1. 「しりたい」と おもうと、おぼえやすく なる?
1. 「知りたい」と思った問いは、ついでに見たものまで覚えやすい
1. 好奇心の高い問いは、答えも「ついで」の記憶もよく残る
ある じっけんを しました。 人に いろいろな といを 見せて、「こたえを どれくらい しりたいか」を きいたのです。
すると、しりたい といの こたえは、1じかん ぐらい あとで およそ 7わり おぼえて いました。あまり しりたくない といは、5わり ちょっとでした[1]。
つぎの 日も ちがいが ありました。しりたい といは 4わり ちょっと、そうでない ものは 3わり ちかくでした。
おどろくのは、ここからです。しりたい と おもって いる あいだに、ついでに 見た 人の 顔の しゃしんも、おぼえやすく なって いました[1]。
ただし、これは 1つの じっけんの はなしです。小さな じっけんなので、これだけで すべての 人が そうだとは いえません。
実験の一場面
2014年、研究者のグループが、脳の活動を測る装置を使った実験を発表しました。参加者は、好奇心が高い問いと低い問いの答えを覚え、あとで思い出せるかを試されました[1]。
結果は、好奇心が高い問いのほうが、答えをよく思い出せたというものでした。約1時間後(平均約53分後)のテストでは70.6%と54.1%、1日後のテストでは45.9%と28.1%です。1日後で比べると、約1.6倍になります[1]。
「ついで」まで覚えている
もっと意外なのは、問いに関係のない顔写真です。知りたいという気持ちが高い間に見せられた顔写真は、そうでないときより、あとで思い出されやすかったと報告されています[1]。
ただし、小さな規模の実験で、1つの研究の結果です。「知りたいと思えば何でも覚えられる」とまでは言えません。では、そのとき脳の中で何が起きているのでしょうか。
2014年のfMRI研究では、参加者が、好奇心の高い問いと低い問いの答えを覚え、あとで思い出せるかを試された[1]。結果は、好奇心の高い問いの答えのほうが、最初のテスト(平均約53分後)で70.6%対54.1%、1日後のテストで45.9%対28.1%と、よく思い出された。1日後で比べると約1.6倍で、差は時間がたっても残っている。
注目すべきは、問いとは関係のない「ついで」の材料にも差が及んだことだ。好奇心が高い状態で見せられた顔写真は、そうでないときより覚えやすかった[1]。つまり、知りたい気持ちは、その問い1つだけでなく、その間に目にしたものの記憶にも関わる可能性がある。
ただし、これは小さな規模の実験で、1つの研究の結果にすぎない。数値は条件の異なる状況へそのまま当てはまるとは限らない。では、この差は脳のどこで生まれているのか。
2. のうの なかの 「ごほうびの ばしょ」が はたらく
2. 知りたい気持ちの間、脳の「ごほうびの回路」が強まる
2. 中脳・側坐核・海馬:報酬の回路と記憶の部屋
この じっけんでは、のうの はたらきも しらべました。しりたい きもちが 強い あいだ、のうの なかで、ごほうびに かかわる ところが、いつもより 元気に はたらいて いました[1]。
その ところと、おぼえる ことに かかわる 「かいば」が、よく つながっている 人ほど、ついでに 見た 顔も おぼえて いました。
この けんきゅうを した 人たちは、「ドーパミン」と いう ものが かかわって、かいばの はたらきを たすけて いるのかも しれない、と 考えて います。まだ 「かも しれない」と いう だんかいです。
