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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

学校の 昇降口しょうこうぐちは、どうして つくられるように なったの?

学校の昇降口はなぜあるのか ── 明治の初め、同じ場所が「土足室」「下足場」と呼ばれていた

学校の昇降口はなぜ生まれたか ── 1891年の準則と、定まらない呼び名と語源

分野:歴史・文化

明治めいじの はじめの 学校では、いまの 昇降口しょうこうぐちに あたる 場所が、学校ごとに ちがう 名前で よばれて いました。「土足室」「傘かさ履物はきもの置場おきば」「下足場」。どれも、くつを ぬいだり はいたり する 場所の 名前です[5]。

どうして 学校には、そんな 場所が あるのでしょう。この 記事を 読むと、その 場所が できた わけと、名前の ひみつ、いまの 昇降口しょうこうぐちの くふうが 分かります。

明治の初め、いまの昇降口にあたる場所は、学校ごとに別の名前で呼ばれていました。山梨県の学校では「土足室」、長野県の旧開智学校では「傘履物置場」、別の小学校では「下足場」です[5]。

では、学校はなぜ、靴を脱ぎ履きするための場所を持つようになったのでしょうか。この記事を読むと、国が置き場を備えるよう求めた経緯、「昇降口」という言葉の由来が決まっていないこと、いまの学校の設計で考えられていることが分かります。

同じ役目の場所なのに、明治の初めの学校は、山梨県では「土足室」、長野県の旧開智学校では「傘履物置場」、別の小学校では「下足場」と、それぞれ別の名で呼んでいた[5]。現在の「昇降口」という言葉は、いつ、どこから来たのか。そもそも学校は、なぜ靴を脱ぎ履きする場所を校舎に設けたのか。

この記事では、1891年の文部省令が求めた内容、「昇降口」の語が書物に現れる時期、由来をめぐる説、現在の設計指針に書かれていることが分かる。語源には諸説があり、決着していない。

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1. くつを ぬいで 上がる 学校では、くつを どこに おくの?

1. 靴を脱いで上がる学校では、靴や傘をどこに置いたのか

1. 靴を脱いで上がる校舎 ── 寺や民家を借りて始まった学校

明治めいじの はじめ、日本の 学校には、学校として たてた たてものでは ない ものが 多く ありました。寺子屋や しじゅくなどを 作りかえた ものです[3]。

1875年には、小学校の およそ 4わりに あたる 8257校が、お寺を かりて いた、と 国の ふるい 本に 書いて あります[3]。

お寺や ふつうの 家を つかった 学校では、くつを ぬいで 上がる ところが ありました。ある 調べでは、むかしに 生まれた 12人が、学校の 中では はだしか 足袋たび、ぞうりで すごした と 答えました[4]。12人の 話なので、日本じゅうが そうだった とは 言えません。

くつを ぬいで 上がる なら、ぬいだ くつや ぬれた 傘かさは、どこに おけば いいのでしょう。

学校の中で靴を脱ぐのは、昔の人にとっては特別なことではありませんでした。明治の初めの学校には、寺子屋や私塾などを改造したものが多くありました[3]。

1875年には、小学校のおよそ4割にあたる8257校が、寺院を借りて開かれていました[3]。寺や民家を使った学校では、履物を脱いで上がる例がありました。

別の研究では、1873〜75年に設立された学校で、寺院と民家の転用を合わせると7割強を占めたと報告されています。同じ報告では、戦前生まれの12人に聞き取りをしたところ、全員が校内ではだしか足袋、草履で過ごしたと答えました[4]。12人だけの聞き取りなので、全国の割合を示すものではありません。

靴を脱いで上がる学校には、脱いだ靴と、雨でぬれた傘かさを置く場所がいります。それは、国のきまりにもなりました。

学校の入口に靴の置き場が要る理由は、校舎が何でできていたかを見ると分かりやすい。明治の初めの学校には、新しく建てたものではなく、寺子屋や私塾などを転用したものが多かった。1875年には、小学校のおよそ4割にあたる8257校が寺院を借用していた[3]。

