1. くさむらの ばったは、みんな おなじ ところに いるの?
1. 草むらのバッタは、どこでも同じように暮らしているのか
1. 「草むら」のひとことで足りるか ── 裸地まじりの乾いた草地を好むバッタ
なつの かわらを あるくと、あしもとから ばったが ぱっと とびだします。くさむらなら どこでも、おなじ ばったが いるのでしょうか。
ばったの なかまは、くさが たかく しげる ところより、かわいて くさが みじかく、じめんが かなり みえて いる ばしょに おおいと いわれます[1]。きりぎりすや こおろぎと くらべての はなしです。
とのさまばったは、その いい れいです。くさの ない じめんと、かわいた くさちの あいだが すきで、じめんの みえる かわいた くさはらや かわらに おおい、と せつめい されて います[2]。たべものは、イネの なかまの はっぱです。
つまり、こたえは「ばったは しゅるいごとに、すきな ばしょが ちがう」です。では、こうえんや にわで よく みる ばったは、どうでしょうか。
夏の河原を歩くと、足もとからバッタが飛び出します。つい「バッタは草むらにいるもの」とまとめたくなりますが、資料を見るとそう単純ではありません。バッタの仲間は、キリギリスやコオロギより、乾いていて草丈が短く、地面がかなりむき出しになっている環境に多いとされます[1]。草が高く茂った場所とは限らないのです。
トノサマバッタは、その代表です。乾いた草地と裸地(草のない地面)の間を好み、裸地のある乾いた草地や河原に多い大形のバッタで、イネ科の葉をよく食べるとされます[2]。草と地面が入りまじった場所が、すみかになっているわけです。
国土交通省の河川事務所の資料でも、トノサマバッタは川の淡水域付近で比較的多く確認される虫として載っています[3]。日本では草原が減り、河川敷が主な生息地になっていることが多い、という説明もあります。ただし、この資料が示しているのは河川での確認例までで、全国の増減を示すものではありません。
題名の問いに、いったん答えを出しておきます。バッタは草むらならどこにでもいるのではなく、種ごとに好きな場所がちがいます。では、公園や庭でよく見かけるバッタは、どこが好きなのでしょうか。
夏の河原で足もとからバッタが飛び出す場面を思い浮かべると、「バッタは草むらにいる」とひとまとめにしたくなる。ところが資料を見ると、バッタ類はキリギリスやコオロギの仲間より、乾いて草丈が短く、地面がかなりむき出しの環境に多いとされる[1]。草が高く茂る場所が好きとは限らない、というのが出発点になる。
トノサマバッタは、その傾向がはっきりした種だ。乾いた草地と裸地(草のない地面)の間を好み、裸地のある乾いた草地や河原に多い大形のバッタで、イネ科の葉をよく食べる[2]。草の量だけでなく、地面が見えていることも「すみか」の条件に入っている。ただし、資料はなぜ裸地を好むのか、その理由までは述べていない。
国土交通省の武雄河川事務所の資料は、トノサマバッタを六角川の淡水域付近で比較的多く確認される虫とし、分布を全国の荒れ地・草地としている[3]。日本では草原が減って河川敷が主な生息地になっていることが多い、という説明も辞典類にあるが、国の資料が示すのは河川での確認例まで。全国の個体数が増えたのか減ったのかを示すデータは、手元の資料にない。
ここで、題名の問いに一度答えておく。バッタは「草むら」ならどこにでもいるのではなく、種ごとに好む場所がちがう。では、人の暮らしに近い公園や庭では、どの種がどんな場所を選んでいるのか。
2. こうえんや にわで みる ばったは、なにを たべるの?
2. 公園や庭で見かけるバッタは、何を食べる?
