1. 歯ぐきから 血が 出て、ふるい きずが ひらいて しまう
1. 歯ぐきから血が出て、古いきずが開いてしまう
1. 壊血病は歯ぐきの出血や古傷の再発を引き起こす病気である
「かいけつびょう」と いう びょうきに なると、歯ぐきから 血が 出て、歯が ぐらぐらに なって ぬけて しまう。それだけでは ない。むかし なおった はずの きずまでが、また ひらいて しまう[1]。
「壊血病」という病気になると、歯ぐきから血が出て、歯がぐらぐらになって抜けてしまう。それだけではない。昔治ったはずのきずまでが、また開いてしまう[1]。
2. たくさんの 船のりが、この びょうきで 命を おとした
2. たくさんの船乗りが、この病気で命を落とした
2. 大航海時代には推定200万人の船乗りが壊血病で命を落とした
むかし、遠くの 国まで 船で 何か月も かけて 行く「大こうかい時代」と いう じだいが あった。この じだいの 船のりたちは、新しい 野さいや くだものを 何か月も 食べられなかった。その あいだに、かいけつびょうに なる 人が とても おおかった[2]。ある けんきゅうでは、この じだいだけで、およそ 200万人もの 船のりが かいけつびょうで 命を おとしたと 考えられて いる[2]。
3. むかしの 人は、土の においを かがせようと した
3. 昔の人は、土のにおいをかがせようとした
3. 原因が分からなかった時代には誤った民間療法が試みられた
げんいんが わからなかった むかしの 人は、いまから 見ると ふしぎな ちりょうほうを ためした。「りくの 土の においを かげば、げんきに なるかもしれない」と 考え、びょうきの 船のりを 箱に 入れて、土を かけたと いう はなしが つたわって いる[3]。もちろん、これでは なおらない。
原因が分からなかった昔の人は、いまから見るとふしぎな治療法をためした。「陸の土のにおいをかげば、元気になるかもしれない」と考え、病気の船乗りを箱に入れて、土をかけたという話が伝わっている[3]。もちろん、これでは治らない。
壊血病の原因が分からなかった当時、船乗りに陸地を思い出させる土のにおいをかがせれば回復すると信じられ、患者を箱に入れて土をかける「土浴」という民間療法が行われたという逸話が伝えられている[3]。当然ながら、これに医学的な効果はなかった。
4. 1747年、ある 船いしゃが くらべる じっけんを した
4. 1747年、ある船医がくらべる実験をした
4. 1747年、ジェームズ・リンドが医学史上初の対照試験を行った
1747年、イギリスの 船いし ジェームズ・リンドは、かいけつびょうに なった 船のり 12人を、2人ずつ 6つの グループに 分けた。りんご酒、す、海水、オレンジと レモンなど、グループごとに ちがう ものを 食べさせて くらべたのだ[4]。すると、オレンジと レモンを 食べた 2人だけが、6日ほどで はやく げんきに なった[4]。
5. こたえが 分かってからも、すぐには つたわらなかった
5. 答えがわかってからも、すぐには伝わらなかった
5. 実験結果が海軍の正式な方針になるまで半世紀近くを要した
リンドの じっけんの あと、すぐに かんきつるいが 船に つまれるように なったわけでは なかった。イギリスの 海ぐんが、船に レモンの しるを つませる ことを きめたのは、1795年ごろ。じっけんから 半世ぎ ちかくも あとの ことだ[5]。それから しばらく たって、イギリスの 船のりたちは、かんきつるいの しるを のむ ことから「ライミー」と よばれるように なった[5]。
6. なぜ かんきつるいで 病気が なおるのかは、ずっと あとに 分かった
6. なぜ柑橘類で病気が治るのかは、ずっとあとにわかった
6. ビタミンCの正体が科学的に特定されたのは1930年代である
レモンや オレンジで なぜ 病気が なおるのか、その ほんとうの りゆうが 分かったのは、さらに ずっと あと、1930年代の ことだ。「ビタミンC」と いう せいぶんが 見つかり、体に ひつような ことが たしかめられた[6]。まるで、病気を なおす ふしぎな くすりを 見つけて つかって いたのに、その 中の どんな せいぶんが 体を たすけて いるのかは、ずっと あとに なって 分かったようなものだ(ただし ほんとうは、くすりでは なく、オレンジや レモンの ことだ)。
レモンやオレンジでなぜ病気が治るのか、その本当の理由がわかったのは、さらにずっとあと、1930年代のことだ。「ビタミンC」という成分が見つかり、体に必要なことが確かめられた[6]。まるで、病気を治すふしぎな薬を見つけて使っていたのに、その中のどんな成分が体を助けているのかは、ずっとあとになってわかったようなものだ(ただし本当は、薬ではなく、オレンジやレモンのことだ)。
