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ここに書いてあることは、誰かが実際に手を動かして調べ、考え、作り上げてきたものを拾い集めています。専門の本や論文、作品、そしてそれを生み出した人たち。気になったことがあれば、ぜひそのおおもとに直接ふれてみてください。このメモには書ききれない熱を、感じてもらえると思います。

ちずは どうして 北が 上に なって いるの?

地図はどうして北が上なの? ── 東が上・南が上の地図と、コンパスの針

地図はなぜ北が上なのか ── 東が上・南が上だった地図と、コンパスの針の話

分野:歴史・文化

えきの まえの あんないの ちずは、いま 立って いる むきが 上に なって いる ことが ある。学校で つかう ちずは、北が 上の ものが おおい。ちずの 「上」は、どうやって きまったのだろう。

むかしの ちずには、東が 上の ものや、南が 上の ものも あった。それに、コンパスの 針はりは 北を さすのに、ちずの 北とは すこし ずれる。そのわけも さがして みよう。

駅前の案内板の前に立つと、「現在地」の印から目の前の道が地図の上にのびていることがある。学校で使う地図は、たいてい北が上だ。どちらもまちがいではない。では、地図の「上」はどうやって決まったのだろう。

昔の地図には、東が上のものも、南が上のものもあった。コンパスの針は北をさすのに、地図の北とは少しずれる。この記事では、その理由をたどっていく。

駅前の案内板の前に立つと、「現在地」の印から目の前の道が、地図の上へまっすぐのびていることがある。同じ場所を紙の地図で見ると、その道は横に走っているかもしれない。サインの設計を解説するある会社のマニュアルは、周辺図は「見る人の向きに合わせて」、広域図は「北を上にして」表示するとしている[1]。北が上は、決まった一つの答えではなく、使い分けの一つだ。

では、北を上にする習慣はどこから来たのか。東が上の中世ヨーロッパの地図、南が上のイスラム世界の地図と2000年以上前の中国の絹の地図をたどり、プトレマイオスとコンパスの針を調べる。最後は、日本で方位磁針の北と地図の北が何度ずれるかまで見る。

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1. ちずの 「上」は、ひとつ だけ なの?

1. 地図の「上」は一つではない ── 案内板とカーナビ

1. 地図の「上」は一つではない ── 案内板、カーナビ、地理院地図

えきの あんないの ちずは、自分が 立って いる むきが 上に なって いる ものが ある。そう つくると、右へ いくのか 左へ いくのか、すぐ わかるからだ[1]。

くるまの カーナビには、北が 上の 見かたと、すすむ むきが 上の 見かたを、きりかえる ものが ある[2]。ちずの 「上」は、つかう ときに あわせて かえて いる。

それでも 学校の ちずや、国の ちずは、北が 上の ものが おおい。それは どうしてだろう。むかしの ちずを 見て みよう。

駅前の案内板は、自分が立っている向きが上になっているものがある。この作り方だと、右へ行くのか左へ行くのかがすぐ分かる。サインの設計を解説するある会社のマニュアルは、身のまわりを示す周辺図は見る人の向きに合わせ、広い範囲を示す広域図は北を上にする、と書いている[1]。

カーナビにも、2つの見かたがある。トヨタのFAQでは、北がつねに上になる「ノースアップ」と、車の進む向きが上になる「ヘディングアップ」を切りかえられると説明している[2]。国土地理院の「地理院地図」は、地図の真上が真北になる[3]。

つまり北が上は、使い分けの中の一つだ。広い地図では北が上のことが多いのはなぜか。昔の地図を見ると、答えは簡単ではないことが分かってくる。

駅前の案内板は、現在地の印から見て、自分の向いている方向が上になるように作られているものがある。この作り方だと、道が右に曲がるのか左に曲がるのかが、地図を回さなくても分かる。サインの設計を解説するアボック社のマニュアルは、周辺図は見る人の向きに合わせて表示し、広域図は全体の位置関係をつかみやすいように北を上にする、としている[1]。

カーナビにも、2つの見かたがある。トヨタのFAQは、方位マークをタッチするたびに、北が常に上になる「ノースアップ」、車の進行方向が常に上になる「ヘディングアップ」、それを立体的に見せる3D表示が切りかわる、と説明している[2]。国土地理院の「地理院地図」は、地図の真上が真北になる作りだ[3]。

