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むかしの 日本の 人は、なぜ まゆげを そって、おでこに まゆを かいたの?

眉をそって、額に描き直した人たち ── 日本の眉は、なぜ時代ごとに変わったのか

日本の眉はなぜ変わったか ── 平安の引眉、江戸の決まり、明治の眉剃りの廃れ、平成の太眉と細眉

分野:歴史・文化

むかしの 日本には、もとの まゆげを そり おとして、おでこの 高い ところに、すみで まゆを かく 人たちが いました。

どうして、わざわざ そんな ことを したのでしょう。そして、その やりかたは、いつ なくなったのでしょう。この 記事で、その ようすと、いまの まゆの はやりまで、わかります。

平安時代の貴族の女性は、生まれつきの眉をそり落としたり抜いたりして、本来より高い位置に眉を描き直していたといいます。江戸時代には、眉をそる年齢も、描くか描かないかも、立場によって分かれていきました。

なぜ、わざわざ眉を消して描き直したのでしょうか。その習慣はいつ消え、今の太眉・細眉の流行へどうつながったのでしょうか。この記事では、眉の習慣が変わった流れと、その理由をどこまで説明できるのかを、資料をもとにたしかめます。

日本の貴族女性は、平安時代に自分の眉を取り除き、本来より高い位置に眉を描いた。その習慣は江戸時代には身分・年齢・結婚や出産と結びついた決まりになり、明治の西洋化で廃れた[1][2]。

では、なぜ眉を消して描き直したのか。決まりは誰にどう適用されたのか。そして今の太眉・細眉の入れ替わりは、それとどうつながるのか。国立国会図書館の解説などを手がかりに、確かな部分と説にとどまる部分を分けて、その答えが分かるようにする。

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1. まゆげを そって、どこに かいたの?

1. 平安の貴族は、なぜ眉を消して高い位置に描いたのか

1. 平安時代の引眉 ── 眉を除き、高い位置に描き直す化粧

平安時代へいあんじだいの きぞくの 女の人は、もとの まゆげを ぬいたり そったり しました。そして、ほんとうの 場しょより 高い ところに、まゆを かきました[1]。

この けしょうは、「ひきまゆ」と よばれます。

どうして 高い ところに かいたのでしょう。「かおの ようすを 見せないで、上品に 見せる ため」と いう せつが あります[1]。ただ、これが ほんとうの りゆうだと きまった わけでは ありません。

では、この まゆの かきかたは、そのあと どう かわって いったのでしょう。

平安時代の貴族の女性は、もとの眉を抜くか剃ったあと、実際より高い位置に眉を描いたとされます。この化粧を「引眉」といいます[1]。

なぜ高い位置なのでしょうか。表情を相手に読み取らせず、優美さを示すためだという説明があります[1]。眉は感情が出やすい場所なので、動きをかくして整った顔に見せたかった、という考え方です。ただし、これは説明の一つで、理由が一つに決まっているわけではありません。

始まりについては、奈良時代に大陸の風習として入り、はじめは弓なりに細く描いたものが、平安時代に額の高い位置の楕円形になった、という辞書的な説明もあります。ただしこちらは、博物館や論文の原文では確かめていない二次的な説明です。

眉を消して、遠くに新しく描く。この大胆な化粧は、その後どうなったのでしょうか。

平安時代の貴族女性は、生来の眉を抜くか剃ったうえで、本来より高い位置に眉を描いた。この化粧が引眉(ひきまゆ)で、高く描かれた眉の形は殿上眉・麻呂眉の名でも知られる[1]。

高い位置に描いた理由は、表情を読み取らせずに優美さを示すためという説明がある[1]。眉は感情が最も動きやすい部位の一つで、それを消して別の場所に固定すれば、顔の印象は人の気持ちから切り離され、様式として整う。この説明は筋が通るが、同時代の資料で裏づけられた定説ではなく、説の域を出ない。

起源についても、奈良時代に大陸の風習として入り、当初は細い弓なりの眉を描いたが、平安時代に額の高い位置の楕円形に変わったとする説明がある。ただしこれは辞書系の要約にとどまる二次的な記述で、博物館・学術資料での原文確認は取れていない。形の細かな変遷は、「とされる」の範囲で読むのが妥当だ。

では、貴族の化粧として始まったこの決まりは、時代が下るとどう広がり、誰がどの眉をするようになったのか。

2. えどの まゆには、どんな きまりが あったの?

