このサイトは、ほんの入り口です

ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

つみ木は だれが、なんの ために つくった おもちゃなの?

積み木は、いつ、だれが、何のために作ったおもちゃなのでしょうか

積み木の出発点 ── フレーベルの恩物(1830年代)から、1876年の日本の幼稚園まで

分野:歴史・文化

つみ木は、ただの おもちゃでは なく、「ようちえん」という ことばを つけた 人が、子どもの ために かんがえた きょうざいが はじまりだと されて います[1]。

その 人は、どうして 木の かたまりを つくったのでしょう。つみ木が いつ うまれて、どう やって 日本まで きたのかが わかります。

「積木」という言葉は、もとは神社やお寺で燃やす木を積むことを指していました[1]。おもちゃの積み木の出発点とされるのは、「幼稚園」という言葉を名づけたドイツの教育者、フレーベルが1830年代の終わりごろに考えた教材です[1]。遊び道具というより、先生が子どもに渡すために作った道具でした。

なぜ木のかたまりが教材になったのか、そしてどんな道すじで日本の幼稚園に入ってきたのかが分かります。

教育玩具としての積み木は、1830年代の終わりごろ(資料により1837年、1838年とする)、ドイツのフレーベルが創案した「恩物」が最初とされる[1]。フレーベルは同じころ、「キンダーガルテン(幼稚園)」の名づけ親にもなった[3]。

積み木はなぜ幼稚園とセットで生まれたのか、小さな木片の比率にどんな工夫があったのか、日本にはいつ、どの経路で入ったのかが分かる。

読み方を切り替えられます。画面の上にある「よみかた」のボタンで、小学校低学年むけ・小学校高学年むけ・中学生むけの3つの書き方に切り替わります。むずかしいと思ったら、いつでもやさしい方に戻ってください。選んだ読み方はブラウザが覚えているので、次に別の記事を開いたときも同じ読み方で始まります。

1. つみ木の はじまりは、「おもちゃ」じゃ なかった?

1. 積み木の出発点は、遊び道具ではなく「教材」だった

1. 教育玩具としての積み木は、フレーベルの「恩物」が最初とされる

おうちに ある つみ木を、一つ もって みて ください。つみ木を、子どもの ための きょうざいに した 人が いると いわれて います。ドイツの フレーベルと いう 人です。

フレーベルは、いまから 200年ほど まえ、1830年代の おわりごろに、恩物おんぶつと いう どうぐを つくりました。そのなかの いくつかが、いまの つみ木の ごせんぞです[1]。

ただし、フレーベルより まえにも、つみ木に にた おもちゃは あったと かんがえられて います。ですから 「世界で はじめて」と いいきる ことは できません。

では、フレーベルは なんの ために、木の かたまりを つくったのでしょう。

フレーベルは、1830年代に20種類の「恩物」を考えました。そのうち第3から第6までの恩物に、積み木が取り入れられています[1]。教育玩具としての積み木は、これが最初とされています。

「恩物」は、ドイツ語のGabe(英語ではGift)を日本語にした呼び名です。年については、辞典や解説で1830年代、1837年、1838年と幅があるため、ここでは「1830年代の終わりごろ」とします。

注意したいのは、「世界で最初の積み木」という意味ではないことです。フレーベル以前にも、積み木に近いおもちゃはあったと考えられています[1]。フレーベルの新しさは、積み木を子どもを育てる道具として考えたところにありました。

では、フレーベルは何を育てようとして、木のかたまりを子どもに渡したのでしょうか。

フレーベルは1830年代に20種類の恩物(ドイツ語のGabe、英語のGift)を考案し、その第3から第6恩物に積み木を取り入れた[1]。「教育玩具としての積み木はフレーベルが最初」とされる一方で、積み木に近いおもちゃは彼より前にもあったと考えられている。つまり新しいのは、木片を積む遊びそのものよりも、それを幼児教育の教材として体系化した点である。

年代は資料によって1830年代、1837年、1838年と揺れる[1]。恩物が発明の一瞬ではなく、数年かけて整えられた一連の道具だったことの反映とも考えられるが、資料からは断定できない。そこで本稿では「1830年代の終わりごろ」とする。

では、なぜ教材が必要だったのか。その答えは、同じ時期にフレーベルが開いた施設にある。

2. なぜ、つみ木が ようちえんの どうぐに なったの?

