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東京駅とうきょうえきの 赤あかれんがの 駅舎えきしゃは、ほんとうに むかしの すがたに もどしたの?

東京駅丸の内駅舎は、どこまで復原されたの? 丸の内駅舎で戻したもの・残したもの・足したもの

東京駅丸の内駅舎の保存・復原工事(2007〜2012年) ── 戦災で失われた部分をどう戻し、何を残し、何を加えたか

分野:歴史・文化

いまの 東京駅とうきょうえきの 赤あかれんがの 駅舎えきしゃには、1914ねんの 壁かべと、2012ねんに つくった ところが、いっしょに あります。

「むかしの すがたに もどした」と いわれますが、ぜんぶ つくりなおしたのでしょうか。それとも、むかしの ものを のこしたのでしょうか。この 記事では、なにを もどし、なにを のこし、なにを たしたのかを みて いきます。

東京駅の丸の内側にある赤煉瓦の駅舎には、1914年にできた部分と、2012年に新しく作られた部分が、いっしょに残っています。さらに、1945年の空襲のあとが残る部材も、駅の中で見られるそうです[1]。

「創建のときの姿によみがえった」と言われますが、全部を作り直したわけではありません。この記事では、戻したもの、残したもの、足したものを分けて、2007年から2012年の工事を見ていきます。

東京駅丸の内駅舎は、2007年5月30日に着工した保存・復原工事を経て、2012年10月1日に完成した[3]。JR東日本は、これを創建当初の姿への「復原」と呼んでいる[2]。駅舎の中には、1914年の煉瓦壁、1945年の戦災の痕跡が残る木煉瓦、2012年に新設された部分が並んで見られる[1]。

では、どこまでが「昔の姿」なのか。この記事は、戻したもの(3階と南北ドーム)、残したもの(1・2階の煉瓦の躯体など)、足したもの(地下の免震装置)に分けて整理する。「復原」と「復元」という言葉の使い分けにも触れる。

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1. なにを もどして、なにを のこしたの?

1. 答えは「戻した・残した・足した」の3つ

1. 結論 ── 3階とドームを戻し、1・2階を保存し、地下に免震を加えた

さきに こたえを いいます。ぜんぶを つくりなおしたのでは ありません。

  • もどした もの:戦争せんそうで なくなった 3階かいと、南北なんぼくの ドームの 屋根やねです。
  • のこした もの:のこって いた れんがの 壁かべなどです。
  • たした もの:地下ちかの 免震めんしんの 装置そうちです。地震じしんの ゆれを やわらげます。

いまの すがたは、戦争せんそうの まえの すがたに ちかづけた ものだと いえます。でも、ぜんぶが 1914ねんの ままでは ありません。

先に答えを書きます。全部を作り直したのではありません。

  • 戻したもの:戦災で失われた3階と、南北のドームです。
  • 残したもの:1・2階の煉瓦の建物の部分などです。保存して、傷んだところは直しました[4]。
  • 足したもの:地下1・2階と、地震の揺れをやわらげる免震装置です[3]。

つまり「昔の姿」とは、1914年の創建のときの外観に近づけたという意味です。中身は、100年以上たった建物を使い続けるために、新しく作られた部分もあります。

丸の内駅舎の保存・復原工事は、次の3つに分けて見ると分かりやすい。

  • 復原した部分:1945年の空襲で失われた3階と南北ドーム。創建時の資料を調べて元の形に戻した[4]。
  • 保存した部分:1・2階の躯体など、残っていた煉瓦造の部分。保存修復された[4]。
  • 加えた部分:地下1・2階の増築と、地上部と地下部のあいだの免震装置(免震ゴムとオイルダンパー)[3]。

「復原」は外観の復原が中心で、耐震性・機能性は現代の要求に合わせて新設されている。創建時の部材を残しながら、失われた部分を復原し、地下に免震装置を加えた工事である。なお、各部材の何割が創建当時のものかを示す、信頼できる数字は今回は見つけられなかった。

2. 「ふくげん」には 2つ あるの?

2. 「復原」と「復元」はどうちがう?

