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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

かみは、なにから できて いるの?

紙は何からできているのか ── 木、古紙、そして昔のぼろ布

日本の紙は何からできているのか ── 古紙・木材パルプ・ぼろ布、主役の入れかわり

分野:技術

日本で 作られる 紙と ダンボールの 原料げんりょうの うち、約やく7わりは、一度 使われた 古紙です[1]。紙は 木から できて いると 思って いた 人は、おどろくかも しれません。

では、のこりの 3わりは なにで、むかしの 紙は 何から 作られて いたのでしょう。ぼろ布ぬのや 麻あさから 木へ、木から 古紙へと、紙の 原料げんりょうの 主役が 入れかわって きた 道すじが 分かります。

日本の紙と板紙の原料のうち、およそ7割は古紙です[1]。木を切ってパルプにしたものは、残りの約3割にとどまります。

では、その3割はどんな原料で、古紙が主役になる前の紙は何から作られていたのでしょうか。ぼろ布や麻から木へ、木から古紙へと、原料の主役が入れかわってきた道すじが分かります。

日本の製紙原料は、重さで見ると約7割が古紙で、パルプは約3割にとどまる[1]。ただし、これは繊維原料の重量の内訳で、紙の枚数の話ではない。木から作る紙、という一般的なイメージとは、かなり距離がある。

では、残りの3割はどんな原料なのか。そして、古紙が主役になる前、紙の原料はどう入れかわってきたのか。蔡倫の時代のぼろ布や樹皮から、ぼろ不足を経て木材へ、さらに古紙へという流れと、数字の読み方が分かる。

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1. 日本の 紙は、なにから いちばん 多く 作られて いるの?

1. 日本で作られる紙の原料は、何がいちばん多いのか

1. 製紙原料の約7割は古紙 ── 重さで見た内訳と、二つの割合の違い

教室の ノート、家に とどいた ダンボール。この 紙は、木から できて いると 思って いませんか。

日本では、紙と ダンボールを 作る ときの 原料げんりょうの うち、約やく7わりが 古紙です[1]。古紙は、一度 使われて 集められた 紙の ことです。木から 作る 新しい 原料げんりょうは、のこりの 3わり ほどです。これは 重さで くらべた 数字で、紙の まい数では ありません。

紙と ダンボールを あわせた 古紙の 割合わりあいは、2025年で 66.7%でした。3つに 分けると、2つぶんが 古紙です[2]。ダンボールの もとに なる 紙などは、古紙の 割合わりあいが 93%を こえます[2]。

もう 一つ、ちがう 数字も あります。使われた 紙の うち、集められた 紙は 81%ほどです[2]。5つの うち 4つが 集まる 計算です。「原料げんりょうの 中の 古紙」と「集められた 紙」は、分けて 考えます。

では、のこりの 3わりの 新しい 原料げんりょうは、なにから 作られて いるのでしょう。

日本製紙連合会によると、近年の日本の製紙原料の消費量は、古紙が約7割、パルプが約3割で推移しています[1]。これは重さで数えた繊維原料の内訳で、紙の枚数の話ではありません。

2025年の古紙利用率(紙と板紙の合計)は66.7%で、ほぼ3分の2です[2]。内訳は紙の種類で大きく違い、段ボール原紙などの板紙は93%を上回ります[2]。同じ「古紙が原料」でも、板紙と紙とでは利用率に差があるということです。

同じ年の古紙回収率は81.3%です[2]。利用率は「原料の中の古紙の割合」、回収率は「消費した紙のうち集められた割合」で、分母が違います。二つの割合は、別の問いに答える数字です。

古紙が7割なら、残り約3割の「新しい繊維」は何から作られているのでしょうか。

製紙原料の内訳を見ると、日本製紙連合会は、近年の消費量はパルプが約3割、古紙が約7割で推移していると述べている[1]。この「約7割」は重さで測った繊維原料の割合で、紙の枚数や面積の割合ではない。

では、同じ統計で使われる古紙利用率はどう読むのか。2025年は紙・板紙の合計で66.7%、板紙(段ボール原紙など)は93%を上回る[2]。合計の値と板紙の値に開きがあることから、「原料の約7割が古紙」という数字の中身は、紙の種類によって濃淡があると分かる。

もう一つ混同しやすいのが、古紙回収率81.3%[2]である。利用率の分母は製紙に使った原料の重さ、回収率の分母は消費された紙の重さで、まったく別の比である。そのため、この二つを直接つないで計算することはできない。

ちなみに、2025年のパルプ生産量は691万トンで、前年比4.8%減とされる[1]。逆算すれば前年は約726万トンになる。では、この3割ほどを担うパルプとは、そもそも何なのか。

2. のこりの 3わりは、なにから 作るの?

