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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

柔道じゅうどうの ルールは、どうして ふたつ あるの?

日本一を決める大会で、なぜルールが途中で入れかわったのか ── 柔道に「講道館」と「国際」の二つの規定がある理由

全日本柔道選手権は、なぜ国際規定に切りかえられたのか ── 旗判定の変化と、講道館規定とIJF規定が並ぶ理由

分野:歴史・文化

日本で うまれた 柔道じゅうどうは、いま 世界じゅうで おこなわれて います。でも ルールには、「講道館こうどうかん」の ものと「国際こくさい」の ものが あります[1]。

日本一を きめる 大きな 大会でも、2011年に ルールが かわりました。どうして ふたつ あるのでしょう。青い 柔道衣じゅうどうぎの はなしも まじえて、その わけが わかります。

日本一を決める全日本柔道選手権は、2010年までは講道館の規定、2011年からは国際柔道連盟(IJF)の規定で行われています[1]。同じ大会で、同じ「柔道」なのに、ルールの土台が途中で入れかわりました。

なぜ柔道には二つの規定があるのでしょうか。世界に広がる中で、見る人に分かりやすくするために何を変えたのか。切りかえの前後を比べた研究で、旗判定などの僅差判定が30.9%から16.2%に減った数字、青い柔道衣が採用されるまでの11年、2025年の変更までが分かります。

全日本柔道選手権は、2010年までは講道館規定、2011年からは国際柔道連盟(IJF)の規定で行われている[1]。切りかえの前後を比べた研究では、旗判定などの僅差判定が30.9%から16.2%に減った[1]。日本で生まれた競技のルールが、なぜ二つに分かれたのか。

IJFの発足と独自規定、五輪との関係、青い柔道衣の提案から採用までの11年、2025年の改正までの流れから、その理由が分かる。数字には、規定の変更だけでは説明できない部分もある。

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1. 日本一の 大会で、ルールが かわった?

1. 日本一を決める大会で、ルールが途中で入れかわった

1. 全日本選手権の規定変更 ── 2010年までは講道館規定、2011年から国際規定

日本一を きめる 大きな 大会が あります。2010年までは「講道館こうどうかん」の ルール、2011年からは「国際こくさい」の ルールで おこなわれて います[1]。おなじ 大会なのに、ルールの もとに なる ものが かわったのです。

ルールが ふたつ あると きくと、「講道館こうどうかんは 日本だけの ふるい ルール」と おもうかも しれません。でも ちがいます。1951年に ヨーロッパなどの 国の 人たちが 国際柔道連盟こくさいじゅうどうれんめいを つくった あとも、しばらくは 講道館こうどうかんの ルールを つかって いました[2]。

では、いつ、どうして ふたつに わかれたのでしょう。

日本一を決める全日本柔道選手権は、体重で階級を分けない大会です。1951年から長く講道館の試合審判規定で行われてきましたが、2011年に全日本柔道連盟(全柔連)がIJFの規定を導入しました[1]。ルールの土台が、同じ大会の途中で入れかわったことになります。

切りかえの理由として、論文は二つを挙げています。国際規定で行う国内外の試合が増えたこと、そしてIJFのランキング制で日本代表が選ばれることへの対応です[1]。国内の最高の舞台も、世界のルールに合わせる形でした。

ここで「講道館のルールは日本だけの古いもの」と考えたくなります。ところがIJFも、発足してしばらくは講道館の規定を使っていました[2]。二つの規定は、同じ出発点から分かれたのです。では、いつ、どんな経緯で分かれたのでしょうか。

日本一を決める大会のルールが、途中で別の組織のものに入れかわることはあるのか。体重無差別で争う全日本柔道選手権は、1951年から講道館の試合審判規定で運用されてきたが、2011年に全日本柔道連盟(全柔連)がIJFの規定を導入した[1]。

三宅らの論文は、その背景として、国際規定で行われる国内外の試合が増えたことと、IJFのランキング制で日本代表が選ばれることへの対応を挙げる[1]。日ごろの国内最高の舞台と、世界で戦う舞台のルールをそろえる動きだったことになる。

ここで「講道館規定は日本だけの古いルール」と考えると、事実からずれる。IJFは発足後しばらく、講道館の規定を採用していた[2]。二つの規定は対立から始まったのではなく、同じ出発点から分かれたものである。では、いつ、何をきっかけに分かれたのか。

2. はじめは おなじ ルールだったのに、いつ わかれた?

