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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

日本の いえでは、どうして げんかんで くつを ぬぐの?

日本の家では、どうして玄関で靴を脱ぐのでしょうか

玄関で靴を脱ぐ習慣は何に支えられているか ── 段差・畳・床座・「ウチ」と「ソト」

分野:歴史・文化

ブラジルの びょういんで、ベッドの 上で くつを ぬいだら おこられた、と いう 日本人の けんちくの 先生が います。日本では、くつを ぬぐのが ふつうなので、ふしぎな 話です[7]。

えど時代の 出島の 絵には、たたみの 上で くつを はいたままの オランダ人が えがかれて います[6]。

日本の 家で くつを ぬぐ わけは、ひとつでは ありません。木で つくった 高い ゆか、たたみと ゆかに すわる くらし、外の よごれを 入れたく ない 気もち。この 3つが かさなって いると 考えられて います。いつから ぬいで いるのかは、まだ はっきり しません。げんかんを 見ながら、わかって いる ことと 決まって いない ことが わかります。

ブラジルの病院で、ベッドの上で靴を脱いだら叱られた。日本人の建築史家が書いた本は、この体験から始まります[7]。日本では当たり前の「家に入ったら靴を脱ぐ」は、世界の常識ではないというのです。江戸後期の出島を描いた絵には、畳の上で靴をはいたままのオランダ人が描かれています[6]。

では、日本の家はなぜ脱ぐことになったのでしょうか。理由として挙げられているのは、床を高くした木造の家、畳と床に座る暮らし、外の汚れを家に入れたくない気持ちです。ただし、いつから脱いでいたのかは、はっきり決まっていません。玄関の段差から順に見ていくと、そのつながりと、まだ答えの出ていない部分が分かります。

日本人の建築史家・井上章一の著書は、ブラジルの病院で、ベッドで靴を脱いだら叱られたという体験を出発点にしている[7]。西洋や中国では家の中でも靴をはくのが普通で、「家では靴を脱ぐ」は世界の常識ではない、という問題意識である。江戸後期の出島を描いた『唐蘭館絵巻』には、畳の上に靴をはいたまま座るオランダ人の姿がある[6]。

では、日本の家で靴を脱ぐ理由は何か。床を高くした木造家屋、畳と床座の暮らし、外の汚れを持ち込まないという清浄意識が、理由として挙げられている[1][2]。ただし、いずれも「とされる」「考えられている」という説明で、起源は一つに決まっていない。この記事では、理由の層と、まだ分かっていない部分の境目が分かる。

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1. くつを ぬぐのは、せかいの あたりまえじゃ ないの?

1. 「家で靴を脱ぐ」は、世界の当たり前ではない

1. 「家では靴を脱ぐ」は世界の常識ではない ── 一冊の問題提起

日本の 家では、げんかんで くつを ぬいで 上がります。小さい ときから して いる ので、ふしぎに 思わない 人が おおいでしょう。

ところが、せかいには、家の 中でも くつを はく 国や ところが たくさん あります。けんちくの 先生の いのうえ しょういちさんは、西ようや 中国では 家の 中でも くつを はくのが ふつうだと して、「日本人は なぜ 家で くつを ぬぐのか」と 本に まとめました[7]。

ぬぐのが あたりまえの 人には、びっくりする 話ですね。

では、日本の 家の げんかんには、ぬぐ ことに なる ような しかけが あるのでしょうか。足もとを 見て みましょう。

叱られた体験から始まった本

建築史家の井上章一さんが2026年に出した『日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか 土足禁止の精神史』(新潮選書)は、約500年の異文化接触をたどった本です。出発点は、ブラジルの病院でベッドで靴を脱いだら叱られたという体験だと紹介されています[7]。

この本の問題意識は、西洋や中国では家の中でも靴をはくのが普通で、「家では靴を脱ぐ」は世界の常識ではない、というところにあります[7]。世界中の家で靴をはいているという意味ではありません。脱ぐ習慣のある地域もあります。

日本の玄関で靴を脱ぐことは、当たり前に見えて、くわしく見ると理由のある習慣です。では、玄関にはどんなつくりがあるのでしょうか。

井上章一『日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか 土足禁止の精神史』(新潮選書、2026年7月刊)は、約500年にわたる異文化接触をたどる本である。出発点は、ブラジルの病院でベッドで靴を脱いだら叱られたという著者自身の体験で、そこから「家では靴を脱ぐ」ことが世界の常識ではないという問題意識が生まれた[7]。

この前提には注意が要る。西洋や中国で家の中でも靴をはくのが普通だという指摘は、世界中の家が土足だという意味ではない。脱ぐ習慣のある地域もあり、世界の比較は個別に見なければならない。したがって、本記事は日本の家のつくりと暮らしに絞り、「なぜ脱ぐのか」を段差・畳・清浄意識の順に整理する。

では、日本の家の玄関は、脱ぐことを前提にどう作られているのか。

2. げんかんの だんさは、なんの ために あるの?