寺や民家を使った学校では、履物を脱いで上がる例があった。日本建築学会の技術報告によれば、1873〜75年に設立された学校では、寺院と民家の転用が合わせて7割強を占めた。同じ報告では、戦前生まれの12人への聞き取りで、全員が校内をはだしか足袋・草履で過ごしたと答えている[4]。ただし12人の回答であり、全国の割合ではない。

靴を脱いで上がる以上、脱いだ履物とぬれた傘かさの置き場所は避けられない問題になる。では、国はこれにどう対応したのか。

2. くには、くつの おき場を つくるように きめたの?

2. 国は、置き場を備えるように決めていた

2. 1891年の小学校設備準則 ── 条文は「置く場所」を求め、昇降口とは書いていない

1891年、国は 小学校設備準則しょうがっこうせつびじゅんそくという きまりを 出しました。その 5つ目の 条文じょうぶんは、校舎こうしゃに、ぼうしや 傘かさ、雨の ときの 服や はきものを おく 場所を つくる ように、と 言って います[1]。

ふしぎな ことに、この 条文じょうぶんには 「昇降口しょうこうぐち」の 文字も、「下駄箱げたばこ」の 文字も ありません。国立の 公文書館は、この きまりで 下駄箱げたばこや傘立てかさたてを おく ことが 決まった、と 話して います[2]。

つまり、学校に くつや かさの おき場を 作る ことは、100年より 前に、国の きまりに なって いました。では、その 場所は いつから 「昇降口しょうこうぐち」と よばれたのでしょう。

1891(明治24)年4月8日、文部省は「小学校設備準則」を定めました。その第五条は、校舎に、生徒の帽子・傘・雨具・足駄などを置く場所を備えることを求めています[1]。

条文を読むと、「昇降口」の語も、上履きも、下駄箱の語も出てきません。決めているのは、あくまで「置く場所を備える」ことです。国立公文書館の教材は、この準則で下駄箱や傘立ての設置が決められたと説明しています[2]。条文の言葉と、後の説明の言葉に少し開きがあることは、原典に当たるとよく分かります。

この準則が、昇降口の形を細かく決めたわけではありません。ただ、靴や傘を置く場所を校舎に用意することが、国の基準に入っていたのは確かです。では「昇降口」という名前は、いつ現れたのでしょうか。

置き場の整備は、制度としては1891(明治24)年4月8日の文部省令「小学校設備準則」に現れる。第五条は、校舎が生徒の帽・傘・雨衣・足駄などを置く場所を備えることを求めている[1]。履物を脱ぐ暮らしの学校では、置き場が設備の最低限の基準に入った、という位置づけになる。

注目したいのは、条文に「昇降口」「下駄箱」の語がないことだ。国立公文書館の教材は、この準則で下駄箱や傘立ての設置が決められたと説明しているが[2]、条文そのものが求めているのは「置く場所を備える」ことである。上履きへの履き替えを定めた条文でもない。原典と解説では言葉が違うので、条文の文言と後世の説明は分けて読む必要がある。

準則は置き場を求めているが、校舎のどこに置くかまでは定めていない。では、その場所の名前はどうだったのか。

3. むかしは、同じ 場所が ばらばらの 名前だったの?

3. 土足室、傘履物置場、下足場 ── 同じ場所にいくつもの名前があった

3. 呼び名が定まらなかった時期 ── 「昇降口」の語が書物に現れるまで

いまの 昇降口しょうこうぐちに あたる 場所の 名前は、学校ごとに ちがって いました[5]。

1875年、山梨やまなしの 学校では 「土足室」。1876年、長野の むかしの 開智学校かいちがっこうでは 「傘かさ履物はきもの置場おきば」。1879年、長野の ある 小学校では 「下足場」と よばれて いました。同じ ような 役目でも、学校ごとに 言い方が ばらばらだった のです。