北が上は、絶対の決まりというより、使い分けの中の一つだと分かる。それでも広い範囲の地図では、北を上にするものが多い。この習慣がいつ、どこから来たのかを、昔の地図でたどる。

2. 東が 上の ちずが あった

2. 東が上の世界地図 ── ヘレフォード図とオリエンテーション

2. 東が上の世界地図 ── ヘレフォード図と「オリエンテーション」の語源

イギリスの ヘレフォードという 町の 大きな 教会に、700ねんいじょう まえの 世界地図が ある。1まいの 子牛の かわに かいて あって、たてが 1.5メートルくらいも ある[4]。

この ちずは、上が 東。まんなかに エルサレムという 町が あり、上の はしに、聖書せいしょに でて くる エデンの 園が かいて ある[4]。東は 太陽が のぼる ほうがくで、この 時代の キリスト教の 人たちには、とくべつな ほうがくだった[6]。

オリエンテーションという ことばの もとに なった ことばは、「東」と かんけいが ある[7]。むかしは、東が 上の ちずを つかって いた。ただし ほんとうは、この ちずは、いまの 道あんないの ちずとは、めあてが ちがう[5]。

イギリスのヘレフォード大聖堂には、1300年ごろの世界地図が伝わっている。1枚の子牛の皮に描かれ、縦は約1.5メートルある[4]。この地図は上が東で、真ん中にエルサレムがある。いちばん上の端には、聖書のエデンの園が円い島として描かれている[4]。

東は太陽がのぼる方角で、中世のキリスト教の地図では、もっとも神聖な方角とされた[6]。この地図は、いまの道案内用の地図とは目的がちがう。実際の地形より、聖書の物語や世界観を示すことが中心だ[5]。

「オリエンテーション」の元になった英語のorientは、もとは「東」を意味する言葉で、動詞のorientは「ものを東に向ける」ことを指した。教会を東向きに建てる習わしと結びついた言葉だ[7]。東が上の地図は、「地図の上をどこに向けるか」が信仰と結びついていた例だ。

イギリス西部のヘレフォード大聖堂には、1300年ごろの世界地図「ヘレフォード図」が伝わっている。1枚の子牛の皮に描かれ、現存する中世の地図としては最大級とされる(約158×133センチメートル)[4][5]。上が東で、真ん中にエルサレム、いちばん上の端には聖書のエデンの園が円い島として描かれている[4]。

東は太陽がのぼる方角で、中世のキリスト教の地図では最も神聖な方角とされた[6]。この地図は現代の道案内用の地図とは目的が異なり、天国・地獄・救いを含む世界観を示すものだ。実際の地形とは合わない部分もある[5]。

「オリエンテーション(orientation)」の元になった英語のorientは、ラテン語や古いフランス語の、「東」(もとは「昇る」)を意味する語に由来する。動詞のorientは「ものを東に向ける」ことを指し、教会が東向きに建てられたことと結びついている。東に限らず、方位に合わせて位置を定める意味に広がったのは19世紀とされる[7]。東が上の地図は、「上を何に向けるか」が信仰と結びついていた例だ。

3. 南が 上の ちずも あった

3. 南が上の地図 ── イドリーシーの世界地図と、絹に描かれた古代中国の地図

3. 南が上の地図 ── イドリーシーの世界地図(1154年)と、馬王堆の絹の地図

南が 上の ちずも ある。1154ねんに、イドリーシーという 学者が、シチリア島の 王さまの ために ちずを つくった。この ちずは、南が 上だった[8]。

もっと 古い ちずも ある。今から 2000ねん いじょう まえの 中国の おはかから、絹きぬの ぬのに かいた ちずが 見つかった。ぐんたいの ばしょを かいた ちずで、これも 南が 上だ[10]。

