1. 5月5日は、なにを いわう 日だと ほうりつに 書いて ある?
1. 条文の最後に「母に感謝する」が置かれている
1. 祝日法第2条の趣旨 ── 「こどもの人格を重んじ」と「母に感謝する」
1948ねんに「こくみんの 祝日に かんする ほうりつ」が できました。この ほうりつで、5月5日は「こどもの日」と きまりました[1]。
なにを いわう 日なのか、ほうりつには こう 書いて あります。「こどもの じんかくを おもんじ、こどもの こうふくを はかる とともに、母に かんしゃする」[1]。
むずかしい ことばなので、やさしく いいかえます。こどもを ひとりの 人として たいせつに して、しあわせを かんがえる 日。そして、お母さんに ありがとうと 思う 日、という ことです。
ないかくふは、この 日は とくに 次の じだいの 人たちに 大きな きたいを かけて つくった 日で、男の子だけの ための ものでは ない と せつめいして います[2]。
「男の子だけでは ない」と わざわざ いうのは、5月5日が もとは 男の子の 日だったからです。では、むかしの 5月5日は、どんな 日だったのでしょう。
1948年(昭和23年)に国民の祝日に関する法律(祝日法)が公布・施行され、5月5日は「こどもの日」と決まりました[1][3]。法律に書かれた趣旨は、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」です[1]。
人格を重んじるとは、こどもを一人の人間として大切にする、という意味です。その次に「母に感謝する」が置かれているところが、この祝日の特徴です。
内閣府の説明では、こどもの日は、次の時代を担う人たちに大きな期待をかけて設けられた祝日で、男の子だけが対象ではありません[2]。
わざわざ「男の子だけではない」と断るのは、5月5日がもともと男の子の節句だったからです。では、いつ、なぜそうなったのでしょうか。
国民の祝日に関する法律(祝日法)は、1948年(昭和23年)7月20日に公布・施行された[3]。第1条は、美しい風習を育てつつ、よりよき社会とより豊かな生活を築くために、国民こぞって祝い、感謝し、または記念する日を「国民の祝日」とすると定める[1]。その一覧のうち、5月5日の「こどもの日」の趣旨が「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」である[1]。
人格を重んじるとは、こどもを一人の人間として尊重することを指す。注目したいのは、子どもの祝日の趣旨の最後に、母が置かれている点である。内閣府の説明では、こどもの日(成人の日とともに)は特に次の時代の人々に大きな期待をかけて設けられた祝日で、決して男の子だけを対象としたのではない[2]。
この「男の子だけではない」という断り書きは、5月5日が元は別の性格の日だったことを前提にしている。ではその元の姿は、どのようなものだったのか。
2. むかしの 5月5日は、どんな 日だった?
2. 「端午」はもとは月の初めの午の日 ── 宮中の行事から男の子の節句へ
2. 端午の語源と宮中の行事 ── 菖蒲と「尚武」の音の一致が男の子の節句をつくった
5月5日の もとの なまえは「端午の節句」です。「午」は うまの 日の こと。もとは、月の はじめの うまの 日を さした と いわれます[4]。
「五」と「午」は おなじ 音です。そこから、5月5日に さだまって いった と つたえられて います[4]。
はじめは、男の子の 日では ありません。続日本紀と いう 古い 本に、747年、聖武天皇の 行事の きろくが あります。菖蒲という 草の かざりも 出て きます[5]。わるい ものを はらう、おかみの 行事でした。
