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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

マヤの 町には 川が ないのに、水は どこから きたの?

川も湖もないマヤの都市は、どうやって水を手に入れたのか

川も湖もない石灰岩の土地で、マヤの都市は水をどう集め、ためて、きれいにしたのか

分野:歴史・文化

マヤの 大きな 町 ティカルには、川も みずうみも ありません。それでも、6万人から 8万人ほどが くらして いたと 考えられて います。

水は どこから きて、どう ためたのでしょう。この ページを 読むと、雨を ためる いけと、いしと すなで みずを きれいに した しかけ、ほかの 町の 水の くふうが わかります。

川も湖もない土地に、最大で6万〜8万人ほどが暮らしたと推定されるマヤの都市ティカルがありました[3]。しかも研究者は、約30km離れた丘から運んだ鉱物で、水をこす仕掛けまで作っていたと考えています[4]。

水はどこから来て、どうためて、どうきれいにしたのでしょうか。この記事を読むと、ティカルの貯水池、ユカタン半島のセノーテ、パレンケの水路を通して、土地に合わせた水の工夫が分かります。

ティカルは川も湖もない石灰岩の土地にあり、ピーク時の人口は6万〜8万人ほどと推定される[3]。この都市の貯水池では、約30km離れた尾根から運ばれた石英とゼオライトの層が見つかり、研究者はこれを水のろ過装置と解釈している[4]。

雨が地下へ抜ける土地で、人々はどのように水を確保したのか。この記事を読むと、ティカルの貯水とろ過、ユカタンのセノーテとチュルトゥン、パレンケの水圧水路を比べて、地形ごとに水の手に入れ方がちがったことが分かる。

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1. 雨は ふるのに、どうして 水が たりないの?

1. 雨は降るのに、なぜ水が足りなくなるのか

1. 雨が降っても地表に水が残らない土地:ティカルの条件

ティカルの ある ところは、むかし 海の そこでした。いまは 石灰岩せっかいがんという、すきまの 多い 石の 土地です。

雨が ふっても、水は すぐ 地面の 下へ しみこんで しまいます。しみこんだ 水は ふかい ところに あって、手が とどきません。

しかも 雨が 多いのは、一年の うち 8か月ほどだと 言われます。のこりの 4か月ほどは、あまり ふりません。そこで 人びとは、雨の 多い 時期に 水を ためて、ふらない 時期に つかいました。

では、どうやって たくさんの 水を ためたのでしょう。

ティカルがあるのは、かつて海の底だった場所です。地面の下には、小さな穴の多い石灰岩が広がっています。雨が降っても、水は岩のすき間から地下へ抜け、地下水になって、人の手が届かないところへ行ってしまいます[1]。

さらに、雨が多い季節は一年のうち約8か月、少ない季節は約4か月とされます(年や地域で変わる目安です)[1][2]。雨がたっぷり降る時期に水をため、降らない時期に使う。ティカルの人々は、この方法を選びました。

では、都市まるごとの水を、どうやってためたのでしょうか。

ティカルは、かつての海底に広がる多孔質の石灰岩の上にある。雨は岩のすき間から地下へ抜けて地下水になり、人の手が届かない深さに行く[1]。つまり、雨量が少ないから困るのではなく、雨が降っても地表に残らないことが、この土地の水問題の核心である。

加えて、雨が多い季節は約8か月、少ない季節は約4か月という目安が報じられている。ただし、これは年や地域で変わる一般的な値である[1][2]。地下水に頼れない以上、雨の多い季節に降った水を地表で受け止め、少ない季節まで持ちこたえさせる仕組みが必要になる。

では、その仕組みはどれほどの規模だったのか。

2. 町の まんなかに、どんな 水ためが あったの?

2. 広場や道を集水面にした、ティカルの貯水池とダム

2. 広場と道を集水面にした貯水池:宮殿貯水池と土手道ダムの規模

ティカルの 人びとは、ひろばや 道の じめんを 漆喰しっくいで かためました。そこに 雨が ふると、水は みぞを 通って、いけに あつまります。

いちばん 大きい ほうの いけは、およそ 7万5千立方メートルの 水を ためられたと されます。小学校の 25メートルプールを 250立方メートルと すると、300ぱい ぶんほどです(おおまかな 計算です)。

町の 中には、道を かねた ダムも ありました。長さは 80メートル近く、高さは 10メートルほどです。いけは、かわいた 時期の ために 水を ためるだけでなく、大雨の ときの 水の いきおいを ととのえる 役目も あったと 考えられて います。

