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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

大きさの ない「点」って、どんな もの?

大きさのない「点」とは何か ── ユークリッドの一文と、ヒルベルトの「定義しない」という選択

点とは何か ── 「部分をもたないもの」から、ヒルベルトの無定義用語まで

分野:歴史・文化

えんぴつで うった 点を 虫めがねで 見ると、まるくて、ちゃんと 大きさが あります。ところが 数学の 点には、大きさが ありません。

大きさの ない ものを、むかしの 人は どう ことばに したのでしょう。ユークリッドと ヒルベルトが、点を どう あつかったのかが わかります。

鉛筆で打った点は、虫眼鏡でのぞくと丸く、はっきり大きさがあります。それなのに、数学の「点」には大きさがないことになっています。

大きさのないものを、昔の数学者はどう言葉にしたのでしょうか。ユークリッドの有名な一文と、ヒルベルトの「定義しない」という考え方から、点の説明がどう変わってきたかが分かります。点を「愛・法・煙突掃除人」に置きかえてもよい、と書いた手紙も出てきます。

鉛筆で打った点は、拡大すれば丸く、面積をもつ。しかし数学でいう点は、大きさをもたない。この食いちがいを、数学者はどう言葉で埋めようとしたのか。

ユークリッドの「部分をもたないもの」という一文は、のちの証明では使われなかったという解説がある。ヒルベルトは、点が何であるかを決めずに、関係だけを公理で決めた。この2つの流れから、点の定義が何を担い、何を担わなくなったかが分かる。

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1. えんぴつの 点と、数学の 点は ちがうの?

1. 紙に打つ点と、数学の点はどこがちがうのか

1. 描いた点と、数学の点 ── 大きさの有無が分けるもの

えんぴつで、ぽつんと 点を うちます。虫めがねで のぞいて みると、点は まるく ふくらんで、ふちも ぼやけて います。小さく ても、ちゃんと 大きさが あります。

ところが 数学の 点には、大きさが ありません。長さも 面積めんせきも 体積たいせきも なくて、「ここ」という 場所だけを さして いる ものと 考えます[1]。

紙に うつ 点は、目で 見える ように した しるしです。その 大きさや 形は、数学の 点とは かんけい ありません[1]。

では、目に 見えない 点を、ことばで どう 言えば いいのでしょう。

鉛筆の先で、紙にぽつんと点を打ちます。虫眼鏡でのぞくと、その点は丸くふくらみ、ふちもにじんでいます。どんなに小さくても、大きさがあります。

ところが数学の「点」は、位置だけをもち、長さも面積めんせきも体積たいせきももたない図形だと説明されます。紙に描く点は、人の目に見えるようにするための印で、大きさや形は点の考え方とは関係がありません[1]。

ここに小さな食いちがいがあります。見えるものを描いているのに、描きたいものは見えない。では、見えないものを、どんな言葉で説明すればよいのでしょうか。

鉛筆で打った点を拡大すると、丸く、ふちがにじんでいる。これは面積をもつ小さな図形であって、数学の点そのものではない。数学の点は、大きさをもたず、位置を表すものとして扱われ、紙に描く点は見えるようにするための印にすぎない。その大きさや形は、点の概念に関係しない[1]。

現代の英語版Wikipediaは、点を「物理的な空間での正確な位置を、大きさなしに抽象化したもの」と説明し、標準的な次元の定義ではどれも0次元とする[9]。ただし、これは百科事典の現代的な説明であって、数学者が最初からこう言ったわけではない。

見えないものを、どんな言葉で固定するか。この問いに、最も古い教科書の一つがどう答えたかを見るのが、次の章である。

2. 「部分を もたない もの」って、どういう こと?

