1. うんちを 売ったり 買ったり して いた 江戸時代
1. うんちを売ったり買ったりしていた江戸時代
1. 江戸で、排泄物が商品として売買された
今の 日本では、トイレで ながした ものは、お金に なりません。でも 江戸時代には ちがいました。
町に すむ 人たちの うんちを あつめて、はたけの こやし(しょくぶつを そだてる ための もの)として、農家に 売る しごとが ありました[1]。
20人から 30人ほどが すむ 長屋(ながや)全体の、1年ぶんの うんちを 売ると、当時の お金で 1りょうから 2りょうくらいに なったと いわれて います[1]。
2. 大名やしきの うんちは、とくべつに 高かった
2. 大名屋敷のうんちは、特別に高かった
2. 「勤番」は「町肥」より高く売れた
下肥にも、ねだんの ちがいが ありました。大名(おおきな はんを おさめる とのさま)の やしきから 出た うんちは、とくべつに 高く 売れました[2]。
ふつうの 町の 人たちの うんちは、それより やすい ねだんで 取り引きされました。食べる ものの ちがいが、こやしの しつの ちがいに つながると 考えられて いました。
下肥にも、値段の違いがありました。大名(大きな藩を治める殿様)の屋敷から出たうんちは、特別に高く売れました[2]。
普通の町の人たちのうんちは、それより安い値段で取り引きされました。食べるものの違いが、下肥の質の違いにつながると考えられていました。
3. なぜ ロンドンでは、江戸ほど うんちが 売れなかったのか
3. なぜロンドンでは、江戸ほど下肥が売れなかったのか
3. 江戸とロンドンで、下肥のあつかいは分かれた
おなじ ころの イギリスの ロンドンにも、人の うんちを 畑に 売る しくみは ありました。でも 江戸ほど 大きな しくみには ならず、町に すてられて 井戸水を よごして しまう ことも ありました[3]。
日本では、肉を 食べる ことが すくなかったので、牛や ぶたの ふんで 作る こやしが 足りませんでした。だからこそ、人の うんちに、大きな 出番が まわって きました[3]。
きゅう食で おかずの お肉が すくない日は、みんな パンを たくさん おかわりして、いつもは あまる パンが すぐに なくなるのと、にた はなしです。いつもの おかずが 足りないと、かわりに なる ものへの ひつようが ぐっと 高まります。ただし ほんとうは、こやしの ねだんには、はこぶ てまや しつの ちがいなど、ほかの りゆうも かんけいして います。
4. ねだんが 上がりすぎて、村人たちが おこった
4. 値段が上がりすぎて、村人たちが怒った
4. 1789年、村々が下肥の値下げを幕府に求めた
下肥は、どんどん 人気に なり、ねだんも 上がって いきました。
1789年、こやしを 買う がわの 村人たちが、あまりにも ねだんが 高く なった ことに おこりました。江戸の まわりの 村むらが つぎつぎに くわわり、1年ほどで 1000を こえる 村に なって、おかみに 「ねだんを 下げて ほしい」と おねがいしました[4]。
下肥は、どんどん人気になり、値段も上がっていきました。
1789年、下肥を買う側の村人たちが、あまりにも値段が高くなったことに怒りました。江戸の周りの村々が次々に加わり、1年ほどで1000を超える村になって、お上に「値段を下げてほしい」とお願いしました[4]。
寛政元年(1789年)11月、江戸近郊の村々が、下肥の値下げを求める嘆願書を勘定奉行に提出した。この運動は翌1790年には1016か村にまで広がっている。延享・寛延年間と比べ、下掃除代(下肥の汲み取り料金)が約3倍に高騰していたことが理由とされる[4]。
農村側にとって下肥は不可欠な肥料だったが、買い手の足元を見た値上げも横行していたことがうかがえる。嘆願は幕府への訴えとなり、決着したのは1792年6月のことである。
5. 明治に なって、うんちが「うれるもの」から「すてるもの」に かわった
5. 明治になって、うんちが「売れるもの」から「捨てるもの」に変わった
5. 明治後期、下肥は商品から廃棄物へ変わっていった
明治時代の おわりごろ、町に すむ 人が どんどん ふえて、うんちの りょうが、はたけで つかいきれない ほど 多く なって しまいました。
1900年、まちを きれいに たもつ ための ほうりつが 作られ、市や 町が うんちの しょりに かかわるように なりました[5]。こうして、江戸時代には 「うれるもの」だった うんちが、すこしずつ 「すてるもの」に かわって いきました。
明治時代の終わりごろ、町に住む人がどんどん増えて、うんちの量が、畑で使いきれないほど多くなってしまいました。
1900年、町を清潔に保つための法律が作られ、市や町がうんちの処理に関わるようになりました[5]。こうして、江戸時代には「売れるもの」だったうんちが、少しずつ「捨てるもの」に変わっていきました。
6. 船で 海に はこんで、すてて いた 時代
6. 船で海に運んで、捨てていた時代
6. バキュームカーで集めたし尿は、海に捨てられた
下水道(トイレの 水を まとめて はこぶ かんの ネットワーク)が まだ 十分に なかった ころ、町から 集めた うんちは、船に のせて 海に すてられて いました。
東京都は、1935年から 1999年までの あいだ、うんちを 船で 海に すてて いました[6]。すてる 場所は、はじめは 東京わんの 近くでしたが、のちに もっと おきの 海に かわって いきました。1953年には、東京わんの 海水が よごれすぎて、海水よくが できなく なった 年も ありました[6]。
7. 今は、海に すてる ことは ゆるされて いない
7. 今は、海に捨てることは許されていない
7. 海洋投棄は、2007年に全面禁止された
今は、下水道が 日本中に ひろがり、トイレの 水を きれいに して 川や 海に もどす しくみが できて います。
2002年に ほうりつで きまりが 作られ、それまで すてて いた ところには 5年間だけ とくべつに みとめられました。その とくべつな あつかいが おわった 2007年、うんちを 海に すてる ことは、日本中で できなく なりました[6]。今の しくみに ついて くわしくは、下水道について 書いた べつの メモも 見て みて ください。
