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「おやつ」の 「やつ」って、江戸時代えどじだいの 時間の よびかたと かんけいが あるの?

江戸時代の「九つ」「八つ」は、一日のどんな時刻だったのか

江戸時代の「九つ」「八つ」は一日のどの時刻か:不定時法と「時の鐘」が支えた暮らし

分野:歴史・文化

おやつの 「やつ」は、数の 「八つ」から きて いる、と せつめい されて います。江戸えどの 人たちは、時間を 「九つ」「八つ」と、数で よんで いました。

ふしぎな ことに、この 数は 九から はじまり、だんだん へって いきます。どうして でしょう。この ページを 読むと、むかしの 時間の かぞえ方と、鐘かねで 時間を しらせた くらしが わかります。

おやつの「やつ」は、数の「八つ」から来ているといわれます[2]。江戸時代の人は、時刻を「九つ」「八つ」と、数で呼んでいました。しかもその数は、九から始まって、だんだん減っていきます。

九つや八つは、一日のどの時刻なのでしょう。季節で昼の長さが変わるのに、時刻はどう決まったのでしょう。この記事を読むと、数が減っていく数え方のしくみと、時計の少ない町が鐘で動いていた様子が分かります。

「おやつ」の語源は、江戸時代の時刻「八つ」に茶を出す習慣だと説明される[2]。この呼び方は、九つから始まって一刻ごとに数が減り、四つまで来るとまた九つに戻るという、現代の時計と逆向きの数え方だった。

九つや八つは、一日のどの時刻にあたるのか。昼夜を別々に等分する不定時法のもとで、その時刻は季節によって動いた。それでも町が回っていたのはなぜか。この記事を読むと、数え方の規則、季節による時刻のずれ、鐘と日時計を組み合わせた時刻の知らせ方が分かる。

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1. 「おやつ」の 「やつ」は、いつの 時間?

1. 「おやつ」の「やつ」は、一日のどこにあたるのか

1. 「おやつ」の語源の「八つ」は、一日のどこに置かれていたのか

おやつの 時間は、いつごろ ですか。おうちで 決まって いる 人も いるでしょう。

「おやつ」という ことばは、むかしの 時間の かぞえ方から きて いる、と せつめい されて います[2]。もとの かたちは 「お八つ」です。江戸時代えどじだいには、時間を 「九つ」「八つ」と 数で よびました。その 「八つ」の 時間に お茶を 出す 習慣しゅうかんが あったのです。

では、八つは 一日の どこでしょう。お昼の 九つの すぐ あとの 時間です。今で いうと、お昼ごはんの あと、ひと休みする ころ。おやつに ぴったりの ところに あります。

でも、ふしぎです。九の つぎが 八。数が へって いきます。

おやつの時間に、お菓子とお茶を出す。この習慣のもとになったのが、江戸時代の時刻の呼び方です。国立劇場の落語の解説は、「おやつ[お八つ]」という言葉は、時刻の数え方から来ていると説明しています[2]。八つの時刻にお茶を出す習慣があったのです。

八つは、昼の九つのすぐ次の時刻です。昼食のあとの、ひと休みしたくなる頃にあたります。今のおやつの時間と近い場所に、名前の元が残っていることになります。

ところで、九つの次が八つというのは、不思議な並びです。時刻の数が、だんだん減っていくのです。この数え方には、どんな規則があったのでしょうか。

「おやつ」は、江戸時代の時刻「八つ」に茶を出す習慣から来た語だと説明される。国立劇場の落語解説は、「おやつ[お八つ]」という言葉がこの時刻の数え方に由来すると述べている[2]。

八つは、昼の九つのすぐ次の時刻である。つまり、昼食のあとのひと休みの頃に、いまの「おやつ」に近い習慣が置かれていたことになる。現代語の「おやつ」には、江戸時代の時刻の呼び名が残っている。

ただし、九つの次が八つ、という並び自体が、現代の感覚とは逆向きである。数は増えず、減っていく。この規則は、どこまで減り、どこで戻るのか。次の章で確かめる。

2. 九つから、なぜ 数が へって いくの?

