このサイトは、ほんの入り口です

ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

かばんは むかし、なにで できて いたの?

かばんの素材は、柳のかごからどう入れかわってきたのか

かばんの素材は、なぜ何度も入れかわってきたのか ── 柳行李から紙の板、ナイロンまで

分野:技術

1936ねんの オリンピックに いった 日本の せんしゅたちの かばんは、革かわでも ぬのでも なく、紙のような 板で できた ものでした。

かばんの ざいりょうは、どうして かわって きたのでしょう。むかしの かばんから、いまの かばんまでの 長い たびを 読むと、えらばれた わけが 分かります。

1936年のベルリンオリンピックに向かう日本の選手団のかばんには、革でも布でもなく、紙のような固い板でできたものが採用されました。兵庫県の豊岡で作られた「ファイバー鞄」です[2]。

では、そのかばんは何でできていて、なぜ次の素材に入れかわっていったのでしょうか。豊岡の資料を中心に、素材が選ばれたときの決め手を、順に読むと分かります。

1936年(昭和11年)のベルリンオリンピックで、日本の選手団のかばんとして採用されたのは、豊岡のファイバー鞄だった。木綿やパルプの繊維を固めた堅紙で作る鞄である[2]。革製でも布製でもない。

なぜ堅紙が選ばれ、なぜその後にビニールレザー、布、ナイロンへ移ったのか。素材が替わるたびに何が求められたのかを、鞄の産地・豊岡の歴史資料と、素材ごとの性質の資料から読むと、決め手が分かる。

読み方を切り替えられます。画面の上にある「よみかた」のボタンで、小学校低学年むけ・小学校高学年むけ・中学生むけの3つの書き方に切り替わります。むずかしいと思ったら、いつでもやさしい方に戻ってください。選んだ読み方はブラウザが覚えているので、次に別の記事を開いたときも同じ読み方で始まります。

1. かばんの かん字の 左がわは、なぜ かわなの?

1. 「鞄」の字は、なぜ革へんなのか

1. 「鞄」の字の成り立ちと、「胴乱」から「かばん」への言いかえ

かばんを かん字で 書くと、左がわに 革かわの 字が 入って います。じつは この 字は、もとは 中国で、なめした かわや、それを作る 人の ことを あらわして いたそうです[1]。

日本では、めいじの ころに「かばん」という ことばに あてた 字だと いわれます。また、1877ねんごろから「かばん」という ことばが ひろまり、それまでは「どうらん」と いう 名前が 同じ いみで つかわれて いました[1]。

ただし、ことばの もとには いろいろな せつが あります。ひとつに きめない ほうが よさそうです。

では、かばんの はじまりは かわだったのでしょうか。ひょうごけんの とよおかという 町の しりょうを 見ると、ちがう 答えが 出て きます。

かばんの漢字をよく見ると、左側が革へんになっています。この「鞄」という字は、もとは中国語で、なめした革、またはそれを作る職人を指す言葉でした。日本で明治期に、「かばん」という言葉に当てて使うようになった造字だとされます[1]。

「かばん」という言葉は、明治10年(1877年)ごろから使われはじめ、そのあと広まっていきました。それ以前は、「胴乱」という言葉が同じ意味で使われていました[1]。ただし、言葉の由来には諸説あり、ここでは一つに決めません。

字のうえでは、かばんは「革」と深い関係があります。では、日本のかばんづくりは、革から始まったのでしょうか。兵庫県の豊岡という産地の資料を読むと、意外な答えが出てきます。

「鞄」の字は、もとは中国語で、なめし革、またはそれを作る職人を指す語だった。日本では明治期に、「かばん」という語に当てた造字とされる[1]。「かばん」の語は明治10年(1877年)ごろから見られ、のちに定着した。それ以前は同じ意味で「胴乱」が使われた[1]。語源には諸説あり、一つに断定できない。

