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ジャングルジムは、だれが なんの ために つくったの?

学校のジャングルジムは、だれがどんな遊びのために考えたのか

学校のジャングルジムは、だれがどんな遊びのために考えたのか ── ヒントン父子と日本への導入

分野:歴史・文化

ジャングルジムの もとに なった ものは、たけで くんだ 立方体 だったと いわれます。しかも、すうがくの あそびの どうぐ でした。

それを、のぼって あそぶ ものに かえた 人が います。だれが、なんの ために かえたのでしょう。この 記事で わかります。

校庭のジャングルジムの原形は、数学者が竹で組んだ立方体の枠だったといわれます。しかも、子どもに「空間」を体で覚えさせるための道具でした。

それを、登って遊ぶ遊具に作りかえたのは、その数学者の息子でした。なぜ数学の道具が遊具になったのか、日本にはいつ来たのかが分かります。

ジャングルジムの原形は、数学者チャールズ・ハワード・ヒントンが竹で組んだ立方体の枠で、子どもに三次元の空間を体感させる遊びの道具だったとされる[1]。これを木登りの遊具に作りかえたのは、息子で弁護士のセバスチャン・ヒントンだ。

数学の道具が、なぜ登って遊ぶ遊具になったのか。それは日本へどう入ってきたのか。特許をめぐる記述と、日本への導入を論じた論文の抄録から、由来と、学校に置かれる理由として言えることの範囲が分かる。

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1. たけの わくで、すうじの ゲーム

1. 数学者は、竹の枠で子どもに何をさせたのか

1. 竹の立方体で「座標」を呼ぶ ── 父ヒントンの空間遊び

むかし、すうがくを おしえる 人が いました。名前は チャールズ・ヒントンです。この 人は、たけで 立方体の わくを くみました。

あそびかたは こうです。「3、1、2」と、3つの 数を よびます。子どもたちは、その 数に あたる わくの つなぎ目へ、きそって かけつけます[1]。

よこ、おくゆき、高さ。3つの 数で、1つの 場所が きまります。目に 見えない 空間を、体で おぼえる ゲームでした。

ところで、この わくは、のぼる ための ものでは なかったのです。

「3、1、2」と呼ばれたら

ヒントンは、数学者のチャールズ・ハワード・ヒントンです。竹で立方体の枠を組み、x・y・zの3つの数を呼びあげました。子どもたちは、呼ばれた数にあたる交点へ、競って走ります[1]。

たとえば「3、1、2」なら、横に3つ、奥へ1つ、上へ2つ進んだ交点です。数を3つ聞いて、頭の中の地図ではなく、体で交点を探すわけです。

なぜ、そんな遊びを考えたのか

ヒントンは1880年代に日本へ来て数学を教えたとされます。そこで、学生が四次元の考えをつかみにくいのは、幼いころの三次元の経験が少ないからだと考えたといわれます[2]。三次元を体で知っておけば、その先の考えも届きやすい、という発想です。

つまり、この枠はもともと登るためのものではありませんでした。では、だれが遊具に変えたのでしょうか。

ヒントンは、竹で立方体の格子を組み、x・y・zの数を呼びあげた。子どもは、呼ばれた座標に対応する交点へ競って走る。三次元の空間を、頭の中の図形ではなく体で経験させる遊びだったとされる[1]。たとえば「3、1、2」なら、横へ3、奥へ1、上へ2進んだ交点を指す。

なぜ数学者がこんな遊びを考えたのか。日本語版の記述によれば、ヒントンは1887年に来日して数学を教え、学生が四次元の概念を理解しにくい理由を、幼少期の三次元経験の少なさに求めたという[2]。三次元の感覚を体で身につけていれば、その延長にある概念も取りつきやすい、という筋道だ。ただし来日年は二次資料にしか見えず、ここでは「1880年代」と読むのが安全だ。

