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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

あかい いわの なかに、うみの ちいさな いきものの あとが ある?

赤い岩の数センチは平均約2万年ぶん? 海の微小な生きものの殻が、地層の年代を決めるものさしになるまで

チャートの1層が平均約2万年にあたる例:放散虫ほうさんちゅうの殻は、どう岩になり、なぜ年代決定と日本列島の理解を変えたのか

分野:自然

あかくて かたい いわを、ルーペで よく みると、すきとおった ちいさな 点が たくさん ならんでいる ことが あります。1つは 0.1mmほど。放散虫ほうさんちゅうという うみの いきものの 殻からの あとです。

この いわの あつさの かわりかたが、ちきゅうの うごきに かんけいする ながい しゅうきと かさなっていた れいも あります。どうして ちいさな 殻からが、かたい いわに なるのでしょう。この メモでは、いわが できる わけと、殻からの かたちが 地層ちそうの ふるさを しらべる ものさしに なった わけが わかります。

道ばたや川原で見つかる赤くてかたい岩の中に、0.1mmほどの透き通った点が並んでいることがあります。海にすむ放散虫ほうさんちゅうの殻の化石です。岐阜県・愛知県のチャートという岩では、厚さ数センチの1層が平均して約2万年分にあたると推定されました。

しかも、層の厚さの変わり方が、地球の軌道などに関わる長い周期と同期していたと報告されています。岩の中に、天文学的な時計があるように見える例です。

顕微鏡でやっと見える生きものの殻が、どうして岩になったのでしょうか。そしてその殻が、どうして日本列島の成り立ちを読みとく手がかりになったのでしょうか。この記事では、岩ができる流れと、殻の形が年代のものさしになる理由が分かります。

赤いチャートの断面をルーペで見ると、赤い地の中に、0.1〜0.5mmほどの暗く透き通った点が多数見える。放散虫ほうさんちゅうの化石である[1]。岐阜県・愛知県のチャートでは、厚さ数センチの1層が平均して約2万年分にあたると推定されている[3]。

顕微鏡サイズの殻が、なぜ硬い岩になるのか。なぜその殻が年代決定の道具になり、日本列島の地層の見方まで変えたのか。この記事では、岩の成因、2万年という推定の根拠と限界、1970年代の方法の進歩が地層の年代観をどう動かしたかが分かる。

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1. あかい いわを ルーペで みると、なにが みえる?

1. 赤い岩にルーペを当てると、何が見えるのか

1. 赤いチャートの断面に見える「点」は何か:放散虫という生きもの

うちの ちかくの かわらや こうえんに、あかくて つるっと かたい いしが ある ことが あります。虫眼鏡むしめがねや ルーペで、きれいな わった めんを みて みましょう。

あかい じめんの 中に、くらく すきとおった 点が たくさん ならんでいる ことが あります。1つの おおきさは 0.1mmから 0.5mmくらいです[1]。

この 点は、放散虫ほうさんちゅうの 殻からの 化石かせきです。放散虫ほうさんちゅうは、うみに すむ 1つの さいぼうだけの いきものです。からだは 0.1mmから 1mmくらいで、殻からは ガラスと おなじ なかまの ざいりょうで できています。殻からの すきまから、ほそい 手のような ものを だして、えさを とると いわれます[1]。

しらべた ひとに よって 大きさの すうじが ちがうので、「0.1mmくらい」と おぼえて おけば だいじょうぶです[4]。

石材店の店先や川原、公園の石積みなどで、赤くてかたくて、ざらつきの少ない石を見かけることがあります。その断面をルーペでのぞくと、赤い地の中に、暗く透き通った点が数多く見えることがあります。大きさは0.1〜0.5mmほどです[1]。

この点が放散虫ほうさんちゅうの殻の化石です。放散虫は海にすむ単細胞の動物プランクトンで、体長はおよそ0.1〜1mmです。殻(骨格)は主にケイ酸(SiO2)でできていて、ガラスに近い材料です。殻から、アメーバのように伸び縮みする細い触手を出して餌をとります[1]。

大きさは資料によって幅があります。ある博物館の報告は40〜400マイクロメートルとしていて、ほぼ0.04〜0.4mmです[4]。測り方や種類のちがいによるとみられるので、この記事では「0.1mm前後」とだけ書きます。

