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こうはいは、かならず 年下の 人なの?

「後輩」は年下とは限らない? 学年のしくみと、4月1日生まれが前の学年に入る理由

「後輩」は年下のことか:辞典の定義と、4月1日生まれが前の学年に入る理由

分野:歴史・文化

こうはいは、年下の 人だと 思って いませんか。ところが、国語じてんには「あとから 入った 人」とも 書いて あります。

では、同い年の 人が 同じ 教室に いるのは、むかしから 当たり前だったのでしょうか。このページを読むと、こうはいの 意味と、4月1日生まれの ふしぎな ルールが わかります。

後輩は「年下の人」だと思われがちですが、国語辞典の説明には「同じ学校や勤め先に、あとから入った人」も入っています。年齢だけでは決まらない言葉です。

それなら、近い時期に生まれた子が同じ教室にそろう今の学年は、いつ、どうやってできたのでしょうか。しかも4月1日生まれの子は、4月2日以降に生まれた子ではなく、3月生まれの子と同じ学年に入ります。この記事を読むと、後輩という言葉の意味、明治の教室の様子、4月1日生まれが前の学年に入る理由が分かります。

「後輩」は年下を指すと考えられがちだが、デジタル大辞泉の語釈には、年齢や地位だけでなく「同じ学校や勤務先などにあとから入った人」も含まれている[1]。

では、近い時期に生まれた子が同じ学年に入る仕組みはいつ制度として整い、4月1日生まれが3月生まれと同じ学年になるのはなぜか。このメモを読むと、後輩の語釈、等級制から学年制への移り変わり、満年齢の数え方と学年の関係、「後生畏るべし」の原文が分かる。

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1. こうはいって、どんな 人の こと?

1. 年上の人が後輩になることはあるのか

1. 辞典は後輩をどう定義し、「先輩」とどう対にしているか

学校で、1年生が 6年生を「せんぱい」と よぶのは 見た ことが ありますね。では、こうはいは どんな 人でしょう。

国語じてんの ひとつでは、こうはいを「ねんれいや ちいなどが 下の 人」と「同じ 学校や 会社に、あとから 入った 人」の 二つに 分けて せつめい して います[1]。

せんぱいの ほうも 同じです。「同じ 学校や 会社に、先に 入った 人」と いう 意味が 入って います[2]。

英語えいごの ひゃっかじてんでは、せんぱいと こうはいを、年れいや 力より、入った じゅんばんが ものさしに なる かんけいだと せつめい して います[3]。

この 考え方なら、年上の こうはいが いても ふしぎでは ありません。それでも ふつうは 生まれた 時期が 近い 子が 同じ 学年に いますね。これは いつから なのでしょう。

辞典が書く「あとから入った人」

デジタル大辞泉は、後輩を「年齢・地位・経験や学問・技芸などで自分より下の人」と、「同じ学校や勤務先などにあとから入った人」の二つの意味で説明しています[1]。後半の意味には、年齢が入っていません。

先輩のほうも、辞典の説明は対になっています。デジタル大辞泉は「同じ学校や勤務先などに先に入った人」を挙げ、精選版日本国語大辞典も、先に入学や卒業をした人、勤め先に先に入った人を含む3つの意味を示しています[2]。

英語の百科事典は、この関係を、組織に入った日が基準の一つになるつながりだと説明しています[3]。百科事典の記述なので、「そう説明されている」という程度に受け取るのがよさそうです。

「入った順」と「同い年の学年」

入った順で決まるなら、年上の後輩がいても不思議ではありません。それでも私たちが、後輩と聞いて年下を思い浮かべるのは、学校では近い時期に生まれた子がまとめて入学し、学年が年齢とほぼ重なっているからでしょう。では、その学年のしくみはずっと昔からあったのでしょうか。

デジタル大辞泉は後輩を、「年齢・地位・経験や学問・技芸などで、自分より下の人」と、「同じ学校や勤務先などに、あとから入った人」の二つの意味で説明する[1]。前者は上下の尺度が複数あるのに対し、後者の基準は入った順だけで、年齢は含まれない。

