1. くろおびは、いつ、だれが きめたの?
1. 黒帯は、いつ、誰が決めたのか
1. 柔道の創始と黒帯 ── 1882年、嘉納治五郎
柔道を つくったのは、嘉納治五郎という人です。1882年、東京のお寺の一つの へやを かりて、じぶんの どうじょうを ひらきました[1]。
嘉納治五郎は、「だん」という くらいの しくみを とりいれました[4]。はじめての しょだんが おくられたのは、どうじょうを ひらいてから 1年ほど あとの 1883年です。ふたりの でしに、はじめての しょだんが おくられました[3]。だんを もつ人が 黒帯を しめるように なりましたが、いつからなのかは、しりょうに よって せつめいに ちがいが あります[2][20]。
じつは、この「だん」という かぞえかたは、けんじゅつの わざから うまれたのでは ありません。嘉納治五郎が ヒントに したのは、ぜんぜん べつの あそびでした。
柔道を創始したのは、嘉納治五郎という教育者です。1882年、東京の永昌寺というお寺の一室を借りて、講道館という道場を開きました[1]。
嘉納は、囲碁・将棋にならった段位制を導入しました[4]。最初の初段が授けられたのは、道場を開いてから約1年後の1883年8月のことです。弟子の富田常次郎と西郷四郎の2人が、講道館で最初の初段を得ています[3]。
有段者(段を持つ人)が黒帯を締めるようになった時期は、資料によって説明に幅があります。Wikipediaは、門下生に傑出した人材が出てきてから、有段者に黒帯を締めさせるようにしたのがはじまりと書いています[2]。国際柔道連盟(IJF)の解説は、帯の制度の存在を裏づけるのは早くも1886年の図版だとしつつ、帯についての最初の文書での言及は1913年としています[20]。
ここで気になるのは、「段」という数え方そのものが、いったいどこから来たのかということです。剣術のわざから生まれたものではありません。嘉納がヒントにしたのは、まったく別の遊びでした。
柔道を創始したのは嘉納治五郎である。1882年(明治15年)、東京の永昌寺というお寺の一室を借りて講道館を開いた[1]。
嘉納は、囲碁・将棋にならった段位制を導入した[4]。最初の初段が与えられたのは創設の約1年後、1883年8月のことで、弟子の富田常次郎と西郷四郎の2人が講道館で最初の初段を得ている[3]。創設と同時に段位が授与されたわけではない点は、押さえておきたい。
有段者が黒帯を締めるようになった時期は、資料によって説明に幅がある。Wikipediaは、門下生に傑出した人材が出てきてから、有段者に黒帯を締めさせるようにしたのがはじまりと書き、開始の年は示していない[2]。国際柔道連盟(IJF)の解説は、帯の制度の存在を裏づけるのは早くも1886年の図版だとしつつ、帯についての最初の文書での言及は1913年だと書く[20]。このため、黒帯の開始年は本記事では特定しない。
ここで注目したいのは、「段」という数え方そのものの出どころだ。剣術の技量から生まれた仕組みではない。嘉納がヒントにしたのは、まったく別のジャンルのゲームだった。
2. 「だん」は、ごばんの あそびから きた
2. 「段」は、囲碁・将棋から借りたことば
2. 段位制の起源 ── 囲碁・将棋からの借用
嘉納治五郎が だんを かんがえた とき、お手本に したのは、囲碁や 将棋という、いたの上で する あそびでした[4]。
囲碁や 将棋には、もっと むかしから「だん」で つよさを あらわす しくみが ありました。柔道の「だん」は、その やり方を まねして 生まれたのです。
たたかう スポーツの「だん」の もとが、いたの上の しずかな ゲームだったとは、ちょっと おどろきです。
嘉納治五郎が段位という制度を考えたとき、参考にしたのは剣術ではなく、囲碁・将棋という盤上のゲームでした[4]。
