1. 世界の 国は、みぎと ひだりに 分かれて いる
1. 世界の国は、右と左に分かれている
1. 世界の通行方向の分布
いま 世界には、右がわを はしる 国が 165、左がわを はしる 国が 75 くらい ある[1]。左がわを はしる 国の 人を ぜんぶ あわせると、世界の 人の およそ 3ぶんの 1に なる[1]。日本、イギリス、オーストラリアなどが 左がわ。アメリカ、中国、フランスなどが 右がわだ[1]。
2. イギリスが 左がわに なった わけは、はっきり しない
2. イギリスが左側になったわけは、はっきりしていない
2. イギリスの左側通行 ── 有名な説と、確かな記録
「むかし けんを もった 人が、右手で けんを ぬきやすいように 左がわを 歩いた」という 話を 聞いた ことが あるかも しれない。でも、この 話が ほんとうか どうか、しらべた 学者たちは、それを しめす きろくを 見つけられて いない[2]。
はっきり きろくが のこって いるのは、1756年に イギリスの ロンドンばしで、「はしを わたる 車は 左がわを 通ること」と きまりに 書かれた ことだ[2]。
「昔、剣を持った人が、右手で剣を抜きやすいように左側を歩いた」という話を聞いたことがあるかもしれない。でも、この話が本当かどうか、調べた学者たちは、それを示す記録を見つけられていない[2]。
はっきり記録が残っているのは、1756年にイギリスのロンドン橋で、「橋を渡る車は左側を通ること」と法律に書かれたことだ[2]。
イギリスが左側通行になった理由として、「剣を右手で扱う人々が、鞘を左側に置いて左側を歩いた」という説がしばしば語られる。しかし、この種の説について調べた研究者は、それを裏づける文書上の証拠を見つけられていない[2]。1300年にローマ教皇ボニファティウス8世が巡礼者に左側通行を指示したという話も広く語られるが、実際に左を指示したのか右を指示したのか、いずれの説を裏づける文書も存在しないとされる[2]。
一方で、文書として確かに残っているのは、1756年のロンドン橋法(London Bridge Act)である。この法律は、橋を渡る車両について「ロンドン側から来る車両は東側を通行しなければならない」と定めており、進行方向に対して左側を通行することを義務づけた、記録に残る最初期の例とされている[2]。
3. フランスが 右がわに なった わけも、じつは よく 分からない
3. フランスが右側になったわけも、実はよく分からない
3. フランス・ヨーロッパ大陸の右側通行 ── ナポレオン伝説の検証
「ナポレオンが、フランスの 通行を 右がわに かえた」という 話も、よく 聞く。でも これも、しらべた 学者たちが、それを しめす きろくを 見つけられて いない[3]。それどころか、ナポレオンが なくなった あとの 1827年の パリでは、「馬車を うごかす 人たちは 右か 左か、決まった ルールも なく、ぶつかり あいながら 走って いた」と いう きろくも 見つかって いる[3]。
4. アメリカが 右がわに なった わけは、大きな にもつ車から
4. アメリカが右側になったわけは、大きな荷物車から
4. アメリカの右側通行 ── フレイトワゴンの御者の座り方
アメリカでは、1700年代の おわりごろ、何頭もの 馬に ひかせる 大きな にもつ車が 使われて いた。この 車には、馬を あやつる 人の せきが なかった。右ききの その 人は、うしろの 左がわの 馬に またがって のり、右手で むちを ふるって いた[4]。この のりかたの ため、ほかの 車と すれちがう ときは、右がわを あけて おく ほうが つごうが よかったのだ[4]。1792年、フィラデルフィアと ランカスターを むすぶ 道で、右がわ通行が はじめて きまりに なった[4]。
5. 日本の 左がわ通行にも、2つの 考えかたが ある
5. 日本の左側通行にも、2つの説がある
5. 日本の左側通行 ── 鉄道説と帯刀説
日本で さいしょに、左がわに よけるように 決められたのは、1881年、東京の けいさつが 出した、人力車どうしが であった ときの きまりだった[5]。1900年には、もっと くわしい きまりが 作られた[5]。
なぜ 左がわに 決めたのかは、2つの 考えかたが ある。1つは、さきに できて いた 鉄道が、イギリスの ぎじゅつを まねて 左がわ通行だったから、道路も それに あわせたと いう 考えかた[5]。もう 1つは、むかしの さむらいが 刀を 左こしに さして いたので、左がわを 歩く くせが ついて いたと いう 考えかただ[5]。ちょうど、ろうかで 人と すれちがう とき、おたがい おなじ がわに よければ ぶつからずに すむのと 「にたような はなし」だ。ただし ほんとうに その とおりだったかは、だれにも 分からない。どちらの 考えかたが 正しいか、はっきりとは 分かって いない。