2. 残りの3割は、木から取り出した繊維でできている

2. パルプとは何か ── 日本のパルプの99%以上は木材パルプ

のこりの 3わりは、パルプと いう 原料げんりょうです。パルプは、木や 草などから、紙の もとに なる 細い 繊維せんいを 取りだした ものです[3]。

日本で 作られる パルプの 99%を こえる ものは、木から 作る 木材もくざいパルプです。世界でも、90%を こえる ものが 木材もくざいパルプだと いわれます[3]。

木の ほかにも、イネの わら、麦の わら、サトウキビの しぼりかすなどが 原料げんりょうに なります[3]。でも、木材もくざいパルプに くらべると、ずっと 少ないのです。

これは パルプだけの 話で、古紙を ふくめた 紙ぜんぶの 話では ありません。それでも、「紙は 木から」と いう イメージは、パルプの 話としては 当たって います。

では、紙は むかしから 木で 作って いたのでしょうか。

パルプとは、木などの植物から、紙のもとになる繊維(セルロース)を取り出したものです[3]。コトバンクの記述では、日本のパルプ生産量の99%以上は木材パルプで、世界でも90%以上が木材パルプとされています[3]。

この数字はパルプだけの話で、古紙を含む紙全体の原料の話ではありません。ただ、古紙は使われた紙を集めたものなので、そのもとをたどれば、多くは木材パルプだったと考えるのが自然です。古紙が7割でも、紙の繊維の出発点は木が中心だと言えそうです。

木材以外の原料もあります。稲わらや麦わら、サトウキビの搾りかす(バガス)、アマやコウゾの樹皮の繊維、ケナフなどです[3]。ただし、木材パルプに比べると、これらの量はずっと少ないとされています。

では、紙はいつも木から作られていたのでしょうか。紙づくりの有名な人物の話に戻ってみます。

パルプとは、木材などの植物原料を機械的あるいは化学的に処理して、セルロースを繊維の状態で取り出したものである[3]。日本のパルプ生産量の99%以上は木材パルプで、世界でも90%以上が木材パルプとされる[3]。

ここで、数字の範囲に注意したい。99%は、あくまでパルプの生産量の話である。紙全体の原料には古紙が約7割入っているので、「紙の99%が木」という意味にはならない。それでも、古紙は使われた紙の回収品であり、そのもとの繊維は、多くが木材パルプだったと考えられる。この点は資料に割合が書かれておらず、推論にとどまる。

非木材の原料には、短繊維では稲わら・麦わら・バガス、長繊維ではアマ・苧麻・コウゾ・ミツマタなどの靭皮、コットンリンターがある[3]。ただ、資料の記述では木材パルプが世界で90%以上とされており、非木材は少数派にとどまる。

では、木材パルプが主役になったのは、紙の歴史のどこなのか。紙の最初の姿まで戻ってみる。

3. むかしの 紙は、木では なかったの?

3. 蔡倫の紙は、樹皮・麻・ぼろ布・魚網でできていた

3. 紙の出発点は非木材 ── 蔡倫の原料と、日本で楮が選ばれた理由

紙づくりで 名前が 出る 人に、中国の 蔡倫さいりんが います。105年に、紙を 皇帝こうていに さしあげたと、つたわって います[4]。

その 紙の 原料げんりょうは、樹皮じゅひ、麻あさの くず、ぼろぎれ、魚を とる あみなどと いわれます[4][5]。木を けずった ものでは なく、使い古した ものも 入って います。

ただし、蔡倫さいりんより 前の 時代の ものとして、麻あさで できた 紙も 見つかって います。だから 蔡倫さいりんを、紙を はじめて 作った 人だとは 言いきれません[4]。

日本では、麻あさでは なく 楮こうぞが 原料げんりょうに なりました。それで 和紙が 育ったと いわれます[5]。和紙の 原料げんりょうは、楮こうぞ、三椏みつまた、雁皮がんぴです。楮こうぞは 繊維せんいが 太くて 長く、じょうぶです。三椏みつまたは、光る ような 紙に なります[6]。