2. 玄関の段差は、床を高くした木の家からできた

2. 上がりかまちと土間 ── 湿気対策の高床が作った段差

日本の げんかんには、くつを ぬぐ ところと、家の ゆかの あいだに、だんさが あります。この だんさを「あがりかまち」と いい、くつを ぬぐ ところを「たたき」や「どま」と よびます[1]。

だんさが できた わけは、日本の きこうに あります。日本は あつくて しめりけの 多い ところです。むかしから、しっけに つよい 木の 家が 多く、木を しめりけから まもるために、ゆかを 地めんより 高く した、と されて います[1]。ゆかが 高いので、入口に だんさが できたのです。

あがりかまちには、すわって くつを はいたり ぬいだり できる やくめも あります。そとの ほこりが 家の 中に 入るのを ふせぐ はたらきも あります[1]。

ただし、ゆかが 高いのは だんさの わけで、くつを ぬぐ わけとは べつの 話です。

むかしの おきゃくさんは、どまで 足を あらったり、きれいな たびに はきかえたり して から 上がって いました[1]。げんかんは、小さな おうせつまの ような ところでも あったのです。では、だんさの 上の ゆかは、どんな ようすでしょう。

段差は、床を高くしたことで生まれた

玄関に入ると、靴を脱ぐ土間(「たたき」「玄関土間」とも)と、家の床のあいだに段差があります。この段差が「上がりかまち」です[1]。

日本は高温多湿で、古くから湿気を調節する力のある木造家屋が主流でした。床下の木材を湿気から守るために、床を地面より高くしたため、玄関に段差ができたとされます[1]。ここで言えるのは、段差の理由です。湿気が靴を脱ぐ理由だと説明した資料ではありません。

上がりかまちには、腰かけて履物を着けたり外したりする役目と、ほこりが屋内に入るのを防ぐ役目があります[1]。

足を洗い、足袋に履きかえた時代

わらじや草履が一般的だった近世には、訪問者は土間で足を洗ったり、きれいな足袋に履きかえたりして上がっていました[1]。玄関は、簡単な応接の場でもあったのです。

段差の上にあるのは、畳や板の間です。では、その床は、靴で上がると何が困るのでしょうか。

玄関の段差は、床を高くしたことの結果である。日本は高温多湿で、冬は乾燥する気候のため、古くから調湿性に優れた木造家屋が主流だった。そのため床下の木材を湿気から守る目的で床を地面より高くし、玄関に家の内外を分ける段差、すなわち上がりかまちができたとされる[1]。履物を脱ぐ土間の部分は「たたき」や「玄関土間」と呼ばれる。

ここで区別しておきたいのは、高床は段差の理由であって、靴を脱ぐ理由ではないという点である。湿気と脱ぐ習慣を直接結びつけて検証した資料は、今回の範囲には見当たらない。上がりかまちの役目は、腰かけて履物を着脱できることと、ほこりの侵入を防ぐことである[1]。

近世にはわらじや草履が一般的で、訪問者は土間で足を洗ったり、きれいな足袋に履きかえたりしてから上がった。玄関は簡易な応接の場でもあった[1]。では、足を洗ってまで守りたい段差の上の床とは、どんな床なのか。

3. たたみの へやで、どろの くつは こまる

3. 畳と床に座る暮らしで、泥の靴は困る

3. 畳と床座の暮らし ── 汚したくない床が、一般の家に広がるまで

むかしの 日本人は、ゆかに すわって ごはんを たべ、ふとんを しいて ねて いました。ゆかは、いすの かわりであり、ベッドの かわりでも あったのです。だから、どろの ついた くつで 上がる ことを さけるならわしが、むかしから 根づいたと されて います[1]。

道に まだ アスファルトが なかった ころ、くつの そこには、どろや 雨水が ついて いました。それで たたみや ゆかを よごしたく ない、と 考えるのは ふつうの ことです[2]。くつの そこの どろが、たたみに はんこを おして しまう ところを、そうぞうして みて ください。

