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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

縄文じょうもんの 人は、しぶい ドングリを どう 食べたの?

渋いドングリを、縄文の人たちはどう食べ物にしたのか ── 割る・粉にする・水に沈める

縄文のドングリ利用 ── 粒のままでは抜けにくい渋みと、砕く・粉にする・水中の貯蔵穴

分野:歴史・文化

ドングリを つぶの まま 水に 2〜3か月 つけても、しぶみは ほとんど ぬけなかった。そんな 実験じっけんの 話が あります[2]。

それなのに、縄文じょうもんの 人たちは ドングリを 食べて いたと みられます。どうやって しぶさを とったのでしょう。この メモを 読むと、わる・くだく・粉こなに する ことで しぶみが ぬけやすく なる わけと、水に しずめた 穴あなに ためて いた あとが 分かります。

ドングリを粒のまま水に2〜3か月浸けても、渋みはほとんど抜けなかった。ある論文に、著者たち自身の実験としてそう書かれています[2]。同じ論文が紹介する実験では、クヌギは粒のままなら117日かかった渋みが、粉にすると15日で抜けました。

それでも縄文時代の人たちは、ドングリを大切な食べ物にしていたとみられます。粒のままで抜けないものを、どうやって食べ物にしたのでしょうか。この記事を読むと、割る・砕く・粉にするという工夫で何が変わるのか、そして水に沈めた貯蔵穴に何が残っていたのかが分かります。

コナラとアラカシを粒のまま、滞水でも流水でも2〜3か月浸けたが、アクはほとんど抜けなかった。増田・黒坪の実験の結果だ[2]。ところが縄文時代の遺跡には、ドングリの利用を示すとみられる道具や貯蔵穴が残る。

粒のままで抜けにくいものを、どう食べ物にしたのか。このメモを読むと、砕いて水に触れる面を増やすと日数がどう縮むのか、粉にする石の道具の出土の増加がどう関わるのか、そして佐賀市の東名遺跡の貯蔵穴群が何を示すのかが分かる。ただし手順そのものが遺跡から見つかっているわけではなく、多くは実験や民俗例からの推定だ。

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1. ドングリは、どうして しぶいの?

1. 粒のまま水に2〜3か月浸けても、渋みは抜けなかった

1. 渋みの正体はタンニン ── 粒のままでは抜けにくい実験結果

ドングリを なまで 食べると、口の 中が きゅっと しぶく なる ことが あります。しぶさの もとは、タンニンと いう 成分せいぶんです。ミズナラや コナラの 実にも ふくまれて います[1]。

タンニンは 水に とけます。それなら 水に つけて おけば いいはず です。ところが ある 実験じっけんでは、コナラと アラカシを つぶの まま 水に 2〜3か月 つけても、しぶみは ほとんど ぬけませんでした[2]。

水に つける だけでは、だめ。では、どう すれば いいのでしょう。

渋みの正体はタンニン

ドングリの渋みのもとは、タンニンという成分です。ミズナラやコナラなどの実にも含まれています[1]。

ナラの仲間もカシの仲間も、含むのは水に溶けるタイプのタンニンです。だから理屈のうえでは、時間をかければ水にさらすだけで渋みは抜けます[2]。

ところが、粒のままだと抜けない

京都府埋蔵文化財論集に載った論文では、著者の増田さんと黒坪さんが、コナラとアラカシを粒のまま水に浸けました。池のような溜まり水でも、小川の流れでも、2〜3か月たって渋みはほとんど抜けませんでした[2]。

水に溶けるはずの成分が、なぜ抜けないのか。その答えが、次の章の「割る」にありました。

ドングリの渋みの主因はタンニンで、ミズナラ・コナラなどの実に含まれる[1]。

ナラ類もカシ類も水溶性のタンニンをもつため、増田・黒坪はナラも時間はかかるが水さらしだけでアク抜きできるとする[2]。では実際に水に浸けるとどうなるか。著者らの実験では、コナラとアラカシを粒のまま滞水状態でも小川の流水でも2〜3か月浸けたが、アクはほとんど抜けなかった[2]。

水溶性なのに粒のままでは抜けない。この矛盾を解く鍵が、次章の「水に触れる面」である。

2. わって、くだいて、粉こなに すると?

