1. なぜ「もどれない」と おもわれて いたの?
1. 役目が決まった細胞は、元にもどれないと思われていた
1. 分化した細胞のDNAには、不可逆な変化が起こるという見方
からだは、たった ひとつの たまごから できます。それが わかれて ふえて、うでの さいぼうや、おなかの さいぼうに なって いきます。
うでや おなかの さいぼうに なった あとは、もう たまごには もどれない。むかしの がくしゃは、そう かんがえました。ブリッグスさんと キングさんは、さいぼうが とくべつな しごとを おぼえる とき、「かく」の 中の DNAに なにかが おきるのだろうと みて いました。
「かく」は、さいぼうの 中に ある、だいじな ものを いれた ちいさな ふくろです。ここに からだの つくりかたが かいて あります。
では、その かんがえは ほんとうなのか。たしかめるには、おなかの さいぼうの 「かく」を、たまごに いれて みれば いいのです。
人の体は、1個の受精卵から始まります。細胞が分かれて数をふやし、やがて皮膚の細胞、筋肉の細胞、腸の細胞のように、それぞれ決まった仕事をする細胞になっていきます。これを分化といいます。
ガードンの前に核移植を行っていた研究者のブリッグスとキングは、分化した細胞の核では正常な発生が進まないと考えていました。細胞が特殊化するとき、DNAに何かが起こるのだろうと見ていたのです[2]。役目が決まるときには、遺伝子が失われたり、二度と働かなくなったりするのかもしれない、という見方です。
核は、細胞の中でDNAをしまっている部分です。もしDNAが本当に変わってしまうなら、腸の細胞の核を卵に入れても、全身は作れないはずです。逆に、全身が育てば、その見方は成り立ちません。ガードンはこの問いを、核を卵に入れるという方法で確かめようとしました。
受精卵から出発した細胞は、分裂を重ねながら、皮膚、筋肉、腸上皮などの特定の機能を持つ細胞へ分化する。分化した細胞が元の多能な状態に戻れるのかどうかは、核移植で調べられる。核を取り出して、核を除いた卵へ入れ、その卵が個体にまで育つかを見ればよい。
ガードンに先立って核移植を行ったブリッグスとキングは、分化した細胞の核では正常な発生が進まないと考えており、細胞が特殊化するときには遺伝子が失われたり、恒久的に働かなくなったりする可能性があると見ていた[2]。この見方が正しければ、分化の進んだ細胞の核は、卵に入れても全身を作れない。
ガードンは、まずブリッグスとキングの結果を再現し、胞胚や原腸胚の核から正常なオタマジャクシを作ることに成功した[2]。ここまでは、まだ発生が若い段階の核の話である。核が分化の進んだ細胞のものだったら、結果は同じになるのか。これが、1962年の実験の問いだった。
2. ちいさな たまごの 「かく」を、どうやって いれかえたの?
2. 卵の核をこわして、腸の細胞の核を入れる方法
2. 紫外線による除核とマイクロピペットでの移植:卵の選択と手順
カエルの たまごは、とても おおきな さいぼうです。ほにゅうるいの たまごの 1000ばいいじょうも ある、と 書いた けんきゅうが あります。おおきいので、ほそい ガラスの くだで 「かく」を いれる しごとが しやすいのです。
ところが、たまごの そとがわは、かたい ゼリーのような まくで おおわれて います。ガードンさんは、この たまごに しがいせんを あてました。すると たまごの そとがわが やわらかく なり、たまごの なかへ ガラスの くだで 「かく」を いれられるように なりました。
しがいせんには、もうひとつ はたらきが ありました。たまごが もともと もって いた 「かく」の DNAを こわして しまうのです。これで、あとから いれた 「かく」だけが はたらく たまごに なりました。
実験の道具に選ばれたのは、アフリカツメガエルです。カエルの卵は、哺乳類の卵の体積の1000倍を超える大きさがあると書いた研究があります[3]。大きいので、細いガラス管(マイクロピペット)で核を入れる作業がしやすくなります。
ただ、卵の外側はゼリーのようなかたい膜に包まれていて、そのままでは卵の中へマイクロピペットで核を入れにくい状態です。ガードンは、卵に紫外線を当てて、この外側をやわらかくし、核を入れられるようにしました[2]。
紫外線には、もう一つの働きがありました。卵がもともと持っていた核のDNAを、元に戻らない形でこわしたのです。これで卵の核が実質的に取り除かれた(除核)状態になりました[2]。一つの処理で、核を入れる入口をつくり、卵自身の核のはたらきをなくす、という工夫です。
こうして用意した、核を失った卵に、ドナーの細胞から取った核を入れます。では、どの細胞の核を入れたのでしょうか。
受け取り側の卵には、紫外線が二重の役割を果たした。まず、卵を覆う硬いゼリー状の膜が軟化し、マイクロピペットで核を入れられるようになった。次に、紫外線は卵自身の核のDNAを不可逆的に損傷し、実質的に除核した[2]。ピペットが通る入口と、卵由来の核の無力化を、一つの処理でまとめて得ている。
両生類の卵が選ばれた理由には、大きさがある。アフリカツメガエルを含む両生類の卵は、哺乳類の卵の体積の1000倍を超えるとされ、核の注入などの操作に向く[3]。ただし、この数値は後の総説の記述であり、ガードン本人の1962年の論文の記述ではない。
移植の効率を左右する要因の一つは、核が卵の細胞質にどれだけ十分にさらされるかだった。ガードン自身、移植した核がうまく分裂しない例を、移植した核が細胞質に十分に触れなかった技術的失敗によるものと考えた[1]。したがって、成功例の数だけでなく、失敗がどう生じるかも解釈の対象になる。
受け手の準備は整った。核を提供する側には、どの細胞を選ぶべきか。
3. なぜ おなかの さいぼうを えらんだの?
