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むかしの 人は、どうやって 歯を まっ黒に したの?

昔の日本人は、どうやって歯を黒く染めたのか ── お歯黒の材料と、意味の移り変わり

昔の日本で、歯を黒く染めたのはどんな方法か ── 鉄漿水と五倍子粉を重ねる理由と、習慣が続いた背景

分野:歴史・文化

むかしの 日本には、歯を わざと 黒く ぬる 人が たくさん いました。鉄漿おはぐろと いいます。つかうのは、とても くさい えきと、むしの こぶから 作った 粉こなです。

どうして ふたつ かさねると、歯が 黒く なるのでしょう。この 記事で、その わけと、おはぐろが つづいた ようすが わかります。

江戸時代の女性は、結婚すると歯を黒く塗りました。使ったのは、強い悪臭のする鉄の液と、木にできる虫こぶの粉です。鉄の液と虫こぶの粉を歯の上で重ねると、そこで黒い色が生まれたといいます。

なぜ二つ重ねると黒くなるのでしょうか。黒い歯には、どんな意味があったのでしょうか。国立国会図書館などの資料から、色が出るしくみと、時代ごとに意味が変わった様子が分かります。

お歯黒の液は、米のとぎ汁や酢に古い鉄を浸して発酵させたもので、強烈な悪臭がしたという[1]。それだけでは歯は黒くならない。ヌルデの虫こぶの粉を重ねて、はじめて色が出る。

では、なぜ二つの材料が要るのか。この習慣は結婚の印のほか、時代により別の意味も持った。さらに明治政府が禁じたあとも、庶民の間で残ったのはなぜか。複数の資料から、色が出る理由と、意味の移り変わり、続いた背景が分かる。

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1. 歯に ぬるのは、なにと なに?

1. 歯に塗るのは、悪臭の液と虫こぶの粉

1. 二つの材料 ── 鉄漿水と五倍子粉の作り方と塗り方

おはぐろの ざいりょうは、ふたつ あります。

ひとつめは、鉄漿おはぐろの みずと よばれる えきです。こめの とぎしる、酢す、おちゃや おさけなどに、ふるい てつを 入れて、はっこうさせて 作ります[1]。においが とても きつかったと いわれます。

ふたつめは、ぬるでと いう 木に できる 虫こぶを かわかして、粉こなに した ものです[1]。

ぬりかたは、まず ふでで えきを 歯に ぬります。そのあとに、こなを つけます[2]。

お歯黒の材料は、鉄漿水(かねみず)と五倍子粉(ふしこ)の二つです。鉄漿水は、米のとぎ汁、酢、茶、酒、古い鉄などを混ぜて発酵させた液で、強烈な悪臭がしたと伝わります[1]。

五倍子粉は、ヌルデという木にできる虫こぶを乾かして、粉にしたものです[1]。

塗り方は、辞典の説明では、古い鉄くずを茶の汁や酢に浸して作った液を筆で歯に塗り、そのあとで五倍子の粉をつけます[2]。歯に塗るのに、液と粉の二段構えだったわけです。

では、この二つが歯の上で出会うと、なぜ黒くなるのでしょうか。

国立国会図書館の解説によれば、お歯黒の材料は五倍子粉と鉄漿水である。鉄漿水は米のとぎ汁・酢・茶・酒・古鉄などを混ぜて発酵させた液で、強烈な悪臭を放った。五倍子粉は、ヌルデの木にできる虫こぶを乾燥させて粉にしたものである[1]。

塗り方は、デジタル大辞泉の説明によると、古い鉄くずを茶の汁または酢に浸した液を筆で歯に塗り、そのあとに五倍子の粉をつける手順になる[2]。液と粉を一緒に練るのではなく、歯の上で順に重ねる点が特徴である。

ここで疑問が出る。歯を黒くするなら、墨のような黒い顔料を塗れば手早いはずだ。それをせず、わざわざ悪臭の液と虫こぶの粉という二段構えを選んだのは、なぜか。

2. ふたつ かさねると、なぜ 黒く なるの?