2. 世界の柔道組織も、はじめは講道館のルールを使っていた

2. IJFの発足と独自規定の制定 ── 同じ規定から分かれた1967年

講道館こうどうかんは、1882年に 嘉納治五郎かのうじごろうが つくりました。しあいの ルールの もとは 1900年に できて、1951年に あらためられました[1]。

おなじ 1951年の 7月11日、イギリスの ロンドンで 国際柔道連盟こくさいじゅうどうれんめいが できたと されて います[9]。

国際柔道連盟こくさいじゅうどうれんめいは、はじめは 講道館こうどうかんの ルールを つかいました。そして 1967年に、じぶんたちの ルールを つくりました[2]。ここから ふたつの ルールが べつべつに かわって いきます。

講道館こうどうかんの ルールも、1957年から 1995年まで なんども かわって います[1]。「ふるくて とまった ルール」では ありません。では、国際こくさいの ルールは なにを めざして かわったのでしょう。

講道館は1882年に嘉納治五郎が創設しました。試合の審判規定のもとは、1900年につくられた「講道館柔道乱捕試合審判規定」で、1951年に改正されて名前も改められています[1]。

同じ1951年の7月11日、ロンドンでIJFが設立されたとされています[9]。世界の組織ができても、試合のルールは講道館のものがそのまま使われました[2]。

分かれたのは1967年です。IJFが独自の試合審判規定を制定し、1971年に最初の改正、1973年のローザンヌ総会では「有効」と「効果」という新しい得点が加わりました[2]。論文は、1967年以降の改正を「競技柔道化」の発展のためのものと位置づけています[2]。

一方の講道館規定も、1957年から1995年まで何度も改正されています[1]。止まっていた古いルールではなく、二つの規定がそれぞれ動き続けてきたわけです。では、IJF規定の改正は何を目指していたのでしょうか。

二つの規定の出発点は、どちらも明治から続く講道館の側にある。講道館は1882年に嘉納治五郎が創設した。試合審判規定のもとは1900年作成の「講道館柔道乱捕試合審判規定」で、1951年に改正・改称されて、以後も1957年から1995年まで何度も改正されている[1]。

同じ1951年の7月11日、ロンドンでIJFが設立されたとされる[9]。ところが世界組織ができても、試合のルールはすぐには別にならず、講道館規定が採用されていた[2]。

分岐点は1967年で、IJFが独自の試合審判規定を制定した。論文によれば、それ以降の改正は「競技柔道化の発展のため」に行われてきた[2]。最初の改正は1971年、1973年のローザンヌ総会では「有効」と同時に「効果」が導入されている[2]。

注意したいのは、講道館規定も止まっていなかった点である。1957年から1995年まで何度も改正されたため[1]、二つの規定は「古いルールと新しいルール」ではなく、同じ出発点から別々に更新されてきた二つの系統と読める。では、IJF側の改正を動かしたものは何だったのか。

3. オリンピックに はいった 柔道じゅうどうは、なにを 気に したの?

3. 五輪に入った柔道は「見る人」を意識するようになった

3. 1964年東京大会から1972年まで ── 五輪の柔道は、見やすさをどう意識したのか

1964年、東京の オリンピックで、柔道じゅうどうが はじめて 競技きょうぎに なりました。体重で わけない 階級の 決勝では、オランダの ヘーシンクさんが 日本の 神永昭夫かみながあきおさんに 9分22秒で かちました[7]。ほかの 3つの 階級では、日本の 選手せんしゅが ゆうしょうしました[7]。

柔道じゅうどうは 1968年の 大会では おこなわれず、1972年から また 行われて、つづいて いると されます[8]。

国際こくさいの ルールが かわった わけを、ある ろんぶんは こう 考えて います。オリンピックの 競技きょうぎとして のこる ために みりょくを 高める ことと、テレビで 見る 人に わかりやすく する ことです[2]。ただし これは、ろんぶんの 考えです。