3. ロンドンの うんてんしゅは、かいばが ちがった
3. 運転手を目指した人たちの海馬は、3〜4年でどう変わったか
3. 海馬後部の変化:2000年の比較と2011年の追跡
ロンドンの タクシーの うんてんしゅに なるには、たくさんの 道を おぼえる 長い べんきょうが いります。
2000年に、16人の うんてんしゅと、うんてんしゅでは ない 50人の のうを しらべました。すると うんてんしゅは、かいばの うしろの ほうが 大きく なって いました[2]。
のうの ぜんぶが 大きいわけでは ありません。かいばの うしろの ぶぶんの ちがいです。
2011年には、うんてんしゅを めざす 79人を、3〜4年 見まもりました。はじめは、のうも きおくの テストも ちがいが ありませんでした。3〜4年後、ごうかくした 39人だけが、かいばの うしろの ぶぶんが ふえて いました[3]。
ただし、ごうかくした 人は、もともと ゆうりな ところが あったかも しれません。「べんきょうすれば、かならず のうが かわる」とは、いえません。
2000年:運転手の海馬は後ろが大きかった
ロンドンのタクシー運転手は、市内の道をすべて覚える長い訓練を受けます。2000年、免許を持つ運転手16人と、運転手でない男性50人の脳をMRIで比べた研究では、運転手のほうが海馬の後ろの部分が大きいと報告されました[2]。
一方、海馬全体の大きさに差はなく、前の部分はむしろ運転手でない人のほうが大きかったそうです。脳全体が大きくなるのではなく、場所による差でした。
2011年:試験に挑んだ人たちを追いかけた
では、運転手になったから大きいのか、もともと大きい人が運転手になったのか。この問いに近づくため、2011年の研究は、試験に挑む79人と、運転手でない31人を追いました。開始時は、脳の構造にも記憶課題にも差がありませんでした。3〜4年後、合格した39人だけが、海馬の後ろの部分の灰白質が増えていました。不合格だった人と、対照の人たちには見られませんでした[3]。
それでも、言い切れないこと
この研究の著者も、合格した人に、もともと有利な何かがあった可能性は残ると述べています[3]。「勉強すれば必ず脳が変わる」とは言えませんが、「学ぶ経験と脳の変化が結びついているらしい」ことは、複数の研究が示しています。
2000年の研究は、免許を持つロンドンのタクシー運転手16人(男性、平均44歳)と、運転手でない男性50人の脳MRIを比べた。運転手は海馬の後部が大きく、海馬全体の体積には差がなく、前部はむしろ対照群のほうが大きかった[2]。さらに右の海馬後部の大きさは、運転手として働いた年数(平均14.3年、1.5〜42年)と相関した(r=0.6)。ただし、この研究単独では、運転が原因か、もともと大きい人が運転手になったのかは決められない。
そこで、前後を追うために、2011年の追跡研究が行われた。試験「ザ・ナレッジ」を受ける79人の訓練生と、運転手でない31人を追うと、開始時は脳の構造にも記憶課題にも差がなかった。ところが3〜4年後、合格した39人だけが海馬後部の灰白質が増えていた。不合格者と対照群では見られなかった[3]。
この結果は、「道の知識を学ぶ経験と海馬後部の変化が関連した」という見方を支える。しかし、合格者に元から有利な傾向があった可能性は残ると著者も述べており[3]、勉強が必ず脳を変えるとまでは言えない。主な出典は発表の再掲記事であり、数字の細部は原論文(Current Biology)で確かめてほしい。
4. やる気は、どこから くるの?