放散虫はカンブリア紀(約5億年前より昔)から現在まで生き続け、今も海に1000種類以上いるといわれます[1][4]。生きているのに、なぜ岩の中に殻が閉じこめられているのでしょうか。

赤いチャートの断面に見える暗く透き通った点(0.1〜0.5mm程度)が放散虫の殻の化石であり、層状チャートでは、数センチのケイ質の部分と、薄いフィルム状の泥質の部分が交互に重なる[1]。ただし、層状チャートがすべて赤いわけではない。この記事で見るのは、岐阜県・愛知県などの例を中心にした話である。

放散虫は海にすむ単細胞の動物プランクトンで、体長はおよそ0.1〜1mm。殻は主にケイ酸(SiO2)に富み、殻の隙間から出すアメーバ状の触手で餌をとる。カンブリア紀から現在まで5億年以上生き続けてきた[1]。大きさの数字には幅がある。群馬県立自然史博物館の研究報告では、先行研究をもとに40〜400マイクロメートルとしている。現在も1000種類以上が海にいるとされる[4]。

ここで1つ疑問が出る。生きている海の生きものの殻が、なぜ硬い岩の中に並ぶのか。次の章でその道すじを見る。

2. ちいさな 殻からが、どうして かたい いわに なったの?

2. 海の底に降りつもった殻は、どうして硬い岩になったのか

2. 陸から遠い海の底で、殻はどのようにチャートの材料になったのか

きまった 答えは 1つでは ありません。ここでは、岐阜ぎふ県と愛知あいち県の チャートの 研究を つかって、わかっている ことを 書きます[3]。

この ちほうの チャートは、いまから 2おく 5000万ねん まえから 1おく 8000万ねん まえの あいだに できました。そのころの うみに、ガラスの 殻からを もつ 放散虫ほうさんちゅうが たくさん いて、しんだ あとに しずんで チャートに なったと 考えられています[3]。

チャートは、りくから とおい うみで たまった もの(えんようせいの ちんせきぶつ)と して あつかわれます。りくの すなや どろは、そこまで とどきません[2]。

とおい うみの 底そこに しずんだ ちいさな 殻からが、チャートの ざいりょうに なったと せつめいされています[3]。ただし、チャートが ぜんぶ 放散虫ほうさんちゅうから できたとは かぎりません。

岐阜県・愛知県のチャートは、今から約2億5000万年前〜1億8000万年前の中生代前半にできた岩です。静岡大学の池田昌之助教らの研究では、ガラス質の殻をもつ放散虫が当時の海に多くいて、死んで沈んだ殻がチャートになったと説明されています[3]。

日本の付加体(あとで出てきます)に含まれるチャートや珪質頁岩は、陸から遠い海(遠洋)の堆積物とされています。海洋プレートの上で、緑色岩や石灰岩とともに、陸の砂や泥が運ばれてくるより前に積もったものです[2]。岐阜県・愛知県のチャートでは、そこに積もった放散虫の殻が主な材料になった、と説明されています。

ただし、チャートのすべてが放散虫の殻からできているわけではありません。ここで紹介しているのは、岐阜県・愛知県の例です[3]。

では、殻が積もっていった速さは、どれくらいだったのでしょうか。ここに、今回いちばん驚いたことがあります。

岐阜県・愛知県のチャートは、約2億5000万年前〜1億8000万年前(中生代前半)の海で堆積した。静岡大学の池田昌之助教らの研究によると、ガラス質の骨格をもつ放散虫が当時の海に多く、死んで沈んだ殻が固まってチャートになった[3]。

では、なぜ陸から離れた海底の堆積物なのか。日本の付加体に含まれるチャート・珪質頁岩は、遠洋性堆積物として扱われる。海洋プレートの上で、緑色岩・石灰岩とともに、陸起源の砂や泥の供給が及ぶより前に積もった層である[2]。岐阜県・愛知県のチャートでは、そうした海で沈んだガラス質の殻が材料の中心になったと説明されている。

もう1つ注意したい。チャートがすべて放散虫由来とは限らない。ここで述べたのは、岐阜県・愛知県のチャートについての研究である[3]。

3. 1まいの うすい そうが、2万ねんぶん?