先輩の語釈も、この構造に合わせて対になっている。デジタル大辞泉は「同じ学校や勤務先などに先に入った人」を挙げ、精選版日本国語大辞典は、同じ学校に先に入学・卒業した人、勤務先に先に入った人などを含む3つの意味を示す[2]。英語版Wikipediaも、この関係を、組織に入った日が基準の一つになる結びつきだと説明している[3]。ただし、後者は百科事典の記述にすぎず、語の成立や上下関係の強さの由来までは、ここでは扱わない。

入った順が基準なら、論理上、年上の後輩はありうる。それでも多くの人が「後輩=年下」と考えるのは、学校が同年齢の集団を単位に運営されているためだろう。では、この「同い年の集団」は、いつから当たり前になったのか。

2. むかしの 教室には、同い年の 子が そろって いなかった

2. 明治の初めの教室は、年齢がばらばらだった

2. 試験の合否で進級した「等級制」:同じ教室に年齢がそろわない理由

いまの 教室では、生まれた 時期が 近い 子が 集まって います。でも、めいじの はじめの 小学校は ちがいました。

そのころは「とうきゅう」と いう しくみでした。学校で 習う ことが 8つの 級に 分かれて いて、半年ごとの しけんに ごうかくすると、つぎの 級に 進めました[6]。

ひとつの 級に かかる 時間は、半年が めやすでした。でも、みんなが 同じ はやさで 進んだ わけでは ありません[6]。

だから 同じ 教室に、年の ちがう 子が いっしょに いる ことも ありました。年が 同じだから 同じ 級、とは かぎらなかったのです。

では、いつ「年が 同じ 子が 同じ 学年」に なったのでしょう。

8つの級を、半年ごとの試験で進む

日本で小学校が全国に作られはじめたころの制度「学制」では、小学校は下等・上等とも8つの級に分けられ、学力に応じて子どもを配置する「等級制」がとられていました[6]。1つの級は6か月が目安で、半年ごとの試験に合格すれば次の級に進みました。

ただし、6か月はあくまで目安で、全員が同じ速さで進んだわけではありません[6]。試験に合格した順に進むので、同じ教室にいても年齢はそろいませんでした。この仕組みで、「入った順」と「年齢」は、そのままでは重なりません。

「同い年」はもともと自然な単位ではなかった

今は「生まれた時期が近い子が同じクラスにいる」ことが当たり前に見えます。でも、学力に応じた等級で動いていた時代の教室には、そのような前提がありませんでした。同い年の集団は、制度が変わった結果として現れたものです。では、どう変わったのでしょうか。

学制のもとでは、小学校は下等・上等の両小学科とも各8級に区分され、学力水準に応じて児童を配置する「等級制」が採られた[6]。1級あたりの修業は6か月が標準とされ、半年ごとの試験の合否で進級が決まった。ただし、これは標準であって、全員が同じ速さで進んだわけではない[6]。

この制度の帰結として、同じ教室にいる子どもの年齢はそろわない。進級の基準が学力の到達度であり、入学時期や生まれ年ではないからだ。つまり「同じ教室にいる=同い年」という現在の感覚は、等級制の時代の教室には当てはまらない。この点は、「先輩・後輩は入った順で決まる」という前節の見方とも関わる。入った順が年の順とほぼ重なるのは、同年齢の集団で入学が行われる制度があってこそだからだ。

次に問うべきは、学年制や学級編制の規則が、いつ、どのように整えられていったかである。

3. 「同い年の 学年」は、いつ できたの?

3. 学年と学級のルールは、いつ整ったのか

3. 学年制の適用(1885年)から四月学年制(1892年)まで

めいじの 中ごろに、学校の しくみが 大きく かわりました。「学年」で 分ける 考え方が、小学校に 取り入れられたのです。1885ねんの ことと 言われます[7]。

1891ねんには、もんぶしょうが、学級の つくり方を 決める きまりを つくりました。これで 学級は、ほうりつ上の きまりとして かたまった と せつめいされて います[7]。

さらに、学年の はじまりを 4月に する きまりも、1892ねんに 取り入れられました[6]。いまの「4月から 新学年」の もとに なった ものです。

ただし、日本中の 学校が 同じ 日に 全部 切りかわった わけでは ありません。じゅんばんに ひろがって いったと 考えられます。

では、「同じ 学年」の はんいは、どう 決まって いるのでしょうか。ふしぎな ルールが 出てきます。

学年制、学級編制、4月の始まり

辞典の説明では、1885年(明治18年)に学年制が小学校に適用されました。そして1891年(明治24年)に文部省が学級編制の規則を定め、学級が法制度として確立したといいます[7]。

