1. 歯に ぬるのは、なにと なに?
1. 歯に塗るのは、悪臭の液と虫こぶの粉
1. 二つの材料 ── 鉄漿水と五倍子粉の作り方と塗り方
おはぐろの ざいりょうは、ふたつ あります。
ひとつめは、鉄漿の みずと よばれる えきです。こめの とぎしる、酢、おちゃや おさけなどに、ふるい てつを 入れて、はっこうさせて 作ります[1]。においが とても きつかったと いわれます。
ふたつめは、ぬるでと いう 木に できる 虫こぶを かわかして、粉に した ものです[1]。
ぬりかたは、まず ふでで えきを 歯に ぬります。そのあとに、こなを つけます[2]。
2. ふたつ かさねると、なぜ 黒く なるの?
2. 鉄とタンニンが出会うと黒くなる
2. 色が出る理由 ── 鉄とタンニンの反応と、塗り重ねる必然
たいせつなのは、むしこぶに ふくまれる 「タンニン」と いう ものです。えきの 中の 鉄と タンニンが であうと、黒い ものに なる のです[3]。
この 黒い ものは、水に とけにくい ことも わかって います[3]。だから ぬったあと、すぐには 落ちません。
色の正体は、鉄とタンニンの反応だと説明されています。鉄漿水に含まれる酢酸第一鉄が、五倍子に含まれるタンニン酸と結びつくと、水に溶けにくくなると同時に黒く変わります[3]。タンニンに鉄の塩が加わると、タンニン鉄と呼ばれる安定した黒い化合物ができる、とも紹介されています[4]。
つまり、液の中の鉄と、虫こぶの粉の中のタンニンは、別々にしておいて歯の上で出会わせるものでした。二つを重ねる必要があった理由は、ここにあります。
水に溶けにくい黒なので、塗ったあとの色が、水ですぐ流れる心配は少なそうです。では、この手間のかかる化粧は、人々の暮らしの中でどんな意味を持ったのでしょうか。
色が出る理由は、鉄とタンニンの反応である。ウィキペディアの説明では、鉄漿水の酢酸第一鉄が五倍子のタンニン酸と結合すると、非水溶性になると同時に黒変する[3]。報道記事による説明では、タンニンに鉄塩が加わると、タンニン鉄と呼ばれる安定した黒い化合物ができる[4]。化学式の細部は二次資料の説明として読むのがよい。
この仕組みから、二段構えの理由が読み取れる。鉄を含む液と、タンニンを含む粉は、歯の上で出会ったときに黒い化合物を作る。しかも非水溶性になるので、塗った色が水に溶け出しにくい。
墨のような顔料を塗るのではなく、歯の上で色を生む反応を使った点は、この習慣の面白いところである。では、そんな手間のかかる化粧を、人々はなぜ続けたのか。
3. おはぐろは、いつ はじめる ものだったの?
