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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

トロッコ問題で、レバーは ひけるのに、人を おとすのは まようのは なぜ?

トロッコ問題:レバーなら引けるのに、歩道橋から人を落とすのはためらうのはなぜ?

トロッコ問題:5人対1人という同じ数で、レバーと歩道橋の判断が分かれるのはなぜか

分野:歴史・文化

トロッコが とまらずに はしって います。このままだと、せんろの 5人が しんで しまいます。レバーを ひけば、1人が いる せんろに かえられます。

多くの 人は 「ひいても いい」と かんがえます。でも、はしの うえから 通りがかりの 人を おとして とめる ばあいは、おなじ 5人と 1人でも、多くの 人が 「だめだ」と かんがえます。どうして ちがうのでしょう。

この メモでは、ちがいの せつめい、この 問題を 名づけた 人、脳のうの じっけん、自動運転の 話から、こたえが ひとつに きまらなくても 大切に されて いる わけが わかります。

暴走するトロッコの先に5人、別の線路に1人。レバーを引けば、5人のほうは助かります。この場面は「引いてもよい」と考える人が多い傾向があります。ところが、歩道橋から通りがかりの人を落として止める場面では、人数が同じ5人と1人でも、「それは間違いだ」と考える人が多い傾向があります[3]。数は同じなのに、なぜ答えが変わるのでしょうか。

この記事では、二つの場面のちがいを説明する考え方、この問題に名前をつけた人、脳の実験、自動運転の議論から、答えが一つに決まっていなくても使われ続けている理由が分かります。

暴走するトロッコを、レバーで1人のいる線路へ切りかえれば5人が助かる。この場面を許されると考える人が多い傾向がある。一方、歩道橋から通行人を線路に突き落として止める場面では、5人対1人という数が同じでも、間違いだと考える人が多い傾向がある[3]。数が同じなのに判断が割れるなら、判断の理由は人数だけではないはずだ。では、その理由はどこにあるのか。

この記事では、二つの場面を説明する倫理学の立場、「トロッコ問題」という名前の出どころ、fMRIを使った脳の研究、自動運転を題材にした大規模な調査を順に見て、この問題が正解探しではなく、判断の理由を言葉にする題材として使われていることが分かる。

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1. おなじ 5人と 1人なのに、どうして こたえが かわるの?

1. 人数は同じなのに、レバーと歩道橋で答えが変わる

1. 人数が同じでも判断が割れる:レバーの場面と歩道橋の場面

ひとつ目の ばめんです。トロッコは、とまれません。レバーを ひくと、5人の いる せんろから、1人の いる せんろに かわります。

ふたつ目の ばめんです。あなたは 歩道橋の うえに います。となりに 通りがかりの 人が いて、その 人を したに おとせば、トロッコは とまります。

どちらも、5人と 1人です。けれど、ひとつ目は 「ひいても いい」、ふたつ目は 「だめだ」と 考える 人が 多いと いわれます。

数だけで きめて いるなら、こたえは おなじに なるはずです。きっと、ほかの 何かを 見て いるのでしょう。

まず、二つの場面をそろえて見ましょう。

一つ目はレバーの場面です。止まらないトロッコが5人のいる線路に向かっています。あなたがレバーを引くと、トロッコは1人のいる別の線路に進みます。二つ目は歩道橋の場面です。あなたは橋の上にいて、隣の通りがかりの人を線路に落とせば、その人の体でトロッコを止められます。

哲学の辞典であるスタンフォード哲学百科事典には、前者を「許される」、後者を「間違い」と考える人が多いと書かれています[3]。

救える人数も、失われる人数も同じです。それでも気持ちが変わるなら、人は人数以外の何かを見ているはずです。その「何か」について、哲学者たちはどう説明しているのでしょうか。

トロッコ問題では、二つの場面を比べる。第一は切りかえレバーの場面で、暴走するトロッコの進路を、5人のいる線路から1人のいる線路へ変える。第二は歩道橋の場面で、橋の上から通行人を線路へ突き落とし、その人でトロッコを止める。スタンフォード哲学百科事典の二重結果論の項は、前者を許されると考える人が多く、後者を間違いと考える人が多いと述べる[3]。