2. 九つから数が減り、また九つに戻る仕組み

2. 九から四まで減って九に戻る規則と、「九」の由来をめぐる諸説

ロケットの カウントダウンを 見た ことは ありますか。「5、4、3、2、1」と、数が へって いきます。江戸えどの 時間の よびかたも、すこし にて います。

夜中が 「九つ」です。そこから 八つ、七つ、六つ、五つ、四つと、じゅんばんに 数が へって いきます。四つの つぎは、また 九つ。九つに もどります。お昼が 九つ なので、九つは 一日に 2回 あるのです[1]。

ただし、ロケットは 「ゼロ」で おしまいです。江戸えどの 時間は 四つの つぎに もどって、ぐるぐる まわりつづけます。

どうして 九から はじまるのでしょう。九は 一けたの 中で いちばん 大きい 数なので、めでたいと 考えられた、と いう せつめいが あります[2]。ほかにも、時間を しらせる 太鼓たいこの 数から きた、と いう 考え方も あります。くわしい わけは、はっきり 決まって いません。

数え方の規則は、こうです。夜中の時刻が「九つ」で、そこから一刻(いっとき)ごとに、八つ、七つ、六つ、五つ、四つと数が減ります。四つまで来ると、お昼の時刻でふたたび九つになり、また四つまで下がります[1]。一日は12の刻に分かれ、九つは夜中とお昼の二回出てきます。

カウントダウンに似ていますが、ちがう点もあります。ロケットは0で終わりますが、江戸の時刻は、四つの次でまた九つに戻って、ぐるぐる回り続けます。

では、なぜ「九」から始まるのでしょうか。国立劇場の解説は、9が1桁の中でいちばん大きい数字で縁起がよいと考えられたため、と説明しています[2]。一方で、もとは時刻を知らせる太鼓を打つ回数だった、という説もあり、由来の詳しいところには諸説があります。ひとつに決めることはできません。

数の決まり方は分かりました。けれど、一刻の長さそのものは、年中同じだったのでしょうか。

規則を整理すると、こうなる。子の刻(夜中)が九つ、丑の刻が八つで、以後一刻ごとに一つずつ減り、巳の刻の四つに達する。次の午の刻でまた九つから数え始める[1]。一日は十二刻だから、九つ・八つ・七つ・六つ・五つ・四つの並びが二巡する。九つは夜中とお昼の二回現れ、八つも、昼のあとに再び来る。

数が減る方向に並ぶ点は、カウントダウンに似ている。だが0で終わらず、四つの次に九つへ戻って循環する点が違う。

なぜ九から始めたのか。国立劇場の解説は、9が1桁で最大の数字であり縁起がよいと考えられたため、と説明する[2]。ところが、もとは時刻を告げる太鼓を打つ回数に由来するという説もあり、由来には諸説ある。縁起説も太鼓説も、手元の資料では決定的な証拠までは示されていない。

由来が割れていても、数え方の規則そのものは一致している。むしろ注意すべきは、この十二刻が、現代の「2時間ずつ」ではなかったことだ。一刻の長さはどう決まるのか。

3. 夏と 冬で、一つぶんの 長さが ちがうって ほんと?

3. 昼と夜を別々に6等分したので、一刻の長さが季節で変わった

3. 昼夜を別々に6等分する不定時法:季節で動く「七つ」の現在時刻

江戸時代えどじだいの 時間は、昼と 夜を べつべつに 6つに 分けました[1]。よあけから 日ぐれまでが 昼、日ぐれから よあけまでが 夜です。よあけと 日ぐれの 時間は、どちらも 「六つ」と よばれました。

季節きせつで 長さが かわります。夏は 昼が 長いので、昼の 一つぶんも 長く なります。冬は 昼が みじかいので、昼の 一つぶんも みじかく なります。夜は、その はんたいです。むかしの 人は、おひさまに あわせて 時間を 分けて いたのです。

「お江戸えど日本橋七つだち」という 歌が あります。七つは、夜あけ まえの 時間です。今の 午前4時ごろと せつめい される ことが ありますが、季節きせつで かわるので、ぴったりの 時こくは 決められません[3]。

では、時計の 少ない 町の 人は、どうやって 時間を 知ったのでしょう。

江戸時代の時刻は、夜明けと日暮れを区切りにしていました。夜明け(明け六つ)から日暮れ(暮れ六つ)までを昼、日暮れから夜明けまでを夜とし、昼と夜をそれぞれ6つに等分します[1]。このやり方を「不定時法」といいます。

昼と夜を別々に6等分するので、一刻の長さは季節で変わります。たとえば昼が14時間の夏なら、昼の一刻は約2時間20分、昼が10時間の冬なら約1時間40分です(どちらも、考え方を示すための例です)。夜はその逆で、夏は短く、冬は長くなります。

この性質は、「お江戸日本橋七ツ立ち」の歌にも表れます。江戸東京博物館の解説では、七つは夜明け前の時刻で、現代の午前4時頃と説明されています。ただし厳密には、季節によって何時にあたるかが違います[3]。昔の旅人は、季節ごとに少しちがう暗さの中を、出発していたことになります。