わかりやすく する くふうの ひとつが、柔道衣じゅうどうぎの 色でした。

1964年の東京大会で、柔道は初めて五輪の正式種目になりました。男子は軽量級・中量級・重量級・無差別級の4階級で、無差別級の決勝ではオランダのヘーシンクが神永昭夫に袈裟固めで一本勝ちしました。試合時間は9分22秒です[7]。ほかの3階級は日本の選手が優勝しています[7]。

その後、柔道は1968年のメキシコ大会では実施されず、1972年のミュンヘン大会から続いて行われているとされます[8]。

五輪の種目として残るには、何が必要だったのでしょうか。IJF規定が改正されてきた背景として、論文は二つを考察しています。五輪種目を続けるために競技の魅力を高める工夫と、テレビで観戦する人に分かりやすい「見やすさ」の改善です[2]。これは論文の推定です。

この「見やすさ」を、いちばん目に見える形で変えたものがあります。柔道衣の色です。

五輪に入った柔道は、世界の観客に見られる競技になった。1964年の東京大会では男子4階級(軽量級・中量級・重量級・無差別級)が行われ、無差別級決勝でオランダのヘーシンクが神永昭夫に袈裟固めで一本勝ちした。時間は9分22秒である[7]。ほかの3階級は日本選手が制した[7]。

柔道は1968年のメキシコ大会では実施されず、1972年のミュンヘン大会から続いて行われているとされる[8]。種目として残ることは当然ではなかった、とも読める。

では、IJFの規定改正は何に動かされたのか。順天堂大学の修士論文は、五輪種目を継続させるために競技の魅力を高める工夫と、テレビ放映に伴う「見やすさ」の改善を、改正の背景として考察している[2]。ただしこれは論文の推定であり、個々の改正の理由が資料で確かめられたわけではない。

見やすさの工夫として、最もはっきり目に見えたのが柔道衣の色である。

4. 青い 柔道衣じゅうどうぎは、どうして できたの?

4. 青い柔道衣は、提案から正式採用まで11年かかった

4. 色つき柔道衣の提案(1986年)と採用(1997年)── 欧州の試験導入と日本の「正式使用には反対」

1986年、ヘーシンクさんが「色の ついた 柔道衣じゅうどうぎを つかおう」と ていあんしました[3]。ねらいは、見やすく する ことです。しんぱんも おきゃくさんも、ふたりの 動きを 見わけやすく なります[3]。

でも、すぐには ひろまりませんでした。1996年の ニュースでは、ヨーロッパの 柔道じゅうどうの だんたいが テレビの 放送で 入る お金を ふやす ことを ねらって、ためしに つかって いました。日本は「ほんとうに つかう のには はんたい」と いう 立場でした[4]。それでも、ヨーロッパの 大会で こんいろの 柔道衣じゅうどうぎを 着る ことは みとめました[4]。

1997年に、青い 柔道衣じゅうどうぎは 国際柔道連盟こくさいじゅうどうれんめいに はいった と ろんぶんには あります[2]。ていあんから 11年です。日本は いまも、でんとうの ある 大きな 大会では 白い 柔道衣じゅうどうぎだけを つかって います[3]。

見やすさを たいせつに する 動きと、むかしからの すがたを たいせつに する 立場。柔道じゅうどうには、その ふたつが ならんで いたようです。

青と白の柔道衣は、見やすさのための工夫でした。1986年、オランダのヘーシンクが、大会で色つきの柔道衣を使うことを提案しました。IJFは、審判や観客が寝技を含む攻防を見分けやすくするためだと説明しています[3]。

ところが、すぐには広がりませんでした。順天堂大学の論文は、青い柔道衣の導入を1997年と記しています[2]。1996年末の報道によると、欧州柔道連盟がテレビの放映権収入を増やそうと試験導入を進める一方、日本は「正式使用には反対」という立場のままでした。それでも、世界選手権や五輪の準備として、欧州の大会で紺の柔道衣を着ることは認めています[4]。

提案の1986年から採用の1997年まで、11年です。日本は今も、伝統的な大きな大会を白の柔道衣だけで行っています[3]。見やすさやテレビを重んじる動きと、従来の姿を大切にする立場が、並んで存在していたことが分かります。

