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『しばはま』の さいふに はいっていた 四十二りょうは、いまの いくら?

落語『芝浜』の四十二両は、今いくら? ── 物差しで約5倍も動く値段と、浜と噺の行方

落語『芝浜』の四十二両 ── 換算の幅(約340万〜約1740万円)と、芝の浜の漁港、三代目桂三木助の型

分野:歴史・文化

らくごの『しばはま』では、さかなやさんが うみの そばで さいふを ひろいます。なかに はいっていた おかねは、四十二りょう。いまの おかねに すると、三百四十まんえんから、千七百まんえんより おおきい 数まで、ものさしで ちがって きます。

どうして そんなに ちがうのでしょう。しばの はまは、どんな ところだったのでしょう。この はなしの ひみつが わかります。

落語『芝浜』で魚屋が拾う財布には、四十二両が入っています。これを今のお金にすると、米の値段で考えれば約340万円、大工さんの賃金で考えれば約1740万円と、物差しによって約5倍も開きます。

同じ四十二両が、どうしてこんなに違う金額になるのでしょうか。舞台の芝の浜はどんな場所で、この噺は誰がどう今の形にしたのでしょうか。それぞれの答えが分かります。

落語『芝浜』で魚屋が拾う四十二両は、現在の金額に直すと、米価を物差しにすれば約340万円、大工の賃金を物差しにすれば約1740万円となる。いずれも貨幣博物館が示す1両の換算例を42倍した試算で、約5倍の開きが出る[3]。

なぜ換算がこれほど動くのか。舞台の芝の浜は実際にどんな場所だったのか。作者が確かでないこの噺は、どうして現在の形になったのか。換算の考え方、江戸の漁港、三代目桂三木助の型の三点から、その答えが分かる。

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1. よるあけまえの はまで、さかなやさんは なにを ひろった?

1. 夜明け前の浜で、魚屋は何を拾ったのか

1. 『芝浜』の筋 ── 拾った財布と、女房がついた嘘

さかなやさんは、さけが すきで、しごとを やすみがちでした。ある あさ、おかみさんに おこされて、はまへ いきます。ところが、じかんを まちがえて、まだ くらい うちでした。

はまで ひろったのは、かわの さいふ。なかに 四十二りょうも はいっていました。さかなやさんは おおよろこびです。

つぎの ひ、おかみさんは「さいふなんて ゆめでしょう」と いいます。さかなやさんは、さけを やめて はたらきました。三ねんたつと、じぶんの みせを もてました[1]。

おおみそかの よる、おかみさんが ほんとうの ことを はなします。さいふは ゆめでは なく、おかみさんが やくしょに とどけて いたのです。やくしょから かえされた さいふを、そっと だします[2]。

ただし、はなしの こまかい ところは、はなす 人に よって すこし ちがいます。ここに かいたのは、その 一つの かたちです。

さて、この さいふの 四十二りょうは、いまなら いくらでしょう。

早起きと財布

主人公は、酒が好きで仕事を休みがちな棒手振りの魚屋です。ある朝、女房に起こされて芝の河岸へ向かいますが、時刻を間違えていて、まだ暗いうちでした。そこで革の財布を拾い、開けてみると四十二両が入っています[1]。

夢だと言った女房

喜んだ魚屋は、飲んで騒ぎます。翌日、女房は「財布なんて夢でしょう」と言い、魚屋は酒を断って働き始めます。三年後には表通りに店を持ち、若い者も置くまでになります[1]。

大晦日の夜、女房は真相を明かします。財布は夢ではなく、女房が役所に届けていたのです。下げ渡された財布を出し、嘘をついたことを詫びます。魚屋は「よそう。また夢になるといけねえ」と、酒を口にしません[2]。ただし、役所への届け出などの細部は、演者や型によって違います。ここに書いたのは一例です。

この財布の四十二両は、今の金額に直すと、どれくらいなのでしょう。

棒手振りの魚屋は、女房に時刻を間違えて早く起こされ、芝の河岸で革の財布を拾う。中身は四十二両である[1]。翌日、女房は夢だと言って押し通し、魚屋は酒を断って働き、三年後に表通りに店を持つ。

大晦日に女房が真相を明かす場面では、財布を役所に届けていたこと、嘘をついていたことが語られ、下げ渡された財布が出される[2]。ただし、届け出や下げ渡しの描き方は演者・型で異なり、ここに述べたのは一例にすぎない。