たたみは、はじめから 全部の へやに しかれて いた わけでは ありません。むかしは、ひつような ところに 一まいずつ おく ものでした。室町時代の ころに、へやの 全体に しく やり方が ひろまり、ふつうの 家には 近世いこうに すこしずつ ひろがりました[3]。

「家に 上がる」の「上がる」は、あがりかまちから 来たと いう いいかたも あります。ただし、はっきり 決まった 話では ありません[2]。

では、よごれを 入れない ためだけで、ぬぐので しょうか。もう ひとつ、気もちの 話が あります。

床に座り、布団で寝る暮らし

床に座って食事をし、布団を敷いて寝る暮らしだったため、土足を避ける習慣が古くから根づいたとされます[1]。床は、ただ歩く場所ではなく、座る場所であり、寝る場所でもあったのです。

道路が舗装されていなかった時代は、泥や雨水で汚れた靴で家を汚したくない、という実際的な理由もありました[2]。「家に上がる」の語源を上がりかまちとする説明もありますが、一般向けの解説で語られているもので、定説とまでは言えません[2]。

畳が全部の部屋に敷かれたのは、最初からではない

畳は古くは、必要な場所に置く「置畳」でした。室町時代ごろ、書院造の発展とともに部屋全体に敷きつめる習慣が広まり、近世以降に一般の住宅へ徐々に浸透しました[3]。

昔から全部の家が畳敷きだったわけではありません。泥の靴が困るのは、床を大事に使う暮らしが広がってからだともいえます。では、汚れを入れないだけが理由なのでしょうか。

日本の家で土足が避けられた理由は、まず暮らし方にある。床に座って食事をし、布団で寝る暮らしでは、床は歩く場所であると同時に、座り、寝る場所でもあった。そのため土足を避ける習慣が古くから根づいたとされる[1]。道が舗装されていなかった時代には、泥や雨水で汚れた靴が家を汚し傷める、という実際的な事情も加わる[2]。「家に上がる」の「上がる」を上がりかまちの語源とする見方は一般向け解説で語られるもので、定説とまでは言えない[2]。

ただし、畳敷きの床が早くから一般に広まっていたとは限らない。畳は古くは寝殿造などで必要な場所に置く「置畳」であり、室町時代ごろ書院造の発展とともに部屋全体に敷き詰める習慣が広まり、近世以降に一般住宅へ徐々に浸透した[3]。したがって、畳を傷めたくないという理由は、畳が広まった時期以降に強まったと読める。それ以前の庶民の家の床と靴の関係は、別の資料で見る必要がある。

実際的な理由だけでは、集合住宅のように泥が上がらない家の玄関にまで段差がある理由を説明しきれない。では、そこで働く別の考え方とは何か。

4. どろが 上がらない マンションにも、だんさが ある ふしぎ

4. 外の汚れを入れない「ウチ」と「ソト」の境目

4. 「ウチ」と「ソト」の境界としての玄関 ── 不要な段差が残る理由

アパートや マンションの げんかんにも、だんさが あります。ゆかを 高く して 地めんの しめりけを さける ひつようは ないのに、あがりかまちが つけられて いる ことが あります[2]。

しゃかいじんるいがくしゃの なかね ちえさんは、「ウチ」と「ソト」という 見かたを、日本らしい 考えかたの ひとつとして となえました[2]。「ウチ」は 家の 中、「ソト」は 外の せかいです。

げんかんは、その さかいめに あたります。外の よごれを 家に 入れない ために、ここで くつを ぬぐ、と 考えられて います[2]。見えない 線が、げんかんに ひかれて いる ような ものです。ただし、これは 考えかたの ひとつで、れきしで しょうめいされた 話では ありません。

では、日本人は いつごろから、こうして くつを ぬいで 上がって きたのでしょうか。

集合住宅にも、必要のない段差がある

マンションなどの集合住宅でも、構造上は必要のない上がりかまちが設けられることがあります。これは、外の汚れを持ち込まないという清浄意識の表れだとされます[2]。

「ウチ」と「ソト」の境界

社会人類学者の中根千枝さんは、「ウチ」と「ソト」を日本的な概念の一つとして唱えました。玄関はその境界にあたり、外の汚れを家に持ち込まないために靴を脱ぐと考えられています[2]。

ただし、これは考え方の説明で、歴史的に証明されたものではありません。畳や床座の暮らしと同じく、理由が一つに決まる話ではないのです。では、日本人はいつから靴を脱いでいたのでしょうか。