「昇降口しょうこうぐち」と いう 言葉が、学校の 本に 出て くる いちばん 古い ものは、1887年の ある 本だ、と される そうです。これは、ある ブログの 書き手が 調べた ことで、ほかの 本で たしかめた ものでは ありません[5]。

ところで、「昇降口しょうこうぐち」とは、そもそも どこから きた 言葉なのでしょう。

学校ごとの呼び名

個人のブログが集めた記録によると、明治の初め、いまの昇降口にあたる場所は、学校ごとに違う名で呼ばれていました。1875年の山梨県の睦沢学校では「土足室」、1876年の長野県の旧開智学校では「傘履物置場」、1879年の長野県の小学校では「下足場」です[5]。

名前を見ると、何を置く場所と考えていたかが見えてきます。「土足」と「下足」は履物、「傘履物置場」は傘と履物です。まだ「入口の空間」ではなく、「置き場」として呼ばれていた様子がうかがえます。

「昇降口」の語が見える最も古い本

同じブログは、学校教育に関係する書物で「昇降口」の語が見られる最古のものは、渡辺嘉重『改正合級教授術』(柳旦堂、1887=明治20年)としています[5]。ブログの筆者の調べによる「最古」なので、断定はできません。

では、この言葉はどこから来たのでしょうか。

1891年の準則が置き場の整備を求めたころ、その場所を何と呼ぶかは決まっていなかった。明治の初めには、山梨県の睦沢学校(1875年)で「土足室」、長野県の旧開智学校かいちがっこう(1876年)で「傘履物置場」、長野県の小学校(1879年)で「下足場」と、同じ役目の場所に学校ごとの名が付いていた[5]。名の中身が「履物」や「傘」であることからは、入口の空間というより、物を置く場所としての性格が先に立っていたことが読み取れる。

その後に現れるのが「昇降口」である。学校教育関係でこの語が見られる最古の書物は、渡辺嘉重『改正合級教授術』(柳旦堂、1887=明治20年)とされる[5]。ただし「最古」は、個人ブログの筆者が調べた範囲の話である。

では、この語はもともと何を指していたのか。

4. 「昇降口しょうこうぐち」は、船の 言葉から きたの?

4. 「昇降口」という言葉は、船の言葉から来たのか

4. 「昇降口」の語源 ── 船のハッチ説と、定まらない由来

1つの 考えでは、「昇降口しょうこうぐち」は、船の 言葉から きて います。船の 甲板かんぱんと 船の 中を つなぐ 出入口を、外国の 言葉で 「ハッチ」と いいます。その 言いかえとして、明治めいじの すこし 前から 使われ はじめたのでは、と いう 考えです[5]。

ただし、ブログの 書き手も、この 考えの 出どころは はっきりしない、と 書いて います。ほかに、「学校を 一だん 高い ところと 見て、のぼりおりと 言った」と いう 書き手の 自分の 考えも あげて います[5]。

辞書じしょには、学校の 靴くつを はきかえる 出入口と、船や ひこうきの のりおり用の ハッチの 両方の 意味が のって います[6]。でも、どちらの 意味が 先かは、この 辞書じしょからは 分かりません。「昇降口しょうこうぐち」の 由来は、まだ 決まって いません。

「昇降口」は、文字通りには「昇り降りする口」です。この言葉の由来については、いくつかの考えがあります。

ひとつは、船舶用語の英語hatch(ハッチ)の訳語だという説です。ブログの筆者は、幕末から明治初期に船の知識から新しく作られた言葉だろうと述べますが、典拠は不明とも書いています[5]。もうひとつは、同じ筆者の自説で、学校を一段高い所と見て「昇り降り」と呼んだのではないかという考えです[5]。

辞典を見ると、学校の履物を履き替える出入口という意味に加えて、船や飛行機の乗り降り用のハッチの意味も載っています[6]。学校の意味と船の意味が同じ言葉に同居していることは確かですが、どちらが先なのかまでは資料から言えません。

