1. ふたつの おかしは、生まれた ところが ちがう
1. 答えは「生まれた場所の違い」── ちまきは中国から、柏餅は江戸で
1. 結論は生まれの違い ── 平安の辞書にある粽、江戸で広まった柏餅
ちまきは、むかしの 中国から つたわった たべものです。平安時代の じしょにも、「5月5日に 食べる もの」として のって います[1]。
柏餅は、江戸時代に 日本で 広まった おかしです。もちを 柏の 葉で つつんで います[3]。
江戸時代の おわりごろの ようすも のこって います。京都や 大阪では、男の子の はじめての せっくに、しんせきへ ちまきを くばりました。2ねん目からは 柏餅です。江戸では、はじめから 柏餅を おくりました[1]。ふるい ならわしを まもる 京と、あたらしい おかしを 広めた 江戸。そこで わかれたようです。いまでも、関東は 柏餅、関西は ちまきの 家が 多いと いわれます[3]。
ちまきは、中国から伝わった食べ物です。平安時代の辞書『倭名類聚抄』に、5月5日に食べるものとして載っています[1]。
柏餅は、江戸時代に江戸で生まれて広まった日本独特の菓子で、餅を柏の葉で包みます[3]。
江戸時代の習慣にも違いがありました。国立国会図書館の解説は、『守貞謾稿』をもとに、京・大坂では男の子の初節句に親族へちまきを配り、2年目以降は柏餅を贈ったと紹介しています。江戸では初めの年から柏餅を贈りました[1]。古い習慣を受け継いだ京・大坂と、新しい縁起物を広めた江戸。この差が、今の「関東は柏餅、関西はちまき」とされる傾向につながったと解説されています[3]。
ちまき(粽)は中国から伝わった行事食で、平安時代の辞書『倭名類聚抄』に、5月5日に食べるものとして載っている[1]。柏餅は日本独特の菓子で、江戸時代に江戸で生まれ、定着したとされる[3]。
江戸時代の習慣も違った。国立国会図書館の解説は、『守貞謾稿』を出典に、京・大坂では男の子の初節句に親族などへ粽を配り、2年目以降は柏餅を贈ったと紹介している。江戸では初年から柏餅を贈った[1]。
江戸文化の影響で柏餅が全国に広まる一方、伝統を重んじる京文化圏では粽が受け継がれ、現在は関東で柏餅、関西で粽が親しまれているという解説がある[3]。ただし、これは「傾向」であり、地域内でも家ごとに違う。この記事の後半では、2つの菓子それぞれの経歴と、「葉」の違いを深める。
2. ちまきの はなし ── 川に なげた ごはん
2. ちまきの由来 ── 川に投げ入れた米と、五色の糸
2. 粽の由来 ── 屈原の伝説と、『倭名類聚抄』の甘くない粽
ちまきには、むかしの 中国の はなしが あります。屈原と いう 詩人が、5月5日に 川へ 身を なげたと つたえられて います。人びとは、屈原の ために、米を 川へ 入れました。ところが、その 米は 竜に 食べられて しまうと いわれ、竜が にがてな 木の 葉で ふたを して、5しょくの 糸で しばって なげるように なった、と いう はなしです[4][3]。
この はなしは、6せいきごろの 本に のって いる ものです。ほんとうに あった ことかは、わかりません[4]。
日本の ちまきは、最初は あまく ありませんでした。真菰と いう 草の 葉で 米を つつみ、灰汁で にたものだったようです[1]。あまい ちまきが いつ できたかは わかりませんが、江戸時代には、京都の 川端道喜という おみせが さとうを つかって いました[1]。
ちまきの由来として、中国の古い伝説が知られています。楚の詩人・屈原が5月5日に川へ身を投げたとされ、人々は供え物の米を川に投げ入れました。ところが米は竜に盗まれるので、竜が嫌う楝(おうち)の葉で包み、五色の糸で縛って投げるようになった、という話です[3][4]。五色の糸は、子どもの健やかな成長を願う魔よけの意味を持つとも解説されます[3]。
この話が記録されたのは6世紀の書物で、屈原の時代からはずっと後です。伝説として伝わっている話です[4]。
