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しちごさんで きものや はかまを きるのは どうして?

七五三で着物や袴を着るのは、なぜ? ── 服が変わる節目の祝いだった

七五三で着物・袴を着るのはなぜか ── 袴着・帯解にみる「身なりの節目」と背守り

分野:歴史・文化

むかし、五さいの 男の子は、碁盤ごばんの 上に のって、はじめて はかまを はきました。碁盤ごばんは、いごを する ときの 台です。

しちごさんで きものや はかまを きるのは、どうしてでしょう。この 記事で、その わけが わかります。いまは ようふくでも よい、ということも 出てきます。

昔、5歳の男の子は、碁盤の上に立って、初めて袴をはきました。碁盤は、囲碁をするときの台です。そんな儀式が、七五三のもとの一つだといわれます。

七五三で着物や袴を着るのは、なぜでしょう。答えは、七五三が「着るものが変わる節目」の祝いだったことにあります。神社本庁や辞典の説明から、その意味と、いまの考え方までたどります。

5歳の男児が碁盤の上に立ち、吉の方角を向いて初めて袴をはく ── 辞典はそう説明する袴着の作法を伝えている[2]。この儀式が、七五三の由来の一つとされる[1]。

七五三で着物や袴を着るのはなぜか。短く答えれば、七五三がもともと「身なりを改める節目」の祝いで、その節目に着るものが着物・袴・帯だったからだ。ただし、いまは洋装を選ぶ家も多い。神社と辞典の記述から、意味と変化を整理する。

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1. しちごさんは、きる ものが かわる おいわい

1. 七五三は、着るものが変わる節目の祝い

1. 答え:七五三の由来は、身なりが変わる節目の儀式

しちごさんの もとに なった ぎしきは、三つ あります。

三さいの 髪置かみおきは、かみを のばし はじめる おいわいです。五さいの 袴着はかまぎは、男の子が はじめて はかまを つける おいわいです。七さいの 帯解おびときは、女の子が 小さい 子の ひもを やめて、おとなの おびを しめる おいわいです[1]。

つまり、はかまや おびは、「おおきく なったね」と いう しるし でした。だから この おいわいでは、きものや はかまを きるのです。

では、はかまを はく 日は、どんな ようすだったのでしょう。

神社本庁の説明では、七五三は3歳の髪置、5歳の袴着、7歳の帯解に由来します。袴着は男の子が初めて袴を着ける儀式、帯解は女の子が幼児用の付け紐をやめ、大人の帯を締める儀式です[1]。

どれも、身につけるものが変わる節目を祝う儀式です。七五三で着物や袴を着るのは、この節目の服が、七五三の晴れ着として残ったからだと考えられます。

では、初めて袴をはく日は、どんな儀式だったのでしょうか。

神社本庁は、七五三を3歳の髪置、5歳の袴着、7歳の帯解に由来する行事とする。袴着は男児が初めて袴を着ける儀式、帯解は女児が幼児用の付紐をやめて大人の帯を締める儀式である[1]。三つの儀式には、身につけるものが変わる節目を祝うという共通点がある。

したがって、七五三の晴れ着が着物・袴・帯で組み立てられているのは、元の儀式の「節目の服」が行事の姿として残ったためと読める。この読みは、辞典の説明[2]と合うが、「だから着物を着なければならない」という決まりを示すものではない。次に、袴着の実際の作法を見る。

2. はじめて はかまを はく 日は、どんな ようす?

2. 初めて袴をはく日 ── 碁盤の上に立つ袴着

2. 袴着の作法 ── 碁盤・吉方・麻の裃

むかしの 五さいの 男の子は、いい 日と いい ほうがくを えらんで、碁盤ごばんの 上に たちました。それから、あさで できた 裃かみしもを きて、ひだりあしから はかまを はきました[2]。

はかまを むすぶ 役は、えらい 人に たのむ ことが おおかったそうです[2]。いまも、てんのうの 家では、かぞえの 五さいで、はかまを つける ぎしきが あります[2]。

はかまは、「こどもから すこし おおきな 子へ」の かわりめの ふくでした。

辞典には、幼児を吉の方角に向けて碁盤の上に立たせ、麻の裃を着せて、左足から袴をはかせる、とあります[2]。吉日を選んで行い、袴の腰ひもを結ぶ役は、有力な人に頼むことが多かったとも説明されています[2]。