2. ショウリョウバッタとオンブバッタ ── 食べ物と産卵のしかたから見る身近な暮らし
こうえんの しばふで みる しょうりょうばったは、からだが ほそ長くて おおきな ばったです。しばふや かわらの くさはらで みつかり、イネの なかまの ざっそうを たべます[4]。
めすは つちの なかに たまごを うみ、たまごの すがたで ふゆを こします[4]。おすは 3センチ ぐらい、めすは 5センチ ぐらいで、めすの ほうが ずっと おおきいのです。
おんぶばったは、にわや はたけ、かだん、かていさいえんの ような みぢかな ところに すんで います[5]。イネの なかまの ほかに、キクや ナスの なかまの はっぱなども たべる、と いわれます[5]。はちがつごろ おとなに なり、つちの なかに 40こ ほど たまごを うみます。
とのさまばったは じめんで すごし、しょうりょうばったや おんぶばったは くさに とまる ことが おおい、とも いわれます[1]。ばったの なかまでも、くらし方は いろいろです。
では、そんな ばったが、みわたす かぎり あたらしい ばしょに はいったら、どうなるでしょうか。
ショウリョウバッタは、芝生と河川敷の細長いバッタ
ショウリョウバッタは、都市部の公園・芝生・河川敷・草原で見られ、主にイネ科の雑草を食べます。体長はオスが27〜35mm、メスが45〜57mmで、計算するとメスはオスの1.6倍ほどあります。メスは土の中に産卵し、卵の姿で冬を越します[4]。成虫が見られるのは7〜10月ごろです。
オンブバッタは、庭や花壇の身近な住人
オンブバッタは、畑や草地のほか、緑地・空き地・庭・花壇・家庭菜園など、人の暮らしのすぐそばにすみます。食べる植物はイネ科やカヤツリグサ科のほか、キク科やナス科など幅広いとされます。8月ごろ羽化した成虫が、土の中に約40個を産み、卵で冬を越します[5]。
地面ですごす種と、草にとまる種
トノサマバッタやヒナバッタは地面ですごす種、ショウリョウバッタやオンブバッタは爪に吸着のための器官があり、植物にとまる種だといわれます[1]。同じバッタでも、地面で暮らすか草の上で暮らすかで、好む場所は変わりそうです。ただし、この区別は百科事典的な資料にあるもので、図鑑や学会資料での確認が望まれます。
種ごとに好きな場所があるなら、その場所が突然できたとき、何が起こるのでしょうか。
身近な場所で見かけるバッタでも、食べ物や産卵の場所は種によって少しずつちがう。ショウリョウバッタは都市部の公園・芝生・河川敷・草原で見られ、主にイネ科の雑草を食べる。体長はオス27〜35mm、メス45〜57mmで、比を計算するとメスはオスの1.6倍前後になる。成虫は7〜10月ごろに見られ、メスは土の中に産卵して卵で冬を越す[4]。
これに対して、オンブバッタは畑や草地のほか、緑地・空き地・庭・花壇・家庭菜園など、人の手が入った場所にまですむ。食べる植物はイネ科やカヤツリグサ科にとどまらず、キク科やナス科など幅広い。8月ごろに羽化した成虫が、土の中に約40個を産んで卵で越冬する[5]。なお、オンブバッタの食性は資料によって書き方に差があるため、「イネ科だけ」「双子葉だけ」とは言い切れない。
暮らし方にも差があるといわれる。トノサマバッタ・カワラバッタ・ヒナバッタなどは爪に吸着の器官がないか痕跡的で地上性、ショウリョウバッタ・オンブバッタ・コバネイナゴなどは爪に吸着の器官があって植物の上にとまる植物上性と整理される[1]。二次資料にもとづく整理なので、断定せず「そうした傾向がある」と読むのが無理のないところだ。
ここまでの共通点は、どの種も「その場所に合った食べ物と産卵場所」をもつこと。その条件が急に整った場所では、何が起きるのか。海の上にできた島の例を見てみよう。
3. うみを うめた しまで、ばったが ふえたって ほんとう?