字が革へんだからといって、日本の鞄づくりが革から始まったとは限らない。鞄の産地として知られる兵庫県豊岡の資料は、まったく別の素材を源流に挙げている[2]。以下は豊岡の資料を軸にした話で、日本全国の鞄がみな同じ順に変わったと言うものではない。

2. 町の はじまりは、やなぎの かごでした

2. 豊岡の鞄の源流は、柳のかごだった

2. 柳行李の入子方式と、「行李鞄」への改良

とよおかの かばんの みなもとは、やなぎで あんだ「やなぎごうり」という かごでした[2]。町の しめった ところに 生える コリヤナギを つかいます。

この かごは、かるくて たくさん 入ります。そのうえ、大きな かごの 中に、小さな かごを つぎつぎ 入れられました[2]。ロシアの マトリョーシカの ように 重ねて、まとめて はこべます。

だから、とおくの 大きな 町まで、やすく たくさん おくる ことが できました[2]。

1881ねんには、やなぎごうりに かわの バンドを 3本 つけた「こうりかばん」が、はくらんかいに 出された と つたえられます[2]。見た 目は トランクと 同じでも、やなぎごうりを よくした ものなので、「かばん」とは よばれませんでした。

やなぎの つぎには、なにが つかわれたのでしょうか。

豊岡の鞄の源流は、柳行李という柳のかごでした。豊岡盆地の湿地に自生するコリヤナギを編んだもので、通気性と容量、耐久性にすぐれていました[2]。兵庫県は、江戸時代から続く柳の産業が、鞄産業の土台になったとしています[3]。

柳行李には、もう一つ強みがありました。大きな行李の中に、だんだん小さな行李を詰めこむ「入子方式」ができたのです。軽くて大きいので、輸送費も安くすみ、遠くの大消費地へ大量に送れました[2]。入れ物をそのまま入れ子にして運ぶという、物流の工夫でもありました。

行李が鞄に近づいた日

明治14年(1881年)、八木長衛門という人が、第2回内国勧業博覧会に「行李鞄」を出品したと伝えられています[2]。柳行李に3本の革バンドを付けたもので、外見はトランクと同じでした。ただ、柳行李を改良したものだったので、当時は「鞄」でなく「行李」と呼ばれました[2]。

「伝えられている」話で、人名の書き方にも資料によって揺れがあります。それでも、柳のかごに革のバンドを付ける工夫が、かばんへの入り口だったことは読み取れます。

豊岡の鞄の源流は柳行李である。豊岡盆地の湿地に自生するコリヤナギで編み、通気性・容量・耐久性にすぐれる[2]。兵庫県も、江戸時代から続く杞柳(柳)産業を鞄産業の基盤と位置づけ、柳行李の始まりを室町時代とする記述もある[3]。起源の年は資料で異なるため、ここでは「柳行李がもと」とだけ読む。

柳行李が遠くまで売れた理由は、軽さだけではない。容量は大きいが軽く、さらに大きな行李の中へ小さい行李を順に詰める入子方式がとれたため、輸送のかさばりを抑えて大消費地へ安く大量に送れた[2]。つまり、柳行李の強みは「入れ物自体の軽さ」と「運ぶときの小ささ」の両方にあった。

明治14年(1881年)には、八木長衛門が第2回内国勧業博覧会に「2尺3入子、3本革バンド締め」の「行李鞄」を出品したと伝えられる[2]。外観はトランクと同じだが、柳行李の改良品なので「鞄」でなく「行李」と呼ばれた[2]。ただし伝承であり、人名の表記にも資料により揺れがある。

柳に革のバンドを足した行李鞄は、素材を替えたというより、使い勝手を足した改良だった。では、素材そのものが替わったのはいつか。

3. 紙のような 板の かばんが、オリンピックへ

3. 紙を固めた板のかばんが、オリンピックに行った

3. ヴァルカナイズ・ファイバー ── 繊維を固めた堅紙の鞄

1928ねんごろ、とよおかの 人たちが あたらしい ざいりょうで かばんを 作りました。もめんや パルプの せんいを かためた、かたい 紙のような 板です。「ファイバー」と よばれました[2]。

