1. 親指だけが、手の ひらを よこぎれるのは なぜ?
1. 親指は、手のひらを横切って小指へ向かえる
1. 「対立」とは何か:親指の腹が手のひらを横切って小指側へ向かう動き
手を ひらいて、親指の はらを 小指の はらに くっつけて みましょう。親指は 手の ひらを よこに すべって いきます。
この 動きを、むずかしい ことばで「たいりつ」と いいます。けんかでは ありません。親指が ほかの 指と 向かい合う ことです。
ナピアという 学者は、親指の はらを 手の ひらの 向こうへ 動かせる ことを、たいりつと 考えました。この 動きが あるから、ものを しっかり つまめます。
対立は、人だけの とくちょうでは ありません。サルの なかまにも たいりつが あると いわれて います。その 親指の 根元の 関節は、馬の せなかに のせる くらの ような 形です。
手を開いて、親指の腹を人さし指、中指、薬指、小指の腹へ順に合わせてみてください。小指に合わせるときは、親指が手のひらを大きく横切ります。この動きを、解剖学では「対立」と呼びます。
手の研究者ナピアは1961年に、親指の腹をほかの指に向け、手のひらを横切って小指側へ動かせることを、対立と定義したとされます[2]。ナピアは1956年には、手のつかみ方を、指と手のひらで挟む「力の握り」と、親指と指の腹でつまむ「精密なつまみ」に分けてもいます。精密なつまみでは、親指が指に向かい合います[1]。
対立は、ヒトだけの特徴ではありません。真の対立は旧世界ザル、類人猿、ヒトにあるとされ、どれも親指の根元の関節が鞍(くら)の形をした骨を持っています[2]。親指の動きの秘密は、この「鞍」にあるようです。
手を開いて親指の腹をほかの4指の腹へ順に合わせると、小指に合わせるときに親指が手のひらを大きく横切る。ナピアは1961年に、この動きを対立と定義したとされる。親指の腹を他の指に向け、手のひらを横切って小指側へ動かせること、という定義である[2]。
この定義が大切なのは、動きを「つかみ方」から切り離しているからだ。ナピアは1956年の論文で、手のつかみ方を、指と手のひらで物を挟む「力の握り」と、指の腹と向かい合う親指でつまむ「精密なつまみ」の2つに整理した。力の握りでは親指は手のひらの面にそって反対向きの力を加え、精密なつまみでは親指が指に向かい合う[1]。ここで確かめられたのは1956年論文の抄録の範囲であり、1961年の定義も総説経由の要約である。
対立はヒトだけのものではない。総説によれば、真の対立は旧世界ザル、類人猿、ヒトにあり、その関節は鞍形の大菱形骨を持つ[2]。では、その「鞍」の上で、親指の骨は実際にどう動いているのか。
2. 親指の 根元では、骨が どう 動くの?