では、木が 主役に なったのは、いつ、どうしてでしょう。

後漢の宦官・蔡倫は、105年に和帝へ紙を献上したとされます[4]。原料は樹皮・麻くず・ぼろ布・漁網などと伝わります[4][5]。木材そのものではなく、使い古した布や網を、繊維に戻して紙にしたことになります。原料の再利用は、紙の歴史の最初から含まれていました。

ただし、蔡倫より前の前漢の遺跡からも、麻でできた紙が見つかっています。蔡倫を最初の人と言いきることはできません[4]。「最初の紙」を一人に決めきれないところが、この話の面白いところです。

日本では、原料が麻ではなく楮になったことで、和紙が発展したといわれます[5]。和紙の原料は主にコウゾ・ミツマタ・ガンピで、楮は繊維が太く長く丈夫、三椏は光沢のある紙になります[6]。紙を漉くときは、トロロアオイの根から取る粘りを水に加え、繊維を均一に散らします[6]。

では、木材パルプが主役に入れかわったのは、いつ、なぜなのでしょうか。

蔡倫は、後漢の宦官で、105年に和帝へ紙を献上したと伝えられる[4]。原料は樹皮・麻くず・ぼろ布・漁網などとされ[5]、木材パルプを使う現在の紙とは違う「非木材紙」の出発点にあたる。ここで目を引くのは、ぼろ布や漁網という、使い古したものが原料に入っている点だ。原料の再利用は、紙の始まりから含まれていた。

ただし、蔡倫を発明者と言い切るのは正確でない。前漢の遺跡からも麻でできた紙が見つかっており、蔡倫を最初の人と言いきることはできない[4]。「紙」をどう定義するかで答えが変わるため、最初の紙は一人に帰せない。

日本では、麻ではなく楮が主原料となった。そのため、和紙が独自に発展したとされる[5]。楮・三椏・雁皮が主な原料で、楮は繊維が太く長く丈夫、三椏は光沢のある紙になる[6]。漉くときにトロロアオイの根から取る粘りの液(ネリ)を水に加えるのは、繊維を包んで絡まりを防ぎ、水中で均一に分散させるためだ[6]。

では、非木材が出発点だった紙の原料は、いつ木材に主役を譲ったのか。その転機は、ぼろ布の不足にあった。

4. なぜ 木から 紙を 作る ように なったの?

4. ぼろ布が足りなくなって、森の木に目が向いた

4. 需要の増加とぼろの不足 ── 木材パルプ化の技術が相次いで生まれた理由

紙の 原料げんりょうには、長い あいだ 麻あさや 木綿もめんの ぼろ布ぬのが 使われて きました。ところが 1800年代の 前半、紙を 使う 人が ふえて、ぼろ布ぬのが 足りなく なりました[3]。そこで 森の 木に 目が 向きました。

1840年ごろ、ドイツの ケラーが、木を くだいて 作る パルプを 考えだしました[3]。ケラーの 年は、本に よって 少し ちがうので、「ごろ」と 書きます。

その あとも、木から パルプを 作る やり方が、1851年、1867年、1884年ごろまでに つぎつぎに 生まれました[3]。1800年代の うちに、たくさん 作れる ように なったのです。

日本でも 同じです。明治めいじ6年(1873年)に、洋紙を 作る 会社が 作られ、王子の 工場は 1875年に 動きだしました。はじめの 洋紙は、木綿もめんの 古い 布ぬのが 原料げんりょうでした[7]。木材もくざいパルプ作りが 日本で はじまったのは、1884年、静岡しずおか県と されます[7]。

こうして、木が 主役に なりました。では、古紙が 7わりに なったのは、いつからでしょうか。

19世紀前半、紙の需要が増え、綿や麻のぼろが不足しました。そこで森林資源が原料として注目されます[3]。1840年ごろ、ドイツのケラーが砕木パルプを発明したとされます。年は資料により幅があるので、「ごろ」と書きます[3]。

そこから、1851年のソーダ法、1867年の亜硫酸法、1884年にはクラフト法の特許と、大量に作れる木材パルプの技術が短い間に生まれました[3]。ぼろ布が足りなくなったことが、木を原料にする試みを後押ししたのです。蔡倫の105年から1840年ごろまでは、1700年あまりあります。この間、紙の主な原料は木材パルプではありませんでした。

日本の洋紙は、1873年(明治6年)に渋沢栄一の主導で抄紙会社が設立され、王子の工場が1875年に開業して始まりました。初期の洋紙はぼろ(木綿の古布)が原料で、王子はその供給に向いていたとされます[7]。日本で木材パルプの製造が始まったのは1884年、静岡県でモミ・ツガ・シラベなどを原料にしたと伝えられます[7]。