これで 作った かばんは、1936ねんの ベルリンオリンピックの せんしゅだんの かばんに えらばれました[2]。そして 1938ねんには、ひと月に やく8万この かばんが 作られるように なりました[2]。

1928ねんから 1938ねんまで、およそ 10ねんで、そこまで 広がった ことに なります。

けれども、この ファイバーの かばんにも、こまった ときが 来ます。

柳のかごのあとに豊岡で広がったのは、木綿やパルプの繊維を固めた堅紙の鞄です。この素材はヴァルカナイズ・ファイバーと呼ばれ、昭和3年(1928年)ごろ、奥田平治らが鞄の材料にして商品化に成功したとされます[2]。

昭和11年(1936年)のベルリンオリンピックでは、日本の選手団のかばんとして、この豊岡のファイバー鞄が採用されました。昭和13年(1938年)には月産約8万個に達しています[2]。

商品化から月8万個までの約10年

商品化の1928年から月産8万個の1938年まで、およそ10年です。1936年に選手団のかばんに採用され、1938年には月産約8万個。数字を並べると、この10年で生産が大きく伸びたことが分かります。

ただ、ファイバー鞄にも終わりのときが来ます。昭和29年(1954年)ごろの不況で大きな打撃を受けたのです[2]。その危機を救ったのは、まったく別の新しい素材でした。

柳行李の次に豊岡で主力になったのは、ヴァルカナイズ・ファイバー(木綿またはパルプ繊維を硬化させた堅紙)の鞄である。昭和3年(1928年)ごろ、奥田平治らがこれを材料とする鞄の商品化に成功したとされる[2]。柳を編む手間のかわりに、板状に固めた材料を型どおりに使えるため、同じ形を数多く作りやすかったと考えられるが、資料はこの点を直接述べていない。

注目される出来事の一つが、昭和11年(1936年)のベルリンオリンピックで、日本の選手団のかばんに採用されたことだった[2]。昭和13年(1938年)には月産約8万個に達している[2]。商品化から約10年での拡大である。

ところが、ファイバー鞄は昭和29年(1954年)ごろの不況で大きな打撃を受けた。この危機を救ったのは塩化ビニールレザーなどの新素材だった[2]。堅紙に代わって何が求められたのかを、次章で読む。

4. かるい そざいが、ふきょうを すくった

4. 軽さが決め手になった ── ビニールレザーから布へ

4. 塩化ビニールレザーの軽さと、昭和40年代の布への転換

ふきょうを すくったのは、えんかビニールの レザーです。この そざいは、とても かるかった と 書かれて います[2]。

ぬって ふくろの 形に して、わくに かぶせる「スマートケース」という かばんが、あっと いう まに 広がりました[2]。

その あと、とよおかでは 1970ねんごろから、ざいりょうが ビニールから、ジーンズの ぬのや キャンバスなどの ぬのへ かわって いきました[2]。

キャンバスと よばれる ぬのは、どんな ぬのなのでしょう。

ファイバー鞄を救ったのは、塩化ビニールレザーなどの新素材でした。資料は、このビニールレザーが「大変軽い」ことを理由に、急速に伸びたと書いています[2]。縫って袋状にし、枠にかぶせる「スマートケース」が広まったのは、縫えて軽い素材だったことが支えになったと考えられます。スマートケースは昭和27年(1952年)ごろの考案とされます[2]。

ここで、素材が入れかわる決め手が見えてきます。柳行李は軽くて入れ子にできること、ファイバーは同じ形を数多く作れること、ビニールレザーは軽くて縫えること。どれも、前の素材の苦手を補っていました。ただし、決め手の読み取りは、この資料の記述を並べたときの見立てです。

輸出が急に減ったあとは、布へ

昭和40年代に輸出が急に減ると、豊岡の鞄の原材料は、塩化ビニールからジーンズ地やキャンバスなどの布へ移りました。販売先も国内に切りかえて、危機を脱したと資料は伝えます[2]。これは豊岡の産地の話で、日本全体のかばんがこの順に変わったという意味ではありません。