ためた 水は、そのままで のめたのでしょうか。

ティカルの人々は、広場や道を漆喰で固め、雨水が地面にしみこまないようにしました。降った雨は水路を通って貯水池に集まります[2]。

最大級の一つ「宮殿貯水池」は、約74,631立方メートルまで水をためられたとされます[2]。25mプールを250立方メートルとすると、約300杯分です(書き手の概算です)。別に、長さ約79m、高さ約10mの「土手道ダム」もあり、その上は道としても使われました。こちらがせき止めた水は約2000万米ガロン、約7万6千立方メートルで、宮殿貯水池の数字とは別のものです[3]。

これらの池は、乾いた季節に水を保つだけでなく、雨の多い季節の洪水の水を調節する役目もあったと報告されています[3]。

水をためることはできました。次の問いは、その水をどうきれいにしたか、です。

ティカルの人々は、広場や道を漆喰で固めて水をしみこませない集水面にし、水路で貯水池へ導いた。最大級の貯水池の一つとされる宮殿貯水池(Palace Reservoir)は、約74,631立方メートル(約1971万米ガロン)まで貯水できたとされる[2]。25mプールを250立方メートルとして割ると約300杯分になる(筆者の概算)。

別の施設として、長さ約79m、高さ約10mの土手道ダムがある。上面が道としても使われたことからの呼び名で、堰き止めた水量は約2000万米ガロン(約7万6千立方メートル)と報じられた[3]。宮殿貯水池の容量と数字が近いため混ざりやすいが、報じられた施設と数字は別である。

これらの池は、乾いた季節に水を保つだけでなく、雨の多い季節の洪水を調節する働きも持っていたと報告されている[3]。人口の推定は6万〜8万人ほどだが、10万を超えるとする報道もあり、幅を持たせて見る必要がある。

では、これだけの水を、どう飲める水に近づけたのか。

3. とおくの 石で、水を きれいに したって ほんとう?

3. 約30km先から運んだ鉱物で、水をこしていたのか

3. コリエンタル貯水池のろ過層:運ばれた石英とゼオライトをどう読むか

ティカルの いけの ひとつ「コリエンタル」の どろの 中から、ふつうでは 見つからない ものが 出ました。ゼオライトという 石と、あらい 石英せきえいの すなです。

この 石は、ティカルから 30キロメートルほど はなれた おかから はこばれて きたと されます。大学の けんきゅうチームは、これを 水を きれいに する こすための そうちだと 考えて います。

ゼオライトは、小さな あなが たくさん ある 石で、ティカルの 中では、この いけからしか 見つかって いません。

研究者は、これを 西半球で いちばん ふるい 水を きれいに する しくみの れいだと いって います。ただし、くわしい しくみは はっきり しない とも 書いて います。

ティカルのコリエンタル貯水池の堆積物から、ゼオライトと粗い石英の砂が見つかりました。ゼオライトは、結晶の中に小さな孔のある鉱物です。研究者は、これらが水をこす層として使われたと解釈しています[4]。ティカルでゼオライトが出たのは、この貯水池だけです[4]。

石英とゼオライトは、ティカルの北東約29〜30kmにあるバホ・デ・アスーカル周辺の尾根から運ばれたとされます(報道で距離が少しずれるため、約30kmと丸めます)[4]。近くの石を使えばすむはずなのに、わざわざ遠くから運んだ。ここに、この発見の驚きがあります。

論文は、ろ過の年代を、較正年で現在から約2200〜1000年前としています。研究者は、西半球で最古の浄水の例だと述べていますが、仕組みの細部は確実には分からないとも書いています[5]。雨水が池に入る前に、砂のろ過箱を通したとも伝えられます[6]。何を取り除いたのかは、ここでは断定できません。

ティカルは特別な高原の都市でした。では、石灰岩の土地に暮らしたほかのマヤの人々は、どうしていたのでしょうか。

コリエンタル貯水池の堆積物から、ゼオライトと粗い石英砂が見つかった。ゼオライトは結晶中に小さな孔を持つ鉱物で、石英と合わせて分子ふるいのように働きうるため、研究者は貯水池に入る水をこす層と解釈した。ティカルでゼオライトが出たのはこの貯水池だけである[4]。

この二つは、ティカルの北東約29〜30kmのバホ・デ・アスーカル周辺の尾根から運ばれたとされる(報道により18〜20マイルとずれるため約30kmと丸めた)[4]。遠くから運んだ事実は、人々が水の質に注意を払い、材料の性質を知っていた可能性を示す。

論文は、放射性炭素年代でろ過の時期を較正年で約2185〜965年前とし、研究者は西半球で最古の浄水の例だと述べる。ただし仕組みの細部は確実には分からない、とも記す[5]。「世界最古」とは言えず、研究者の主張として読むべきである。何を取り除けたかも断定しない。