注目したいのは、この枠が最初は登るためのものではなかったことだ。数学の道具が遊具に変わる転機は、息子の世代に来る。

2. むすこは、「森の 上」を つくった

2. 息子は、同じ枠を「森の上」の遊びに変えた

2. 特許文の「森の上」と「サルの本能」── 弁護士セバスチャンの転用

ヒントンの 息子の セバスチャンは、べんごしでした。アメリカの シカゴの ちかくで、この わくを、子どもが のぼって あそぶ ものに しました。とっきょも 出しています[1]。

とっきょの 文には、木の こずえのような わくを、「子どもたちが あそびまわれる 森の 上」と いう 意味の ことばで せつめいしています[3]。

さらに、人には「サルの ほんのう」が あって、のぼる ことが あそびに なる、と 書いたと いわれます[1]。

つまり、ジャングルジムは、「のぼって あそぶ ため」に うまれた 遊具です。ここが、この 記事の こたえです。

特許の文章にある、ねらい

息子のセバスチャン・ヒントンは弁護士で、イリノイ州のウィネトカ(シカゴ近郊)で、この枠を子どもが登って遊ぶ遊具にしました。1920年に出願された特許が残っています[1]。考案の年は、資料によって1920年、1921年とゆれがあり、ここでは「1920年代の初め」にとどめます。

特許の説明は、木の梢のような枠を、子どもの一団が遊びまわれる「森の上」のようなものだと述べます[3]。さらに、人間に強い「サルの本能」が、登ることを遊びにする、という趣旨も書かれたといわれます[1]。

ここまでが、題名の問いへの答えの要点です。ジャングルジムは、登って遊ぶための遊具として、数学者の父の枠を引き継いで生まれました。

息子が覚えていたのは

息子は、父の竹の立方体について「数学は何も覚えていないが、とても楽しかった」と語ったと伝えられます[3]。数学の中身より、走りまわった楽しさが残っていたのです。登って遊ぶ遊具のねらいと、どこかでつながる話です。

息子のセバスチャン・ヒントンは弁護士で、イリノイ州ウィネトカ(シカゴ近郊)で、父の枠を子どもが登る遊具へ作りかえた。1920年に出願された特許(米国特許1,471,465など)が確認できる[1]。ただし考案年は、1920年(出願)、1921年(猪熊論文の抄録[4])、1923年(特許成立)と資料で揺れるため、一つに決めず「1920年代の初め」と読む。

では、何のための遊具だったのか。特許の説明文は、木の梢のような枠を「子どもの一団が遊びまわれる森の上のようなもの」と述べる[3]。さらに、人間に強い「サルの本能」が登ることを遊びにする、という趣旨が書かれたとされる[1]。だから、題名の問いへの答えの要点は次のとおり。ジャングルジムは、登って遊ぶための遊具として、父の数学の枠を作りかえて生まれた。

ここで、父の枠の目的との差に気づく。父は交点の座標を競う遊びを通じて空間を教えようとし、息子は枠の中を自由に登りまわる遊びをねらった。同じ形の枠が、使い方で「教えるための道具」から「遊ぶための場所」へ移ったことになる。息子は父の竹の立方体について「数学は覚えていないが、とても楽しかった」と語ったと伝えられる[3]。教える内容は残らず、楽しさだけが残ったという点が、転用の自然さを物語る。なお、特許が正式に認められたのは1923年で、セバスチャンはその少し前に亡くなっている[3]。

3. 日本には、ようちえんから やって きた

3. 日本には、まず幼稚園へやって来た

3. 1927年の導入 ── フレーベル館の発売と、お茶の水女子大学附属幼稚園

日本に ジャングルジムが 来たのは、1927年と いわれます。会社の フレーベルかんが はじめて うり、さいしょの ものは、お茶の水女子大学の ようちえんに おかれました[4]。

ふしぎな ことが あります。この ジャングルジムを かんがえた べんごしは、小さい ころ 日本で くらして いたと、ろんぶんの 短い まとめに 書いて あります[4]。

