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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

一本の つり竿さおは、なぜ いろんな 竹を つないで つくるの?

一本の釣り竿は、何本もの竹でできている ── 江戸の釣り人と、竹を火で真っすぐにする職人

江戸和竿は、種類の異なる竹を継いで作る ── 火入れ・矯め・漆の手仕事

分野:歴史・文化

江戸えどわ竿さおという つり竿さおは、一本に 見えて、じつは 何本もの 竹を つないで できて います。竹の しゅるいも、ぜんぶ ちがうのです[1]。

つなぎ目が あるのに、どうして ぐらぐらしないのでしょう。江戸えどの 人は、この 竿さおで なにを つって いたのでしょう。この 記事では、その ひみつが 分かります。

江戸和竿は、一本に見えて、じつは何本かの竹を継ぎ合わせた釣り竿です。しかも継ぐ竹は、布袋竹や矢竹など、種類のちがうものが使われます[1]。

つなぎ目があるのに、なぜガタつかず、全体がよくしなるのでしょうか。そもそも江戸の人は、なぜそんな竿を作ったのでしょうか。この記事では、江戸の釣り人の楽しみと、竹を火であぶって真っすぐにする職人の技、継ぎ目の工夫が分かります。

江戸和竿は「継竿」といい、布袋竹・矢竹・淡竹・真竹など、種類の異なる竹を継いで一本にする[1]。継ぎ目を持つ竿が、なぜ全体でなめらかにしなるのか。そして、なぜ江戸でこれほど多様な竿が作られたのか。

このメモでは、釣りが遊びとして広がった背景、火入れと矯めという工程、継ぎ口・絹糸・漆の役割が分かる。東京都の資料を軸に、複数の資料で突き合わせた。

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1. どうして 竹を つなぐの?

1. 江戸和竿は、種類のちがう竹を継ぐ

1. 江戸和竿は、4種類の竹を継いで作る

つり竿さおを 見て ください。先の ほうは 細くて、元の ほうは 太い ことが 多いですね。江戸えどわ竿さおは、この 一本が、ちがう 竹を つないで できて います[1]。

つかう 竹は、布袋竹ほていちく、矢竹やだけ、淡竹はちく、真竹まだけなどです。みんな 竹ですが、すこしずつ ちがう 竹なのです[1]。

こういう 竿さおを、継竿つぎざおと いいます。つなぎ目を ぴったり あわせる くふうは、あとで 見て いきます。

一本の竿が、ちがう竹の集まり

東京都の伝統工芸品のページによると、江戸和竿は、何本かの異なる竹を継ぎ合わせて一本の釣り竿にする「継竿(つぎざお)」です。使われる竹として、布袋竹ほていちく、矢竹やだけ、淡竹はちく、真竹まだけなどがあげられています[1]。

同じ竹を切って継ぐのではなく、種類のちがう竹を組み合わせる点が、まず目を引きます。つなぎ目をどう仕上げるかは、4つめの章で見ます。

江戸和竿は継竿で、何本かの異なる竹を継ぎ合わせて一本の竿にする。東京都の伝統工芸品の紹介は、使う竹として布袋竹(ほていちく)・矢竹(やだけ)・淡竹(はちく)・真竹(まだけ)を挙げる[1]。

継竿そのものの起源は京都で、江戸での製造は享保年間(1718〜35年)に始まったと考えられている[1]。「考えられている」。

2. 江戸えどの 人は、竿さおで なにを して あそんで いたの?