この対比の重要さは、数を固定している点にある。どちらも5人対1人なので、「助かる人が多いほうがよい」という考え方だけでは、二つの場面で判断が分かれることを説明できない。実験の設計として、変えるのは行為の形だけで、結果の数は変えていない。

なお、「多くの人」が実際に何割なのかは、割合が調査の対象や聞き方によって変わるため、ここでは数字を挙げない。では、判断を分けているのは行為のどんな性質か。

2. 「ちがい」の わけは、ひとつに きまって いるの?

2. 結果で考えるか、行いで考えるか:説明は一つに決まっていない

2. 帰結主義と義務論:二つの場面を説明する立場と、決定版がないこと

ちがいの わけには、いくつか 考え方が あります。

ひとつは、「たすかる 人が 多いほうが よい」と 考える 立場です。これだと、どちらの ばめんも おなじ こたえに なります。

もうひとつは、「人を 手だてに して いいか」を 見る 立場です。歩道橋では、おとされる 人が、トロッコを とめる ための 手だてに なって しまいます。

ただし、どれが いちばん ただしい せつめいかは、きまって いません。学者の 間でも 話し合いが つづいて います。

説明の仕方は、大きく二つに分けて語られます。

一つは、結果で決める立場です。助かる人が多くなるほうを選ぶ、という考え方で、この立場だと二つの場面は同じ答えになるはずです。もう一つは、行為そのものを見る立場です。その中には、人を他の人を救うための「手段」として使っているかどうかに注目し、歩道橋の場面がちがって見える理由を説明しようとするものがあります[4]。

レバーの場面では、1人は進路を切りかえた結果としてそこにいるだけです。歩道橋の場面では、落とされる人の体が、トロッコを止める手段そのものになります。この見方で二つのちがいを説明しようとする人がいます。「二重結果論」という名前の考え方も、説明の候補の一つとして挙げられています[3]。

ただ、どれかが決定版として認められているわけではありません。同じ場面を前にしても、人によって、拠りどころにする理由がちがうのです。

二つの場面の差を説明する試みは、大きく帰結主義と義務論の対比として整理される。帰結主義は、行為の良し悪しを結果(救える人数など)で決める立場であり、この立場から単純に考えれば、5人対1人の二つの場面は同じ評価になる。したがって、判断が分かれるという事実は、この立場にとって説明の負担になる。

これに対し、義務論の側には、行為の性質に目を向けることで差を説明しようとする議論がある。スタンフォード哲学百科事典の義務論の項は、義務論者が二つの場面に対する直観の差を、他者を救うための「手段」として人が使われているかどうかに注目して説明しようとすることを紹介している[4]。レバーの場面では、1人は進路の先にいる人であり、歩道橋の場面では、落とされる人の体がトロッコを止める手段になる。二重結果論も、差を説明する候補の一つである[3]。

注意すべきは、これらがいずれも「候補」にとどまることだ。どれかが決定版として合意されているわけではなく、直観を説明する理論どうしが、いまも競っている。だからこそ、この問題は答えを覚える題材ではなく、自分の理由を点検する題材として使われる。それでは、この問題を最初に考えたのは誰で、なぜ「トロッコ」と呼ばれるのか。

3. この 問題は、だれが 名づけたの?

3. 名づけたのは、最初に例を出した人ではなかった

3. 中絶論の例題から「トロッコ問題」へ:フットとトムソンの役割

この 問題の もとに なる 話を 書いたのは、哲学者てつがくしゃの フィリッパ・フットです。1967ねんの ことです。

ところが、そのときは 「トロッコ問題」と いう 名前は ありませんでした。べつの 大きな 問題を 考える ための、れいの ひとつだったのです。

のちに、ジュディス・ジャーヴィス・トムソンと いう 哲学者てつがくしゃが、「トロッコ問題」と 名づけ、ばめんを ふやして 広めました。レバーを ひく ばめんは、自分の ろんぶんが はじめだと トムソンは 書いて います。