名前にも ひみつが あります。ジャングルジムは、もとは 会社の しょうひんの 名前でした。日本では「わくのぼり」とも いいます[2]。

1927年、お茶の水の幼稚園へ

日本のジャングルジムの歴史を調べた猪熊弘子さんの論文によると、最初のジャングルジムは、お茶の水女子大学附属幼稚園に置かれました[4]。検索で見た要約では、1927年にフレーベル館が初めて発売し、同じころ、日比谷公園の遊び場にも外国の雑誌を参考にした木製のものがあったとされます。年や会社の名前は要約で見たもので、論文の本文では照らしていません。

同じ論文の抄録は、ジャングルジムは1921年にアメリカで、幼いころを日本で過ごした弁護士が考案した、と述べます[4]。父が日本で数学を教えた縁が、遊具の日本での歴史にも顔を出します。

名前と、形のこと

「ジャングルジム」は、もとは商標名でした。日本語では「枠登り」ともいいます[2]。名前が広まって、だれもが使う言葉になったわけです。

日本への導入は、猪熊弘子「ジャングルジムの成り立ちと日本での普及」(お茶の水女子大学子ども学研究紀要、2023年)が扱っている。抄録によれば、最初のジャングルジムはお茶の水女子大学附属幼稚園に置かれた[4]。検索で得た要約には、1927年にフレーベル館が初めて発売し、同じころ日比谷公園の遊び場にも外国雑誌を参考にした木製のものがあったとあるが、この年と会社名は論文本文に直接当たって照合していない。

同じ抄録は、ジャングルジムが1921年に米国で、幼少期を日本で過ごした弁護士により考案されたと述べる[4]。つまり、父ヒントンが日本で教えた時期と、息子の幼少期が重なる。ただし、その経験が遊具の着想に影響したかどうかは、ここで使った資料のどれにも書かれていない。偶然と見るか縁と見るかは、読み手に任される。

名称の面では、「Jungle gym」はもと商標名で、日本語では「枠登り」ともいう[2]。商品名が一般名詞になった例だ。つまり日本のジャングルジムは、最初から「学校」ではなく、幼稚園と公園の遊び場に置かれたものだったことになる。それなら、学校にはいつ、なぜ置かれるようになったのか。

4. 学校に あるのは、なぜ?

4. 学校にあるのは、なぜか ── 資料で言えること

4. 学校に置かれる理由 ── 由来から言える範囲と、言えない範囲

アメリカでは、ヒントンの 2ばんめの ためしの ジャングルジムが、小学校の しきちに ありました。いまは れきし きょうかいに のこって います[1]。学校に おかれた 早い れいです。

日本で、学校に ひろまった わけを はっきり かいた 本は、見つけられませんでした。わかって いるのは、のぼって あそぶ ために うまれた こと、日本では ようちえんから はじまった ことです。

そして、かたちは かわらないのに、だれの ための あそびか という かんがえは、時代で かわって きたそうです[4]。

学校の敷地にあった試作機

ヒントンの2番目の試作機は、ウィネトカ歴史協会に残っています。もとはウィネトカのクロウ・アイランド・スクールにあったものです[1]。ジャングルジムが学校の敷地で遊ばれた、早い例のひとつです。

「学校にある理由」は、どこまで言えるか

日本の学校にいつどう広まったのかを直接述べる資料は、今回は見つかりませんでした。言えるのは、登って遊ぶための遊具として生まれたこと、日本ではまず幼稚園に入ったことまでです。学校に置かれる理由は、「登って遊ぶ遊具だから」という由来から考えることになります。

猪熊さんの抄録は、ジャングルジムの形は変わらないまま、想定される年齢や性別は時代で変わった、と述べます[4]。同じ形の枠が、だれの遊びかを変えながら続いてきたのです。

また、ジャングルジムが体力や空間を見る力を高めるという研究は、見つかっていません。体にどう効くかは、断定できないままです。

学校という場所との関係では、ヒントンの2番目の試作機が、ウィネトカのクロウ・アイランド・スクールから、ウィネトカ歴史協会へ移されて現存する[1]。学校の敷地に置かれた例が、米国では早くからあったことになる。