東が 上、南が 上、北が 上。ちずの 上は、時代や 国で ばらばらだった。では、北が 上に なったのは、どうしてだろう。

1154年、アラブの地理学者イドリーシーは、シチリア島を治めていたノルマン人の王ロジェ2世のために、世界の地図と解説の本を仕上げた。この地図は、南が上に描かれている[8]。地図史家のブロトンは、イスラム世界の世界地図の多くが南を上にしていた、と述べている。早い時期にイスラム教に広まった土地の多くは、聖地メッカの北にあり、礼拝で向かう方角がほぼ真南だったことと結びつけて説明される[9]。

もっと古い南が上の地図もある。1973年の終わりに、中国の湖南省長沙にある馬王堆三号漢墓から、絹に描かれた地図が2枚見つかった。墓に納められたのは紀元前168年。そのうちの1枚は、軍隊の配置を描いた地図(駐軍図ちゅうぐんず)で、南が上になっている[10][11]。

東が上、南が上、北が上。上をどの方角にするかは、時代や地域で変わっていた。

1154年、アラブの地理学者ムハンマド・アル=イドリーシー(Muhammad al-Idrisi)は、シチリア島を治めていたノルマン人の王ロジェ2世のために、世界地図と解説書を完成させた。この地図は南が上に描かれている[8]。地図史家ジェリー・ブロトン(Jerry Brotton)は、イスラム世界の世界地図の多くが南を上にしていた、と述べている。早い時期にイスラム教に広まった土地の多くは、聖地メッカの北にあり、礼拝で向かう方角(キブラ)がほぼ真南だったことと結びつけて説明される[9]。

さらに古い例もある。1973年の終わりに、中国・湖南省長沙の馬王堆三号漢墓から、絹に描かれた地図が2枚出土した。墓の埋葬は紀元前168年とされる[11]。そのうち軍隊の配置を描いた駐軍図ちゅうぐんずは南が上で、川は南の上流から北へ向かって流れる形で描かれている[10]。

東が上、南が上、北が上。どの方角を上にするかは、時代と地域で変わっていた。それなのに、いまは北が上の地図が多い。この習慣はどこからきたのか。

4. どうして 北が 上に なったの?

4. 北が上になったわけ ── プトレマイオスと、いくつかの説

4. 北が上になったわけ ── プトレマイオスの説明と、コンパスのせいではないという見方

北を 上に した ちずは、ずっと むかしの ギリシャにも あった。2世紀せいきごろの プトレマイオスという 学者は、世界地図の かきかたの 本に、北が 上、東が 右に なるように かく、と かいた[24]。

その本は、西ヨーロッパでは 1000ねん ちかく わすれられて いたが、15世紀せいきの おわりごろから 印刷いんさつされて ヨーロッパに ひろまった[6][14]。そのあと、ヨーロッパで つくられた ちずが 北を 上に した ことが、今の しゅうかんに つながった、と せつめい する 人が いる。

プトレマイオスは、ちめいを 北から 南へ、西から 東へ、じゅんばんに かいて いくと、かく 人にも 読む 人にも、北が 上、東が 右に 見える、と せつめいして いる[24]。ただ、どうして そのころの ギリシャで 北が えらばれたのかは、学者の 考えが わかれて いる[9]。

「コンパスの 針はりが 北を さすから」と 思う人も いる。でも、プトレマイオスの ほうが ずっと 先だ。プトレマイオスの 時代には、地中海に コンパスは まだ なかった[12]。

北を上にした地図は、古代ギリシャにもあった。2世紀ごろの学者プトレマイオスは、世界地図を描く方法を書いた本『地理学』で、北の地域が上に、東の地域が右にくるように描くと述べている[24]。この本は西ヨーロッパで長く忘れられ、15世紀の終わりごろから印刷されて広まった[6][14]。その後、ヨーロッパの印刷地図の多くが北を上にした流れが、いまの習慣につながったと説明される。

プトレマイオスは、地名を北から南へ、西から東へ順に書いていくと、書く人にも読む人にも、北の地域が上に、東の地域が右に見える、と説明している[24]。では、なぜその時代の地図で北が選ばれたのか。研究者の見方は分かれている。ギリシャの宇宙観で北が重んじられたことを挙げる人がいる[13]。地図史のエドニーは、地図の作り方の幾何と、横長の世界図を巻物に収める都合が北向きを生んだのではないか、と考える[12]。北が最後まで残った理由は、十分には説明されていないという指摘もある[9]。