2. 「復原」と「復元」 ── 出典ごとの言葉づかい

この 駅舎えきしゃの 工事は、「復原ふくげん」と 書かれる ことが 多いです。復元ふくげんと 書く 本も あります。どちらも 「ふくげん」と 読みます。

ある 本では、つぎの ように わけて いると いわれます。ただし、本に よって いいかたが ちがう ことも あります。

  • 復元ふくげん:なくなった ものを、ひとから つくりなおす こと。
  • 復原ふくげん:のこって いる ものを いかして、もとの かたちに もどす こと。

この 記事でも、JR東日本ひがしにほんの 言いかたに あわせて、「復原ふくげん」と 書きます。

この工事は、JR東日本の資料では「復原」と書かれています。読み方はどちらも「ふくげん」です。

次のように使い分けると説明する資料があります[2][5]。

  • 復元:なくなったものを、一から作り直すこと。
  • 復原:残っている部材をできるだけ保存して使い、元の形に戻すこと。

ただし、新聞や本では「復元」と書かれることもあります。この記事は、JR東日本の呼び方にそろえて「復原」と書きます。出典を引用するときは、出典の書き方のままにします。

JR東日本は、この工事を「保存・復原工事」と呼ぶ[2]。建築・文化財の分野では、後世の修理で改造された部分を原型に戻すことを「復原」と呼ぶとされ[2]、一から作り直す「復元」と区別する説明もある[5]。

ただし、この使い分けは出典によって揺れる。たとえば百科事典サイトは、2000年の方針や2007〜2012年の工事には「復原」、1947年の戦後工事で軒蛇腹などを忠実に再現した箇所には「復元」を使っている[3]。報道記事にも、この工事を「復元」と書くものがある[6]。本記事では、JR東日本の表記に合わせて「復原」を使い、出典の引用は原文の表記のままにする。

3. むかしの すがたは、どうして なくなったの?

3. 1945年の空襲で、ドームと3階が失われた

3. 1914年の創建から、1945年の空襲、1947年の戦後復興まで

この 駅舎えきしゃは、1914ねんに できました。設計せっけいした 人は、辰野金吾たつのきんごさんです[4]。

でも、1945ねんの 5月がつ25日にちに、空襲くうしゅうが ありました。屋根やねは もえて おち、中なかの かざりの ほとんども なくなりました[3]。

戦争せんそうが おわった あと、1947ねんまでに なおされましたが、もとの すがたには もどりませんでした。3階かいは なくなって、2階かいまでの たてものに なり、ドームの 屋根やねも 形かたちが かわりました[4]。

それから 60ねんいじょう、その すがたの まま つかわれて きました。

この駅舎は1914年(大正3年)に、辰野金吾の設計で開業しました[4]。

1945年5月25日の空襲で、鉄骨造の屋根が焼け落ち、内装の大半が失われました[3]。煉瓦の壁は、残りました。

戦後すぐに修復が計画され、1947年までに工事が行われました。ただし、元の姿には戻らず、焼けた3階は取り除かれて2階建てになりました。南北のドームは、丸い形から八角形の屋根に変わりました[4][3]。戦後の物資の足りない時期の、いわば仮の姿でした。それでも、その姿で60年以上使われ続けました。

1987年に国鉄が分割民営化されたあと、赤煉瓦の駅舎を壊して高層ビルにする案も検討されました。それに対して「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」ができるなど、残そうとする動きが広がりました[7]。2000年に創建当初の姿に復原する方針がまとまり、2003年に国の重要文化財に指定されました[3]。

丸の内駅舎は辰野金吾の設計で1914年(大正3年)に開業した[4]。1945年5月25日の空襲で、鉄骨造の屋根が焼け落ち、内装の大半が失われた。煉瓦造の壁は残った[3]。

1945年8月に修復計画が立てられ、年末から1947年にかけて工事が行われた。焼失が著しかった3階の内外壁は取り除かれて2階建てになり、南北のドームは丸型から八角形の屋根に変更された。ホール天井はパンテオンを模した意匠にされた[3]。

この戦後の姿は応急的な性格が強い。1987年の国鉄の分割民営化のあとには、赤煉瓦駅舎の撤去や高層化が検討され、「赤レンガの東京駅を愛する市民の会」が発足するなど、保存を求める動きが広がった[7]。2000年に、創建当初の姿に復原する方針がまとめられ[3]、2003年には国の重要文化財に指定された[3]。

4. むかしの すがたは、なにを みて しらべたの?

4. 屋根裏で見つかった写真と、残っていた部材

4. 復原の手がかり ── 屋根裏の写真・文献・残存部材

なくなった ところは、どんな かたちだったのでしょう。むかしの 図面ずめんや 古い 写真しゃしんが てがかりに なりました。

屋根裏やねうらに のこって いた 写真が 見つかり、こまかい ところは、コンピューターで 写真を くわしく しらべた、と いわれます[3]。ドームの 中には、干支えとや、とても 大きな ワシの ほりものが ありました。それも、もとの ように つくられました[3]。

