1. 机は もともと、ごはんの だいだった?
1. 平安の物語では、机は「食べる台」だった
1. 語源の一説は「坏居え」── 机はまず食卓だった
むかしの ものがたりに、「つくゑたてて ものくふ」と いう ことばが あります[1]。ごはんを たべる とき、つくえを つかった ようすです。
「つくえ」の もとの ことばは、「つきうえ」と いわれます[1]。たべものを いれた 器を のせる だいの ことです。
いまの 学校の つくえとは、ずいぶん ちがいますね。では、ものを かく ための つくえは、いつ あらわれたのでしょう。
『宇津保物語』(970〜999年ごろ)には、「つくゑたてて物食ふ」という言い回しがあります。食事に机を使った例として、事典にあげられています[1]。今の私たちが思う「勉強の机」とは、だいぶちがう使い方です。
言葉のもとをたどると、「つくえ」は「坏居え」が語源とされ、食物を入れた器をのせる食卓を指しました[1]。
机は、はじめから書く道具だったわけではありません。では、書くための机はいつ現れたのでしょうか。
『宇津保物語』(970〜999年ごろ)に「つくゑたてて物食ふ」という用例があるように、机は食事の台としても使われた。語源の一説は「坏居え」で、もとは食物を入れた器(坏)をのせる食卓を指した[1]。
つまり、机という語の最初の意味は「ものをのせる台」で、書く行為とは結びついていなかった。では、筆記用の机はいつ現れたのか。この問いが、次の章の中心になる。
2. かく ための 机は、いつ あらわれたの?
2. 書くための机は、奈良時代の寺に現れた
2. 筆記用の机は奈良時代 ── ただし家庭の机とは限らない
こたえの ひとつは、奈良時代です。かく ための つくえは、このころ おきょうを よむ ための つくえ(経机)が つくられて、あらわれたと いわれます[1]。
ただし、これは おてらなどで つかう つくえが、中心だったようです。ふつうの 人の いえに あった とは、かぎりません。
その あとも、つくえは ながく、たべる ための だいと、かく ための だいの、りょうほうの いみを もって いました[1]。
いえで つかう つくえは、どんな すがたに なったのでしょう。
3. すわって つかう文机って、どんな つくえ?
3. 床に座って使う「文机」が、書く机の主役になった
3. 文机は床に座って使う机 ── 「机といえば文机」への変化
『枕草子』という 本に、「ふづくゑに おしかかりて 本を みる」という ところが あります[2]。文机に よりかかって、本を よむ すがたです。
文机は、かいたり、よんだり する ための、日本の つくえです。ゆかに すわって つかう 高さに できて います[2]。
のちの 日本では、「つくえ」と いえば、ほとんど 文机の ことに なりました[1]。
さて、つくえは、もちはこべる だい だけだったのでしょうか。
平安時代の『枕草子』には、「ふづくゑにおしかかりて書などをぞ見る」という場面があります。文机に寄りかかって、書き物を見ているのです[2]。もとの形は「ふみづくえ」といいます[2]。
文机は、書き物や読書に使う和風の机で、ふつうは床に座って使う高さです[2]。立ったまま使うのではなく、座って、体の前に置いて使う机です。
のちには、日本で机といえばもっぱら文机を指すようになったと、事典には書かれています[1]。食卓の意味が薄れ、書く机が机の代表になっていったわけです。
文机(ふづくえ)は「ふみづくえ」が変化した語で、書き物や読書に使う和風の机をいう。ふつうは床に座って使う高さで[2]、用例に『枕草子』の「ふづくゑにおしかかりて書などをぞ見る」がある[2]。
この語の移り変わりは、机が「食べる台」から「書き物をする台」へ、意味の重心を移したことを示唆する。実際、近代以降、日本では机といえばもっぱら文机を指すようになった[1]。
ただし、ここでも資料が語るのは言葉と用例で、庶民の家にどれだけ普及していたかではない。西洋の机は中世僧院の写字台が起源とされる、との記述もあるが[1]、今回は日本の机の話にとどめる。さて、机は持ち運ぶ家具から、部屋の一部にもなっていく。
4. つくえが、へやの 一ぶに なった?