五輪やテレビを意識した「見やすさ」の工夫で、いちばん分かりやすい例が青い柔道衣である。IJFの資料によれば、1986年にヘーシンクが大会での色つき柔道衣の使用を提案した。目的は、審判や観客が寝技を含む攻防を見分けやすくすることである[3]。提案年は資料によって1984年とするものもあるが、ここではIJF公式の記述に従った。

では、なぜすぐに採用されなかったのか。1996年12月のUPIの報道は、欧州柔道連盟がテレビ放映権収入の増加を目指して試験導入を進めたこと、日本の関係者が「正式使用には反対」と強調したことを伝える。そのうえで日本は、世界選手権や五輪の準備として欧州の大会で紺の柔道衣を着ることは認めた[4]。順天堂大学の論文は、導入を1997年と記す[2]。

したがって、IJFの資料の提案年(1986年)と順天堂大学の論文の導入年(1997年)から数えると、提案から採用までは11年(計算)かかったことになる。日本は今も、伝統的な大きな大会を白の柔道衣だけで行っている[3]。

見やすさを重視する側と、従来の姿を重視する側が並んでいた。柔道衣の色は、その構図がもっともはっきり出た場面である。

5. 「待て」を へらすと、しあいは どう かわる?

5. 「待て」と旗判定は、規定を変えると減ったのか

5. 全日本選手権2008〜2013年の比較 ── 僅差判定30.9%→16.2%、「待て」105秒→77秒

柔道じゅうどうでは、しんぱんが「待て」と 言って、しあいを とめる ことが あります。国際柔道連盟こくさいじゅうどうれんめいは、見る 人に わかりやすい ように、しあいの スピードを 上げる ことを めざし、「待て」の 時間を みじかく する よう しんぱんに つたえて います[1]。

国際こくさいの ルールは、しんぱんの はたの はんだんや ばつでは なく、投げる わざや おさえる わざで 勝ち 負けを きめる「ダイナミック柔道じゅうどう」を ふやす ために 作られて いる、と けんきゅうする 人は せつめいします[1]。

ルールを かえて、ほんとうに かわったのでしょうか。全日本の 大会で、かえる まえの 3年間と、かえた あとの 3年間を くらべた 研究が あります[1]。しんぱんの はたで きまる しあいは、およそ 3しあいに 1つ(30.9%)から、6しあいに 1つ(16.2%)に へりました。1しあいの「待て」の 時間も、105秒から 77秒に みじかく なりました[1]。

ただし、「待て」が みじかく なったのは、ルールだけでなく、しんぱんへの つたえの こうかが 大きいと されて います[1]。

IJFが目指すのは、研究者の説明では、旗判定や罰則ではなく、投技や固技で勝敗が決まる「ダイナミック柔道」です。一般の人が見て分かりやすいように試合のスピードを上げることを目標に掲げ、審判が試合を止める「待て」の時間を短くするよう、通達も出しています[1]。

では、規定を変えると何が変わったのでしょうか。全日本選手権で、講道館規定だった2008〜2010年(110試合)と、国際規定になった2011〜2013年(111試合)を比べた研究があります[1]。

旗判定などの僅差判定は30.9%から16.2%に減りました。約3試合に1試合から約6試合に1試合になった計算で、割合はほぼ半分です。1試合あたりの「待て」の時間も、105秒から77秒に短くなりました[1]。

一本勝ちは39.1%から49.5%に増えましたが、統計的には差があるとはいえない結果でした[1]。「待て」の短縮も、多くは規定そのものより審判への通達の効果とされます[1]。数字は、ルールと運用の両方が動いた結果です。

IJF規定は、旗判定や罰則によらず、投技・固技の技術で勝敗が決まる「ダイナミック柔道」を促すために構成されている、と三宅らは説明する。IJFは「一般大衆がみてわかりやすくするため」に試合のスピード化を目標に掲げ、「待て」の時間短縮を審判に通達している[1]。

では、その狙いは数字に表れたのか。同じ全日本選手権で、講道館規定だった2008〜2010年(110試合)と、国際規定となった2011〜2013年(111試合)を比べると、旗判定などの僅差判定は30.9%から16.2%に減った。16.2÷30.9は約0.52で、割合はほぼ半分、約3試合に1試合から約6試合に1試合への変化である(計算)。1試合あたりの「待て」の時間は105秒から77秒に短くなり、約27%減っている(計算)[1]。

一方、一本勝ちの割合は39.1%から49.5%に増えたものの、統計的な有意差は出ていない[1]。「一本が増えた」と言い切れる結果ではない。さらに、「待て」の短縮の多くは規定の条文そのものではなく、審判への通達の効果とされる[1]。

つまりこの比較は、規定の変更と運用の変更が同時に起きた結果を見ている。「ルールを変えたら旗判定が半分になった」と単純に読むのは行きすぎで、期間も数年分の2つの大会群に限られる点を含めて読む必要がある。では、規定の中身は具体的にどう違っていたのか。

6. 足を つかむのは、どうして ひかえられたの?