3. 海を埋め立てた新しい島で、トノサマバッタが増えた
3. 関西国際空港の埋め立て島 ── 天敵のいない環境で何が起きたか
うみを うめて つくった しまが あります。かんさい こくさい くうこうの しまです。ここで、とのさまばったが たくさん ふえました[6]。
さいしょの しま(いっきとう)では 1994ねんから 1997ねんまで、あとから できた しま(にきとう)では 2007ねんに ふえました。いちばん おおい ときの すうは、いっきとうで 1338まん、にきとうで 3884まんびきと すいていされています[6]。にきとうの ほうが、いっきとうの 3ばいちかくです。
どうして ふえたのでしょう。ばったを たべる いきものが いない ところに、おとなの ばったが はいって きて、なんせだいか のうちに どんどん ふえたから、と かんがえられて います[6]。
おわりも ありました。ばったの てきに なる しじょうきんが ふえると、おおはっせいは おさまった、と ほうこく されて います[6]。にきとうでは くすりも つかわれ、3884まんびきが 10日ほどで 14まんびきほどに へりました。この へり方は、くすりを つかった ときの すうじです。
ところで、ふだんは ばらばらに くらす ばったが、これだけ あつまると、なにか かわるのでしょうか。
関西国際空港は、海を埋め立ててつくった島の上にあります。この一期島(1994〜97年)と二期島(2007年)で、トノサマバッタが大発生しました。推定された個体数の最大は、一期島で1,338万、二期島で3,884万です[6]。二期島は一期島の約2.9倍にあたります。どちらも調査からの推定で、実際に数えた数ではありません。
原因は、埋め立てで現れた「天敵のいない環境」に、成虫が入りこんだことだと考えられています。そこで数世代のあいだ、激しく増えたのです[6]。バッタを食べる生きものや病気が少なければ、増えるのを止めるものがなかった、という筋道です。ただし、これは研究者が「考えられる」とした原因で、断定された結果ではありません。
終わり方も報告されています。バッタの天敵にあたる糸状菌が広がると、一期島では1997年に、二期島では2007年7月に、バッタの大発生がおさまりました[6]。二期島では薬剤による防除も行われ、2007年6月9〜11日に約3,884万だった推定数が、6月19日には約14万まで減ったと報告されています。この減少は薬剤防除の数字で、糸状菌の効果とは別に読む必要があります。
ふだんはばらばらに暮らすバッタが、これほど集まると、体や行動に変化はあるのでしょうか。
関西国際空港の一期島(1994〜97年)と二期島(2007年)では、トノサマバッタが大発生した。推定個体数の最大は、一期島で1,338万、二期島で3,884万。二期島は一期島の約2.9倍になる[6]。いずれも推定の最大値であり、調査時点の実数ではない。
著者らが挙げる原因は、埋め立てで出現した天敵不在の生物環境に、移入した成虫が数世代にわたって激しく増殖したことだ[6]。バッタ自身は、乾いた草地や裸地を好む種である。そこへ、バッタを食べる生きものがほとんどいない状況が重なると、増加を抑えるものがない。だから、数世代で桁ちがいの個体数になりうる。ただし、これは「考えられる」とされた原因で、実験で確かめた結論ではない。
終息についても報告がある。天敵の糸状菌(Entomophthora grylli)が広がると、一期島では1997年に、二期島では2007年7月に、大発生がおさまった[6]。二期島では薬剤による防除も行われ、2007年6月9〜11日の約3,884万が、6月19日に約14万へ減ったとされる。この急減は薬剤防除の数字であり、糸状菌の効果と同じ原因に混ぜてはいけない。つまり、同じ「終息」でも、一期島は天敵、二期島は天敵と薬剤が関わっており、どの要因がどれだけ効いたかは分けて読む必要がある。
これほど密度が高まったとき、個体そのものには何が起きるのか。次章では、トノサマバッタの二つの「すがた」を見る。
4. ふえすぎると、ばったは すがたが かわるの?
