1. どうして やねが ギザギザなの?
1. のこぎり屋根の窓は、なぜ北を向くのか
1. ノコギリ屋根の理由 ── 力織機の空間と北の光
ギザギザの やねは、ぜんぶ おなじ むきに ならんで います。ななめの ところに、窓が あります。その まどは、北を むいて いると いわれます[6]。
きたがわの やわらかい 光が、織物の しあがりを 見るのに ちょうどよかった そうです[6]。
たとえば、げんかんの ドアの ガラスごしに 見る 光は、ときどき まぶしく なります。でも きた むきの まどの へやは、ずっと おちついた あかるさです。ただし、これは たとえです。
ひろい へやが いる、という わけも あったと いわれます。ひろい ところで、おおきな きかいを うごかしたのです[6]。
2. いちばん むかしの きろくは、いつ?
2. 約1300年前の記録と、白滝姫の伝説
2. 714年の絁の記録 ── 桐生織の最古の記録
いまから 1300ねん いじょう まえ、朝廷に 絹の ぬのを おさめた、と いう ことが、続日本紀と いう ふるい ほんに のって います。714ねんの ことです[1]。
この ぬのは 絁と いい、いまの ぐんまけんの あたりから おさめられました。きりゅうの おりものの、いちばん ふるい きろくと されて います[1]。
もう ひとつ、伝説も あります。ずっと むかし、白滝姫という ひめが およめに きて、むらの ひとたちに、かいこを かうこと、いとを とること、はたを おることを おしえた、と いう おはなしです[2]。
これは 伝説なので、ほんとうに あった ことかは わかりません。
3. 「1日で 2410たん」って、どういうこと?
3. 徳川家康の旗絹を1日でそろえた話
3. 1600年の旗絹2410反 ── 質と量の評判
1600ねん、徳川家康が、きりゅうの ひとに たのみました。「はたに する きぬを 用意してほしい」と いう ことです。
そのとき きりゅうは、2410たんの 旗絹を、たった 1日で そろえた と つたえられて います[1]。
たくさんの ぬのを みじかい じかんで 用意した、という はなしが つたわって います。
1600年、桐生は徳川家康に頼まれて、旗にする絹を2410反、たった1日で用意したと伝えられます[1]。
民間の記事には「2300反」と書くものもあり、数字は資料で違います。ここでは桐生市のページの2410反を採り、「と伝わる」形で紹介します。
この話が大事なのは、数字そのものより、桐生には短い時間で大量の絹を織り上げられる人と体制があった、と当時の人が見ていたことがうかがえる点です。戦いの話は、ここでは背景にとどめます。
桐生市の資料は、1600年に徳川家康の依頼で桐生が旗絹2410反を1日で用意した、と説明する[1]。民間記事には2300反と書くものもあるため、市の数値を採り、「と伝わる」水準で扱う。1反は成人1人分の着物に足りる布の長さを指す。
数の正確さより、この逸話が示す点に注目したい。短期間に大量の絹を用意できたという伝えは、当時の桐生の織りの力が評判だったことを物語る。ただし、体制の中身までは今回の資料では分からない。
同じ市の資料は、もっと前の時代にも桐生の絹が旗に使われたと説明するが、本稿では扱わない。
4. きょうとから きた 「はたおりき」って なに?
4. 京都から来た機と「西の西陣、東の桐生」
4. 高機の移入とジャカード機 ── 「西の西陣、東の桐生」
18せいきの なかごろ、京都から 高機という はたおりきが つたわりました[3]。1738ねんごろと いわれます。
この きかいで、きりゅうの おりものは、ぐんと のびました。そして、「西の 西陣、東の きりゅう」と よばれるように なりました[3]。
明治に なると、あたらしい きかいも、はやく とりいれました。もようを おる ための、あたらしい きかいです[2]。
ここで だいじなのは、あたらしい ものを まなぶ ひとたちが いた ことです。
5. まちごと、おりものの ために つくったの?
5. 1591年に町立てされた桐生新町
5. 桐生新町の成立と重要伝統的建造物群保存地区
1591ねん、徳川家康の めいれいで、桐生新町という まちが つくられました[4]。それから ずっと、おりものの まちとして さかえて きました。
いまも、やしきの わけかたに、そのころの かたちが のこって います[4]。
むかしの いえの ほかに、くらや、ギザギザの やねの 工場が、いっしょに のこって います[4]。まちの なかを あるくと、おりものの まちの じかんが 見えて きます。
この あたりは、くにから「たいせつに まもる まち」に えらばれて います。
6. はたらいて いたのは、どんな ひと?
6. 「かかあ天下」と織り子たち
6. 日本遺産「かかあ天下」と織り子の女性
ぐんまでは、むかしから、女の ひとたちが かいこを かい、いとを とり、ぬのを おって、いえの くらしを ささえたと いわれます[7]。
その ひとたちを、おっとが「おれの かかあは てんかいちだ」と ほこりに おもった、と いう おはなしです[7]。
きりゅうでも、おおくの 女の ひとが 織り子として はたらきました。2015ねんには、この おはなしが 日本遺産に えらばれました[8]。
7. いまも、おりものは おられて いるの?