この儀式は、平安時代の宮廷貴族から始まり、鎌倉時代以降は武家にも広がりました[2]。皇室では、いまも数え年5歳で着袴の儀を行います[2]。袴着は、幼年期から少年期への移り目の儀式と説明されます[2]。

初めての袴は、「一人前に近づいた」という知らせでもありました。では、袴や帯を着ける前の子どもの着物は、どんなものだったのでしょうか。

辞典類の記述をまとめると、袴着は、吉日を選び、幼児を吉の方角に向けて碁盤の上に立たせ、麻の裃を着せて左足から袴をはかせる儀式である[2]。腰の紐を結ぶ役を有力者に頼むことが多く、平安期の皇子・皇女の場合は、天皇自らが務めることが多かったという[2]。

平安の宮廷貴族に始まり、鎌倉時代以降は武家でも行われ、室町時代には直垂を用い、江戸時代には武家・庶民とも麻裃を用いた[2]。皇室では現在も、数え年5歳で着袴の儀が行われ、男子は白い袴に童形服、女子は濃い紫色の袴に袿を着ける[2]。辞典は、袴着を幼年期から少年期への移り目の儀式と位置づける[2]。

なお、年齢と性別は時代で揺れ、古くは男女とも3〜7歳で行い、江戸時代以降は5歳の男児に定着したとされる[2]。袴の前の、幼児の着物にはどんな特徴があったのか。

3. こどもの きものの せなかに、おまもりが あった?

3. 袴の前の幼児の着物 ── 背中の魔除け「背守り」

3. 節目の前の子ども着物 ── 背縫いのない着物と背守り

おとなの きものの せなかには、たてに ぬい目が あります。でも、小さい 子の きものには、せなかの ぬい目が ありませんでした[3]。

むかしは、ぬい目に わるい ものを ふせる ちからが ある、と かんがえられて いました。そこで、せなかに いとや ぬのを ぬいつけて、魔除まよけの しるしに しました。これを 背守せまもりと いいます[4]。

「七つまでは かみさまの うち」と いう ことばも ありました。小さい 子の いのちを、みんなで いのって いたのです[1]。

大人の着物には、背骨に沿って「背縫い」があります。ところが、背縫いのない一ツ身の着物は「背中から魔がさす」といわれ、魔除けに糸や布を縫い付けました。これが背守りです[3]。

背守りの記事は、縫い目には魔を防ぐ力があると考えられたこと、人の魂は背中から出入りするとも考えられたことを紹介しています[4]。鎌倉時代の絵巻『春日権現験記』にも、背守りを付けた子どもが描かれているそうです[4]。

神社本庁は、「七つまでは神の内」といい、それまでの子どもの成長は神さまに任せるしかなかったと説明しています[1]。着物の背中の小さな縫い取りにも、同じような願いが込められていたのでしょう。

子どもの着物と節目の儀式をつなぐ材料として、背守りがある。文化遺産オンラインの解説(大正〜昭和の子供着物)は、背縫いのない一ツ身の着物は「背中から魔がさす」といわれ、魔除けに糸や布を縫い付けたと記す[3]。

和樂webの解説は、縫い目に魔を防ぐ力があるという考え、魂は背中から出入りするという考えを紹介する。鎌倉時代の絵巻『春日権現験記』第16軸にも背守りの子が描かれ、古くからの風習とされる。デザインは、糸じるし・麻の葉・亀甲などで、名称も地方で異なった[4]。ただし、これらの意味づけは民間の信仰の説明であり、背守りが七五三の儀式の一部だったわけではない。

神社本庁も、「七つまでは神の内」といい、それまでの成長は神に任せるしかなかったと述べる[1]。背守りにも、幼い子の無事を願う気持ちが表れている。では、その着物は、いつ日常から消えたのか。

4. いまは ようふくでも、いいの?

4. 洋服の時代に、着物はどう残ったか

4. 洋装化のなかの七五三 ── 着物は「選べる晴れ着」へ

めいじの ころ、とうきょうの まちの 人たちにも、しちごさんが ひろがりました。子どもに 晴着はれぎを きせ、千歳飴ちとせあめを かう ならわしが 根づいたと いわれます[5]。

そのご、ふだんの ふくは ようふくに かわり、せなかの まもりも 見かけなく なりました[4]。いま、しちごさんの ふくそうは、わふくでも、ちゃんとした ようふくでも えらべる、と しょうかい する 神社も あります[6]。