由来は定まっていません。それでも名前が確かなものになった後、昇降口は、毎日たくさんの子どもが通る場所として設計の対象になっていきます。

「昇降口」の字面は「昇り降りする口」だが、語源は定まっていない。よく挙げられる説は、船舶用語である英語hatchの訳語、つまり甲板と船内をつなぐ艙口(そうこう)の訳として、幕末から明治初期に船の知識から生み出された、というものだ[5]。

ところが、この説を挙げたブログの筆者自身が、典拠は不明だと述べている。さらに筆者は、「学校を一段高い所と見て昇り降りと呼んだ」という自説も挙げており、1つの説に決まる状況ではない[5]。しかも資料は、このブログ1件にほぼ限られる。

辞典(TKG日英辞典)は、「昇降口」を、とくに学校の靴を履き替える出入口と説明し、船や飛行機の乗降用のハッチの意味も載せる[6]。両方の意味が1語に載っているのは事実だが、船の用法から学校の用法が生まれた、という因果までは、この辞典は述べていない。したがって語源は「説がある」にとどめるのが妥当である。

名前の由来が曖昧でも、場所そのものは、使う人の数が増えるほど設計の問題になっていく。では、今の学校はそれをどう考えているのか。

5. はきかえて いるのに、ろうかが よごれるのは なぜ?

5. 履き替えても校内が汚れたのはなぜか ── 下足入れの前で起きていたこと

5. 「履き替えているのに汚れる」問題 ── 1950年代の研究と、線で分ける設計

1950年代、学校の 作り方を 研究する 人たちは、「はきかえて いるのに、学校の 中が よごれる」わけを 調べました。げたばこの 前で、上ばきの 人と 外ぐつの 人が まざって しまう ことが、1つの わけと されました[7]。

そこで 出された かんがえが、ゆかに 線を 引いて、上ばきの ところと 外ぐつの ところを 分ける 「線はきかえ」です。いまは ふつうの 計画だ と されて います[7]。

国の 小学校施設整備指針しょうがっこうしせつせいびししんも、昇降口しょうこうぐちは、朝と 帰りの 人数に 合う 広さに して、上ばきと 外ぐつの 通り道が 交わらず、運動場へ 出やすい 場所に おく ことが 大切だ、と して います[8]。

でも、昇降口しょうこうぐちは、くつを はきかえる ためだけの 場所でしょうか。

1950年代の建築計画の研究は、「履き替えているのに校内が汚れる」原因を調べました。当時の履き替えは、下足入れの前で上履きと下履きが混ざることを許していて、それが汚れの一因とされました[7]。道路の舗装が進んでいなかったことが背景にあるとも説明されています。

対策として提案されたのが、床に線を引いて上足と下足のゾーンを分ける「線はきかえ」です。履き替えが混雑なく進むには、その線の長さを十分に確保することが大切だと同じ解説は述べます。いまは一般的な計画とされています[7]。ただし、この解説は教育環境を扱う企業の研究所のものです。

国の「小学校施設整備指針」(令和4年6月)の概要には、昇降口は始業時と終業時の利用人数に見合う規模にすること、上履きと下履きの動線が交差しないこと、校舎の周りを迂回せずに運動場へ出やすい位置に置くことが重要だとあります[8]。指針の本文の細かい言い回しまでは確認していないので、「重要とされる」と書くにとどめます。

履き替える場所の設計は分かりました。では、昇降口に求められているのは、混雑をさばくことだけでしょうか。

置き場が整い、名前が定着した後で問題になったのは、「履き替えているのに汚れる」ことだった。1950年代の建築計画研究は、その原因を調べ、下足入れの前で上履きと下履きが混在する構造にあると指摘した[7]。背景には、当時は舗装されていない道路が多かったことがあるとされる。

そこで考え出されたのが、床に線を引いて上足と下足の領域を分ける「線はきかえ」である。混雑せずに履き替えるには、その線の長さを十分に取ることが重要だとされ、現在では一般的な計画だという[7]。なお、これは教育環境を扱う企業の研究所の解説であり、中立の研究報告ではない点を踏まえて読みたい。