「菖蒲」は「尚武」と おなじ 読みです。この ことばは、ぶ(たたかう こと)を たっとぶ という いみ。そこで、さむらいの 家で 男の子の 節句として たいせつに されたと いわれます[4]。いつごろ からかは、かまくら時代と いう せつと、江戸時代と いう せつが あります。
江戸時代には、さむらいの 家で 男の子が うまれると、げんかんの まえに 大きな のぼりを 立てて いわいました[4]。では、さむらいでは ない 人たちは、どう したのでしょう。
5月5日の節句を「端午」といいます。「午」は午の日のことで、もとは月の初めの午の日を指し、五月だけの言葉ではなかったと説明されます[4]。「五」と「午」が同じ音であることから、5月5日に定まっていったと伝えられます[4]。
古い端午は、子どもの祝いではなく、宮中の行事でした。『続日本紀』には、天平19年(747年)に聖武天皇が端午の節会を開いた記録があり、菖蒲を使った飾りも登場します[5]。邪気をはらう行事だったと説明されています。
それが男の子の節句に変わっていきます。菖蒲は「尚武」(武を尊ぶこと)と音が通じるため、鎌倉時代以降、武家で男の子の節句として重んじられたとされます[4]。時期は、鎌倉時代からとする説と、江戸の武家社会からとする説があり、資料によって説明が分かれます。
江戸時代になると、五月五日は幕府の式日になりました。武家では男の子が生まれると、玄関前に馬印や幟を立てて祝います[4]。では、武家ではない人たちは、この日をどう祝ったのでしょうか。
端午は、もとは月の初めの午の日を指す言葉で、五月だけのものではなかった。「五」と「午」が同じ音であることから5月5日に定まっていった、と伝えられる[4]。
端午が宮中の行事だったことは、『続日本紀』(しょくにほんぎ)の天平19年(747年)の記事から読める。聖武天皇(しょうむてんのう)の端午の節会(せちえ)の記録で、菖蒲(しょうぶ)を使った飾りの記述もこの時代に見える[5]。当時の端午は邪気をはらう宮中行事で、男の子の祝いとはまだ結びついていない。
男の子の祝いとの結びつきは、音の一致から説明される。菖蒲が「尚武」(しょうぶ、武を尊ぶこと)と同じ音であるため、武家で男の子の節句として重んじられるようになったとされる[4]。ただし時期は、鎌倉時代とする説と江戸の武家社会とする説があり、仮説として扱うのが妥当である。
江戸時代には五月五日が幕府の式日となり、武家に男の子が生まれると、玄関前に馬印や幟を立てて祝った[4]。ここで次の問いが生まれる。幟を立てる祝いが武家のものだったなら、庶民はどうしたのか。
3. 鯉のぼりは、どうして 生まれたの?
3. 武家の幟のかわりに、鯉のぼりが生まれたと考えられている
3. 幟から鯉のぼりへ ── 浮世絵と布令から読む江戸の端午
さむらいの 家では 大きな のぼりを 立てました。でも、まちの 人たちは、のぼりを 立てる ことが ゆるされなかった ため、かわりに「鯉のぼり」が 生まれたと 考えられて います[4]。ただし、これは ひとつの せつめいです。
江戸時代の おわりごろの 絵が のこって います。1838ねんの 本『東都歳時記』では、のぼりが たくさん えがかれ、鯉のぼりは まだ 小さく めだちません[6]。
歌川広重の『名所江戸百景』(1856〜58ねんの れんさく)には、大空を およぐ 大きな 鯉のぼりが えがかれて います。nippon.comの 絵の せつめいでは、鯉のぼりは まちの 人が あげる ものだったと されて います[6]。
ふたつの 絵を くらべると、鯉のぼりが 目立つように なって いった ようすが うかがえます。男の子の 日は、さむらいの 家から、まちの 空にも ひろがって いたのです。