2. 幼稚園と同じころに生まれた、バランスを伝える道具

2. 恩物は幼児教育のためにフレーベルが考案した教材だった

フレーベルは 1830年代に、小さな 子どもの ための 「あそびと かつどうの ばしょ」を ひらきました。のちに、それを 「キンダーガルテン」と 名づけました[3]。日本語で いう 「幼稚園ようちえん」の もとに なった ことばです。

フレーベルは、子どもの ための きょうざいとして 「恩物おんぶつ」を かんがえました。ある 本の せつめいでは、つみ木は、ものが ささえあう ちからや、くずれて おちる ちからを しる ための どうぐだと されて います[5]。

つみ木を つむと、ぐらぐらしたり、がしゃんと くずれたり します。あれは、しっぱいではなく、ものの うごきを からだで たしかめる じかんでも あります。

フレーベルは1830年代にドイツのバート・ブランケンブルクで、幼い子のための「遊びと活動の施設」を開き、のちにそれを「キンダーガルテン」と名づけます[3]。恩物は、幼児教育のためにフレーベルが考案した教材です。

では、積み木にどんな意味を込めたのでしょうか。一般向けの解説では、ものがバランスを保つ力や、崩れて落ちる力を知るための遊具だ、と説明されています[5]。ただしこれは解説者の説明で、フレーベル自身の言葉とは限りません。

積み木を高く積むと、ぐらつき、ついには崩れます。崩れるたびに、どこに置けば安定するのかを手で確かめることになります。

この考え方を、もっと大きく育て直した人たちが、のちにアメリカに現れます。

フレーベルは1830年代にバート・ブランケンブルクで幼児のための「遊びと活動の施設」を開き、のちにそれを「キンダーガルテン」と名づけた[3]。恩物は、幼児教育のためにフレーベルが考案した教材である。積み木は、玩具が先にあって教育に転用されたのではなく、教育のための教材として考えられた点が重要である。

意図について、保育研究者の解説は、ものがバランスを保つ力や、崩れて落ちる力を知るための遊具だ、と説明する[5]。ただし一般向けの解説であり、フレーベル自身の言葉として確かめられた記述ではない点に注意が要る。

この「小さな木片」の設計は、のちのアメリカで、批判と改良を受けることになる。

3. つみ木の 大きさには、ひみつの きまりが あるの?

3. 1:2:4 の木片8個で立方体になる組と、アメリカのユニットブロック

3. 1:2:4 の比率とユニットブロック ── 小さな木片から、床で組める大きさへ

つみ木の 中には、いろいろな 大きさの 長い 木が はいって いる ことが あります。フレーベルの 恩物おんぶつの 中に、ひとつ おもしろい くみが あります。

あつさ・はば・ながさが 1:2:4に なって いる、おなじ かたちの 木が 8こ。これを あわせると、すきまなく 大きな さいころの かたちに なります[4]。

アメリカでは、フレーベルの つみ木を もとに、ゆかで 子どもが からだごと つかえる 大きな つみ木も つくられました。いまも ほいくえんや ようちえんで 見かける つみ木の もとの ひとつだと いわれます[4]。

「ぴったり あわさる」ことで、ものを くみたてる おもしろさが うまれるのですね。

フレーベルの20の恩物の中に、厚さ約1.3cm、幅約2.5cm、長さ約5cm(½×1×2インチ、比は1:2:4)の木片8個で立方体を作れる組があると紹介されています[4]。8個を2×2×2に並べると、一辺が2インチ(約5cm)の立方体になります。

この比率の積み木を広めたのが、アメリカの教育者キャロライン・プラットです。パティ・スミス・ヒルは、床で組める大型のブロックを設計しました。プラットはそれに着想を得て、1:2:4の比率をもつ「ユニットブロック」を広めたとされています[4]。プラットは1914年にニューヨークでシティ・アンド・カントリー・スクールを創立しています。

手のひらサイズの教材が、体ごと使う建築遊びへ広がったのです。では、積み木は日本にどう入ってきたのでしょうか。

フレーベルの20の恩物には、½×1×2インチ(約1.27×2.54×5.08cm、1:2:4の比)の木片8個で立方体に組める組が含まれていた。資料では、8個を2×2×2に組むと一辺2インチ(約5cm)の立方体になると紹介される[4]。この「倍の関係」が、組み方を何通りにも変えられる理由と考えられる。なお、第3恩物は一辺6cm前後の立方体を8個に分けたものと紹介する資料もあるが、数値は資料によって異なる。

