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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

学校の 花だんを、国は いつ、なぜ すすめたの?

学校の花壇を、文部省はいつ、なぜ勧めたのか

学校の花壇(学校園)の出発点:1905年の通牒は何を求め、呼び名はどう変わったか

分野:歴史・文化

学校の 花だんの はじまりには、いまから 120ねんほど まえの 1まいの 文書が あると いわれます。それは、花を ながめる ためだけの ものでは ありませんでした。

では、その 文書には、なにが 書かれて いたのでしょう。この ページを 読むと、花だんの はじまりと、いまの 学校との つながりが わかります。

学校の花壇のもとをたどると、1905年に出された1通の通牒(上から下へ出す、手紙のような公文書)に行きつきます。その題名には、植物を観察するだけでなく、「品性」を育てるという言葉も入っていました。

花を育てることに、なぜ心を育てる期待が込められたのでしょうか。この記事を読むと、通牒が何を求めたのか、呼び名がどう変わったのか、いまの生活科・理科にどうつながっているのかが分かります。

日本の法令上で学校園が初めて位置づけられたのは、1905年11月に、普通・実業の両学務局が各道府県へ出した通牒だとされる[1]。しかもその題名は「自然物観察研究及品性陶冶養成ノ為」で、観察と並んで品性を育てることが掲げられていた。

それまで校庭の草木は、一般には授業の材料とは見られていなかった。では、なぜこの年に学校園が勧められ、呼び名はどう変わり、現行の学習指導要領のどこに残っているのか。このメモを読むと、その流れが分かる。

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1. 校庭の 草木は、なんの ために あったの?

1. 校庭の草木は、授業の材料ではなかった

1. 1905年より前:校庭の草木は授業の材料と見られていなかった

いまは、学校に 花だんが あるのが ふつうです。でも むかしの 学校の 校庭の 草や 木は、ちがう 目で 見られて いました[1]。

草木は、かぜを よけたり、日かげを つくったり、あそぶ 場所の まわりを かざったり する ものでした。じゅぎょうで 使う ものとは、かんがえられて いなかったのです。

じゅぎょうで 草木を 見せたい ときは、学校の 外の 植物園や、山や 野原で さがして いました。

いまとは逆の考え方

今の学校では、校庭や花壇の植物を、授業で観察することがあります。ところが1905年より前は、そういう考え方が広くありませんでした[1]。

この時期の研究では、校庭の植物は主に衛生の面から、遊び場などに付け足されるものとしてあったと整理されています。授業で見て学ぶ材料としては、一般には捉えられていなかったようです。

植物は「外」に探しに行くもの

では、授業で植物を使いたいときはどうしたのでしょうか。校外の植物園や、山や野原に求めていたのです。

学校の敷地にあった草木が、授業の道具に変わるには、きっかけが要りました。そのきっかけが、1905年に出た1通の通牒です。

今日、校庭の植物を授業で観察することは珍しくない。だが1905年以前には、そうした見方が一般的ではなかったと、田中千賀子は整理している[1]。

理由は二つ挙げられている。一つは、校舎の設計が重んじられるなかで、植物は主に衛生の観点から、遊戯場などの付属物として置かれていたこと。もう一つは、小学校の敷地内の植物が実物教授、つまり実物を見せて教える授業の材料と捉えられていなかったことである。そのため、授業で使う植物は、校外の植物園や山野に求められていた。

だとすれば、校庭の草木が「教材」になるには、見方そのものを変える働きかけが必要だったことになる。ここで問題になるのが、1905年11月に出された通牒である。では、その通牒は何を述べたのか。

2. 120ねん まえの 手紙には、なにが 書いて あったの?

