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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

ものが ほしく なる きもちは、「すき」と おなじ きもち?

ものが「欲しい」気持ちと「好き」な気持ちは、同じものなのか

「欲しい」と「好き」は別の仕組みか ── ドーパミン、報酬予測誤差、慣れ

分野:からだ

ドーパミンという ものを ほとんど なくした ラットが います。さとうの 水を 口に いれると、ちゃんと「おいしい」顔を します。でも、じぶんから たべに いこうとは しませんでした[2]。

ほしい きもちと、すきな きもちは、あたまの 中で べつの はたらきなのでしょうか。ふくろを あける まえが いちばん わくわくするのは、なぜでしょう。この おはなしでは、「ほしい」と「すき」が どこで わかれるのか、なにが ほしさの ひきがねに なるのか、手に いれた あとに なにが おきるのかが わかります。

ドーパミンをほとんど失ったラットに砂糖の水を口に入れると、ちゃんと「おいしい」ときの顔をします。ところが、自分から砂糖を食べに行こうとはしませんでした。逆に、「欲しがる」反応を約4倍にしても、「おいしい」顔は増えませんでした[2]。

欲しい気持ちと好きな気持ちは、同じものではないのでしょうか。見たとたんに欲しくなるのに、手に入れるとすぐ慣れてしまうのは、なぜでしょう。この記事では、「欲しい」と「好き」がどこで分かれるのか、何が欲しさの引き金になるのか、手に入れたあとに何が起きるのかについて、動物実験で分かったことと、人ではまだはっきりしないことを分けて調べました。さて、「欲しい」と「好き」は、脳の中で本当に別々に動いているのでしょうか。

ドーパミンをほぼ失ったラットは、砂糖の味に対して正常な「好き」の表情を示したのに、食べようとする動機づけを失っていた[2]。快さそのものと、欲しいという動機は、少なくとも動物実験では別々に動かせる。

では、その分離は脳のどこで、どんな信号によって起きているのか。ごほうびそのものではなく「予告」に反応するドーパミン神経とは何か。手に入れたあとに欲しさが薄れるのは、どこまで一般に言えるのか。この記事では、「欲しい」と「好き」の違いを、分かっていることと解釈が分かれていることを区別しながら見ていく。

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1. ラットは「おいしい」のに、なぜ たべに いかない?

1. おいしい顔をするのに、食べに行かないラット

1. 好きな表情は残り、動機だけが消えた ── liking と wanting の分離

のうの はたらきを しらべる 人たちは、ごほうびを うけとる ときの はたらきを、3つに わけて かんがえて きました。「すき」と いう 気もちと、「ほしい」と いう 気もち、そして 「おぼえる」ことです[1]。

ラットは、あまい ものを 口に いれると、人の あかちゃんと にた 「おいしい」の 顔を します。ドーパミンを ほとんど なくした ラットでも、この 顔は ふつうの ままでした。ところが、たべものを 見つけに いく 気は なくなって いました[2]。

つまり、ラットでは「すき」は のこったのに、「ほしい」だけが きえたのです。ほしい 気もちと すきな 気もちは、おなじ ようで べつべつに うごく ことが あると 考えられて います。ただし これは ラットなどの 動ぶつ実けんの はなしです。

ごほうびを受けとるときの脳の働きは、1つにまとまっているわけではありません。研究者のベリッジらは、これを「好き(快さそのもの)」「欲しい(手に入れようとする動機づけ)」「学習(何がごほうびを知らせるかを覚えること)」の3つに分けて整理しました[1]。

この分け方を支える実験の1つが、ドーパミンをほとんど失ったラットです。ラットは甘いものを口に入れると、おいしいときの特有の表情を見せます。ドーパミンを失ったラットでも、砂糖の味に対するこの「好き」の表情はふつうのままでした。それなのに、自分から食べようとする動機は消えていました[2]。

ドーパミンを弱めると「欲しがる」行動が減るのに「好き」の反応は減らない。このことから、少なくとも動物実験では、欲しさと好きは別々に動かせるものだと考えられています[1]。

では、この2つは、脳の中でどこまで別の仕組みなのでしょうか。

報酬の働きは単一ではないのではないか。Berridgeらは、報酬を「liking(快さそのもの)」「wanting(動機づけ。incentive salience、誘因の目立ちやすさ)」「learning(予測的な連合の学習)」の3成分に分けて整理した[1]。

この区別を支える代表的な知見が、ドーパミンをほぼ失ったラットの実験だ。砂糖の味に対する「好き」の表情反応は完全に正常だったのに、食べようとする動機は失われていた[2]。快さの反応が残るなら、動機の喪失は「味が楽しめなくなったから」では説明できない。そのため、ドーパミンの働きを抑えると「欲しがる」行動だけが減る、という解釈が成り立つ[1]。

ここで注意したいのは、いずれも主にラットなどの動物実験だという点だ。人でも同じ分離が起きていると断定する根拠にはならない。では、この分離は脳の中でどれほど徹底しているのか。

2. ドーパミンを ふやすと、すきも ふえる?