2. 親指の根元は「ねじれた鞍」で、骨がくるっと回る
2. 親指の根元の関節は、なぜ「ねじれた鞍」と呼ばれるのか
親指の 根元の 関節は、手首の ちかくに あります。手の ひらの 骨と、手首の 骨が 出合う ところです。
この 関節は、「ねじれた くら」と たとえられます。まがる、ひらく、そして 回る ことが できます。
回る ときに、親指の 骨は、ほかの 指と 向かい合う 向きに ねじれます。ひらききった ところでは、骨の でっぱりが、となりの 骨の くぼみに はまって、しっかり 安定します。
手の 手術を する 先生たちは、向かい合う 動きは、この 関節の 形に ほとんど たよって いると のべて います。
親指の根元には、手首の小さな骨(大菱形骨)と、手のひらの骨(中手骨)がつくる関節があります。名前は「手根中手関節」で、略してCM関節とも呼ばれます。
この関節は、よく「ねじれた鞍」にたとえられます。曲げ伸ばし、開閉、回旋ができるとされ、手の外科医らは、向かい合う動きはこの関節に独特なつくりにほぼ頼っていると述べています[4]。回転の自由度の数は文献によって数え方が違うので、「何方向に動く」とは言い切れません。
日本の研究の抄録には、CM関節は完全な鞍関節ではないため、中手骨が親指を向かい合わせる方向へ回旋する、とあります。最大に開いた位置では、中手骨の突起が大菱形骨のくぼみにはまり、いちばん安定するそうです[3]。
骨は鞍の上をただ滑るのではなく、少しねじれながら位置を変えます。そのねじれが、親指の腹を小指へ向ける動きの正体です。
親指の根元は、手根骨の一つである大菱形骨と第1中手骨がつくる手根中手関節(CM関節)である。解剖の文献では「ねじれた鞍」と形容され、屈曲・伸展、外転・内転、回旋ができるとされる。手の外科医らは、対立の動きはこの関節に独特な解剖にほぼ頼っていると述べる[4]。自由度の数え方は文献で異なるので、「3方向」などと数は断定しない。
なぜ回旋が起こるのか。岡山医学会雑誌の抄録は、CM関節が完全な鞍関節ではないため、中手骨が母指と対立する方向へ回旋するとまとめる。最大に開いた位置では中手骨の突起が大菱形骨のくぼみにはまり、関節はもっとも安定する[3]。つまり、完全な鞍のようにかっちり噛み合う形ではないために、骨がねじれる余地が生まれ、そのねじれがそのまま「向かい合う向き」になる、という説明である。
ただし、この回旋が筋の力で最後まで起こるのか、靭帯の張りが先に回すのかは、文献で記述が分かれる。次は、親指を向かい合わせる筋を見る。
3. 親指の つけ根の ふくらみは、なにを して いるの?
3. 親指のつけ根のふくらみには、向かい合わせる筋肉がある
3. 母指球の筋と母指対立筋:向かい合わせを担う筋は何か
親指の つけ根を さわって みて ください。ぷっくりと ふくらんで います。ここには、親指を 動かす 筋肉が あつまって います。
その 中に、親指を 小指に 向かい合わせる 役目の 筋肉が あります。「たいりつきん」と いいます。手首の ちかくの 骨から はじまって、親指に つながります。
この 筋肉を 動かす 合図は、「正中神経」と いう 神経が はこびます。親指を 手の ひらに 引きよせる 筋肉も あって、こちらは べつの 神経が 動かします。
親指のつけ根のふくらみは「母指球(ぼしきゅう)」と呼ばれ、いくつかの筋肉が集まってできています。短母指外転筋、母指内転筋、母指対立筋などです[5]。筋の本数は数え方で変わるので、ここでは代表的な名前を挙げるにとどめます。
向かい合わせの主役は、名前のとおり母指対立筋です。大菱形骨の突起から起こり、親指を向かい合わせます。正中神経が支配しています[9]。母指内転筋は、親指を手のひらに引きよせる側にはたらきます[5]。
関節の形が「回れる余地」をつくり、筋肉がその余地の中で親指を動かす。そう考えると、関節と筋肉は分担して対立を支えているように見えます。
親指のつけ根のふくらみである母指球は、短母指外転筋、母指内転筋、母指対立筋などでできている[5]。母指対立筋は大菱形骨の結節から起こり、親指を向かい合わせる。正中神経の支配である[9]。母指内転筋は親指を手のひらに引きよせる側にはたらく[5]。筋の数は数え方によって変わるため、数は断定しない。
ここで、前章の関節の形と、この筋の位置を重ねてみる。対立筋は、回旋の余地をもつ関節の起点(大菱形骨)から出て親指に向かうので、関節の形がつくる「向かい合う向きの動き」に、そのまま力を与える配置になる。これは構造からの読みで、資料が直接述べた表現ではない。
臨床の報告では、対立運動の障害は、CM関節の動きの低下と関連して現れる。対立が弱ると、物のつかみ方に支障が出る[5]。ただし、これは3名とボランティア2名の小規模な研究に基づく記述で、効果を一般化することはできない。
4. 化石の 手から、昔の 人の 親指が 分かるの?