2. 1905年の通牒は、世話をすることに期待していた

2. 1905年11月の通牒:観察と品性の陶冶を一つの勧めにした

1905ねんの 11月、国の 教育を うけもつ 文部省もんぶしょうの 人たちが、日本じゅうの 県に 手紙のような 文書を おくりました[1]。「つうちょう」と よばれます。

その 文書は、学校に 草花や 木を 育てる 場所を つくる ことを すすめて いました。

そこには、動物や 植物の せわを して、自然しぜんに ふれる ことは、心を 育てるのに よい、と 書かれて います。たとえば、きれいな ものを たいせつに おもう 心や、まじめに はたらく くせです[1]。

外国では もう やって いて、いい 結果けっかが 出て いる、とも ありました。花を 見る ことよりも、せわを する ことに 力が 入って いたのです。

題名に「品性」が入っていた

1905年11月、普通学務局と実業学務局が、各道府県へ通牒を出しました。題名は「学校児童生徒ノ自然物観察研究及品性陶冶養成ノ為学校園施設方」といいます[1]。日本の法令上で、学校園が初めて位置づけられたのがこの通牒だとされます。

題名にある「品性陶冶」とは、人柄や心を育てることです。観察と、心を育てること。この2つが、最初から並べられていました。

本文が期待したこと

本文は、動植物を世話させ、自然にふれさせることが、いくつかの点で有効だと述べます。高尚な趣味を育てること、品性を育てること、美しいものを感じ取る心、そして働くことを重んじる習慣です[1]。

さらに、欧米の国々ではすでに実施して良い結果を得ていること、日本でも必要が認められてきたものの、まだ設置が少ないことを挙げて、各学校に学校園をつくるよう勧めています。

なお、この文書を「訓令」と呼ぶ資料もあります[2]。呼び方は資料で分かれるので、この記事では通牒と書きます。

ただ、通牒が出たからといって、すぐに言葉や形がそろったわけではありません。「学校園」という言葉は、そもそもどこから来たのでしょうか。

1905年11月、普通・実業両学務局が各道府県へ出した通牒の題名は「学校児童生徒ノ自然物観察研究及品性陶冶養成ノ為学校園施設方」である[1]。法令上、学校園が初めて位置づけられたのはこの通牒だとされる。なお西田政善の論文は、同じ出来事を文部省の訓令として紹介しており[2]、資料によって呼称が分かれるため、本稿は通牒に統一する。

題名の「品性陶冶」は、人柄や心を鍛え育てることを指す。つまり最初から、自然物の観察研究と、品性の育成が並べて掲げられていた。本文の中心は、動植物の愛護育成に従事させ自然に接触させることが、高尚な趣味の助長、品性の陶冶、美的観念の発達、労働勤勉の習性の養成といった点で有効だ、という判断である[1]。

通牒はさらに、欧米諸国ではすでに実施して好結果を得ていること、日本でも必要が認められつつあるが設置がまだ少ないことを根拠に、各学校へ学校園の設置を勧めた。ここでの根拠は「すでに外国で効果が出ている」という事実と「日本では足りない」という現状の二つで、効果の数値は示されていない。したがって通牒は、成果の証明というより、見込みにもとづく勧めであったと読める。

では、通牒が出る前から「学校園」という言葉はあったのか。言葉と制度の関係を見てみる。

3. 「学校園」って 名前は、いつから あるの?

3. 「学校園」は、いくつものねらいが結びついた言葉

3. 「学校園」概念の成立:観察・心の育ち・農業への親しみ(田中の整理)

「学校園」という ことばは、じつは 1905ねんより まえから、外国を しょうかいする 雑誌ざっしに 出て きます[1]。

でも、学校を つくる ときの きまりの 中には ありませんでした。「学校に 作ろう」と、国が すすめる 形に したのは、1905ねんの 手紙が はじめてです。

この 学校園には、ねらいが いくつか ありました。草や 花を 見て しらべる こと。せわを して 心を 育てる こと。そして、農業に したしむ こと。ある 研究者は、この ように まとめて います。