6. 罰則の段階と、帯から下を攻める技への考え方の違い

6. 罰則の段階と「脚取り」への規制 ── 2011年当時の違いと2013年への流れ

しんぱんが「せめる 気が 少ない」と 見ると、ばつが 出ます。2011年ごろの ルールでは、講道館こうどうかんは 5だんかい、国際こくさいは 4だんかいでした。ばつが しょうぶに えいきょうし はじめるのも、国際こくさいの ほうが はやかった と されます[1]。

もうひとつの ちがいは、足の あつかいです。国際こくさいの ルールは、立って いる とき、帯おびから 下を 手や うでで せめたり まもったり する ことを ひかえる ほうしんでした[1]。

せなかを 丸めて ひくい しせいで、下半身ばかり ねらう「1m Judo」や、「上着を 着た レスリング」と よばれて、ひはんが ありました[1]。

2010年ごろから すこしずつ きびしく なり、2013年ごろには、立って いる とき 相手の 足に さわる ことが ほとんど できなく なった と されます。ねらいは、見て わくわくする、点の 入りやすい 柔道じゅうどうに する ことです[10]。

攻めの姿勢が足りないと審判が見ると、罰則が出ます。2011年ごろの規定では、講道館が5段階(教育的指導→指導→注意→警告→反則負け)、国際が4段階(指導→指導2→指導3→反則負け)でした[1]。勝敗に影響し始めるのは、講道館で3回目の罰則(注意以上)、国際で2回目(指導2以上)とされ、国際のほうが早く勝敗に響く仕組みでした[1]。

もう一つの大きな違いは、帯から下の扱いです。国際規定は、立ち姿勢で帯から下を手や腕で直接攻めたり守ったりすることを禁じる方針で、当時の講道館規定との大きな違いでした[1]。背景には、低い姿勢で下半身ばかりを狙う「1m Judo」や、「上着を着たレスリング」と呼ばれた柔道への批判があります[1]。

この規制は、2010年ごろから段階的に強まり、2013年ごろには立ち技で相手の脚に手を触れること自体が原則できなくなったとされます。目的は、観客にとって魅力的で得点の多い「ポジティブな柔道」を促すことです[10]。

厳しくした流れは、そのまま続いたのでしょうか。

二つの規定の違いが数字で見えるのが、罰則の段階である。「積極的戦意の欠如」への罰則は、2011年ごろの講道館規定では「教育的指導→指導→注意→警告→反則負け」の5段階、国際規定では「指導→指導2→指導3→反則負け」の4段階だった。勝敗を左右し始めるのは、講道館規定では3回目(注意以上)、国際規定では2回目(指導2以上)とされる[1]。ただし、これは2011年当時の規定の比較で、現行の細部ではない。

もう一つの違いは、立ち姿勢で帯から下を手や腕で直接攻撃・防御することを禁じる規定である。当時の講道館規定との大きな違いだった[1]。背景には、「1m Judo」と呼ばれた低い姿勢で下半身ばかり攻める柔道や、「上着を着たレスリング(Jacket Wrestling)」への批判があり、IJFは帯から下を掴む行為を禁じる方針を掲げた[1]。

この規制は一度に入ったのではない。別の資料は、禁止が2010年ごろから段階的に強まり、2013年2月には立ち技で相手の脚に手を触れることが原則できなくなったと述べる。目的は、観客に魅力的で得点の多い「ポジティブな柔道」を促すことだという[10]。この出典は競技団体の紹介記事で、年月の細部は一つの資料に依るため、「2010年ごろから、2013年にかけて」という程度にとらえるのが無難である。

見やすさのために禁止を強めた柔道は、その後どうなったのか。

7. ルールは、いまも かわって いるの?