この噺では、魚屋が拾った四十二両の価値が、物語を動かすきっかけになる。では四十二両は、現在の金額でどれくらいなのか。まずそこを確かめておく。

2. 四十二りょうは、ものさしで いくらにも なる

2. 四十二両は、物差しを変えると約5倍も動く

2. 換算の物差し ── 米価と大工賃金で約5倍の差

おかねの ねうちは、なにと くらべるかで かわります。日本ぎんこうの おかねの はくぶつかんは、えどじだいの 1りょうを、いまの おかねに なおす れいを のせています。2024ねんの ねだんを つかった れいでは、こめで くらべると やく8まん1せんえん。大工さんの おきゅうりょうで くらべると やく41まん4せんえんです[3]。

これを 42ばいに します。こめなら やく340まんえん。大工さんなら やく1740まんえん。5ばいほど ちがいます。どちらも、はくぶつかんの れいを つかった 「めやす」の けいさんです。

そばで かんがえると、1りょうで、1ぱい 16もんの そばが やく406はい たべられます[3]。42りょうなら やく1まん7せんばいです。

むかしと いまは、くらしが ちがいます。だから、「ぴったり これだけ」とは いえません。

米と大工さんの賃金

日本銀行の貨幣博物館は、江戸時代の1両の現在価値を、いくつかの物差しで試算しています。2024年の米価で見ると約8万1千円、大工の日給で見ると約41万4千円です[3]。

42倍すると、米価では約340万円、大工の賃金では約1740万円です。どちらも貨幣博物館の換算例を単純に42倍した目安で、同じ四十二両が約5倍も違って見えます。

そばなら何杯か

江戸後期の1両は銭6,500文ほどで、そば1杯は16文です。1両で約406杯、42両なら約1万7千杯のそばが食べられる計算です[3]。

貨幣博物館は、世の中の仕組みや暮らしが今と全く違うので、現在と同じ名前の品やサービスでも、中身や人々が必要とする度合いが違うと述べています[3]。だから「四十二両はいくら」と一つの金額に決めることはできません。

貨幣博物館は、江戸時代の1両を現在の金額に直す例として、2024年の米価で約8万1千円、大工の日給で約41万4千円を挙げる[3]。これを42倍すると約340万円と約1740万円で、約5倍の開きが出る。いずれも示された換算例を単純に掛けた目安であり、実際の価値そのものではない。

物差しを変えると値が動くのは、米は主食の値段、大工の賃金は労働の対価と、測っているものが違うためである。貨幣博物館も、暮らしの仕組みが現在と全く異なり、同名の商品やサービスでも内容や必要とされる度合いが違う、と注意する[3]。

そばで見ると、江戸後期に1両=銭6,500文、そば1杯16文として、1両で約406杯になる。42両なら42×406=17,052杯で、約1万7千杯だ[3]。同じ財布の中身が、物差しごとに別の景色になる。

では、その財布が落ちていた芝の浜は、どんな場所だったのか。

3. しばの はまは、さかなの とれる ばしょだった

3. 芝の浜は、将軍にも魚を届けた漁場だった

3. 芝浦の漁場と雑魚場 ── 「芝肴」から本芝公園まで

しばの はまは、えどで いちばんと いわれる ほどの、さかなの みなとでした[5]。ここで とれた さかなは「しばざかな」と よばれ、しょうぐんにも おくられたと いいます[4]。

さかなを うる いちばも あり、「ざこば」と よばれました[5]。しばの はまには、さかなの いちばが ありました。

いまは、たまち えきの ちかくの ほんしば こうえんに、ざこばの あとを しめす ひょうしきが あると せつめいされています。はなしの ぶたいは、このへんと いわれます[1]。うみが うめられて、さかなを とる ことは なくなりました。

将軍が食べた「芝肴」

芝浦は、江戸時代にとても豊かな漁場でした。ここで捕れた魚は「芝肴」と呼ばれ、将軍にも献上されたといわれます[4]。

港区の資料は、芝を「古典落語『芝浜』の舞台にもなった江戸屈指の漁港」と紹介しています。そこには「雑魚場」と呼ばれる魚市場がありました。将軍家に海産物を納める御菜八ヶ浦のうち、本芝浦と金杉浦の漁民が、東海道沿いで魚を売ったのが名の由来とされています[5]。

今の浜はどうなっているか

田町駅のそばにある本芝公園には、雑魚場跡の標識があり、芝浜の舞台はこのあたりと説明されています。魚が捕れなくなり、埋め立ても進んで、今は漁業は行われていません[1]。

魚屋が夜明け前に浜へ急いだ理由が、少し見えてきます。では、この噺は誰が作ったのでしょうか。

魚屋が早朝の河岸へ向かう設定は、土地の実情と合っている。芝浦は江戸時代の豊かな漁場で、捕れた魚は「芝肴(しばざかな)」と呼ばれ、将軍にも献上されたという[4]。

港区の資料は、芝を「古典落語『芝浜』の舞台にもなった江戸屈指の漁港」とし、魚市場を「雑魚場(ざこば)」と呼んだと記す。将軍家に海産物を納める「御菜八ヶ浦(おさいはちかうら)」の本芝浦と金杉浦の漁民が、東海道沿いで魚を商ったことが名の由来とされる[5]。