3. 結婚した女性は「かね親」から塗り方を教わった
3. 結婚の儀式 ── かね付始めと「かね親」、黒に込められた意味
江戸時代の 女の 人は けっこんすると、歯を 黒く ぬりました[1]。はじめて ぬる ひは、「かねつけはじめ」と よばれる おいわいの 日でした。
この ときは、しんせきの 女の 人が 「かねおや」に なります。おはぐろの どうぐを ひとそろい プレゼントして、ぬりかたも おしえて くれました[1]。
黒は、ほかの 色に そまらないので、気もちが かわらない しるしだと 考えられて いたようです[1]。
江戸時代、女性は結婚すると歯を黒く塗りました。初めて塗る儀式は「かね付始め」などと呼ばれ、親戚の女性が「かね親」となって、道具一式を祝いに贈り、塗り方も教えたといいます[1]。
手間と悪臭のある化粧を、一人で始めるのは大変です。道具と一緒に、手順を教えてくれる先輩がつく。そう考えると、この儀式は、お祝いであると同時に、暮らしの技を伝える場でもあったのでしょう。
黒い歯の意味について、国立国会図書館の解説は、黒はほかのどんな色にも染まらないため、貞節の証と考えられていたようだ、と述べています[1]。ただし「ようだ」という書き方のとおり、当時の人が全員そう思っていたと言い切れる資料ではありません。
ところで、お歯黒は結婚した女性だけのものだったのでしょうか。
江戸時代の女性は結婚すると歯を黒く塗った。初めて塗る儀式は「かね付始め」などと呼ばれた。このとき親戚の女性が「かね親」となり、道具一式を祝いとして贈り、塗り方を教えた[1]。ここで注目したいのは、悪臭を放つ液を扱う作業が、独学ではなく、先輩の女性から習う形に整えられていた点である。
黒の意味については、同じ解説が「黒はほかの何色にも染まらないため、貞節の証と考えられていたようだ」と述べる[1]。推測の語尾が付いており、当時の人々の考えを直接示す史料ではなく、後世の解説として読むべきだ。
ところが、お歯黒の歴史を広く見ると、結婚の印だけでは説明できない。男性も歯を黒くした時期があったからである。この習慣の意味は、時代ごとにどう変わったのか。
4. おはぐろは、男の 人も していたの?
4. 平安時代の女性から、武士の男性へ
4. 意味の変遷 ── 平安の女性、中世の武士、江戸で結婚の印へ
平安時代の おはぐろは、女の 人の ならわしでした[5]。「げんじものがたり」や 「まくらのそうし」にも、おはぐろの ことばが 出て きます[5]。
平安時代の おわりごろから、男の 人も する ように なりました。武士の あいだでは、ふつうの こととして ひろまった と いわれます[5]。
けれど 江戸時代には、男の 人の ならわしは ほとんど なくなりました[5]。むかしと いまで、黒い 歯の いみは どんどん かわって いったのですね。
お歯黒は、平安時代の末ごろまでは女性の習慣で、末ごろから男性にも広がったとされます[5]。「鉄漿」という言葉は、平安中期の『栄花物語』の用例が初出とされ、『源氏物語』や『枕草子』にも見えます[5]。
平安末ごろから、男性にも広がりました。源平の時代には、男子でお歯黒をつける者がいたといいます[5]。中世には、上層の武士の間で一般的になったとされます[5]。
ところが江戸時代になると、男子の習慣はほぼ廃れ、結婚した女性の印として残りました[5]。同じ黒い歯でも、時代によって使う人も意味も変わっていったことになります。
起源はもっと古く、古墳に埋葬された人骨や埴輪にお歯黒の跡が見られるとして、古墳時代にさかのぼるとする説もあります[3]。ただし、発掘報告にもとづく確かな年代は、今回の資料では示せません。歯を黒くする習俗は日本だけではなく、ベトナムのドン・サー遺跡(約2000年前)の骨の歯から鉄と硫黄が見つかり、鉄とタンニンで染めた可能性が論じられています[4]。
お歯黒は、いつから誰の習慣だったのか。コトバンクが引く百科事典類によると、平安時代の末ごろまでは女子の慣習で、末ごろから男子にも広がったとされる。「鉄漿」の語は、平安中期の『栄花物語』の用例が初出とされ、『源氏物語』『枕草子』にも見える[5]。
ところが源平の時代には、男子で鉄漿をつける者が現れる。中世には上層の武士の間で一般化したが、江戸時代になると、男子の習慣はほぼ廃れた[5]。その結果、江戸では既婚女性の印という性格が前に出たと考えられる。ただし、平清盛ら個々の人物の記述までは、今回扱った資料には含まれていない。
起源には諸説ある。古墳に埋葬された人骨や埴輪にお歯黒の跡が見られ、古墳時代にさかのぼるという説は、一般向けの解説に見える説で、年代の根拠となる発掘報告までは示されていない[3]。海外では、ベトナムのドン・サー遺跡(約2000年前)の歯から鉄と硫黄が検出され、タンニン植物と鉄塩で染めた可能性が論じられた。これは報道記事による紹介である[4]。歯を黒くする習俗は、東南アジアなど世界各地にあり、現代でも中国や東南アジアの一部で見られるとされる。
では、この化粧は歯にとって良かったのか悪かったのか。
5. おはぐろは、歯に よかったの?