ここで、新しい問いが出ます。時計が一般の家にほとんどなかった時代に、季節で動くこの時刻を、人はどうやって知ったのでしょうか。

江戸時代の時刻は、太陽の動きを区切りにしていた。夜明け(明け六つ)から日暮れ(暮れ六つ)までを昼、日暮れから夜明けまでを夜とし、それぞれを6等分する。これが不定時法である[1]。したがって昼夜の長さが季節で変われば、一刻の長さも変わる。

数値で考える。昼が14時間の夏なら、昼の一刻は14÷6で約2時間20分。昼が10時間の冬なら、10÷6で約1時間40分である(どちらも仕組みを示す仮の数値で、実際の日の長さは場所と日付で異なる)。夜の一刻は逆に動き、夏は短く、冬は長い。「九つ」や「八つ」という名前は変わらなくても、そのあいだの長さは年中ずれ続けた。

この性質は、「お江戸日本橋七ツ立ち」の「七つ」の解釈にも現れる。江戸東京博物館の解説は、七つを夜明け前の時刻とし、現代の「午前四時頃」と説明されると紹介する一方、江戸時代は時刻制度が大きく異なり、現在の何時かという答えは厳密には季節によって違うと注意している[3]。つまり、「七つ=午前4時」は目安であって、換算表のように一対一で固定できるものではない。

では、季節ごとに動く時刻を、庶民はどのように共有したのか。次の章で、町に置かれた鐘に注目する。

4. 時計の 少ない 町で、時間は どうやって つたわったの?

4. 時計の少ない町で、「時の鐘」はどう時刻を伝えたのか

4. 季節で動く時刻を「時の鐘」が町じゅうに伝えた方法と、その費用

町の 人の たよりは、お寺などに あった 「時の鐘かね」でした。江戸えどの 町には、本石町など 9か所に 時の 鐘かねが ありました。前の 鐘かねの 音を きいて、つぎの 鐘かねが じゅんばんに 鳴らされたのです[4]。みんなで 力を あわせて、町じゅうに 時間を ひろげて いたのですね。

鳴らし方にも くふうが ありました。本番の 鐘かねの 前に、まず 3回 鳴らします。「すてがね」と いいます。「これから 時間を しらせますよ」と、耳を 向けて もらう 合図です[4]。

この 鐘かねを 鳴らす お金は、町の 家を もつ 人たちが、1か月に 1けん 4文ずつ 出して、まかなって いました[5]。みんなで お金を 出しあって、みんなの 時間を まもって いたのです。

ふつうの 人が つかって いた 日時計は、今の 1時間ぐらいの 細かさでしか 読めなかった、と せつめいする 本も あります[6]。ですから、鐘かねの 音は とても たよりに なったのです。

町の人の頼りは、「時の鐘」でした。江戸の町には、本石町など9か所に時の鐘があり、前の鐘の音を聞いて、順序よく次の鐘が鳴らされました[4]。鐘の音がリレーのようにつながって、時刻を江戸の町に伝えていました。

鳴らし方にも工夫がありました。時を告げる鐘をつく前に、まず注意を引くために三度つき鳴らします。これを「捨て鐘」といいます[4]。「これから時刻を知らせますよ」という合図です。

この鐘は、無料ではありませんでした。中央区の文化財解説によると、江戸府内の時の鐘は、家持町人(家を持つ町の人)から1軒につき1か月4文の鐘撞銭を集めて、管理や運営の費用に充てていました[5]。町の人が少しずつお金を出し合って、みんなの時間を支えていたことになります。

鐘が頼りにされた理由は、ほかにもあります。科学館の解説では、庶民の間に出回っていた日時計は、現在の1時間程度の精度でしか時刻が読めなかったとされます[6]。細かい分や秒まで合わせるより、鐘の音で大まかな時刻をそろえる暮らしだったようです。

では、この数え方を、今の私たちは自分の時計で確かめられるのでしょうか。

季節で動く時刻を町じゅうに伝えたのが、「時の鐘」である。セイコーミュージアムの解説によれば、江戸には本石町など9か所に鐘があり、前の鐘の音を聞いて順序よく次の鐘が鳴らされた[4]。鐘を連ねることで、時刻が町全体に順に伝わる仕組みだった。

鳴らし方にも約束があった。時刻を告げる鐘を撞く前に、まず注意を引くために三度撞き鳴らす。これが「捨て鐘」である[4]。聞き手に、これから時刻の鐘が来ることを知らせる前置きの役を果たしたと考えられる。

