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ヒガンバナは、どうして あぜみちや おはかに うえて あるの?

あぜ道や墓地に、ヒガンバナはなぜ植えられたのか

ヒガンバナはなぜあぜや墓地に植えられたのか:動物避けと救荒作物、二つの説

分野:自然

あきに さく ヒガンバナは、たねが できない はなだと いわれて います。ですから、やまの なかで ひとりでに ふえる ことは ありません。むかしの ひとが きゅうこんを うえたから、いま、たんぼの あぜみちや おはかの まわりで 見られるのです。

では、どうして わざわざ うえたのでしょう。この ページを 読むと、ネズミを ちかづけない ためと、たべものの そなえの ためと いう 二つの 考えが あること、そして、まだ ほんとうの わけは きまって いない ことが わかります。

秋のあぜ道や墓地に、赤い花が列になって咲くヒガンバナ。この花は日本では種ができず、山の中で自然に広がることがないといわれます[1]。道ばたに咲いているのは、昔の人が球根を植えたからなのです。

では、なぜわざわざ植えたのでしょうか。資料には、ネズミやモグラを遠ざけるため、飢饉に備えて食べるため、という二つの説明が出てきます。この記事を読むと、その二つの説の中身と、どちらも「説」の段階にとどまっていることが分かります。

ヒガンバナは、日本で一般的に見られるものがすべて3倍体で、種子で増えない。そのため山野に自生することはほとんどなく、人が球根を植えた場所を中心に広がってきたと説明される[1]。道ばたの赤い花の列は、人の手の跡である。

では、何のために植えたのか。資料には、球根の毒を利用した動物避けという説明と、飢饉に備える救荒作物という説明が並ぶ。この記事を読むと、二つの説が支える根拠、場所による使い分けの見え方、そして植栽の目的がまだ定説に至っていないことが分かる。

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1. やまの なかに ヒガンバナが ないのは、どうして?

1. 山の中ではなく、人のそばにだけ咲くのはなぜか

1. 種子で増えない花は、人が植えた場所にだけ広がった

花が さいた あとは、ふつう、たねが できます。たねが 風や 動物に はこばれて、あたらしい ばしょで めが 出ます。

ところが、日本の ヒガンバナは、たねが できない ものだと せつめい されて います。ふえる ほうほうは、きゅうこんが 土の 中で ふえる ことだけです。

だから、たねが とんで いって 山の 中に はえる、と いう ことは ありません。ヒガンバナの いる ばしょには、むかし、だれかが きゅうこんを うえたのです。

花のあとには、ふつう種ができます。種は風や動物に運ばれ、遠くで芽を出します。ところが、日本で一般的に見られるヒガンバナはすべて3倍体で、実をつくって増えることがありません[1]。

増えるのは、球根(鱗茎)が土の中で分かれるときだけです。種のように勝手に旅をすることができないので、ヒガンバナは昔から人の手で植えられ、分布を広げてきた植物だと説明されています[1]。山の中に自生することはほとんどない、と説明されています。

原産地は中国で、日本には有史以前に渡来したと考えられています[2]。ここで新しい疑問が出てきます。人が植えたのなら、それは何のためだったのでしょうか。

花の後に種子ができない植物は、動物や風に頼った分散ができない。日本で一般的に見られるヒガンバナは、すべて3倍体であり、実で増えることはなく、鱗茎による栄養繁殖だけで増える[1]。ところが鱗茎は、種子と違って自力ではほとんど動けない。したがって現在の分布は、人が球根を運んで植えた結果と考えるのが自然であり、資料も「昔から人の手で植えられて分布を広げてきた」と述べて、山中に自生することはほとんどないと説明している[1]。

原産地は中国で、日本には有史以前に渡来したと考えられている[2]。渡来の時期は資料によって表現が分かれ、東邦大学の解説は稲作と同じころ、国立科学博物館の解説は縄文時代としている[2][3]。いずれにせよ、人の移動とともに持ちこまれ、植えられた花である点は共通している。残るのは、植えた目的は何かという問いである。

2. ネズミが きらう きゅうこん?