2. 割る・砕く・粉にすると、日数が大きく縮んだ

2. 水に触れる面と脱渋の日数 ── 丸・粗割り・粉の比較

たとえば、角ざとうを 水に 入れる ときを 思い出して ください。かたまりの まま だと なかなか とけません。でも 粉こなに した ざとうは、すぐ とけます。水に ふれる ところが、ふえるからです。

ドングリも にて います。ある ほうこくでは、クヌギを つぶの まま 流れる 水に つけると 117にち かかりました。あらく わると 82にち。粉こなに すると 15にちでした[2]。

ただし ほんとうは、ざとうの ように とけるのでは なく、しぶみの もとが 実の 中から 水に ぬけて いきます。それに、水や ドングリの しゅるいで 日にちは 大きく ちがいます。この 数は、あくまで 一つの 例れいです。

こまかく しすぎると、大切な デンプンも 水に ながれて しまいます[2]。ほどよい 細かさが 大事 だったようです。

水に触れる面を増やす

粒のままではほとんど抜けなかったドングリも、割ったり砕いたりして水に触れる面を増やすと、渋みははるかに出やすくなります[2]。たとえるなら、角砂糖より粉砂糖のほうが早く水に溶ける、という感じです。ただし本当は、溶けるのではなく、渋みの成分が実の中から水へ出ていきます。

同じ論文が紹介する、鈴木忠司さんの実験の数字を見てみましょう。谷川の流水に浸けたクヌギは、粒のままで117日、粗く割って82日、粉にすると15日でした。117日が15日になったので、およそ8分の1です。アラカシの粉は流水で23日、瓶の溜まり水でも1週間から1か月ほどでほぼ渋みが抜けました[2]。

細かすぎてもだめ

ただし日数は、水の条件や種類によって大きく違うので、「ドングリは何日で食べられる」とは言えません。それに、細かくしすぎると、渋みと一緒に大切なデンプンまで流れ出てしまいます[2]。ほどよく砕くことが大事だったようです。

さて、粉にするには、それ用の道具がいります。

水溶性のタンニンなのに粒のままでは抜けにくいのは、水に触れる面が小さいためと考えられる。増田・黒坪は、細かく砕いて表面積を増やすとアクは格段に出やすくなると述べる。ただし細かすぎるとデンプンが流れ出る[2]。

この論文が紹介する鈴木忠司氏の実験では、谷川の流水で、クヌギは粒のままで117日、粗割りで82日、粉で15日だった。粗く割るだけで約3割短くなり、粉にすると117日が15日、約8分の1になる計算だ。アラカシは粒のままで3か月以上、粉で23日。瓶の溜まり水でも、粉なら1週間から1か月ほどでほぼ渋みが抜けた[2]。

ただし日数は水の条件・樹種・実験者で大きく変わる。数字は一つの実験の例で、「ドングリは何日で食べられる」とは一般化できない。そしてこの結果は、砕く・粉にする道具が、アク抜きの前提になる可能性を示す。

3. 縄文じょうもんの 人は、粉こなに する 道具を もっていた?

3. 粉にするための石の道具が、縄文時代に増える

3. 石皿・磨石の出土量 ── 旧石器時代との比較にもとづく推論

ドングリを 粉こなに するには、石の さらと、その 上で すりつぶす 石が ひつようです。

この 論文ろんぶんを 書いた 人たちは、こう 考えました。もっと むかしの、石の 道具が 中心の 時代は、そうした さらや 石が とぼしく、ドングリを つぶの まま 水に さらすしか ありません。それは ほとんど できなかった はずだ、と[2]。

縄文じょうもんの 時代に なると、どきが つくられ、おなじ ところに すむ 人が ふえました。ドングリを すりつぶしたと みられる 石の さらや 石が、もっと 古い 時代より 多く 見つかります[2]。