「コンパスの針が北を指すから」という説明もよく聞く。しかしエドニーは、プトレマイオスの北向きは、コンパスが地中海に入る約千年前のことで、関係ないと述べる。中世の海の地図には決まった向きがなく、どの側からでも読めるように作られていた[12]。少なくともこの2つの地図では、コンパスが北を上にした原因とは考えにくい。

北を上にした地図は、古代ギリシャにもあった。2世紀ごろの学者プトレマイオスは『地理学』第2巻の序文で、地名を北の緯度から南へ、西から東へ順に書いていけば、書く人にも読む人にも、北の地域は上に、東の地域は右に見える、と述べている[24]。この本は西ヨーロッパで約千年のあいだ忘れられ、15世紀末に印刷されて広まった[6][14]。その後、ヨーロッパの印刷地図の多くが北を上にした流れが、現在の習慣につながったと説明される。

では、なぜこの時代に北が選ばれたのか。ここから先は、研究者の見方が分かれる。ハンガリーの地図学者Zsolt Győző Törökは、北を優先する考えがギリシャの宇宙観にあり、それがプトレマイオスの本で古典的な伝統になったと述べる[13]。地図史のMatthew Edneyは、地図の作り方の幾何と、横長の世界図を1本のパピルスの巻物に収める都合が、北向きを生んだのではないかと考える[12]。Thony Christieは、北が最終的に優勢になった理由は、十分には説明されていないとまとめている[9]。

「コンパスの針が北を指すから」という説明もよく聞く。だが、エドニーは、プトレマイオスの北向きは、コンパスが地中海に入る約千年前のことで、コンパスと無関係だと述べる。中世の海の地図(ポルトラーノ海図)は、港から港への方位線が交差する図だが、決まった向きを持たず、どの側からも読めるように作られていた[12][6]。少なくともこの2種類の地図では、コンパスが北を上にした原因とは考えにくい。それでも、地図と方位は、そのあとも深く結びついていく。

5. コンパスの はりは、どうして 北を さすの?

5. コンパスの針 ── 南をさしていた針と、ずれの発見

5. コンパスの針 ── 「指南針」と、沈括が見つけた針のずれ(1088年)

ほういじしんの 針はりは、小さな 磁石じしゃく。地球が 大きな 磁石じしゃくだから、はりの 北を さす ほうが、だいたい 北を むく。くわしい しくみは、じしゃくの 記事に ある。

中国では、この はりを 「南を さす はり」と よんで いた。900ねん ほど まえの 中国の 学者、沈括しんかつは、はりを ためして 気づいた。「南を さすが、いつも すこし 東に ずれて、ぴったりの 南では ない」[15][16]。

これは、ずれを かいた いちばん 古い きろくの ひとつと いわれる。ヨーロッパでは 12世紀せいきの おわりごろの 本に、船のりが はりを つかう ことが かかれて いる[15]。

方位磁針の針は、小さな磁石だ。地球が大きな磁石になっているので、針のN極がだいたい北を向く。しくみは磁石の記事(磁石はどうしてくっつくの?)にくわしい。

中国では、この針を「南をさす針」と呼んでいた。北宋ほくそうの学者沈括しんかつは、1088年ごろの『夢渓筆談むけいひつだん』に、磁石でこすった針は南をさすが、いつも少し東にずれ、真南ではない、と書いた(意訳)[15][16]。磁石の指す向きと、正しい方角のずれ(偏角)を記した、最も古い例のひとつとされる。

船での使用を書いた記録も、12世紀初めの中国にある。ヨーロッパでは、12世紀の終わりごろに書かれたアレクサンダー・ネッカムの本に、船乗りが磁石の針を使うことが出てくる[15]。

方位磁針の針は小さな磁石で、地球全体が大きな磁石になっているため、N極がおおよそ北を向く。しくみは磁石の記事で書いた。ここでは針が地図と出会った歴史を見る。

中国では、この針は「指南針」と呼ばれた。北宋の学者沈括しんかつは、1088年ごろの『夢渓筆談むけいひつだん』に、磁石で針の先をこすると南を指すが、いつも少し東にずれて真南にはならない、と書いた(意訳)[15][16]。針の向きと真の方角のずれ、つまり磁気偏角を記した、最も古い例のひとつとされる。