2. ユークリッドは点を「部分をもたないもの」と書いた

2. ユークリッド『原論』第1巻の定義1 ── 「部分をもたないもの」

古代こだいギリシアの ユークリッドは、数学の 本の さいしょの ほうに、こう 書きました。「点とは、部分を もたない もの」[2]。

部分が ない、とは、半分にも、4つにも わけられない、と いう ことです(部分を もたない という いみを つかむ ための せつめいです)。ヒースと いう 研究者は、「それいじょう わけられない もの」と 読んでも よい、と 書いて います[2]。

ひもなら 半分に 切れます。紙も 切れます。でも 点は、切ろうと した 時点で もう 点では なくなる、という イメージです。ただし これは たとえで、数学の 点は 切る ことが できる もの では ありません。

ところで、ユークリッドより まえの 人たちは、点を どう 言って いたのでしょう。

古代ギリシアのユークリッドが書いた数学の本『原論』は、点の説明から始まります。第1巻の定義1は、点を「部分をもたないもの」と述べています[2]。

部分がない、とは、半分にも4つにも分けられない、ということです(部分をもたないという意味をつかむための説明です)。イギリスの研究者ヒースは、この文を「それ以上部分に分けられないもの」と訳してもよいと書いています[2]。

ひもは半分に切れますし、紙も切れます。点には、その「切る」という操作が使えません。だから、点は長さも広がりももたないことになります。ただしこれは、考え方をつかむためのたとえです。

ひとつ、おもしろい点があります。ギリシア語で「点」を表す言葉は、アリストテレスの時代には「突き刺した跡」という意味の語でしたが、ユークリッドたちは「印」という意味の語を使います。ヒースは、突き刺した跡というと、点が本当に実在するかのように聞こえてしまうので、プラトンの影響で替わったのではないか、と推測しています[2]。あくまで推測ですが、「点」という一語にも、何を言い切るかの工夫があったことがうかがえます。

ユークリッド『原論』第1巻の定義1は、ギリシア語の原文で「点とは、部分をもたないもの」という意味の短い一文である。ヒースの注釈は、この文を「それ以上部分に分けられないもの」と訳しても不当ではない、と述べる[2]。部分に分けられないのだから、長さも広がりも考えられない(部分をもたないという意味をつかむための説明である)。ここから、前章の「大きさのない点」へつながる。

注意したいのは、日本語の解説で見かける「位置をもち、部分をもたない」という形が、ユークリッドの原文には「位置をもち」の部分がないことだ。位置を入れたのは、より古いピタゴラス派の定義である(次章)[2]。

さらに、点を指す語にも変化がある。アリストテレスは「突き刺した跡」を意味する語を使うが、ユークリッドらは「印(約束された目印)」を意味する語を使う。ヒースは、前者だと点が実在すると主張しすぎて聞こえるため、プラトンの影響で後者に替わったのだろうと推測している。これは推測であり、確定した事実ではない[2]。

では、ユークリッドは何に対して、この一文を書いたのか。それより前の定義を見れば、この文が何を避けているかが見えてくる。

3. ユークリッドの まえの 人は、点を どう 言ったの?

3. ユークリッドより前の人たちは、点を何と言っていたのか

3. 先に線を使う定義 ── ピタゴラス派・プラトン・アリストテレス

いちばん むかしに つたわる 点の せつめいは、ピタゴラスの なかまの もので、「場所を もつ 1」と 言いました[2]。

プラトンは、点を 「線の はじまり」と よんだと、アリストテレスが つたえて います。ほかの 本には、点は 線の はし、と 書いた ものも あった ようです[2]。

アリストテレスは、これを 「じゅんばんが 反対だ」と 言いました。点を 線で、線を 面で せつめいする と、先に 知らなければ ならない ものを、あとの もので せつめい して しまうからです[2]。

ユークリッドの 文には、線も 面も 出て きません。ただ、そう 書いた 理由が 書かれて いる わけでは ありません。

その 文は、そのあとの 証明しょうめいで 使われたのでしょうか。

伝わる中でいちばん古い点の説明は、ピタゴラス派のものです。「位置をもつモナド(1)」と言いました[2]。ここには「位置」が入っています。日本語の解説で見かける「位置をもち」は、ユークリッドの文ではなく、こちらから来ています。

プラトンは、点を「線の始まり」と呼んだと、アリストテレスが伝えています。ほかにも、点を線の端とする定義があったようです[2]。

アリストテレスは、こうしたやり方は順番が逆だと指摘しました。点を線で、線を面で、面を立体で説明すると、先に知っているはずのものを、後のもので説明することになるからです[2]。

一方、ユークリッドの一文には、線も面も出てきません。「部分をもたない」とだけ言います。ただ、ユークリッドがそのために書き方を変えた、という理由は、今回見た資料には書かれていません。