では、ここに出てきた「キャンバス」、つまり帆布とは、どんな布でしょうか。

ファイバー鞄の不振を救った塩化ビニールレザーは、資料によれば「大変軽く」、急速に伸びた[2]。縫って袋状にし、枠にかぶせる「スマートケース」(昭和27年=1952年ごろ考案)が広まったことも、縫える軽い素材だったことと結びつく[2]。

ここまでの入れかわりを並べると、柳行李は軽さと入れ子、ファイバーは量産のしやすさ、ビニールレザーは軽さと縫いやすさと読める。ただしこれは資料の記述を並べた読み方で、各素材が選ばれた理由をすべて資料が明言しているわけではない。

昭和40年代に輸出が急減した後、豊岡の鞄の原材料は塩化ビニールからジーンズ地・キャンバスなどの布へ移り、販売先も輸出から国内需要へ切りかえることで危機を脱した[2]。素材の転換と販売先の転換が同時だったことが、資料の記述から分かる。なお、これは豊岡の産地の話である。

では、鞄に使われる布の代表格である帆布とは、どのような織物か。

5. はんぷは、もとは 船の ほの ぬのでした

5. 帆布は、船の帆から来た丈夫な布

5. 帆布の性質と、倉敷の綿づくり

「はんぷ」は、もとは 船の ほに つかう ぬのでした。太い 糸を よって、ぎっしり おる ので、とても じょうぶです[4]。

水が もれにくく、空気も とおすと、国の しりょうに 書かれて います[5]。船の ほの ほか、テントや かばんにも つかわれます[4]。

はんぷの まちとして 知られるのが、おかやまけんの くらしきです。ここは えどじだいに、しおに つよい わたを そだてる 土地に なり、糸を よる ぎじゅつが みがかれました[6]。めいじに なって、はんぷの 工場が できました。いま 日本の はんぷの やく7わりは くらしきで 作られて いると いわれます[6]。

ただし この「やく7わり」は、かんこうの サイトに 書かれた 数です。くわしい 年は 分かりません。

帆布は、太い撚り糸(綿糸や麻糸)で平織りにした、厚地で丈夫な織物です。名前のとおり、もとは帆船の帆に使われる布で、現在は帆のほかにテントや雨おおい、かばんなど、広い用途に使われます[4]。

厚生労働省の職業情報サイトは、帆布を、目が詰まって丈夫で、水漏れしにくく、通気性にすぐれた布と説明しています[5]。水を通しにくいのに、空気は通す。この二つが、船の帆にも、かばんにも向く理由と読めます。同じサイトによれば、現在の産業用の帆布は、化学繊維を樹脂でコーティングした防水布が中心です[5]。かばんの帆布が何でできているかは、この資料からは言いきれません。

岡山・倉敷が帆布の産地になったわけ

岡山県の観光サイトによると、倉敷は江戸時代に、干拓地で塩分に強い綿の栽培が始まり、綿の一大産地になりました。そこで糸を撚る技術が磨かれ、明治時代に帆布工場ができたと紹介されています。現在、国産帆布の約7割を倉敷産が占めるとされます[6]。この7割は観光協会の記述で、統計の年は分かりません。

丈夫な布も、一つの素材ではまかなえません。軽さや摩擦への強さを求めると、別の素材が出てきます。

帆布は、太い撚り糸(綿糸・麻糸)で平織りにした厚地の丈夫な織物で、耐水性・耐久性に富み、帆船の帆、テント、雨おおい、かばんなどに使われる[4]。厚生労働省の職業情報サイトは、目が詰まって丈夫で水漏れしにくく、通気性にもすぐれると説明する[5]。糸を撚って密に平織りするため、水を通しにくいのに空気は通る、という性質が生まれると読める。

同サイトによれば、現在の産業用帆布は化学繊維製が主流で、樹脂コーティングした防水布として使われる[5]。ただしこれは産業用の話で、かばんの帆布は綿が多いとは言いきれない。

国産帆布の約7割を占めるとされる倉敷の場合、江戸時代に干拓地で塩分に強い綿の栽培が始まり、糸を撚る技術が磨かれ、明治時代に帆布工場ができた[6]。綿の産地としての土台が、帆布の産地につながったことになる。この約7割は観光協会の記述で、統計の年は不明である。

布のかばんは、水や摩擦への強さを補う素材の登場でさらに変わる。

6. ナイロンと かわは、どう 使い わけられるの?