2. 江戸では、立場によって眉の決まりが分かれた

2. 江戸時代の眉の決まり ── 上流の礼法と庶民の眉剃り

江戸時代えどじだいに なると、まゆにも 「きまり」が できました。

こうけや ぶけなど、えらい 立場の 女の人は、いえに つたわる ぎょうぎに したがいました。ある としに なると、まゆを そりおとし、きめられた かたちの まゆを かきました[2]。

ふつうの 人たちは ちがいます。にんしんした あとや、あかちゃんを うんだ あとに、まゆを そる だけでした[2]。かきなおす きまりは ありません。

おなじ えどじだいでも、立場によって、まゆの したくが ちがって いたのです。

江戸時代の眉化粧には、立場ごとの決まりがありました。国立国会図書館の解説によると、公家や武家など上流の女性は、家に伝わる礼法に従い、ある年齢になると眉を剃り落としたあと、定められた形の眉を描きました。眉化粧の決まりは、礼法書『化粧眉作口伝』にまとめられています[2]。

これに対して庶民は、妊娠後や出産後に眉を剃るだけでした[2]。結婚したら全員が剃る、というわけではなく、剃るきっかけも、そのあとに描き直すかどうかも、上流とは違っていたのです。

同じ「眉を剃る」でも、上流では決まった形に描き直す手順の一部、庶民では出産という節目のしるしになっていました。眉を見れば、その人の立場や暮らしの段階が、ある程度うかがえたのかもしれません。

では、眉を剃った女性は、絵の中ではどう描かれたのでしょうか。

江戸時代には、眉の扱いが身分によって分かれた。国立国会図書館の解説では、公家・武家など上流の女性は、家に伝わる礼法に従い、一定の年齢で眉を剃り落としたのち、定められた形の眉を描いた。その決まりは礼法書『化粧眉作口伝』に体系化されている[2]。

一方、庶民は妊娠後や出産後に眉を剃るのみだった[2]。ここで注意したいのは、「結婚した女性は皆、眉を剃った」と一般化できないことだ。上流は年齢と礼法、庶民は妊娠・出産という別の条件で動いており、庶民には描き直す決まりも見えない。

眉を剃る習慣は、既婚女性が眉を描かずにおくことで、奥ゆかしく感情をあらわにしない美徳を表した、と解釈される[1]。これは平安の引眉に対する説明と同じ方向を向いており、眉を消すことが「感情を表に出さない」という価値と結びついて語られている点が興味深い。ただし解釈の一つで、江戸の庶民全体にそのまま当てはまるとは限らない。

では、そのような決まりのもとで、人々は眉の有無をどう受けとめたのか。絵と句に、手がかりがある。

3. まゆが ないはずの 人が、えでは まゆを かいて いたのは なぜ?

3. 浮世絵の「お約束」と、眉を剃るときの気持ち

3. 浮世絵の描き眉と川柳 ── 眉の有無が人の見え方を変えた

えどじだいの え「うきよえ」には、ふしぎな ことが あります。けっこんして まゆを そった はずの 女の人が、まゆを かかれて いる ことが あるのです。

こくりつこっかい としょかんの せつめいでは、30さい いかの 人なら まゆを かく ことが「おやくそく」だった ようです[2]。ふけて 見えない ように、と いう ことだと されます[2]。