2. ラットの実験で、「欲しがる」反応は約4倍でも「好き」の反応は増えなかった

2. 「ドーパミン=快楽物質」とは言えない ── 場所の分離と、人での限界

「ドーパミンは たのしい 気もちを つくる ぶっしつ」と きいた ことが ある かも しれません。でも、ラットの 実けんでは、ちがう けっかが でて います。

のうの ごほうびの ばしょに でんきで しげきを あたえて ドーパミンを ふやすと、ラットが ほしがる つよさが 4ばいほどに なった ことが あります。それでも、「おいしい」顔は ふえませんでした[2]。

「すき」を つよく する ばしょと、「ほしい」を つよく する ばしょも、あたまの 中では わけられると いわれて います[1]。ドーパミンは、おもに「ほしい」ほうに かかわって いる、と まとめられて います。

人でも おなじなのかは、まだ はっきり しません。人では、あらかじめ 「おいしそう」と 思う 気もちが まざって しまうので、わけて はかるのが むずかしいと いわれます。

「ドーパミンは快楽の物質」という説明を、聞いたことがあるかもしれません。ところが、ラットの実験では少しちがう結果が出ています。報酬系を電気刺激してドーパミンの水準を上げ、「欲しがる」強さが約4倍になった例でも、「好き」の反応は増えませんでした[2]。

脳の場所も分かれています。「好き」を強める場所として、側坐核の内側殻や腹側淡蒼球の後ろの部分に、オピオイドという物質が働く「快感のホットスポット」が見つかっています。これは「欲しい」を強める場所とは、解剖学的に分けられると報告されています[1]。ドーパミンは、中脳から側坐核などへ向かう「報酬系」と呼ばれる経路で働き、学習や注意も調節しています[6]。

とはいえ、人でも同じように分かれるのかは、動物ほどはっきりしていません。人では、事前に期待した心地よさが測定に混ざるため、分けて測るのがむずかしいと指摘されています。ここまでの話は「動物実験でそう見える。人にも似た仕組みが考えられている」くらいに受けとってください。

さて、欲しさは何に反応して強まるのでしょうか。

ドーパミンが欲しさを担うなら、増やしたときに何が起きるのか。ラットの実験では、報酬系の電気刺激でドーパミン水準を上げ「wanting」を約4倍にした例でも、「liking」の表情反応は増えなかった[2]。ドーパミンを抑えれば wanting が減り、増やせば wanting だけが強まる。これが先の分離を裏づけている[1]。

場所も分けられる。liking を強める「快感ホットスポット」は側坐核の内側殻や腹側淡蒼球後部のオピオイド系にあり、wanting に関わる部分とは解剖学的に区別できる[1]。したがって「ドーパミン=快楽物質」という整理は不正確で、欲しさの側に関わる、というほうが実験に沿っている[2]。なお日本語の脳科学辞典も、中脳から皮質・辺縁系へ向かう経路が報酬系で、とくに側坐核が重要とされること、ドーパミンが学習・記憶・注意なども調節することを説明している[6]。

限界は2つある。第一に、人間で wanting と liking が分かれて働くかは動物実験ほど明確でない。事前の期待が測定に混ざりやすいことも指摘されている。第二に、「ドーパミンは欲しさ」というBerridgeらの解釈と、次章の「ドーパミンは予測誤差」というSchultzらの解釈は、議論が続いている。「ドーパミンは〇〇だけ」と言い切れる段階ではない。

3. ふくろを あける まえが、いちばん わくわくするのは なぜ?