2. 鉄とタンニンが出会うと黒くなる

2. 色が出る理由 ── 鉄とタンニンの反応と、塗り重ねる必然

たいせつなのは、むしこぶに ふくまれる 「タンニン」と いう ものです。えきの 中の 鉄と タンニンが であうと、黒い ものに なる のです[3]。

この 黒い ものは、水に とけにくい ことも わかって います[3]。だから ぬったあと、すぐには 落ちません。

色の正体は、鉄とタンニンの反応だと説明されています。鉄漿水に含まれる酢酸第一鉄が、五倍子に含まれるタンニン酸と結びつくと、水に溶けにくくなると同時に黒く変わります[3]。タンニンに鉄の塩が加わると、タンニン鉄と呼ばれる安定した黒い化合物ができる、とも紹介されています[4]。

つまり、液の中の鉄と、虫こぶの粉の中のタンニンは、別々にしておいて歯の上で出会わせるものでした。二つを重ねる必要があった理由は、ここにあります。

水に溶けにくい黒なので、塗ったあとの色が、水ですぐ流れる心配は少なそうです。では、この手間のかかる化粧は、人々の暮らしの中でどんな意味を持ったのでしょうか。

色が出る理由は、鉄とタンニンの反応である。ウィキペディアの説明では、鉄漿水の酢酸第一鉄が五倍子のタンニン酸と結合すると、非水溶性になると同時に黒変する[3]。報道記事による説明では、タンニンに鉄塩が加わると、タンニン鉄と呼ばれる安定した黒い化合物ができる[4]。化学式の細部は二次資料の説明として読むのがよい。

この仕組みから、二段構えの理由が読み取れる。鉄を含む液と、タンニンを含む粉は、歯の上で出会ったときに黒い化合物を作る。しかも非水溶性になるので、塗った色が水に溶け出しにくい。

墨のような顔料を塗るのではなく、歯の上で色を生む反応を使った点は、この習慣の面白いところである。では、そんな手間のかかる化粧を、人々はなぜ続けたのか。

3. おはぐろは、いつ はじめる ものだったの?

3. 結婚した女性は「かね親」から塗り方を教わった

3. 結婚の儀式 ── かね付始めと「かね親」、黒に込められた意味

江戸時代えどじだいの 女の 人は けっこんすると、歯を 黒く ぬりました[1]。はじめて ぬる ひは、「かねつけはじめ」と よばれる おいわいの 日でした。

この ときは、しんせきの 女の 人が 「かねおや」に なります。おはぐろの どうぐを ひとそろい プレゼントして、ぬりかたも おしえて くれました[1]。

黒は、ほかの 色に そまらないので、気もちが かわらない しるしだと 考えられて いたようです[1]。

江戸時代、女性は結婚すると歯を黒く塗りました。初めて塗る儀式は「かね付始め」などと呼ばれ、親戚の女性が「かね親」となって、道具一式を祝いに贈り、塗り方も教えたといいます[1]。

手間と悪臭のある化粧を、一人で始めるのは大変です。道具と一緒に、手順を教えてくれる先輩がつく。そう考えると、この儀式は、お祝いであると同時に、暮らしの技を伝える場でもあったのでしょう。

黒い歯の意味について、国立国会図書館の解説は、黒はほかのどんな色にも染まらないため、貞節の証と考えられていたようだ、と述べています[1]。ただし「ようだ」という書き方のとおり、当時の人が全員そう思っていたと言い切れる資料ではありません。

ところで、お歯黒は結婚した女性だけのものだったのでしょうか。

江戸時代の女性は結婚すると歯を黒く塗った。初めて塗る儀式は「かね付始め」などと呼ばれた。このとき親戚の女性が「かね親」となり、道具一式を祝いとして贈り、塗り方を教えた[1]。ここで注目したいのは、悪臭を放つ液を扱う作業が、独学ではなく、先輩の女性から習う形に整えられていた点である。

黒の意味については、同じ解説が「黒はほかの何色にも染まらないため、貞節の証と考えられていたようだ」と述べる[1]。推測の語尾が付いており、当時の人々の考えを直接示す史料ではなく、後世の解説として読むべきだ。

ところが、お歯黒の歴史を広く見ると、結婚の印だけでは説明できない。男性も歯を黒くした時期があったからである。この習慣の意味は、時代ごとにどう変わったのか。

4. おはぐろは、男の 人も していたの?