7. 2025年の変更 ── 技で決める柔道のために、規制をゆるめる動き

7. 2025年のIJF試合審判規程の変更 ── 罰則の緩和・「有効」の追加・組手の範囲

はい。2025年1月から、国際柔道連盟こくさいじゅうどうれんめいの ルールが また かわりました。ねらいは「できるだけ わざで しあいを きめよう」と いう ことです[5]。

ちかごろ、「しどう」と いう ばつを ねらう しあいや、ひきわけの あと の えんちょうせんが 多かった ためと されます[5]。そこで ばつを ゆるめ、点の きまりに「ゆうこう」が くわわりました。「わざあり」と「一本」の あいだです[5]。

足の きまりも 少し かわりました。帯おびから 下でも、ももの 上の ほうの 高さまでなら、つかんで よく なりました[5]。ぜんぶ 自由に なった わけでは ありません。

この 会ぎの ために、講道館こうどうかんや 日本の 柔道じゅうどうの だんたいの 意見も まとめて だされた そうです[5]。

ルールの調整は、今も続いています。2025年1月に施行されたIJFの規程変更は、できるだけ技で試合を決着させることを主眼にしました[5]。近年、罰則の「指導」を狙う試合や、延長戦(ゴールデンスコア)の多発があったためと説明されています[5]。

内容は、ペナルティを緩め、「技あり」と「一本」の間に「有効」を加えたことです。脚への規制も変わり、帯から下は内股上部の高さまでなら掴んでよいことになりました[5]。これは脚取りの全面的な解禁ではなく、組み方の範囲を少し広げた変更です。

審判理事の会議には、講道館と全柔連の意見もまとめて提出されたと全柔連は説明しています[5]。日本から意見を届ける道がある、ということです。

2010年代に禁止を強め、2025年に緩める。「見やすさ」と「柔道らしさ」のあいだで、世界のルールも日本のルールも、行ったり来たりしながら調整されています。

禁止を強めた規定は、その後も固定されたわけではない。全柔連の説明によれば、2025年1月に施行されたIJF試合審判規程の変更は、「できるだけ技で試合を決着させる」ことに主眼を置いた[5]。近年、指導を狙う試合やゴールデンスコア(延長戦)の多発があったことが背景とされる[5]。

具体的には、ペナルティを緩め、「技あり」と「一本」の間に「有効」を加えた。帯から下についても、内股上部の高さまでなら掴んでよいとされた[5]。これは「脚取りの解禁」ではなく、組手の範囲が緩和されたと読むのが正確である。

また、審判理事の会議には講道館・全柔連の意見も集約して提出された[5]。ルールの決定は国際組織が行うが、日本の意見が届く経路があることが分かる。

流れを整理すると、見やすさを求めて罰則と組手を厳しくした時期があり、2025年には技での決着を重視する方向へ、緩和を含む調整が入った。「国際規定=厳しい、講道館規定=ゆるい」と単純に分けられるものではなく、双方が更新され続けている。

8. 20秒を かぞえて みよう

8. 20秒を時計で数えて、抑え込みの長さを体で知る

8. 抑え込み20秒を数える ── 得点ルールの確認と、資料の読みどころ

柔道じゅうどうには、あいてを おさえこむ「おさえこみ」が あります。日本の 柔道じゅうどうの だんたいの せつめいでは、5秒で「ゆうこう」、10秒で「わざあり」、20秒で「一本」です[6]。

とけいを 見ながら、5秒、10秒、20秒を かぞえて みましょう。5秒は あっと いう ま、20秒は ながく かんじませんか。だれかを おさえる まねは しないで、数えるだけに しましょう。

国際こくさいと 講道館こうどうかんの ルールは、いまも かわる ことが あります。おとなの 人と いっしょに、日本語で かかれた 大会の ひょうじゅんの しりょうを 読んでみると、あたらしい はっけんが あるかも しれません。

柔道の得点の決まり方を、全柔連の説明で確かめてみましょう。投げは、「スピード」「力強さ」「背中が着く」「着地の終わりまでコントロール」の4つを満たせば一本で、どれか1つ欠けると技ありです。抑え込みは、20秒で一本、10秒で技あり、5秒で有効です[6]。

