1. エジプトの えの あかい ほっぺは、なにで できて いたの?
1. 絵の中のほおの赤は、足もとの土から作られた
1. 古代エジプトのほお紅は、酸化鉄を含む粘土や鉱物の粉だった
いまから 3000年いじょう 前の エジプトで かかれた 絵に、ほっぺが あかい 人が います。本の 『アニの ししゃの 書』という パピルスの 絵です。[1]
この あかは、あかい 土や、あかい 石を こなに して、どうぶつの あぶらや 草の あぶらで ねった ものと、エジプトの せつめいの サイトに 書かれて います。ほんものの ほおべには、あぶらなどが くさって、ほとんど のこって いません。ですから、のこって いる 手がかりは、まず 絵なのです。
では、もっと 古い 時代の くちびるの いろは、わかって いるのでしょうか。
エジプトの絵に、ほおを赤くした人が描かれています。紀元前1250年ごろの『アニの死者の書』のパピルスが、その一例です[1]。今から3000年以上前の化粧の跡が、絵になって残っているのです。
エジプトの化粧を紹介する解説サイトによると、この赤は、酸化鉄を多く含む赤い粘土(レッドオーカー)や、赤鉄鉱(ヘマタイト)を粉にして、動物の脂や植物油で練ったものとされます[1]。実物のほお紅は有機物を含むのでほとんど残らず、絵が大事な手がかりになっています。
では、絵も文字も残っていない、もっと古い時代の唇の色は、どこまで分かっているのでしょうか。
古代エジプトのほお紅は、実物がほとんど残らない。有機物を含むためである。そのため手がかりは絵になる。紀元前1250年ごろの『アニの死者の書』(大英博物館 EA10470,3)には、ほおを紅潮させた人物が描かれている[1]。
エジプトの化粧を紹介する解説サイトによると、素材は、酸化鉄を多く含む赤い粘土(レッドオーカー)か、赤鉄鉱(ヘマタイト)を粉にし、動物の脂や植物油で練ったものとされる[1]。赤鉄鉱などは、粉にして油と練り、肌に塗る顔料になった。ただし「されている」のは、現物の分析ではなく、絵と他の資料からの推定に頼る部分が大きい点には注意したい。
では、絵が残らない時代の唇の色は、どこまで言えるのか。
2. 4000ねん 前の ちいさな いしの いれものには、なにが 入って いたの?
2. 約4000年前の小さな石の容器に入っていた赤い練り物
2. 約4000年前のイランの容器 ── 唇用の紅と解釈される根拠と限界
イランの みなみ東の おはかから、ちいさな みどりいろの いしの いれものが 見つかりました。中には、ふかい あかい ねりものが 入って いました。[2]
しらべると、いまから 4000ねんくらい 前の ものでした。主な 中みは、くだいた あかい 石の こなです。[2]
けんきゅうする 人たちは、これが くちびるに ぬる べにだった かもしれないと 考えて います。でも、そうだと 決まった わけでは ありません。
もうひとつの 手がかりは、エジプトの 絵です。イランの いれものとは 時代も 場所も ちがいますが、わかい 女の人が、ぬる どうぐと かがみと、細い 小びんを もっています。いれものの 形は、ぬまの あしの 一ふしに にて います。[2]
イラン南東部のジロフト付近の墓地から、緑色の石でできた小さな容器が見つかりました。中身は深い赤の練り物で、放射性炭素年代でおよそ4000年前、紀元前2千年紀の初めと見積もられています[2]。
主成分は砕いた赤鉄鉱(ヘマタイト)で、マンガン鉱物や石英も混じっていました。研究者は、唇に塗る紅だった可能性を示しています。ただし、これは確定ではなく解釈で、「最古の口紅」と言い切れるものではありません[2]。
解釈を支える根拠の一つは、エジプトのトリノ・パピルス(紀元前12世紀)です。若い女性が、塗る道具と鏡と円筒形の小瓶を持つ姿が描かれていて、容器の形は沼の葦の一節に似ています[2]。絵と容器を見比べて「同じ使い方では」と考えるわけです。
イラン南東部のジロフト付近の墓地で、緑色の石でできた小さな容器が見つかった。中身は深い赤の練り物で、放射性炭素年代で約4000年前(紀元前2千年紀の初め)とされる。主成分は砕いた赤鉄鉱(ヘマタイト)で、マンガン鉱物と石英も混じる[2]。元の研究は2024年の Scientific Reports に出ている(出典欄を参照)。
研究者は、これを唇用の紅だった可能性があるとみる。ただし確定ではなく解釈である。根拠の一つは、エジプトのトリノ・パピルス(紀元前12世紀)に、若い女性が塗り道具・鏡・円筒形の小瓶を持つ姿が描かれていることで、容器の形も沼の葦の一節に似ている[2]。つまり、年代も文化も違う二つを、形と使い方の類似で結んだ推定にあたる。そのため「最古の口紅」と断定することはできず、顔料の一つの用途として慎重に読むべきである。
ここまでの赤は、いずれも赤鉄鉱や赤い粘土など、足もとの鉱物の赤だった。ところが日本の紅は、まったく別の素材から作られる。
3. きいろい 花から、あかい べには できるの?