4. 平安時代の女性から、武士の男性へ

4. 意味の変遷 ── 平安の女性、中世の武士、江戸で結婚の印へ

平安時代へいあんじだいの おはぐろは、女の 人の ならわしでした[5]。「げんじものがたり」や 「まくらのそうし」にも、おはぐろの ことばが 出て きます[5]。

平安時代の おわりごろから、男の 人も する ように なりました。武士ぶしの あいだでは、ふつうの こととして ひろまった と いわれます[5]。

けれど 江戸時代えどじだいには、男の 人の ならわしは ほとんど なくなりました[5]。むかしと いまで、黒い 歯の いみは どんどん かわって いったのですね。

お歯黒は、平安時代の末ごろまでは女性の習慣で、末ごろから男性にも広がったとされます[5]。「鉄漿」という言葉は、平安中期の『栄花物語』の用例が初出とされ、『源氏物語』や『枕草子』にも見えます[5]。

平安末ごろから、男性にも広がりました。源平の時代には、男子でお歯黒をつける者がいたといいます[5]。中世には、上層の武士の間で一般的になったとされます[5]。

ところが江戸時代になると、男子の習慣はほぼ廃れ、結婚した女性の印として残りました[5]。同じ黒い歯でも、時代によって使う人も意味も変わっていったことになります。

起源はもっと古く、古墳に埋葬された人骨や埴輪にお歯黒の跡が見られるとして、古墳時代にさかのぼるとする説もあります[3]。ただし、発掘報告にもとづく確かな年代は、今回の資料では示せません。歯を黒くする習俗は日本だけではなく、ベトナムのドン・サー遺跡(約2000年前)の骨の歯から鉄と硫黄が見つかり、鉄とタンニンで染めた可能性が論じられています[4]。

お歯黒は、いつから誰の習慣だったのか。コトバンクが引く百科事典類によると、平安時代の末ごろまでは女子の慣習で、末ごろから男子にも広がったとされる。「鉄漿」の語は、平安中期の『栄花物語』の用例が初出とされ、『源氏物語』『枕草子』にも見える[5]。

ところが源平の時代には、男子で鉄漿をつける者が現れる。中世には上層の武士の間で一般化したが、江戸時代になると、男子の習慣はほぼ廃れた[5]。その結果、江戸では既婚女性の印という性格が前に出たと考えられる。ただし、平清盛ら個々の人物の記述までは、今回扱った資料には含まれていない。

起源には諸説ある。古墳に埋葬された人骨や埴輪にお歯黒の跡が見られ、古墳時代にさかのぼるという説は、一般向けの解説に見える説で、年代の根拠となる発掘報告までは示されていない[3]。海外では、ベトナムのドン・サー遺跡(約2000年前)の歯から鉄と硫黄が検出され、タンニン植物と鉄塩で染めた可能性が論じられた。これは報道記事による紹介である[4]。歯を黒くする習俗は、東南アジアなど世界各地にあり、現代でも中国や東南アジアの一部で見られるとされる。

では、この化粧は歯にとって良かったのか悪かったのか。

5. おはぐろは、歯に よかったの?

5. 歯を傷める面と、歯を守ったかもしれない面

5. 歯への影響 ── 酸による傷みと、予防効果の仮説

おはぐろの したじには、「かねした」と いう つよい さんの えきが ありました。これが 歯の おもてを いためた ようだと いわれます[1]。

いっぽうで、おはぐろの せいぶんは 歯ぐきを ひきしめたり、歯の かたい ところを つよくしたり して、むしばの よぼうに なった かもしれない、と いまは 考えられて います[1]。