7. 受け継ぐ技と、昭和9年の織物会館
7. 伝統的工芸品・伝統工芸士・織物会館旧館 ── 「織都」の今
きりゅうおりは、1977ねんに、くにの 伝統的工芸品に えらばれました[9]。おりかたは 7つ あります[9]。
その わざを もつ 人は 伝統工芸士と いい、いまは 15人 います(きりゅうしの ページの きろく)[9]。
1934ねんに できた 桐生織物会館旧館は、いまも のこって います。1かいは てんじと はんばい、2かいは おりものの れきしの てんじです[10]。
この まちは 「おりものの みやこ」と よばれる ことが あります。ただし、その よびかたが いつ うまれたかは、しらべて わかりませんでした。
桐生織は、1977年(昭和52年)10月に国の伝統的工芸品に指定されました。技法は、お召織・緯錦織・経錦織・風通織・浮経織・経絣紋織・綟り織の7つです[9]。
この技を担う伝統工芸士は、意匠・染色・製織・総合の部門で計15人(桐生市のページの記載時点)です[9]。人数は更新されるので、最新は公式のページで確かめてください。
昭和9年(1934年)に完成した桐生織物会館旧館は、織物関係の組合の事務所が置かれ、桐生の織物業界の象徴でした。今は1階が展示販売、2階が歴史資料の展示になっています[10]。
「織都」という呼び名の由来は、公的な資料では確認できませんでした。ただ、絹の技、町づくり、女性たち、そして受け継ぐ人がそろう町だから、そう呼びたくなる、という感覚は分かります。
桐生織は昭和52年(1977年)10月に伝統的工芸品に指定された。技法は、お召織・緯錦織・経錦織・風通織・浮経織・経絣紋織・綟り織の7つである[9]。2008年2月には地域団体商標に登録された[9]。
伝統工芸士は、意匠・染色・製織・総合の各部門で計15人(同ページの記載時点)[9]。人数は更新されるため、最新値は市の公式ページで確認されたい。
桐生織物会館旧館は昭和9年(1934年)完成の木造2階建てで、当時は織物関係の各組合の事務所が置かれ、業界の象徴だった。現在は1階が展示販売、2階が桐生織物の歴史資料の展示となっている[10]。
「織都」の呼び名がいつ・誰によって使われ始めたかは、公的資料では確認できなかった。「製糸・染織・刺繍などがそろう町の呼び名」とする民間の解説があるのみで、由来は断定しない。
自分でも しらべて みたく なったら
自分でも調べてみたくなったら
自分でも調べてみたくなったら
おうちで できる こと
- おうちの まどが、どの むきに あるか さがして みましょう。きた むきの まどの へやと、ほかの へやの 光を くらべて みると、どうでしょうか。ただし、たいようを ちょくせつ 見ては いけません。
- いえに ある ふくの タグを 見て、「絹」と かいて あるものが あるか さがして みましょう。
でかけて できる こと
- きりゅうしの こうしきの ページで、おりものの まちあるきを しらべて みましょう。いくときは、あいている 日を かくにんして ください。
家でできること
- 家の窓が何の向きを向いているか、部屋ごとに調べてみましょう。北向きの窓の部屋と、そうでない部屋で、光の入り方に違いを感じるでしょうか。太陽を直接見るのは危ないので、部屋の明るさだけを見てください。
- 服のタグで「絹」の表示を探し、絹の服が家にあるか見てみましょう。
出かけてできること
- 桐生市の公式サイトで、桐生新町の歴史的な町並みや桐生織物会館旧館の開館日を調べてみましょう。ノコギリ屋根を、実際に何棟見つけられるでしょうか。
公式の情報
- 桐生市の「桐生織物の歴史」のページと、文化庁の日本遺産ポータルが読みやすい入口です。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文で使った事実を確かめた資料の一覧です。人数や件数は更新されることがあるため、最新の情報は各公式ページで確認してください。
- 桐生市「桐生織物の歴史」(キッズページ) https://www.city.kiryu.lg.jp/kids/1012151/1012594/index.html (714年の記録・旗絹2410反)
- 桐生織物記念館「桐生織」 https://kiryuorimonokinenkan.com/kiryutextile/ (白滝姫の伝説・ジャカード機の導入)
- 群馬県「桐生織」 https://www.pref.gunma.jp/site/kougei/131146.html (高機の移入と「西の西陣、東の桐生」)
- 桐生市「桐生新町伝建地区の概要」 https://www.city.kiryu.lg.jp/kankou/spot/denken/about/1003081.html (1591年の町立て・保存地区)
- 文化遺産の世界「織物のまち桐生」 https://www.isan-no-sekai.jp/feature/201802_63 (ノコギリ屋根工場の残る数の目安)
- 中川政七商店の読みもの「桐生の旅」 https://story.nakagawa-masashichi.jp/110376 (ノコギリ屋根の理由。民間記事のため「と言われる」として)
- 文化庁 日本遺産ポータル「かかあ天下」 https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story002/ (物語の核・女性の仕事)
- 桐生市「日本遺産(桐生市エリア)」 https://www.city.kiryu.lg.jp/kankou/bunkazai/1018172/index.html (2015年の認定・構成文化財)
- 桐生市「桐生織の各種指定・認定」 https://www.city.kiryu.lg.jp/sangyou/1012348/1012405/1012415/index.html (1977年の指定・7つの技法・伝統工芸士の人数)
- 桐生市「桐生織物会館旧館」 https://www.city.kiryu.lg.jp/kankou/bunkazai/1010700/kunitouroku/1001995.html (1934年完成・今の展示)
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