運営費は町が負担していた。中央区の文化財解説は、江戸府内の時の鐘では、家持町人1軒につき1か月銭4文の鐘撞銭を徴収し、管理・運営費を賄っていたと記す[5]。町の人たちは鐘の費用を分担し、時刻を知らせる仕組みを共同で支えていた。

なぜ鐘が頼りにされたのか。科学館の解説は、庶民の間に流通していた日時計について、現在の1時間程度の精度でしか時刻を読み取れなかったと述べる[6]。不定時法の一刻は夏冬で約1時間40分から2時間20分ほどの幅(前章の仮の数値)で動くので、1時間程度の誤差は一刻の半分ほどにあたる。ただし、これは日時計の精度についての一つの解説で、当時の人がどれほど時刻に細かかったかまでは、この資料だけでは決められない。

こうした時刻の仕組みは、今の時計でも一部を追体験できる。次の章で、その方法を示す。

5. 家で 「九つ」を さがして みよう

5. 自分の時計と窓の外で「一刻」を確かめる

5. 一刻の長さを自分で計算し、原典に当たる

きょう できる こと

お昼の 12時に、時計を 見て 「今は 九つの ころだね」と 言ってみましょう。おやつの 時間は 「お八つ」です。家の人に 「八つって、お昼の つぎの 時間だよ」と 教えて あげましょう。

なつと ふゆで くらべる

天気よほうで、今日の 「日の出」と 「日の入り」の 時こくを しらべます。昼を 6つに 分けると、一つぶんが どれくらいか けいさんできます。夏や 冬に もう 一度 やると、長さが ちがう のが わかります。

お昼の九つを探す

お昼の12時になったら、時計を見て「九つだ」と言ってみてください。おやつの時間を「お八つ」と呼んで、家の人に由来を話してみるのもよいでしょう。

一刻の長さを計算する

天気予報のページや新聞で、今日の日の出と日の入りの時刻を調べます。日の出から日の入りまでを夜明けから日暮れまでの近似値として使い、昼を6等分すると、昼の一刻の目安を計算できます。夏と冬で同じ計算をすると、長さがちがうことを数字で確かめられます。

資料を読むなら

セイコーミュージアムの解説[1][4]と国立劇場の落語解説[2]は、日本語でやさしく読めます。

一刻を計算してみる

天気予報や暦の表で、日の出と日の入りの時刻を調べる。江戸時代の区切りは夜明けと日暮れなので、これは近似値になる。昼の長さを6で割れば昼の一刻の目安、夜の長さを6で割れば夜の一刻になる。夏至に近い日と冬至に近い日で同じ計算をすれば、第3章の「約2時間20分と約1時間40分」の仮の数値が、実際にはどのくらいになるかを確かめられる。

資料を読むなら

数え方の規則はセイコーミュージアムの解説[1]、「八つ」と「縁起」の説明は国立劇場の解説[2]、七つの換算の注意は江戸東京博物館の資料[3]にある。鐘の連動と捨て鐘は[4]、鐘撞銭は中央区の文化財解説[5]、日時計の精度は科学館の解説[6]が詳しい。九つの由来には縁起説と太鼓説があるため、原典に当たって、どの根拠がどこまで示されているかを見比べるとよい。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文で使った資料です。

  1. セイコーミュージアム「不定時法の説明」. https://museum.seiko.co.jp/knowledge/relation_16/ (不定時法/九つから数が減る規則)
  2. 国立劇場 伝統芸能情報館「登場人物と庶民の暮らし:時刻とお金の数え方」. https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc20/geino/rakugo/kurashi3.html (おやつの由来/九つの縁起)
  3. 江戸東京博物館 図書室「「お江戸日本橋七ツ立ち」の「七ツ」は現在の何時か。」. https://www.edo-tokyo-museum.or.jp/library/reference/6416.html (七つの現在の時刻と季節による違い)
  4. セイコーミュージアム「江戸時代の暮らしと時間」. https://museum.seiko.co.jp/knowledge/relation_07/ (時の鐘の連動/捨て鐘)
  5. 中央区「銅鐘石町時の鐘」. https://www.city.chuo.lg.jp/a0052/bunkakankou/rekishi/tokyobunkazai/dosyokokutyotokinokane.html (鐘撞銭)
  6. 大阪市立科学館「日本人はいつから時刻に正確になったのか」. https://www.sci-museum.jp/wp-content/themes/scimuseum2021/pdf/study/universe/2017/12/201712_04-09.pdf (庶民の日時計の精度)

なおした ところ

更新履歴

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