4. 化石の手の骨から、昔の人の親指の使い方を探る
4. 化石の手の骨から探る、人らしい親指の使い方:結論が分かれる研究
手の 骨は、ふるい 化石として のこる ことが あります。研究する 人たちは、その 骨の かたちや、中の つくりを しらべます。
2015ねんの 研究では、南アフリカで 見つかった 300万年から 200万年 前ごろの 化石が、しらべられました。親指と 指を 力を いれて 向かい合わせる 使い方に あう、人に にた 骨の つくりだった、と ほうこくされました。
べつの しゅるいの 化石では、手の ひらの 骨が、にぎる ことにも つまむ ことにも 合って いたらしい、という 研究が あります。でも 小指がわの 動きなど、人に ない とくちょうも あり、いまの 人の 手と くらべると、できる 動きの はんいは せまかったと 考えられて います。
いっぽうで、親指を 向かい合わせる のが うまく なったのは 200万年前ごろから、という 研究も あります。学者の あいだで、まだ 意見が わかれて います。
化石として残る手の骨は、親指の使い方を考える手がかりになります。骨の形や、骨の内側の細かいつくりに、よく使った向きの力のあとが残ると考えられているからです。
2015年、南アフリカで見つかった約300万〜200万年前のアウストラロピテクス・アフリカヌスの中手骨を調べた研究が、サイエンス誌に報告されました。骨の内部構造(海綿骨)が、力を入れて親指と指を向かい合わせる使い方に合う、人間的なパターンだったというものです。この種は、石器づくりをふつうはしないと考えられていました[6]。ただし「石器を作った」と言い切られたわけではなく、使い方が似ていた可能性が示されたにとどまります。
同じ年、アファレンシスの中手骨を調べた論文は、第3・第4中手骨のねじれが人間的で、手のひらの内側は握りにもつまみにも適応していたらしいと述べました。小指側の動きなど現代人にない特徴もあり、現代人の手と比べると、できる操作の範囲は限られていたと考えられています[7]。これはアファレンシス一種の話で、ほかの人類すべてに当てはまるわけではありません。
これらと違い、2021年の研究(カラコスティスら)は、親指の対立筋の働きを骨の形から仮想モデルで推定し、親指をうまく向かい合わせる効率の高さは約200万年前ごろ(ホモ属の頃)に現れ、アウストラロピテクスにはなかったと報告しました[8][10]。これは化石そのものではなく、骨の形をもとにしたモデルによる推定です。筋の付着の跡からの推定で、別の研究者からは批判もあります。結論は割れていて、議論中です。
親指の「向かい合わせ」は、化石の骨からどこまで読めるのか。2015年のスキナーらの研究(Science)は、約300万〜200万年前の南アフリカのアウストラロピテクス・アフリカヌスの中手骨内部の海綿骨が、力を入れて親指と指を向かい合わせる使い方と合う、人間的なパターンだったと報告した。石器づくりをふつうはしないと考えられていた種であり、そのため注目された。ただし「石器を作った」とは断定されておらず、使い方が似ていた可能性にとどまる[6]。
同年のドラポーの論文(PeerJ)は、アファレンシスの第3・第4中手骨のねじれが人間的で、手のひらの内側は握りにもつまみにも適応していたらしいと述べる。一方で、小指側の動きなど現代人にない特徴も残り、現代人の手と比べると、できる操作の範囲は限られていたと考えられる[7]。これはアファレンシスについての記述であり、人類全体の能力差を述べたものではない。種によって結果が違う点にも注意が要る。アフリカヌスが人間的かどうかは、この論文からははっきりしない。
これに対し、2021年のカラコスティスらの研究(Current Biology)は、骨の形から親指の対立筋の働きを仮想モデルで推定した。親指をうまく向かい合わせる効率の高さは約200万年前ごろ(ホモ属の頃)に現れ、アウストラロピテクスにはなかったとし、ホモ・ナレディも高いと報告した[8][10]。骨の形をもとにしたモデルによる推定であり、筋の付着の跡からの推定でもある。別の研究者の批判もある。
結論が分かれるのは、調べる部位(骨内部の構造か、筋の付着か)と、「人間的」の基準が研究で違うためと考えられる。これは資料からの推測である。年代を一つに決めることはできず、議論が続いている。
5. じぶんの 親指で たしかめて みよう
5. 親指のつけ根を、自分の手で確かめる
5. 対立を、自分の手と資料で確かめる
きょう できる こと