清浄意識の面では、玄関は「ウチ」と「ソト」の境界と見なされる。社会人類学者の中根千枝は、「ウチ」と「ソト」を日本的な概念の一つとして唱えた。この枠組みでは、外の汚れを家に持ち込まないために、境界である玄関で靴を脱ぐと考えられている[2]。

その表れとして、集合住宅でも構造上は不要な上がりかまちを設けることが挙げられる[2]。湿気対策の高床という本来の理由が働かない家でも、段差が残る。段差は、意味を変えながら使われ続けていると読める。ただし、これは考え方の説明であり、歴史的に証明されたものではない。畳・床座・実際的な汚れ・境界の感覚は、どれか一つが決定的な原因というより、重なって習慣を支えているとみるのが妥当だろう。

では、この習慣はいつ、どこから始まったのか。

5. いつから ぬいで いるのか、じつは まだ わからない

5. いつから脱いでいたのかは、はっきり決まっていない

5. 起源をめぐる諸説 ── 弥生説・絵巻物・宣教師の記録

くつを ぬぐ ならわしが、いつ 始まったのか。ここは、まだ 決まって いない ところです。

「やよい時代から ぬぐ ならわしが あった」と いう 話が あります。また、へいあん時代の えまきには、ゆかの ある 家で、身分の 高い 人が はきものを ぬいで くらす ようすが かかれて いる、と しょうかいされる ことも あります[2]。ただし、これは ひとつの かいせつで 語られて いる 話で、はじまりが 決まったとは 言えません。

本を 書いた いのうえさんも、「なぜ 家で くつを ぬぐのか」に、はっきりした 答えを 出した わけでは ない、と しょうかいされて います[8]。タイトルは、問いかけとして 出されて いるそうです。

ぎもんは、まだ のこって います。では、外国から 来た 人たちは、たたみの 家で どう して いたのでしょうか。

弥生説と平安の絵巻物

弥生時代から靴を脱ぐ習慣があったという説があります。平安時代の絵巻物には、床のある家で貴族が履物を脱いで暮らす様子が描かれている、とも紹介されます[2]。ただし、これは一つの解説で語られている内容です。いつから、全国のどの家で脱いでいたのかを決める材料としては十分でありません。

答えが一つに決まっていない問い

井上章一さんの本の紹介によると、著者は「なぜ日本人は家で靴を履かないのか」に明確な答えを出したわけではなく、題名は問題提起として示されています。公共施設では土足が許される場面が増えるなど、日本の土足禁止も一様ではないとも論じられています[8]。

理由の側(段差・畳・ウチとソト)は説明できても、始まりの側は分かっていません。では、外国から来た人は、畳の家でどうしていたのでしょうか。

起源については、はっきりしていない。弥生時代から靴を脱ぐ習慣があったとする説があり、平安時代の絵巻物には、床のある家で貴族が履物を脱いで暮らす様子が描かれているとも紹介される[2]。ただし、これらは一つの二次資料の記述にとどまり、起源として断定はできない。「脱ぐ」ことが全国で一般化した時期も、この資料だけでは言えない。

新潮社による同書の紹介では、著者は「なぜ日本人は家で靴を履かないのか」に明確な答えを出したわけではなく、題名は問題提起として示されているという。公共施設では土足が許される場面が増えるなど、日本の土足禁止も一様ではないとも論じられる[8]。

理由の層(段差・畳・清浄意識)が説明されても、始まりの層は閉じていない。では、外から来た人の記録は、手がかりになるのか。

6. がいこくから 来た 人は、たたみの 上で どう して いた?

6. 宣教師やオランダ人の記録から、家の中の履物を考える

6. 宣教師フロイスと出島の絵巻 ── 外から来た人の履物の記録

1565年ごろ、ポルトガルから 来た せんきょうしの フロイスは、さかいの 町で かりた 家で くらして いました。その 家は ふるく、雨が ふると 雨もりが しました。フロイスは 「日本し」と いう 本に、どろの ために げたを はいて 家の 中を 歩きまわった、と 書いて います[6]。

ここから、フロイスが ぬいで いたか、はいて いたかは わかりません。雨もりの どろに こまった、という 話です。

フロイスたちは、あしかが よしてるの 母に、たたみの 大広間で 会った ことも あります。日本の れいぎに くわしいと ほめられました。そこで、いのうえさんは「土足で たたみに 上がって いたら、こう ほめられない」と 考えて います[6]。これは いのうえさんの 考えで、本当に ぬいで いたと 決まった わけでは ありません。