言葉だけなら、1878年にもあった

「学校園」という言葉は、1878年の雑誌『教育新誌』の、海外を紹介する記事などに早くから見えます[1]。ただし、学校の建て方の指針には出てこず、制度として位置づけたのは1905年の通牒が最初です。

教育者の棚橋源太郎も、「学校園」の語を使うのは1905年10月の記事以降で、それ以前は「植物園」や「花園」といった言葉を使っていました。

ねらいは3つ

田中千賀子の論文は、学校園を、①自然物の観察、②作業を通じた心の育ち、③農業への親しみ、という複数のねらいが結びついた新しい概念として、この通牒をきっかけに成立したと整理しています[1]。普及には、針塚長太郎や棚橋源太郎らの著作が大きく関わったともされます。

これは1つの論文の見方で、定説と決まったものではありません。それでも、花壇の水やりが「理科」でもあり、「心の勉強」でもあったという見方は、この通牒の題名とよく重なります。

ところで、この学校園は、同じ名前で呼ばれ続けたのでしょうか。

「学校園」という語そのものは、1878年の雑誌『教育新誌』の海外紹介記事などに早くから見える。しかし、学校建築の指針には現れず、制度として位置づけたのは1905年の通牒が最初である[1]。棚橋源太郎についても、「学校園」の語を用いるのは1905年10月の記事「学校園を観る」以降で、それ以前は「植物園」「花園」などの語を使っていたという。

田中は、学校園を、①自然物の観察、②作業を通じた心の育ち(訓育)、③農業への親しみ、という複数のねらいが結びついた新しい概念として整理する。学校園は、この通牒をもって確立し、針塚長太郎『学校園』、ラインの『学校園』、棚橋源太郎『小学校に於ける学校園』の3冊を中心に普及が図られたとも述べる[1]。

この整理には限界がある。第一に、これは一つの論文の見方であり、定説として確定したものではない。第二に、通牒が出た結果として全国の学校が一斉に整備された、とまでは資料から読めない。通牒の本文自体が「設置がまだ少ない」と述べているからである。言い換えれば、1905年は「完成」ではなく「方向が示された年」とみるのが妥当だろう。

ただ、概念が複数のねらいの寄せ集めだったなら、呼び名が揺れるのも自然である。実際、名前は時代とともに変わっていく。

4. 名前は、かわったの?

4. 理科の教材園から学級園へ、そして学校園へ

4. 呼び名の変遷と、「花壇」の位置づけ

1955ねんに、ある 研究の 会が、つぎのように 書きました[2]。

学校園は、むかし 「理科きょうざいえん」と よばれて いた ことが ありました。つぎに、育てる ことを 大切に する ながれから 「学級園」と よばれる ように なりました。

やがて、理科だけの ためでは なくなったので、「学校園」と よばれる ように なった、と いうのです。

「花だん」は、この 学校園の 一部だと かんがえる 本も あります。でも、学校園と 花だんが ぴったり おなじ、とは かぎりません。

呼び名が変わった理由

1955年に初等教育研究会という団体が、学校園についてこう論じたと、西田政善の論文は紹介しています[2]。もとは「理科教材園」と呼ばれた時代がありました。それが、栽培することを重んじる流れで「学級園」と呼ばれるようになりました。さらに、理科だけのためではなくなったので「学校園」と呼ばれるようになった、というのです。

これは1つの研究会の見方を、別の論文が引いたものです。それでも、理科の資料としての畑から、学級みんなで育てる場所へ、さらに学校全体のものへと、役割が広がっていったことは、名前の変化から読み取れます。

花壇と学校園は同じか

西田の論文は、「学校園」という言葉の意味がそろっていないとも述べます。花園や学級園のように、校地の一区画に植物を育てる場所を指す狭い意味と、校地全体を指す広い意味の両方で使われるのです。花壇や農園は、学校園の一部とされることがあります[2]。