武家に男の子が生まれると玄関前に馬印や幟を立てて祝う習慣が、やがて庶民に広がりました。ところが庶民は幟旗を立てることが許されず、そこで「鯉のぼり」が生まれたと考えられています[4]。これは一つの説明で、成立の事情は資料によって説明が分かれます。
浮世絵にも手がかりがあります。『東都歳時記』(1838年)の挿絵には多くの幟が描かれ、鯉のぼりはまだ小さく目立ちません。歌川広重の『名所江戸百景』(1856〜58年の連作)には、大空を泳ぐ大きな鯉のぼりが描かれ、nippon.comの解説では、鯉のぼりは町人が揚げるものだったとされます[6]。
幕末の1847年(弘化4年)には、幟や菖蒲脇差などの節句の贈り物を控えるよう求める布令が出ています[7]。控えるよう求めるほど、端午に幟を贈る習慣が根づいていたことがうかがえます[7]。
江戸の終わりごろには、男の子の端午は町の空にも広がっていたようです。それが戦後に、男の子のための日から「こどもの日」へ変わります。いつ、どんな話し合いで決まったのでしょうか。
武家の幟から鯉のぼりへ、という流れはよく語られる。鈴月堂の解説では、武家が男の子の誕生を幟や馬印で祝う習慣が庶民に広がったが、庶民は幟旗を立てることが許されず、そこで鯉のぼりが生まれたと考えられている[4]。「考えられている」という書き方のとおり、文書で確定した事実ではなく、説明の一つである。
浮世絵は、時期の手がかりになる。『東都歳時記』(とうとさいじき、1838年)の挿絵には多くの幟が描かれ、鯉のぼりはまだ小さい。これに対し、歌川広重(うたがわひろしげ)の『名所江戸百景』(めいしょえどひゃっけい)は安政3年(1856年)から5年にかけての連作で、大空を泳ぐ大きな鯉のぼりが描かれ、nippon.comの解説では鯉のぼりは町人が揚げるものだったとされる[6]。作品単体の制作年は連作の期間でしか書けない。
端午の習慣が根づいていたことを示す別の手がかりが、1847年(弘化4年)の布令である。幟や菖蒲脇差などの節句の贈答を控えるよう求める内容で、山梨県の伝統産業のページは、端午に幟を贈る習慣が根づいていたことがうかがえると読む[7]。布令が求めたのは贈答の自粛で、鯉のぼりそのものの禁止ではない。
武家と町人の区分や、幟と鯉のぼりの関係は、見方が一つに決まらない。そのうえで言えるのは、江戸の終わりには男の子の端午が町人の暮らしの中にも入っていた、という点である。ではその男の子の祝いは、戦後にどのような過程を経て「こどもの日」に変わったのか。
4. 5月5日は、どうやって きまったの?
4. 5月3日案は憲法記念日に取られ、5月5日が残った
4. 祝日を選ぶ基準と5月3日案 ── 日付と「母に感謝する」の決まり方
1948ねんは、あたらしい 憲法の 考えに あう 日を、しゅくじつに えらぶ ことに なりました。えらぶ ものさしは ふたつ。「あたらしい 憲法の 考えに あって いる こと」と「みんなが すぐに なっとくして、さんか できる こと」です[3]。
国会では、なんども はなしあいが ひらかれました。国は、新聞や ラジオでも みんなの 意見を もとめて います[3]。
日づけには、ひな祭りの 3月3日と 5月5日を あわせて、5月3日に する かんがえも ありました。でも 5月3日は 憲法記念日に なったので、きせつの よい 5月5日に なりました[2]。
「母に かんしゃする」は、3月3日を こどもの日に、という 意見も 出る なかで、ふたつの 節句の いみを 入れる かたちで くわわった と せつめいする 本が あります。ただ、インターネットの ひゃっかじてんの せつめいで、国会の きろくの ことばそのものでは ありません[10]。
祝日をえらぶ2つの基準
祝日法を作るとき、衆議院の文化委員長は基準として「新憲法の趣旨に副うべきこと」「国民大衆をあげて容易に納得し、参加し得べきもの」の2つを示しました[3]。衆議院では委員会12回、打合会9回、参議院との合同打合会4回が開かれ、政府も新聞やラジオで意見を求めています[3]。