4. 増えすぎると、バッタの体と行動が変わる
4. 孤独相と群集相 ── 密度が高まったとき、体形と行動が切りかわる
とのさまばったは、ふだん くさはらで ばらばらに くらして います。この すがたを「こどくそう」と よびます[2]。
ところが、なかまの かずが ふえすぎると、とぶのに むいた かたちの からだに かわる ことが しられて います。この すがたは「ぐんしゅうそう」と いいます[2]。
ぐんしゅうそうに なると、たべものを たべつくした あと、むれで いどうする ことが あります[2]。ただし、にほんでの れいは すくないと されます。
むれで いどうした れいが、むかしの ほっかいどうに あります。
トノサマバッタは、ふだん草原でばらばらに暮らしています。この状態を孤独相と呼びます。ところが、個体群の密度が高まると、飛ぶのにより適した体形に変わることがあります。この状態は群集相と呼ばれ、孤独相とは区別されます[2]。
群集相になったバッタは、食べ物を食べ尽くすと、集団で移動することがあるとされます[2]。ただし、日本での例は少なく、いつも起こることではありません。
では、日本で実際に大きな群れが動いた記録はあるのでしょうか。明治の北海道に、その手がかりが残っています。
トノサマバッタには、同じ種でも体形と行動のちがう二つの状態がある。ふだん草原でばらばらに暮らしているのが孤独相で、個体群の密度が高まると、飛ぶのにより適した形に変化することがある。この状態が群集相で、孤独相とは区別される[2]。
密度が高まると、バッタは群集相に変化することがあり、群集相のバッタは、食べ物を食べ尽くしたあと集団で移動することがある。前章の関西国際空港のように、短期間に数が増える状況は、条件をつくりやすい。ただし、日本での群集相の例は少ない[2]。関西国際空港の島の個体が実際に群集相になったかどうかは、ここで使える資料には書かれていない。
日本の大発生には、明治期の北海道、1973年の南大東島、1986年の馬毛島(種子島沖)などの例がある。明治の北海道と馬毛島は、同じ亜種のトノサマバッタによるものとされる。琉球諸島には別の亜種がいる[2]。種が同じでも、すむ地域によって亜種が分かれる。次章では、そのうち明治の北海道の例を、記録の残し方まで含めて見る。
5. むかしの ほっかいどうで、ばったは どうなったの?
5. 明治の北海道で、バッタの大群は山を越えた
5. 1880年の十勝の大発生と、手稲山口に残る「バッタ塚」
1880ねん(めいじ 13ねん)の なつ、とかちちほうで、とのさまばったが ものすごく ふえました[7]。おおきな むれは、ひだか さんみゃくを こえて、さっぽろの ちかくまで とどいたと つたえられて います[7]。
この できごとは、こうがいと よばれます。ひとびとは ばったの たまごや わかい むしを つかまえて、ほそ長い みぞに うめました[7]。
さっぽろ市の ていね山ぐちには、その あとが「ばったづか」として のこって います。1967ねんに ひが たち、1978ねんには さっぽろ市の しせきに なりました[7]。
1884ねんの なつは、ほっかいどう ぜんたいで ながあめが つづき、たまごの ほとんどが かえれませんでした。こうして、この おおはっせいは おわりました[7]。
1880年(明治13年)の夏、十勝地方でトノサマバッタが異常に増えました。バッタの大群は日高山脈を越え、勇払平野から札幌周辺にまで達したと、新聞記事は伝えています[7]。
このときの被害は蝗害と呼ばれます。人々は、捕まえたバッタの卵や若虫を、畝のような溝に埋めて対抗しました。その跡が、札幌市手稲山口に「バッタ塚」として保存されています。埋めた土は約25cmで、1967年に碑が建ち、1978年には札幌市の指定史跡になりました[7]。
終わりは、人の力ではなく天気がもたらしました。1884年の夏、北海道全体で長雨が続き、卵の大半が孵化できなかったため、蝗害は終わったとされます[7]。大発生を止めた力には、病気や天敵のほかに、天候もあるわけです。
ここまで読んで、「バッタはどこで暮らしているのか」という問いは、少し広がったはずです。最後に、自分の足で確かめる方法を考えます。
十勝地方では1880年(明治13年)夏、トノサマバッタが異常に増えた。大群は日高山脈を越えて勇払平野に達し、札幌周辺にも及んだ[7]。前章の「集団で移動する」という説明と重なる出来事だが、記事は群集相という用語で説明しているわけではない。また、これは新聞の連載記事で、当時の記録そのものではない。
この蝗害に対し、人々は卵や若虫を捕まえ、畝状の溝に埋めた。札幌市手稲山口には、その跡が「バッタ塚」として保存されている。埋めた土は約25cm。史実を後世に残そうと、1967年に碑が建てられ、1978年に札幌市の指定史跡となった[7]。
終息の理由は、1884年夏の全道的な長雨である。大半が孵化できず、蝗害は終わった[7]。関西国際空港では天敵の糸状菌が関わり、明治の北海道では長雨が関わった。個体数を左右する要因は一つではなく、場所と年によって異なる、と整理できる。
では、増えた時のしくみから離れて、私たちが日常で目にする「ふつうのバッタ」の暮らしを、自分の目で確かめるには何を見ればよいか。
6. ちかくの ばったは、どこに いるかな?