文部省の記録を見ると、就学の始まりと終わりを、4月から始まる学年制の採用(明治25年、1892年)に合わせて明確にしたと書かれています[6]。この記述は、明治33年(1900年)の改正を説明する場面に出てきます。学年制の適用と4月学年制の採用は、別の出来事です。

これらが全国の学校で一斉に切り替わったとは、資料からは言えません。学年制や学級編制の規則が、段階的に整えられていった、と読めます。

では「同じ学年」の範囲はどう決まるのか

同じ学年の範囲を決めるには、どこかで線を引く必要があります。その線は、誕生日と法律の数え方で決まっています。実はここに、4月1日生まれの子が前の学年に入る、少し不思議なルールがあります。

等級制のあとの制度は、複数の段階で整えられた。辞典の説明では、1885年(明治18年)に学年制が小学校に適用され、1891年(明治24年)に文部省が学級編制規則を定めたことで、学級が法制的に確立した[7]。

これとは別に、文部省の記録は、明治33年(1900年)の改正の説明の中で、就学の始期と終期を四月学年制の採用(明治25年、1892年)に合わせて明確化したと記す[6]。学年制の適用(1885年)と四月学年制の採用(1892年)は別の事項なので、混同しないようにしたい。なお、これらの規則が全国の学校で一斉に切り替わったと断定できる資料は、ここにはない。

こうして学年と学級の規則が整うと、学校は「近い時期に生まれた子の集団」を単位に動くようになった。その区切りの線を、法律はどう引いているのか。次の節で、学校教育法と年齢の数え方から検算する。

4. 4月1日生まれは、どうして 前の 学年なの?

4. 4月1日生まれが、前の学年に入る理由

4. 満年齢の数え方と学年の区切り:4月1日生まれが「早生まれ」になる検算

いまの 学校では、4月2日に 生まれた 子から、つぎの 年の 4月1日に 生まれた 子までが、同じ 学年です[9]。

だから 4月1日生まれの 子は、3月に 生まれた 子と 同じ 学年なのです。ふしぎですね。

りゆうは、ほうりつの 年れいの 数え方に あります。学校に 入る 時期を 計算する ときは、年れいは たんじょうびの「まえの 日」の 終わりに ひとつ ふえる、と 考えます。だから 4月1日生まれの 子は、3月31日の 夜12時に、6さいに なります[9]。

学校に 入るのは、6さいに なった 日の つぎの 日から 数えて、さいしょに 来る 学年の はじめです[8]。4月1日生まれの 子は 3月31日に 6さいに なるので、その 年の 4月から 入学します。

こうして 同じ 学年には、いちばん 年上と いちばん 年下で、ほぼ 1年ぶん ちがう 子が いる ことに なります。

誕生日の「前日の終わり」に年をとる

学校教育法17条は、保護者は、子が満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから、子を就学させる義務を負うと定めています[8]。つまり、満6歳になった日の翌日から数えて、最初に来る4月が、小学校の入学です。

ここで効くのが、年齢の数え方です。学校教育法での就学時期の計算では、「年齢計算ニ関スル法律」と民法143条にもとづいて、年齢は誕生日の前日の終わりに加わるものとして扱います。弁護士の解説では、4月1日生まれの人は3月31日の午後12時に満年齢に達すると説明されます[9]。

検算してみる

たとえば4月1日生まれの子は、3月31日の終わりに満6歳になります。その翌日は4月1日で、ここが新しい学年の初めです。そのため、この子は、その4月に入学します。3月31日までに生まれた子と同じ学年です。

一方、4月2日生まれの子は、満6歳になるのが4月1日の終わりです。その翌日の4月2日はもう学年の途中なので、入学は次の4月になります。こうして学年は4月2日生まれから翌年4月1日生まれまでになり、最大でほぼ1年の差が1つの学年に入ります[9]。

国会の質問主意書(第154回国会)も、4月2日から翌年4月1日生まれまでが同じ学年になる現行の扱いを前提にしています[10]。

学校教育法17条は、保護者は子が満6歳に達した日の翌日以後における最初の学年の初めから就学させる義務を負う、と定める[8]。起点は「満6歳に達した日の翌日」で、その日以後に最初に来る学年の初め(4月1日)に入学する。