3. 厚さ数センチの1層は、どうして約2万年分と分かったのか

3. 厚さ数センチの1層が約2万年にあたるという推定は、どこまで確かか

この チャートの 岩は、あつさ 数センチの いたが、なんまいも かさなって できています[3]。

そして、この いたの 1まいは、へいきんで およそ 2万ねんぶんだと すいていされました[3]。

どう やって もとめたのでしょう。放散虫ほうさんちゅうの すがたが かわって いく はやさなどを もとに、けんきゅうしゃが 計算したそうです[3]。

2万ねんは、とても ながいです。たとえば 1まいの あつさが 3cmだと して、1000ねんで どれくらいか 計算して みると、1.5mmです。じてんしゃの タイヤの あとの ような うすさです。まるで ゆっくり ゆっくり、ちいさな 殻からが ふりつもった すがたが うかびます。

ただし、2万ねんは「すいてい」です。どの 1まいも おなじ あつさ、というわけでは ありません。

池田昌之助教らは、岐阜県・愛知県のチャートで、厚さ数センチの層1枚が平均して約2万年にあたると推定しました。放散虫の殻の形が時代とともに変わっていく速さなどをもとにした見積もりです[3]。

層の厚さは一定ではなく、その変化が2万年・10万年・40万年などの周期と同期していたとされます。これは、地球の自転軸の傾きや軌道の形が周期的に変わることで気候が変わる、という天文学的な周期(ミランコビッチ・サイクル)として知られているものです[3]。この「同期」という点が、岩の中に天文学的な時計があるように見える理由です。

数字を実感に変えてみます。仮に1層が3cmで2万年なら、1000年あたりは3cm÷20=1.5mmです。1mmのシャープペンの芯より少し太い厚さが、1000年かかって積もる計算です。これは割り算の目安で、実際には層ごとに厚さが違うので、どの層もこの値になるわけではありません。

2万年は直接測った年数ではなく、複数の手がかりから推定した値です。ですからこの記事でも、「約2万年と推定された」と書き、断定しません。

ところで、放散虫の殻の形が時代で変わる、という性質は、地層の年代を決めるのにも使えそうです。実際に、そうなりました。

池田らは、厚さ数センチの層の重なりからなる岐阜県・愛知県のチャートについて、放散虫が進化して姿を変える速さなどをもとに、1層が平均して約2万年にあたると推定した[3]。さらに層の厚さの変化は、2万年、10万年、40万年といった天文学的周期(ミランコビッチ・サイクル)と同期していたと報告されている[3]。地球の自転軸の傾きなどの周期的な変化が気候を通じて堆積の量に影響した、という解釈で、ここでは「同期している」という観察の部分を重く見たい。因果までは、記事の資料では断定されていない。

数値の確からしさにも限度がある。「約2万年」はあくまで推定で、層の厚さは一定ではなく、どの層も一律にあたるわけではない。また、数cmを2万年で割ると、1000年あたり1〜数mmの堆積という計算になる。仮に3cmなら1.5mmで、これは筆者の概算である。「ゆっくり積もる」目安として読むべきで、実測した堆積速度の値ではない[3]。

この推定は、放散虫の殻の形が時代で変わることに頼っている。この性質は年代決定にも使える。次の章で、その道具がどうやって作られたかを見る。

4. 殻からの かたちで、いわの としが わかるの?

4. 岩を砕かずに、どうやって殻を取り出し、時代を決めたのか

4. 1970年代の方法の進歩が、放散虫化石を年代決定の標準的な道具にした

放散虫ほうさんちゅうの 殻からの かたちは、じだいに よって、大きく かわります。それで、ある かたちの 殻からが みつかれば、その いわが できた じだいを しぼれます。このような 化石かせきを しじゅんかせきと いいます[1]。

でも、チャートは かたいので、中の 殻からを そのまま 見るのは むずかしいです。1970ねんだいに、チャートや けつがんから 放散虫ほうさんちゅうの 化石かせきを とりだす ほうほうが できました。とりだした 殻からは、とくべつな けんびきょうで くわしく しらべられるように なりました[1]。

とりだす ときには、きけんな くすりが つかわれます。だから、おうちで まねを しては いけません。しらべる ひとは、そうした しせつで、あんぜんに はたらきます。

岩の中の殻は、そのままではよく見えません。1970年代に、チャートや頁岩から、フッ化水素酸という薬品を使って放散虫の化石を取り出す方法が確立しました。さらに走査型電子顕微鏡が広まって、殻の細かい形まで観察できるようになりました[1]。フッ化水素酸は危険な薬品なので、専門の設備でしか扱えません。家庭で試してはいけません。