では、その一文は、そのあとの証明で役に立ったのでしょうか。

点を先に定義したいのに、何を使って説明するか。ユークリッド以前の定義には、すでに複数の型があった。ヒースの注釈によると、伝わる最初の点の定義はピタゴラス派の「位置をもつモナド(単位としての1)」で、プラトンは点を「線の始まり」と呼んだとアリストテレスが伝えている。点を線の端とする定義もあった[2]。

アリストテレスはこれらについて、先にくるものを後にくるもので定義している、と批判した。点を線の端、線を面の端、面を立体の端と言えば、点の説明のために線を知っていなければならないからである[2]。

これに対し、ユークリッドの定義1は、線も面も位置も使わず、「部分をもたない」という、点そのものについての性質だけを述べている。ただし、ユークリッドがアリストテレスの批判を受けて書き直した、と言える資料は、今回の材料の中にはない。

では、この一文は、そのあとの『原論』の証明で実際に働いたのか。答えが意外である。

4. その せつめいは、あとで 使われたの?

4. 定義は、あとの証明で使われたのか

4. 定義1は証明で使われない ── 点の意味はどこで決まるのか

じつは、ユークリッドの この せつめいは、あとの 証明しょうめいの なかで 使われない、という かいせつが あります[3]。

では 点の 意味は どこで 決まって いたのでしょう。ユークリッドの 本には、「どんな 2つの 点でも、まっすぐな 線で つなげる」という きまりが あります。点は、こうした きまりを つうじて はたらく ものと して あつかわれます[3]。

これは 研究者の かいせつで、ぜんぶの 証明しょうめいを しらべた けっかでは ありません。それでも、ことばで せつめいした ぶぶんが、そのまま 道具に ならない ことも ある、と わかります。

もし 点の 意味を、ことばで きめなく ても いいのなら、どうなるのでしょう。

数学者ジョイスの解説によると、定義1の「部分をもたない」という説明は、『原論』の公理の体系のなかでは、実際には使われません[3]。これは全部の証明を数えた結果ではなく、解説者の指摘です。

それでも、『原論』は点を使って進んでいきます。点の意味を支えているのは、たとえば公準1「任意の2点を結ぶ直線が引ける」といった、点どうしの関係を決めたきまりです[3]。

つまり、点は「どういうものか」をことばで言い切るよりも、「どんな関係があるか」で働いていた、と読めます。この見方を、はっきり主役にした人がいます。

ジョイスの解説は、定義1の「部分をもたない」という記述が、『原論』の公理系の叙述のなかでは実際には用いられない、と指摘する。これは解説者の指摘であり、全証明を調べた結果ではない[3]。

では、点の意味は何が支えているのか。公準1「任意の2点を結ぶ直線が引ける」などが、点の性質を操作の形で決めている[3]。そのため、定義1は証明の道具というより、点という言葉で何を指したいのかを読者にしめす、導入の役割をもっていたと読める。

言いかえれば、点は「中身」ではなく「他との関係」で働いていた。この発想を、定義そのものを手放す形まで押し進めたのが、19世紀末のヒルベルトである。

5. ヒルベルトは、点を どう あつかったの?

5. ヒルベルトは、点が何かを決めずに数学を組み立てた

5. ヒルベルトの無定義用語 ── 「愛・法・煙突掃除人」の手紙

ヒルベルトは、1899年に 図形の 本を 書きました。そこでは、点や 直線や 平面を、「これは ○○ です」と せつめい しません。かわりに、点や 直線の あいだで なりたつ かんけいを、きまり(公理)で きめます[4][7]。

この 年の 12月、ヒルベルトは フレーゲという 学者に 手紙を 書きました。点を 「あい・ほう・えんとつそうじの 人」の ような ものに おきかえても、きまりが そのまま あてはまるなら、定理ていりも あてはまる、という はなしです。フレーゲは、この 考えに 「ちがうと 思う」と 言いました[5]。

また、友だちの ブルーメンタールの 思い出ばなしとして、「点・直線・平面の かわりに、つくえ・いす・ビールジョッキと 言えなければ いけない」と ヒルベルトが 言った、と つたえられて います。ただし これは 人づての はなしで、本には のって いません[6]。

