1. れいぞうこは、そんなに むかしから あったの?
1. 冷蔵庫が「当たり前」になったのは、いつから?
1. 電気冷蔵庫の普及 ── 1957年の2.8%から1970年の89.1%へ
いま、うちに れいぞうこが ない 家は ほとんど ありません。でも、日本の 家に れいぞうこが ふえたのは、そんなに むかしの ことでは ないのです。
国の 白書に よると、電気の れいぞうこを もつ 家は、1957年で 2.8パーセントでした。それが 1970年には 89.1パーセントに なって います[1]。
では、その まえの 人たちは、なつの あつい 日、どうして いたのでしょう。
今は台所に必ずある冷蔵庫ですが、家庭に広がったのは意外に最近です。男女共同参画白書(平成16年版)のコラムには、電気冷蔵庫の普及率が昭和32年(1957年)に2.8%、昭和45年(1970年)に89.1%と書かれています[1]。
13年ほどで、ほとんどの家にある道具になった計算です。白書は普及率をこのように記しています。
それより前の人たちは、暑い夏に、食べ物をどう守っていたのでしょうか。
電気冷蔵庫が家庭の標準になった時期は、思いのほか新しい。男女共同参画白書(平成16年版)のコラムは、普及率を昭和32年(1957年)の2.8%、昭和45年(1970年)の89.1%と記す[1]。13年で普及率は約32倍になった計算になる。白書は普及率をこのように記すが、対象世帯の範囲は、このコラムに明記されていない。
では、冷蔵庫の普及以前は、食べ物を冷たく保つ手段が全くなかったのか。実際には、冷やす・乾かす・発酵させるという、原理の違う工夫が日本の暮らしに重なっていた。まず「冷やす」の側から、冬の氷を夏まで守った氷室を見る。
2. 2月の こおりは、7月まで のこるの?
2. 2月に入れた氷は、7月まで残るのか
2. 復元氷室の実験 ── 3000kgの氷は、5か月後に何割残ったか
ならの つげという ところに、「ひむろ」が あります。ひむろは、ふゆの こおりを なつまで とっておく 小屋の ことです。
1999年に、地元の 人たちが 昔の やり方を ふっこうしました。まいとし 2月、3000キロの こおりを 小屋に いれ、かやという 草を いっぱいに つめて、ぴったり ふさぎます。そして 7月の「こおりまつり」の 日に、はこびだします[2]。
しりょうには、その 年の こおりが 17パーセント のこった と あります。20年 まえは 70パーセントでした[2]。
3000キロの 17パーセントは、およそ 510キロです。ぜんぶ とけて しまうと おもいがちですが、5か月 たっても、けっこう のこって いたのです。
復元された氷室の実験
奈良市の都祁には、地元の人たちが1999年に復元した氷室があります。毎年2月に3000キログラムの氷を入れ、茅を小屋いっぱいに詰めて密封し、7月の「氷まつり」で運び出します[2]。
資料には、氷の残りが17%だった年があり、20年前は70%だったと書かれています[2]。3000キログラムの17%は約510キログラム、70%なら2100キログラムです。ただし、17%と70%の差の理由は、資料の中では説明されていません。
氷室のつくりと、いま
復元氷室とは別に、一般的な氷室のつくりも紹介されています。氷室は、洞穴や穴に干した草や茅を敷き、冬の天然の氷を入れて、板や葉でふたをするしくみだと紹介されています[3]。雪の多い地方では、今も雪室や雪穴として、野菜や米、日本酒をしまっておく使い方が続いています[3]。
5か月後にも、氷が数百キログラム残る年があります。小屋に氷を入れて夏まで置く方法の、一つの姿です。
奈良市の都祁では、1999年に地元の人々が氷室を復元した。毎年2月に氷3000kgを搬入し、茅を小屋いっぱいに詰めて密封し、7月に運び出す。奈良市の資料は、氷の残量率を今年17%、20年前は70%と記す[2]。3000kgの17%は510kg、70%なら2100kgだ。
ただし、この「今年」が西暦で何年かは資料からは分からない。20年で残量が下がった理由も書かれておらず、一定の条件で毎年測った厳密な実験とまでは言えない。
復元氷室とは別に、一般的な氷室のつくりについて、北海道新聞の記事は、洞穴や穴に干した草や茅を敷き、冬の天然氷を入れて板や葉で覆う仕組みだと紹介する[3](草を敷くという記述は、この資料が示す範囲のもの)。多雪地方では今も雪室・雪穴として、野菜・米・日本酒の貯蔵に使われている[3]。断熱の理由は、用いた資料に書かれていないので、ここでは説明しない。
では、氷の小屋はいつごろから、何のために使われたのか。
3. こおりの 小屋は、いつから あるの?