3. 黄色い花びらから、わずかな赤を取り出す
3. 紅花は色素の99%以上が黄色 ── 赤になる成分は1つだけ
日本の べには、紅花という 花から つくります。べに花は、むかし、朝せんはんとうから 日本に つたわったと されて います。ぎじゅつを もつ 人も、いっしょに 来たそうです。[3]
ならの 正倉院に のこる 絵には、女の人が かかれて います。その人たちは、くちびると ほっぺに、べにを つけて いると 説明されて います。[3]
ふしぎなのは、花びらの いろです。べにの はくぶつかんの 話では、花びらの 色の もとの うち、99%いじょうは きいろです。そのなかで、あかく なるのは、ひとつだけです。べにを つくる とちゅうで さんそに ふれると、あかく なります。[4]
だから、あかい べにを とりだすのは、とても てまが かかりました。
紅花は、朝鮮半島から日本に伝わり、技術者も来たとされます。伝わった時期には諸説あり、年は決められません[3]。奈良時代には、正倉院の「鳥毛立女屏風」や「吉祥天像」の女性が、口紅やほお紅で飾られています。大宝律令(701年)には、紅染を扱う職人を管理する役職も置かれました[3]。
紅ミュージアムの説明では、紅花の花びらの色素は、99%以上が黄色です。そのうち赤くなるのは、プレカルタミンという黄色い成分ひとつだけで、紅をつくる工程で酸素に触れると赤くなります[4]。赤い鉱物の粉なら砕いて混ぜるだけですが、紅花は、ごくわずかな赤を取り出す手間がかかります。
この「手間」が、次の章の値段につながります。
紅花は、朝鮮半島から日本へ技術者とともに伝わったとされる。伝来時期は飛鳥までとも、7世紀末〜8世紀ともいわれ、年は定めにくい[3]。奈良時代には、正倉院の「鳥毛立女屏風」「吉祥天像」の女性が、口紅・ほお紅で飾られている。大宝律令(701年)には、紅染を扱う職人を管理する役職が置かれた[3]。つまり、紅花の赤は国が職人を管理するほどの産物になっていた。
紅ミュージアムの説明では、紅花の花びらの色素は99%以上が黄色である。そのうち赤くなるのは、プレカルタミンという黄色い成分1つだけで、紅をつくる工程で酸素に触れると赤くなる[4]。鉱物の赤は粉にすれば色が出るが、紅花は微量の成分を取り出す工程が要り、そこに手間がかかる。
赤い紅が貴重になる理由は、ここにある。では、どれほど高かったのか。
4. 江戸の べには、どれくらい たかかったの?
4. 江戸の紅は、小さな器ひとつで金1両ほどだった
4. 江戸の紅は猪口ひとつで金1両ほどし、純度が高いと玉虫色に光った
江戸の べには、ちいさな うつわに ぬりつけて、うられて いました。
たかい べには、うつわ ひとつで、金 1りょうほど。やすい べには、16もんや 24もん くらいでした。[4]
「べに いちもんめ、金 いちもんめ」と いわれるほど、たかかったのです。[5]
たかい べには、ひかりかたも ふしぎです。ここから つぎの 話に なります。
5. くちびるを みどりに 光らせたのは、どうして?