5月3日案と5月5日
日付には、ひな祭りの3月3日と端午の節句を合わせて5月3日にする案もありました。ところが5月3日は憲法記念日になったため、季節のよい5月5日になった、と内閣府は説明しています[2]。「合わせて5月3日」はあくまで案の一つで、別の祝日と日付がぶつかった結果、5月5日に落ち着いたことになります。
「母に感謝する」が入った経緯
女性議員などから、3月3日の桃の節句をこどもの日にすべきだという意見も出るなか、両方の節句の意義を含める形で母への感謝の一文が加えられた、と説明されることがあります[10]。これは二次資料による説明で、経緯の一つとして紹介します。
もしこの説明のとおりなら、男の子の節句だった5月5日は、桃の節句の意義も含める形で、こどもみんなと母の日として整えられたことになります。
日付と趣旨は、祝日法の審議の中で決まった。基準として衆議院文化委員長が示したのは「新憲法の趣旨に副うべきこと」「国民大衆をあげて容易に納得し、参加し得べきもの」の2つで、衆議院では委員会12回・打合会9回・参議院との合同打合会4回が重ねられ、政府も新聞・ラジオで意見を求めた[3]。
日付について、ひな祭りと端午の節句を合わせて5月3日とする案もあったが、5月3日が憲法記念日になったため、季節のよい5月5日になった[2]。「合わせて5月3日」はあくまで案の一つで、決定理由を一つに単純化してはいけない。内閣府の要約が挙げるのは、憲法記念日との関係と季節のよさにとどまる。
母への感謝は、さらに別の問いである。二次資料の説明では、3月3日の桃の節句をこどもの日にとの意見も出るなか、両方の節句の意義を含める形で一文が加わったとされる[10]。ただしこれは百科事典の説明で、議員の発言原文ではない。誰のどの発言で、どう議論されたかは、この記事の最後の章で原典のたどり方を示す。
この説明が正しければ、「母に感謝する」は、こどもの日をこどもだけのものにしなかった一文として読める。ただし条文そのものは、母を入れた狙いを説明していない。次の問いは、祝日になったあとも、5月5日の姿が変わり続けたのかである。
5. 鯉のぼりの かぞくは、むかしから 3びきだった?
5. 鯉のぼりは1匹から3匹へ ── nippon.comの解説が語る家族の姿の変化
5. 鯉のぼりの構成の変化 ── nippon.comの解説にみる1匹、父と子の2匹、そして3匹
nippon.comの 解説では、鯉のぼりは、はじめは 黒い 鯉が 1ぴき だけでした[8]。
明治の おわりごろから 大正に かけて、黒い 鯉と 赤い 鯉の 2ひきを ひとくみと して あげる ように なりました。父と 子を あらわすと いわれます[8]。
1970ねんだいの ころには、3びきの かたちが ふつうに なりました。赤い 鯉は お母さん、青い 小さな 鯉は 子と される ように なったと いいます[8]。かぞくの 考えかたが かわった ことや、つくる 会社の うりかたも かんけいした と されます[8]。
1ぴきから 3びきへ。5月5日の 空を およぐ かぞくは、じだいで ふえて きました。ただし 1970ねんだいは めやすです。いまの かぞくは、いろいろな かたちが あります。
5月に 近所で 鯉のぼりを 見かけたら、なんびき およいで いるか、数えて みても おもしろいでしょう。
nippon.comの解説では、鯉のぼりは、はじめは真鯉(黒)が1匹でした。明治の後期から大正にかけて、真鯉と緋鯉(赤)の2匹を一対として揚げるようになり、父と子を表したとされます[8]。
