1. 「いちばい」なのに、にばいの かえし?
1. 「一倍」なのに二倍返し? ── 「人一倍」の古い意味
1. 「一倍」は二倍の古い言い方 ── 親の死を期限にした「一倍銀」
「あの子は ひといちばい がんばる」と いいます。この「いちばい」は、むかしの ことばでは「にばい」の ことでした[1]。ある 数に、それと おなじ ぶんを たす ことだからです。
この ことばが、お金の はなしにも のこって います。江戸時代に「一倍銀」と いう かりかたが あった らしいのです。おやが なくなった ときに かえす やくそくで かります。かりた お金と おなじ ぶんの りそくを つけて、にばいにして かえす、かなり たかい りそくの かしかした だった ようです[1]。
ただ、この はなしを のせた コラムは「あった らしい」「ようだ」と かいて いて、どこで いつ ごろ、どんな しょうもんだったのかは かいて いません。ですから「そう いう かりかたが あった らしい」と して よんで ください。
りそくが かりた 分と おなじとは、おもそうです。ほかの かし かりは、どれくらいだったのでしょう。
「あの子は人一倍がんばる」と言うとき、私たちは「ふつうの人より、ずっと」という意味で使います。ところがジャパンナレッジのコラムによると、「一倍」はもともと二倍の古い言い方で、ある数量にそれと同じだけを加えることを指しました[1]。人一倍は、「人の二倍ほど」という勢いの言葉だったことになります。
この古い意味は、お金の話にも残っています。同じコラムは、江戸時代に「一倍銀」というものがあったらしいと伝えます。親が亡くなったときに返す約束で借りるお金で、借りた額と同じだけの利息をつけ、二倍にして返す、かなりの高利貸しだったようだという書き方です[1]。
ただし、このコラムは「あったらしい」「ようだ」と推量で書いています。ここでは、一倍銀を「コラムが伝える、そういう借金があったらしい」という話として読みます。
それでも、借りた額と同じ額の利息という数字は印象的です。ほかの貸し借りの利息は、どのくらいだったのでしょうか。
「人一倍」の「一倍」を、数学の「1倍」と同じに読むと意味がずれる。ジャパンナレッジのコラムは、「一倍」を二倍の古い言い方で、ある数量にそれと同じだけを加えることだと説明する[1]。つまり人一倍は、本来「人の二倍ほど」を表す勢いの強い言い方だった。
この意味は金融の語にも残っていた。同じコラムによれば、江戸時代には、親が死んだときに返す約束で借りる「一倍銀」があったらしく、借りた額と同額の利息を払って二倍にして返す、相当な高利貸だったようだ。慈善事業のように借りた額だけ返せばよい性質のものではなかった、とも述べている[1]。
ただし、このコラムは推量の言い方で書かれている。本稿では一倍銀を確定した制度ではなく、コラムが伝える話として扱う。
では、元本と同額の利息は、同じ時代の一般的な利息と比べてどれほど重いのか。これを次の章で確かめる。
2. にばい がえしは、ふつうの りそくより どれくらい おもいの?