囲碁や将棋には、柔道よりずっと前から、段という数え方で実力を表す仕組みがありました。柔道の「段」は、この仕組みを取り入れて生まれたものです。
格闘技の強さを表す言葉のルーツが、静かな盤上遊戯にあったというのは、意外な事実です。
嘉納治五郎が柔道に段位制を導入する際に参考にしたのは、剣術ではなく囲碁・将棋の段位制だったとされる[4]。
囲碁・将棋には、柔道よりはるか以前から、段という単位で実力を表す仕組みが存在していた。柔道の段位制は、その枠組みを借用して作られたものである。
格闘技の実力を示す言葉の起源が、盤上ゲームにあったという事実は、段位を「武道独自の伝統」と捉えがちな見方を裏切る。次の章では、その盤上ゲームでの段位の歴史をさかのぼる。
3. いごの「だん」は、もっと むかしから あった
3. 囲碁の段位 ── 200年以上前からあった数え方
3. 囲碁の段位制の確立 ── 本因坊道策と「実力十三段」
囲碁の「だん」は、柔道より 200年ちかくも 前から ありました。今から 300年ほど前、本因坊道策という、とても つよい人が、いちばん つよい人を「名人」と よび、9だんから 1だんまでの じゅんばんを つくりました[5]。
道策は、当時の つよい人たちに つぎつぎと 勝って しまうほど つよく、まわりから「じつりょく13だん」と よばれました。でも、しくみの上では、いちばん上は 9だんまでしか ありません。だんの かずより ずっと つよいのに、上の だんが 足りません。そんな めずらしい話が 伝わって います[6]。
4. しょうぎの「だん」も、もっと むかしから あった
4. 将棋の段位 ── 1717年の番付
4. 将棋の段級位制 ── 1717年『将棋図彙考鑑』とピラミッド構造
将棋にも、もっと むかしから「だん」が ありました。今から 300年いじょう前の 1717年、はじめて つよい人たちの 名前を あつめた 一らんひょうが 作られました[7]。
この一らんひょうには、167人の 名前が のって いました。その中で いちばん 多かったのは、いちばん下の「しょだん」で、90人も いました[8]。上に行くほど 人が へって いく、山のような かたちだったのです。
じつは、この一らんひょうが できる前は、「だん」という かぞえかたは ありませんでした。いちばん つよい人と くらべて、どのくらい つよいかを 見せる やり方が つかわれて いました[9]。
将棋の段位も、柔道よりずっと前からありました。1717年、初めて有段者の名前をまとめた番付『将棋図彙考鑑』が作られています[7]。
この番付には167人が載っていて、内訳は七段3人・六段1人・五段4人・四段17人・三段32人・二段20人・初段90人でした。いちばん人数が多かったのは、いちばん下の初段で、全体の半分をこえていました[8]。上に行くほど人数が減る、すそ野の広いピラミッドのような形です。
実は、この番付ができる前の将棋には、段という数え方自体がありませんでした。代わりに、免状に「名人と比べてどれだけの差があるか」というハンデを書く方式が使われていたといいます[9]。
将棋の段級位制は囲碁より遅れて18世紀前半に導入され、享保2年(1717年)に作られた『将棋図彙考鑑』が最初の有段者名簿とされる[7]。柔道の成立(1882年)より165年も前のことになる。
この名簿には計167人が記載され、内訳は七段3人・六段1人・五段4人・四段17人・三段32人・二段20人・初段90人だった。初段だけで全体の約54%を占め、上位の段ほど人数が減っていくピラミッド構造がすでに見て取れる[8]。
段級位制導入前の将棋では、免状に名人に対する手合割(ハンデキャップ)を記載する方式が使われていた[9]。段位という「絶対的な物差し」は、それ以前の「相対的な比べ方」に取って代わる形で生まれたことになる。
5. 色の おびは、どこで うまれたの?