なぜ すぐに つたわらなかったのか、かんがえて みる
なぜすぐに伝わらなかったのか、考えてみる
なぜすぐに伝わらなかったのか、考えてみる
リンドが こたえを 見つけてから、イギリスの 海ぐんが レモンの しるを つむように なるまで、なぜ 半世ぎも かかったのだろう。「お金が かかるから?」「船に つんで おく あいだに くさって しまうから?」など、おうちの 人と いっしょに りゆうを そうぞうして みよう。
リンドが答えを見つけてから、イギリスの海軍がレモンのしるを積むようになるまで、なぜ半世紀もかかったのだろう。「お金がかかるから?」「船に積んでおくあいだにくさってしまうから?」など、家の人といっしょに理由を想像してみよう。
リンドの発見から海軍の方針化までの半世紀という空白には、どのような要因が関わっていたのだろうか。輸送や保存にかかる費用、当時の医学界における権威づけの仕組みなど、考えられる理由を自分なりに挙げて調べてみると、科学的な発見が実際の制度になるまでの距離が見えてくる。
しらべた ところ
参考にした情報源
参考にした情報源
- フリー百科事典『ウィキペディア』「壊血病」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/壊血病 (壊血病の症状として皮膚・歯ぐきからの出血、歯の脱落、古傷の再発、乳幼児の骨出血・成長不良があることは同記事による)
- ナショナル ジオグラフィック日本版「大航海時代の船乗りを震え上がらせた壊血病」、フリー百科事典『ウィキペディア』「フェルディナンド・マゼラン」。 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/011800016/ https://ja.wikipedia.org/wiki/フェルディナンド・マゼラン (15〜18世紀の大航海時代に推定200万人の船乗りが壊血病で命を落としたとされ、これが米国南北戦争の戦死者数の3倍以上にあたるとされることはナショナル ジオグラフィック日本版による。マゼラン艦隊の出発時の乗組員数が出典によって約240〜270人と幅があること、太平洋横断中に飢えと壊血病に苦しんだこと、最終的にスペインへ帰り着いたのが18人だったことはウィキペディア「フェルディナンド・マゼラン」および関連する複数の記事による)
- ナショナル ジオグラフィック日本版「大航海時代の船乗りを震え上がらせた壊血病」。 https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/17/011800016/ (原因不明の時代に、陸地の土のにおいをかがせるため患者を箱に入れて土をかける「土浴」という民間療法が行われたという逸話が伝えられていることは同記事による)
- フリー百科事典『ウィキペディア』「壊血病」、弁護士会の読書「マゼラン船団、世界一周500年目の真実」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/壊血病 https://www.fben.jp/bookcolumn/2024/01/31/7571/ (1747年にジェームズ・リンドが壊血病患者12人を6グループに分け、りんご酒・硫酸にアルコールを混ぜたもの・酢・海水・オレンジとレモン・にんにくやからしを混ぜた練り薬を与えて比較する対照試験を行い、オレンジとレモンの2人が6日ほどで回復したことはウィキペディア「壊血病」による)
- フリー百科事典『ウィキペディア』「壊血病」、Online Etymology Dictionary "limey"。 https://ja.wikipedia.org/wiki/壊血病 https://www.etymonline.com/word/limey (イギリス海軍が1795年ごろに艦船へのレモン果汁の支給を制度化したことはウィキペディア「壊血病」による。「limey」という呼び名が、この果汁支給に由来しつつも広く使われ始めたのは19世紀半ば以降であることはOnline Etymology Dictionaryによる)
- フリー百科事典『ウィキペディア』「壊血病」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/壊血病 (1932年にアルベルト・セント=ジェルジがビタミンCとなる物質を発見し1933年にウォルター・ハースがアスコルビン酸と命名したこと、ビタミンC不足がコラーゲン合成に影響することは同記事による)
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