船での使用を書いた、最も早い記録のひとつは、朱彧の『萍洲可談』(1111〜1117年ごろ)にあり、水先案内人が曇りの日に「南を指す針」を見る、と書かれている[15]。ヨーロッパでは、12世紀の終わり(1187〜1202年ごろ)にイギリスの学者アレクサンダー・ネッカムが書いた『De utensilibus』と『De naturis rerum』(『物の本性について』)に、船乗りが磁針を使うことが出てくる。ヨーロッパでの早い記録の一つとされる[15]。

6. コンパスの 北と、ちずの 北は おなじ?

6. 磁北と真北 ── 日本ではどれくらいずれるのか

6. 磁北と真北 ── 日本で約5〜9度、東京は約7度40分(2020年)

磁石じしゃくの 針はりが さす 北を じほく、ちずの 上に なって いる 北を しんぽくと いう[18]。この ふたつは、ぴったり おなじでは ない。

日本では、じほくが しんぽくより 西に ずれて いる。さっぽろで 9ど、なはで 5どくらい[3]。

伊能忠敬いのうただたかが 日本を はかりはじめた 1800ねんごろは、ほとんど ずれて いなかった。それから、じほくは すこしずつ 動いて きた[17]。

磁石の針が指す北を磁北、地図の縦線(経線)が指す北を真北という[18]。ふたつはぴったり同じではなく、そのずれを偏角という。日本では、磁北が真北より西にずれる。札幌で約9度、那覇で約5度だ[3]。

東京では、過去50年で偏角が西へ約6度20分から7度40分に変わった。伊能忠敬が日本の測量を始めた1800年ごろは、方位磁針の北と地図の北がほぼ一致していた[17]。磁北は、地球の内部の磁気が変化しつづけるため、動きつづけている[17]。

7度40分のずれのまま、方位磁針の北を目ざして1キロメートル進むと、真北を目ざして進んだ場合より、1キロメートル先で横に約135メートルずれる計算だ。遠足で地図と方位磁針を合わせるとき、この差を知っておくとよい。

磁石の針が指す北を磁北、地形図の縦線(経線)が指す北を真北という[18]。両者のずれの角度が偏角で、国土地理院は、真北を基準に西回りを正として記載している[19]。日本では磁北が真北より西にずれ、札幌で約9度、那覇で約5度と、場所によって約4度ちがう[3]。

さらに、この値は動く。東京では過去50年で、偏角が西へ約6度20分から7度40分に変わった。1800年ごろ、伊能忠敬が測量を始めたときは、方位磁針の北と地図の北はほぼ一致していた[17]。国土地理院は、地球内部で発生している磁気が地球規模で複雑に分布し、刻々と変化していることが原因だとしている[17]。最新の磁気図は「2020.0年値」(2020年1月1日の値)だ[19]。

7度40分(約7.67度)のずれのまま、方位磁針の北を目ざして1キロメートル進むと、真北を目ざして進んだ場合より、1キロメートル先で横に約135メートルずれる(tan 7.67° ≒ 0.135)。スマホのコンパスには、地磁気センサーで磁方位をとったうえ、位置情報から求めた偏角で補正して、真北を示すものがある。INTERNET Watchの記事は、この補正はiOS側の機能だと説明している[20]。手持ちの方位磁針とスマホのコンパスで、示す北が少し違うことがあるのは、このためだ。

7. ちずの 「上」を ぎゃくに したら?

7. 「上」を逆にした地図 ── 約束としての北

7. 「上」を逆にした地図 ── マッカーサーの南が上の世界地図(1979年)

1979ねんに、オーストラリアの 21さいの 学生、スチュアート・マッカーサーが、オーストラリアを 上に した 世界地図を つくって、売り出した[21]。15さいの とき、日本に りゅうがくして いて、アメリカの ともだちに 「世界の 下の 国から きた」と からかわれた ことが、きっかけだった[21]。

この ちずを 見ると、北が 上でなくても 世界が わかると 気づく。国によって、くるまが 走る がわは ちがう。ちずの 上も、そんな やくそくごとに にて いる。ただし ほんとうは、車が 走る がわは ほうりつで きまって いる。ちずの 上は、長い あいだに、こうする 人が おおく なった しゅうかんが かさなって きた。