放散虫の殻の形は、時代によって大きく変わります。そのため、ある形の殻が出てくれば、その地層の年代を絞れる「示準化石」として使えます[1]。5億年以上続いてきた生きものなので、時代ごとに形が変わった殻が、長い年表のしるしになります。

地層の年代を決める方法は、それまで限られていました。1970年ごろまで、日本の中生代・古生代の地層の年代は、石灰岩に含まれる紡錘虫やサンゴの化石がほぼ唯一の手がかりでした[2]。石灰岩が無い場所の年代は、決めにくかったことになります。

岩の中の殻は、そのままでは観察しにくい。1970年代に、チャートや頁岩からフッ化水素酸を使って放散虫化石を取り出す方法が確立し、走査型電子顕微鏡の普及で、殻の細部まで観察できるようになった[1]。フッ化水素酸は危険な薬品であり、専門の設備で扱う。そのため、この方法は家庭や学校では行えない。

放散虫の殻の形は、時代によって大きく変わる。この性質ゆえに、放散虫は示準化石として年代決定に有効である[1]。では、それまで日本の古い地層の年代はどう決めていたのか。1970年ごろまで、中生代・古生代の地層の年代決定は、石灰岩に含まれる紡錘虫やサンゴなどの化石がほぼ唯一の手がかりだった[2]。石灰岩を含まない地層は年代が決めにくく、チャートや泥岩に含まれる微小な化石を使えるかどうかが、決定的な差になる。

ここで、「道具が変わると見え方が変わる」ことが起こった。次の章で、その結果を見る。

5. ふるいと おもわれた 地層ちそうから、あたらしい 化石かせきが でてきた

5. 古いはずの地層から新しい化石が出て、日本列島の見方が変わった

5. 古生代と考えられた地層から中生代の化石が相次ぎ、付加体という見方が育った

放散虫ほうさんちゅうの 化石かせきで 年代ねんだいが わかるように なると、おどろく ことが おきました。むかしは、とても ふるい じだい(こせいだい)の 地層ちそうと 思われていた ところから、それより あたらしい じだい(ちゅうせいだい)の 化石かせきが つぎつぎに でてきたのです[2]。

そして、日本の じめんを つくる 地層ちそうの おおくは、ふかたいと いう ものだと わかりました。ふかたいは、うみの プレートが りくの プレートの したに もぐりこむ ときに、うみの そこに たまっていた ものが、りくがわに くっついて できた、ふくざつな 地層ちそうです[1]。

つまり、日本の やまの 中の チャートは、むかし とおい うみで ふった 殻からが、プレートに はこばれて きた ものかも しれません。

放散虫やコノドントの化石でチャートや泥岩の時代が決められるようになると、それまで古生界(古生代の地層)と考えられていた地層から、中生代を示す化石が相次いで見つかりました[2]。古い地層が、実は新しかったのです。

日本列島を構成する地層の多くは「付加体(付加コンプレックス)」からできています[1]。付加体は、海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込むとき、海洋プレートの上の堆積物が大陸側にはぎ取られて、くっついてできた、複雑な構造の地層です[1]。チャートは、その中で遠洋性の堆積物として含まれています[2]。付加体の研究は、放散虫化石の研究を土台に急速に発展したと紹介されています[1]。

つまり、山の中のチャートは、遠い昔に遠い海の底で積もった殻が、プレートの動きで日本にくっついた岩かもしれません。0.1mmの殻の化石が、日本列島のでき方を読みとく地図の「年代の目盛り」になったのです。

放散虫やコノドントの化石で、チャートや泥質岩の年代を決められるようになった結果、従来古生界と考えられてきた地層から中生代の化石が相次いで見つかった[2]。地層を単に古い・新しいで並べる作業が、一つひとつの岩の「いつ、どこで積もったか」を問う作業に変わったことになる。

このとき、日本列島を構成する地層の多くが付加体(付加コンプレックス)であると分かってきた[1]。付加体は、海洋プレートが大陸プレートの下に沈み込むときに、海洋プレート上の堆積物が大陸プレートの海側にくっついてできた複雑な地層である。チャートや珪質頁岩は、その中の遠洋性堆積物として含まれる[2]。付加コンプレックスの研究は、放散虫化石の研究を土台に急速に発展した[1]。