3. 氷室の話は、1600年ほど前の伝えにさかのぼる
3. 氷室の起源 ── 『日本書紀』の伝承と、長屋王邸出土の木簡
むかしの 本、「にほんしょき」に、こんな はなしが あります。
おうじが、つげで かりを して いたとき、山の 中で 小屋を みつけました。「これは なんの 小屋か」と たずねると、土地の えらい 人が 「こおりを ためる ひむろです」と こたえました。おうじは こおりを もち帰り、てんのうは よろこんで、まいとし おくらせた そうです[2]。
400ねんごろの はなしと いわれますが、ものがたりとして つたわった ものです。ただ、なら時代に、都の お屋しきの あとから「つげひむろ」と かかれた 木の ふだも 見つかって います[2]。
こおりは、ずっと 大事に されて いたのですね。
皇子が見つけた小屋
『日本書紀』に、こんな伝えがあります。仁徳天皇の異母兄弟の額田大中彦皇子が、都祁で狩りをしていて、小屋を見つけます。「これは何の小屋か」とたずねると、土地の首長は氷を貯める氷室だと答えました。皇子は氷を持ち帰り、天皇は喜んで、以後毎年、献上させたといいます[2]。
この話は4世紀ごろのこととされますが、物語として伝わったもので、年は推定です。
木簡に残った氷室
奈良時代の氷室については、別の手がかりがあります。1988年の平城宮跡の長屋王邸の発掘で、「都祁氷室」などと書かれた木簡が見つかりました[2]。都祁の氷が、奈良時代も宮中へ届けられていたことを示すものです。
『日本書紀』は、額田大中彦皇子(仁徳天皇の異母兄弟)が都祁で狩りをして小屋を見つけ、土地の首長が氷室だと答えたと伝える。皇子が氷を持ち帰ると天皇は喜び、以後毎年献上させたという[2]。4世紀ごろの話とされるが、年代は推定で、物語としての伝承である。
では、これは伝説だけなのか。そうとは言えない。1988年の平城宮跡・長屋王邸の発掘調査で、「都祁氷室」などと書かれた木簡が見つかっている[2]。奈良時代にも、都祁の氷室から宮中へ氷が献上されていたことを示す、文字の証拠だ。
ただし氷室は、氷が手に入る冬と寒い土地が要る方法だ。それが使えない場所では、どうするのか。答えの1つは、食べ物の水分を減らすことだった。
4. こおりが なくても、かつおぶしは くさらないの?