だいじなのは、きものか どうかよりも、「ここまで おおきく なったね」と いう きもちです。ただ、お参まいりの ときは、きちんと した ふくで いきましょう。

国立国会図書館の解説では、東京の都市部の庶民に七五三が広まったのは明治時代に入ってからで、子どもに晴着を着せ、千歳飴を買う習慣が根付きました[5]。その後、洋服文化が広まると、背守りは姿を消していったとされます[4]。

いまの七五三では、着物が決まりというわけではありません。産泰神社のブログは、子どもの服装は和装でもフォーマルな洋装でも選べると紹介しています[6]。

ただし、祈祷は神前で行うので、ふだん着より改まった服が目安です。着物が「選べる晴れ着」になったいま、選んで着ると、昔の節目の祝いを思い出すきっかけにもなります。

NDLの解説によれば、七五三が東京の都市部の庶民に広まったのは明治時代に入ってからで、子どもに晴着を着せ、千歳飴を買う習慣が根付いた[5]。一方、和樂webは、洋服文化の発展とともに背守りは姿を消したと述べる[4]。日常着が洋服に移ると、子どもの着物は「晴れの日に着るもの」へ位置づけが変わったと考えられる。

現在、産泰神社のブログは、七五三の子どもの服装は和装でもフォーマルな洋装でも選べると紹介する[6]。神社本庁は、七五三の参拝を、氏神さまやご先祖さまへの感謝と、これからの成長の祈りとして説明している[1]。ただし、これは一つの神社のブログと本庁の説明にもとづく整理で、参拝先ごとに案内は異なりうる。

着物・袴・帯は、いまでは強制ではなく、元の儀式の節目を目で見える形にする選択肢として残っている、と読める。

5. しゃしんの ふくに、ふしめを さがして みよう

5. 写真の服から、節目をさがしてみる

5. 写真の服から、節目を読む

おうちに しちごさんの しゃしんが あれば、見て みましょう。はかまを はいて いる 子、おびを しめて いる 子は、どんな かおを して いますか。

きものや はかまを きた 子は、「ここが ふしめ」と いう しるしを みにつけて います。ようふくの 子も、おなじ ふしめを おいわい して います。

3さいと 7さいの ちがいは、べつの 記事で くわしく 見られます。

家に七五三の写真があれば、着ているものが「袴」「帯」「被布」のどれにあたるのか、探してみてください。洋服の写真でも、その子がどの年齢の節目を祝ったのかを考えると、見え方が変わります。

3歳と7歳の着物の違いは別の記事、三つの儀式の成り立ちはこちらの記事で扱っています。

もっと詳しく知りたいときは、神社本庁の七五三のページや、辞典の「袴着」の項を読み比べてみてください。

家に七五三の写真があれば、袴・帯・被布など、着ているものを、元の三つの儀式で身につけたものと比べてみるとよい。洋装の場合も、どの節目を祝ったのかを考えられる。

この記事は、神社本庁・辞典・展示解説などの記述にもとづく整理で、「着物を着る意味」を一つに決めたものではない。地域や家庭の慣習は幅が広いため、地元の神社の案内や家の記録とも比べるとよい。

3歳・7歳の着物の違いは別の記事、成り立ちはこちらの記事で扱っている。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

神社本庁、辞典、文化遺産オンライン、国立国会図書館などの記述をもとにしました。

  1. 神社本庁「七五三」 https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/shichigosan/ (三つの儀式の由来、「七つまでは神の内」)
  2. コトバンク「袴着」(ブリタニカ国際大百科事典・世界大百科事典・デジタル大辞泉などの項をまとめたサイト) https://kotobank.jp/word/%E8%A2%B4%E7%9D%80 (袴着の作法、年齢の変化、皇室の着袴の儀)
  3. 文化遺産オンライン「子供着物 兜文」(国際基督教大学博物館 湯浅八郎記念館蔵) https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/621735 (背縫いのない一ツ身と背守り)
  4. 和樂web「背守り」の解説記事 https://intojapanwaraku.com/culture/83026/ (背守りの意味と歴史、洋服化との関係)
  5. 国立国会図書館「本の万華鏡」コラム「七五三」 https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/31/column.html (明治の庶民への広まり、晴着と千歳飴)
  6. 産泰神社「七五三の服装は?子ども・ママ・パパ・祖父母の装いとマナー」 https://www.santai-jinja.jp/blog/shichigosan-clothes/ (子どもの服装は和装でも洋装でも選べるという紹介)

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