撃と考えられています。ただし「世界で初めて」ではありません。現地の先住民は、それ以前から黒い白鳥を知っていました。

「黒い白鳥」という言葉は、ローマの詩人ユウェナリスの「地上でめったにいない、黒い白鳥のような鳥」という表現に由来するといわれます。ヨーロッパでは、白い白鳥ばかりが知られていたため、黒いものはいないと考えられていたとされています[5]。

人事用語の解説では、帰納の崩れ方を、元の事例が誤っている場合、共通点を見つけるときに飛躍がある場合、あとから例外が見つかる場合の3つに整理しています[2]。黒い白鳥は3つ目にあたり、例外が1つ現れるだけで、「すべて」という結論は成り立たなくなります。

では、逆に「すべて」を前提に置く考え方は、どこまで頼れるのでしょうか。

1697年、オランダの探検家ウィレム・デ・フラミングは西オーストラリアで黒い白鳥の群れを見て、川をスワン川(黒い白鳥の川)と名づけた。ヨーロッパから来た人の記録では初めての目撃と考えられている[6]。ただし「世界で初めて」と読んではならない。先住民はそれ以前から黒い白鳥を知っていた。ここでの「初めて」は、ヨーロッパの記録の枠の中での話である。

そのヨーロッパでは、黒い白鳥は「いない」と考えられていたとされる。白い白鳥ばかりが知られていたからだ。言葉の由来も同じ方向を向く。ローマの詩人ユウェナリスが「地上でめったにいない、黒い白鳥のような鳥」と書いたのが元だとされ、黒い白鳥は、ありそうにないものの代名詞のように使われたと読める[5]。

そのため、1つの目撃が持つ重みは大きい。解説では、帰納が崩れるパターンを、元の事例そのものが誤り、共通点を導く際の飛躍、そして共通点を見つけたあとで例外が発見されて論理全体が成立しなくなる、の3つとしている[2]。黒い白鳥は第3の型の典型で、数百年分の「白い」という観察が正しくても、「すべて」と言った時点で、1羽の黒い白鳥に勝てなくなっていた。

この弱さを知ったとき、逆向きの考え方、つまり最初に確かな一般論を置いて進む方法は、安全なのだろうか。

3. 「ぜんぶ 白い」から はじめたら、どう なる?

3. 「すべて」から出発する演繹は、前提が崩れるとどうなるか

3. 前提が正しければ結論も必ず正しい演繹 ── その確実さと、前提という落とし穴

こんどは はんたいの やり方です。まず 正しい きまりを おいて、そこから 答えを だします[3]。

「人は かならず しぬ。ソクラテスは 人だ。だから ソクラテスも かならず しぬ」。きまりが 正しければ、答えも かならず 正しく なります。

でも、はじめの きまりが まちがっていたら どうでしょう。「白鳥は ぜんぶ 白い。この 鳥は 白鳥だ。だから この 鳥は 白い」。これは、はじめの きまりを 正しいと したときの はなしです。つなぎ方は 正しいのに、1697年の あとでは、この 答えは あぶなく なりました。

はじめの きまりが 本当か どうかを、まず たしかめる ことが 大じです[4]。

「演繹」は、与えられた前提から論理の形に沿って結論を導く考え方です。典型的な例は、「人は必ず死ぬ。ソクラテスは人である。だからソクラテスは必ず死ぬ」という三段論法です。前提が正しければ、結論も必ず正しくなります[3]。帰納の結論が蓋然性にとどまるのと、そこが違います。

ただし、確実なのは「形」だけです。解説では、一般論や観察した事柄が間違っていれば、導かれる結論も間違ったものになると注意しています[4]。

ここで前の章とつなげて考えてみます。「白鳥はすべて白い。この鳥は白鳥だ。だからこの鳥は白い」という推論は、形としては正しいものです。しかし最初の前提は、帰納で作られたものでした。1697年以降は、この前提自体が成り立たなくなりました。帰納で作った法則を演繹の前提に入れるときは、その法則がどこまで確かめられているかを見る必要がある、と読めます。

では、その前提の確かさを、日々の判断の中でどう点検すればよいのでしょうか。

演繹は、与えられた命題から論理の形に沿って結論を導く。「人は必ず死ぬ」「ソクラテスは人である」「ゆえにソクラテスは必ず死ぬ」が教科書的な例で、前提が正しければ結論は必ず正しい。帰納の結論が蓋然性にとどまるのと対照的である[3]。