国の側でも、文部科学省の「小学校施設整備指針」(令和4年6月)は、昇降口を始業時・終業時の利用人数に見合う規模にし、上履きと下履きの動線が交差せず、校舎の周囲を迂回せずに運動場へ出やすい位置に置くことが重要だとしている。ただし、この記述は指針の要約を確認したものであり、条文の言い回しそのものではない[8]。

動線と広さの話は、混雑をどう減らすかという課題だった。だが昇降口は、機能だけの場所なのだろうか。

6. いまの 昇降口しょうこうぐちは、どんな 場所に なって いるの?

6. 昇降口は、朝の混雑をさばき、子どもを迎える場所

6. 昇降口に求められること ── 朝の迎え方と、上履きをなくす学校

くつを おく ための 場所だった 昇降口しょうこうぐちに、いまは もう ひとつの 役目が 考えられて います。教育の 場所を 研究する 会社は、昇降口しょうこうぐちを 「一日の はじまりに 子どもを むかえる 場所」と 考え、朝日の 当たる 向きに おいて、明るくて 天井てんじょうの 高い 気持ちの よい 空間に したい、と 書いて います[7]。作品や 植物しょくぶつを かざる かんがえも あります。

もう ひとつ、上ばきを つかわない 学校も 出て きました。東京都 港区では、小学校19校の うち 18校、中学校10校の うち 7校が、上ばきを やめて いる、と ニュースで 言われて います[9]。わけに、昇降口しょうこうぐちの こみあいを へらす ことや、土地が せまい ことが あげられて います。でも これは 港区の 話です。

むかしは おき場だった 昇降口しょうこうぐちが、いまは、人の 流れや 朝の 気持ちまで 考えて 作られる 場所に なって いるのです。

昇降口は、機能だけの場所ではありません。教育環境の研究所は、昇降口を「一日の始まりに子どもたちを迎え入れる場」と位置づけ、朝日の当たる向きに配置し、明るく天井の高い、気持ちのよい空間にしたいと述べています。作品の掲示や植物を置く案もあります[7]。

一方で、履き替えそのものを見直す動きもあります。東京都港区では、小学校19校中18校、中学校10校中7校が、すでに上履きを廃止していると、港区教育委員会の話として2025年2月に報じられました。理由には、昇降口の混雑の緩和や、敷地の狭さが挙がっています[9]。ただし、これは港区の例です。

置き場として始まった昇降口は、いまは、靴の置き場だけでなく、人の流れや朝の過ごしやすさも考えて設計されています。

機能面の改善が進む一方で、昇降口は「場」としても捉えられている。教育環境研究所の解説は、昇降口を一日の始まりに子どもを迎え入れる場とし、朝日の当たる向きに置いて、明るく天井の高い空間にしたいと述べ、作品の掲示や植物を置く案も挙げる[7]。置き場の確保から出発した場所に、迎える場としての役割が重ねられてきたことになる。

他方、履き替えという前提そのものを見直す例もある。2025年2月の報道によれば、東京都港区は、小学校19校中18校、中学校10校中7校が上履きを廃止していると、港区教育委員会の話として伝えられた。理由には、昇降口の混雑緩和や、敷地の狭さが挙がる[9]。ただしこれは港区の例である。

こうして見ると、準則が求めた「置く場所」は、混雑をさばく動線、朝の迎え方、履き替えの有無といった問いへ広がってきた。置き場から始まった昇降口は、動線や広さ、朝の迎え方まで考える場所になっている。

自分の 学校の 昇降口しょうこうぐちで さがして みよう

自分の学校の昇降口で、線と動きを観察する

昇降口を、実物と原典の両方で確かめる

やって みよう。先生に 相談して、できる ときに、学校の 昇降口しょうこうぐちを 安全な 場所から 見て みましょう。ゆかに 線は ありますか。人が いちばん たくさん あつまる 場所は どこですか。走ったり、立ち止まって 通る 人の じゃまを したり しないように しましょう。