4. 氷がなくても、魚を長く持たせる方法 ── かつお節
4. 水分を減らす保存 ── かつお節と水分活性
こおりが ない ところでは、食べものの 水を へらしました。そうすると、くさらせる 小さな いきものが ふえられなく なります。
その れいが、かつおぶしです。かつおを にて、けむりで いぶしながら かわかす ことを くりかえし、水が 26パーセント いかに なるまで へらします[5]。
国の しりょうでは、かつおを 3まいに おろし、4つの きりみに して にると せつめいされて います[5]。
いまの つくり方は、1674年に きしゅう(わかやま)で はじまり、1707年に もりやへえという 人が まくらざきに つたえた とされて います[5]。
ただし、かつおぶしの 中の 水が どのくらいの 数字なのかは、この 記事では たしかめて いません。
魚を「煮て、燻して、乾かす」
かつお節は、かつおを煮て、煙でいぶす焙乾(ばいかん)を繰り返して、水分が26%以下になるようにしたものです[5]。頭・内臓・腹皮を取り、3枚におろして4つの切り身にし、煮てから煙でいぶしながら乾かします[5]。
現在の製法は、1674年に紀州で始まり、1707年に森弥兵衛が枕崎へ伝えたとされます[5]。
水分が少ないと、なぜ長もちするのか
食べ物の水のうち、微生物が使える水の割合を水分活性(Aw)といい、0から1で表します。秋田県健康環境センターの年報は、Awが0.6以下だとほとんどの微生物が増えられないと説明します[4]。乾燥や塩蔵は、このAwを下げる工夫でした[4]。
同じ年報の測定では、わかさぎの唐揚(佃煮)が平均0.39、梅干は0.83〜0.92でした[4]。かつお節そのもののAwは、この資料にはありません。
冷やせない環境で食べ物を持たせるには、微生物が使える水を減らす手がある。秋田県健康環境センターの年報によれば、微生物が使える自由水の割合を水分活性(Aw、0〜1)といい、Aw0.6以下ではほとんどの微生物が増殖できない。従来の乾燥や塩蔵は、Awを下げて常温での保存性を高める工夫だったと整理される[4]。
その代表がかつお節だ。農林水産省の資料は、かつおを煮て焙乾(ばいかん)を繰り返し、水分を26%以下にしたものと説明する。頭・内臓・腹皮を除いて3枚におろし、4つの切り身にして煮て、煙でいぶしながら乾燥させる[5]。今の製法は1674年に紀州で始まり、1707年に森弥兵衛が枕崎へ伝えたとされる[5]。
同じ年報は、わかさぎの唐揚(佃煮)が平均Aw0.39、ジャーキーが0.43〜0.75、梅干が0.83〜0.92と測定している。加熱・乾燥・調味で自由水が減ったためと考えられ、値は食品ごとに大きく違う[4]。ただし、かつお節そのもののAw値は、この資料にはないので、かつお節の値として引用しない。
水を減らすほかに、塩の力を借りる方法もあった。しかも、その塩の中で、あえて「腐らせる」ように見えるものがある。
5. すしの ごせんぞは、どんな たべもの?
5. 酸っぱい米ごと食べる、すしの先祖
5. 塩と乳酸発酵 ── なれずしから「生馴れ」へ
いまの おすしの ごせんぞは、「なれずし」と いわれます。たるの 中で、魚を しおと たいた ごはんと いっしょに つけて、じっくり おいて つくります[6]。
ごはんの 中で、「にゅうさんきん」という 小さな いきものが はたらき、すっぱく なります。においも 強くて、とくべつな あじです。なれずしは、魚を ながく のこす ための 食べ方でした[6]。
室町時代の ころ、つくる 時間を みじかく して、ごはんも 魚といっしょに 食べる「なまなれ」が うまれました。これが、いまの すしに つながった と いわれます[6]。
のうりんすいさんしょうは、ふなずしの あじは、チーズに にた ところが あると せつめいして います[7]。
樽の中で、魚を発酵させる
なれずしは、樽の中で魚を塩と炊いた米で乳酸発酵させた保存食です。独特のにおいと酸味があります[6]。発酵が進んで「馴れる」「熟れる」ことから、この名がついたとされます[6]。東南アジアの山岳地帯で生まれた魚の貯蔵法が、稲作とともに日本へ伝わったものだと農林水産省は説明しています[6]。
米も食べるようになった
室町時代には、発酵の期間を短くし、飯も魚といっしょに食べる「生馴れ」が生まれました[6]。この酸味のある飯がのちに今のすしへ発展したため、なれずしは「すしの先祖」といわれます[6]。
ふなずしは乳酸菌が多く、味はチーズに似たところがあると、農林水産省は書いています[7]。
なれずしは、樽の中で魚を塩と炊いた米で乳酸発酵させた、独特のにおいと酸味の保存食だ[6]。発酵が進み「馴れる」「熟れる」ことが名の由来とされる。東南アジアの山岳地帯で生まれた魚の貯蔵法が稲作とともに伝わったという農林水産省の説明が、このメモが用いた資料の範囲での起源説である[6]。
なぜ、このすしが「先祖」なのか。室町時代に、発酵期間を短くして飯も魚といっしょに食べる「生馴れ」が生まれ、その酸味のある飯が、のちに今のすしへと発展したためだ[6]。飯も魚といっしょに食べる形が生まれ、すしの食べ方が変わっていったことが分かる。
農林水産省は、発酵を貴重な食材を保存する技術、長い年月をかけて先人が磨いた知恵の結晶と位置づける。塩辛の例では、食塩で腐敗を防ぎつつ、素材自身の消化酵素の働きで生臭さが消え、独特の風味ができるという[7]。ふなずしについては、乳酸菌が多く、味はチーズに似たところがあると同じ資料が書く。
6. むかしの ちえは、いまも くらしに あるの?