1979年、オーストラリアのメルボルン大学の学生だった21歳のスチュアート・マッカーサーは、オーストラリアを上に置いた世界地図を出版した。15歳のとき、日本に交換留学していて、アメリカ人の友だちに、世界の下のほうの国から来たとからかわれたことが、きっかけだったという[21]。

この地図を見ると、地図の上に置かれる国が決まっているわけではない、と気づく。国によって、車が走る側は右だったり左だったりする(くわしくは右側通行と左側通行の記事)。地図の上も、そんな約束ごとに似ている。ただし、車が走る側は法律で決まっているが、地図の上は、長い年月をかけて「こうする人が多い」が積み重なった習慣だ。地図の上は、目的に合わせて選べる。

1979年、オーストラリアのメルボルン大学の学生だった21歳のスチュアート・マッカーサー(Stuart McArthur)は、オーストラリア・デーに、オーストラリアを上に置いた「マッカーサーの世界地図」を出版した。15歳のとき、日本に交換留学していて、アメリカ人の友だちに、世界の下のほうの国から来たとからかわれたことが、きっかけだったという[21]。南を上にした世界地図は、ウルグアイの画家ホアキン・トーレス=ガルシアが1943年に描いた「逆さまのアメリカ」のように、20世紀にも作られている[22]。

これらの地図と、ここまでの歴史を並べると、北が上は自然の決まりというより、習慣として広まったものに見える。車が走る側が国によって右か左かに分かれるように(右側通行と左側通行の記事)、地図の上も約束ごとに似ている。ただし、車が走る側は国の法律で決まっているのに対して、地図の上は、こうする人が多いという習慣が積み重なったものだ。上に置かれたからといって、その国が「偉い」わけではない。地図の向きは、目的に合わせて選べる。

8. ちずを まわして みよう

8. 自分の地図で、向きをたしかめる

8. 自分の地図で向きをたしかめる ── 案内板・磁北線・原典

出かける まえに、うちで できる ことが ある。おうちの 人と いっしょに やって みよう。

  1. えんそくの しおりや、まちの ちずを ひらく。「N」の しるしや、やじるしを さがす。それが 北。
  2. ちずを まわして、いま 見て いる むきに あわせる。ちずの 上が 北で なくなっても、ばしょの ならびは かわらない。
  3. ほういじしんが あれば、平らな ところに おく。はりが とまったら、北を さす ほうを 見る。てつの ものからは はなす。ちずの 北と、だいたい あうか 見て みよう。
安全のために

あるきながら ちずや スマホを 見ない。ちずを 見る ときは、まわりの 人や くるまの じゃまに ならない ところで、立ちどまって 見る。

出かける前に、家でできることがある。家の人といっしょにやってみよう。

  1. 遠足のしおりや街の地図を開き、方位マーク(Nや矢印)を探す。それが北の向きだ。
  2. 地図を回して、いま見ている向きに合わせる。地図の上が北でなくなっても、場所の並び方は変わらないことを確かめる。
  3. 方位磁針があれば、平らな場所に置き、針が止まってからN極の向きを見る。鉄のものからは離す。地図の北とだいたい合うか比べる。日本では、針は地図の北より数度、西にずれる。
  4. 国土地理院の「地理院地図」で、住んでいる場所の磁北線を表示してみる(「ツール」→「その他」→「磁北線」)[3]。
安全のために