3. 目印のある腸の細胞を選んだ理由と、実験の結果
3. 腸上皮細胞を提供側に選んだ理由と、1962年の結果
ガードンさんが えらんだ のは、おたまじゃくしの おなかの なかほどにある ちょうの さいぼうです。ちょうの さいぼうは、ほかの さいぼうと くらべて おおきくて、しまもようが あります。だから、ほかの さいぼうと まちがえずに、みつけやすいのです。
おなかの さいぼうは、おなかの しごとを する ために できた さいぼうです。それが また たまごの かわりに なれるのか、ためした わけです。
けっかは、おたまじゃくしが そだちました。ガードンさんは、1962ねんに その ことを ろんぶんに まとめました。
ガードンが核の提供元に選んだのは、泳いでいるオタマジャクシの、腸の中ほど(中腸)の細胞です[1]。腸の細胞は、ほかの細胞より大きく、独特の縞模様があるので、ほかの細胞と区別しやすいという理由でした[1]。顕微鏡の下で、確かに腸の細胞から取った核だと確かめるための工夫です。
この腸の細胞は、すでに栄養をとる仕事を始めています。つまり、分化がかなり進んだ細胞です。その核を、核を失った卵に移植しました。
1962年までに、ガードンは、この方法で腸の細胞の核を使ってオタマジャクシを作ることに成功しました[2]。1962年の論文の題名は、「単一の体細胞の核に由来するおとなのカエル」です[2]。体細胞の核から、おとなのカエルまで育つことを示す内容でした。
ガードンはさらに、移植でできた卵の核を使って、次の世代の卵を作る連続の移植(シリアル・トランスファー)も試しました。その卵が、発生をより先まで進むかどうかを調べたのです[1]。
提供側の細胞には、泳いでいるオタマジャクシの中腸の上皮細胞が選ばれた[1]。この細胞は、ほかの細胞より大きく、独特の縞模様があるため、顕微鏡下で識別しやすかった[1]。移植した核が確かに腸細胞由来であるといえるかどうかは、実験の信頼性にかかわる。だから、目印の明確な細胞が選ばれた。
摂食を始めたオタマジャクシの腸上皮細胞は、分化がかなり進んでいる。その核を除核卵に移植し、1962年までに、ガードンはオタマジャクシを得ることに成功した[2]。1962年の論文の題名は「単一の体細胞の核に由来するおとなのカエル」であり、体細胞の核から成体にまで至る可能性を示す内容だった[2]。
ガードンはさらに、核移植で得た卵の核をもう一度別の卵に移植するシリアル・トランスファーも行い、発生がより先の段階まで進むかを調べた[1]。
注意すべき点がある。この記事で使った資料には、移植した核のうち何割が育ったのかという成功率は載っていない。そのため、どれほどの確率で起こることなのかは、ここでは言えない。この結果から何が言えるかを、次の章で考える。
4. この じっけんで、なにが わかったの?