6. 近くの草地で、バッタの居場所を見比べる
6. 自分の足で確かめる ── 観察の手がかりと、読んでみたい資料
こうえんや かわらで、ばったを みつけたら、さわらずに ばしょを みて みましょう。
くさが ほとんど ない じめんの ちかくですか。しばふですか。にわの はっぱの うえですか。ちがう ばしょで、ちがう ばったに あえるか、くらべます。
かわらや どうろの ちかくは、くるまや みずに きを つけて、おとなと いっしょに いきましょう。つかまえた ばったは、あとで もとの ところに かえします。
今日できること
公園の芝生、河原、庭の花壇、道ばたの空き地。それぞれでバッタを見つけたら、立っていた場所を「地面が見えるか」「草が茂っているか」でメモします。同じ種が同じ場所にいるか、見比べられます。
川の近くでは水の深さや増水に、道路の近くでは車に気をつけてください。捕まえても、観察したらすぐに放しましょう。
もっと調べるなら
京都府のレッドデータブックは、クルマバッタを「安定した草原」にすむ種とし、河川改修による河原・河川敷・堤防の草地の減少や、採草地の放棄による植生の遷移を、減少の要因に挙げています[8]。これは京都府のクルマバッタの記述で、バッタ全体や全国の話ではありません。関西国際空港の論文は、日本語の概要を公開されています[6]。
観察では、見つけた場所の「地面の見え方」(裸地の有無・草丈)と、周囲の植物(イネ科か、庭の花壇か)を記録しておくと、本文の「種ごとに好む環境がちがう」という話と照らし合わせられる。川の近くでは増水と周囲の安全に注意し、捕まえた個体は観察後すぐに放す。
資料を読むなら、関西国際空港の大発生を扱った田中・保田・柴尾(2015)は、J-STAGEで日本語の概要が公開されている[6]。推定個体数の根拠や、薬剤防除の経過を自分で確かめられる。明治の北海道の例は、北海道新聞の連載記事「バッタ塚」が手がかりになる[7]。
種ごとの好みが「環境の変化」とどう関わるかは、京都府レッドデータブックのクルマバッタの項目が一例になる。河川改修による草地の減少と、採草地の放棄による植生遷移が減少の要因とされている[8]。ただし、これは京都府の一種についての記述で、ほかの種や全国の増減は、ここでは述べられていない。バッタの「好きな場所」が、人の土地の使い方と結びついていることを示す例として読むのがよい。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文の[ ]は下の番号に対応します。百科事典・図鑑類は二次資料です。
- Wikipedia「バッタ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%BF (バッタ類の環境・地上性と植物上性。二次資料)
- コトバンク(世界大百科事典・日本大百科全書)「トノサマバッタ」 https://kotobank.jp/word/%E3%83%88%E3%83%8E%E3%82%B5%E3%83%9E%E3%83%90%E3%83%83%E3%82%BF-3160908 (生息場所・孤独相と群集相・日本の大発生例)
- 国土交通省 武雄河川事務所「六角川水系の淡水域付近でよく見られる生き物」 https://www.qsr.mlit.go.jp/takeo/livingthing/rokkaku/tansuiiki_insect.html (河川での確認例)
- Honda 生きもの図鑑「ショウリョウバッタ」 https://www.honda.co.jp/outdoor/adventure/shouryoubatta.html (生息場所・食べ物・体長・産卵)
- Honda 生きもの図鑑「オンブバッタ」 https://www.honda.co.jp/outdoor/adventure/onbubatta.html (生息場所・食べ物・産卵)
- 田中・保田・柴尾(2015)関西病虫害研究会報 57巻 J-STAGE https://www.jstage.jst.go.jp/article/kapps/57/0/57_1/_article/-char/ja/ (関西国際空港のトノサマバッタ大発生。論文の概要)
- 北海道新聞「さっぽろ今昔物語 バッタ塚」2023年5月26日 https://www.hokkaido-np.co.jp/article/864386/ (明治13年の大発生・バッタ塚。新聞記事)
- 京都府レッドデータブック2015「クルマバッタ」 https://www.pref.kyoto.jp/kankyo/rdb/bio/db/ins0294.html (クルマバッタの生息環境と減少要因)
なおした ところ
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