日本の古い粽は、甘くなかったようです。国立国会図書館の解説によると、真菰の葉で米を包み、灰汁で煮たものでした。甘い粽がいつ作られたかは分かりませんが、遅くとも江戸時代には、京の川端道喜の粽に砂糖が使われていました[1]。
粽の由来としてよく語られるのは、戦国時代の楚の詩人・屈原の故事である。5月5日に川へ身を投げた屈原のため、人々は供物の米を川に投げていた。後漢の初め、屈原が夢に現れて「供物は竜に食べられる。竜が嫌う楝の葉でふさぎ、五色の糸で縛れ」と告げた、という話だ[4][3]。
ただし、この伝説が『続斉諧記』に記録されたのは6世紀で、屈原の時代からはずっと後である。ウィキペディア(ちまき)によると、屈原と粽を結びつける記述は5世紀前半の『世説新語』にも見える[4]。
日本の粽は、平安時代の『倭名類聚抄』(承平年間・931〜938年編纂)に載る。国立国会図書館の解説では、当初は真菰の葉で米を包み、灰汁で煮たもので、甘くはなかったようだ。甘い粽がいつ作られたかは不明だが、遅くとも江戸時代には、京の川端道喜の粽に砂糖が使われていた[1]。名前の「ちまき」は、茅(ちがや)の葉で巻いたことからという説がある[4]。
3. 柏餅の はなし ── さいしょの きろくは、秋
3. 柏餅の経歴 ── 最初の記録は秋。端午と結びつくのは明治以降か
3. 柏餅の経歴 ── 1702年の秋の注文、1718年のレシピ、端午との結びつき
柏の 木は、新しい めが 出るまで、古い 葉が おちません。そこから、家が つづく ことを ねがう おかしと して、とくに 武士の 家で このまれたと いわれます[2]。
虎屋と いう おかしの お店に のこる、いちばん 古い 柏餅の きろくは、1702ねん8月20日です。えらい 貴族が、ほかの おかしと いっしょに 注文しました。5月では なく、秋だったのです。1718ねんの 本には、あんを もちで つつみ、柏の 葉で つつんで むす おかしと して のって います[2]。
虎屋の けんきゅう者は、「5月に 柏餅の 注文が 入るように なったのは、明治時代から」と みて います。江戸時代にも 注文は ありましたが、この 季節に 食べる ものという 気もちは、いまほど つよく なかったようです[2]。江戸の おわりごろの 本には、江戸で はじめから 柏餅を おくったと あります[1]。しりょうに よって、見え方が ちがいます。
柏は、新芽が出るまで古い葉が落ちない木です。そこから、子孫繁栄や跡継ぎが絶えない縁起物とされ、特に武家社会で好まれたといわれます[2]。
菓子店・虎屋の資料で、柏餅が最初に確認できるのは元禄15年8月20日(1702年、新暦9月29日)です。公卿の近衛基煕が、ほかの菓子と一緒に注文しました。5月ではなく秋でした。1718年の『御前菓子秘伝抄』には、餡を包んだ上新粉の餅を柏の葉で包んで蒸す菓子として書かれています[2]。
虎屋文庫の研究員は、端午の時季に柏餅が注文されるようになったのは明治以降とみています。江戸時代にも注文はありましたが、この季節に必ず食べるという意識は今ほど強くなかったようです[2]。一方、江戸末の風俗書をもとにした解説では、江戸では初節句から柏餅を贈ったとされます[1]。菓子店の注文記録と風俗書では見え方が違い、はっきりしません。
柏は、新芽が出るまで古い葉が落ちない性質から、跡継ぎが絶えない子孫繁栄の縁起と結びついた。特に武家社会で好まれたとされる[2]。
菓子店・虎屋の記録で柏餅が最初に確認できるのは、元禄15年8月20日(1702年、新暦9月29日)。公卿の近衛基煕が、ほかの菓子とともに注文している。端午ではなく秋だった。享保3年(1718年)の『御前菓子秘伝抄』には、餡を包んだ上新粉の餅を柏の葉で包んで蒸す菓子として出てくる[2]。