では、日本の学校に置かれる理由は何か。日本の学校へいつどう広まったかを直接述べる公的資料は、今回は見つからなかった。確実に言えるのは、①ジャングルジムは登って遊ぶための遊具として生まれた[1][3]、②日本ではまず幼稚園に入った[4]、の2点までだ。「学校にあるのは、子どもが登って遊ぶ価値のある遊具だから」という読みは、由来からの推論であって、資料が学校設置の理由を述べたものではない。

もう一つ、抄録は、形は変わらないまま、想定される年齢や性別が時代で変わったと述べる[4]。幼稚園の幼児用だったものが、校庭の遊具として見られる時期があった、という変化の可能性を示すが、その具体的な経緯は抄録の範囲では分からない。また、ジャングルジムが体力や空間認知を高めると検証した研究は見つかっておらず、効果を断定する根拠はない。ここを読み違えて、「数学の力が伸びる遊具」と書いてしまうと、父の目的と息子の目的を混ぜてしまう。

5. こうていの わくで、3つの 数を よんでみよう

5. 校庭の枠で、父ヒントンの遊びを試してみる

5. 交点を数える ── 父の遊びを、安全に再現する

がっこうの ジャングルジムを 見ながら、父ヒントンの ゲームを やって みましょう。のぼらなくて いいです。じめんから 見て、かぞえるだけです。

たて、よこ、高さの ぼうが それぞれ 何本 あるか かぞえます。たとえば 4本ずつなら、つなぎ目は 4×4×4で 64こです。

つぎに、おうちの 人や ともだちと「3、1、2」のように 3つの 数を 出しあって、その 場所を ゆびさします。のぼるときは、先生の きまりを まもってね。

今日できること

学校や公園のジャングルジムを、登らずに地面から見てみましょう。縦・横・高さの棒がそれぞれ何本あるか数えます。4本ずつなら、交点は4×4×4で64か所です。

次に、友だちや家の人と、「3、1、2」のように3つの数を呼んで、その交点を指さす遊びをします。父ヒントンの遊びを、地面から再現するわけです。呼ぶ順番は、先に決めておきます。

出かけてできること

学校のきまりを守って、登ってよい時間に登るなら、息子の遊びのほうも試せます。「森の上」と呼んだ気持ちが、少し分かるかもしれません。

もっと読むなら

猪熊弘子さんの論文は、お茶の水女子大学の学術情報リポジトリで抄録が読めます[4]。

確かめる道すじは二つある。一つは、近所のジャングルジムで交点の数を数えること。縦・横・高さの棒がn本ずつ並ぶ枠の交点はn×n×n か所で、4本ずつなら64か所、5本ずつなら125か所だ。座標を3つ呼んで交点を指さす遊びを、地面から再現できる。安全のため、登る遊びは学校や公園のきまりに従う。

もう一つは、原典に当たること。猪熊弘子の論文は、お茶の水女子大学の学術情報リポジトリで抄録が公開されている[4]。本文を読めば、今回は照合できなかった1927年の導入や日比谷公園の記述が確かめられるはずだ。国土交通省の「都市公園における遊具の安全確保に関する指針」は、遊びの価値を尊重する立場で安全を考えるという。この記事では引用しないが、遊具が「なぜ置かれ、どう安全にするか」を考える手がかりになりそうだ。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

二次資料が中心です。特許の原文は直接読んでいません。論文は抄録を読み、本文は照合していません。

  1. Wikipedia「Jungle gym」(英語)。https://en.wikipedia.org/wiki/Jungle_gym (竹の立方体、特許、試作機、サルの本能について。二次資料)
  2. Wikipedia「ジャングルジム」。https://ja.wikipedia.org/wiki/ジャングルジム (来日の経緯、名前について。二次資料)
  3. WHYY/NPR「jungle gym origins」。https://whyy.org/npr-story/jungle-gym-playground-monkey-bars-maths-hinton-fourth-dimension/ (特許の説明文と、息子の言葉について)
  4. 猪熊弘子「ジャングルジムの成り立ちと日本での普及」お茶の水女子大学子ども学研究紀要11(2023)。https://teapot.lib.ocha.ac.jp/records/2003873 (日本への導入と、形と使われ方の変化について。抄録を参照)

なおした ところ

更新履歴

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