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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

はしは、かわを わたる ためだけに あるの? えどの はしの はなし

橋は、川を渡るためだけのものだったのか ── 江戸の日本橋・千住大橋・両国橋

日本橋・千住大橋・両国橋は、町でどんな役割を果たしたか ── 起点・宿場・広小路

分野:歴史・文化

えどの りょうごくばしの りょうがわには、ひろい あきちが ありました。じつは これ、かじを ひろげない ために わざと つくった あきちです。

ところが、この あきちは、えどでも ゆうめいな にぎやかな ばしょに なりました。はしは、かわを わたる ほかに、まちで なにを して いたのでしょう。にほんばしと せんじゅおおはしも あわせて みると、はしが みちの はじまりや、まちの いりぐち、あそびばに なって いた ことが わかります。

江戸の両国橋の両側には、火事が広がらないように、わざと空き地がつくられていました。ところが、その空き地は、江戸有数のにぎやかな盛り場になりました。

橋は、川を渡るためだけのものだったのでしょうか。日本橋・千住大橋・両国橋の3つを並べると、橋が道の出発点になり、市場や宿場とむすびつき、火事を止める空き地と夏の広場にもなっていたことが分かります。

江戸の両国橋の両側には、火除地として広小路(空き地)が設けられた。延焼を防ぐための空き地だが、のちには江戸随一の盛り場として知られるようになった[1]。

橋は本来、向こう岸へ渡すための構造物である。それが町の中でなぜ、道の起点や市場の入口、防火の空き地の役目まで担ったのか。日本橋・千住大橋・両国橋の例から、橋が町で果たした働きと、その言える範囲が分かる。

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1. はしは、わたる だけの ものなの?

1. 橋は、渡るだけの道具なのか

1. 渡るための構造物が、町ではそれ以上の働きをする

はしの うえに たって みましょう。あしの したには、かわが ながれて います。はしは、ひとや くるまの おもさを ささえて、むこうがわへ わたす ものです[2]。

かたちも いろいろです。いたを まっすぐ わたした もの、ゆみのように まるく そった もの、たかい とうから ロープで つるした もの。かわの ひろさや たかさに あわせて、えらばれて います[2]。

では、まちの なかの はしは、わたる だけだったのでしょうか。えどの おおきな はしを 3つ みると、そうでも なさそうです。まずは、みちの「はじまり」に なった はしから です。

橋の上に立つと、足の下を川が流れています。橋は、人や車を向こう岸へ通しながら、その重さを橋台や橋脚を通して地面へ伝える構造物です[2]。

形には、桁を渡しただけのいちばん単純な桁橋、上向きの曲線で重さを支えるアーチ橋、塔のあいだのケーブルから垂らしたロープで桁を支える吊り橋などがあります。川の幅や高さ、流れ、費用に合わせて選ばれるので、どれが一番とは言えません[2]。

ただし、町の中の橋がしていた仕事は、渡ることだけではありませんでした。江戸の3つの橋を順に見ると、それが分かります。まずは、道の「出発点」になった橋からです。

橋は、人や自動車の重さを直接受ける上部構造と、その力を地面へ伝える橋台・橋脚・基礎の下部構造からなる[2]。形式は桁橋(もっとも単純でよく使われる)、アーチ橋、吊り橋などがあり、距離・高さ・川の流れ・費用で選ばれるので、どれが最良とは言えない[2]。

だが、この構造の説明が教えてくれるのは、橋が「渡る」ための物だということだけである。ところが江戸の町では、橋はそれ以上の働きをした。以下、日本橋・千住大橋・両国橋の3つを例に、橋が道・市場・宿場・空き地とどう結びついたかを順に確かめる。

2. にほんばしは、どこへ つづく みちの はじまり?