4. 机が部屋にくっついた ── 出文机から付書院へ
4. 造り付けの机 ── 出文机・付書院・書院造
室町時代には、たてものに くっついた つくえが あらわれました。出文机と いいます[1]。
これは、のちに 付書院と いう つくりに なったと いわれます[1]。
むかしの おやしきの へやには、まどの そばに 本を みる ための でっぱりが ありました。この でっぱりを「しょいん」と いい、もとは、えんがわに はり出した、本を みる ための ちいさな へやの ことです[3]。
いちばん ふるい れいは、慈照寺東求堂の 同仁斎です[3]。
では、ふつうの 子どもは、どこで べんきょうを して いたのでしょう。
室町時代になると、持ち運ぶ机のほかに、建物に造り付けた出文机が現れます。これがのちに付書院へ発展したとされます[1]。机が、部屋の一部になったのです。
付書院が使われた書院造は、室町中期に起こり、桃山時代に完成した武家住宅の様式です。最古の遺構とされる慈照寺東求堂の同仁斎には、北側に一間の付書院と、違い棚が造り付けてあります[3]。
「書院」の元の意味は、縁側に張り出した、書物を見るための小さな部屋でした[3]。書くことや読むことが、部屋の中に居場所を持つようになった例です。ただし、これは武家の住宅の話で、庶民の家の机の話ではありません。
室町時代には、建物に造り付けた出文机が現れ、のちの付書院へ発展したとされる[1]。持ち運ぶ机が、部屋の構造の一部へ組みこまれたわけだ。
付書院が見られる書院造は、室町中期に起こり桃山時代に完成した武家住宅の様式で、現存する最古の遺構が慈照寺東求堂の同仁斎である。同仁斎では、北面に一間の付書院と間半の違棚が造り付けてある[3]。書院の元の意味は、縁側に張り出した書物を見るための小室だった[3]。
注意点がある。「出文机から付書院へ」という流れは「机」の項に書かれた説で、書院造の解説は両者の直接の関係までは述べていない。また、これは武家住宅の例であり、一般の家庭とは切り分けて読む必要がある。では、庶民の子どもの学びの場には、どんな机があったのか。
5. てらこやの 子どもは、どんな つくえで まなんだ?
5. 寺子屋の子どもは、どんな机で学んだのか
5. 寺子屋の机 ── 親の代わりに教える場と、使いこまれた文机
江戸時代には、寺子屋が ふえました。いそがしい おやに かわって、子どもに 読み書きを おしえる ところです[5]。
そこで つかわれた つくえは、文机の ことで、「寺子屋つくえ」「天神つくえ」とも よばれたと いいます。ゆかに すわって つかいます[4]。
もりおかしの しりょうでは、実物の つくえに、すみの あとや きずが たくさん のこって いると しょうかい して います[4]。子どもたちが つかいこんだ あとでしょう。
では、いえに 子どもの ための つくえが ふえたのは、いつごろでしょう。
6. いえに 子どもの 学習机が ふえたのは、いつ?
6. 家庭向けの学習机が売り出されたのは、1962年
6. 1962年の学習机 ── メーカーが家庭向けに売り出した
いえで つかう 学習机を うり出したのは、1962ねんの ことです。イトーキと いう 会社が、スチールの つくえを つくって、うりました[6]。
この 会社は、「日本で はじめて」と いって います。いま(2026ねん)から かぞえて、64ねん まえです。
そのあと、「ジュニアデスク」なども くわわった、と この 会社は せつめい して います[6]。
かぐの おみせの ブログには、りんごの はこで べんきょうする ことも あった、という はなしが あります[7]。ただし、かならずしも ただしいと は いえません。
なんねんに なんわりの いえに あったかは、わかって いません。
イトーキ(当時は伊藤喜工作所)は、1962年に一般家庭向けの「スチール製学習机」を製造・販売しました。同社はこれを日本初としています[6]。2026年から数えると、64年前のことです。その後に「ジュニアデスク」なども加わったと、同社は説明しています[6]。
2022年には、60周年を記念して、2月9日が「学習机の日」とされました[6]。
それ以前の様子を伝える話もあります。家具店のブログには、昭和30年代ごろから木製の平机が広まりはじめ、それまではりんご箱で勉強するのも当たり前だったようだ、とあります[7]。ただし、これは公的な統計ではなく、一つの店の記述なので、そんな話もある、という程度に読みます。
「何年に何割の家に子どもの机があったか」は、今回の資料からは分かりません。古代の食卓から出発した机が、家庭の子どもの机になるまでの道は、まだ全部が見えているわけではないのです。