2. 二倍返しは、ふつうの利息と比べてどれほど重いか
2. 利息100%と年利15% ── 返す時期が決まらない借金の重さ
たとえば、お金を 60もんめ かりたと します。「もんめ」は、江戸時代の お金の たんいです。いちばいがねなら、かえすのは 120もんめ。りそくは 60もんめです。このころの きまった かえかたでは、60もんめが 金1りょうに あたります[2]。りそくだけで 金1りょうぶんです。
ほかにも、まちの 人が かりる、すくない 金がくの たかい かしかりが ありました。「からすがね」は 1にち かぎり。「ひなしがし」は、ひごとに すこしずつ かえします[3]。
では、ふつうの かしかりの りそくは どうでしょう。1741ねんには、せけんで ふつうの りそくは 1年に 15パーセントと されて いました。1842ねんには、いちばん たかい りそくが 12パーセントに さげられました[4]。
りそくが 100パーセントに なるまで、15パーセントなら 7ねんたらず、12パーセントなら 8ねんすこし かかる ことに なります(ふくりは 考えない けいさんです)。いちばいがねは、かえす 時が「おやが なくなった とき」で、何年あとか きまって いません。早く かえすと りそくは とても 重く、おそいと かるくなります。
たとえば、銀60匁を借りたとします。一倍銀なら返すのは120匁で、利息は60匁です。18世紀の公定相場では、金1両が銀60匁、銭4,000文にあたりました[2]。この例では、利息だけで金1両分、銭なら4,000文になります。
江戸の庶民が利用した高利貸しには、ほかに小口のものもありました。烏金は一昼夜限りの貸金で、日なし貸は日割りで少しずつ返させる貸金です[3]。
一方、世間一般の貸金銀の年利は、1741年(寛保元年)に15%とされていました。1842年(天保13年)には、最高利息が年利12%へ引き下げられています[4]。
利息が元本と同じ100%になるまでに何年かかるか、単純に計算してみます(利息が利息を生む複利は考えません)。年利15%なら100÷15で約6.7年、12%なら約8.3年です。一倍銀は、返済が「親が亡くなったとき」で、何年後か決まっていません。そのため年利にはそのまま直せず、早く返せば利息は重く、遅くなれば軽く感じられる借金だったと考えられます。
こうして見ると、借り手のほうには重い話が目立ちます。では、お金を持っている側は、そのお金をどう扱っていたのでしょうか。
一倍銀の重さを、同じ時代の数字で測ってみる。18世紀の公定相場は金1両=銀60匁=銭4,000文である[2]。銀60匁を借りて120匁を返す場合、利息の60匁は金1両、銭4,000文にあたる。ただし公定相場は幕府の示した換算であり、実際の取引の相場と同じとは限らない。
借り手が庶民のときの高利貸しとしては、烏金(一昼夜限りの貸金)や日なし貸(日割りで少しずつ返させる貸金)が知られる[3]。いずれも小口で、返す時期が短く区切られている。
これに対して、世間一般の貸金銀の年利は、1741年(寛保元年)に15%とされていた。1842年(天保13年)には、最高利息が年利12%へ引き下げられている[4]。
ここで検算する。利息が元本と同額の100%に達するまでの年数は、単利で考えると、年利15%なら100÷15≒6.7年、12%なら100÷12≒8.3年である。一倍銀の返済期限は親の死であり、何年後かが決まらないため、年利にそのまま換算できない。1年後に返すなら年100%、10年後なら年10%というように、期間しだいで実質の重さが変わる。それが一倍銀の特徴といえる。
では、お金を持つ側はそれをどう扱ったのか。借りる側の重い話の裏には、「貸して増やす」ことを暮らしの技とする人たちがいた。
3. お金もちは、お金を しまって おかなかったの?
3. 大坂の商人は、なぜお金を手元に置かなかったのか
3. 「遊び銀」を持たない大坂の商家 ── 預ける・貸す・利息で暮らす
江戸時代の 大坂の 大きな お店は、つかわない お金を ためこむ ことを しなかった ようです。あちこちに かして、その りそくで 家ぞくを やしなう、と いう みかたが ありました[5]。「あそび 銀」と よばれる、つかい みちの ない お金を もたないのです。
大名も、お金を ただ おいて おく ことを しませんでした。大坂の りょうがえやに あずけて、1年に 6から 9パーセントの りそくを うけとって いました[5]。100まん円なら、1年で 6まんから 9まん円です。ただし これは いまの 円に おきかえた れいです。
江戸時代中期の大坂の商家には、「遊び銀」を蓄えておかないものだ、という考え方があったと紹介されています。使い道のない現金は置かずに、あちこちに貸し付け、その利息で妻子を養うのだ、というのです[5]。
大名も同じです。手持ちのお金をそのまま置かず、大坂の両替屋に預けて利息を受け取っていました。その年利は6〜9%でした[5]。たとえば今の100万円にあてはめれば、1年で6万〜9万円にあたります(現在の円に置きかえた例で、当時の金額ではありません)。
先ほどの15%や12%より低い数字ですが、預けるのと貸すのとでは条件が違い、単純に比べることはできません。それでも「お金は寝かせず働かせる」という発想が、商人にも大名にも共通していたことは読み取れます。
預けて利息をもらうだけでなく、もっと別の置き場所もありました。お米の証券です。
江戸時代中期の大坂の商家は、「遊び銀」、つまり使い道のない現金をためておかないものとされた。諸方に貸し付け、その利息で妻子を養うという言い方が史料にあるという[5]。寝かせた現金は利息を生まない。だから貸し付けに回す、という考え方である。
大名の場合は、大坂の両替屋への預け入れで年利6〜9%の利息を得ていた[5]。今の100万円に置きかえれば年6万〜9万円である(現在の円に置きかえた例)。前章の貸金銀の年利15%・12%より低いが、預け入れと貸し付けでは条件が違うので、単純な優劣は言えない。
共通するのは、お金を持つ者ほど、手元に寝かせるより外に出して増やす道を探していたことだ。その一つが、お米そのものではなく、お米の証券である米切手だった。
4. 大名や幕府は、お金を どう ふやしたの?