ただし、むかしの 人が ドングリを 食べなかったと 決まった わけでは ありません。これは、この 論文ろんぶんの 考え方です。

この論文の著者たちは、旧石器時代には石皿や磨石が乏しく、粒のままの水さらしはほぼ不可能だったので、ドングリの利用は難しかったと考えます[2]。ただし、旧石器の人たちがドングリを食べなかったと決めつけるものではなく、この論文の推論です。

縄文時代に入ると、土器が発明され、定住が進みました。ドングリをすりつぶしたとみられる石皿や磨石の出土量も、旧石器時代より増えます[2]。

砕く道具が増えたことと、ドングリの利用が広がったことは、時期が重なります。ただし、遺跡の石皿で何をすりつぶしたかを、一つ一つ確かめられるわけではありません。

では、粉にしたあとの渋みは、どう抜いたのでしょう。

増田・黒坪は、旧石器時代には石皿・磨石が乏しく、粒のままの水さらしがほぼ不可能なため、ドングリ利用は難しかったと推論する[2]。ただしこれは論文の推論で、旧石器時代の人々がドングリを食べなかったと断定するものではない。

縄文時代には土器の発明と定住化が進み、ドングリをすりつぶしたとみられる石皿・磨石の出土量が旧石器時代より増える[2]。前章の実験で粉にするほど日数が縮んだことと考え合わせると、砕く道具の普及がドングリ利用の前提になった可能性がある。しかし石皿で実際に何を砕いたかは、出土品だけでは確定できず、これも推定の域を出ない。

4. にる? はいを 使う? 水に さらす?

4. 煮る・灰と合わせる・水にさらす ── 地域で分かれたやり方

4. アク抜きの三つの型と民俗例の地域差 ── トチの灰あわせを例に

しぶみを ぬく やり方には、三つ あります。にる。灰はいと あわせる。水に さらす。この 三つが 知られて います[2]。

どれを つかうかは、ところに よって ちがいました。東北の ほうの ナラの なかまでは、木の 灰はいと にる やり方が 多く、西や 南の カシの なかまでは、水に さらすのが 中心だったと 聞き取りで 伝つたわります[2]。ただし これは、ずっと 後の 時代に 聞いた 話で、縄文じょうもんの 手じゅんと 同じとは いえません。

トチの 実の 例れいを 見ましょう。ドングリとは ちがう 木の 実ですが、縄文じょうもんの 時代から 食べられて きました[3]。福島県の ただみまちで 聞いた 今の やり方は、こうです。水に 3日 つけて 皮を むく。ながれる 水に 2日 さらす。灰はいを かけて あつい おゆを そそぎ、ひと晩ばん おく。そのあと 水が すむまで にて、水を かえるのを 10回ほど くりかえします[3]。

すごい 手間です。それでも 食べ物に してきた 人たちが いました。

三つの方法と、地域の違い

アク抜きの方法には、煮る(加熱)・水にさらす・灰を合わせる、の三つが知られています[2]。

民俗例を整理すると、東北日本のナラ類(コナラ・ミズナラ)では木灰と煮るなどの加熱が多く、西南日本のカシ類では水さらしが中心で、加熱はみられない、という見方があります[2]。木の種類ごとの森の違いが、やり方の違いに表れたという考えです。ただしこれは近代の聞き取りで、縄文時代の手順がそのままだったとはいえません。

トチの実に残る、手間のかかる灰の技

トチノキの実は、ドングリとは別の木の実ですが、縄文時代から食べられてきました[3]。福島県只見町の只見町ブナセンターだよりに、今のやり方の聞き書きが載っています。水に3日浸けて皮をむき、流水に2日さらす。同量から2倍の灰をかけて熱湯を注ぎ、一晩置く。水が澄むまで煮て、水を替えるのを約10回くりかえす、という工程です。ナラを燃やした重い灰がよく効くそうです[3]。