6. 「冷やす」だけではない保存の工夫は、今も台所にある
6. 3つの原理のまとめ ── 冷やす・乾かす・発酵させる
ここまでの 3つを ならべて みましょう。ひむろは、ふゆに いれた こおりを、小屋の 中で なつまで まもります。かつおぶしは、水を へらします。なれずしは、しおと はっこうで まもります。
やり方は ちがっても、食べものを いたみにくく する くふう という ところは、にて います。
いまも ゆきの おおい ところでは、ゆきの へやに、やさいや おこめ、おさけを しまう ことが あります[3]。
むかしの 人は、ふゆの さむさや、けむり、しおを、上手に つかいました。れいぞうこが ふつうに なる まえの くらしには、そんな ちえが あったのです。
「もっと しりたい」と おもったら
自分でも調べてみたくなったら
自分でも調べてみたくなったら
おうちで できる こと
台所で、「昔から ある たべもの」を さがして みましょう。かつおぶし、ほしいたけ、うめぼし、つけものなど、みずけの すくない ものや、しおを つかった ものです。火や ほうちょうは つかいません。
ふくろの 上から そっと さわって みたり、家の 人に「これは いつから あるの」と きいたりして みましょう。
もっと しらべたい とき
のうりんすいさんしょうの「うちの きょうどりょうり」には、かつおぶしや なれずしの ページが あります。ならしの しりょうには、ひむろの 話が あります。
今日できること
台所や冷蔵庫の中に、乾かしたもの、塩を使ったもの、発酵したものがないか探してみましょう。かつお節、干ししいたけ、梅干し、漬物などです。火や包丁は使わず、しまう場所を変えたりもせず、包装の表示や、いつものしまい場所を見比べてみます。
家の人に、「これは昔からある食べ物?」と聞いてみるのもいいでしょう。
資料を読むなら
農林水産省の「うちの郷土料理」に、かつお節・なれずしの説明があります。奈良市の氷室・都祁のガイド資料には、復元された氷室の数字があります。
身近な食品を見比べる
家にある、乾燥・塩蔵・発酵させた食品(かつお節、干ししいたけ、梅干し、漬物など)について、包装の表示(保存方法・原材料)や、いつものしまい場所を見比べる。食品の置き場所は変えない。その食品が守られている理由を考える手がかりになる。火や包丁は使わない。
一次に近い資料
農林水産省「うちの郷土料理」(かつお節・なれずし)、奈良市の氷室・都祁ガイド資料、秋田県健康環境センター年報(水分活性)を、出典欄から読める。たとえば、農林水産省のなれずしのページと水産発酵食品のページを読み比べると、発酵が「保存の技術」として書かれている点を確かめられる。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
数字や説明は、次の資料をつき合わせて書きました。
- 内閣府「男女共同参画白書 平成16年版」コラム https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h16/danjyo_hp/html/column/col01_00_03_01.html (冷蔵庫の普及率)
- 奈良市 氷室・都祁ガイド資料 https://www.manabunara.jp/cmsfiles/contents/0000010/10945/10945_2.pdf (氷室の伝承・木簡・復元の数字)
- 北海道新聞 記事 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1344368/ (氷室のつくり・雪室)
- 秋田県健康環境センター年報 第17号(2021) https://www.pref.akita.lg.jp/uploads/public/archive_0000088131_00/kk2021_17_3_13.pdf (水分活性)
- 農林水産省「うちの郷土料理」かつお節 https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/traditional-foods/menu/katuobusi.html (かつお節の作り方と歴史)
- 農林水産省「うちの郷土料理」なれずし https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/traditional-foods/menu/narezusi.html (なれずしの説明)
- 農林水産省 水産発酵食品 https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/traditional-foods/bunrui/suisan-hakkou.html (発酵は保存の技術・ふなずし)
なおした ところ
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