日本で最初に、左側へよけるよう定められたのは、1881年、東京の警視庁が出した、人力車どうしが行き会ったときの決まりだった[5]。1900年には、もっと詳しい決まり「道路取締規則」が作られた[5]。
なぜ左側に決めたのかは、2つの説がある。1つは、先にできていた鉄道が、イギリスの技術をまねて左側通行だったから、道路もそれに合わせたという説[5]。もう1つは、武士が刀を左腰に差していたので、左側を歩くくせがついていたという説だ[5]。どちらが正しいか、はっきりとは分かっていない。
日本で初めて明文化された通行方向のルールは1881年、東京警視庁が出した人力車に関する通達で、人力車どうしが行き会った際に左へ避けることを定めたものだった[5]。1900年には警視庁「道路取締規則」がより詳細に左側通行を規定し、現行の道路交通法(1960年制定)第17条にも「車両は、道路の中央から左の部分を通行しなければならない」と定められている[5]。
なぜ左側に定められたのかについては、主に2つの説が挙げられている。1つは、先に整備されていた鉄道がイギリスの技術を基盤としており左側通行だったため、道路の通行もそれに倣ったとする説。もう1つは、武士が刀を左腰に差す習慣があり、すれ違う際に鞘同士がぶつかるのを避けるため、自然と左側を通る習慣が定着していたとする説である[5]。JAFはこの2つを説として紹介しているが、どちらかを裏づける一次資料までは示されておらず、イギリスやフランスの事例と同様、決定的な証拠から一方の説が確定しているわけではない。
6. いちやで ルールを かえた 国も ある
6. 一晩でルールを変えた国もある
6. 一夜での切替え ── スウェーデンと沖縄の事例
スウェーデンでは、1955年に「右がわ通行に かえるか」と いう とうひょうを した ところ、ほとんどの 人が 反対した。でも 国は、その あと 右がわ通行に かえる ことに 決めた。そして 1967年9月3日 の 朝5時、国じゅうの 車が いっせいに 右がわ通行に 切りかわった[6]。
日本の おきなわでも、にた ことが あった。せんそうの あと、おきなわは アメリカに おさめられて 右がわ通行に なって いた。1972年に 日本に もどった あとも、しばらく 右がわの ままだったが、1978年7月29日の 夜から、8時間 かけて 道じるしを つけかえ、あくる 30日の 朝6時に、左がわ通行に かわった[7]。切りかえた 直後は、なはなどの まちで じこや じゅうたいが つづいたと いう[7]。
スウェーデンでは、1955年に「右側通行に変えるか」という投票をしたところ、ほとんどの人が反対した。でも国は、その後右側通行に変えることに決めた。そして1967年9月3日の朝5時、国じゅうの車がいっせいに右側通行に切りかわった[6]。
日本の沖縄でも、似たことがあった。戦争の後、沖縄はアメリカに治められて右側通行になっていた。1972年に日本に戻った後も、しばらく右側のままだったが、1978年7月29日の夜から、8時間かけて道しるしをつけかえ、あくる30日の朝6時に、左側通行に変わった[7]。切りかえた直後は、那覇などの街で事故や渋滞が続いたという[7]。
スウェーデンは、1955年の国民投票で右側通行への変更が大差で否決されたにもかかわらず、その数年後に政府が変更を決定した。1967年9月3日午前5時、「Dagen H(H の日)」と呼ばれるこの切替えにより、国内すべての交通が一斉に右側通行へ移行した[6]。切替え直後は事故率が大きく下がったが、その後じきに元の水準近くまで戻ったと記録されている[6]。
日本の沖縄県でも、同様の大規模な切替えが行われた。沖縄戦後、米海軍軍政府の指令により1945年11月に右側通行へ変更され、1972年の日本復帰後もジュネーブ道路交通条約の「一国一交通方式」の原則に沿って左側通行へ戻すことが計画された[7]。1978年7月30日午前6時(この日にちなみ「730」と呼ばれる)、前夜10時からの全県的な車両通行止めのもと、道路標識や信号の切替え作業が8時間で完了した[7]。バス車両は乗降口を右側から左側へ移す必要があり、右ハンドル車1,019台の新規導入と、左ハンドル車167台の改修で対応した[7]。切替え直後は那覇などの都市部で事故や交通の混乱が相次いだ[7]。
じぶんの まちの みぎと ひだりを、かんさつして みる
自分の町の右と左を、観察してみる
身近な通行のルールを観察してみる
つぎに 外を 歩く とき、車が どちらがわを 走って いるか、見て みよう。おうだんほどうで、車が 来るのは 右から? 左から? じぶんで たしかめると、いつもの 道が すこし ちがって 見えるかも しれない。