ひとりの 考えが、べつの 人の くふうで、ゆうめいな 問題に そだったのです。

この問題のおおもとは、哲学者フィリッパ・フットが1967年に書いた論文にあります。題名は「中絶問題と二重結果論」で、制御できない路面電車の運転手を例にした話が出てきます。つまり、もとは中絶を論じる文脈で出した例題で、「トロッコ」という呼び名も付いていませんでした[1]。

「トロッコ問題」と名づけて発展させたのは、ジュディス・ジャーヴィス・トムソンです。1985年にYale Law Journalに載せた論文の題名が「The Trolley Problem」でした。トムソン本人は、切りかえレバーの場面は自分のこの論文が最初だと書いています[2]。

「フットが考え、トムソンが名づけて広げた」と分けて見ると、わかりやすくなります。ある人が別の問題のために考えた例を、別の人が場面を変えながら育て、いまの形になりました。

この問題の原型は、フィリッパ・フットが1967年にOxford Review第5号(pp.5–15)で発表した論文「中絶問題と二重結果論」にある。制御できない路面電車の運転手を扱う例で、もとは中絶の問題を論じるための例題だった。この時点では「トロッコ問題」という呼び名はない。なお、論文本文は未参照で、書誌情報と二次資料による理解であり、例の細部は断定しない[1]。

名前を与えて発展させたのは、ジュディス・ジャーヴィス・トムソンである。1985年のYale Law Journal 94号(pp.1395–1415)に載った論文が「The Trolley Problem」と題されている。ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックスの2014年の記事(サンスティーンとのやりとり)では、トムソンが、傍観者がレバーで進路を切りかえる場面は自分の1985年の論文が最初だと述べたことが紹介されている[2]。

したがって、「フットが原型を示し、トムソンが名づけて場面を広げた」と分けて理解するのが正確で、フット単独の命名とはいえない。また、一つの道徳問題のための例題が、別の研究者の手で独立した問題へ育つ、という経路自体が、思考実験が研究の題材として育っていく様子をよく表している。では、この二つの場面を人が考えているとき、体の中で何が起きているのか。

4. 考えて いる とき、脳のうの 中では 何が おきて いるの?

4. 歩道橋の問いを考えるとき、脳では何が起きているのか

4. 2001年のfMRI研究:歩道橋型の問いと感情に関わる脳の領域

2001ねんに、アメリカの グリーンさんたちが、人の 脳のうを しらべました。9人ずつの 2つの グループが、60この 問題に こたえて いる あいだの はたらきを、きかいで 見たのです。

歩道橋のように、自分の 体を つかって 人に ふれる 問題では、きもちに かかわる ぶぶんが よく はたらきました。

そして、そうする ほうを 「いい」と こたえた 人は、こたえるのに じかんが かかりました。

ただし、これで 「脳のうが こたえを きめる」と いえる わけでは ありません。この けんきゅうには、あとの 年に ひはんも ありました。

2001年、ジョシュア・グリーンらの研究チームは、アメリカの科学雑誌Scienceで、fMRIという装置を使った研究を発表しました。fMRIは、脳の血流の変化から、どの部分が活発かを調べる装置です。

9人ずつの2グループが、60問の道徳の問題に答えている間の脳が調べられました。歩道橋のように、自分の体を使って相手に直接かかわる「個人的な」問いでは、感情に関わる脳の領域が活発になりました。また、そうすることを「適切」と答えた人は、答えるまでに時間がかかったと報告されています[5][8]。

人は、頭の中の計算だけでなく、感情のはたらきも使って、この種の問いに向き合っているようです。ただし、この2001年の結果には、後年の批判もあります。「脳が答えを決める」と言い切ることはできません。