3. ごほうびより「ごほうびの予告」に反応する神経

3. 報酬予測誤差 ── 手がかりに移るドーパミン神経の応答

おやつの ふくろを あける 音が きこえると、たべる まえから わくわく します。じつは、サルの 実けんで、これに にた ことが しらべられて います。

サルに、あるあいずの あとに ジュースを あげると、はじめは ジュースを もらった ときに、ドーパミンの 神けいが はたらきました。なれて くると、ジュースでは なく、「あいず」の ほうで はたらくように なりました[3]。

もし あいずの あとに ジュースが こないと、はたらきは すっと 下がりました。「あれ、こない」と いう ずれを あたまが つたえて いる、と 考えられて います[4]。

ただし サルの ことで、「人も ぜんぶ おなじ」と までは いえません。

おやつの袋を開ける音が聞こえると、食べる前からわくわくします。サルの実験では、これに近いことが調べられています。

サルにある合図のあとでジュースを与えると、最初はジュースをもらった瞬間にドーパミン神経が活動します。ところが学習が進むと、ジュースそのものではなく、その前の合図に反応するようになります。予想したジュースが来ないと、活動は逆に下がります[3]。日本語の脳科学辞典も同じ整理をしています[4]。

この活動を表すのが「報酬予測誤差」、つまり実際に得た報酬と予測した報酬の差です。予測より多ければ活動が増え、予測どおりなら変わらず、予測より少なければ下がります[3]。1997年にシュルツらは、この神経の活動を強化学習の理論と結びつけ、将来の報酬の予測の変化や誤りを表しているらしいと論じました[5]。

サルのドーパミン神経の反応は、手に入れた瞬間から、「もうすぐ手に入る」と知らせる手がかりへ移ります。一方、そうした手がかりが「欲しい」気持ちを引き起こすことは、ベリッジらの別の研究で論じられています[2]。この2つを合わせて考えると、袋を開ける前のわくわくが、説明しやすくなります。ただし、サルの神経活動の話であり、人の気持ちがそのまま同じ仕組みだと決まったわけではありません。

では、欲しさとは別に、ただ見慣れるだけで好きになることはあるのでしょうか。

ごほうびが来る前から、欲しさが強まるのはなぜか。サルのドーパミン神経は、学習の初期には報酬の獲得時に活動する。学習が進むと、報酬そのものではなく、報酬を予告する手がかり刺激の直後に活動が増える。予測した報酬が来ないと、予測の時刻に活動が低下する[3][4]。

この活動は、報酬予測誤差(実際に得た報酬量と予測した報酬量の差分)として読み取れる。予測より多ければ正の応答、予測どおりなら変化なし、予測より少なければ負の応答になる。そのため、報酬が完全に予測できるようになれば、報酬の瞬間には応答が出ず、応答は手がかりへ移る[3]。1997年のSchultz、Dayan、Montagueの論文は、この神経の出力が将来の報酬の予測の変化や誤りを表すらしいと、強化学習(TD学習)の理論と結びつけて論じた[5]。

これはBerridgeらの「wanting」の解釈と同じものではない。一方は誘因の目立ちやすさ、もう一方は予測の誤差という見方で、どちらがドーパミンの働きをよく説明するかは議論が続いている。ただ、手がかりが欲しさを呼ぶという直観的な経験とは、よく重なる。次に、予告とは別の道を見る。

4. なんども 見ると、すきに なって しまう?

4. 見慣れただけで、好ましく感じるようになる

4. 単純接触効果 ── 頑健だが、ピークと逆U字がある

はじめて 見た ときは なんとも 思わなかった ものが、なんども 見て いるうちに、すきに なった。そんな ことは ありませんか。

1968ねんに ザイアンスと いう 人が、なんども 見たり 聞いたり するだけで、その ものを すきに なる ことが ある、と しめしました。「たんじゅん せっしょく こうか」と よばれます[7]。

ただし、見れば 見るほど すきに なる わけでは ありません。10〜20かいほどで いちばん たかく なり、見すぎると、すきな 気もちが 下がる という ほうこくも あります[7]。

なお、「見なれる」と「ほしい」が、あたまの 中で どう つながるのかは、この 記じの しりょうには かかれて いません。

何度も見ているうちに、最初はなんとも思わなかったものが好きになった。そんな経験はないでしょうか。1968年にザイアンスは、ある刺激に繰り返し接するだけで、それへの態度が好ましくなりうることを示しました。「単純接触効果」と呼ばれます。のちの実験でも、図形、漢字、顔、音などでたしかめられています[7]。

のちの多くの実験をまとめた分析でも、この効果は安定して見られるといわれます。見慣れないものを短く見せたときに強く、10〜20回ほどで頂点になりやすいといいます。ただし見すぎると好意が下がる、山の形の曲線(逆U字)も報告されています[7]。