これは現代の聞き書きで、縄文時代のやり方の証拠ではありません。それでも、渋い木の実を食べるために、これだけの手間をかける暮らしがあったことは伝わります。

アク抜きの方法は、加熱(煮沸が主)・水さらし・灰あわせに大別される[2]。民俗例では、松山利夫氏の見方として、東北日本の冷温帯落葉広葉樹林帯(ナラ類)は木灰と煮るなど加熱が多く、西南日本の照葉樹林帯(カシ類)は水さらし中心で加熱はみられない。樹林帯の違いが方法の違いに表れるとの理解だ[2]。ただし近代の聞き取りにもとづくため、縄文時代の手順と直結はしない。

灰あわせの具体例として、トチノキの実の聞き書きがある。トチはドングリと別の木の実で、縄文時代から食べられてきた。現代の只見町では、水に3日浸し、皮をむき、流水に2日さらす。同量〜2倍の灰を掛け、熱湯をかけて一晩置き、水が澄むまで煮て水替えを約10回行う。ナラを燃やした重い灰がよく効くという[3]。灰がなぜ効くのかという化学的な仕組みは、ここで使った資料では扱われていないので、方法の紹介にとどめる。

いずれも現代の記録で、縄文時代の手順そのものが遺跡から見つかったわけではない。ただ、渋い木の実を食料にするために手間を重ねる暮らしの型を、今に伝える。

5. しぶみを ぬくと、虫が つかない?

5. アク抜きした実は、虫がつかなかった ── 一つの実験の気づき

5. 保存性とデンプン加工 ── 増田・黒坪の観察と、イチイガシの民俗例

この 論文ろんぶんの 人たちは、ドングリの から を むいて、しぶみを ぬかないで かわかして おきました。すると、はるの はじめに 虫が つきました。

ところが、少しでも しぶみを ぬいた ドングリには、虫は つきませんでした[2]。これは、この 実験じっけんで 気づいた ことで、いつでも 同じとは かぎりません。

むかしの 話では、イチイガシと いう ドングリを 水に さらすだけで デンプンを しずめ、あたためて かためた 「イチゴンニャク」の ような 食べ物に したと 伝つたわります[2]。

しぶみを ぬく ことは、おいしく する ためだけでは なく、ためて おく ためにも 役に 立った のかも しれません。では、どこに ためたのでしょう。

論文の著者たちは、殻をむいたドングリをアク抜きしないで乾燥させておく実験もしました。すると春先に虫がつきました。一方、一部でもアク抜きしたものには虫がつきませんでした[2]。著者の実験での気づきなので、どのドングリでも同じとはいえません。

民俗例には、イチイガシを水さらしだけでアク抜きし、デンプンを沈殿させて、加熱して固めた「イチゴンニャク」などに加工した例が紹介されています[2]。

アク抜きは、食べやすくするだけでなく、ためておくことにもつながった可能性があります。では、縄文の人たちはドングリをどこに貯めたのでしょうか。

増田・黒坪は、殻をむいたドングリをアク抜きせずに乾燥しておくと春先に虫がつき、一部でもアク抜きしたものにはつかなかったと述べる[2]。著者自身の実験での気づきであり、一般則ではない。

民俗例では、イチイガシは水さらしのみでデンプンを沈殿させ、加熱して固める「イチゴンニャク」などに加工された[2]。アク抜きは食べやすさだけでなく、保存と加工の自由度にも関わった可能性がある。

貯蔵とアク抜きが組み合わされていた可能性を考えるとき、手がかりになるのが東名遺跡の貯蔵穴群である。

6. 東名いせきで、ドングリの 貯蔵ちょぞう穴あなが 155こ 見つかった

6. 東名遺跡で見つかった、155基の貯蔵穴

6. 東名遺跡の貯蔵穴群155基 ── 低湿地の保管施設という解釈

さがけんの 東名いせきは、縄文じょうもんの 早い ころ(今から やく 7000年 まえ)の いせきです。ひくくて しめった 土地に、貯蔵ちょぞう穴あなが 155こ 見つかりました[4]。