ながさきの 出島に いた オランダ人は、ちがいました。「とうらんかん えまき」と いう 絵の 一場面には、たたみの 上に いすと テーブルを おいて、くつを はいた ままの オランダ人が かかれて います[6]。これは 一つの 絵で、西洋人が みんな 土足だった とは 言えません。

雨漏りの家で、下駄をはいた宣教師

宣教師のフロイスは、1565年ごろ、堺で借りた家の屋根が古く、雨が降ると雨漏りがした様子を『日本史』に記しています。泥のために下駄をはいて家中を歩き回った、とあります[6]。

この記述から、フロイス自身が靴を脱いでいたのかどうかは、はっきり読み取れません。下駄は、雨漏りの泥への対策として出てくるからです。ただし、家の中で履物をはく場面があったことは分かります。

礼式に通じていると評された記録

フロイスらは、足利義輝の母に、畳敷きの広間で会いました。日本の礼式に通じていると評された記録があり、井上章一さんは、土足で畳に上がっていたならこうした評価は考えにくいと推測します[6]。宣教師が畳の上で靴を慎んだ、という推論で、確定した事実ではありません。

出島の絵巻では、靴のまま

江戸後期、長崎の出島のオランダ人の酒宴を描いた『唐蘭館絵巻』には、畳の上に椅子とテーブルを置き、靴をはいたままのオランダ人が描かれています[6]。ただし、これは一場面の例で、西洋人がみな土足で上がったとは言えません。

外から来た人の記録は、「日本の家で靴をどうしていたか」を考える材料になる。ただし、どれも一場面の記述で、そこから一般化はできない。井上章一の本の抜粋によれば、宣教師フロイスは1565年ごろ、堺で借りた家の屋根が老朽して雨漏りがし、泥のために下駄をはいて家中を歩き回ったと『日本史』に記している[6]。下駄は雨漏りの泥への対策として出てくるので、フロイス自身が靴を脱いでいたとまでは読み取れない。

では、畳の上ではどうだったのか。フロイスらは足利義輝の母に畳敷きの広間で会い、日本の礼式に通じていると評された。井上は、土足で畳に上がっていたならこうした評価は考えにくいと推測する[6]。宣教師が畳の上で靴を慎んだとする推論であり、確定事実ではない。

江戸後期の『唐蘭館絵巻』(長崎・出島のオランダ人の酒宴の絵)には、畳の上に椅子とテーブルを置き、オランダ人が靴をはいたままの場面が描かれる[6]。ここから「西洋人はみな土足で上がった」とは言えないが、畳の上で異なる習慣がぶつかった様子は読み取れる。

ところで、「玄関」という言葉は、もともとどこの入口だったのか。

7. 「げんかん」は、もとは おてらの 入口の ことば

7. 「玄関」は、もとは禅寺の入口の言葉だった

7. 「玄関」の語の変遷と沓脱石 ── 禅寺の方丈から一般住宅へ

「げんかん」ということばは、もとは ぜんしゅうと いう おてらの ことばです。「ふかい 道に 入る 入口」と いう いみだと されます[4]。

日本では はじめ、ぜんでらの 「ほうじょう」と いう たてものの 入口を さしました。つぎに、ぶけの 家の 「しきだい」の ある 入口を さし、さらに ふつうの 家の 入口を さす ように なりました[4]。

えんがわの 下に ある 平らな 石も、ぬぐ ことに かかわります。「くつぬぎいし」と いい、ざしきや ちゃしつに 上がる まえに、はきものを ぬぐ ための 石です[5]。

お寺や ふるい 家で 見かける ことが ある、と いう 話です。げんかんと いう ことばや くつぬぎいしからは、家に 入る まえに はきものを ぬぐ ところを、大切に して きた ことが わかります。

禅宗の言葉が、ふつうの家の入口になった

「玄関」はもと禅宗の言葉で、「玄妙な道に入る関門」という意味です。日本では、禅寺の方丈への入口を指し、のちに武家住宅の式台付きの入口、さらに一般住宅の入口を指すようになりました[4]。

縁側の下の「靴脱ぎ石」

沓脱石(くつぬぎいし)は、縁側の下に置かれ、書院造の座敷や茶室に上がる前に履物を脱ぐための平らな石です[5]。

日本の家は、入口の言葉にも、履物を脱ぐための石にも、「外から中へ入る」ことへの気づかいが残っています。家の中に入る場所を、特別に意識してきたことが分かります。

「玄関」は、もと禅宗の語で、「玄妙な道に入る関門」の意である。日本では禅寺の方丈への入口を指し、のち武家住宅の式台付きの入口、さらに一般住宅の主要な入口を指すようになって、今日では一般住宅の入口の意味が定着している[4]。意味の変化は、禅寺の格式ある入口の言葉が、武家を経て、ふつうの家に下りてきた過程として読める。