2. 江戸で広がった、遊びの釣り

2. 江戸で釣りが広まり、魚に合わせた竿が作られた

江戸えどの 町では、むかし、へいわな 時代が つづきました。そのなかで、おさむらいさんや お金もちの 町の 人たちが、つりを あそびとして たのしむように なったと いわれます[3]。

あそびなので、えものに あわせて えらびたく なります。江戸えどわ竿さおは、江戸えどの ちかくで つれる いろいろな 魚に あわせて、たくさんの しゅるいが 作られました。魚や つり方に あわせて、竿さおの しゅるいを えらべました。鮒ふなや タナゴの ような 小さな 魚の ための 小さな 竿さおも あります[2]。

いまで いえば、スポーツで きょうぎごとに ちがう どうぐを つかうのと にて います。ただし ほんとうは、竿さおの しゅるいは もっと たくさん あります。

太平の世と、釣りの流行

神奈川新聞の記事は、江戸和竿が、戦のない世で武士や裕福な町人のあいだに釣りが遊びとして広がるなかで生まれたと説明しています。同じ記事では、横浜の竿は漁師が大きな魚を釣るために考えた実用向けで、江戸和竿は「遊び」向けという対比も紹介されています[3]。ただしこれは新聞記事の説明で、すべての竿に当てはまるとは限りません。

魚ごと、釣り方ごとの竿

Wikipediaは、江戸和竿の最大の特徴を多様性だと紹介しています。江戸の周辺で釣れる多くの魚と釣り方に合わせて、いろいろな竿が作られました。小継竿という、フナやタナゴなど小さな魚向けの竿もその一例とされます[2]。

江戸時代の釣りの本として知られる『何羨録』(1723年)にも、すでに継竿の選び方の記述があると、Wikipediaは紹介しています[2]。

江戸和竿は、太平の世に武士や裕福な町人のあいだで釣りが遊びとして広まるなかで生まれた、と神奈川新聞は説明する。同じ記事は、横浜竿を漁師が大物釣り用に考案した実用向けとして対比するが、これは一つの記事の説明で、一般化はできない[3]。

Wikipediaは、江戸和竿の最大の特徴を多様性とし、江戸周辺で釣れる多くの魚種・釣法に合わせた竿が作り分けられたと紹介する。小継竿(こつぎざお)はフナ・タナゴなど小魚用の例とされる[2]。遊びの釣りだからこそ、獲物と釣り方ごとに竿を選ぶ楽しみが成り立った、とも読める。

1723年(享保8年)の日本初の釣りの解説書『何羨録』(かせんろく、津軽采女=つがる うねめ)には、すでに継竿の選び方の記述があると、Wikipediaは紹介している[2]。

3. まがった 竹を、どうやって まっすぐに するの?

3. 曲がった竹を、火であぶって真っすぐにする

3. 火入れと矯めで、曲がった竹を真っすぐにする

竹は、まがって いる ものが 多いです。竿さおに する ためには、まっすぐに しなければ なりません。そこで つかうのが、火です。

竹を 火に とおして、あぶります。これを火入れひいれと いいます。火を とおしながら、竹の 油を ぬきます[1]。

そのあと、矯め木ためぎと いう どうぐで、まっすぐに なおします。この 作業は、弓矢ゆみやづくりの わざが もとに あると いわれます[1]。

ある 竿師さおしの 人は、矯ためと 火入れを 身に つけるには、10年は かかると 話して います[3]。

火にくぐらせ、矯め木でのばす

東京都のページによると、竹は火を通しながら油を抜き、矯め木を使って真っすぐにします[1]。この「火入れ」と「矯め」は、和竿づくりの大事な作業で、弓矢づくりの技が土台にあるといわれます[1][3]。

身につけるには10年

神奈川新聞が紹介する竿師の汐よしさんは、矯めと火入れが大事な作業で、身につけるには10年はかかると語っています[3]。一人の職人の言葉で、すべての職人に当てはまるとはいえませんが、手の感覚をみがく仕事であることが伝わります。

竹を乾かす時間

竹は、削って油を抜き、乾燥させてから使います。乾燥の期間は、数年かけると説明する資料もあれば、天日で1〜3か月とする説明もあり、工程のどの段階の話かで異なるようです[4]。