この比率の積み木を広めたのが、キャロライン・プラットである。パティ・スミス・ヒルは床で組める大型のヒル積木を設計し、プラットはこれに着想を得たとされる。プラットは1:2:4の比のユニットブロックを広め、1914年にニューヨークでシティ・アンド・カントリー・スクールを創立した[4]。考案年は1913年説や1900年代初頭説があり、資料によって幅がある。

では、この教材は、日本にいつ、どんな形で届いたのか。

4. 日本には、いつ やって きたの?

4. 日本では、1876年の幼稚園が最初の入口になった

4. 1876年、東京女子師範学校附属幼稚園の保育科目に「積ミ方」「組ミ方」が入る

日本の ようちえんの もとに なった 学校の ようちえんが ひらいたのは、1876年(めいじ9年)の 11月16日です。東京の 学校に くっついた ようちえんで、ドイツ人の クララ・チーテルマンという 人が、いちばん えらい 先生に なりました[2]。

この ようちえんの 時間わりには、「ものを つむ」「木の かけらを くむ」と いう かつどうが ありました[2]。つみ木の あそびが、ここから 日本の 子どもに つたわって いったと かんがえられて います[1]。

いまの つみ木は、小さな ものは ひとりで、大きな ものは みんなで 力を あわせて あそぶのに むいて いる、とも いわれます[1]。

1876年(明治9年)11月16日、東京女子師範学校附属幼稚園が開園しました。ドイツ人のクララ・チーテルマン(松野クララ)を首席の保母として、フレーベルの幼稚園を手本にした保育が始まったと、文部科学省の『学制百年史』は記しています[2]。

開園したころの保育科目の細目には、「形体ノ積ミ方」「形体ノ置キ方」「木片ノ組ミ方」が並んでいます[2]。原文に「恩物」や「積み木」という言葉は出てきません。それでも、立体や木片を積み、組む活動が最初の保育に含まれていたことは読み取れます。

事典は、この官立幼稚園を起点に、松野クララを中心に保育の中で積み木が使われるようになったと説明します[1]。対象は3〜4歳から6〜7歳ごろで、小型は一人遊び、大型は協力する力を養うのに向くとされます。

1876年(明治9年)11月16日、東京女子師範学校附属幼稚園が開園し、ドイツ人のクララ・チーテルマン(松野クララ)を首席保母に、フレーベルの幼稚園を模範とする保育を開始した。文部科学省『学制百年史』にある、この記述が日本の官立幼稚園の出発点である[2]。

開園当初の保育科目の細目には「形体ノ積ミ方」「形体ノ置キ方」「木片ノ組ミ方」が記されている[2]。原文に「恩物」「積み木」の語は無く、これらが恩物に当たるとするのは解釈である。それでも、立体や木片を積む・組む活動が、日本の幼稚園の最初の科目に含まれていたことは確かである。

事典は、1876年の官立幼稚園の設立と、松野クララを中心とした保育での使用を、日本の積み木の導入として記す。対象は3〜4歳から6〜7歳ごろで、小型は一人遊び、大型は協力性を養うのに向くという[1]。

ところで、「積木」という言葉自体は、いつからあったのか。

5. 「つみ木」という ことばは、いつから あるの?

5. 「積木」という言葉は、実はおもちゃより古い

5. 語としての「積木」── 平安後期の用例と、1894年のおもちゃの意味

「つみ木」という ことばは、むかしは おもちゃの ことでは ありませんでした。神社や おてらの にわさきで、もやす ための 木を つむ ことを いったのです[1]。

いちばん 古い 使いかたは、1050年ごろの 本に あります。おもちゃの いみで 使われた れいは、1894年の 『ふうぞくがほう』に あります[1]。

ただし、1894年に あそびが はじまった わけでは ありません。ことばを つかった あとが のこって いる、というだけです。

辞典によると、言葉の「積木」は、もとは神社仏閣の庭先で燃やす木を積むことを指しました。初出は平安後期の1050年ごろの訓点資料です。おもちゃの意味の用例は、『ふうぞくがほう』第73号(1894年)にあります[1]。

ここで注意したいのは、この年が「日本で積み木遊びが始まった年」ではないことです。言葉が文献に現れた年は、遊びが広まった年の目安にはなっても、始まりを示すとは限りません。