親指の つけ根の ふくらみに、はんたいの 手の 指を あてます。そのまま、親指の はらを 小指の はらに 近づけて みましょう。ふくらみが かたく なるのが 分かるでしょうか。筋肉が はたらいて いる しるしです。
しらべる とき
化石の 手の 研究は、日本語の 記事でも 読めます。おうちの 人と いっしょに さがして みましょう。
今日できること
親指のつけ根のふくらみに、反対の手の指を当てます。そのまま親指の腹を小指の腹へ近づけると、ふくらみがかたくなるのが分かります。関節の位置も、ふくらみの奥の手首寄りに指で探してみましょう。強く押さず、痛みがあれば無理に続けないでください。
資料を読むなら
2021年の研究は、日本語の解説記事[8]で読めます。親指の筋肉の名前は、日本医科大学医学会雑誌の抄録[5]で確かめられます。
今日できること
親指のつけ根のふくらみを反対の手で触りながら、親指を小指へ近づける。母指球の筋が硬くなるのが分かる。自分の手で、母指球の位置と、関節がある手首寄りの位置を比べるとよい。痛みがあれば無理をしない。
資料を読むなら
日本語で読めるものとして、岡山医学会雑誌の抄録[3]、日本医科大学医学会雑誌の抄録[5]、2021年の研究の解説記事[8]がある。ナピアの定義は総説(英語)[2]、化石の手は[6]・[7]が入口になる。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文で使った資料です。
- Napier JR, The prehensile movements of the human hand(Journal of Bone and Joint Surgery, 1956 抄録). https://boneandjoint.org.uk/Article/10.1302/0301-620X.38B4.902/pdf (握りとつまみの分け方)
- Boyer ほか, 手の総説(American Journal of Physical Anthropology). https://people.duke.edu/~dmb65/Boyer-Hand-Review_ajpa22392.pdf (対立の定義と鞍形の関節)
- 門前, 岡山医学会雑誌 94巻(1982年)抄録. https://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/ja/journal/joma/94/5-6/article/16772 (CM関節の回旋)
- Turker T, Thirkannad S, Indian Journal of Plastic Surgery(2011年). https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3193643 (ねじれた鞍と対立)
- 日本医科大学医学会雑誌 14巻3号(2018年)抄録. https://www.nms.ac.jp/sh/jmanms/abstract/014030125.html (母指球の筋と対立運動)
- マックス・プランク進化人類学研究所, Skinner ほか(2015年)解説. https://www.mpg.de/8886704/australopithecus-africanus-hands (アフリカヌスの中手骨)
- Drapeau MSM, PeerJ 3:e1311(2015年). https://peerj.com/articles/1311 (アファレンシスの中手骨)
- ギズモード・ジャパン(2021年), Karakostis ほか Current Biology の解説. https://www.gizmodo.jp/2021/02/human-thumbs-got-a-major-upgrade-2-million-years-ago.html (約200万年前の親指の性能向上)
- Wikipedia「母指対立筋」. https://ja.wikipedia.org/wiki/母指対立筋 (起こる場所と神経支配)
- Karakostis FA ほか, Current Biology 31(2021年). https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC7987722 (仮想モデルによる対立筋の効率の推定)
なおした ところ
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