これは え の きまりごと。ほんとうの くらしで、みんなが そうだった とは かぎりません。

まゆを そる ことは、かおの ふんいきを おおきく かえる ことでした[2]。むかしの せんりゅう(5・7・5の おもしろい うた)にも、まゆを そった ときの はずかしさを よんだ ものが のこって います[2]。

では、この まゆを そる ならわしは、いつ すがたを けして いったのでしょう。

浮世絵には不思議な点があります。眉を剃っているはずの既婚女性でも、30歳以下なら眉を描くのがお約束だったようです。老けて見えるのを避けるためとされます[2]。ただしこれは絵のうえの約束事で、実際の暮らしの全員がそうだったとは言えません。

眉を剃ることは、人相や世間からの見られ方を大きく変えました。川柳にも、眉を剃る恥ずかしさを詠んだ句が残っています。『初代川柳選句集』の「恥かしさぐわらりと相がかハる也」は、眉を剃っただけで顔つきが急に変わってしまう気持ちを詠んだ句です[2]。

決まりのうえでは「眉を剃る」でも、本人にとっては顔が別人のように見える、少し気恥ずかしい節目だったことが伝わります。同時に、絵の中では若く見せるために描いていたというのですから、眉は「年齢の見え方」を左右する大事な部分だったのでしょう。

この長い習慣は、いつ、なぜ消えていくのでしょうか。

浮世絵には、眉を剃っているはずの既婚女性が、30歳以下なら眉を描かれる、というお約束があったようだ。老けて見えることを避けるためとされる[2]。ただし浮世絵の約束事であり、実生活の全員がそうだったとは限らない。

この「お約束」は、眉の有無が見え方を大きく変えたことの裏返しとも読める。国立国会図書館の解説は、お歯黒や眉剃りが人相や世間からの見られ方を大きく変えたと述べ、『初代川柳選句集』の「恥かしさぐわらりと相がかハる也」を挙げる[2]。眉を剃った瞬間に顔つきが変わる、その恥ずかしさを詠んだ句だ。

決まりを支える側の理屈(礼法・美徳)と、従う側の気持ち(恥ずかしさ)の両方が資料に残っている点は貴重だ。ただし句は一つの例であり、当時の人々の感じ方を代表するとは言い切れない。

こうして長く続いた眉剃りは、明治になると急速に姿を消す。何が起きたのか。

4. めいじに なって、まゆの そりかたは どう なったの?

4. 明治に眉を剃る習慣が消えていった

4. 明治の西洋化と眉剃りの廃れ

めいじに なると、外国との つきあいが ふえました。外国の 人の 目には、そった まゆや おはぐろが ふしぎに 見えた こと、これが 大きな ひとつの わけだった とされます[3]。

1870ねんに、華族かぞく(むかしの 身分の 高い 人たち)に、おはぐろと ひきまゆが きんじられました[5]。1873ねんには、こうごうたちが、まゆずみと おはぐろを やめたと はっぴょうされました[3]。

こうして、まゆを すっかり そる ならわしは、おはぐろと いっしょに すたれて いきました[1]。

明治になると、西洋化が進み、事情が変わります。明治3(1870)年には、華族に対して、お歯黒と引眉が禁じられました[5]。明治6(1873)年には、皇太后や皇后が眉墨とお歯黒をやめたことが発表されています[3]。背景には、欧米の人の目に、剃った眉やお歯黒が奇妙に映ったことがあるとされます[3]。

こうして、既婚女性が眉を完全に剃り落とす習慣は、お歯黒とともに廃れ、西洋風の眉が理想とされるようになりました[1]。お歯黒については別の記事でくわしく書いているので、ここでは眉の変化だけにとどめます。

平安から続いた「消して描く」眉のあとは、どんな眉が好まれたのでしょうか。

明治になると、西洋化のなかで、眉をめぐる慣行も制度から動いた。明治3(1870)年に華族のお歯黒と引眉が禁じられ[5]、明治6(1873)年には皇太后・皇后が黛とお歯黒をやめたことが発表された[3]。背景には、欧米人の目に剃り眉やお歯黒が奇妙に映ったことがある[3]。