2. 球根の毒は、ネズミやモグラを遠ざけたのか

2. 球根の毒は、あぜと墓地で動物避けとして働いたという説

一つめの 考えは、ネズミを ちかづけない ためです。

ヒガンバナの きゅうこんには どくが あります。リコリンと いう せいぶんで、どうぶつが 食べると、はきけが 出ると いわれて います。この どくを ネズミよけに つかった、と いう せつが あります。

たんぼの あぜに うえたのは、イネを あらす ネズミを おいはらう ためだと いわれて います。おはかに うえたのは、おそなえものを ネズミに あらされない ためだと 考えられて います。

モグラも ヒガンバナを さけると いう 話が あります。えさの ミミズが いなくなるから、と 説明せつめいされます。

一つめの説は、球根の毒を使った動物避けです。ヒガンバナの球根にはリコリンという有毒な成分が含まれ、動物が口にすると吐き気を催すとされています[4]。この毒を利用した動物避けだった、という説があります。

田んぼのあぜに多いのは、稲を荒らすネズミを追い払うためだったと言われています[4]。あぜは水田の土を囲む細い土手で、ネズミやモグラに穴をあけられると、水がもれたり崩れたりします。東京薬科大学の解説も、ネズミを寄せつけず、餌のミミズがいなくなることでモグラも寄りつかないため、畦や堤防が掘り返されて崩れるのを防ぐ「動物避け」になったと紹介しています[2]。

墓地も同じ考え方で説明されます。土葬の時代に、お供え物や遺体を動物に荒らされるのを防ぐためだったとされます[4][2]。

ただし、どの資料も「考えられている」「言われている」「とされる」という書き方で、植えた人が書き残した理由が見つかっているわけではありません。

一つめの説は、球根の毒を動物避けに利用したというものである。ヒガンバナの球根にはリコリンなどのアルカロイドが含まれ、動物が摂取すると吐き気を催すとされる[4]。この毒を利用して、田んぼと墓地で動物避けにしたという説がある。

あぜについては、稲を荒らすネズミを追い払う目的だったと言われる[4]。東京薬科大学の解説は、さらに一歩踏みこむ。ネズミを寄せつけないだけでなく、餌となるミミズがいなくなるためモグラも寄りつかず、結果として畦や堤防が小動物に掘り返されて崩れるのを防ぐ「動物避け」になった、という理由づけである[2]。あぜは水を張る田の土手なので、穴があけば水がもれる。崩れを防ぐ意味は、稲を守る意味とつながっている。

墓地については、土葬した遺体やお供え物が動物に荒らされるのを防ぐためと説明される[4][2]。ただし、いずれの記述も「考えられている」「言われている」「とされる」の形であり、植えた当事者の記録に基づく断定ではない。

3. たべものが たりない ときの そなえ?

3. 飢饉のときに食べる作物として植えられたのか

3. 飢饉への備えとして植えられたとする、もう一つの説

二つめの 考えは、たべものの そなえです。

むかしは、天気が わるくて 米が とれない 年が ありました。そんな 年を ききんと いいます。ヒガンバナは、もともと 食べる ための 草だった、と する 資料しりょうが あります。中国から 朝鮮半島ちょうせんはんとうを 通って、日本に 来たと 考えられて います。

ならの じだいから へいあんの じだいに かけて、ききんの ときの たべものとして うえられて いたと しょうかいされて います。しこくでは、食べる ために うえて ふやした ところが あります。

二つめの説は、食べ物の備えです。深谷市の解説は、ヒガンバナはもともと食べるための植物で、天災で主食の米が不作の年に食べる作物(救荒作物)として、中国から朝鮮半島を経て伝わったと考えられている、と紹介しています[4]。

国立国会図書館のレファレンス事例では、奈良時代から平安時代にかけて植えられた救荒作物として紹介されています[5]。国立科学博物館の解説にも、四国地方では食用のために植えて増やした、とあります[3]。

記録に残る使われ方もあります。江戸時代、冷夏や災害でお米がまったくとれない大飢饉になったとき、球根を非常食として食べたと伝えられます[5]。1934(昭和9)年の東北地方の冷害飢饉では、ヒガンバナの根を自宅に持ち帰った例も記録されています[5]。

二つめの説は、ヒガンバナが本来は食べるための植物、すなわち救荒作物だったというものである。深谷市の解説によれば、天災で主食の米が不作の年に食べる作物として、原産地の中国から朝鮮半島を経由して持ちこまれたと考えられている[4]。国立国会図書館のレファレンス事例も、奈良時代から平安時代にかけて植えられた救荒作物として紹介する[5]。国立科学博物館は、四国地方で食用のために植えて増やした例を挙げている[3]。

この説を支えるのは、飢饉の記録である。同じレファレンス事例には、江戸時代の冷夏や災害で米がまったくとれなくなったとき、球根を非常食にしたことと、1934(昭和9)年の東北地方の冷害飢饉でヒガンバナの根を自宅に持ち帰った例が挙がっている[5]。ただし後者は持ち帰った事例の記録であり、そこから全域の食習慣を読み取れるわけではない。球根を植える目的が、凶作に備えた蓄えにあったのかどうかは、こうした利用の記録から推定される部分である。

4. どくの ある きゅうこんを、どうやって 食べたの?