ですから、「学校園=花壇」と言い切ることはできません。この記事のタイトルにある花壇は、学校園のなかの花を育てる部分だと考えるのが自然です。

では、今の学校では、育てる学習はどこにあるのでしょうか。

呼び名の変遷について、西田政善の論文は初等教育研究会(1955年)の論を引いている。学校園はかつて理科教材園と呼ばれていた。それが学級園と呼ばれるようになったのは、栽培することを重視する流れからであり、さらに理科のみのためではなくなったので学校園と呼ばれるようになった、という[2]。

注意したいのは、これが二次引用であり、一研究会の論である点だ。したがって、すべての学校がこの順に名前を変えたと読むべきではない。ただ、「理科の教材を置く場所」から「栽培を重んじる場」、さらに「理科に限らない場」へと、役割の見方が広がった様子は、呼び名の変化から読み取れる。通牒の題名にあった観察と品性の育成、後に出る栽培重視の考え方は、この流れと矛盾しない。

花壇との関係も整理しておく。西田は、「学校園」が花園・学級園のように校地の一区画に植物を栽培するものを指す狭義と、校地全体を指す広義の両方で使われ、定義がそろっていないと述べる。花壇や農園は学校園の一部とされる用例がある[2]。ゆえに、学校園と花壇を同義とすることはできず、本稿が扱う花壇は、学校園のうち花を育てる部分と位置づけるのが妥当である。

では、100年以上を経た現在、育てる学習は教育課程のどこにあるのか。

5. いまの 学校では、育てる 勉強は どこに あるの?

5. 今の学校で、育てる学習はどこに残っているのか

5. 現行の学習指導要領:生活科・理科に残る「育てる」学習

いまの 学校では、1・2年生の 生活科で、動物を かったり、植物を 育てたり します[3]。

ねらいは、育つ ところや 大きく なる ようすに 気づく こと。そして、生きものを 大切に おもう 気もちを もつ ことです。

3年生の 理科でも、植物の 育ち方を 学びます。植物の 体が、根と、くきと、葉で できて いる ことも 知ります[4]。

ただし、決まりに 「花だんを つくりなさい」と 書いて あるわけでは ありません。花だんは、育てる 学習を する ための 場所の 一つです。

生活科:育てて、変化に気づく

現行の小学校学習指導要領(平成29年告示)の生活科(1・2年)は、動物を飼ったり植物を育てたりして、育つ場所や変化・成長の様子に関心をもつことを内容に挙げています。それらが生命をもち成長していることに気づき、生き物に親しみ、大切にすることも、ねらいに含まれます[3]。

1905年の通牒が「世話をすること」に期待したことと、今の生活科の「育てて気づく」は、よく似た方向を向いています。

理科:育ち方には順序がある

第3学年の理科では、「植物の育ち方」を扱います。植物の育ち方には一定の順序があり、体が根・茎・葉からできていることを学びます。取り扱いでは、夏に育つ一年生の双子葉植物を扱うとされています[4]。

花壇をつくる決まりはない

学習指導要領は、「花壇をつくりなさい」とは書いていません。花壇は、植物を育てる学習の場の一例として使われているのです[3]。

通牒の期待と、今の学習の内容がどれだけ重なるのかは、これだけでは決められません。ただ、自分の学校の花壇を、通牒の言葉で見直してみることはできます。

現行の小学校学習指導要領(平成29年告示)の生活科(第1・2学年)は、動物を飼ったり植物を育てたりして、それらの育つ場所や変化・成長の様子に関心をもち、それらが生命をもち成長していることに気付き、生き物への親しみをもって大切にすることを内容に挙げる[3]。理科第3学年は「植物の育ち方」で、植物の育ち方には一定の順序があること、その体が根・茎・葉からできていることを扱い、取扱いでは夏生一年生の双子葉植物を扱うと定める[4]。