穴あなは ふかさ 1メートルほど。まるい 形で、はばは 40〜70センチです。中から イチイガシや クヌギ、ナラガシワの 実が 出た ことから、ほとんどが ドングリを しまう ための ものと 考えられました[4]。

わきみずの ある ところに ドングリを しずめて おくと、ネズミや 虫から 守れ、あたらしさも たもて、しぶぬきにも 役に 立つと 考える 人が います。冬の ための 入れものだった という 見方です[2]。ただし、家の 近くに ある 穴あなは、しぶぬきを まつ あいだの 短い しまい場所と みる 人も います。ほんとうの つかい方は、はっきり 決まって いません。

155基の穴の中身

佐賀市の東名遺跡は、縄文時代早期末葉、約7000年前の遺跡です。低湿地から、貯蔵穴が155基見つかりました。深さは約1メートル、直径は70〜40センチの円形で、イチイガシ・クヌギ・ナラガシワの実が出土することから、大多数がドングリの保存用と判断されています[4]。

水に沈める理由

増田・黒坪は、湧き水のある低湿地の貯蔵穴を、ネズミや虫の被害を防ぎ、鮮度を保ち、アク抜きにも有効な冬の保管施設だったと考えます。一方で、住居の近くに多数ある屋外の貯蔵穴は、加工を待つあいだの短期保管施設とする見方もあります[2]。どちらも推定で、使い道が一つに決まっているわけではありません。

ところで、これほど古い時代の穴の中身が、なぜ今も残っているのでしょうか。

佐賀市の東名遺跡(縄文時代早期末葉、約7000年前)では、低湿地に貯蔵穴155基が確認された。深さ約1m、直径70〜40cmの円形で、イチイガシ・クヌギ・ナラガシワの実が出土することから、大多数がドングリ保存用と判断されている[4]。年代は国指定の説明にそろえ、較正年代で約8000年前とする資料の表記とは混ぜない。

用途について、増田・黒坪は、湧き水のある低湿地の貯蔵穴は、ネズミ・虫害を防ぎ鮮度を保てるうえアク抜きにも有効な冬の保管施設とみる。一方、住居近くの多数の屋外貯蔵穴は加工待ちの短期保管施設とする見方もある[2]。いずれも推定で、用途は断定されていない。

では、なぜ7000年前の穴の中身が今も残るのか。

7. ふつうは のこらない かごが、のこった

7. 海面上昇のあと、粘土層が編みかごを覆った

7. 有機物の遺存 ── 海面上昇・水成粘土層・地表下5〜7m

この いせきからは、あみかごが 700こ いじょう 出ました。国内では いちばん 古い ほうの かごと いわれます。ドングリを しまう ための かごと 考えられて います[5]。

かごや 木の どうぐは、ふつうは 土の 中で くさって なくなります。ところが ここでは、海の 水が 急に あがって、人が はなれました。その あと、ねんどが すぐに いせきを おおいました。地面の 下 5〜7メートルに あった ため、中身が のこったと 説明せつめいされて います[6]。

水に しずめた 穴あなと、そこに のこった かご。縄文じょうもんの 人の くらしが、そのままの 形で 土の 中に ねむって いた のです。

700点を超える編みかご

東名遺跡の貯蔵穴群からは、700点を超える編みかごが出土しました。国内では最古級とされ、ドングリを貯蔵するための専用容器と考えられています。遺物の残りがきわめて良く、2016年10月に国指定史跡になりました[5]。

なぜ残ったのか

松井章さんの報告によると、この遺跡は急激な海面の上昇で放棄され、水成の粘土層がすみやかに遺跡全体を覆いました。そのため、普通の遺跡では残らない編みかごや木器などの有機物が残りました。貝塚や貯蔵穴群は、地表下5〜7メートルに分布します[6]。

粉にする道具、水に沈めた穴、編みかご。ドングリを食べ物にするための暮らしの跡が、一つの遺跡にそろって残っていたことになります。

東名遺跡の貯蔵穴群からは700点を超える編みかごが出土し、国内最古級とされる。ドングリ貯蔵用の専用容器と考えられ、遺物の遺存状態は極めて良好で、2016年10月に国指定史跡となった[5]。