次に外を歩くとき、車がどちら側を走っているか、見てみよう。横断歩道で、車が来るのは右から? 左から? 自分で確かめると、いつもの道が少しちがって見えるかもしれない。
自分の町の交差点や横断歩道で、車がどちら側を走っているかを観察してみよう。駅の階段やエスカレーターで、人がどちら側に寄って歩いているかを見比べるのもおもしろい。国や地域によってルールが分かれた背景を知ると、当たり前だと思っていた通行の習慣が、実は歴史の積み重ねの上に成り立っていることが見えてくる。
しらべた ところ
参考にした情報源
参考にした情報源
- English Wikipedia「Left- and right-hand traffic」。 https://en.wikipedia.org/wiki/Left-_and_right-hand_traffic (右側通行の国が165、左側通行の国が75あること、左側通行の地域が世界の陸地面積のおよそ6分の1・道路総延長のおよそ4分の1・人口のおよそ3分の1を占めることは同出典による)
- English Wikipedia「Left- and right-hand traffic」。 https://en.wikipedia.org/wiki/Left-_and_right-hand_traffic (剣を持つ人が左側を歩いたという説やローマ教皇ボニファティウス8世の巡礼者への指示に関する説を裏づける文書上の証拠が見つかっていないこと、1756年のロンドン橋法が橋を渡る車両に東側(進行方向左側)の通行を義務づけたことは同出典による)
- English Wikipedia「Left- and right-hand traffic」。 https://en.wikipedia.org/wiki/Left-_and_right-hand_traffic (ナポレオンがフランスの通行方向を右側に変えたとする説を裏づける文書上の証拠を研究者が1999年時点で見つけられていないこと、1827年のパリで御者たちに右側・左側の定まった規則がなかったと記録されていることは同出典による)
- English Wikipedia「Left- and right-hand traffic」。 https://en.wikipedia.org/wiki/Left-_and_right-hand_traffic (18世紀後半のアメリカで、御者用座席のない大型輸送馬車の右利きの御者が後方左側の馬にまたがり右手でむちを扱っていたこと、1792年にフィラデルフィア・ランカスター間の有料道路でアメリカ初の右側通行の法律が制定されたことは同出典による)
- JAF「なぜ日本は左側通行なの?」。 https://jaf.or.jp/common/kuruma-qa/category-drive/subcategory-sign/faq165 (1881年に東京警視庁が人力車どうしが行き会った際に左へ避けることを通達で定めたこと、1900年に「道路取締規則」がより詳細に規定したこと、現行の道路交通法第17条の規定、左側通行の理由として鉄道由来説と武士の帯刀説の2つが挙げられていることは同出典による)
- English Wikipedia「Left- and right-hand traffic」(スウェーデンDagen Hの節)。 https://en.wikipedia.org/wiki/Left-_and_right-hand_traffic (スウェーデンが1955年の国民投票で右側通行への変更を否決しながら、1967年9月3日午前5時に一斉切替え「Dagen H」を実施したこと、切替え直後に事故率が下がりその後元の水準近くまで戻ったことは同出典による)
- 沖縄県公文書館「1978年7月30日 7・30(ななさんまる)交通方法変更」。 https://www.archives.pref.okinawa.jp/news/that_day/4780 / Wikipedia「730 (交通)」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/730_(%E4%BA%A4%E9%80%9A) (1978年7月30日午前6時に切替え作業が完了したこと、切替え直後に那覇など都市部で事故や交通マヒが続いたことは沖縄県公文書館による。米海軍軍政府による1945年11月の右側通行への変更、日本復帰後にジュネーブ道路交通条約の一国一交通方式の原則で左側通行へ戻す計画があったこと、バス車両の乗降口の付け替えに関する台数はWikipedia「730 (交通)」による)
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