歩きながら地図やスマホを見ない。地図を見るときは、まわりの人や車の邪魔にならない場所で立ち止まる。方位磁針は、鉄や強い磁石のそばでは正しく動かない。

最初の問いの、地図の上がどう決まるか、コンパスの北と地図の北が何度ずれるかは、次の方法で自分でも確かめられる。

  1. 案内板の向きを見る。駅前や公園の案内図で、自分の向いている方向が上になっているか、北が上か、方位マークがあるかを見る。1章の使い分けと比べる。
  2. 方位磁針と地図を合わせる。平らな場所で針が止まってからN極の向きを見て、地図の北と比べる。鉄のそばでは針が狂う。日本では磁北は真北より数度西にずれる[3]。
  3. 地理院地図で偏角を見る。国土地理院の「地理院地図」で、「ツール」→「その他」→「磁北線」を選ぶと、真北と磁北のずれが線で表示される[3]。日本各地の偏角の数値は、国土地理院の磁気図で確かめられる[19]。
  4. 原典と資料にあたる。ヘレフォード図は、ヘレフォード大聖堂のマッパ・ムンディのサイトで、東が上の世界地図を見られる[4]。プトレマイオスの『地理学』第2巻の序文は、LacusCurtiusで英訳が読める[24]。理論の章を注釈つきで訳した英訳書もある[23]。北が上の理由についての専門家の説明を読み比べるなら、エドニーとTörökの文章から始められる[12][13]。
安全のために

歩きながら地図やスマホを見ない。地図を見るときは、まわりの人や車の邪魔にならない場所で立ち止まる。方位磁針は、鉄や強い磁石のそばでは正しく動かない。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