その確実さには条件がつく。保証されるのは推論の形だけで、前提の真偽までは保証しない。人事用語の解説も、一般論が誤っていれば導かれる結論も誤ると述べている[4]。

前章の黒い白鳥と重ねると、この条件の意味がはっきりする。「白鳥はすべて白い。この鳥は白鳥である。ゆえにこの鳥は白い」という推論は、形式としては何も間違っていない。ところが前提「白鳥はすべて白い」は、そもそも帰納で作られた一般論であり、1697年の例で崩れた。つまり、帰納と演繹は別々の道具ではなく、帰納で作った法則を演繹の前提に使うことがよくあり、その場合、結論の確かさは前提の確かさを超えない。これは2つの辞典・解説の記述をつなげた筆者の整理である。

だとすれば、必要なのは前提の根になっている「見たこと」と、そこからの「そう思ったこと」を、まず切り分ける習慣になる。そのための、仕事の現場で使われる簡単な型がある。

4. 空を 見たら、まず なにを 考える?

4. 「空・雨・傘」── 見たこと、思ったこと、することを分ける

4. 「空・雨・傘」の3段階 ── ファクト・解釈・行動を切り分ける

あさ、げんかんで 空を 見ると、雲が いっぱいです。ここで 「空・雨・かさ」と いう 3つの 考え方を つかって みましょう[7]。

空は、見た こと。「空の はんぶんくらいに 雲が ある」。見た ことを、なるべく そのまま かきます。

雨は、そう おもった こと。「雨が ふりそう」。これは 人や ばあいで かわる ことが あります。

かさは、することを きめる こと。「かさを もって いこう」。

黒い 白鳥の 話に たとえて みると、「10わ見て 白かった」は 見た こと。「白鳥は ぜんぶ 白い」は 見た ことから おもった ことです。

朝、玄関で空を見上げると、雲がいっぱいです。ここで役に立つのが、「空・雨・傘」という考え方です。ビジネス書『マッキンゼーで叩き込まれた超速フレームワーク』に載っている問題解決の型として紹介されています[7]。

「空」は、いまの状況という事実です。「雲が空の半分くらいをおおっている」のように、自分の思いを入れずに、見たことをなるべくそのまま確かめます。「雨」は、その事実が自分にとって何を意味するかという解釈で、「降りそうだ」に当たります。「傘」は、それを踏まえて選ぶ行動です[7]。

3つに分ける意味は、混ざりやすいところにあります。「雨だから傘」と一息に考えると、見たものと思ったことが一体になって、点検しにくくなります。同じ曇り空でも、洗濯物を干したい人と、これから遠足に行く人とでは、「雨」が意味することは違ってくるでしょう。解釈は人や場面で変わりうるので、事実とは別の段として見直せるようにしておくのです。

黒い白鳥にたとえてみます。「見た10羽は白かった」は空、「白鳥はすべて白い」は、その観察から導いた仮説で、雨に近いものです。傘にあたる行動は、仮説の確かさに合わせて決めることになります。これは話をつなげるための筆者のたとえで、資料がそう述べているわけではありません。

こうした「ふり返りながら考える」習慣には、名前がついています。

朝、玄関で曇り空を見て傘を持つかどうか決める場面を、3つに分けて考える型がある。「空・雨・傘」である。大嶋祥誉『マッキンゼーで叩き込まれた超速フレームワーク』の中で、マッキンゼー流の問題解決の型として紹介されている[7]。

「空」は現在の状況、つまりファクトである。「雲が空の半分くらいをおおっている」のように、主観を入れず、見たことをなるべくそのまま確かめる段階にあたる。「雨」は、その事実が自分にとって何を意味するか、すなわち解釈である。「傘」は、それを踏まえて実際に選ぶ行動や解決策である[7]。

この型の価値は、段を分けることで、どこが間違っていたのかを点検できる点にある。傘を持たずにぬれたとして、空の見間違いだったのか、雨の解釈が甘かったのか、傘という行動の選択が悪かったのかで、直す箇所が違う。同じ曇り空でも、洗濯物を外に干した人と、屋内で過ごす人では「雨」の意味が変わりうる。なお、ここからは筆者の例である。