5. 色帯の旅 ── 日本から、フランスへ
5. 色帯の起源 ── 大日本武徳会からフランスの7色へ
いまの柔道では、黒帯より下に、色の ついた 帯を つかいます。この色帯、じつは 日本で さきに つかわれて いました。1906年、柔じゅつの ある団体が いちばん さきに つかいはじめ、1914年には 嘉納治五郎の どうじょうでも、子どもむけに つかわれる ように なりました[10]。
その あと、フランスで柔道を おしえて いた日本人の 先生が、白・黄・オレンジ・みどり・青・茶・黒の 7色に 帯を 分ける やり方を かんがえました[11]。
この先生が 色を 分けた りゆうは、「がんばりが 目に見えると、つづけたく なるから」だったと 言われて います。白と黒しか なかったら、とちゅうの じょうたつが 分かりにくいのです[12]。
今の柔道では、黒帯より下の級に、色のついた帯を使います。この色帯、実は日本国内で先に使われていました。1906年、大日本武徳会という団体の柔術部門が最も早く導入し、1914年には講道館でも少年柔道に使われるようになりました[10]。
その後、1935年にフランスで柔道を指導していた川石酒造之助(のちの講道館七段)が、白・黄・橙・緑・青・茶・黒という7色に帯を分ける独自の制度を考え出しました[11]。
川石が色を分けた理由は、白帯と黒帯だけの日本式では上達が目に見えにくく、特に子どもにとって次の目標が分かりにくかったからだといわれています[12]。日本で生まれた黒帯という考え方が、海外で色分けという工夫に発展し、世界中に広まっていったわけです。
現在の柔道で使われる色帯は、実は日本国内で先に導入されていた。1906年(明治39年)、大日本武徳会の柔術部門が最も早く色帯を採用し、講道館は1914年(大正3年)に少年柔道で使い始めている[10]。
その約30年後の1935年、パリで柔道クラブを指導していた川石酒造之助(のちの講道館七段)は、白・黄・橙・緑・青・茶・黒の7色に帯を分ける独自の色帯制度を考案した[11]。
川石が色帯を考えた理由は、白帯・黒帯だけの日本式をそのまま外国に持ち込むと上達が目に見えにくく、特に子どもにとって昇級の目標が分かりにくかったためとされる[12]。日本発の「黒帯」という発想が、海外で「色帯」という教育的な工夫に作り替えられ、いま世界中の柔道・空手で見られる色帯の原型になった。
6. からてや けんどうにも「だん」が ひろがった
6. 空手・剣道・弓道にも広がった「段」
6. 段位制の伝播 ── 空手・剣道・弓道への広がり
柔道で うまれた「だん」の しくみは、その あと ほかの ぶどうにも 広がりました。空手では、1924年に 船越義珍という先生が だんを だしたのが、はじめてだったと 言われて います[13]。柔道が うまれてから、42年も あとの ことです。
剣道や 弓道の「だん」も、柔道より あとに できました。剣道の れんしゅう じたいは 江戸時代からの 長い れきしが ありますが、「だん」という かぞえかたが 入ったのは、大正時代に なってからです[14]。
柔道で生まれた「段」の仕組みは、その後ほかの武道にも広がっていきました。空手道の段級位制は講道館柔道を参考に導入され、1924年(大正13年)に船越義珍が発行したのが空手道史上初めての段位だとされています[13]。柔道の成立から、実に42年もあとのことです。
剣道・弓道の段位制度は、柔道とは別に、同じ大日本武徳会が大正時代に導入したものです。剣道の稽古そのものは江戸時代から続く長い歴史がありますが、「段」という数え方が加わったのは、それよりずっとあとのことになります[14]。
柔道で確立された段位制は、その後、他の武道にも波及した。空手道の段級位制は講道館柔道を参考にして導入され、大正13年(1924年)に船越義珍が発行したのが空手道史上初めての段位とされる[13]。柔道の成立(1882年)から42年後のことだ。
剣道・弓道の段位制度は、柔道とは別に、大正時代に大日本武徳会が導入したもので、その後に級位が追加されて段級位制が確立された。剣術の稽古そのものは江戸時代から数百年の歴史を持つが、「段」という数え方が加わったのは、柔道よりもさらに後のことになる[14]。竹刀や防具が安全な稽古具として整えられてきた歴史と、段位という数え方の歴史は、別の時間の流れとして分けて考える必要がある。
7. だんは、どうやって 上がるの?