点が 何でも いいなんて、それで 数学に なるのでしょうか。

ヒルベルトは1899年の『幾何学の基礎』で、点・直線・平面を定義しませんでした。かわりに、それらのあいだにどんな関係が成り立つかを、公理として並べます。点そのものの意味を先に決めず、点などの対象のあいだに成り立つ関係を公理で定めるのです[4][7]。

同じ年の12月29日、ヒルベルトはドイツの論理学者フレーゲへの手紙に、こう書いたとされます。点を「愛・法・煙突掃除人」のような任意のものの集まりに置きかえても、公理がそのまま成り立つなら、そこから導かれる定理も成り立つ、と。フレーゲはこの考えに異議を唱えました[5]。

もうひとつ有名な話があります。ヒルベルトは、友人のブルーメンタールによれば、点・直線・平面の代わりに、机・いす・ビールジョッキと言えなければならない、と語ったそうです。ただ、これは友人の回想にもとづく伝聞で、『幾何学の基礎』自体には載っていません[6]。

点を「何でもよい」としてしまって、数学として成り立つのでしょうか。成り立つとすれば、何が点を点にしているのでしょうか。

ヒルベルトは『幾何学の基礎』(1899)で、点・直線・平面を定義せず、点そのものの意味を先に定義しないまま、点などの対象の間に成り立つ関係を公理で定めた。日本語のWikibooksも、公理は点・直線・平面の関係を決めるものだと説明する[4][7]。これを無定義用語という。

この立場を最も鮮やかに示すのが、1899年12月29日付のフレーゲ宛の手紙である。ヒルベルトは、点を「愛・法・煙突掃除人」のような任意のものの体系に置きかえても、公理が成り立てば定理も成り立つ、と書いた。フレーゲ(ドイツの論理学者・数学者)は、この考えに異議を唱えた[5]。

有名な「机・いす・ビールジョッキ」の言いかえは、友人ブルーメンタールの回想にもとづく伝聞である。ヒルベルト本人の著作の言葉ではなく、『幾何学の基礎』にも載っていない。「語ったと伝えられる」と書くのが正確だ[6]。

点が何でもよいなら、数学は成り立たないのか。ヒルベルトの答えは、公理が成り立つかぎり、何に置きかえても同じ定理が成り立つ、というものだった。点の「中身」ではなく、公理が決める「関係」が数学の骨組みになっている。

6. 今の 数学では、点は どんな ものを いうの?

6. 今の数学で、「点」はどこまで広がったのか

6. 集合の元としての点 ── 座標・距離空間・点なし幾何

数学では、「空間」を あつまり(集合)と して 考え、その なかの 1つ1つを 点と よぶ ことが あります[8]。

ふつうの 平面では、点を 2つの 数の くみ(x, y)で あらわします。立体の 空間なら 3つの 数(x, y, z)です[9]。数が、点の 場所を しめす ことばに なった わけです。

じつは、点から はじめない 「点なし」の 数学も、今は あります[9]。

点の せつめいは、時代と ともに かわって きました。

数学では、空間を集合として考え、その中の要素を点として扱うことがあります。距離空間や位相空間、射影空間などでも、そう呼ばれます[8]。

身近な使い方では、平面の点は2つの数の組(x, y)、空間の点は3つの数(x, y, z)で表せます[9]。座標は、平面や空間の点を数の組で表す、もうひとつの方法です。

点を出発点にしない「点なし幾何」という数学も、現代にはあります[9]。点が当たり前の土台ではなく、選べる出発点のひとつだということです。

鉛筆の先の丸い点から、「何でもよい要素」としての点まで。点の説明は、2000年以上のあいだに、見えるものから関係へと軸足を動かしてきました。

数学では、空間を集合と構造で扱うとき、その集合の元を「点」と呼ぶことがあり、距離空間・位相空間・射影空間などでも使われる[8]。前章の見方とつなげると、点の「中身」を問わず、関係や構造を決めてあれば、集合の元も数の組も、同じ「点」として扱える、と整理できる。

ユークリッド空間では、平面の点は(x, y)、空間の点は(x, y, z)の数の組で表せる[9]。座標という考え方は、点を数に結びつけ、点の「中身」に頼らずに位置を指す方法でもある。