虎屋文庫の研究員・森田環氏は、端午の時季に柏餅が注文されるようになるのは明治以降とみている。江戸時代にも注文はあったが、この季節に必ず食べるという感覚は今ほど強くなかったようだ[2]。一方、『守貞謾稿』をもとにした国立国会図書館の解説は、江戸では初節句から柏餅を贈ったとする[1]。菓子店の注文記録と風俗書では見え方が違い、両者の関係はこの記事の範囲では決められない。柏餅と端午が結びついた時期は、まだ一つに絞れていない。
4. つつむ 葉は、ところに よって ちがう
4. 包む葉は地域で違う ── 柏餅の葉はカシワだけではない
4. 包む葉の地域差 ── カシワ、サルトリイバラ、笹、真菰
柏餅と いっても、つつむ 葉は カシワ だけでは ありません。サルトリイバラや アカメガシワなどの 葉で つつんだ もちも、柏餅と よばれる ことが あります[2][5]。
ちまきも ところに よって すがたが かわります。ささで つつむ ところ、さんかくに つつむ ところ、宮崎・鹿児島などでは「あくまき」と よぶ ところも あります[4]。
ひょうごけんの はくぶつかんの 研究では、大正の おわりから 昭和の はじめの 食べものを しらべ、青森から 沖縄までの 45の とふけんから、512の じょうほうを あつめました[6]。おなじ 5月5日でも、ところに よって ずいぶん ちがったのです。
柏餅といっても、包む葉はカシワだけではありません。サルトリイバラやアカメガシワの葉を使った餅も、柏餅と呼ばれることがあります[2]。ウィキペディアは、コナラ、ネザサ類、ホオノキなども地域によって使われると紹介しています[5]。「かしわ」はもともと炊事に使う葉全般を指した「炊葉」に由来するとされ、必ずしもカシワの葉だけを指さなかったようです[2]。
ちまきも地域で違います。日本では真菰のほか、笹、チガヤ、竹の皮などで包みます。宮崎・鹿児島・熊本南部では「あくまき」、新潟では三角ちまき、山形では笹巻きとも呼ばれます[4]。
兵庫県立人と自然の博物館の研究は、大正末〜昭和初期の食を記録した文献と聞き取りから、青森県から沖縄県まで45都府県の512の情報を集め、カシワモチやチマキに使う葉を一覧にしています[6]。葉の種類は、その土地の里山や里地に生える植物と結びついていた、というのがこの研究の関心です。
柏餅の葉は、カシワだけではない。サルトリイバラやアカメガシワの葉を使った餅菓子も、柏餅と呼ばれることがある[2]。ウィキペディア(柏餅)は、コナラ、ネザサ類、アラカシ、ホオノキも地域によって使われるとしと紹介している[5]。「かしわ」は、もとは炊事に使う葉全般を指す「炊葉」に由来するとされる[2]。
粽も、包む葉と姿が地域で違う。日本ではマコモ、笹、チガヤ、竹の皮などを使う。宮崎・鹿児島・熊本南部の「あくまき」、新潟の三角ちまき、山形の笹巻きなど、農林水産省が紹介する郷土の食べ物にも粽の仲間がある、とウィキペディアはまとめている[4]。
兵庫県立人と自然の博物館の服部保らは、大正末〜昭和初期の食を記した『日本の食生活全集』などと聞き取りから、青森県から沖縄県まで45都府県の512の情報を集め、カシワモチ、チマキ等に使う葉を一覧にした[6]。端午の菓子は、「柏餅か粽か」の二択ではなく、その土地の植物に合わせて形を変えてきた食べ物でもあるようだ。
5. じぶんでも しらべて みたく なったら
5. 自分でも調べてみたくなったら
5. 自分でも調べてみたくなったら
おうちの 人に きいて みよう
5月5日に、おうちでは なにを 食べますか。柏餅ですか、ちまきですか。おじいちゃん、おばあちゃんの ところでは どうでしたか。きいて みると、ちがいが 見つかるかも しれません。
葉を よく 見て みよう
お店で 柏餅や ちまきを 見かけたら、つつんで いる 葉を 見て みましょう。ふくろの うらに、「柏の 葉」「サルトリイバラ」などと 書いて ある ことが あります。
原典に 当たろう
国立国会図書館の「ほんの 万華鏡」には、おかしの 歴史が まとまって います[1]。
家の端午の菓子を聞いてみる