5. 紅を塗り重ねて唇を緑に光らせた「笹紅」
5. 笹紅 ── 塗り重ねの玉虫色と、墨で下地をつくる節約
江戸の 文化・文政の ころ(1804〜1830ねん)、した くちびるを みどりに 見せる 笹紅が はやりました。[5]
べには、かさねて ぬると、たまむしの はねのように 光ります。その 光が、みどりに 見えるのです。たかい べにを たくさん つかえる ことを、見せたい 気もちが 生んだ、とも 考えられて います。[5]
でも、べには たかいので、くふうも ありました。すみや ランプの すすを 先に ぬり、その 上に べにを かさねると、少ない べにで みどりの ひかりが 出ます。[5]
べには、ほっぺだけでなく、目じりや つめにも つかわれました。
むかしの けしょうは、足もとの 石から、たかい 花の あかまで、ひとの くふうの つみかさねだったのです。
江戸の文化・文政期(1804〜1830年)には、下唇を緑色に見せる「笹紅(笹色紅)」が流行しました。紅を重ねて塗ると玉虫色に光る性質を使ったものです[5]。高価な紅をたくさん使えることを見せたい気持ちから生まれた、という見方も示されています[5]。
とはいえ、紅は高価です。『都風俗化粧伝』には、墨や灯油のすすを下に塗ってから紅を重ね、少ない紅で緑の光沢を出す方法が書かれています[5]。紅は、目尻(目弾き)や爪(爪紅)にも使われました。
赤い鉱物の粉で始まった化粧は、花のわずかな赤を取り出す紅になり、値段の高さそのものが流行の種になりました。
江戸の文化・文政期(1804〜1830年)には、下唇を緑に見せる笹紅(笹色紅)が流行した。紅を重ね塗りすると玉虫色に光る性質を利用したもので[5]、高価な紅を惜しまず使えることを誇示したい気持ちから生まれたとも示唆される。ただし、これは資料が示す一つの見方である。
そのため、高い紅を節約する工夫も生まれた。『都風俗化粧伝』には、墨や灯油のすすを先に塗り、その上に紅を重ねると、少ない紅で緑の光沢が出ると書かれている[5]。紅は目尻(目弾き)や爪(爪紅)にも使われた。
こうして見ると、化粧の赤は、足もとの鉱物の粉から、花の微量の赤を取り出す紅へ、さらに「値段そのものが流行になる」ところまで動いた。素材が変わるたびに、人が何を大事にし、どう工夫したかも変わっている。
6. もっと 知りたく なったら、どこで 見られるの?
6. 化粧の赤をもっと知りたくなったら
6. 化粧の赤を、さらに調べるときの足がかり
きょう できる こと: 家に ある 絵本や ずかんで、「エジプト」や「江戸の けしょう」を さがして みましょう。ほっぺや くちびるが、どんな いろで かかれて いるか 見てみると おもしろいです。
出かけて できる こと: 近くの はくぶつかんで、べにを いれた うつわや けしょうどうぐの てんじが ないか、しらべて みましょう。
こうしき じょうほう: 国立国会図書館の 「江戸の けしょう」の ページは、日本語で 読めます。
今日できること: 家の絵本や図鑑で、古代エジプトの絵や江戸の絵を探し、唇やほおがどんな色で描かれているかを見比べてみてください。絵の中の赤が、どの素材の赤なのかを想像すると、見方が変わります。
出かけてできること: 近くの博物館で、化粧の道具や、紅を入れた小さな器が展示されていないか調べてみましょう。「紅」の展示があるかどうかは、各館の公式サイトで確かめられます。
公式情報: 国立国会図書館の「ここまで進んだ!? 江戸の化粧」は、日本語で読めます。
この記事で触れたイランの容器は、2024年の Scientific Reports の論文として公表されている(Eskandari、Vidale ら)。元論文は英語なので、まず日本語の記事で内容をつかみ、成分や年代について書かれた部分を読み比べると、「解釈」と「測った事実」の境目を考える手がかりになる。
日本側の手がかりとしては、国立国会図書館の「ここまで進んだ!? 江戸の化粧」で、笹紅や『都風俗化粧伝』の紹介を読める。紅の値段の話は、紅ミュージアムの取材記事も参考になる。
調べるときは、素材(鉱物か花か)、年代、「実物が残るか、絵だけか」を分けて整理すると、どこまでが確かな話で、どこからが推定なのかを区別しやすい。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文で使った資料です。
- Rouge in Ancient Egypt (egypt-museum.com) https://egypt-museum.com/rouge/ (エジプトのほお紅の素材と、絵に残る例)
- Archaeology magazine: Possible Bronze Age Cosmetic From Iran Analyzed https://archaeology.org/news/2024/02/26/240227-iran-lip-pigment/ (イランの容器の成分と年代。元の研究は Eskandari ら、2024年、Scientific Reports)
- 山形大学 紅花資料館(The Benibana Museum) https://www.lib.yamagata-u.ac.jp/database/benibana/bunken/book/bmuseum/bmuseum18.html (紅花の伝来と奈良時代の紅)
- 紅ミュージアム取材記事 (san-tatsu.jp) https://san-tatsu.jp/articles/448978/ (紅花の色素と紅猪口の値段)
- 国立国会図書館 ここまで進んだ!? 江戸の化粧 https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/29/1.html (笹紅と紅の節約)
なおした ところ
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