でも、「むしばを ふせいだ」と はっきり しめす けんきゅうは、まだ 見つかって いません。

お歯黒には、よい面と悪い面の両方が語られています。まず悪い面です。下地に塗る「かね下」は強い酸で、歯の表面を傷めたようだとされます[1]。

よい面としては、お歯黒の成分が歯肉をひきしめ、歯のエナメル質を強化するなど、歯周病や虫歯の予防に効果があったと、今日では考えられている、という説明があります[1]。黒い被膜で歯を覆うことによる虫歯予防、という見方もあります[3]。

ここで気をつけたいのは、「と考えられている」という言い方です。お歯黒が虫歯を減らしたことを、証明した研究は、今回の資料には見当たりません。「ありそうな話」と「確かめられた話」を分けて読むことが大切です。

では、この習慣は、いつまで続いたのでしょうか。

お歯黒の影響には、損傷と保護の両面が語られる。損傷については、下地の「かね下」が強い酸で、歯の表面を傷めたようだとされる[1]。傷みの程度を数値で示す資料は、今回扱った中にはない。

保護については、成分が歯肉をひきしめ、歯のエナメル質を強化し、歯周病や虫歯の予防に効果があったと、今日では考えられているという[1]。黒い被膜で覆うことによる虫歯予防、という見方も紹介される[3]。

ただしこれは「考えられている」段階の仮説で、因果を証明した研究は、今回の資料では確認できない。損傷と保護のどちらが大きかったかは、決着していないと読むのが妥当である。

この問いに、近年は古人骨の側から迫る研究が出ている。2026年6月9日、東京大学・九州大学など14機関の研究グループが、江戸時代を中心とする古人骨の歯石の微生物DNAを解析した結果を発表した(『Scientific Reports』掲載)。歯周病に関わる古細菌M. oralisのうち、お歯黒の痕跡が報告されていた女性個体に由来する株は、いずれも同じ系統のグループに入ると示された[6]。ただし、お歯黒が細菌に影響したとは述べられておらず、因果は読み取れない。

6. おはぐろは、いつ なくなったの?

6. 明治の禁止のあとも、お歯黒は残った

6. 明治の禁止と庶民の習慣 ── 華族への禁止、粉末の発売

明治めいじに なると、国は おはぐろを やめさせようと しました。華族かぞくの 人たちには 禁止きんしされました[7]。つぎの 年には、皇后こうごうさまも おはぐろと まゆずみを やめたと 発表されました。

そのころの 外国の 人には、黒い 歯が ふしぎに 見えた ことが、理由の ひとつだった ようです[7]。

でも、ふつうの 人たちの あいだでは、おはぐろは すぐには なくなりません。水で とくだけで 黒くなる こなの おはぐろも、うられて いました[7]。

いつ なくなったかは、本によって ちがいます。明治めいじの おわりごろまでと いう ものも、東北などでは 昭和の はじめまで、と いう ものも あります。

明治に入ると、風向きが変わります。1870年(明治3)に華族の染歯が禁止され、1873年(明治6)には皇太后・皇后がお歯黒や眉墨をやめたと発表されました[7][5]。背景には、欧米人の目に奇妙に映ったことや、風俗の西欧化があるとされます[5]。

ただし、このとき禁止されたのは華族などの上層で、庶民全体に禁止が出たわけではありません。実際に、庶民の間では根強く残りました。明治半ばになっても、水に溶かすだけで使える粉末状の「手軽なお歯黒」が売り出されていました[7]。月岡芳年の錦絵(明治10年ごろ)にも、黒い歯の女性が描かれています。

いつ消えたかは、資料でずれます。民間では主に明治時代末期まで、東北など一部の地域では昭和初期まで続いたという辞書の説明がある一方、もっと早く姿を消したとする説明もあります[3]。終わりの時期は、一つに決められません。

お歯黒に対する明治政府の動きは、早かった。1870年(明治3)に華族の染歯が禁止され、1873年(明治6)には皇太后・皇后がお歯黒や眉墨をやめたと発表された。背景には、欧米人の目に奇妙に映ったことと、風俗の西欧化があるとされる[7][5]。