今は、下水道が日本中に広がり、トイレの水をきれいにして川や海に戻す仕組みができています。
2002年に法律で決まりが作られ、それまで捨てていたところには5年間だけ特別に認められました。その特別な扱いが終わった2007年、し尿を海に捨てることは、日本中でできなくなりました[6]。今の仕組みについて詳しくは、下水道について書いた別のメモも見てみてください。
じぶんでも やって みる
自分でも調べてみたくなったら
自分でも調べてみたくなったら
自分の 家から 出た 生ごみが、今の 町では どう しょりされて いるか、大人と いっしょに しらべて みましょう。たいひ(生ごみを こやしに かえる しくみ)を つかって いる 町も あります。
むかしの お金の 「1りょう」が、今の お金で どれくらいに あたるのか、しらべて みるのも おもしろいでしょう。
自分の家から出た生ごみが、今の町ではどう処理されているか、大人と一緒に調べてみましょう。たい肥(生ごみをこやしに変える仕組み)を使っている町もあります。
昔のお金の「1両」が、今のお金でどれくらいにあたるのか、調べてみるのも面白いでしょう。
身近な資源循環を調べてみる
自分の住む自治体で、生ごみや下水汚泥がどのように肥料・エネルギーとして再利用されているか(バイオガス化、堆肥化事業など)を、自治体の公式サイトで調べてみる。江戸時代の下肥経済と、現代の資源循環の考え方を比べてみると、共通点や違いが見えてくる。
資料を読む
- 江戸の下肥取引の詳しい仕組みについて、専門的な記事や資料で調べてみる。[1]
しらべた ところ
参考にした情報源
参考にした情報源
- 株式会社日立システムズ「第2回 糞尿のリサイクル」、Wikipedia(日本語版)「下肥」。 https://www.hitachi-systems.com/report/specialist/edo/02/ (下肥の起源が鎌倉時代後期にさかのぼること、金銭や野菜を対価とする取引が享保年間〔1716〜1736年〕ごろから行われるようになったこと、20〜30人が住む長屋の年間収入が1〜2両ほどになったとされること)
- note「【衛生的かつ安全な町】江戸のリサイクルシステム」、北海道教育大学公開資料、Wikipedia(日本語版)「下肥」。 https://note.com/edo_biz/n/n004373d42e54 https://www.asa.hokkyodai.ac.jp/research/staff/kado/ch16.pdf (下肥が上・中・下にランク付けされ、大名屋敷のし尿「勤番」が庶民の「町肥」の4〜5倍で取引されたという説明があること、下掃除の権利が売買・投機の対象になったこと)
- note「【黄金の循環】なぜ江戸の排泄物はロンドンより高値で売れたのか?」、J-STAGE「ナイトソイルの環境経済史」。 https://note.com/lyco_pene/n/n8dd569120a16 https://www.jstage.jst.go.jp/article/sehs/76/2/76_KJ00008198357/_article/-char/ja (ロンドン近郊にも人糞尿の商業取引があったこと、それでも汚水が地下に染み出し井戸水の汚染とコレラ流行を招いたこと、日本の肉食忌避による家畜糞肥料の不足が人糞尿への需要を高めたこと)
- Wikipedia(日本語版)「下肥」、国立国会図書館サーチ収録の研究抄録、下肥価格の変遷に関する資料。 https://ja.wikipedia.org/wiki/下肥 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R000000004-I2714311 https://sinyoken.sakura.ne.jp/caffee/cayomo013.htm (寛政元年〔1789年〕11月に始まった値下げ運動が、翌1790年には1016か村に広がったこと、決着が1792年6月だったこと、延享・寛延年間と比べ下掃除代が約3倍に高騰していたこと)
- 環境省資料「一般廃棄物処理の歴史」、八千代エンジニヤリング「東京の屎尿処理の歴史」。 https://www.env.go.jp/content/900536247.pdf https://www.yachiyo-eng.co.jp/papers/2019_23_kodani.pdf (1900年制定の汚物掃除法が感染症予防を目的とし市町村に屎尿処理義務を課したこと、1930年の改正で処理手数料の徴収権限が加えられたこと、1954年制定の清掃法が汚物掃除法に代わり全国の市町村へ責任を拡大したこと)
- J-STAGE「東京都のし尿等海洋投棄廃止の経緯について」、環境省資料、川崎市資料、Wikipedia(日本語版)「バキュームカー」「海洋投入」。 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsmcwm/31/0/31_133/_article/-char/ja/ https://www.env.go.jp/hourei/11/000447.html https://www.city.kawasaki.jp/300/cmsfiles/contents/0000065/65909/R7zigyougaiyou.pdf (東京市が昭和10年〔1935年〕に直営のし尿海洋投棄を始め東京都が平成11年〔1999年〕まで続けたこと、投棄海域が東京湾から沖合へ移っていったこと、バキュームカーが1951年に川崎市で実用化されたこと、1953年の東京湾大腸菌汚染による海水浴禁止、2002年施行の規制と5年の経過措置を経て2007年2月1日にし尿・浄化槽汚泥の海洋投入処分が全面禁止されたこと)
- きになるノート「下水道はどこへ行くのか ── 使った水のその後」。 ../articles/sewage.html (現代の下水処理の仕組みについては、この記事で詳しく扱っている)
なおした ところ
更新履歴
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