4. 勉強への意欲は、自分で選べることに支えられるという考え
4. 自己決定理論:有能感・自律性・関係性という3つの欲求
「しりたい」は、まなぶ 力に なります。では、やる気は どこから くるのでしょうか。
ある かんがえかたでは、人には 3つの こころの ほしいものが あると します[4]。
1つめは 「できた」と いう きもち。2つめは 「じぶんで きめた」と いう きもち。3つめは 「だれかと つながって いる」と いう きもちです。
これが みたされると、じぶんから やる気が 出やすい、と いう かんがえです。ただし、これは 1つの かんがえかたです。そして 人が やる気に なるか どうかは、まわりの かんきょうで 大きく かわる、とも いわれます。
やる気の3つの足場
2000年に、ライアンとデシが「自己決定理論」を提案しました。人には、有能感(できたという手応え)、自律性(自分で決めているという感覚)、関係性(人とつながっている感覚)という3つの心理的な欲求があり、これが満たされると、自発的な意欲と心の健康が支えられると提案しています[4]。
環境しだいで、意欲は変わる
この理論は、人が意欲的になるか受け身になるかは、置かれた社会的な環境に大きく左右される、とも述べます[4]。「やる気がある・ない」を、その人の性格だけで決めない見方です。
ただし、これは1つの理論の提案で、定説と呼べるものではありません。意欲の出どころを考えるときの、1つの手がかりです。では、社会は、学ぶことをどう扱ってきたのでしょうか。
ここまでが「個人の内側」の話だとすれば、その意欲は何に支えられるのか、という問いが次に来る。1つの手がかりが、ライアンとデシの自己決定理論(2000年)である。人には、有能感・自律性・関係性という3つの生まれつきの心理的欲求があり、満たされると自発的な意欲と心の健康が支えられると提案する[4]。
この理論が興味深いのは、意欲を性格だけでなく、社会的環境との関係から考える手がかりになる点だ。人が意欲的になるか受け身になるかは、置かれた社会的な環境に大きく左右される、というのが理論の主張である[4]。ただし、これは1つの理論の提案であり、「3つの欲求」を定説として断定することはできない。ここでは要旨ページの記述にもとづいて紹介している。
意欲が環境に左右されるという見方は、学べる環境を社会がどう整えるかという問いにつながる。日本は、実際にどう動いたのか。
5. 「学ばない 人が いないように」と いった 日
5. 明治5年の宣言から、憲法の「教育を受ける権利」へ
5. 1872年の被仰出書と憲法第26条:学ぶことを約束する社会
1872ねん、めいじ5ねんの こと。日本は 「学せい」と いう きまりを つくり、「がっこうを つくろう」と よびかけました[5]。
そこには、「村に 学ばない 家が なく、家に 学ばない 人が いないように したい」と いう 言葉が ありました[5]。まず 小学校を 力を 入れて つくる、ともしました。
いまの 日本国けんぽうの 26じょうには、「すべて こくみんは、のうりょくに おうじて、ひとしく 教育を 受ける けんりを 有する」と あります[6]。べんきょうは、「しなければ いけない こと」だけでは なく、「じぶんの けんり」でも あるのです。
この けんぽうは、1946ねんに みんなに しらされ、1947ねんから つかわれ はじめました。
「家に学ばない人がいないように」
1872年(明治5年)、学制の趣旨を伝える「学事奨励に関する被仰出書」が、学制とともに公布されました。そこには「邑に不学の戸なく家に不学の人なからしめん事を期す」とあり、村に学ばない家がなく、家に学ばない人がいないようにしたい、という意味です[5]。まず、力を入れる先として小学校が選ばれました。
学ぶことは「権利」になった
1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行された日本国憲法は、第26条で「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と定めています[6]。同じ条文の第2項で、義務教育は無償とされています。
ここで大切なのは、これが「勉強する義務」ではなく「教育を受ける権利」だという点です。義務とされているのは、保護者が子どもに普通教育を受けさせることです。
何のための教育か
教育の目的は、人格の完成を目指すことだと、教育基本法に書かれています。1947年に文部省は、人間の持つあらゆる能力を、できる限り調和的に発展させることだと説明しました[7]。
個人の意欲だけでは、学べない子は出てくる。だから社会が、学ぶ場をつくると宣言した。1872年(明治5年)、学制の趣旨を伝える「学事奨励に関する被仰出書」が、学制とともに公布された。それは「邑に不学の戸なく家に不学の人なからしめん事を期す」と宣言した。村に学ばない家がなく、家に学ばない人がいないようにしたい、という意味である。優先されたのは小学校の整備だった[5]。
それから約75年後の1946年11月3日に公布され、翌1947年5月3日に施行された日本国憲法は、第26条第1項で「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」と定める。第2項は、義務教育を無償とする[6]。条文は「すべて国民」が教育を受ける権利を持つと定めている。学ぶことを誰かが強いるのではなく、権利として保障するという向きだと読める。義務を負うのは、保護者が子に普通教育を受けさせる側である。