4. 毒のある球根を、昔の人はどう食べたのか

4. 毒を水にさらして抜く方法:デンプンだけを残す

きゅうこんには どくが あるのに、どうして 食べられたのでしょう。

むかしの 人は、きゅうこんを すりつぶして、たくさんの 水に さらしました。しばらく おくと、水の そこに、こなの ような デンプンが しずみます。この こなを あつめて 食べた、と つたえられて います。

水に さらして どくを へらして、デンプンを あつめる ほうほうが しょうかいされて います。

ただし、どくを 安全に 取りのぞくには 手間が かかります。ぜったいに、きゅうこんを ひろって 食べたり、さわった 手で 口に 入れたり しないで くださいね。

毒がある球根を、どうやって食べたのでしょうか。国立国会図書館のレファレンス事例には、球根をすりつぶして十分に水にさらし、底に沈んだデンプンを集めて食べた、という方法が紹介されています[5]。

毒の成分を水にさらして減らし、デンプンを集める方法として紹介されています。手間のかかる作業ですが、米がとれない年には、手間をかけてでも食べ物にする価値があった、ということになります。

この方法は、現代の人が真似をする方法ではありません。毒抜きが不十分だと危険なので、球根を拾って食べたり、加工したりしてはいけません。

毒のある球根を食料にするには、毒を取り除く工程が必要になる。国立国会図書館のレファレンス事例が紹介する方法は、球根をすりつぶして十分に水にさらし、底に沈んだデンプンを集めて食べるというものである[5]。毒の成分を水にさらして減らし、デンプンを集める、水さらしによる方法である。

この工程は手間がかかる。それでも飢饉の年に行われたと伝わることは、球根が貴重な食料として扱われた可能性を示す。一方で、毒抜きが不十分なら危険があるため、現代に再現することは勧められない。資料は、この方法が実際にどの地域でどの程度行われたかまでは述べていないので、一般的な食習慣として言い切ることはできない。

5. いつ、だれが うえる わけを きめたの?

5. 植える目的は、いつ、だれが決めたのか

5. 目的は定説ではなく「説」の段階にある

ここまで 読んで、おもったかも しれません。「いつ、だれが、ネズミよけと きめたの?」

じつは、それが わかる しりょうは、見つかって いません。いつごろから あぜみちや おはかに うえる ことが ふつうに なったのかも、はっきりしません。

とっとりけんの しょうかいには、ヒガンバナは ききんの そなえや、あぜを じょうぶに する ために 人の 手で ひろがった、と いう 「せつ」が あります、と 書かれて います。つまり、ほんとうの わけは、まだ 「そうかも しれない」の だんかいなのです。

場所で ちがう のかも しれません。しこくでは 食べる ため。あぜや おはかでは どうぶつよけ。そう 読める しりょうが あります。

では、動物避けや救荒作物としての植栽は、いつ、どのように決まったのでしょうか。植栽が一般的になった時期を特定できる資料は、今回の調べでは見つかっていません。

鳥取県の自然公園の解説は、種で増えないヒガンバナが、救荒植物として、あるいは田んぼの畦を強くするために、人の手で日本中に広がったという「説」があります、と紹介しています[6]。目的は定説というより、説の形で語られているのです。

資料を場所ごとに並べると、少し見え方が変わります。四国地方では食用のための植栽が挙げられ[3]、あぜや墓地では動物避けが挙げられています[4]。同じ花が地域や場所によって別の役目を持っていた、という読み方もできそうですが、資料が直接そう述べているわけではありません。

以上の二説について、植栽の時期と決定の過程を確かめようとすると、記述の限界が見えてくる。あぜ道や墓地への植栽がいつ一般的になったかを特定できる資料は、今回の調べでは見つかっていない。渡来の時期さえ、東邦大学の解説は稲作と同じころ、国立科学博物館は縄文時代とし、表現が分かれている[2][3]。