注意したいのは、1870年の禁止の対象が華族であり、1873年は禁止ではなく「発表」である点だ。法律で全国の女性に一斉に禁じた、という書き方は資料と合わない。ともあれ、上流の女性が率先してやめたことが、習慣の衰えにつながったと考えられる。

その結果、既婚女性が眉を完全に剃り落とす習慣はお歯黒とともに廃れ、西洋風の眉が理想とされるようになった[1]。ここで、「眉を消して描き直す」という長い型が終わり、眉は生えたままの形をどう整えるかの問題に変わる。以後の眉の変化は、決まりではなく流行が動かすようになる。その流れは、次の章で追う。

5. まゆの 太さは、どんな ふうに かわって きたの?

5. 太眉と細眉が行き来するようになった

5. 大正の細眉から平成の太眉・細眉へ ── 流行が速く回る

たいしょうの ころの まゆは、ほそくて、こめかみの ほうまで たれるように ひく ものでした[3]。

1980ねんだいの おわりの バブルきには、まゆを 太く 見せる かきかたが はやりました。バブルが はじけた あとの 1990ねんだいの うしろの ほうでは、じょしこうせいを ちゅうしんに、ほそい まゆが はやりました[1]。

へいせいの 終わりごろには、また、明るい 色で みじかめの 太い まゆが とくちょうでした[4]。

はやりの かわる はやさも かわりました。それまでは 10ねんごとに かわって いたのに、へいせいに はいってからは、4・5ねんごとに かわる ように なりました[4]。

眉を消す習慣が終わったあと、眉の太さや形は、時代の流行で動くようになります。大正期、関東大震災の後の眉は、細く、こめかみまで垂れ下がるように引く「引眉毛」でした[3]。江戸までの「剃って描く引眉」とは別の、細い眉の流行で、名前が似ているので混同しないようにしたいところです。

1980年代後半のバブル期には、眉を太く見せる描き方が流行しました。バブル崩壊後の1990年代後半は、女子高生を中心に細眉が流行しています[1]。平成6〜10年(1994〜1998年)は、茶髪、細眉、小顔メイクが大流行しました[4]。平成26年(2014年)から2018年ごろには、バブル期を思わせる色が明るく短めの太い眉「ナチュ太眉」が特徴になりました[4]。

太い、細い、また太い。眉は行き来しているように見えます。流行の速さも変わり、それまでは10年単位だった変化が、平成に入ってからは4、5年単位になったと報告されています[4]。

景気がよいと太眉が好まれる、という見方を聞くことがありますが、因果が証明されたものではないので、ここでは「そう語られることがある」にとどめます。

最後に、この移り変わりを自分の目で確かめる道すじを考えます。

眉を消す習慣が終わったあと、眉の形は決まりではなく流行で動く。大正期、関東大震災後の眉は細く、こめかみまで垂れ下がるように引く「引眉毛」だった[3]。江戸までの剃って描く引眉とは別物で、名前が似ているため注意が要る。

1980年代後半のバブル期には眉を太く見せる描き方が流行し、バブル崩壊後の1990年代後半には、女子高生を中心に細眉が流行した[1]。リセマムが紹介する調査では、平成6〜10年(1994〜1998年)は茶髪・細眉・小顔メイクが大流行し、平成26年〜2018年ごろはバブル期を思わせる、色が明るく短めの太い眉「ナチュ太眉」が特徴とされた[4]。これは企業のプレスリリースに基づく記述であり、調査主体と方法を踏まえて読む必要がある。

注目したいのは、流行の回転の速さだ。それまで流行は10年単位で変わっていたが、平成に入ってからは4、5年単位で移り変わるようになった[4]。江戸の眉は身分や年齢に応じた決まりに左右された。それが、好みと流行が決める時代になり、周期が縮んだ、という対比が読み取れる。