水の質の管理は課題でもあった。貯水池10か所を調べた研究では、4か所の堆積物から、毒をつくる種類を含む藍藻のDNAが見つかった。ただし、これは当時の水が実際に有毒だった証拠ではなく、都市の衰退の原因と結ぶこともできない[6]。

ティカルの方法は、一つの地形での答えにすぎない。ほかの地形では、どうだったのか。

4. 地下の 水を 使えた 町と、使えなかった 町

4. セノーテのある町と、岩に貯水槽を掘った丘

4. 地形別の水源:セノーテと、プウク地方のチュルトゥン

ユカタン半島の きた がわも、石灰岩せっかいがんの 土地で、川は ほとんど ありません。でも、地面が くずれて できた 大きな 穴あなが あります。セノーテと いいます。穴あなの 下に 地下の 水が たまって いて、一年じゅう 水を くめました。

チチェン・イッツァなどの 大きな 町は、セノーテの そばに つくられました。

セノーテが ない おかには、岩を ほって つぼの 形の 地下室、チュルトゥンを つくり、雨を ためました。入口の まわりの 地面も 漆喰しっくいで かため、雨を 中へ 流しました。

ウシュマルという 町では、水を おさめる ことが 力と むすびついて いたと 見られ、雨の 神チャアクの ぞうが 建物たてものに たくさん あります。

ユカタン半島北部も、石灰岩のカルストで、地表の川がほとんどありません。かわりに、天井が崩れてできた陥没穴セノーテがあります。地下の水に直接届くため、一年を通して飲み水の水源として使われました。チチェン・イッツァなどの都市は、セノーテのそばに築かれました[7]。

セノーテのないプウク丘陵では、岩を掘った貯水槽「チュルトゥン」に雨水をためました。つぼ形の地下室で、入口のまわりの漆喰の地面が雨水を導きました[8]。ただし、チュルトゥンには食べ物の保存用もあり、すべてが水用というわけではありません。

プウクのウシュマルは、およそ600〜900年ごろの都市です。水を管理することは、政治や信仰の力と結びついていたと見られ、雨の神チャアクの像が建物にたくさん並んでいます[8]。

水の取り方は、地形に合わせて変わりました。では、水の「流れ」そのものを使った例はあるのでしょうか。

ユカタン半島北部はカルストで、地表の河川がほとんどない。この地域では、陥没穴のセノーテが地下水へ直接届く、年中使える水源になった。チチェン・イッツァなどはセノーテの近くに築かれた[7]。地形に水源が決められたといえる。

一方、プウク丘陵にはセノーテがなく、人々は岩を掘って作った貯水槽チュルトゥン(chultun)に雨水をためた。つぼ形の地下室で、入口のまわりを漆喰で固め、集水面にした[8]。なお、チュルトゥンには食料の保存用もあるため、すべてを貯水槽と見なすことはできない。数や容量は、信頼できる一次資料がなく、ここでは書かない。

プウクのウシュマル(Uxmal)は、後期古典期(約600〜900年)の都市である。INAHは、水の管理が政治的・宗教的な力と結びついていた可能性を指摘する。雨の神チャアク(Chaac)の像が建物に多いことも、その背景として挙げられる[8]。

ここまでの三つは、水を「ためる」「掘る」「取る」だった。最後は、水を流して使う例である。

5. 水を ふき上げる しかけが あった?

5. パレンケの水路は、水を噴き上げたのか

5. パレンケの水圧水路:6mの噴き上げは何が分かった数字か

パレンケの 町は、せまい 山の かたむきに ありました。ひろい 平らな 場所が すくないので、川を ひろばの 下の 水路に 通して、くらす 場所を ふやしたと いわれます。

この 町で 見つかった 水路の ひとつ、ピエドラス・ボラスでは、いずみの 水を ほそい 出口へ みちびきます。考古学者の カーク・フレンチさんが 見つけ、工学の クリストファー・ダフィーさんが しらべました。

計算によると、水は 6メートルほど 上へ ふき上がる 水圧すいあつに なりえた そうです。ただし、これは 計算で 出した 数字で、ほんとうに ふいたとは かぎりません。

何に 使われたのかも、まだ わかって いません。

パレンケは急な地形に狭く築かれた都市です。生活の場所を確保するため、川を広場の下の水路(暗渠)に通しました[9]。これは、次に紹介する水圧水路とは別の話です。

考古学者カーク・フレンチさんが見つけた「ピエドラス・ボラス水路」を、工学者クリストファー・ダフィーさんが検討しました。泉から細い出口に水を導くと、約6m(約20フィート)噴き上がるほどの水圧が出たと推定されています[9]。スペイン人が来る前の水圧の仕組みとして注目され、それまで水圧を使った仕組みは、スペイン人が来てから新世界に入ったと考えられていました。