鳥取県の自然公園解説は、種で増えないヒガンバナが救荒植物として、あるいは田の畦の強化のために、人の手で日本中に広がったという「説があります」と、真偽を問う形で紹介している[6]。したがって、植栽の目的は定説ではなく、説の段階にある。

資料を場所ごとに並べ直すと、四国地方の食用栽培[3]、あぜの動物避け[4][2]、墓地の遺体・供物の保護[4]と、植える場所ごとに違う目的が挙がっているように見える。目的が場所や時代で違った可能性は考えられるが、資料自体がそう整理しているわけではなく、読み手の解釈にとどまる。

6. ちかくの ヒガンバナは、どんな ところに いる?

6. 近所のヒガンバナは、どんな場所に咲いているか

6. 身近な群落から、二つの説を確かめる視点

見て みよう

ヒガンバナを 見かけたら、まわりを 見て みましょう。たんぼの あぜですか。おはかの そばですか。それとも、公園ですか。どんな ところに ならんで いるか、ノートに かいて みましょう。

たんぼや おはかの そばなら、むかしの 人が うえた ばしょかも しれません。けれども、いまは 公園や 道ばたにも 人が うえて います。「ここは だれが、なんの ために うえたのかな」と 考えると、たのしく なります。

きゅうこんは ほらないでください。どくが あります。見るだけにしましょう。

しりょうを 読むなら

国立科学博物館はくぶつかんの ページ[3]や、国立国会図書館の ページ[5]は、日本語で 読めます。

咲いている場所を見る

ヒガンバナを見かけたら、周りの様子を見てみましょう。あぜ道の脇か、墓地の縁か、公園の花壇か。田んぼやお墓の近くなら動物避けの説、昔の畑や集落の近くなら食料の説を考える手がかりになるかもしれません。ただし、今の場所だけでは植えた目的は分かりません。

ただし、今ある花の場所は、植えた当時の姿とは限りません。観賞用に新しく植えた場所も多いはずです。「ここは誰が、何のために植えたのだろう」と考えながら、場所を書き留めてみましょう。球根には毒があるので、掘ったり口に入れたりしないでください。

資料を読むなら

国立科学博物館の解説[3]と国立国会図書館のレファレンス事例[5]は日本語で読めます。後者には、毒抜きの方法や飢饉の記録のくわしい説明が載っています。

観察の視点

身近なヒガンバナの群落を見るときは、生えている場所に注目するとよい。水田のあぜや墓地の縁なら動物避け説、集落や耕地の近くなら救荒作物説と見比べる手がかりになるかもしれない。ただし、現在の群落が昔の植栽をそのまま残しているとは限らず、観賞のために後から植えられた場所も多い。場所を手がかりに、二つの説と見比べてみよう。球根には毒があるので、掘り出さない。

資料を読むなら

国立科学博物館[3]、国立国会図書館のレファレンス事例[5]、鳥取県の自然公園解説[6]はいずれも日本語で読める。とくに国立国会図書館の事例は、毒抜きの方法や飢饉の記録をたどる入口になる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文で使った資料です。

  1. 浜松緑の協会「ヒガンバナの不思議」. https://www.hama-midorinokyokai.or.jp/zoo/kanazawa/details/hana98.php (3倍体で種ができない/人の手で広がった)
  2. 東京薬科大学「秋を告げる畏れと吉祥の花」. https://cutting-edge-research.toyaku.ac.jp/series/4255/ (動物避け説/渡来の時期)
  3. 国立科学博物館「ヒガンバナ」. https://www.kahaku.go.jp/research/db/botany/wild_p100/autumn/23_higanbana.html (四国地方の食用/渡来の時期)
  4. 深谷市「ヒガンバナあれこれ」. https://www.city.fukaya.saitama.jp/greenkingdom/jyounaiguide/19131.html (毒の性質/あぜと墓地の目的/救荒作物の来歴)
  5. 国立国会図書館レファレンス協同データベース「ヒガンバナには毒があるが、食料にしていたことがあると聞いた」. https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?id=1000331495&page=ref_view (飢饉の記録/毒抜きの方法)
  6. 鳥取県 自然公園解説(ヒガンバナ). https://www.pref.tottori.lg.jp/item/530609.htm (植栽の目的は「説」)

なおした ところ

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