4. 米切手と貸し付け ── 大名と幕府のお金の増やし方
4. 米切手と出資の連鎖 ── 幕府が商人を通して貸し付けた仕組み
お米の かわりに「米ぎって」と いう しょうけん(お米と かえられる ふだ)を もつ ことが ありました。お米そのものを もつより、お米を はこぶ お金が かかりません。ねずみに たべられたり、あつさで いたんだり する しんぱいも ありません[5]。
幕府は、もっと くふうしました。しょうにんから お金を かり、その お金を しょうにんに かして、しょうにんが 大名や お金もちの のうみん・しょうにんに かし、りそくを わけ合う、と いう しくみです[5]。幕府が かかわった かしつけでは、1年に 10パーセントに すこし たりない もうけが 見こまれました[5]。
お米を現物で持つには、運ぶ費用がかかります。ねずみに食べられたり、熱で傷んだりする心配もあります。そこで使われたのが、米と交換できる証券の米切手です。米切手で持っていれば、その心配がありません[5]。
幕府の貸し付けは、さらに入り組んでいました。まず出資者である商人から幕府がお金を借ります。そのお金を再び出資者に貸し下げ、彼らが大名や裕福な農民・商人に貸し付けます。利息は関係者で分け合う形でした[5]。幕府が関わった貸し付けでは、年利10%弱の運用益が見込まれたといいます[5]。
幕府自身が、商人の力を借りてお金を回していたのです。借りたお金を貸して利息を得る、その途中に、お金を出す商人がいました。
お金の貸し借りは、大名や商人だけのものではありません。町のなかにも、貸す人と借りる人の取引がありました。
米を現物で持てば運送費がかかり、ねずみに食べられたり熱で傷んだりする。そこで使われたのが、米と交換できる証券の米切手で、これならその心配がない[5]。つまり米切手は、米の価値を傷めずに持ち歩ける形にしたものといえる。
幕府の貸付は、商人の資金を借りて貸す連鎖になっていた。出資者である商人から幕府が借り入れ、そのお金を再び出資者に貸し下げ、彼らが大名や裕福な農民・商人に貸し付ける。この流れの中で利息が分配された[5]。幕府が関与した貸付では、年利10%弱の運用益が見込まれたとされ、前章の大名の預け入れ(年利6〜9%)よりやや高い水準にあたる。
この連鎖が示すのは、幕府が自前の資金だけでなく、商人の資金を呼び込んで貸付を広げたことだ。一方、貸し借りの現場は大名や幕府だけではなく、町の不動産にも及んでいた。
5. 家を かたに した お金の かりかりは、りそくを どう きめたの?