2. 日本橋は、江戸から全国へのびる道の出発点だった

2. 日本橋 ── 五街道の起点という役割

えどの まんなかに、にほんばしという はしが ありました。ここは、とうかいどうなど 5つの おおきな みちの、はじまりの ばしょです[3]。

みちの はじまりに あたるので、ここから 1りごとに、みちのりの めじるしの「いちりづか」が おかれました[3]。いまの にほんばしは、めいじ44ねん(1911ねん)に かけかえられた、いしの アーチの はしです[4]。

まえの はしも あわせると、きろくに のこる だけでも 20かいちかく かけかえられて きました[4]。まちの まんなかの はしだから、なんども つくりなおして、だいじに されて きたのでしょう。

はしの まんなかには、いまも「みちの はじまり」を しめす しるし(どうろげんぴょう)が あります[3]。では、みちの はじまりに ひとが あつまると、はしの まわりには なにが できるのでしょう。

日本橋は、東海道など五街道の起点でした。ここを起点に、道のりの目印になる一里塚が置かれました[3]。橋が、距離を数えはじめる原点になっていたわけです。

創架の年月ははっきりせず、慶長8(1603)年には完成していたといわれます[3]。その後、木の橋から今の石の橋になるまでに、記録に残るだけでも20回近く架け替えられました[4]。今の橋は明治44(1911)年4月3日に架け替えられた石造のアーチ橋で、平成11(1999)年に重要文化財に指定されています[4]。

橋の中央には、今も日本国道路元標があります[3]。道の起点を示す標識です。橋の上に立つと、そこが道のはじまりだったことを、今でも目で確かめられます。

では、道のはじまりに人が集まると、橋のまわりには何ができるのでしょうか。

日本橋は東海道など五街道の起点であり、ここを起点に一里塚が置かれた[3]。橋は道の上の一地点にとどまらず、道のりを数えはじめる原点として働いたことになる。

創架の年月は不明だが、慶長8(1603)年には完成していたといわれる[3]。「1603年に架けられた」と断定できないのは、架橋の年月が残っていないためである。それでも橋は町の中心であり続け、木造から現在の石造橋になるまでに、記録に残るだけでも20回近く架け替えられた[4]。

現在の橋は明治44(1911)年4月3日に改架された石造のアーチ橋で、平成11(1999)年に重要文化財に指定された[4]。橋の中央には日本国道路元標があり[3]、起点としての役割は、今も目に見える形で残っている。

では、道の始まりに立つこの橋の周りには、何が集まったのか。

3. はしの たもとには、なにが ひらかれて いたの?

3. 橋のたもとに、江戸の魚の市場が開かれた

3. 魚河岸と日本橋 ── 橋の周りに集まった商いと人

にほんばしの きたがわには、さかなの いちばが ありました。「うおがし」と よばれます。ばくふに さかなを おさめる しごとを して、えどの さかなの とりひきの まんなかに なりました[3]。

はしの まわりには、ばくふの やくしょや おおきな おみせが ならび、あちこちから ひとが あつまって にぎわいました[5]。

いまの にほんばしは、ふねが したを とおれる ように、はしを たかく つくって いるので、アーチの かたちに なって います[3]。はしの うえは ひとの みち、はしの したは ふねの みちでも ありました。

はしの きたがわに、たびびとの やすむ しゅくばが おかれた ばしょも あります。つぎは、そちらを みて みましょう。

日本橋の北側の本船町・本小田原町のあたりには魚河岸があり、幕府に魚を納める役割を果たして、江戸の魚取引の中心になりました[3]。魚河岸は、関東大震災(1923年)のあと築地へ移っています。

日本橋の周辺は江戸の下町の中心で、幕府の役所や大きな店が軒を並べ、各地から来た人でにぎわったと説明されます[5]。橋のまわりは、道の起点であるだけでなく、人と物が集まる商いの場所になっていました。

橋の下にも、人の流れがありました。今の日本橋は、橋の下を船が通れるよう橋台を高く築いたため、アーチ状の形をしています[3]。橋の上は人の道、下は船の道でもあったわけです。