5. 歯を傷める面と、歯を守ったかもしれない面
5. 歯への影響 ── 酸による傷みと、予防効果の仮説
おはぐろの したじには、「かねした」と いう つよい さんの えきが ありました。これが 歯の おもてを いためた ようだと いわれます[1]。
いっぽうで、おはぐろの せいぶんは 歯ぐきを ひきしめたり、歯の かたい ところを つよくしたり して、むしばの よぼうに なった かもしれない、と いまは 考えられて います[1]。
でも、「むしばを ふせいだ」と はっきり しめす けんきゅうは、まだ 見つかって いません。
お歯黒には、よい面と悪い面の両方が語られています。まず悪い面です。下地に塗る「かね下」は強い酸で、歯の表面を傷めたようだとされます[1]。
よい面としては、お歯黒の成分が歯肉をひきしめ、歯のエナメル質を強化するなど、歯周病や虫歯の予防に効果があったと、今日では考えられている、という説明があります[1]。黒い被膜で歯を覆うことによる虫歯予防、という見方もあります[3]。
ここで気をつけたいのは、「と考えられている」という言い方です。お歯黒が虫歯を減らしたことを、証明した研究は、今回の資料には見当たりません。「ありそうな話」と「確かめられた話」を分けて読むことが大切です。
では、この習慣は、いつまで続いたのでしょうか。
お歯黒の影響には、損傷と保護の両面が語られる。損傷については、下地の「かね下」が強い酸で、歯の表面を傷めたようだとされる[1]。傷みの程度を数値で示す資料は、今回扱った中にはない。
保護については、成分が歯肉をひきしめ、歯のエナメル質を強化し、歯周病や虫歯の予防に効果があったと、今日では考えられているという[1]。黒い被膜で覆うことによる虫歯予防、という見方も紹介される[3]。
ただしこれは「考えられている」段階の仮説で、因果を証明した研究は、今回の資料では確認できない。損傷と保護のどちらが大きかったかは、決着していないと読むのが妥当である。
この問いに、近年は古人骨の側から迫る研究が出ている。2026年6月9日、東京大学・九州大学など14機関の研究グループが、江戸時代を中心とする古人骨の歯石の微生物DNAを解析した結果を発表した(『Scientific Reports』掲載)。歯周病に関わる古細菌M. oralisのうち、お歯黒の痕跡が報告されていた女性個体に由来する株は、いずれも同じ系統のグループに入ると示された[6]。ただし、お歯黒が細菌に影響したとは述べられておらず、因果は読み取れない。
6. おはぐろは、いつ なくなったの?