10〜20回は典型的な目安で、決まった数字ではありません。また、見慣れによる好意と、ドーパミンの欲しさがどうつながるかは、今回の資料には書かれていません。つなげて言うのは控えます。

見慣れて好きになり、手に入れる。それで気持ちは、どうなるのでしょうか。

手がかりへの反応とは別に、「見るだけで好きになる」経路もある。Zajonc(1968)は、刺激に繰り返し接するだけで態度が好ましくなりうることを示した。のちの研究は、図形・漢字・顔・音など、多様な刺激で確認している[7]。

ところが、この効果には条件がある。Bornstein(1989)のメタ分析では、効果は頑健だが大きくはなく、見慣れない刺激を短く見せたときに強いとされる。典型的には10〜20回あたりで頂点になる。Montoyaら(2017)は、見すぎると好意が下がる逆U字を報告している[7]。そのため「見る回数が多いほどよい」とは言えない。

注意点は、見慣れによる好意と、ドーパミンによる欲しさを因果でつなぐ資料がないことだ。両者を同じ話として書かないほうがよい。では、欲しいものを手に入れたあと、気持ちはどう変わるのか。

5. てに いれたら、わくわくは どう なる?

5. 手に入れたら「ふつう」になっていく?

5. 快楽順応 ── 基準が上がるという解釈と、元に戻らない例

ずっと ほしかった ものを 手に いれた 日は、うれしい ものです。でも、しばらく すると、それが あたりまえに なって、うれしさが うすく なって いく ことが あります。

1978ねんの アメリカの けんきゅうでは、たから くじに あたった 人たちと、あたって いない 人たちの「いまの しあわせ」を くらべました。あたった 人たちの 点すうは、あたって いない 人たちと、大きくは ちがいませんでした[8]。

けんきゅうした 人たちは、よい できごとも、あたらしい 「ふつう」に なって いくと、えいきょうが うすく なると かんがえました[8]。

けれども、そのあとの けんきゅうでは、いつも もとの きもちに もどる とは かぎらない ことも わかって きました。もどる きじゅんは 人に よって ちがいが あり、もとに もどらない ことも ほうこく されて います[9]。

ずっと欲しかったものを手に入れた日は、うれしいものです。ところが、しばらくすると、それが当たり前になり、うれしさが薄れることがあります。

1978年のブリックマンらの研究は、宝くじの当選者と当選していない人たちの「今の幸せ」を比べました。当選者の点数は、当選していない人たちと大きくは変わらず、日々の小さな楽しみの点数は当選者のほうが低めでした。著者らは、良い出来事も新しい基準に吸収されると、影響が薄れると解釈しました[8]。

ただし、この研究は人数が少なく、差の多くは統計的に有意ではないとされています。のちの研究では、人は1つの同じ基準点に戻るとは限らず、基準点には個人差があること、結婚や失業などでは元に戻らない例もあることが報告されました[9]。

つまり「手に入れると必ず慣れて、また次が欲しくなる」と言い切れるわけではありません。慣れやすい場面もあれば、そうでない場面もある、というのが今のところの見方です。

手に入れたあとの感情は、どう変わるのか。Brickmanら(1978)は、宝くじ当選者と対照群を比べ、当選者の「今の幸せ」が対照群と大きく違わず、日々の小さな楽しみはむしろ当選者のほうが低めだったと報告した。著者らは、良い出来事も新しい基準に吸収されると影響が薄れる、と解釈した[8]。

この研究は、快楽順応(hedonic adaptation)の古典として引かれる。だが、サンプルは小さく、差の多くは統計的に有意でない。数値は二次的な要約でしか見ていないため、ここでは方向だけを述べる[8]。

のちの研究は、よく言われる「必ず元に戻る」という説明を弱めた。Diener、Lucas、Scollon(2006)やLucasら(2003)の知見では、人は1つの同じ基準点に戻るのではなく、基準点には(一部は遺伝する)個人差がある。結婚や失業など、元に戻らない例も報告されている[9]。つまり慣れは、起きやすい場合はあっても、前提にはできない。