履物を脱ぐ場所を示す建築用語には、沓脱石もある。縁側の下に置かれる平らな石で、書院造の座敷や茶室に上がる前に履物を脱ぐために使われる[5]。玄関の土間も沓脱石も、屋外と屋内を分ける場所を、構造の中に作りこんでいる点で共通する。ただし、これらの語が脱ぐ習慣そのものの起源を示すわけではない。

段差、畳、境界の感覚、言葉と石。ここまでの手がかりは、自分の家の玄関でも確かめられる。

8. 自分の げんかんを、見て みよう

8. 玄関の段差と履物の置き場所を、見てみる

8. 観察の視点と、資料の読みどころ

家に かえったら、げんかんを 見て みましょう。だんさは 何センチくらいか、たたきは どこまでか、くつを ぬぐ ところは どこか。じょうぎで はかって みても いいです。

むかしの 家の げんかんは どうだったか、おじいさんや おばあさんに 聞いて みても いいですね。足を あらった ことが あったか、きいて みましょう。

ぎもんが ふくらんだら、「げんかん」や「くつぬぎいし」の ことばを、図書館の じてんで 引いて みるのも おもしろいです。

家に帰ったら、玄関の段差の高さを定規で測り、たたきと床の境目、靴を脱ぐ場所、靴箱の位置を見てみましょう。マンションなら、構造上は不要な段差があるかも見られます。

昔の家の玄関のことを、祖父母や近所の古い家の人に聞くのもおすすめです。足を洗った、足袋に履きかえた、という話が出てくるかもしれません。ただし、これは家ごとに違うと思います。

調べてみたい人は、玄関の語の変遷を「コトバンク」の「玄関」の項目[4]、畳の歴史を文化遺産オンラインの「畳製作」[3]で読めます。

観察の視点は三つある。第一に、玄関の段差の高さと、土間(たたき)の広さ。第二に、集合住宅などで、構造上不要な段差が残っているかどうか。第三に、祖父母や近所の古い家の人に聞く、昔の玄関の使い方である。足を洗う、履きかえるといった習慣は、家や地域で違った可能性がある。

資料を読むなら、段差と土間の役目は解説記事の「玄関」[1]、畳の歴史は文化遺産オンライン「畳製作」[3]、語の変遷はコトバンクの「玄関」[4]、沓脱石はJAANUSの用語辞典[5]で読める。宣教師やオランダ人の記録は、井上章一の本[7]の本文にあたるのがよい。起源の問いは、まだ答えが一つに決まっておらず、さらに調べる価値が残っている。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:公的機関・辞典・解説記事・書籍の紹介ページを使った。何に使ったかは、それぞれの項目に書いている。

  1. nippon.com「玄関」(監修:柴崎直人・岐阜大学准教授、2024-07-16)。https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu020004/ (段差と土間、床座の暮らし、近世の玄関について。解説記事)
  2. nippon.com「スリッパ」(2021-04-17)。https://www.nippon.com/ja/japan-glances/jg00129/ (泥や雨水の汚れ、ウチとソト、起源の説について。解説記事)
  3. 文化遺産オンライン「畳製作」(文化庁)。https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/171215 (畳の歴史について)
  4. コトバンク「玄関」(世界大百科事典・日本国語大辞典ほか)。https://kotobank.jp/word/%E7%8E%84%E9%96%A2 (玄関という語の意味の変化について)
  5. JAANUS(日本建築用語・美術用語辞典)「沓脱石」。https://aisf.or.jp/~jaanus/deta/k/kutsunugiishi.htm (沓脱石の説明について)
  6. デイリー新潮(井上章一『日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか』抜粋、2026-08-05)。https://news.livedoor.com/article/detail/31988638/ (フロイスの記述、礼式の評価、唐蘭館絵巻について。書籍の抜粋)
  7. 新潮社 書籍詳細『日本人はなぜ家で靴を脱ぐのか 土足禁止の精神史』。https://www.shinchosha.co.jp/book/603948/ (本の問題意識と出発点について)
  8. PR TIMES 新潮社リリース(2026-07-23)。https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000003132.000047877.html (本の位置づけについて。出版社のリリース)

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