時計を見ながら5秒、10秒、20秒を数えてみてください。5秒は一瞬ですが、20秒は思ったより長く感じるはずです。人を押さえつけるまねはせず、数えるだけにしましょう。

この記事の数字も、自分で確かめられます。16.2÷30.9を計算するとほぼ0.52で、旗判定などの割合は約半分です。105秒から77秒への減り方は、(105−77)÷105で約27%です。

元になった論文は日本語で読めます[1]。ただし罰則や脚への規制の比較は2011年ごろのものなので、今の講道館規定と国際規定の違いは、大人と一緒に日本語の大会要項や全柔連・講道館の公式資料を読んで、比べてみるとよいでしょう。

得点の基準を、全柔連の説明で確かめられる。投げは「スピード・力強さ・背中が着く・着地の終わりまでコントロール」の4つを満たせば一本で、どれか1つ欠ければ技あり。抑え込みは20秒で一本、10秒で技あり、5秒で有効である[6]。時計で5秒・10秒・20秒を数えると、抑え込みの時間感覚がつかめる(人を押さえるまねはしない)。

記事中の数字も検算できる。僅差判定は16.2÷30.9=約0.52、「待て」の時間は(105−77)÷105=約27%、提案から採用までは1997−1986=11年である。計算はいずれも出典の数字から求めた値である。

資料の読みどころは二つある。①三宅らの論文[1]は日本語で読め、旗判定や「待て」の数字と、規定の違いを2011年当時の姿で示している。②全柔連の2025年の変更点[5]は、禁止から緩和への流れを一次資料で追える。

残る問いは、現行の講道館規定と国際規定が、今どこまで同じでどこが違うのかである。ここで扱ったのは2011年ごろの比較と2025年の国際側の変更である。大人と一緒に、日本語の大会要項や全柔連・講道館の公式資料を読み比べると、今の答えが見つかる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:論文、全日本柔道連盟・国際柔道連盟の資料、報道、百科事典の記事を使った。何に使ったかは、それぞれの項目に書いている。

  1. 三宅ほか(2014)「武道学研究」47(1)(講道館規定と国際規定の比較)。https://www.jstage.jst.go.jp/article/budo/47/1/47_19/_pdf/-char/ja (講道館の歴史、全日本選手権の規定変更と数字、罰則の段階、脚への規制について)
  2. 順天堂大学大学院 修士論文(2009)。https://www.juntendo.ac.jp/assets/2009-M-593.pdf (IJF規定の制定と改正の経緯、改正の背景の考察、青い柔道衣の導入年について)
  3. 国際柔道連盟(IJF)「Judogi」。https://www.ijf.org/history/judo-culture/2244 (青い柔道衣の提案者・年・目的、日本の大会での白の使用について。英語)
  4. UPI「Judo: Japan judoka to wear navy outfits」(1996年12月23日)。https://www.upi.com/Archives/1996/12/23/Judo-Japan-judoka-to-wear-navy-outfits/1159851317200/ (色つき柔道衣をめぐる当時の日本と欧州の立場について。英語の報道)
  5. 全日本柔道連盟「2025-2028 国際柔道連盟試合審判規程の変更点について」。全柔連の変更点説明(PDF) (2025年の規程変更の主眼、有効の追加、組手の緩和、日本の意見の提出について)
  6. 全日本柔道連盟「柔道の得点」。https://www.judo.or.jp/what-is-judo/judo-score/ (一本・技あり・有効の基準と抑え込みの秒数について)
  7. Number Web「柔道」の記事。https://number.bunshun.jp/articles/photo/852767 (1964年東京大会の無差別級決勝について)
  8. Wikipedia「Judo at the Summer Olympics」。https://en.wikipedia.org/wiki/Judo_at_the_Summer_Olympics (五輪での実施年について。百科事典の記事)
  9. Wikipedia「International Judo Federation」。https://en.wikipedia.org/wiki/International_Judo_Federation (IJFの設立日・場所について。百科事典の記事)
  10. Judo Doha 2023「What Happened When the IJF Banned Leg Grabs」。https://judodoha2023.com/blog/what-happened-when-ijf-banned-leg-grabs-impact-technique-evolution (脚への規制が強まった時期と目的の紹介。大会関連の記事で、年月は目安)

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