5. 家を担保にした「家質貸」の利息は、何を目安に決まったか
5. 家質貸の利息は何で決まるか ── 地代・店賃の純益と利子率の低下
江戸の まちには、まちの やしきを かたに して お金を かす「かじちがし」が ありました。やしきから はいる とちの かしちん、たなの かしちんの もうけを、かした お金で わった 数を もとに、りそくを きめたのです[4]。
たとえば、100りょうを かして、やしきの もうけが 1年に 8りょうなら、8パーセントです。これは わかりやすく した れいで、じっさいの かずでは ありません。
18せいきの 日本では、りそくが はっきり さがって いた ことが わかって います[4]。
江戸の町には、町屋敷を抵当にとって貸す「家質貸」がありました。屋敷から入る地代や店賃の純益を、貸した元本で割った比率を目安に利息を決める、不動産を担保にした融資です[4]。
たとえば、元本100両に対して、屋敷の純益が年に8両なら比率は8%です(説明のために作った例で、実際の数字ではありません)。借り手の家が生むもうけが、利息の水準の目安になっていたわけです。
研究では、18世紀の日本で、はっきりした利子率の低下があったとされています。流通の網が整ったことや、信用を守る慣行が広まったことが背景として挙げられています[4]。ただ、物価の動きとの関係や、幕府の規制がどれほど効いたかについては、研究者の間でも解釈に幅があります。
お金の貸し借りには、もう一つ、変わった担い手がいました。
家質貸は、都市の町屋敷を抵当にとって、地代・店賃経営の収益を基準に利息を取る金融である[4]。つまり、担保の屋敷が生む純益を元本で割った比率が、約定利子率の目安として表されていた。たとえば元本100両に対し純益が年8両なら比率は8%となる(説明用の仮の数字)。
九州大学の研究は、18世紀の日本で明瞭な利子率の低下が起きていたことを指摘する。背景には、流通ネットワークの確立や信用維持の慣行が挙げられている[4]。ただし、物価上昇と利子率低下の因果関係や、幕府の規制の影響の大きさには、研究者の解釈に幅がある。
だから、1741年の年利15%から1842年の最高利息12%への動きも、「一つの命令で決まった」と単純には言えず、市場の変化と制度の両方を見る必要がある。そのうえで、元本と同額の利息という一倍銀の数字を並べると、その重さがあらためて目に入る。
貸し手の側には、さらに変わった顔ぶれがあった。幕府に認められ、出資を集めて貸し付けた人たちである。
6. 幕府が みとめた、なかまうちの お金の かしつけは どんな もの?
6. 幕府が認めた、盲人仲間の貸付「官金」
6. 出資を集めて貸した盲人仲間 ── 幕府が保護した「官金」の特権
江戸時代、幕府に みとめられて、めの ふじゆうな 人たちの なかまが、お金を かして いました。この かしつけを「かんきん」と いいます[6]。
お金は、なかまの しゅうにゅうだけでなく、ぶしや まちの 人たちが だした ものも ありました。幕府の ほごや、先に お金を とりもどせる けんりも あって、むかしの お金の しくみの 大きな 一ぶに なりました[6]。
江戸時代には、盲人の仲間(当道座)が、幕府の承認のもとで、仲間が得た収入を資本にお金を貸す特権を持っていました。この貸付金は「官金」と呼ばれます[6]。
資金は仲間の収入だけではありません。武士や町人が出資し、それをもとに盲人が貸付金融をしました。幕府の保護と、優先的に債権を回収できる権利もあり、官金は近世の金融の一翼を担ったと説明されています[6]。
お金を出す人と、お金を貸す人が分かれていて、その間に幕府の後ろ盾がある。ここまでの大坂の商人、大名、幕府、町の貸し借りと並べると、江戸の金融は、いろいろな人がそれぞれの役割で支え合っていたことが見えてきます。
官金とは、盲人仲間(当道座)が幕府の承認のもとで行った貸付金をいう。仲間が得た収入を資本にした貸付で、特権の一つだった[6]。
この制度の面白さは、資金の出どころが仲間内に閉じていない点にある。武士や町人が出資し、その資金をもとに盲人が貸付金融を行った。幕府の保護と、債権を優先的に回収できる権利があったことも、近世金融の一翼を担えた条件として挙げられる[6]。
ここまでを並べると、江戸の金融は一本ではない。大坂の商家が遊び銀を持たずに貸し、大名が両替屋に預け、幕府が商人を通して貸し付け、町では屋敷を担保にした貸し借りがあり、盲人仲間が出資を集めて貸した。そのなかで、一倍銀は借り手に重くのしかかる一つの形だった。