この研究でわかるのは、迷いがあるとき、からだの中でも何かが動いているらしい、ということです。

二つの場面への反応は、脳科学でも調べられている。2001年、グリーンらはScience誌でfMRI(磁気を使って脳の血流の変化から活動を見る装置)を用いた研究を発表した。9人ずつの2グループが60問の道徳的な問いに答える間の脳を調べ、歩道橋型のような身体を使う「個人的な」問いでは、感情に関わる領域の活動が高まった。そうすることを「適切」と答えた参加者は、回答に時間がかかったとされる[5][8]。

この結果は、判断の分かれ目に感情の関与がありうることを示す。だが、解釈には限界がある。第一に、9人ずつという少人数の実験であり、場面も限られている。第二に、2001年の画像の結論には、後年に批判もある(たとえば2009年の再検討)。したがって、「脳が答えを決める」とも「感情が判断をゆがめる」とも言い切れない。

むしろこの研究は、二つの場面を比べる思考実験が、哲学の議論だけでなく、実験で検証できる問いにもなったことを示す点で意味が大きい。一つの場面の対比が、倫理学と脳科学の両方の入り口になっている。では、この問題が実際の機械の設計に関わるとき、何が問われるのか。

5. 自動運転の くるまにも、この 問題は かんけいが あるの?

5. 自動運転車が「もしもの場面」に出会ったとき、何を基準にするのか

5. Moral Machine:自動運転を題材にした大規模調査が示した文化差

じどうで はしる くるまが ふえると、「もしもの とき、どう うごくか」を 前もって 決める 話に なります。トロッコ問題に にた 場面が 思いうかぶからです。

アメリカの MITの ひとたちは、「Moral Machine」と いう じっけんの ウェブサイトを 作りました。10の ことばで、233の 国と 地いきの 何百万人もの 人から、4000万この 答えを あつめました。

国を くらべると、3つの まとまりに わかれ、文化で 答えに ちがいが ありました。

この けっかを 「これが ただしい」とは しません。みんなで 話し合う ための ざいりょうに する、と 研究した 人たちは 考えて います。

自動運転車では、トロッコ問題のような場面を、前もって考えておく必要が出てきます。車は、運転する人の代わりに、迷う余地なく動くからです。この議論にも、トロッコ問題の二つの場面は使われています[7]。

MITが作った「Moral Machine」は、自動運転車の事故の場面を題材にした実験サイトです。10の言語で、233の国と地域の数百万人から、約4000万件の判断が集まりました。2018年にNature誌で報告された結果では、国々は大きく3つのまとまりに分かれ、文化によって判断に差があることがわかりました[6]。

つまり、「全世界で共通の正解」を人々の平均から取り出すのは簡単ではない、ということです。著者たちは、この結果が機械倫理の原則を考える材料になりうると述べています。

トロッコ問題は、車の設計図に答えを書き込むための問題ではなく、社会がどこで意見が分かれるのかを見えるようにする題材になっています。

この問題は自動運転の議論にもつながる。MITのMoral Machineは、自動運転車が難しい選択を迫られる場面を題材にしたオンライン実験で、10の言語で、233の国と地域の数百万人から約4000万件の判断を集めた(Nature 2018)。報告では、国々は3つの大きなまとまりに分かれ、文化によって判断に差があることが示された[6]。参加者の数は「数百万人」とされるが、版によって数字の表記が異なる点に注意が要る。

この調査について、人間を動物より、子どもを高齢者より、多い命を少ない命より優先する傾向が見られたという報道がある。これは個別の傾向として報じられたものである。

重要なのは、著者たちがこの結果を、機械倫理の原則を考える材料になりうるものと述べていることだ。文化によって判断が割れる以上、多数決で「正解」を取り出す方法には限界がある。トロッコ問題の二つの場面が示したように、判断の理由が人によって違うなら、機械に何を組み込むかは、技術だけでは決まらない。そして、自分自身の判断はどんな理由でできているのか、という問いが残る。

6. じぶんの 「まよい」の わけを、ことばに してみよう

6. 自分の「迷い」の理由を、言葉にしてみる

6. 判断の理由を点検する:答えより先に、理由を書き出す

トロッコ問題に、せいかいは きまって いません。だから この 問題は、こたえを おぼえる ものでは ありません。

「どうして そう おもったの?」を、ことばに する れんしゅうに なります。

やってみよう。ノートに、レバーの ばめんと、歩道橋の ばめんを 書きます。それぞれに 「ひく」「ひかない」など、じぶんの 気もちを えらびます。つぎに、どうして そう えらんだかを、ひとことで 書いて みます。