景気と眉の太さを結びつける見方もある。ただし相関の傾向として語られることがあるだけで、景気が原因だと証明されたものではない。眉の流行を景気だけで説明するのは避けるべきだ。

では、この変遷を、読者が自分の目で確かめるには、どうすればよいか。

6. まゆの ちがいを、じぶんの 目で さがして みよう

6. 浮世絵と写真の眉を、見比べる

6. 眉の変遷を、手元の資料で確かめる

こくりつこっかいとしょかんの ウェブサイトには、「日本の けしょうの れきし」を しょうかいした ページが あります[2]。おうちの 人と いっしょに ひらいて、うきよえの 女の人の まゆを 見て みましょう。

そった はずなのに、まゆが かかれて いる 人は いるでしょうか。

つぎは、おうちの アルバムや、むかしの ざっしを 見せて もらいます。まゆは 太いでしょうか、ほそいでしょうか。いつごろの しゃしんか、年も いっしょに 見て みましょう。

国立国会図書館の「日本の化粧」のページ(出典欄)には、江戸時代の化粧と、明治・大正・昭和の化粧の解説があります。浮世絵の女性の眉を、家の人と一緒に見てみましょう。眉が描かれている女性と、描かれていない女性を見比べてみましょう。

もう一つは、家にある古い雑誌やアルバムです。写真の年と眉の太さを、見比べてみます。ただし、写真の人は一人ひとり違います。流行のしるしとして見るのは、同じ時期の写真がいくつか集まったときだけにして、1枚だけで「この時代はこう」と決めつけないようにします。

眉を消して描き直した人たちから、自分の眉を自由に整える私たちまで。眉の形は、決まりと流行のあいだで、ずっと動いてきたようです。

眉の変遷は、手元の資料で確かめられる。

第一に、国立国会図書館「日本の化粧」の江戸時代・明治以降の各章(出典欄の[2][3])を原文で読む。礼法書『化粧眉作口伝』や、川柳の句の扱いが、この記事の記述とどう対応するか確かめられる。

第二に、浮世絵の女性の眉を観察する。眉の有無と、描かれた女性の年齢や立場の関係から、「30歳以下は描く」という約束が実際の絵でどう表れているかを見る。ただし絵は約束事であり、実生活の記録そのものではない。

第三に、家にある雑誌や写真を、年代別に並べる。数枚の写真から流行を言い切ることはできないので、同じ時期の複数の写真を比べる。そのうえで、リセマムの調査の記述(4、5年単位で変わる)と合うかを見てみる。

昭和の眉の形や、江戸・平安以前の眉には、まだ調べる余地がある。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

平安時代・明治・現代の眉の記述は Weblio(Wikipedia『眉毛』)と国立国会図書館、平成の流行はリセマム(企業プレスリリースの紹介)による。

  1. Weblio辞書「眉」(Wikipedia『眉毛』日本の眉の項) https://www.weblio.jp/content/眉 (引眉・既婚女性の眉剃り・明治の廃れ・バブル期と1990年代後半の眉)
  2. 国立国会図書館 NDLイメージバンク「日本の化粧の歴史」第1章 江戸時代の化粧 https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/29/1.html (江戸の眉の決まり・浮世絵のお約束・川柳)
  3. 国立国会図書館 NDLイメージバンク「日本の化粧の歴史」第2章 明治、大正、昭和の化粧 https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/29/2.html (明治の禁止と発表・大正の眉)
  4. リセマム(プレスリリース)「平成を彩ったビューティートレンド変遷」 https://resemom.jp/release/prtimes/20181025/48272.html (平成の眉の流行・流行の周期)
  5. 国立国会図書館 NDLイメージバンク「日本の化粧の歴史」参考資料 https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/31/reference.html (明治3年の華族への歯黒・引眉の禁止)

なおした ところ

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