自分の家や、祖父母の家では、端午に何を食べてきたかを聞いてみましょう。柏餅か、ちまきか、そのどちらでもないのか。住んでいた地域と合わせて書いておくと、記事の「傾向」と比べられます。
包んでいる葉を見比べる
店で柏餅やちまきを見かけたら、包んでいる葉の名前を確かめましょう。原材料の表示や、店の説明に書かれていることがあります。
原典に当たる
国立国会図書館の電子展示「ほんの万華鏡」の和菓子の章は、粽と、江戸・京・大坂の習慣の違いを紹介しています[1]。『守貞謾稿』は同館のデジタルコレクションなどで原典に当たれます。
論文を読んでみる
葉の一覧は、人と自然の博物館のウェブサイトで公開されている論文で読めます[6]。
家族への聞き取りをしてみる
自分の家と祖父母の家の端午の菓子を聞き取り、居住地と合わせて表にする。記事で見た「関東は柏餅、関西は粽」という傾向が、身近な数例でどこまで当てはまるか、また例外が何かを見られる。数例だけでは結論にならないが、論文が使った「聞き取り」の方法の小さな実践になる。
包む葉の植物名を確かめる
店で売られている柏餅・粽の葉の種類を、原材料表示や店の説明で確かめる。服部らの一覧[6]と比べて、昭和初期と今の違いを考えられる。
原典に当たる
『守貞謾稿』の端午の項は、国立国会図書館デジタルコレクションなどで原典を確かめられる。国立国会図書館「ほんの万華鏡」の解説[1]と読み比べ、解説が何を要約したのかを確認してみよう。虎屋文庫の記録[2]との食い違いをどう考えるかも、調べがいのある問いである。
しらべた ところ
参考にした情報源
参考にした情報源
出典について:粽の伝説と、地域ごとの名前、柏餅の葉の地域差の一部は、ウィキペディアの記述に頼っています。柏餅の初出記録は、虎屋文庫への取材にもとづく記事に拠っています。兵庫県立人と自然の博物館の論文は、要旨までを確認しました。
- 国立国会図書館 電子展示会「ほんの万華鏡」第25回 第2章「和菓子をめぐる風俗」。 https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/25/2.html (倭名類聚抄の粽、甘くない粽、川端道喜、京・大坂と江戸の初節句の習慣)
- 千麻子「柏餅はなぜ端午の菓子になったのか? 江戸の記録から読み解く意外な歴史」和樂web、2026年4月27日(取材協力:菓子資料室 虎屋文庫)。 https://intojapanwaraku.com/culture/303129/ (1702年の初出記録、1718年の『御前菓子秘伝抄』、端午との結びつきは明治以降とみる説、「炊葉」、柏餅と呼ばれる葉)
- 三浦康子「端午の節句の食べ物・粽(ちまき)と柏餅の由来や、菖蒲湯の楽しみ方」All About、2024年4月9日更新。 https://allabout.co.jp/gm/gc/220751 (屈原の故事、五色の糸、柏餅は江戸で定着、関東と関西の傾向)
- Wikipedia(日本語版)「ちまき」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/粽 (伝説の記録時期、『倭名類聚抄』の年代、名前の由来、包む葉、地域ごとの粽)
- Wikipedia(日本語版)「柏餅」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/柏餅 (使われる葉の種類、カシワの葉が全国に広まった経緯)
- 服部保ほか「カシワモチ,チマキ等の食物に利用する植物(葉)の記録」『人と自然』No.18、兵庫県立人と自然の博物館、2007年、127〜150頁。 https://www.hitohaku.jp/publication/HN18_p127-150-1.pdf (45都府県・512の情報、大正末〜昭和初期の食の記録)
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