現在、田町駅そばの本芝公園には雑魚場跡の標識があり、芝浜の舞台はこの辺りと説明される。漁獲の減少と埋め立てを経て、漁業は行われなくなった[1]。ただし、拾った場所を特定の一点と決めてよいかは、噺の中の設定であり、ここでは立ち入らない。

舞台の土地は資料で裏づけられる。しかし、肝心の噺を作った人については、話が変わってくる。

4. この はなしを つくったのは、だれ?

4. 作者は圓朝? 決め手がない噺

4. 作者をめぐる説 ── 三題噺と、江戸中期の書物の類話

この はなしは、えんちょうという 名人が つくったと いわれます。おきゃくさんから おだいを もらって、その場で はなしを つくる「さんだいばなし」から うまれた、という せつも あります[6]。

けれども、たしかな しょうこは ありません。ぶんげいしゅんじゅうの かいせつも、えんちょうの さくというのは たしかなこととは いえないようだと のべています[7]。むかしの 本に にた はなしが ある、という してきも あります[6]。

お題から生まれたとされる噺

芝浜は、三遊亭圓朝が作った人情噺とされます。寄席の客からお題をもらい、その場で一つの噺にまとめる「三題噺」から生まれたという説明があります[6]。

確証はない

ところが、文藝春秋の解説は、圓朝作というのは確かなことではないようだ、と述べます[7]。江戸中期の儒者の書物に似た話があるという指摘もあります[6]。

作者がはっきりしないまま語り継がれてきたので、噺は語る人の手で形を変える余地を持っていました。次の章では、その形を磨いた人の話を見ていきます。

『芝浜』は三遊亭圓朝(えんちょう)が、寄席の客から題をもらう三題噺で作ったとされる[6]。しかし確証はなく、文藝春秋の解説も圓朝作は確かなことではないようだと述べる[7]。江戸中期の儒者の書物に似た話があるとの指摘もある[6]。

したがって「圓朝作」とは言い切れず、成立の経緯は定まっていない。四十二両という金額が圓朝に由来するかも、資料からは分からない。

作者が定まらないことは、かえって噺が語り手ごとに作り替えられる余地になった。その代表が、戦後に現在の形を築いた三代目桂三木助である。

5. ふるい はなしは、どうやって いまの かたちに なった?

5. 名演が磨いた、今の『芝浜』

5. 三代目桂三木助の型と、七代目立川談志の女房像

いまの かたちの もとを つくったのは、三だいめ かつら みきすけ さんです。せんそうの あと、あんどうつるおさんの ていあんを うけて、えんしゅつを くわえ、おおあたりに なりました[7]。

みきすけさんは、この はなしで、らくごかとしては はじめて、げいじゅつさいの しょうれいしょうを もらいました[8]。

のちに、たてかわ だんしさんは、おかみさんを「かわいい にょうぼう」として えんじました[7]。おなじ はなしでも、はなす 人で おかみさんの すがたが かわります。

三代目桂三木助の型

戦後、三代目桂三木助が、安藤鶴夫の助言を受けながら独自の演出を加え、大当たりしました。その演出が、現在の『芝浜』の型につながっています[7]。三木助(1902〜1961)は、この噺で落語家として初めて、芸術祭賞の奨励賞を受けたと紹介されています[8]。

女房を描き直した談志

のちに、七代目立川談志は、女房を「可愛い女房」として演じました[7]。夫を思って嘘をつく女房を、どんな人として描くか。語り手が違えば、同じ筋でも聴く人の心に残るものが変わります。

では、そんな噺が、なぜ年の暮れになると聴きたくなるのでしょうか。

現在の『芝浜』の基盤は、戦後に三代目桂三木助が安藤鶴夫の助言を受け、独自の演出を加えて大当たりした型にある[7]。三木助(1902〜1961)は、この噺で落語家初の芸術祭賞奨励賞を受け、安藤鶴夫や八代目桂文楽の支援も受けたとされる[8]。

のちに七代目立川談志(たてかわだんし)は、女房を「可愛い女房」として演じた[7]。筋は同じでも、嘘をつく女房を何者として造形するかで、噺の印象は変わる。作者が確かでないことが、語り手が磨く余地になった一例と読める。

この型の詳しい演出内容は、ここで使った資料からは示せない。気になる人は、桂三木助や立川談志の演じ方を、実際の高座の記録や出版物で聴き比べるのがよい。

6. どうして としの くれに ききたくなるの?