1970年代ごろには3匹の構成が一般化しました。緋鯉は母、青い小さな鯉は子とされるようになった、という説明です[8]。背景には家族観の変化やメーカーの販売戦略があったとされます[8]。
鯉のぼりに母が加わった時期と、条文に「母に感謝する」が入った時期は、20年以上のへだたりがあります。資料は、この二つの関係を述べていないので、つながりがあるとは書けません。ただ、母がこどもの祝いの場面に入ってくる流れは、どちらにも見えます。
「1970年代ごろ」は目安で、鯉のぼりの数は、家や地域によってさまざまです。5月に近所で鯉のぼりを見かけたら、何匹かを見るだけで、1匹・2匹・3匹の歴史のどこに近い形かが分かります。
鯉のぼりの構成は、時代とともに変わった。nippon.comの解説によれば、当初は真鯉(黒)1匹だった。明治後期から大正にかけて、真鯉と緋鯉(赤)の2匹を一対として揚げるようになり、父と子を表したとされる。1970年代ごろには、家族観の変化やメーカーの販売戦略により3匹構成が一般化し、緋鯉は母、青い小さな鯉は子とされるようになった[8]。
ここで、条文の「母に感謝する」(1948年)と、鯉のぼりに母の緋鯉が加わる時期(1970年代ごろ)とを並べたくなる。しかし資料は両者の関係を述べておらず、前者が後者を生んだとは書けない。二つは別々の出来事として読むのが妥当である。
そのうえで、共通点も見える。男の子の節句だった5月5日を、家族の姿の変化に合わせて受け止め直す動きは、法律の条文でも、庭先の鯉のぼりでも起きている。「1970年代ごろ」は1件の資料に基づく目安である。5月に鯉のぼりを見かけたら、1匹・2匹・3匹のどの形に近いかを見るだけで、この歴史に触れられる。
6. 5月5日の あとの 1しゅうかんは、なんの 週?
6. 柏餅と、5月11日までの児童福祉週間
6. 行事食の柏餅と児童福祉週間 ── 5月5日の「その後」と暮らし
5月5日の おやつと いえば、柏餅です。柏の 木は、新しい めが 出る まで ふるい 葉が おちません。そこから、家が つづく ことを ねがう えんぎものと して たべられる ように なったと いわれます[9]。
こどもの日から 5月11日までの 1しゅうかんは、児童福祉週間です。こどもや かてい、こどもの すこやかな せいちょうに ついて、国ぜんたいで かんがえる ための 週と、厚生労働省が きめて います[11]。
こどもの日は、1日だけで おわりません。つづく 1しゅうかん、みんなで こどもの ことを かんがえる じかんと なって います。
5月5日の食べものといえば柏餅です。民間の解説では、柏は新芽が出るまで古い葉が落ちないことから、家系が絶えない縁起と結びついたといわれます[9]。江戸で生まれた日本独特の行事食とされ、宝暦年間(1751〜64年)に登場したとの説明もありますが、時期や由来は民間の解説にとどまります[9]。
こどもの日から5月11日までの1週間は、厚生労働省が定める児童福祉週間です。目的は、こどもや家庭、こどもの健やかな成長について国民全体で考えることとされています[11]。
柏餅は、江戸で生まれた日本独特の行事食とされる。柏は新芽が出るまで古い葉が落ちない性質があることから、家系が絶えない縁起と結びついた。宝暦年間(1751〜64年)に登場したとの説明もある[9]。ただし出典は民間の解説で、時期・由来とも「といわれる」にとどまる。
こどもの日から5月11日までの1週間は、厚生労働省が毎年定める児童福祉週間である。こどもや家庭、こどもの健やかな成長について、国民全体で考えることが目的とされている[11]。
一方、「母に感謝する」を含む祝日法の趣旨は、5月5日という1日の趣旨である。児童福祉週間は、その日から1週間をかけて、こどもと家庭について社会全体で考えるための期間として国が定めている。
7. ほかの しゅくじつは、なにを いわう 日?