ちがう えらび方を した ときの、じぶんの 気もちも 考えて みましょう。おなじ 5人と 1人でも、気もちが かわる わけが、少し 見えて くるかも しれません。

この記事で扱ったのは、「正解が決まっていない問題」です。ですから、答えを暗記するのではなく、自分の答えの理由を言葉にしてみる材料として使えます。

やってみよう。ノートに、レバーの場面と歩道橋の場面を書き、それぞれ「引く/引かない」「落とす/落とさない」を選びます。そのあと、どうしてそう選んだかを一文で書きます。次に、自分とは逆の選び方をした人は、どんな理由を持っていそうか考えてみます。

二つの場面で自分の選び方が変わったなら、人数のほかに何を見ていたのか、考えるきっかけになります。たとえば、自分が直接手を下すかどうか、相手が危険の近くにいたかどうか、などです。

もっと知りたいときは、フットの1967年の論文と、トムソンの1985年の論文が出発点になります。どちらも、題名が出典欄にあります。論文では、場面がもっと細かく変えられていて、それぞれの変え方が、考える手がかりになっています。

この題材が示すのは、答えの正しさより、判断の理由を言語化する作業の価値である。二つの場面で自分の判断が分かれたなら、人数以外に何を見ていたのかを考える手がかりになる。直接手を下すか、相手が危険の近くにいたか、手段として使われるか、といった軸を、自分の言葉で書き出して点検できる。

やってみよう。レバーの場面と歩道橋の場面について、自分の選択を書き、その理由を一文にまとめる。そのうえで、逆の選択をした人が持つ理由を、できるだけ公平に想像して書いてみる。その理由が、結果と行いのどちらに注目しているか考えてみてもよい。

さらに調べるなら、原典は二本ある。フットの1967年論文(Oxford Review 5号)は、もとが中絶の問題を論じる文脈にあったことを確かめる手がかりになる。トムソンの1985年論文(Yale Law Journal 94)は、場面が増えていく過程を追える。どちらも英語の資料なので、出典欄の書誌から探すことになる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

この記事は、次の資料をもとにしています。哲学の議論は百科事典と論文の書誌、実験は発表資料と研究所のページで確かめました。

  1. Philippa Foot, "The problem of abortion and the doctrine of double effect", Oxford Review, vol. 5, 1967, pp. 5–15(書誌情報)。 https://stafforini.com/works/foot-1967-problem-abortion-doctrine/ (原型の論文の書誌)
  2. New York Review of Books, "Stop That Tram" (2014). https://www.nybooks.com/articles/2014/05/22/stop-that-tram/ (名づけとトムソンの論文について)
  3. Stanford Encyclopedia of Philosophy, "Doctrine of Double Effect". https://plato.stanford.edu/entries/double-effect/ (二つの場面と多くの人の判断)
  4. Stanford Encyclopedia of Philosophy, "Deontological Ethics". https://plato.stanford.edu/entries/ethics-deontological/ (結果で決める立場と行為で決める立場)
  5. ScienceDaily, Greene らの2001年の研究発表の紹介. https://www.sciencedaily.com/releases/2001/09/010914074303.htm (fMRI研究の概要)
  6. MIT Media Lab, "The Moral Machine experiment". http://www.media.mit.edu/publications/the-moral-machine-experiment/ (自動運転を題材にした調査)
  7. トロッコ問題(pedia.3rd-in.co.jp). https://pedia.3rd-in.co.jp/wiki/%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%B3%E5%95%8F%E9%A1%8C (日本語での解説)
  8. Joshua D. Greene et al., "An fMRI Investigation of Emotional Engagement in Moral Judgment", Science, 2001. DOI: 10.1126/science.1062872 (fMRI研究の原論文)

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