1884年は、クラフト法の特許が取られた年でもあります。日本でも木が主役になる準備が整っていきました。では、いまの古紙7割は、いつ、どうやって実現したのでしょうか。

19世紀前半、紙の需要が増えたことで、綿や麻のぼろが不足し、森林資源が原料として注目された[3]。ケラーが砕木パルプを発明したのは1840年ごろとされるが、ケラーの年は資料により1840年・1840年代・1854年(砕木機)と幅がある。そのため、ここでは「ごろ」とする[3]。

では、なぜ短い期間に多くの技術が出たのか。需要の増加に対して、ぼろは供給が限られていたため、木材から安定して繊維を取り出す方法が求められたからだろう。実際、1851年のソーダ法、1867年の亜硫酸法、1884年にはクラフト法の特許と、大量生産できるパルプ化の技術が相次いで生まれた[3]。いずれも19世紀の後半までの出来事である。蔡倫の105年から1840年ごろまでは1700年以上あり、その間、紙の主な原料は木材パルプではなかった。

日本でも、洋紙の始まりはぼろだった。1873年(明治6年)に渋沢栄一の主導で抄紙会社が設立され、王子の工場は1875年に開業した。初期の原料は木綿の古布で、王子は古布の供給に向く土地として選ばれたとされる[7]。木材パルプの国内製造が始まったのは、新聞系の記事が伝えるところでは1884年(明治17年)の静岡県で、モミ・ツガ・シラベなどが原料だったという[7]。

ところが、いまの日本の製紙原料の主役は、木材パルプではなく古紙である。木が主役になった後、何が起きたのか。

5. 古紙は、いつから 7わりに なったの?

5. 古紙の回収率は、40年足らずで2倍以上になった

5. 古紙回収率の推移と、製紙原料の入れかわり ── 資料から言えることと言えないこと

古紙を 集める 割合わりあいは、1975年には 38%でした。2001年に 60%、2005年に 70%、2014年に 80.8%と、ふえて きました[8]。38%から 80%ほどへ、2倍よりも 多く ふえた 計算です。

いまは 81%ほどです[2]。使われた 紙の 5つの うち、4つを 集めて います。

原料げんりょうの 中の 古紙は、2014年に 63.9%でした[9]。古紙が 6わりを こえる 形は、10年よりも 前から つづいて います。

こうして 見ると、紙の 原料げんりょうの 主役は、ぼろ布ぬのや 麻あさから 木へ、木から 古紙へと 入れかわって きた ようです。ただし、1さつの 本に 書いて ある 話では なく、いくつかの 本を つなげて 見える 流れです。

では、自分の 家の 紙は、どう 使われて いるのでしょう。

日本の古紙回収率は、1975年に38%、2001年に60%、2005年に70%、2014年に80.8%と上がってきました[8]。割り算をすると、およそ2.1倍です。つまり、約40年で、集まる割合が2倍を超えたことになります。そのあとの伸びはゆるやかで、最近の81.3%は、ほぼ頭打ちに見えます[2]。

では、集まった古紙は、どれだけ原料になっているのでしょうか。2014年の製紙原料は、古紙が約64%、パルプが約36%で、その他の繊維はごくわずかでした[9]。古紙が6割を超える形は、10年以上前からすでにできていたことになります。

ここまでの流れを並べると、紙の原料の主役は、ぼろ布や麻の時代から、木材パルプの時代を経て、いまは古紙が約7割を占める時代へと入れかわってきたように見えます。ただしこれは、複数の資料を組み合わせて見えてくる流れで、一つの資料が語っているわけではありません。

さて、自分の家で使っている紙は、この流れのどこにいるのでしょうか。

古紙回収率は、1975年に38%、2001年に60%、2005年に70%、2014年に80.8%と上昇し、2025年は81.3%である[8][2]。38%から80.8%は約2.1倍で、約39年かけて倍増したことになる。ただし、2014年以降はほぼ頭打ちで、80%台前半に収まっている。

原料の内訳はどうか。2014年の製紙原料消費量2,692万トンのうち、古紙が1,719万トンで63.9%、パルプが969万トンで36.0%、その他の繊維が3万トンで0.1%だった[9]。2025年の古紙約7割という値と比べると、古紙の割合は、この10年あまりで大きく変わっていない。古紙が6割を超える状態は、すでに2014年の時点で出来上がっていた。