さらに、点を基本要素にしない点なし位相(pointfree)などの枠組みも、現代にはある[9]。点は、空間を考えるときの出発点のひとつであって、唯一の土台ではない、という見方もできる。

ここまでの流れは、見えるもの(鉛筆の点)を、言葉(部分をもたない)で、関係(公理)で、集合の元へと、少しずつ一般化してきた歩みと読める。ただし、これは資料を読んでの整理であって、数学史の定説をまとめたものではない。

7. 点を うって、虫めがねで のぞいて みよう

7. 点を打って、のぞいて、位置だけで指してみる

7. 描いた点を観察し、位置だけを指す座標を試す

やって みよう。えんぴつで 小さな 点を うって、虫めがねで のぞきます。ふちは どうなって いますか。もっと 小さく うつと、どう かわりますか。

もうひとつ。ますの ある 紙に、「よこ 3、たて 2」の ところへ 点を うちます。数字だけで 場所が きまりましたね。まっすぐな 線は、ほかの 点とも つなげます。

ますの ある 紙では、数の くみで 場所を あらわせます。数学の 点は、大きさでは なくて、場所で 考えます。

鉛筆で、できるだけ小さな点を紙に打ち、虫眼鏡でのぞいてみましょう。ふちはどうなっていますか。小さく打とうとするほど、打ちにくくなるのはなぜでしょうか。紙の上の点は、どこまで小さくしても、大きさがあります。

もうひとつ、方眼紙を使います。「右へ3、上へ2」のところに印をつけてください。数だけで場所が決まります。方眼紙では数の組で位置を表せます。数学の点は、大きさではなく位置で考えます。

もっと知りたいときは、ヒースの注釈書(出典の[2])を、訳書や図書館の資料で探してみると、ユークリッドの原文がどんな言葉づかいだったかが分かります。

身近な観察から確かめられる。鉛筆で打った点を虫眼鏡で見て、ふちの形や大きさを調べる。次に、方眼紙に「右へ3、上へ2」の位置を決めて印をつける。数の組だけで位置が決まり、印の大きさには関係しない。これが「大きさのない点」の使い方の一例である。

原典に当たるには、ヒースの注釈(出典[2])が定義1の議論を詳しく載せている。ジョイスのウェブ版『原論』(出典[3])は、本文と注を通じて読める。ヒルベルトの手紙とブルーメンタールの回想は、出典[5][6]から、どこまでが記録で、どこからが伝聞かを自分で確かめられる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文の[n]は、下の番号の出典に対応します。

  1. Wikijunior 算数の図形/点(日本語Wikibooks) https://ja.wikibooks.org/wiki/Wikijunior:算数の図形/点 (数学の点と紙に描く点のちがい)
  2. Heath, The Thirteen Books of Euclid's Elements, 定義1の注釈 https://www.maths.tcd.ie/~dwilkins/Euclid/ (ユークリッドの定義、それ以前の定義、語の変化)
  3. Joyce, Euclid's Elements Book I, Definition 1 https://mathcs.clarku.edu/~djoyce/elements/bookI/defI1.html (定義1が証明で使われないという解説)
  4. Stanford Encyclopedia of Philosophy, 19th Century Geometry https://plato.stanford.edu/entries/geometry-19th/ (ヒルベルト『幾何学の基礎』)
  5. Stanford Encyclopedia of Philosophy, The Frege-Hilbert Controversy https://plato.stanford.edu/entries/frege-hilbert/ (フレーゲ宛の手紙)
  6. FOM mailing list, alleged Hilbert quote https://cs.nyu.edu/pipermail/fom/2005-May/008924.html (「机・いす・ビールジョッキ」が回想にもとづく伝聞であること)
  7. 日本語Wikibooks 幾何学基礎論/公理 https://ja.wikibooks.org/wiki/幾何学基礎論/公理 (公理は関係だけを決めるという説明)
  8. Wikipedia 点 (数学) https://ja.wikipedia.org/wiki/点_(数学) (集合の元としての点)
  9. Wikipedia: Point (geometry) https://en.wikipedia.org/wiki/Point_(geometry) (0次元、座標、点なし空間)

なおした ところ

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