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  1. アボック社「サイン計画の完全マニュアル プラン固めのめやす 地図の表現」。 https://www.aboc.co.jp/business/sign/manual/plan/map.html (周辺図は見る人の向きに合わせ、広域図は北を上にする、という設計の考え方)
  2. トヨタ自動車「お問い合わせ・よくあるご質問 地図が表示される向きを変える方法を教えて。」。 https://toyota.jp/faq/show/2035.html (カーナビのノースアップ・ヘディングアップ・3D表示の切りかえ)
  3. 国土地理院「方位や磁北を知る 地理院地図の使い方」。 https://maps.gsi.go.jp/help/intro/school/houijihoku.html (地理院地図は地図の真上が真北、磁北線の表示方法、札幌で約9度・那覇で約5度のずれ)
  4. Hereford Cathedral, "The Mappa Mundi"(ヘレフォード大聖堂のマッパ・ムンディ紹介サイト、英語)。 https://www.themappamundi.co.uk/mappa-mundi/ (1枚の子牛の皮に描かれ、縦約1.5メートル・横約1.3メートル、エルサレムが中心、エデンの園が東の端=上にあること)
  5. Wikipedia "Hereford Mappa Mundi"(英語)。 https://en.wikipedia.org/wiki/Hereford_Mappa_Mundi (1300年ごろ、約158×133センチメートル、実際の地理知識とは合わない部分があり、道案内より宗教的な世界観を示す地図であること)
  6. Smithsonian Magazine, "From Ptolemy to GPS, the Brief History of Maps"(英語)。 https://www.smithsonianmag.com/innovation/brief-history-maps-180963685/ (中世キリスト教の地図で東が最も神聖な方角とされたこと、プトレマイオスの地図の再発見、コンパスとポルトラーノ海図)
  7. Online Etymology Dictionary, "orientation"(英語)。 https://www.etymonline.com/word/orientation (orientがラテン語・古いフランス語の「東」(昇る)に由来すること、動詞orientがもと「東に向ける」意味だったこと、教会の東向きの習わし、19世紀に方位に合わせて位置を定める意味に広がったこと)
  8. Wikipedia "Tabula Rogeriana"(英語)。 https://en.wikipedia.org/wiki/Tabula_Rogeriana (1154年、イドリーシー、ロジェ2世、南が上に描かれていること)
  9. Thony Christie (The Renaissance Mathematicus), "Why North?"(2022年、英語)。 https://thonyc.wordpress.com/2022/08/31/why-north/ (東・南・北が上だった各時代の地図、ジェリー・ブロトンの言葉を引いた、イスラム世界の世界地図の多くが南上だったことと、メッカの方角(キブラ)による説明、北が最終的に優勢になった理由が十分には説明されていないという指摘)
  10. 松崎つね子「馬王堆三号漢墓出土駐軍図が現代に伝えること」(国立国会図書館デジタルコレクション)。 国立国会図書館デジタルコレクション (1973年末に馬王堆三号漢墓から絹に描かれた地図が2枚出土したこと、駐軍図は南が上であること)
  11. Wikipedia「馬王堆漢墓」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/馬王堆漢墓 (2枚の地図が紀元前168年に埋葬されたこと、地形図と駐軍図の特徴)
  12. Matthew H. Edney, "The Magnetic Compass and North Orientation", Mapping as Process(2019年、英語)。 https://www.mappingasprocess.net/blog/2019/9/12/the-magnetic-compass-and-north-orientation (北を上にする向きはコンパスと無関係であること、地図の作り方の幾何とパピルスの巻物の形、中世の海の地図に決まった向きがなかったこと)
  13. Zsolt Győző Török, "North in the head: spatial reference frame and map orientation", Abstracts of the International Cartographic Association, vol. 2(2020年、英語)。 https://ica-abs.copernicus.org/articles/2/6/2020/ (北を優先する考えがギリシャの宇宙観・地理学にあり、プトレマイオスの本の再発見で古典的な伝統になったこと)
  14. Kiwi Hellenist, "Why maps have north at the top"(2019年、ブログ、英語)。 http://kiwihellenist.blogspot.com/2019/07/why-maps-have-north-at-top.html (プトレマイオスの『地理学』が1470年代から印刷されて広まったこと。ブログなので、原典で確かめるのがよい)
  15. Wikipedia "History of the compass"(英語)。 https://en.wikipedia.org/wiki/History_of_the_compass (1088年の『夢渓筆談』の磁針の記述、1111〜1117年ごろの『萍洲可談』の船での使用、12世紀末ごろ(1187〜1202年ごろ)のネッカムの本)
  16. Wikipedia「地磁偏角」(中国語)。 https://zh.wikipedia.org/zh-hans/地磁偏角 (『夢渓筆談』巻24の「方家以磁石磨針鋒,則能指南,然常微偏東,不全南也」の引用)
  17. 国土地理院「方位磁石の指す北は動き続けています」(磁気図2020.0年値の公開)。 https://www.gsi.go.jp/buturisokuchi/press_magnetic_charts2020.html (東京の偏角が過去50年で西へ約6度20分から7度40分になったこと、1800年ごろの伊能忠敬の測量開始時はほぼ一致していたこと、変化の原因)
  18. 国土地理院「小学5年・6年のページ:真北と磁北」。 https://www.gsi.go.jp/KIDS/KIDS11.html (真北は地形図の縦線が指す北、磁北は磁石が指す北)
  19. 国土地理院「磁気図」。 https://www.gsi.go.jp/buturisokuchi/menu03_magnetic_chart.html (最新は2020.0年値、偏角は真北を基準に西回りを正として記載)
  20. INTERNET Watch「スマホの「北」は「真北」「磁北」どっち?」(地図と位置情報)。 https://internet.watch.impress.co.jp/docs/column/chizu3/1431412.html (スマホは地磁気センサーの磁方位を、位置情報から求めた偏角で補正して真北を示すこと)
  21. ICA Commission on Map Design, "MapCarte 38/365: McArthur's Universal Corrective Map of the World, Stuart McArthur, 1979"(英語)。 https://mapdesign.icaci.org/2014/02/mapcarte-38365-mcarthurs-universal-corrective-map-of-the-world-stuart-mcarthur-1979/ (21歳のマッカーサーが1979年のオーストラリア・デーに出版したこと、15歳のときの交換留学がきっかけ)
  22. Wikipedia "South-up map orientation"(英語)。 https://en.wikipedia.org/wiki/South-up_map_orientation (1943年のトーレス=ガルシアの「逆さまのアメリカ」、1979年のマッカーサーの地図)
  23. J. Lennart Berggren and Alexander Jones, Ptolemy's Geography: An Annotated Translation of the Theoretical Chapters, Princeton University Press(2000年、英語)。 https://press.princeton.edu/books/paperback/9780691092591/ptolemys-geography (プトレマイオス『地理学』の理論の章の注釈つき英訳)
  24. Ptolemy, Geography, Book 2 Prologue(E. L. Stevenson訳、Dover、1991年、英語)。LacusCurtius(シカゴ大学のBill Thayer)による掲載。 https://penelope.uchicago.edu/Thayer/E/Gazetteer/Periods/Roman/_Texts/Ptolemy/2/Prologue*.html (北の地域が上に、東の地域が右に見えるように、地名を北から南へ、西から東へ書く、というプトレマイオス自身の説明)

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