家庭向けの学習机については、イトーキ(当時は伊藤喜工作所)が1962年に一般家庭向けの「スチール製学習机」を製造・販売したと発表している。同社は日本初としているが、これは同社の発表であり、第三者の資料で裏づけられた話ではない[6]。その後「ジュニアデスク」などが加わったと、同社は説明している。2022年には60周年にあたり、2月9日を「学習机の日」とした(日本記念日協会が認定)[6]。2026年からは64年前に当たる。
それ以前の状況については、家具店のブログが、昭和30年代ごろから木製の平机が広まりはじめ、リンゴ箱で勉強するのも当たり前だったようだと述べている[7]。ただしこれは個人店の記述にすぎない。公的統計ではないので、断定の根拠にはできない。
結局、言えることは次のとおりだ。書く机は奈良時代の寺に現れ、座って使う文机が後の日本で机の代表的な形になり、寺子屋で子どもが使い、家庭向けの学習机は1962年に売り出された。一方、「いつ何割の家に子どもの机があったか」の公的な数字は、今回の資料にはない。
7. うちの 机の 高さを、はかって みよう
7. 家の机と、座って使う文机を見くらべる
7. 家の机の高さから、座って使う机を考える
いえに ある つくえや、ごはんを たべる テーブルを、ひもで はかって みましょう。ひもを ゆかから てんばんまで あてて、しるしを つけます。そのあと、ゆかに すわって、ひもを ひざの そばに あてて みましょう。
すわって つかう 文机は、ゆかに すわって つかう 高さと いわれます[2]。うちの つくえと くらべると、なにが ちがうでしょう。
もっと しりたく なったら、『枕草子』の「ふづくゑ」の ところを さがして、よんで みましょう。
今日できること
家の学習机の前で、いすに座ってみます。次に、床に座って、同じ机の天板が体のどのあたりに来るかを見比べます。文机は床に座って使う高さの机です[2]。座って使う机と、いすに座って使う机とで、天板の位置はどうちがうでしょうか。
出かけてできること
地元の資料館で、寺子屋の机や昔の暮らしの道具が展示されていないか、案内を見てみましょう。盛岡市の資料のように、使いこまれた実物を紹介している自治体もあります[4]。
もっと知りたくなったら
『枕草子』の「ふづくゑ」の場面や、家庭向け学習机の売り出しを伝える、メーカーの発表の紹介記事を、出典欄から読めます。
家の机について、いすに座ったときと床に座ったときで、天板が体のどの位置に来るかを見比べるとよい。文机は床に座って使う高さの机とされ[2]、いすに座って使う机とは、天板と体の位置の関係がちがう。
調べを広げるなら、一次資料として『枕草子』の「ふづくゑ」の場面を探せる。家庭向け学習机は、メーカーの発表を紹介する記事(出典[6])で読めるが、日本初という主張は同社の発表にとどまる。庶民の家の机の普及は、公的統計や一次資料を別に探す余地が残っている。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
机の語源・奈良時代の筆記机・文机は事典(コトバンク)、寺子屋は自治体と育児情報サイト、学習机はメーカー発表の紹介と家具店ブログを使った。ブログは公的統計ではない。
- コトバンク「机」(日本大百科全書ほか) https://kotobank.jp/word/机 (語源・奈良時代・食卓の用例)
- コトバンク「文机」(デジタル大辞泉ほか) https://kotobank.jp/word/文机 (文机の意味・初出例・座る高さ)
- コトバンク「書院造り」 https://kotobank.jp/word/書院造り-291732 (書院造・付書院・同仁斎)
- 盛岡市「歴民だより78」 https://www.city.morioka.iwate.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/000/860/rekimindayori78.pdf (寺子屋の文机の実物)
- HugKum「寺子屋」の解説 https://hugkum.sho.jp/446424 (寺子屋の広がり)
- 雑学ネタ帳「学習机の日」(イトーキの発表の紹介) https://zatsuneta.com/archives/10209a5.html (1962年の学習机・学習机の日)
- 松葉屋家具ブログ「一生使える学習机」 https://matubaya-kagu.com/blog/archives/5363 (昭和30年代の平机・りんご箱の話。参考程度)
なおした ところ
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