4. わかったこと:役目が決まっても、設計は失われていない
4. 結論の範囲:遺伝子は失われず、オンとオフが切り替わる
おなかの さいぼうの 「かく」でも、たまごに いれれば、おたまじゃくしが そだちました。これは、おなかの さいぼうに なっても、からだ ぜんぶを つくる ために ひつような ものを うしなって いない、と いう ことです。
ガードンさんは、さいぼうが とくべつな しごとを するように なる ときは、ひつような ところだけが はたらき、ほかの ところは おやすみして いる のだと かんがえました。ひつような ものが なくなる のでは なく、スイッチが 入ったり 切れたり するのです。
たとえば ピアノは、けんばんが ぜんぶ そろって います。でも、1きょくを ひく ときに ならす けんばんは、きまって います。ひかない けんばんも、こわれては いません。
ただし、これは カエルの じっけんで わかった ことです。
腸の細胞の核を卵に入れると、オタマジャクシが育ちました。ならば、分化した細胞の核の中にも、全身を作るための遺伝子が、ちゃんと残っていたことになります。
1998年のイギリス王立協会の報告書は、1962年とその後のガードンの結果を踏まえ、細胞の分化には遺伝子の選択的な活性化と抑制が関係し、遺伝子は失われたり安定に不活性化されたりしない、という最初の直接的な証拠だと位置づけました[4]。役目が決まるとは、遺伝子が消えることではなく、使う遺伝子と使わない遺伝子が切り替わることだという見方です。
たとえるなら、ピアノには鍵盤がすべてそろっています。1曲を弾くときに鳴らす鍵盤は決まっていますが、弾かない鍵盤が壊れているわけではありません。
もう一つ、1975年にガードンは、成体のカエルの皮膚の細胞から取った核を使った実験を報告しました。卵の細胞質には、分化した細胞の核を使っても、正常な発生を導く性質があるという内容です[5]。
成功した核移植の結果は、分化した腸上皮細胞の核にも、正常なオタマジャクシの発生に必要な遺伝情報が残っていることを示す[1]。
王立協会の報告書(1998年)は、1962年とその後の結果を踏まえ、細胞の分化には遺伝子の選択的な活性化と抑制が関与しており、遺伝子は失われたり安定に不活性化されたりしていないという、最初の直接的な証拠だと位置づけている[4]。ブリッグスとキングの「DNAに何かが起こる」という見方に対し、分化とは遺伝子の消失ではなく、オンとオフの切り替えであるという結論になる。
1975年には、成体カエルの角化した皮膚細胞の核を使った実験が報告され、卵の細胞質には、分化した細胞の核であっても正常な発生を組織し制御する性質があるとされた[5]。核を再プログラムする力は、卵の細胞質にあると読める。
ただし限界もある。この種の核移植で得られたのはカエルの結果であり、同じことがほかの動物や人間にそのまま当てはまると、1962年の結果だけからは言えない。また、成体の細胞から完全な個体を作れなかった原因の詳細は、資料からは断定できない。
5. ガードンさんの じっけんは、ドリーや iPSさいぼうに、どう つながったの?
5. ガードンの実験は、ドリーやiPS細胞にどうつながったの?
5. ガードンの実験は、ドリーやiPS細胞にどうつながったの?
1997ねんに うまれた ひつじの ドリーは、クローンの ひつじです。ガードンさんが 1962ねんに カエルで つかった 「かく」を うつす ほうほうは、ドリーを つくる ときにも つかわれました。
2012ねんには、ガードンさんは、日本の やまなか しんやさんと いっしょに、ノーベル せいりがく・いがくしょうを もらいました。さいぼうの とくべつな しごとが、もとに もどりうると わかった ことが みとめられたのです。
むかしは「もどれない」と おもわれて いた ことが、かわって きました。
6. もっと しりたく なったら
6. 核を入れ替える実験を、もっと知りたくなったら
6. 資料の読み方と次の問い
ピアノの けんばんで かんがえて みよう。1つの きょくで ならす けんばんは どれ? ならさない けんばんは、こわれて いる? カエルの さいぼうでも、つかう ところと つかわない ところが きりかわると かんがえられて います。
つぎの ぎもんは、「たまごの なかの なにが、さいぼうの スイッチを きりかえるの?」です。たまごの 中の ものが かぎだと されて います。としょかんで、にほんごの 生きものの ほんを さがして みよう。
考えてみよう:自分の指先の皮膚の細胞と、髪の毛の細胞は、役目がちがいます。では、ガードンの実験から考えて、その2つの細胞は、どんな点が同じで、どんな点がちがうと考えられるでしょうか。カエルの結果をそのまま人に当てはめてはいけませんが、予想を立ててみる練習になります。
次の問いは、卵の細胞質が、どのように核を元に戻すのか、です。ガードンの1975年の報告は、卵の細胞質にその力があるとしています[5]。実験の図を紙に描き、卵の核、腸の細胞の核、紫外線を当てた卵を色分けして、どこで何が入れ替わったかをたどってみましょう。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文で使った資料です。
- Embryo Project Encyclopedia, "The Developmental Capacity of Nuclei Taken from Intestinal Epithelium Cells of Feeding Tadpoles (1962), by John B. Gurdon". https://embryo.asu.edu/pages/developmental-capacity-nuclei-taken-intestinal-epithelium-cells-feeding-tadpoles-1962-john-b (1962年の実験の内容・腸細胞を選んだ理由・ドリーとのつながり)
- Embryo Project Encyclopedia, "John Bertrand Gurdon (1933- )". https://embryo.asu.edu/pages/john-bertrand-gurdon-1933 (ブリッグスとキングの見方・紫外線の二つの働き・論文の題名)
- Reprogramming of somatic cells and nuclei by Xenopus oocyte and egg extracts. Int. J. Dev. Biol. https://ijdb.ehu.eus/article/pdf/160163at (カエルの卵の大きさ)
- The Royal Society, "Whither Cloning?" 1998. https://royalsociety.org/-/media/policy/publications/1998/10170.pdf (遺伝子の選択的なオン・オフ)
- Embryo Project Encyclopedia, "Developmental Capacity of Nuclei Transplanted from Keratinized Skin Cells of Adult Frogs (1975), by John Gurdon". https://embryo.asu.edu/pages/developmental-capacity-nuclei-transplanted-keratinized-skin-cells-adult-frogs-1975-john-gurdon (卵の細胞質のはたらき)
- Christ Church, University of Oxford, "Sir John Gurdon: 1933–2025". https://www.chch.ox.ac.uk/news/sir-john-gurdon-1933-2025 (2012年のノーベル賞)
なおした ところ
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