3階とドームは、どんな形だったのでしょう。手がかりは、創建時の資料と、現場に残っていたものです。

百科事典サイトによると、屋根裏から写真が見つかり、細かい部分はコンピューターで解析されたそうです[3]。ドーム内部の干支や、2メートルを超えるワシの彫刻も、創建時の意匠を再現したものとされます[3]。用語解説サイトは、機関車の車輪をまねたデザインも、当時の写真や文献をもとにしたと説明しています[5]。

復原の根拠は、創建時の資料と現存部材の調査である。百科事典サイトは、屋根裏に残っていた写真が見つかり、細部はコンピューター処理で解析されたこと、過去の文献調査も行われたことを伝える[3]。

南北ドームの天井・壁面には、干支や2メートルを超えるワシの彫刻など、創建時の意匠が再現された[3]。用語解説サイトは、ドーム内部は当時の写真や文献に基づいて再現され、「現存する創建当時の部材をできる限り保存・活用する」方針だったと説明する[5]。

5. れんがと 屋根は、どうなったの?

5. 煉瓦と屋根のスレートは、どうなったのか

5. 煉瓦・スレート ── 残した壁と、津波をかぶった屋根材

駅舎えきしゃの 中に 入ると、1914ねんの れんがの 壁かべが 見られる ところが あります。1945ねんの 空襲くうしゅうの あとが のこる 木の れんがも あります[1]。

外そとがわの 赤あかい れんがは、むかしの いろに ちかづけるように、なんども やいて いろあわせを した、と いわれます[4]。

屋根やねに つかう ために よういして いた 石の ような かわらが、東日本大震災ひがしにほんだいしんさいの 津波つなみを かぶりました。でも、つかえる ものは あらって、もう いちど つかわれた、と つたえられて います[4]。

駅の中には、1914年の煉瓦の壁と、1945年の戦災の痕跡が残る木煉瓦、2012年の工事で新しく作られた螺旋階段が、近くで見られる場所があります[1]。建物を支える構造煉瓦は、東京ステーションギャラリーの壁でも見られます[4]。

外壁の化粧煉瓦は、愛知県常滑産で、創建時に近い色にするため何度も焼いて色合わせをしたと伝えられます[4]。

屋根のスレートは、宮城県雄勝産の天然石が使われています。用意していた材料が2011年の津波をかぶりましたが、洗浄と検査をして使われたとされます[4]。百科事典サイトは、使えたのは古い屋根材のうち約4万5000枚で、足りない分は別の産地の石で補ったと伝えています[3]。

駅舎内には、1914年の創建時の煉瓦壁、戦災の痕跡が残る木煉瓦、2012年の復原時に新設された螺旋階段が並ぶ場所がある[1]。構造煉瓦は、東京ステーションギャラリーの壁面でも見られる[4]。外壁の化粧煉瓦は愛知県常滑産とされ、創建時の色に近づけるために焼成を重ねたと伝えられる[4]。

屋根材のスレートは、宮城県雄勝産の天然スレートである。用意していた材料が2011年の津波をかぶったが、洗浄・検査を経て使われた[4]。百科事典サイトによれば、旧屋根材の雄勝石約6万5000枚のうち、使用可能な約4万5000枚を再利用し、不足分の約2万枚は外国産で補った[3]。これは一つの二次資料の数字であり、JR東日本の一次資料で確かめたものではない。

6. ゆれを やわらげる そうちは、どこに あるの?

6. 見えない「免震」と、お金のしくみ

6. 免震構造と、空中権(容積率の移転)による事業費

この 工事では、地上ちじょうの たてものと 地下ちかの あいだに、地震じしんの ゆれを やわらげる 装置そうちも つけられました。免震めんしんと いいます。

ゴムの ような ものと、ゆれを おさえる ダンパーが、しかけられて います。かずは、ゴムの ほうが 約やく350こ、ダンパーが 約やく160こと いわれます[5]。

この 工事こうじは、電車でんしゃを うごかしながら すすめられました[8]。かかった お金は、およそ 500億円おくえんです[2]。

地震への備えとして、地上の部分と地下の部分のあいだに、免震ゴム(アイソレータ)とオイルダンパーが入れられました[3]。数は、用語解説サイトによれば、アイソレータが約350台、ダンパーが約160台です[5]。駅舎は全長約335mあり、全体が免震化されました[8]。

工事は、電車を走らせたまま進められました。上の部分を仮の杭で支え、地下に免震装置を入れてから、重さを本設の杭へ移したと説明されています[6]。

お金は約500億円で[2]、東京駅の使っていない容積率(建てられる広さ)を周りのビルへ移して売る、「空中権」のしくみで集められました。2001年に始まった特例容積率適用区域の制度が、保存を後押ししたとされます[7]。