7. 段は、どうやって上がっていくのか
7. 昇段審査の実際 ── 技術だけでなく人柄も見られる
いまの柔道では、白い 帯(4きゅうより下)、茶色い 帯(1〜3きゅう)、黒い 帯(しょだん〜5だん)と、上に行くほど 帯の色が かわって いきます[15]。じつは 黒帯より上にも、紅色や 白と紅の 帯が あります[15]。
だんを上げる テストでは、わざの上手さだけでは なく、柔道への考え方や、まわりの人への せっし方も 見られます[16]。
いちばん上の「10だん」に なった人は、柔道が うまれてから 今まで、ほんの 十数人しか いないと 言われて います[18]。しょうぎと おなじように、柔道も 下の だんに 人が多く、いちばん上の だんは、ほんの すこしの人しか たどりつけないのです[19]。
現在の柔道の帯は、白帯(4級以下)、茶帯(1〜3級)、黒帯(初段〜五段)と、上がるごとに帯の色が変わっていきます。さらに黒帯の上には、紅白帯(六段〜八段)、紅帯(九段・十段)という、あまり知られていない色まであります[15]。
昇段審査で見られるのは、技術の上手さだけではありません。柔道への理解や、柔道の普及発展に尽くしてきた功績なども審議の対象になります。柔道の考え方に反するふるまいがあると、昇段が認められないこともあるといいます[16]。審査の方法も段によって違い、初段から六段は実技試験で合否が決まりますが、七段の候補者は「秀・優・良・可・不可」という5段階で評定されます[17]。
最高段位の十段まで到達した人は、柔道の120年余りの歴史の中でも十数人ほどにとどまるといわれています[18]。将棋の番付で初段の人数が最も多かったのと同じように、柔道も初段〜五段が黒帯として最も広い範囲を占めています。段位ごとの実際の人数を示す統計は確認できていませんが、帯色の区分から見るかぎり、上に行くほど人数が絞られていく構造になっているとみられます[19]。
現在の全日本柔道連盟の帯は、白帯(4級以下)、茶帯(1〜3級)、黒帯(初段〜五段)、紅白帯(六段〜八段、女子は七段まで)、紅帯(九段・十段、女子は八段)という5段階に分かれている[15]。黒帯が最上位だと思われがちだが、その上に紅白帯・紅帯という帯色が存在する。
講道館の昇段審査では、技術体得の程度に加えて、柔道精神の修得、柔道に関する理解、柔道の普及発展に尽くした功績などが審議事項となり、柔道精神に反する言動がある者は昇段を認められない[16]。審査方式も段位ごとに異なり、初段から六段までの候補者は実技試験による合否評定を受けるのに対し、七段候補者は「秀・優・良・可・不可」の5段階評定を受ける[17]。
ある集計によれば、講道館120年余りの歴史の中で十段を授与された者はのべ十数人にとどまるという(2006年には醍醐敏郎・阿部一郎・大澤慶己の3人が史上初めて同時に十段昇段した)[18]。1717年の将棋の番付で初段が最も多かったのと同じように、現行の柔道の段位も初段〜五段が黒帯として最も広い範囲を占めている。段位ごとの実際の人数を示す統計は確認できていないが、帯色の区分から見るかぎり、上位段になるほど人数が絞られるピラミッド構造になっていると推定される[19]。
8. じぶんでも しらべて みたく なったら
8. 自分でも調べてみたくなったら
8. 自分でも調べてみたくなったら
近くの どうじょうや、テレビで 見る 柔道や 空手の しあいで、帯の色に 注目して みましょう。何色の 帯を しめて いるかで、その人が どのくらい がんばって きたかが、なんとなく わかります。
もし家に しょうぎの本が あったら、「しょだん」から「めいじん」までの だんの名前を さがして みるのも おもしろいです。
今度、柔道や空手の試合を見る機会があったら、選手の帯の色に注目してみましょう。色帯の意味が分かると、試合の見え方が少し変わってくるかもしれません。
図書館や家にある将棋・囲碁の本で、初段から名人・九段までの段位の名前を探してみるのもおすすめです。柔道の段位と見比べると、共通点や違いに気づけるはずです。
全日本柔道連盟や講道館のウェブサイトには、昇段審査の内規や段位ごとの帯色の規定が公開されている。興味があれば、実際にどんな審査基準が書かれているか、原文を読んでみるとよい[16]。
囲碁・将棋の段位表と柔道の段位表を見比べ、どちらも「初段(1級)が最も人数が多く、上位ほど少なくなる」という形になっているかを確かめてみるのも面白い。調べるときは、公式サイトなど信頼できる情報源にあたるようにしたい。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
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出典について:十段の人数(のべ十数人)を伝える出典18は二次的な集計サイトによるもので、講道館の一次資料そのものではない。本因坊道策が囲碁の段位制を確立した具体的な年も特定できておらず、在世期間(1645〜1702年)から17世紀後半とした。
- Wikipedia「嘉納治五郎」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/嘉納治五郎 (1882年の講道館創設についての出典)
- Wikipedia「帯 (柔道)」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/帯_(柔道) (有段者に黒帯を締めさせるようになった経緯の説明についての出典。開始の年は書かれていない)