曲がった竹を、どうやって真っすぐにするのか。東京都の紹介では、竹に火をとおしながら油抜きをし、矯め木(ためぎ)で真直ぐにする[1]。火入れ(ひいれ)は竹に火を通して油を抜く工程、矯めは矯め木で曲がりを直す工程である。どちらも和竿づくりの大事な作業で、弓矢づくりの技が土台にあるとされる[1][3]。

竿師の汐よしさんは、この矯めと火入れが大事で、身につけるには10年はかかると語る[3]。これは一人の職人の談話であり、すべての竿師に当てはまる数字ではない。

乾燥の期間は、資料によって「数年」と「天日で1〜3か月」と説明が分かれる[4]。

4. つなぎ目は、どうして ぐらぐら しないの?

4. つなぎ目をガタつかせず、竿をよくしならせる工夫

4. 継ぎ口・絹糸・漆 ── 継ぎ目を補強する三つの手仕事

えんぴつを 2本 つないで もつと、つなぎ目だけ カクッと まがりますね。竿さおは、そう なっては こまります。

そこで、つなぎ目の ところを とても ていねいに あわせます。ガタつかず、竿さおぜんたいが よく しなるようにする ためです[4]。

つなぎ目には、絹糸きぬいとを まいて、漆うるしを ぬります。こうすると、つなぎ目が 強く なって、われにくく なります[4]。

この つり竿さおでは、絹糸きぬいとを まき、本物の 木の しるから とった 漆うるしを ぬる ことが、むかしから つかわれて きた ざいりょうと して、東京都の しりょうに のって います[1]。

精密に合わせる継ぎ口

継ぎ口は、竿がガタつかず、全体がよくしなるように精密に合わせます。伝統工芸 青山スクエアの紹介は、これを竿の柔軟性を保つために欠かせない技としています[4]。

絹糸と漆で包む

継ぎ口には糸を巻き、漆を塗って補強し、割れを防ぎます[4]。東京都のページによると、すげ口の糸は絹糸、漆は天然漆と、伝統的に使われてきた原材料として示されています。漆はこして不純物をのぞき、拭き漆という塗り方で仕上げます[1]。

継竿の弱点は、継ぎ目にある。継ぎ口は、竿がガタつかず、全体がよくしなるように精密に合わせる必要があるとされる[4]。

そのうえで、継ぎ口に絹糸を巻き、漆を塗って補強し、割れを防ぐ[4]。東京都の紹介によれば、すげ口に使う糸は絹糸、漆は天然漆と、伝統的に使用されてきた原材料として示され、漆はこして不純物を除いたうえで拭き漆で塗る[1]。

この三つは別々の工夫ではなく、継ぎ目で竿が折れず、しなりを保つために組み合わされた手仕事と読める。

5. 竿さおづくりの 名人は、いま どうして いるの?

5. 名門の系統と、受けつがれてきた竿

5. 泰地屋東作の系譜と、指定・技の継承

江戸えどの 上野に、天明8年(1788年)に はじまったと される 竿さおの 店が あります。名前は、泰地屋東作たいちやとうさく。いまの 職人しょくにんさんの 多くは、この 店に つながると いわれます[1]。

江戸えど時代には、大名が 竿さおの かざりを きそったと いわれます。竿さおは、道具ではなく 美しい 作品の ような ものに なりました[4]。

江戸えどわ竿さおは、1984年に 東京都の、1991年に 国の でんとうこうげい品に 指定されました[2]。いまでは、グラスファイバーや カーボンの 竿さおが ふえて、わざが なくなる ことを しんぱいする 声も あります[4]。

上野で始まった名門

東京都のページは、天明8年(1788年)に上野の広徳寺前で創業したとされる泰地屋東作に、江戸和竿づくりが負うところが大きいと述べます。今の職人の多くが、その系統にたどり着くとされます[1]。創業年には1778年や1783年とする文献もあり、1788年は現在の通説です。