7. ほかの祝日の趣旨を読み比べて、「祝う」「感謝」「記念」に分けてみる
7. 祝日の趣旨を一次資料で読み比べる ── 残る問いと、原典のたどり方
こどもの日の「母に かんしゃする」は、ほうりつの 一ぶんです。ほうりつの 第1じょうは、しゅくじつを 「いわい、かんしゃし、または きねんする 日」と して います[1]。
ないかくふの ページには、しゅくじつごとの しゅしが ならんで います[1]。カレンダーで 気に なる 休みの 日を ひとつ えらんで、「いわう」「かんしゃ」「きねん」の どれに にて いるか、さがして みましょう。
こどもの日は、どれと どれが まざって いるでしょう。
祝日法の第1条は、祝日を「国民こぞって祝い、感謝し、または記念する日」と定めています[1]。内閣府の「国民の祝日について」のページには、祝日ごとの趣旨が一覧で載っています[1]。
家のカレンダーに載っている祝日を3つ選び、名前から、その日が「祝う」「感謝する」「記念する」のどれにいちばん近いかを、自分の言葉で予想して分けてみましょう。そのあと内閣府の一覧の趣旨と読み比べると、ずれたところが見つかります。
こどもの日の趣旨は、子どもの幸福を考える部分と、母への感謝の部分が一つの文に入っていて、一つに分けにくいかもしれません。そこに、この祝日の成り立ちが映っています。
この記事で言えるのは、5月5日が武家の男の子の節句から、1948年の祝日法で「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」日になった、という大きな流れである。一方、母への一文がどの発言から加わったかは、二次資料の説明にとどまる。
確かめる道すじは二つある。第一に、内閣府の「国民の祝日について」[1]で各祝日の趣旨を読む。まず家のカレンダーの祝日名から、第1条の「祝い、感謝し、または記念する」のどれに近いかを予想して分け、そのあと趣旨と照らす。条文の言葉と自分の予想がずれる祝日を見つけると面白い。
第二に、内閣府の祝日法制定の経緯のページ[3]を足がかりに、さらに調べたくなったら、1948年の国会会議録(国立国会図書館の会議録検索)で「母に感謝する」を加えた発言の原文を探す方法がある。二次資料の説明が原文と合っているかを自分で比べられる。鯉のぼりの1匹・2匹・3匹も、nippon.com の1件の資料[8]が示す目安なので、他の資料と比べる余地が残っている。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
出典について:内閣府と厚生労働省の公的資料を軸に、端午の節句や鯉のぼりについては民間の解説や記事を補助に使った。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。
- 内閣府「国民の祝日について」。https://www8.cao.go.jp/chosei/shukujitsu/gaiyou.html (祝日法の趣旨とこどもの日の趣旨、第1条について)
- 内閣府「各『国民の祝日』について」。https://www8.cao.go.jp/chosei/shukujitsu/gaiyou/kaku.html (こどもの日の趣旨と、5月3日案・5月5日になった経緯について)
- 内閣府「祝日法制定の経緯」。https://www8.cao.go.jp/chosei/shukujitsu/gaiyou/kaku/keii.html (公布・施行の日付、祝日を選ぶ基準と審議の回数について)
- 鈴月堂「端午の節句の由来」。https://www.seigetsudo-honten.co.jp/park/noshiinfo/tangonosekku (端午の語源、菖蒲と尚武、幟と鯉のぼりについて。菓子店の解説で、公的機関の資料による裏づけは未照合)
- Wikipedia「端午」。https://ja.wikipedia.org/wiki/端午 (続日本紀にある747年の端午節会について。続日本紀を典拠とする百科事典の記述で、原文そのものは未照合)
- nippon.com「名所江戸百景(水道橋駿河台)」。http://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu004006/ (浮世絵に描かれた幟と鯉のぼりについて)
- 山梨県「伝統産業(鯉のぼり・五月幟)」。https://www.pref.yamanashi.jp/shouko/kogyo/densan/nobori_01.html (1847年の布令について)
- nippon.com「Japan Data こいのぼり」。https://www.nippon.com/ja/japan-data/h02403/ (鯉のぼりの色と匹数の変化について)
- HugKum「柏餅」の解説。https://hugkum.sho.jp/122368 (柏餅の由来について。民間の解説)
- Wikipedia「こどもの日」。https://ja.wikipedia.org/wiki/こどもの日 (「母に感謝する」が加わった経緯の説明について。百科事典の記述で、国会会議録の発言原文は未照合)
- 厚生労働省「児童福祉週間」。https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/jidouweek (児童福祉週間の期間と目的について)
なおした ところ
更新履歴
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