ここまでは、すでに道のあった場所に橋が架かった話でした。では、橋の完成後に街道が通り、そのたもとに宿場が置かれた場所はなかったのでしょうか。

日本橋の北側(本船町・本小田原町のあたり)には魚河岸があり、幕府に魚を納める役割を果たしたことで、江戸の魚取引の中心として発展した[3]。魚河岸は関東大震災(1923年)後に築地へ移っている。

橋のまわりに集まったのは魚だけではない。日本橋周辺は江戸の下町の中心で、幕府の役所や大店が軒を連ね、各地からの人々でにぎわった[5]。日本橋の架橋以降は室町周辺が商業地として発展したとも紹介される[5]。ただし、資料が述べているのは橋のまわりに市場と商業地が育ったという事実であり、橋が市場を生んだという因果までは書かれていない。

現在の橋が弓なりの形をしているのは、橋の下を船が通れるよう橋台を高く築いたためで[3]、橋は陸の道と水の道が交わる場所でもあった。

ここまでは、道のあった場所に橋が架かった例である。では、橋の完成後に街道が通り、そのたもとに宿場が置かれた場所はなかったのか。

4. せんじゅおおはしの きたがわには、なにが おかれたの?

4. 千住大橋 ── 橋の北岸に宿場が置かれた

4. 千住大橋と千住宿 ── 橋の完成後に、街道と宿場が結びついた

えどの きたに、せんじゅおおはしという はしが あります。いえやすの めいれいで、1593ねんに つくりはじめ、1594ねんに できあがりました[6]。

この はしは、あとで おうしゅう・にっこうかいどうの みちすじに はいり、はしの きたがわに「せんじゅしゅく」という しゅくばが おかれたと いわれます[6]。しゅくばは、たびびとが やすんだり とまったり する まちです。

はしが できて、あとから みちが とおり、たびびとの とまる しゅくばが おかれる。はしと みちと しゅくばが、つながって いました。

つぎは、はしの りょうがわの あきちが、おもいがけない ばしょに なった おはなしです。

隅田川に架かる千住大橋は、徳川家康の命で1593(文禄2)年に着工し、翌1594(文禄3)年に完成しました[6]。のちに奥州街道・日光街道の道筋に組み込まれ、橋の北岸に千住宿が置かれたと説明されます[6]。

順番に目を向けてください。橋が完成し、そこを街道が通るようになり、橋の北岸に旅人が休む宿場が置かれました。日本橋が道の出発点だったのに対し、千住大橋は、橋と街道と宿場が結びついた例です。

橋は、道と町を結ぶ場所にもなる。これも、橋のもう一つの顔です。

次は、橋のたもとの「何もない空き地」が、江戸有数の賑わいになった話です。

千住大橋は、徳川家康の命で1593(文禄2)年に着工し、翌1594(文禄3)年に完成した[6]。のちに奥州街道・日光街道の道筋に組み込まれ、北岸に千住宿が置かれたと説明される[6]。

日本橋が道の出発点だったのに対し、千住大橋では、川に橋が架かったあとに街道がそこを通り、北岸に宿場が置かれた。橋と街道・宿場が結びついた例といえる。宿場は、街道を行く旅人が休み、泊まるための町であり、橋の北岸がその置かれ場所になった。

次は、橋のたもとの「何も建てない空き地」が、江戸有数の賑わいの場所になった例である。

5. かじを とめる あきちが、なぜ にぎやかな ばしょに なったの?

5. 両国橋 ── 火事を止める空き地が、江戸有数の盛り場になった

5. 両国橋と広小路 ── 火除地が盛り場として知られるようになった

りょうごくばしは、1659ねんに かけられました。おおきな かじを きっかけに かけられた はしです[1]。むかしは「おおはし」と よばれ、ふたつの くにの さかいの かわを わたる ので、「にしゅうばし」とも よばれて、のちに りょうごくばしに なりました[1]。

はしの りょうがわには、かじが ひろがらない ように、ひろい あきちが つくられました。「ひろこうじ」と よびます[1]。

ところが この あきちは、えどでも ゆうめいな、にぎやかな ばしょに なりました[1]。かじを とめる ための あきちが、ひとの あつまる ばしょにも なった のです。