黒い白鳥にも、たとえとして同じ切り分けを当てはめられる。「観察した何十羽もの白鳥は白かった」は空、「白鳥はすべて白い」は観察から導いた仮説で雨に近く、「だから黒い鳥は白鳥ではないと決める」は傘にあたる。これは空・雨・傘の比喩的な整理で、資料が述べたものではない。問題は、仮説の段階で「すべて」と飛躍したことで、空と雨の間に点検の機会があれば、行動を変えられたはずだ。

この「立ち止まって点検する」態度そのものに、教育学で研究されている名前がある。

5. 「ほんとうかな?」と 見なおす ことって?

5. 「批判」とは否定ではなく、吟味すること ── クリティカルシンキング

5. クリティカルシンキングの4段階 ── 根拠を確かめ、内省する思考

「ほんとうかな?」と 見なおす 考え方を、クリティカルシンキングと いいます[8]。

ここで いう「ひはん」は、わるく いう ことでは ありません。いわれた ことや 読んだ ことを そのまま うけいれず、いろいろな 方向から しらべて、かんがえる ことです[8]。

空・雨・かさで いえば、「雲が おおい」は ほんとうか。「雨が ふりそう」は 何を 見て そう おもったのか。かさを もつのは、それで いいか。こうして 一つずつ たしかめます。

これは 白鳥の 話でも 同じです。「ぜんぶ 白い」と きめる 前に、「まだ 見て いない 白鳥は いないかな?」と 考えて みる ことが できます。

クリティカルシンキング(批判的思考)は、物事や情報を無批判に受け入れず、多様な角度から検討して、論理的・客観的に理解することです[8]。「批判」と聞くと相手を責めるように感じますが、ここでの意味は否定ではなく、吟味です。

日本の教育心理学者の楠見孝は、批判的思考を、根拠に基づく論理的な思考で、意識的に自分の考えをふり返る思考だと整理しています。そして、そのプロセスを、情報の明確化、推論の土台の検討、推論、行動決定と問題解決の4つに分けています[9]。

これを「空・雨・傘」と並べると、似た流れが見えてきます。情報を明確にするのが「空」、推論の土台を検討し、推論するのが「雨」、行動を決めるのが「傘」と読めます。ただしこの対応づけは筆者の読み方の一案で、資料がそう書いているわけではありません。

黒い白鳥の問いに戻ると、「土台の検討」とは、「白鳥はすべて白い」の根拠が、いくつの観察に支えられているのか、まだ見ていない場所はないか、と自分に問うことです。これは、1697年より前の人にもできた問いかもしれません。

クリティカルシンキング(批判的思考)は、物事や情報を無批判に受け入れず、多様な角度から検討し、論理的・客観的に理解することをいう[8]。ここでいう「批判」は否定ではなく吟味の意味で、「相手を論破する技術」ではない点が誤解されやすい。

学術的な整理として、楠見孝は、批判的思考を「根拠に基づく論理的な思考で、意識的な内省を伴う思考」とし、そのプロセスを、情報の明確化、推論の土台の検討、推論、行動決定と問題解決の4つに分けている(Ennis 1987を改変したもの)[9]。なお、資料はOCRの崩れがあり、「根拠」の語の細部は確かめきれていない。ここでは大意として読んでほしい。

この4段階を「空・雨・傘」と重ねてみると、読み方の一案として、情報の明確化が「空」、推論の土台の検討と推論が「雨」、行動決定が「傘」にあたる。違いは、批判的思考のほうに、土台を問い、自分の推論をふり返る段階が、明示的に組み込まれている点だ。空・雨・傘は朝の数秒で使える簡便な型で、批判的思考は、重要な判断のときに丁寧に使う型、と使い分けられる。ただし、この対応は筆者の整理であり、資料自体が両者を結びつけているわけではない。

黒い白鳥の例では、「推論の土台の検討」にあたる問いは、「白鳥はすべて白い」を支える観察の数と、観察した場所の範囲である。ヨーロッパの記録だけでは、土台は大陸の外に及んでいなかった。ここまで来れば、型の名前を覚えること以上に、その型を日常のどこで使えるかを考えるほうが面白い。