6. 軽くて摩擦に強いナイロンと、革や人工皮革の使い分け

6. ナイロンの比重と引張強さ、革・人工皮革の位置づけ

ナイロンは、1935ねんに カロザースと いう 人が 発めいした 糸です[7]。ひっぱる 力にも、こすれる 力にも とても 強く、かるいのが とくちょうです[8]。

ただし、水を すいにくい ところが あります[8]。もめんは 水を すい、ナイロンは すわない。そんな ちがいも あります。

ランドセルは、かわか 人こう皮かわで 作る ことが 日本ランドセル工業会の きまりに なって います[9]。牛の かわ、馬の かわ(コードバン)、人こう皮かわに 分かれます。

かばんの そざいは、1つに きまるのでは なく、つかい方に あわせて えらばれて います。

ナイロンは、1935年にカロザースが発明し、1930年代の終わりごろに米国のデュポン社が商品化した合成繊維です[7]。引張強さは、アラミドを除く合成繊維のなかで最大級で、摩耗にも強いとされます。比重は1.14で、レーヨンの1.52より軽く、計算するとレーヨンの約4分の3です[7]。

各種繊維の特徴をまとめた資料でも、ナイロンは「引張り、摩擦などに非常に強い。軽い」一方、吸湿性は少ないとされます。綿は強くて吸湿性があり、ポリエステルは摩擦に強く、しわになりにくく型くずれしません[8]。素材ごとに得意と苦手があります。

革や人工皮革も、いまの主役

革は、動物の皮をなめしたもの、人工皮革はそれに似せて作った素材です。日本ランドセル工業会の認定ランドセルは、素材が皮革または人工皮革であることが条件で、牛革やコードバン(馬の臀部の革)、人工皮革に大きく分かれます[9]。

戦後、ナイロンなどの合成素材のかばんが現れたとされますが、広まった時期までは資料で言えません。いま店で見るかばんは、柳から続いてきた入れかわりの、どこかの地点にいる素材たちです。

ナイロンは1935年にカロザースが発明し、1930年代の終わりごろにデュポン社が商品化した[7]。引張強さは、アラミドを除く合成繊維のなかで最大とされる9.2〜9.6gf/デニールで、比重は1.14である[7]。レーヨン(1.52)との比は1.14÷1.52≒0.75で、同じ体積なら約4分の3の重さになる。ただし鞄の素材として他の繊維と比べたのではなく、資料が挙げる比較の一つにすぎない。

各種繊維の特徴をまとめた資料によれば、ナイロンは引張りや摩擦に非常に強く軽いが吸湿性は少ない。綿は強く吸湿性がある。ポリエステルは摩擦に強く、しわになりにくく型くずれしない[8]。つまり、どの繊維にも得意と苦手があり、鞄の用途(雨に濡れる・重い荷物を入れる・形を保つ)に合わせて選ばれることになる。

革・人工皮革の側では、日本ランドセル工業会の認定ランドセルは、素材が皮革または人工皮革であることを条件とし、素材は牛革・コードバン(馬の臀部の革)・人工皮革に大きく分かれる[9]。戦後に合成素材のかばんが登場したとされるが、広まった時期は、ここで使った資料では言えない。

柳行李に始まり、革・堅紙・ビニール・布・合成繊維が並ぶいまの姿は、一つの素材が勝ち残った結果ではなく、軽さ・縫いやすさ・水への強さなど、求めるものごとに素材が使い分けられている結果と読める。