なつの あいだは、はなびも うちあげられました。5がつ28にちの「かわびらき」から、8がつ28にちまで、みんなが すずみながら たのしみました[1]。

かじを とめる ばしょが、えどの あそびばでも あった。はしの たもとは、ふしぎな ばしょです。

両国橋は、明暦の大火をきっかけに万治2(1659)年に架けられました[1]。当初は大橋と呼ばれ、隅田川が武蔵国と下総国の境だったため二州橋とも呼ばれて、のちに両国橋に改められました[1]。

橋の両側には、火事が広がらないための火除地として、広小路と呼ばれる空き地が設けられました[1]。ところがこの空き地は、江戸随一の盛り場としてにぎわうようになります[1]。

火事が広がるのを防ぐ空き地と、人の集まる盛り場は、同じ場所にあったことになります。建物を建てないための空き地が、人の集まる場所としても知られていった。このふしぎな重なり方が、両国橋のたもとの特徴です。

夏には、川開きが5月28日に行われ、8月28日までの納涼の期間中は花火が打ち上げられて、江戸の庶民を楽しませました[1]。橋のたもとは、火事を防ぐための場所であり、夏の夜の広場でもありました。

江戸の3つの橋は、今の町の橋とつながっているのでしょうか。

両国橋は、明暦の大火を契機に万治2(1659)年に架橋された[1]。当初は大橋と呼ばれ、隅田川が武蔵国と下総国の境だったため二州橋とも呼ばれたが、のち両国橋に改められた[1]。

橋の両側には、延焼を防ぐ火除地として広小路が設けられた[1]。本来は建物を建てない防災のための空き地であり、そこが江戸随一の盛り場になったことは、目的と矛盾するように見える。防災の空き地と人の集まる場所が同じ場所に重なっていた点に、両国橋のたもとの特徴がある。

川開きは5月28日に行われ、8月28日までの納涼期間中は花火が打ち上げられて庶民を楽しませた[1]。火除地は、季節の行事の場にもなっていたことになる。

では、これらの働きは江戸の有名な橋だけの話なのか、それとも今の町の橋にも通じるのか。

6. いまの まちの はしにも、おなじ ことが あるの?

6. 今の町の橋にも、同じ働きを探せるのか

6. 現代の橋の数と、橋を「町の中で」読む視点

こくどこうつうしょうの しりょうでは、にほんの どうろの はしは 70まんあまり あると されます。その おおくは、まちや むらの みちに あります[7]。

にほんばしや りょうごくばしの ような、ゆうめいな はしは ごく わずかです。ふだん わたる ちかくの はしにも、みちを つなぐ、ひとが あつまる、まちの いりぐちに なる、そんな はたらきが みつかる はしも あるかも しれません。はしに よって、みつかる はたらきは ちがいます。

つぎは、じぶんで さがして みましょう。

国土交通省の資料では、全国の道路橋(長さ2m以上)は70万橋あまりあり、その7割以上が市町村道にあるとされます[7]。資料によって総数の書き方が少し異なるため、ここでは概数で紹介しています。

日本橋や両国橋のような有名な橋はごく一部で、ほとんどは身近な町の道にかかる橋です。それぞれの橋にも、道をつなぐ、人が集まる、町の入口になる、といった役割が見つかる橋があるかもしれません。橋によって見つかる役割はちがいます。江戸の3つの橋は、それを見つけるためのものさしになります。

国土交通省の資料によれば、橋長2m以上の道路橋は全国に約72〜73万橋(資料により表記が異なり、時点も異なる)あり、その7割以上が市町村道にあるとされる[7]。ここでは精密な数としてではなく、「身近な町の道にかかる橋が大多数を占める」という意味で紹介する。