放散虫の殻が時代で形を変えること、その形で年代が決められること、付加体の中にチャートが含まれることは、公的機関の解説に書かれている[1][2]。一方、「1層が平均約2万年」は岐阜県・愛知県のチャートでの推定である[3]。放散虫の化石は、離れた海でできた岩がいつ日本列島に加わったかを調べる手がかりになった。

6. ちかくの あかい いしを、ルーペで みて みよう

6. 近くのチャートを探す道すじと、続きの調べ方

6. 実物と資料に当たる:チャートの露頭と、公的機関の解説

やって みよう:はくぶつかんの いわの てんじや、いしを ならべた こうえんで、あかや はいいろの かたい いしを さがして みましょう。ルーペを あてて、点が ならんで いるか みて みます。

ただし、どの いしにも ほうさんちゅうが みえる わけでは ありません。ひろった いしを もちかえって よい ばしょかは、かならず おとなに きいてください。かわらでは、あしもとと みずに ちゅういしましょう。

みえなくても だいじょうぶです。この いしが、とおい うみの 底そこで できた かも しれないと 考えるだけで、いつもの けしきが すこし ちがって みえてきます。

公式の資料から確かめることもできます。京都府の資料には、亀岡市の層状チャートの露頭(地層が地表に出ている場所)が載っています。そこでは、三畳紀の初めごろの放散虫化石が確認されたと書かれています[5]。

やってみるなら、博物館の岩石展示や、石材を使った公園の石積みなどで、赤くてかたい石を探してみてください。ルーペを当てて、透き通った点が並んでいるかどうかを見てみます。見えるとは限りません。採集してよい場所かどうかは、必ず管理している人や大人に確かめてください。川原では、足もとと水に気をつけます。

見るときは、ルーペを石に近づけて、ゆっくり動かします。点の大きさを、ものさしで想像してみるのもよいでしょう。0.1mmは、髪の毛の太さと同じくらいです。

やってみるなら、博物館の岩石展示や石材を使った公園の石積みで、赤くてかたい石にルーペを当てて、透き通った点が並ぶか見てみるとよい。見えるとは限らず、採集してよい場所かは管理者や大人に確かめる。

資料で確かめるなら、京都府レッドデータブックの「亀岡市東別院町南掛の層状チャート」の項目が手がかりになる。層状チャートは丹波―美濃―足尾帯の付加体の中にブロック状、レンズ状に産出し、放散虫化石を含む。亀岡市の露頭では、三畳紀古世(Spathian)の放散虫が確認されている[5]。

解説記事に進むなら、産業技術総合研究所の「地質ニュース」の2本がよい。514号は、放散虫の標本の解説と、赤いチャートの見方が分かる[1]。482号は、放散虫の化石で地質図を作る過程と、年代決定の変化が分かる[2]。池田昌之助教らの研究を紹介する記事は[3]で読める。

次の問いも残る。層状チャートの厚い層と薄い層がなぜ交互に重なるのかは、資料ごとに説明が異なる。厚い層と薄い層が交互に重なる理由も、チャートを調べる次の問いになる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文の事実は、産業技術総合研究所(地質調査総合センター)、科学技術振興機構、群馬県立自然史博物館、京都府の資料にもとづきます。

  1. 地質ニュース514号(地質標本館展示解説) https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/97_06_02.pdf (放散虫の大きさ・殻・赤いチャートの見え方・年代決定・付加体)
  2. 地質ニュース482号 栗本史雄「放散虫生層序と5万分の1地質図幅」 https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/94_10_03.pdf (遠洋性堆積物・1970年ごろまでの年代決定・中生代の化石の発見)
  3. サイエンスポータル(科学技術振興機構) 静岡大学・池田昌之助教らの研究 https://scienceportal.jst.go.jp/newsflash/20170616_01/ (岐阜県・愛知県のチャートの年代・1層約2万年・天文学的周期)
  4. 群馬県立自然史博物館 研究報告(塩谷) https://www.gmnh.pref.gunma.jp/wp-content/uploads/report2019-6.pdf (放散虫の大きさの幅・種類数。高校生の報告で二次的)
  5. 京都府レッドデータブック2015「亀岡市東別院町南掛の層状チャート」 https://www.pref.kyoto.jp/kankyo/rdb/geo/db/soi0077.html (層状チャートの産出・亀岡市の露頭)

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