有機物が残った理由について、松井章は、急激な海面上昇で遺跡が放棄され、水成粘土層がすみやかに遺跡全体を覆ったため、通常は残らない編みかごや木器が日本最古の出土例として残ったと述べる。貝塚・貯蔵穴群は地表下5〜7m(標高−1〜−3m)に分布する[6]。

前章までの推定は、ここで初めて、実物の保存状態と結びつく。ただし、貯蔵穴の用途やかごの使い方は、出土状況からの解釈であり、手順を記した記録ではない。

8. てんじで、石の さらと かごを さがして みよう

8. 展示で、石皿とかごを探してみる

8. 出口 ── 展示の見どころと、資料の読みどころ

まず、おねがいが あります。公園で ひろった ドングリは、なまで 食べないで ください。しぶい うえに、虫が 入って いる ことも あります。

その かわり、縄文じょうもんの 展示てんじが ある 博物館はくぶつかんに 行ったら、石の さらと、すりつぶす 石、あみかごを さがして みましょう。

見つけたら、「これで ドングリを 一つぶ 粉こなに するのに、なん回 すったかな」と 考えて みて ください。手間の 大きさが、すこし 見えて きます。

もっと 知りたく なったら、この メモの 出典しゅってんの 論文ろんぶん[2]や、東名いせきの 説明せつめい[4]を、おうちの 人と 開いて みて ください。

縄文時代の展示がある博物館に行ったら、石皿や磨石、編みかごを探してみてください。見つけたら、「ドングリ1粒を粉にするのに、何回すったのだろう」と想像してみると、手間の大きさが少し見えてきます。

公園で拾ったドングリを生で食べるのはやめましょう。渋い上に、虫が入っていることもあります。

もっと読みたくなったら、増田・黒坪の論文[2]や、文化庁の国指定文化財等データベース[4]、文化遺産オンライン[5]を開いてみてください。粒のままでは抜けないという実験から、水に沈めた貯蔵穴まで、一本の線でつながっていく様子を、原典でも追えます。

縄文時代の展示で石皿・磨石や編みかごを見るときは、粉にする手間を想像し、本稿の推定と見比べるとよい。公園で拾ったドングリは、渋く、虫が入っていることもあるので、生で食べない。

資料を読むなら、アク抜きの実験と民俗例は増田・黒坪の論文[2]、トチの灰あわせの聞き書きは只見町ブナセンターだより[3]、東名遺跡は文化庁のデータベース[4]・文化遺産オンライン[5]・松井章の報告[6]が日本語で読める。縄文時代にドングリがどれほどの割合を占めたかは、ここで使った資料では扱われておらず、さらに調べる価値のある問いだ。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:論文、公的機関の資料、遺跡の公式データベースを使った。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。

  1. 森林総合研究所 所報(アカネズミとタンニンの研究)。https://www.ffpri.affrc.go.jp/pubs/shoho/documents/068-4.pdf (渋みの成分タンニンについて)
  2. 増田・黒坪「ドングリのアク抜き方法に関する一考察」京都府埋蔵文化財論集第6集。https://www.kyotofu-maibun.or.jp/data/kankou/kankou-pdf/ronsyuu6/01masuda-kurotubo.pdf (アク抜きの実験、石皿・磨石、民俗例、貯蔵穴の解釈について)
  3. 只見町ブナセンターだより No.7(2010年11月)。https://www.tadami-buna.jp/img/no.7.pdf (トチの実のアク抜きの聞き書きについて)
  4. 文化庁 国指定文化財等データベース「東名遺跡」。https://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/maindetails/401/00003955 (貯蔵穴の数・大きさ・年代について)
  5. 文化遺産オンライン「東名遺跡」。https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/273882 (編みかごと史跡指定について)
  6. 松井章「佐賀市東名遺跡の年代とその問題点」名古屋大学年代測定。https://www.nendai.nagoya-u.ac.jp/tande_report/2006/matsui2006.pdf (有機物が残った理由について)

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