日本橋・千住大橋・両国橋は、いずれも江戸の中でも特に有名な橋である。そこで見えた働き(起点、商いの場、宿場の入口、空き地と広場)が、すべての橋に当てはまるとは限らない。それでも、橋を「渡る構造物」としてだけでなく、「町のどこで、何と結びついているか」で見ると、近所の橋の読み方が変わる。

ちかくの はしの、りょうはしに たって みよう

近所の橋の、両はしに立ってみる

近所の橋を、起点・入口・広場として観察する

今日できること

ちかくの はしを ひとつ えらんで、りょうはしの たもとに なにが あるか、おうちの ひとと いっしょに みて みましょう。おみせ、こうえん、バスてい、みちの ひょうしき。「ここは はしの なにに なって いるかな」と かんがえて みます。くるまと かわの ふちには ちゅうい します。

出かけてできること

はしの なまえが かいて ある ところを さがして、なまえの いみを おうちの ひとと はなして みましょう。はしの うえから、したを ながれる ものも みて みます。

こうしきの 情報じょうほう

くや しの ホームページや としょかんの ちいきの ほんに、まちの はしの はなしが のって いる ことが あります。

今日できること

近所の橋を一つ選び、両はしのたもとに何があるかを歩いて確かめてみてください。店、公園、バス停、道路の標識。そこが橋の「何」にあたるのかを考えます。車や川べりには気をつけましょう。

出かけてできること

橋の名前の札を探し、名前の由来を家の人と話してみます。橋の上から、下を流れるものや、橋の下を通るものも観察してみてください。

公式情報

区や市のホームページ、図書館の郷土資料に、橋の由来が載っていることがあります。国立国会図書館の「錦絵と写真でめぐる日本の名所」では、日本橋や両国橋の絵や写真が見られます。

今日できること

近所の橋を一つ選び、両はしのたもとに何があるかを歩いて確かめる。店・公園・バス停・標識を、「起点」「入口」「集まる場所」のどれに近いか、またはどれにも当てはまらないかを、理由といっしょに考える。車と川べりの安全に注意する。

出かけてできること

橋の名前の札から由来を調べ、地図で前後の道がどこへ続くかを見る。橋の下を船や水がどう通るかも観察する。

公式情報

国立国会図書館「錦絵と写真でめぐる日本の名所」(日本橋・両国橋)、中央区の文化財の解説、国土交通省の橋梁に関する資料を読み、日本橋・両国橋の絵や写真と、いまの景色を見比べてみるとよい。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

橋の働きの記述は、国立国会図書館・中央区・国土交通省の資料などを突き合わせた。

  1. 国立国会図書館「錦絵と写真でめぐる日本の名所」両国橋 https://www.ndl.go.jp/landmarks/sights/ryogokubashi (両国橋の架橋・広小路・川開き)
  2. 新潟県 長岡地域振興局 土木図鑑「橋の基礎知識」 https://www.pref.niigata.lg.jp/site/nagaoka-seibi/dobokuzukan-hashinokisochisiki.html (橋の構造と形)
  3. 国立国会図書館「錦絵と写真でめぐる日本の名所」日本橋 https://www.ndl.go.jp/landmarks/sights/nihonbashi (五街道の起点・魚河岸・道路元標)
  4. 中央区「日本橋 附 東京市道路元標」 https://www.city.chuo.lg.jp/kusei/syokai/tyuobunkazai/nihonbashikyochusoshokuhin.html (架け替えの回数・現在の橋・重要文化財)
  5. このまちアーカイブス 日本橋 https://smtrc.jp/town-archives/city/nihombashi/p07.html (日本橋周辺の町のようす)
  6. 国土交通省 関東地方整備局 江戸街道ポータル https://wwwtb.mlit.go.jp/kanto/kankou/kankou/edokaidoportal/feature/vol_01/index.html (千住大橋の着工・完成と千住宿)
  7. 国土交通省 関東地方整備局 道路メンテナンスの説明資料 https://www.ktr.mlit.go.jp/rd_mainte/rd_mainte00058.html (全国の橋の数)

なおした ところ

更新履歴

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