おうちの げんかんも、見て みましょう。くつを ぬぐ 場所と、おく 場所は 分かれて いますか。

学校の 先生や、地いきの 年上の 人に 「むかし、昇降口しょうこうぐちは なんと よばれて いましたか」と 聞くのも、おもしろいかも しれません。

朝、昇降口の床に線やゾーンの区切りがあるか、人が集まる場所はどこか、下足入れの前で人の流れがぶつかるところはあるかを、安全な場所から眺めてみましょう。走らない、通る人の邪魔をしない、というのが前提です。

先生や地域の年上の人に、昇降口が昔なんと呼ばれていたかを聞くのも手です。呼び名が学校ごとに違っていたなら、自分の学校の呼び名も、案外ばらばらかもしれません。

原典を読むなら、文部科学省の「学制百年史」にある小学校設備準則[1]が出発点です。条文には「昇降口」も「下駄箱」も出てこないことを、自分の目で確かめられます。

観察としては、朝の昇降口で、床の線やゾーンの区切り、人の流れが交差する地点、下足入れの前の滞留を見る方法がある。走らず、通行の妨げにならない位置から行う。呼び名について、学校や地域の年長者に聞き取ることもできる。

資料を読むなら、文部科学省「学制百年史」にある小学校設備準則の第五条[1]が一次資料にあたる。国立公文書館の教材[2]と読み比べると、条文の言葉と後の説明の言葉の違いが分かる。「昇降口」の語の初出や語源は、本稿では個人ブログ1件を主な手がかりにしているため、書物そのもの(渡辺嘉重『改正合級教授術』)や別の辞典・文献に当たって確かめる余地が残っている。

現行の設計の考え方は、文部科学省の「小学校施設整備指針」の昇降口の項[8]で読める。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:文部科学省・国立公文書館の公的資料と、個人ブログ、辞典、企業の研究所の解説、報道を使った。「昇降口」の語の初出と由来は個人ブログ1件が中心で、確かな定説ではない。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。

  1. 文部科学省「学制百年史」資料(小学校設備準則)。https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1318014.htm (1891年の小学校設備準則第五条の内容について。一次資料)
  2. 国立公文書館 教材「小学校設備準則ヲ定ム」。https://www.archives.go.jp/learning/archive_collection_4/collection_4/ (準則で下駄箱・傘立ての設置が決められたという説明について)
  3. 文部科学省「学制百年史」五 学校建設。https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317687.htm (明治初年の学校が寺院などを借用した数について。一次資料)
  4. 神崎・砂本 日本建築学会技術報告集 25(61), 2019。https://www.jstage.jst.go.jp/article/aijt/25/61/25_1397/_pdf (寺院・民家の転用の割合と、12人の聞き取りについて。論文の本文は直接確認できておらず、別の記事での引用を確認した)
  5. 個人ブログ「コラム3『昇降口』とは」(小説にみる明治・大正・昭和の教育あれこれ)。https://sf63fs.hatenadiary.jp/entry/2022/03/19/112521 (呼び名の例、「昇降口」の語が見える最古の書物、語源の諸説について。個人の調べ)
  6. TKG Japanese-English Learner's Dictionary「昇降口」。https://www.tkgje.jp/entries/29500/29871_shoukouguchi.html (「昇降口」の意味について。辞典)
  7. IEE教育環境研究所「“はきかえ”を考える」。https://www.iee-net.co.jp/24791.html (履き替えの設計と、昇降口を迎える場とする考えについて。企業の研究所の解説)
  8. 文部科学省「小学校施設整備指針」第3章 第5 共通空間 1 昇降口。https://www.mext.go.jp/content/20220624-mxt_kouhou01-000023406_02.pdf (昇降口の規模と動線について。本文は直接読めず、概要を確認した)
  9. coki.jp「上履き廃止」の報道記事(2025年2月)。https://coki.jp/article/news/46371/ (港区の上履き廃止の学校数と理由について。報道)

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