6. 今日の 空で、3つに わけて みよう

6. 今日の空を、事実・解釈・行動に分けてみる

6. 自分の判断を3つに分けて点検し、原典に当たる

まどから 空を 見て、ノートに 3つ かいて みましょう。

1つ目は、見た こと。「雲が 2つ ある」「あかるい」。2つ目は、おもった こと。「あとで 雨が ふりそう」。3つ目は、する こと。「かさを もって いく」。

夜に なって、あたった か どうかも 見て みましょう。あたらなくても いいのです。どこで ちがったのかを 考える のが たのしい ところです。

おひさまは、直せつ 見ないように します。

窓から空を見て、ノートに3行で書いてみましょう。1行目は見たこと(雲の量、明るさ、風の感じ)。2行目は思ったこと(これから雨が降りそうか)。3行目はすること(傘を持つか、洗濯物をどうするか)です。太陽は直接見ないようにしてください。

夜に、その日の天気と見比べます。当たったかどうかより、外れたとき、見たことの記録が足りなかったのか、思ったことの飛躍があったのか、どちらに原因があったのかを考えると、黒い白鳥の話がぐっと身近になります。

もっと読みたい人は、楠見孝の論文[9]で、批判的思考の4つのプロセスの整理が読めます。日本語の辞典で「帰納」「演繹」の項目を比べて読むのもおすすめです。黒い白鳥の目撃について、英語でもよければ、ウィキペディアの「スワン川」の項目[6]もあります。

朝の天気の判断を、3行で記録してみる。1行目は事実(雲量、明るさ、風)、2行目は解釈(降りそうか)、3行目は行動(傘、洗濯物)とする。太陽は直接見ない。その日の夜に結果を照らし合わせ、外れた場合は、事実の記録が足りなかったのか、解釈に飛躍があったのか、行動の選択が合わなかったのかを切り分ける。こうして、見たことと予想を分けてふり返る練習ができる。

原典に近い資料としては、楠見孝の論文[9]が、批判的思考を教育でどう扱うかを論じており、4つのプロセスの出どころも辿れる。論文を読むときは、図書館や論文データベースで読める版を探すとよい。黒い白鳥の目撃は、英語でもよければ百科事典[6]で読めるが、これも二次的な資料なので、探検の記録そのものに当たると、先住民の知識との関係など、さらに別の問いが立つ。

また、帰納・演繹の説明は辞典や解説サイトに頼っているため、論理学の教科書で定義を読み比べると、本稿で「筆者の整理」とした箇所が、どこまで一般的な見方かを確かめられる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:辞典、解説サイト、百科事典、書籍の要約、論文を使った。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。

  1. コトバンク「帰納」。https://kotobank.jp/word/%E5%B8%B0%E7%B4%8D-51308 (帰納の意味と、結論が蓋然的であることについて。辞典)
  2. カオナビ人事用語集「帰納法」。https://www.kaonavi.jp/dictionary/kinoho/ (帰納が崩れる3つの型について。解説サイト)
  3. Weblio辞書「演繹」。https://www.weblio.jp/content/%E6%BC%94%E7%B9%B9 (演繹の意味と三段論法の例について。辞典)
  4. カオナビ人事用語集「演繹法」。https://www.kaonavi.jp/dictionary/enneki/ (前提が誤っているときの注意について。解説サイト)
  5. Wikipedia「Black swan theory」。https://en.wikipedia.org/wiki/Black_swan_theory (「黒い白鳥」の言葉の由来と、ヨーロッパでの思い込みについて。英語の百科事典)
  6. Wikipedia「Swan River (Western Australia)」。https://en.wikipedia.org/wiki/Swan_River_(Western_Australia) (1697年の目撃と川の命名について。英語の百科事典)
  7. flier「マッキンゼーで叩き込まれた超速フレームワーク」要約。https://www.flierinc.com/summary/2421 (空・雨・傘の3段階について。書籍の要約サイト)
  8. Weblio「critical thinking」。https://www.weblio.jp/content/critical+thinking (クリティカルシンキングの意味について。辞典)
  9. 楠見孝「教育におけるクリティカルシンキング」日本看護診断学会誌 20(1)、2015年。https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/server/api/core/bitstreams/3ec03379-520b-4a5f-9a96-128f28c2d20a/content (批判的思考の定義と4つのプロセスについて。論文)

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