6. 「ほしい」と「すき」を、1しゅうかんの ノートで わけて みよう

6. 「欲しい」と「好き」を、1週間のメモで分けてみる

6. 出口 ── 自分の「欲しい」を観察する/原典を読む

ほしい ものが できたら、ノートに 1ぎょう だけ かいて みましょう。「なにが ほしいか」と、「どこで 見て ほしく なったか」です。

1しゅうかん たってから、まだ ほしいか、手に いれたら どんな 気もちに なりそうかを、となりに かきたします。どちらも かいて みると、「見た ときの ほしさ」と「ほんとうに すきな もの」が おなじか ちがうかが 見えて くるかも しれません。

ほしく なくなっても、わるい ことでは ありません。かうか どうかは、おうちの 人と そうだん して きめましょう。

ノートに、欲しいものができた日付と、「何が欲しいか」「どこで見て欲しくなったか」を1行で書いておきます。

1週間後に、まだ欲しいかどうかを横に書き足します。そのうえで、「好き」の側も1行書いてみます。それが好きな理由は、見た目なのか、使うところを想像したからなのか、友だちが持っていたからなのか。

この記事の研究は、サルやラットなど動物の実験が中心でした。人の欲しさがどこまで同じかは、まだ分かれています。だからこそ、自分のノートが、自分についての小さな観察になります。買うかどうかは、おうちの人と相談して決めましょう。欲しくなくなったとしても、それは気持ちが変わっただけのことです。

欲しいものができた日付と、きっかけ(どこで見たか)を、1行で記録する。1週間後に、まだ欲しいかを書き足し、「欲しい」と「好き」を分けて書く。手がかりに反応した欲しさなのか、見慣れて好きになったのか、使う場面を具体的に想像できているのか。この記事の知見は主に動物実験であり、人の記録が研究と一致するとは限らない。そのこと自体が、記録を取る意味になる。

原典は英語が中心だ。Berridgeら(2009)とSchultz(2016)、Berridge & Robinson(2016)はPubMed Centralの論文ページで開ける。日本語では脳科学辞典の「報酬予測」「ドーパミン」の項目で、同じ神経の働きを読める。本文で「〜と報告されている」と書いた箇所が、どんな動物・条件の実験だったのかが分かる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

論文と辞典・概説のうち、記事で使ったものです。動物実験の結果は、そのまま人の結果とは限りません。7番・9番は百科事典の概説なので、くわしくは原論文も開いてみてください。

  1. Berridge, K. C., Robinson, T. E. & Aldridge, J. W. (2009). Dissecting components of reward: 'liking', 'wanting', and learning. Current Opinion in Pharmacology 9, 65–73. https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC2756052/ (liking・wanting・学習の3分割、ドーパミンの抑制と増加、場所の分離)
  2. Berridge, K. C. & Robinson, T. E. (2016). Liking, wanting, and the incentive-sensitization theory of addiction. American Psychologist 71(8), 670–679. https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC5171207/ (ドーパミンをほぼ失ったラットの実験、wantingが約4倍になる例)
  3. Schultz, W. (2016). Dopamine reward prediction error coding. Dialogues in Clinical Neuroscience 18(1), 23–32. https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4826767/ (報酬予測誤差、サルのドーパミン神経の応答)
  4. 脳科学辞典「報酬予測」 DOI: 10.14931/bsd.7486 https://bsd.neuroinf.jp/ (日本語での報酬予測誤差の説明)
  5. Schultz, W., Dayan, P. & Montague, P. R. (1997). A neural substrate of prediction and reward. Science 275, 1593–1599. https://www.gatsby.ucl.ac.uk/~dayan/papers/sdm97.html (ドーパミン神経と強化学習理論の結びつけ)
  6. 脳科学辞典「ドーパミン」 DOI: 10.14931/bsd.3611 https://bsd.neuroinf.jp/ (報酬系と側坐核、ドーパミンの認知機能への関わり)
  7. Mere-exposure effect(Zajonc 1968、Bornstein 1989、Montoya et al. 2017 の概説). Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/Mere-exposure_effect (単純接触効果。二次的な概説)
  8. Brickman, P., Coates, D. & Janoff-Bulman, R. (1978). Lottery winners and accident victims: Is happiness relative? Journal of Personality and Social Psychology 36, 917–927. World Database of Happiness の要約 https://worlddatabaseofhappiness.eur.nl/studies/brickman-et-al-1978-study-us-1977-2-234 (宝くじ当選者の研究。要約で確認)
  9. Hedonic treadmill(Diener, Lucas & Scollon 2006、Lucas et al. 2003 の概説). Wikipedia https://en.wikipedia.org/wiki/Hedonic_treadmill (基準点の個人差、元に戻らない例。二次的な概説)

なおした ところ

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