1876年に幼稚園へ入った木片の遊びが、およそ20年のうちに、一般の雑誌に「おもちゃ」として書かれるまで広がった、という流れは考えられます。ただし、資料からはそこまでは言い切れません。

語としての「積木」は、もとは神社仏閣の庭前で燃やす木を積むことをさし、初出は「龍光院本妙法蓮華経平安後期点」(1050年ごろ)とされる。おもちゃの意味の用例は『ふうぞくがほう』第73号(1894年)に見える[1]。1876年の幼稚園導入から約20年後にあたる。

ただし用例の年は初出の目安にすぎず、遊びがこの年に始まったとは限らない。言葉の記録と、遊びの普及は別の問題として扱う必要がある。日本の国産積み木が大正・昭和にどう普及したかは、今回の資料では扱えていない。

6. おうちの つみ木で、たしかめて みよう

6. 家の積み木で確かめられること

6. 手元の積み木で確かめられること、さらに調べる手がかり

つみ木が あれば、ためして みましょう。

・おなじ 大きさの 長い 木を 2こ ならべて、その うえに もう 1こ のせて みます。どこまで たかく つめるか、くずれる ところは どこか、見て みましょう。

・「1つぶん」と 「2つぶん」の ながさの 木が あれば、2つの うえに 1つ のせて、ぴったり あうか くらべて みましょう。

くずれる ときは、つみ木が ゆかに おちるので、足の うえには おかないように しましょう。

家に木の積み木があれば、一つ測って、長さが厚さのおよそ何倍かを確かめられます。同じ形の木片が何個で立方体になるか、数えてみるのも一つの手です。市販の積み木には、フレーベルの比とは別の比率のものも多くあります。

もう一つは、同じ積み木で「どこまで高く積めるか」をやってみることです。ぐらつく位置はどこか、崩れる直前に何が起きるかを観察すると、フレーベルが伝えようとした「バランス」の手ざわりに近づきます。崩れた積み木が足に落ちないよう、床の上で試してください。

さらに知りたければ、文部科学省の『学制百年史』で1876年の保育科目の原文に当たれます。

手元に積み木があれば、各ブロックの寸法比を測り、立方体に組める組があるかを確かめられる。寸法比が1:2:4に近ければ、ユニットブロックの系譜に属する可能性がある。ただし、市販品は設計が一様ではなく、比率だけで系譜を断定することはできない。

調べを進めるなら、次の点が手がかりになる。第一に、フレーベルが恩物を創案した年(1837年・1838年など)の幅の理由。第二に、フレーベル以前の積み木に近いおもちゃの具体例。第三に、日本の国産積み木が大正・昭和にどう広まったか。いずれも本稿の資料では十分に確かめられていないため、一次資料や研究論文に当たる必要がある。

『学制百年史』に載る保育科目の原文を読み、「積ミ方」「組ミ方」がどの恩物に当たるのかを、自分で考えてみるのもよい。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

事典・公的資料・解説を比べて使いました。年や数値が資料により異なる箇所は、本文でそのように書いています。

  1. コトバンク「積木」(マイペディア・世界大百科事典・精選版 日本国語大辞典の項)。https://kotobank.jp/word/%E7%A9%8D%E6%9C%A8 (恩物の創案、フレーベル以前の積み木、日本への導入、言葉の初出について。事典の記述)
  2. 文部科学省『学制百年史』。https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317591.htm (1876年の幼稚園開園と保育科目の細目について。公的資料)
  3. Friedrich Fröbel(Wikipedia 英語版)。https://en.wikipedia.org/wiki/Friedrich_Fr%C3%B6bel (施設の開設と「キンダーガルテン」の命名について。百科事典の記述)
  4. Unit block(Wikipedia 英語版)。https://en.wikipedia.org/wiki/Unit_block (1:2:4の比率、ヒル積木、ユニットブロックについて。百科事典の記述)
  5. HugKum「積み木の歴史」。https://hugkum.sho.jp/6119 (積み木に込められた意図の一般向け解説)

なおした ところ

更新履歴

更新履歴(改版の記録)

  •  初版を公開。

このサイトでは、公開した記事の本文は原則として書き直しません。誤りが見つかったときや、内容が古くなったときだけ手を入れ、その理由をこの欄に残します。