7. じぶんの てで、りそくを けいさんして みよう
7. 利息の数字を、自分の手で計算してみる
7. 年利と利息100%の関係を自分で計算し、原文にあたる
〈やってみよう〉 100まん円を、1年に 6パーセント、9パーセント、15パーセントで かすと、りそくは いくらに なるでしょう。6まん円、9まん円、15まん円に なります。つぎに、りそくが 100まん円に なるまで 何年 かかるかを、100÷6、100÷9、100÷15で 計算します。
いまの 銀行の 預金の りそくは、おうちの 人と いっしょに、銀行の ホームページや まどぐちの はり紙で 見られます。むかしの 数字と くらべると、なにが ちがうでしょう。
もっと 知りたい人は、ジャパンナレッジの コラムの 文を 読んで、「あった らしい」と いう いいかたを 見て みよう。
〈今日できること〉 100万円を年利6%、9%、15%で貸したときの1年の利息を計算します(6万円、9万円、15万円)。次に、利息が元本と同じ100万円に達する年数を100÷6、100÷9、100÷15で出してみてください。約16.7年、約11.1年、約6.7年です。
今の銀行の預金の利息は、家の人と一緒に銀行のホームページや窓口の掲示で見られます。江戸の大名が両替屋に預けた年利6〜9%と比べると、何が違うでしょうか。
〈原典に当たる〉 ジャパンナレッジのコラムは、ネット上で読めます[1]。「あったらしい」「ようだ」という言葉づかいをその目で見ると、一倍銀の話がどこまで分かっているのか、感じ取れます。
〈今日できること〉 年利r%の単利で、利息が元本と同額になる年数は100÷r年である。r=6、9、12、15で計算すると、約16.7年、約11.1年、約8.3年、約6.7年になる。年利が高いほど、倍になるまでが短い。これを一倍銀の「返済時期未定」と比べると、期間の長さしだいで実質の利率が変わることが実感できる。
今の預金金利は、銀行のホームページで確認できる(家の人と一緒に)。江戸の大名の預け入れ(年利6〜9%)と、現在の数字を比べて、何に差が出るかを考えてみる。
〈出典を読む〉 本稿の中心となる一倍銀の記述は、ジャパンナレッジのコラムの一節にすぎない[1]。公定相場は貨幣博物館[2]、貸金銀の年利と家質貸は九州大学の研究[4]、官金は国文学研究資料館の資料[6]に当たれる。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
いずれも2026年10月19日に確認した。一倍銀の記述は1本のコラムによる伝聞であり、他の史料での裏づけは取れていない。
- ジャパンナレッジ「日本語、どうでしょう? 第6回 『人一倍』の『一倍』は何倍か?」 https://japanknowledge.com/articles/blognihongo/entry.html?entryid=6 (一倍の意味と一倍銀)
- 日本銀行 貨幣博物館 https://www.imes.boj.or.jp/cm/index.html (金・銀・銭の公定相場)
- コトバンク「高利貸」 https://kotobank.jp/word/%E9%AB%98%E5%88%A9%E8%B2%B8 (烏金と日なし貸)
- 九州大学「江戸における米価と不動産抵当金利の時系列推計分析:八王子米価と築地・鉄砲洲地区家質利子率」 https://api.lib.kyushu-u.ac.jp/opac_download_md/2186191/p041.pdf (貸金銀の年利・家質貸・利子率の低下)
- しるぽると「江戸時代に学ぶ 第2回 現金は危険?江戸の資産運用の実態と背景に迫る」 https://www.shiruporuto.jp/public/document/container/edojidai_ni_manabu/edo_002.html (遊び銀・両替屋・米切手・幕府の貸付)
- 国文学研究資料館「日本実業史博物館準備室旧蔵資料:官金取立寄合」 https://archives.nijl.ac.jp/G000000253300/data/00457 (官金)
なおした ところ
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