6. 大晦日が山場だから、年末に語られる

6. 年末の定番 ── 「落語の第九」という扱い

この はなしは、いちばん もりあがる ところが、おおみそかの よるです。としの くれに えんじられる ことが おおいと、しょうかい されています[7]。

ベートーヴェンの「だいく」が、ねんまつに えんそうされる ことが おおいのと、にていると いわれます[7]。

ひろった おかねの ねうちと、ゆめだと いわれた ひの きもち。そして、おおみそかの ほんとうの はなし。きいた あとに、じぶんなら どうするか、かんがえたくなります。

『芝浜』は、物語の山場が大晦日の夜なので、年末に演じられることが多い噺です。ベートーヴェンの第九と同じような扱いを受けている、と解説されています[7]。

四十二両の値打ちは、換算の目安では約340万円とも約1740万円とも言えます。けれども噺では、その金をきっかけに魚屋が酒を断ち、三年間働きます。聴き終えたあとに、女房はなぜ嘘をついたのか、自分ならどうするか、考えてみたくなります。

この噺は山場が大晦日の夜にあたるため、年末に演じられることが多い。文藝春秋の解説は、ベートーヴェンの第九と同じような扱いを受けているとする[7]。

ここまでの流れをたどると、換算の目安は物差しで約5倍動き、作者は確かでなく、舞台の浜は埋め立てを経て公園になった。一方、拾った金を前にした夫婦のやり取りは、語り手ごとに描き方が変わる。この噺の面白さの一つは、そこにあるのかもしれない。もっとも、これは筆者の読みであって、資料が示す結論ではない。

自分でも しらべて みたくなったら

自分でも調べてみたくなったら

自分でも調べてみたくなったら

きょう できること

おかしを 1こ 100えんと して、340まんえんで なんこ かえるか、けいさんして みましょう。こたえは 34000こです。おなじ 四十二りょうでも、ものさしを かえると、かずが かわります。

でかけて できること

たまち えきの ちかくの ほんしば こうえんで、ざこばの あとを しめす ひょうしきを さがして みましょう。いく まえに、みなとくの ホームページで ばしょを たしかめて おきましょう。

しらべる ばしょ

にほんぎんこうの おかねの はくぶつかんの ページに、えどじだいの おかねの ねうちの かんがえかたが のって います。

今日できること

好きなおやつの値段を決めて、340万円で何個買えるか、1740万円ならどうなるかを計算してみましょう。同じ四十二両でも、物差しが変わると数が変わるのが分かります。

出かけてできること

田町駅の近くの本芝公園に、雑魚場跡の標識があると説明されています。行く前に、港区の資料などで場所を確かめてみましょう。

公式情報

日本銀行貨幣博物館のページに、江戸時代の1両の考え方が載っています。港区の資料には、芝の雑魚場の説明があります。

公式情報にあたる

換算の考え方は、貨幣博物館「江戸時代の1両は今のいくら?」で、米価・賃金・そばなど物差しごとの試算と、その限界の説明を読める[3]。舞台の土地は、港区の資料と、このまちアーカイブス(港区・芝)が手がかりになる[5][4]。

聴き比べる

三代目桂三木助と七代目立川談志で、女房の描き方がどう違うかを、実際の高座の記録や出版物で聴き比べてみるのもよい。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文の[数字]は、下の出典の番号です。金額の換算は、貨幣博物館の換算例(米価・大工の賃金の2つの物差し)を42倍した目安です。

  1. 江戸川区 平井・圓蔵亭 企画展「雑魚場」 https://www.city.edogawa.tokyo.jp/e026/sports/bunka/hirai_enzotei/kikakuten/20200801/13_zakobaato.html (あらすじ、本芝公園の標識)
  2. コトバンク「芝浜」 https://kotobank.jp/word/芝浜 (大晦日の場面)
  3. 日本銀行 貨幣博物館「江戸時代の1両は今のいくら?」 https://www.imes.boj.or.jp/cm/history/edojidaino1ryowa/ (1両の換算例、そばの杯数)
  4. このまちアーカイブス(港区・芝) https://smtrc.jp/town-archives/city/shiba/p07.html (芝肴)
  5. 港区「今昔物語」 https://www.city.minato.tokyo.jp/kouhou/kuse/koho/konjaku/konjaku01.html (雑魚場、御菜八ヶ浦)
  6. ピクシブ百科事典ほか「芝浜」 https://pedia.3rd-in.co.jp/wiki/芝浜 (三題噺、作者の説)
  7. 文藝春秋「芝浜の解説」 https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h5705 (作者の確証、三木助の型、年末の扱い)
  8. コトバンク「桂三木助」 https://kotobank.jp/word/桂三木助 (芸術祭賞奨励賞)

なおした ところ

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