- Wikipedia「富田常次郎」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/富田常次郎 (1883年8月、富田常次郎と西郷四郎が最初の初段を得たことについての出典)
- Wikipedia「段級位制」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/段級位制 (嘉納治五郎が囲碁・将棋を参考に段位制を導入したことについての出典)
- Wikipedia「本因坊道策」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/本因坊道策 (囲碁の段位制を確立した本因坊道策についての出典)
- Wikipedia「十三段」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/十三段 (本因坊道策が「実力十三段」と称えられたことについての出典)
- Wikipedia「将棋の段級」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/将棋の段級 (1717年『将棋図彙考鑑』が最初の有段者名簿であることについての出典)
- Wikipedia「将棋の段級」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/将棋の段級 (167名の内訳、初段90名が最多だったことについての出典)
- Wikipedia「将棋の段級」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/将棋の段級 (段級位制導入前の手合割による表記についての出典)
- Wikipedia「帯 (柔道)」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/帯_(柔道) (1906年に大日本武徳会柔術部門、1914年に講道館少年柔道が色帯を導入したことについての出典)
- Wikipedia「川石酒造之助」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/川石酒造之助 (1935年、川石酒造之助が7色の色帯を考案したことについての出典)
- 歴史街道「フランス柔道の父 川石酒造之助」。 https://www.rekishikaido.gr.jp/catv/2022/9186/ (色帯を考案した理由についての出典)
- Wikipedia「空手道」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/空手道 (1924年、船越義珍による空手道初の段位についての出典)
- Wikipedia「段級位制」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/段級位制 (大正時代に大日本武徳会が剣道・弓道に段位制を導入したことについての出典)
- Wikipedia「帯 (柔道)」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/帯_(柔道) (現行の帯色と段位・級位の対応についての出典)
- 講道館「昇段資格について」。 https://kdkjudo.org/昇段資格について/ (昇段審査で人柄・功績も審議されることについての出典)
- 講道館「講道館昇段資格に関する内規」。 http://judo.boy.jp/topsozai/27/koudoukannaiki.pdf (段位によって審査方式が異なることについての出典)
- 調整さん「柔道の10段保有者は世界に何人いるの?」。 https://chouseisan.com/l/post-63396/ (十段を得た人数がのべ十数人ほどであることについての出典)
- Wikipedia「帯 (柔道)」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/帯_(柔道) (段位のピラミッド構造の推定根拠についての出典)
- 国際柔道連盟(IJF)「The Belt: Myth and Reality of an Essential Symbol」。 https://www.ijf.org/news/show/the-belt-myth-and-reality-of-an-essential-symbol (帯の制度が1886年の図版までさかのぼって確かめられること、帯についての最初の文書での言及が1913年であることについての出典)
なおした ところ
更新履歴
更新履歴(改版の記録)
- 初版を公開。
- 1章の黒帯の説明を直した。「道場を開いたときから有段者に黒帯を締めさせた」と読める書き方は、出典(Wikipedia)の記述を強く読みすぎていたため、「最初の初段は1883年。黒帯がいつから使われたかは資料によって幅がある」に改め、国際柔道連盟(IJF)の解説を出典[20]に追加した。あわせて、冒頭の説明とトップページの紹介にあった「1882年に考え出した」を、「講道館を開いた嘉納が段位制を導入し、最初の初段は1883年」の書き方に直した。
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