では、満6歳に達するのはいつか。弁護士の解説によれば、学校教育法上の就学時期の計算では、「年齢計算ニ関スル法律」と民法143条にもとづき、年齢は誕生日の前日の終わりに加わるものとして扱われる[9]。これを学年に当てはめて検算する。4月1日生まれの子は、3月31日の午後12時に満6歳に達し、その翌日の4月1日が学年の初めに当たるので、その年に入学する。4月2日生まれの子は、4月1日の終わりに満6歳に達し、翌日の4月2日は学年の初めを過ぎているため、入学は翌年の4月になる。

この結果、同じ学年の範囲は、4月2日生まれから翌年4月1日生まれまでとなる[9]。この範囲の両端、すなわち4月2日生まれと翌年4月1日生まれは、ほぼ1年離れる。衆議院の質問主意書(第154回国会)も、この範囲を現行の扱いとして前提にしている[10]。

この節のポイントは、「同い年」が実は「ほぼ1年幅の集団」を指す点だ。入学の順が年齢と重なるといっても、年齢差は最大でほぼ1年あり、年上・年下の感覚は、学年の上下とずれることもありうる。

5. 後から来る 人を、2500年まえの こうしは どう 見ていたの?

5. 「後生畏るべし」:後から来る人を、孔子はどう見たか

5. 『論語』子罕の「後生畏るべし」:後輩を侮るなという言葉の原文

あとから 入って くる 人を、むかしの 人は どう 思って いたのでしょう。ちゅうごくの 「ろんご」と いう 本に、こうしの ことばが のって います。

「こうせい おそるべし」。こうせいとは、「あとから 生まれて くる 人」「あとから 学ぶ 人」の ことです[4]。

ここでの「おそる」は、「こわがる」では なく、「あとから 来る 人は、これから ぐんぐん 力が つく かも しれない」と、ばかに しない 気もちです[5]。

こうしは つづけて、「でも、四十さい、五十さいに なっても 名前が 聞こえて こないなら、おそれる ほどでは ない」と 言って います[5]。力は、年れいでは なく、そのあとの 学びで きまる、と いう ことでしょうか。

「若い人は畏れるべきだ」

『論語』の子罕(しかん)の章に、孔子の言葉として「後生畏るべし」とあります[5]。「後生」は「後から生まれてくる人」「あとから学ぶ人」を指す言葉で、後輩や後進に近い意味です[4]。「畏れる」は恐れて避けるというより、敬意をもって侮らないという意味で読まれます。

文には続きがあります。「これから来る人が今の自分たちに及ばないと、どうして分かるだろうか」。そして、「四十、五十になっても名が聞こえないなら、それは畏れるに足りない」と述べます[5]。

「後輩」の見方を、2500年前の言葉で見直す

この言葉は、後から来る人の可能性を侮るな、と読めます。同時に、年を重ねても何も成さなければ、年齢だけでは尊敬されない、とも読めます。年齢や入った順より、その人が何をしてきたか、これから何をするかを見る、という態度です。ここまでが、後輩という関係の話の、古い側の端です。

「後生畏るべし」は『論語』子罕第九にある孔子の言葉で、原文は「後生可畏、焉知来者之不如今也。四十、五十而無聞焉、斯亦不足畏也已」である[5]。「後生」は、後から生まれてくる人、あとから学ぶ人を指し、後輩・後進に近い[4]。読みは「こうせい」で、「ごしょう」と読むと別の意味になる。

誤読しやすいのは「畏るべし」の部分である。「畏る」は「おそる」で、「若者は恐い」という意味ではない。これから来る者が今の人に及ばないと、なぜ言い切れるのか、という反語の文脈が示すとおり、後から来る者の可能性を侮るな、という意になる[5]。

ここで注意したいのは、同じ章の後半だ。四十、五十になっても名が聞こえないなら、畏れるに足りない、と続く[5]。つまり、この言葉は、若いことそのものを称えるのではない。可能性への敬意と、年を重ねても学びを続けているかを問う姿勢が一組になっている。

そのため「後輩」という関係を、入った順の上下としてだけ読むのは、この言葉の趣旨とはずれる。先に入った者には経験があり、あとから入った者にはこれからの伸びがある、という見方が、2500年前の言葉に含まれている。ただし、この言葉と「後輩」という語の成立との関係は、資料からは言えない。