では、何のための教育なのか。教育基本法は、教育の目的を「人格の完成」に置く。1947年の旧法の資料で文部省は、人間の具えるあらゆる能力を、できる限り調和的に発展させること、と説明した[7]。条文の言葉は2006年の改正で変わったが、「人格の完成」は旧法・現行法で共通している。
6. きょうの 「しりたい」を、あしたの じぶんに きく
6. 今日の「知りたい」が、明日も残るか観察する
6. 自分の「知りたい」の残り方を、小さく観察する
ここまでの 3つの 見かたは、どれか 1つが ただしい、と いうものでは ありません。「しりたい」も、「のうが かわる」も、「まなぶ けんり」も、人が まなぶ わけを 考える てがかりです。
じぶんで ためして みましょう。夕がた、きょう 気に なった ことを 1つ、といの かたちで ノートに 書きます。こたえは 見ません。
あしたの 朝、ノートを 見ずに、その といを 思い出せるか ためします。まだ しりたい きもちが のこって いるでしょうか。
これは 小さな ためしで、りっぱな じっけんとは ちがいます。でも、じぶんの 「しりたい」を 見つめる きっかけに なります。
家でできる、小さな比べ方
自分の「知りたい」が、どれくらい残るかを観察してみます。夕方、今日気になった問いを1つ、ノートに書きます。答えは調べません。
翌朝、ノートを見ずに、その問いを思い出せるか試してみてください。思い出せたか、まだ知りたいかを書き足します。数日続けると、自分の「知りたい」の残り方に、何か傾向が見えるかもしれません。
原典と制度を読む
これは1人の小さな試しで、研究とは違います。それでも、研究の数字を「1つの実験の結果」として読む練習になります。憲法の条文は、国立国会図書館の「日本国憲法の誕生」のページで、全文を読めます[6]。
自分でも、実験の骨組みを小さくまねて、結果の読み方を確かめられる。夕方に「今日気になった問い」を1つ書き、答えは調べずに、翌朝、見ずに思い出せるか試す。まだ知りたいと感じるかも書き足す。1人の、1回の試しでは、結果の差が偶然か傾向かは分からない。同じ条件で数日続け、記録をそろえて初めて、傾向が見え始める。
この比べ方の弱さは、実際の研究にも通じる。2014年の研究は小さな実験であり、2011年の研究は合格者に元から有利さがあった可能性を残す。
原典は、2014年のNeuron掲載論文(Gruber, Gelman & Ranganath)、2000年のPNAS論文(Maguire et al.)、2011年のCurrent Biology論文(Woollett & Maguire)で、いずれも英語である。憲法の条文は国立国会図書館のページで、日本語で全文が読める[6]。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文は、ここにある資料の内容を、自分の言葉で言いかえたものです。年・人数・割合は研究によって条件が異なります。
- Gruber, Gelman & Ranganath (2014), States of curiosity modulate hippocampus-dependent learning via the dopaminergic circuit, Neuron(著者原稿) https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4252494/ (好奇心と記憶の実験、脳の活動)
- Maguire et al. (2000), Navigation-related structural change in the hippocampi of taxi drivers, PNAS https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC18253 (運転手と対照群の海馬の比較)
- ScienceDaily(Wellcome Trust発表の再掲)/Woollett & Maguire (2011), Current Biology https://www.sciencedaily.com/releases/2011/12/111208125720.htm (訓練生の追跡。発表の再掲記事)
- Ryan & Deci (2000), American Psychologist(PubMed要旨) https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/11392867/ (自己決定理論。要旨ページによる)
- 国立公文書館 アーカイブズ学習ページ https://www.archives.go.jp/learning/quiz_4/ (1872年の学制と被仰出書)
- 国立国会図書館「日本国憲法の誕生」条文 https://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j01.html (憲法第26条)
- 文部科学省 教育基本法資料室 https://www.mext.go.jp/b_menu/kihon/about/004/a004_01.htm (教育の目的。1947年の旧法の資料)
なおした ところ
更新履歴
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