7. じぶんの かばんの そざいを たしかめよう

7. 家のかばんで、素材の入れかわりを確かめる

7. 手もとの鞄で確かめる

おうちに ある かばんを 1つ えらんで、うらがえして みましょう。内がわに ついて いる タグや、ぬの ラベルに、ざいりょうの 名前が 書いて ある ことが あります。

つぎに、からっぽの かばんを 手で もちあげて、おもさを くらべて みましょう。ぬのの かばん、かわの かばん、ナイロンの かばんで、かるさは どう ちがうでしょう。

家に ある ものだけで できます。かばんの 中身は、さきに 出して おきましょう。

タグと重さで確かめる

家にあるかばんを2つか3つ選び、内側のタグや説明の表示を探します。素材の名前が書いてあることがあります。見つけた素材が、この記事のどの素材に近いかを考えてみましょう。

次に、中身を出した状態で持ち比べます。軽さが違うか、水に強そうか、形が保たれているか。実際にお店で触れるものなら、手ざわりや縫い目も比べると、素材ごとの得意と苦手が体で分かります。

もっと読んでみたい人へ

豊岡鞄協会の「豊岡の鞄の歴史」は、柳行李から現在までを年ごとに記した資料です[2]。この記事では素材の入れかわりだけを抜き出しましたが、全体を読むと、産地の人たちの工夫がもっと見えてきます。

手もとの鞄の内側の表示(素材の名前)を調べ、この記事の素材のどれに当たるか分類してみる。次に、空にした鞄の重さを台所のはかりなどで量り、素材ごとに比べる。重さ・縫い目の細かさ・形の保ちやすさを比べると、本文で読んだ「軽さ」「縫いやすさ」の意味が実感できる。

資料としては、豊岡鞄協会の「豊岡の鞄の歴史」[2]が、柳行李から現代までを年ごとに記している。素材名の確認には、厚生労働省の職業情報サイト(帆布)[5]、素材の性質にはコトバンク所収の事典類[7][8]が使える。一次資料ではない解説も含むため、数値を引用するときは原典を確かめたい。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

素材の入れかわりは豊岡鞄協会の資料を中心に、素材の性質は事典・公的機関の資料で確かめました。

  1. コトバンク「鞄」(日本国語大辞典ほか) https://kotobank.jp/word/%E9%9E%84-465636 (鞄の字の成り立ち・言葉の定着)
  2. 豊岡鞄協会「豊岡の鞄の歴史」(資料PDF) https://www.artisan-atelier.net/wp-content/uploads/2020/11/history.pdf (柳行李・ファイバー・ビニールレザー・布への移り変わり)
  3. 兵庫県「豊岡鞄」ほか https://web.pref.hyogo.lg.jp/kk03/dayori2608/pickup1.html (柳産業が鞄産業の基盤)
  4. コトバンク「帆布」 https://kotobank.jp/word/%E5%B8%86%E5%B8%83 (帆布の定義と用途)
  5. 厚生労働省 職業情報提供サイト「帆布」 https://waza.mhlw.go.jp/shokushu/list/hanpu.html (帆布の性質)
  6. 岡山観光WEB「倉敷帆布」 https://www.okayama-kanko.jp/feature/made_in_okayama/39 (倉敷の帆布の歴史)
  7. コトバンク「ナイロン」 https://kotobank.jp/word/%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%83%B3-107487 (ナイロンの強さと比重)
  8. コトバンク「各種繊維の特徴と用途」 https://kotobank.jp/word/%E5%90%84%E7%A8%AE%E7%B9%8A%E7%B6%AD%E3%81%AE%E7%89%B9%E5%BE%B4%E3%81%A8%E7%94%A8%E9%80%94-2237100 (綿・ナイロン・ポリエステルの特徴)
  9. 日本ランドセル工業会 https://www.randoseru.gr.jp/ (ランドセルの素材の条件)

なおした ところ

更新履歴

更新履歴(改版の記録)

  •  初版を公開。
  •  中学生向けの題名を、日常の疑問が先に来る形に見直した。

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