6. 自分の 学年の はじまりを、数えて みよう

6. 自分の誕生日から、学年の線を数えてみる

6. 検算と原典:学年の線と「後生」の原文

カレンダーを ひろげて、自分の たんじょうびを さがして みましょう。

たんじょうびの「まえの 日」が、ほうりつの 上で 年れいが ふえる 日です。ひとつ 前の 日を えんぴつで かこんで みます。

つぎに、4月1日と 4月2日の どちらが 近いかを 見ます。自分の 学年で、いちばん 早く 生まれた 子と、いちばん おそく 生まれた 子は、いつ ごろ 生まれたのか、考えて みましょう。

あとから 入った 人を、ばかに しない 気もち。そこから、あなたの まわりの「こうはい」と「せんぱい」を、見つめて みてください。

誕生日の前日に印をつける

カレンダーで、自分の誕生日の前日に印をつけてください。その日の終わりに、法律の上で年齢が1つ増えます。次に、4月1日と4月2日の位置を見て、自分が学年の中のどのあたりに生まれたか、数えてみます。学年の線引きは、日付1つの差で決まることが、実感できます。

原典にあたるなら

後輩・先輩・後生の語釈は、デジタル大辞泉と精選版日本国語大辞典で読めます。学年の歴史は、文部科学省の『学制百年史』に出ています。学校教育法の17条は、e-Gov法令検索に載っています。孔子の言葉は、『論語』子罕第九の原文で、続きの一文まで読むと印象が変わります。

検算は、自分の誕生日で行える。誕生日の前日の終わりに法律上の年齢が加わるので、まず前日の日付を出し、満6歳の日の翌日以後に最初に来る4月1日を求めると、入学の年が分かる。4月1日生まれと4月2日生まれの二人で比べると、同じ日付の差が1年の差になる理由が確かめられる。

原典は、後輩・先輩・後生の語釈を載せた辞典類(出典[1][2][4])、文部科学省『学制百年史』[6]、学校教育法17条[8]、論語子罕第九[5]である。論語の原文は中国語版のWikisourceなので、読む場合は、書き下し文や注釈のある日本語の本と合わせるとよい。制度の話は、後輩という言葉の語源を決めるものではない。語がいつ定着したかは、辞典の語釈より詳しい資料を探すところから始まる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文は、ここにある資料の内容を、自分の言葉で言いかえたものです。年・人名・名称は、資料によって細部が異なることがあります。

  1. Weblio辞書「後輩」(デジタル大辞泉ほか) https://www.weblio.jp/content/%E5%BE%8C%E8%BC%A9 (後輩の語釈)
  2. コトバンク「先輩」(デジタル大辞泉・精選版日本国語大辞典・字通) https://kotobank.jp/word/%E5%85%88%E8%BC%A9 (先輩の語釈)
  3. Wikipedia “Senpai and kōhai” https://en.wikipedia.org/wiki/Senpai_and_k%C5%8Dhai (入った順で決まる関係という説明)
  4. コトバンク「後生(こうせい)」 https://kotobank.jp/word/%E5%BE%8C%E7%94%9F-495980 (後生の意味)
  5. 『論語』子罕第九(中文Wikisource) https://zh.wikisource.org/wiki/%E8%AB%96%E8%AA%9E/%E5%AD%90%E7%BD%95%E7%AC%AC%E4%B9%9D (後生畏るべしの原文)
  6. 文部科学省『学制百年史』 https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1318229.htm (等級制と四月学年制)
  7. コトバンク「学級編制」 https://kotobank.jp/word/%E5%AD%A6%E7%B4%9A%E7%B7%A8%E5%88%B6 (学年制の適用と学級編制規則)
  8. 学校教育法 第17条(e-Gov法令検索) https://laws.e-gov.go.jp/document?lawid=322AC0000000026 (就学の義務の始まり)
  9. 神戸新聞「なぜ4月1日生まれは早生まれ」(弁護士解説) https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/omoshiro/202204/sp/0015182979.shtml?pg=amp (年齢の数え方と学年の範囲)
  10. 衆議院 質問主意書(第154回国会) https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/a154154.htm (同じ学年の範囲)

なおした ところ

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