ここで線引きが要る。学習指導要領は植物を育てる活動を求めるが、花壇や学校園の設置を命じてはいない。花壇は、その活動を行う場の一例にすぎない。また、1905年の通牒の「品性の陶冶」と、生活科の「生き物への親しみ」は完全に同じ内容ではなく、同じ方向を向いていると読むにとどめるのが妥当である。

ここまでの流れは、整理するとこうなる。校庭の草木は、授業の材料と見られていなかった。1905年の通牒が観察と品性の育成をまとめて勧め、学校園という概念が成立した。呼び名は理科教材園、学級園、学校園と動き、現在は生活科・理科の育てる学習に受け継がれている。ただし、これは複数の論文と指導要領の本文から組み立てた筋道であり、各学校が個別にどう花壇を作ったかまでは語らない。

では、この筋道を、自分の学校の花壇で確かめるには、何を見ればよいのか。

6. 花だんを 見る 目が かわる ひと休み

6. 花壇の前で、「見る」と「世話する」を数えてみる

6. 原典に当たる:通牒の題名と、2本の論文

つぎに 学校の 花だんや、近所の 花だんを 見る ときは、「花を 見る」だけで なく、「だれかが せわを して いるな」と 気づいて みましょう。

土が ぬれて いる ところや、草を ぬいた あとを、1つ さがして、ノートに 書きます。だれが せわを して いるのか 気に なったら、先生や 大人の 人に 聞いて みましょう。

花や 土には、むやみに ふれず、先生や 大人の 人に ことわってから 見に いきます。

学校の花壇や、近所の花壇を見る機会があれば、「見る」だけでなく「世話の跡」を探してみてください。水がまかれているか、草が抜かれているか、土がほぐされているか。1つ見つけたら、それを誰がやっているのかを、先生や近所の大人に聞いてみます。

花や土には、勝手に触らず、先生や大人に断ってから見に行きましょう。

調べるなら、田中千賀子「学校園概念の成立」(J-STAGEで公開)が出発点になります。通牒の本文が引用されており、当時の言葉づかいを見られます。

この記事の中心は、次の2つの論文に基づく。田中千賀子「学校園概念の成立―1905年学校園施設通牒をめぐって―」は、通牒の題名と本文の引用を含み、概念の成立を整理する。西田政善「学校園の改善に関する考察(第1報)」は、通牒後の調査研究の広がりと、呼び名の変遷、定義の揺れを紹介する[1][2]。どちらもJ-STAGEで公開されている。

読む際の観点を、三つ挙げる。通牒の題名にある「観察研究」と「品性陶冶養成」を、本文はどう結びつけているか。「通牒」と「訓令」という呼称の違いは、資料のどこから生じているか。そして、花壇の定義が資料によって異なる点を、自分の学校の呼び方と比べるとどうなるか。

現行の学習指導要領(生活・理科)は文部科学省のサイトで確認できる[3][4]。1905年の通牒の言葉が、どの語に受け継がれ、どの語が消えたかを探すと、育てる学習の変化がつかめる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

この記事は、次の資料をもとにしています。

  1. 田中千賀子「学校園概念の成立―1905年学校園施設通牒をめぐって―」(教育史学会『日本の教育史学』52) https://www.jstage.jst.go.jp/article/kyouikushigaku/52/0/52_KJ00005697463/_pdf (通牒の題名・本文の趣旨、通牒以前の校庭の植物、学校園の語の使われ方と概念の整理)
  2. 西田政善「学校園の改善に関する考察(第1報)」(『造園雑誌』24巻3号) https://www.jstage.jst.go.jp/article/jila1934/24/3/24_3_52/_pdf/-char/ja (1905年の訓令としての紹介、呼び名の変遷、学校園の定義)
  3. 文部科学省「小学校学習指導要領(生活)」 https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/sei.htm (生活科で動植物を育てる内容)
  4. 文部科学省「小学校学習指導要領(理科)」 https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/youryou/syo/ri.htm (第3学年「植物の育ち方」)

なおした ところ

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