ただし、約6mは推定値で、実際に噴き上がったとは限りません。噴水だったのか、排水の仕掛けだったのかも分かっていません[9]。

パレンケは急な地形に狭く築かれたため、川を広場の下の水路(暗渠)に通して生活の場所を確保した[9]。これは、後述の水圧水路とは別の施設の話であり、混同しない。

考古学者カーク・フレンチが見つけたピエドラス・ボラス水路(Piedras Bolas)を、工学者クリストファー・ダフィーが検討した。泉の水を細い出口へ導くと、約6m(約20フィート)噴き上がる水圧が出たと推定された[9]。この推定は、新世界の水圧設備はスペイン人の到来で伝わったという従来の見方に再検討を迫る。

ただし、約6mは条件を置いた推定値であり、実際に噴いたとは限らない。使い道が噴水か排水かも分かっていない[9]。

ここまでで、ティカルの貯水とろ過、セノーテとチュルトゥン、パレンケの水路が出そろった。共通するのは、土地の性質に合わせて水の取り方を変えたことである。この目で確かめられるものは何か。

6. 水の ためかたを、自分でも 考えて みよう

6. 家と町で、雨の行き先を探す

6. 雨の行き先を自分で追い、原典に当たる

雨の日に できること

雨の日に、おうちの 人と いっしょに、まどから 外を 見ましょう。雨は どこを 流れて、どこへ いきますか。屋根、とい、地面の 色を、みつけて みます。雨が しみこむ 場所と、しみこまない 場所が あるはずです。

しらべる とき

マヤの 町は、土地に 合わせて 水の とりかたを かえて いました。自分の 町の 水は どこから きて いるのか、おとなの 人に きいて みましょう。

雨の行き先を追う

雨の日に、家や学校の屋根から落ちた水がどこへ流れるかを、傘をさして(危険のない範囲で)見てみましょう。屋根、雨どい、地面と、水の通り道を目で追うと、ティカルの集水面と同じ発想が見えてきます。

町の水を調べる

自分の町の水道の水がどこから来るのか、市町村のホームページや広報で調べてみましょう。ダム、川、地下水と、地形によって水源がちがうことが分かります。

しみこむ地面としみこまない地面

雨が上がったあと、土の地面とアスファルトの道を見比べましょう。水たまりができやすいのはどちらでしょうか。ティカルでは地面を漆喰で固めて水を集めました。しみこみ方のちがいは、その発想の手がかりになります。

雨の行き先を追う

雨の日に、屋根から地面へ水が流れる道筋を観察し、しみこむ面としみこまない面を比べる。ティカルが漆喰で面を固めて水を集めたのは、この差を利用した発想である。

資料を読むなら

ろ過の研究は論文[5]と大学発表[4]、パレンケの水圧は大学の発表[9]、ユカタンの水源は[7]と[8]にある。年代や数字は報道で食いちがうことがあるので、一次資料と並べて読むとよい。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文で使った資料です。

  1. Dumbarton Oaks: Ancient Maya Resource Management. https://www.doaks.org/newsletter/ancient-maya-resource-management (石灰岩の土地と地下水)
  2. NBC News / Live Science: Sustainable tech saw ancient Maya through drought. https://www.nbcnews.com/id/wbna48200846 (雨期と乾期、宮殿貯水池の容量)
  3. ScienceDaily: Largest Maya dam found at Tikal (2012). https://www.sciencedaily.com/releases/2012/07/120716191443.htm (土手道ダムと洪水の調節、人口推定)
  4. University of Cincinnati: Ancient Maya built sophisticated water filters (2020). https://www.uc.edu/news/articles/2020/10/n20956556.html (ゼオライトと石英のろ過層、運ばれた距離)
  5. Tankersley, K. B. et al. Scientific Reports 10:18021 (2020). https://doi.org/10.1038/s41598-020-75023-7 (ろ過の年代)
  6. ナゾロジー(シンシナティ大学の研究紹介). https://nazology.kusuguru.co.jp/archives/63561 (ろ過箱と藍藻のDNA)
  7. Wikipedia: Cenote. https://en.wikipedia.org/wiki/Cenote (セノーテが水源だったこと)
  8. INAH: Uxmal. https://lugares.inah.gob.mx/en/node/6431 (チュルトゥン、ウシュマルの水と信仰)
  9. Penn State: Maya plumbing, first pressurized water feature in New World. https://www.psu.edu/news/research/story/maya-plumbing-first-pressurized-water-feature-found-new-world (パレンケの水圧水路、暗渠)

なおした ところ

更新履歴

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