6. 明治の禁止のあとも、お歯黒は残った
6. 明治の禁止と庶民の習慣 ── 華族への禁止、粉末の発売
明治に なると、国は おはぐろを やめさせようと しました。華族の 人たちには 禁止されました[7]。つぎの 年には、皇后さまも おはぐろと まゆずみを やめたと 発表されました。
そのころの 外国の 人には、黒い 歯が ふしぎに 見えた ことが、理由の ひとつだった ようです[7]。
でも、ふつうの 人たちの あいだでは、おはぐろは すぐには なくなりません。水で とくだけで 黒くなる こなの おはぐろも、うられて いました[7]。
いつ なくなったかは、本によって ちがいます。明治の おわりごろまでと いう ものも、東北などでは 昭和の はじめまで、と いう ものも あります。
明治に入ると、風向きが変わります。1870年(明治3)に華族の染歯が禁止され、1873年(明治6)には皇太后・皇后がお歯黒や眉墨をやめたと発表されました[7][5]。背景には、欧米人の目に奇妙に映ったことや、風俗の西欧化があるとされます[5]。
ただし、このとき禁止されたのは華族などの上層で、庶民全体に禁止が出たわけではありません。実際に、庶民の間では根強く残りました。明治半ばになっても、水に溶かすだけで使える粉末状の「手軽なお歯黒」が売り出されていました[7]。月岡芳年の錦絵(明治10年ごろ)にも、黒い歯の女性が描かれています。
いつ消えたかは、資料でずれます。民間では主に明治時代末期まで、東北など一部の地域では昭和初期まで続いたという辞書の説明がある一方、もっと早く姿を消したとする説明もあります[3]。終わりの時期は、一つに決められません。
お歯黒に対する明治政府の動きは、早かった。1870年(明治3)に華族の染歯が禁止され、1873年(明治6)には皇太后・皇后がお歯黒や眉墨をやめたと発表された。背景には、欧米人の目に奇妙に映ったことと、風俗の西欧化があるとされる[7][5]。
ここで誤解しやすいのは、1870年の禁止が華族・皇族向けだったことだ。庶民全体に禁止が及んだわけではない。庶民の間でどう扱われたかは、次に見る事実が示している。
事実として、明治半ばになっても、水に溶かして使う粉末状の手軽なお歯黒が売り出され、芳年の錦絵(明治10年ごろ)にも黒い歯の女性が描かれた[7]。液を発酵させる手間のいらない商品が出たことは、この習慣が明治半ばにも続いていたことを示している。
消えた時期は資料間でずれる。民間では主に明治末期まで、東北など一部の地域では昭和初期までという辞書の記述がある一方、もっと早く消えたとする説明もある[3]。終わりの時期は、一つに決められない。
7. 本物を 見てみたく なったら
7. 黒い歯の絵と、お歯黒の言葉を探す
7. 次に調べたいこと ── 錦絵・古典・古人骨の研究
おはぐろは、日本では いまは ほとんど 見かけない しゅうかんです。でも、むかしの 絵には のこって います。
としょかんや 図かんで、江戸時代の 絵から、おはぐろを した 女の 人が かかれた ものを さがして みましょう。女の 人の 口の 中が 黒いかどうか、見て みて ください。
おうちの 人に、おはぐろの 話を して みるのも いいですね。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
お歯黒の材料・結婚の儀式・明治の変化は国立国会図書館の解説、歴史は事典類の解説、現代の研究は大学の発表による。一部は二次資料のため、本文でそのように書いた。
- 国立国会図書館 NDLカレイドスコープ「第1章 江戸時代の化粧」 https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/29/1.html (材料・結婚の儀式・黒の意味・歯への影響)
- デジタル大辞泉「お歯黒」(Weblio経由) https://www.weblio.jp/content/%E3%81%8A%E6%AD%AF%E9%BB%92 (塗り方の手順)
- ウィキペディア「お歯黒」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E6%AD%AF%E9%BB%92 (色が出る反応・起源の説・消えた時期の幅)
- ナゾロジー(お歯黒とタンニン鉄の説明) https://nazology.kusuguru.co.jp/archives/191881/2 (タンニン鉄・ドン・サー遺跡の報道)
- コトバンク「鉄漿」(世界大百科事典・日本大百科全書ほか) https://kotobank.jp/word/%E9%89%84%E6%BC%BF-45915 (男女・時代ごとの広がり・古典での用例・明治の禁止)
- 東京大学大学院理学系研究科 プレスリリース https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/11162/ (江戸時代中心の古人骨の歯石DNA研究)
- 国立国会図書館 NDLカレイドスコープ「第2章」 https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/29/2.html (明治の変化・インスタントお歯黒)
なおした ところ
更新履歴
更新履歴(改版の記録)
- 初版を公開。
このサイトでは、公開した記事の本文は原則として書き直しません。誤りが見つかったときや、内容が古くなったときだけ手を入れ、その理由をこの欄に残します。