ここで誤解しやすいのは、1870年の禁止が華族・皇族向けだったことだ。庶民全体に禁止が及んだわけではない。庶民の間でどう扱われたかは、次に見る事実が示している。

事実として、明治半ばになっても、水に溶かして使う粉末状の手軽なお歯黒が売り出され、芳年の錦絵(明治10年ごろ)にも黒い歯の女性が描かれた[7]。液を発酵させる手間のいらない商品が出たことは、この習慣が明治半ばにも続いていたことを示している。

消えた時期は資料間でずれる。民間では主に明治末期まで、東北など一部の地域では昭和初期までという辞書の記述がある一方、もっと早く消えたとする説明もある[3]。終わりの時期は、一つに決められない。

7. 本物を 見てみたく なったら

7. 黒い歯の絵と、お歯黒の言葉を探す

7. 次に調べたいこと ── 錦絵・古典・古人骨の研究

おはぐろは、日本では いまは ほとんど 見かけない しゅうかんです。でも、むかしの 絵には のこって います。

としょかんや 図かんで、江戸時代えどじだいの 絵から、おはぐろを した 女の 人が かかれた ものを さがして みましょう。女の 人の 口の 中が 黒いかどうか、見て みて ください。

おうちの 人に、おはぐろの 話を して みるのも いいですね。

お歯黒は、いまは見ることのできない習慣です。それでも、いくつかの方法で、手がかりを探せます。

一つは、絵を見ることです。江戸時代や明治の錦絵や浮世絵では、女性の口元の色に注目します。国立国会図書館の解説の第1章・第2章は、図版を含めて読めます[1][7]。

もう一つは、古典の言葉です。「鉄漿」の語が『源氏物語』や『枕草子』のどこに出てくるか、現代語訳を読んで探すのも楽しいでしょう。

お歯黒をめぐる研究は、いまも進んでいます。人骨の歯石から、お歯黒と歯の病気の関係を探る研究も出てきました[6]。

この記事で触れたことには、確かめられた点と仮説が混ざっている。次に調べるなら、三つの道がある。

一つは、図版である。江戸から明治の錦絵で、女性の口元がどう描かれているかを見比べる。国立国会図書館の「NDLカレイドスコープ」第1章(江戸時代の化粧)と第2章は、一次に近い解説として出典欄から開ける[1][7]。

二つは、古典の用例である。『栄花物語』『源氏物語』『枕草子』で「鉄漿」がどう現れるかを、注釈付きの本文で確認する[5]。

三つは、近年の古人骨研究である。東京大学などの歯石DNAの研究は、プレスリリースで概要が読める[6]。お歯黒が歯の健康に与えた影響という問いは、まだ答えが出ていない。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

お歯黒の材料・結婚の儀式・明治の変化は国立国会図書館の解説、歴史は事典類の解説、現代の研究は大学の発表による。一部は二次資料のため、本文でそのように書いた。

  1. 国立国会図書館 NDLカレイドスコープ「第1章 江戸時代の化粧」 https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/29/1.html (材料・結婚の儀式・黒の意味・歯への影響)
  2. デジタル大辞泉「お歯黒」(Weblio経由) https://www.weblio.jp/content/%E3%81%8A%E6%AD%AF%E9%BB%92 (塗り方の手順)
  3. ウィキペディア「お歯黒」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E6%AD%AF%E9%BB%92 (色が出る反応・起源の説・消えた時期の幅)
  4. ナゾロジー(お歯黒とタンニン鉄の説明) https://nazology.kusuguru.co.jp/archives/191881/2 (タンニン鉄・ドン・サー遺跡の報道)
  5. コトバンク「鉄漿」(世界大百科事典・日本大百科全書ほか) https://kotobank.jp/word/%E9%89%84%E6%BC%BF-45915 (男女・時代ごとの広がり・古典での用例・明治の禁止)
  6. 東京大学大学院理学系研究科 プレスリリース https://www.s.u-tokyo.ac.jp/ja/press/11162/ (江戸時代中心の古人骨の歯石DNA研究)
  7. 国立国会図書館 NDLカレイドスコープ「第2章」 https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/29/2.html (明治の変化・インスタントお歯黒)

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