飾りを競った大名、そして指定

伝統工芸 青山スクエアの紹介では、江戸時代には大名が仕上げの飾りを競い、竿は美術工芸のような域に達したとされます[4]。江戸和竿は、1984年に東京都の伝統工芸品、1991年に当時の通商産業省から国の伝統的工芸品に指定されました[2]。

いっぽう、グラスファイバーやカーボンの竿が現れて需要が減り、後継者不足から技の喪失が心配されているとも伝えられます[4]。

現在の江戸和竿の職人の多くは、天明8年(1788)に上野広徳寺前で創業したとされる泰地屋東作(たいちや とうさく)の系統にたどり着くと、東京都の紹介は述べる[1]。創業年には1778年・1783年とする文献もあり、1788年は現在の通説にあたる。

江戸時代には大名が仕上げの飾りを競い、竿は美術工芸の域に達したとされる[4]。江戸和竿は1984年に東京都の伝統工芸品、1991年に当時の通産省から国の伝統的工芸品に指定された[2]。

一方、グラスファイバーやカーボンの竿の登場で需要は減り、後継者不足から技の喪失が懸念されている[4]。

6. 自分でも しらべて みたく なったら

6. 自分でも調べてみたくなったら

6. 自分でも調べてみたくなったら

今日 できること

おうちに、竹で できた ものが ないか さがして みましょう。ものさし、ざる、かご、ひごなど。竹の 色や、ふしの あいだの 長さを、くらべて みます。

竹は われると とげのように ささる ことが あります。さわる ときは、手ぶくろを して、おとなと いっしょに 見て くださいね。

出かけて できること

つり ぐを 売る 店や、きょうどの こうげいを しょうかいする 場所に、竿さおが ならんで いる ことが あります。つなぎ目や 糸の まき方を 見て みましょう。ただし、火を つかう 作業は、見学の 場所の ルールを まもって ください。

公式の じょうほう

東京都の でんとうこうげい品の ページに、江戸えどわ竿さおの せつめいが のって います[1]。

今日できること

家にある竹の製品(物差し、ざる、かごなど)を、竹の色や、ふしの間隔を比べながら観察してみましょう。同じ竹でも、色や太さが少しずつちがうことに気づくかもしれません。割れた竹はとげになることがあるので、手袋をして、おとなといっしょに見てください。

出かけてできること

釣り具店や、伝統工芸を紹介する場所に、竿が並ぶことがあります。継ぎ目の部分の糸の巻き方や、漆の色を見てみましょう。工房の見学では、火を使う作業の約束を守ってください。

公式情報

東京都の伝統工芸品のページに、江戸和竿の紹介があります[1]。

今日できること

家にある竹製品を観察し、節の間隔や色を比べる。竹の色が一本ごとにどれくらい違うかも見比べるとよい。和竿を見られる場所があれば、継ぎ目の糸の巻き方と漆の色も確かめられる。割れた竹はとげになるため、手袋をして扱う。

資料を読むなら

東京都の伝統工芸品ページ([1])が、工程と素材の要件をまとめている。工程ごとの説明は[4]にもある。『何羨録』の原典は、継竿の選び方に関する記述を確かめる手がかりになる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文で使った資料です。工程の説明は東京都と伝統工芸 青山スクエア、広まりの背景と指定の年は新聞記事とWikipediaを突き合わせました。

  1. 東京都 伝統工芸品「江戸和竿」 https://www.dento-tokyo.metro.tokyo.lg.jp/items/20.html (竹の種類・火入れと矯め・絹糸と漆・創業の記述)
  2. 江戸和竿(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/江戸和竿 (指定の年・多様性・『何羨録』の紹介)
  3. 神奈川新聞カナロコ https://www.kanaloco.jp/news/culture/entry-63022.html (釣りが遊びとして広がった背景・竿師の談話)
  4. 伝統工芸 青山スクエア https://kogeijapan.com/locale/en_US/edowazao/ (継ぎ口の工夫・乾燥・大名の飾り・技の継承)

なおした ところ

更新履歴

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