こうして、ぼろ布・麻から木材へ、さらに古紙へと主役が入れかわった、と整理できる。ところが、この流れは複数の資料を組み合わせて見えるものである。ぼろ不足が木材化を促したことは資料から言えるが、木材から古紙へ移った理由までは、使った資料では説明されていない。ここでは数字の推移として読む。

では、この数字を、自分の手で確かめることはできるのか。

6. 家で 使う 紙を、数えて みよう

6. 一週間に使う紙を数え、回収の数字を自分の家で確かめる

6. 確かめる道すじ ── 家の紙の数え方と、割合の読み方

やってみよう①。一週間、家で 出た 紙を 数えます。新しいぶん、ダンボール、牛乳ぎゅうにゅうパックなどを 分けて、何こ あるか 書きます。どの 紙が いちばん 多いか、見て みましょう。

やってみよう②。住んで いる 市の 古紙の 出し方の あんないを 見ます。出せる 紙と 出せない 紙が 分かれて います。出せる 紙には、どんな ものが あるでしょう。

もっと 知りたい 人は、紙を 作る 会社の 集まりの ホームページに、毎年の 数字が のって います。いちばん 下に ならんだ 出どころの[1]と[2]の ページを 見て みましょう。

やってみよう①:一週間、家で出た紙を、新聞・段ボール・牛乳パックなどに分けて、数えます。どの紙がいちばん多いか、一週間でどれくらいの量になるかを観察します。回収率81.3%は重さの比なので、枚数を数えても、この数字の検算にはなりません。

やってみよう②:住んでいる市の、古紙の出し方の案内を読みます。出せる紙と出せない紙が、どこで分かれているかが見えます。

数字をもっと見たい人には、日本製紙連合会のパルプと古紙の統計ページが入口になります(出典[1][2])。毎年の数字が更新されています。

確かめる方法を二つ挙げる。

①一週間、家で出た紙を、新聞・段ボール・牛乳パック・包装紙などに分けて数える。重さを量れるなら、枚数と重さの両方を記録する。回収率81.3%は重さの比なので、枚数の数え方では検算できないが、枚数と重さが別の数字であることは、自分の手で確かめられる。

②市の古紙の出し方の案内を読む。出せる紙と出せない紙の境目を見ると、古紙として原料に戻しやすい紙の条件が見えてくる。

資料の入口としては、日本製紙連合会のパルプ・古紙の統計ページ(出典[1][2])が毎年の数字を載せている。蔡倫以降の紙の歴史は、コトバンクの「蔡倫」の項(出典[4])が入口になる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:業界団体の統計ページ、百科事典の項目、会社の解説、ニュース記事の要約を使った。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。

  1. 日本製紙連合会「パルプ」。https://www.jpa.gr.jp/states/pulp/index.html (古紙約7割・パルプ約3割、2025年のパルプ生産量)
  2. 日本製紙連合会「古紙」。https://www.jpa.gr.jp/states/used-paper/index.html (古紙利用率・古紙回収率、板紙の利用率)
  3. コトバンク「パルプ」(百科事典の記述)。https://kotobank.jp/word/%E3%83%91%E3%83%AB%E3%83%97 (パルプの定義、木材パルプの割合、非木材原料、ぼろ不足と木材パルプ化の技術)
  4. コトバンク「蔡倫」。https://kotobank.jp/word/%E8%94%A1%E5%80%AB (蔡倫の紙と、前漢の麻の紙の出土)
  5. 五条製紙「紙の豆知識〈紙の歴史〉」。https://gojo.co.jp/gallery/knowledge (蔡倫の紙の原料、日本で楮が原料になったこと)
  6. BE-PAL「お伊勢さんお膝元の和紙工場」。https://www.bepal.net/archives/74738 (和紙の原料とトロロアオイのネリ)
  7. ニュースイッチ(紙の博物館の解説を伝える記事)。https://newswitch.jp/p/27314 (日本の洋紙のはじまりと、木材パルプ製造の開始)
  8. コトバンク「古紙」(共同通信用語解説・日本大百科全書)。https://kotobank.jp/word/%E5%8F%A4%E7%B4%99-1534712 (古紙回収率の推移)
  9. 経済産業省 産業構造審議会 資料(日本製紙連合会の数字)。https://www.meti.go.jp/shingikai/sankoshin/sangyo_gijutsu/haikibutsu_recycle/pdf/034_03_02.pdf (2014年の製紙原料消費量の内訳)

なおした ところ

更新履歴

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