地上部と地下部のあいだには免震ゴムとオイルダンパーが設置された[3]。数は、用語解説サイトによれば約350台のアイソレータと約160台のダンパー[5]、別の記事では352台と158台と書かれる[6]。数え方で幅があるため、本記事は「約」を付ける。全長約335mの駅舎全体が免震化され、運行を続けながら施工された[8]。上部の復原中は仮受け杭で荷重を支え、免震装置の設置後に本杭へ移した[6]。

事業費は約500億円[2]。財源は、東京駅の未利用の容積率を丸の内地区の高層ビルへ移転(売却)することで賄われた。2001年施行の特例容積率適用区域制度が、その仕組みを可能にした[7][3]。なお、延べ床面積は工事前の約2.2倍になったと報じられている[2]。

7. じぶんの 目で、たしかめて みよう

7. 実際に見て、確かめてみよう

7. 現地で確かめるなら ── 読み比べの視点

もし 東京駅に 行く ことが あれば、おうちの 人と いっしょに、人の じゃまに ならない ところで、上うえを 見上げて みて ください。

  • 3階かいの 窓まどと、ドームの 屋根やねは、どこに ありますか。
  • れんがの いろは、階かいに よって、ちがって 見えますか。

ドームの 中を 見る ときは、天井てんじょうの ワシや 干支えとも さがして みましょう。ひろい 駅えきの なかでは、たちどまらずに、まわりの 人に 気きを つけましょう。

東京駅に行くことがあれば、人の流れのじゃまにならない場所で、次のことを確かめてみてください。

  • 3階の外壁と、南北のドーム。ここが「戻した部分」です。
  • 1・2階と3階で、煉瓦の色合いに違いがあるか。
  • ドームの内側にある、ワシと干支の彫刻。

東京ステーションギャラリーでは、構造煉瓦の壁も見られます[4]。見学の方法や時間は変わることがあるので、行く前に公式の案内を見てください。

もっと知りたくなったら、「戻した」のは何か、「残した」のは何か、という目で、JR東日本の発表や、保存・復原工事の報告書を読み比べてみてください。

現地で確かめるなら、次の点を見るとよい。

  • 3階の外壁とドームが「復原した部分」、1・2階が「保存した部分」にあたる。外壁の色合いが階で異なるかを見る。
  • 南北ドーム内の干支とワシの彫刻、八角形の見上げ部分。
  • 駅内の創建時の煉瓦壁や木煉瓦(戦災の痕跡)、構造煉瓦を見せる展示室[1][4]。

調べるなら、本記事が多くを頼った百科事典サイトの記述は二次資料なので、JR東日本・東京ステーションギャラリー・文化庁(国指定文化財データベース)などの一次資料や、工事の報告書で、数字や根拠史料を確かめてみてほしい。見学の営業時間や公開範囲は変わるので、公式の案内で確認すること。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

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出典について:細かい工事の内容(根拠となった写真、使われた石の枚数、免震装置の数など)の多くは、百科事典サイト(Wikipedia)や用語解説サイト・報道の要約に頼っています。JR東日本の技報や工事報告書などの一次資料では確かめきれていません。数字は「約」「とされる」と読んでください。

  1. JRE MEDIA(JR東日本)「東京駅で時間旅行をしてみませんか?」。 https://media.jreast.co.jp/articles/6263 (1914年の煉瓦壁、戦災の痕跡が残る木煉瓦、2012年に新設された螺旋階段、「復原」の表記)
  2. nippon.com「レトロな東京駅のモダンな“おもてなし”」(2012年10月2日)。 https://www.nippon.com/ja/views/b01601/ (2012年10月1日の復原完成、約500億円、「復原」の意味、床面積)
  3. Wikipedia「東京駅」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/東京駅 (戦災と1947年の復興、2007年5月30日着工、復原の根拠、スレートの枚数、免震装置、重要文化財指定、「復原」「復元」の表記)
  4. さんたつ by 散歩の達人「東京駅のマニアックな見どころ教えます!」(交通新聞社)。 https://san-tatsu.jp/articles/101234/ (辰野金吾の設計、2階建てへの変更、雄勝スレートと津波、常滑産の煉瓦、構造煉瓦の展示)
  5. imidas「東京駅丸の内駅舎」。 https://imidas.jp/hotkeyword/detail/L-00-210-12-10-H016.html (復元と復原の違い、ドーム内部の根拠、免震装置の数)
  6. 現代ビジネス「10月2日 東京駅丸の内駅舎の復元工事完成(2012年)」。 https://gendai.media/articles/-/69153 (免震装置の数、仮受け杭と本杭の工法、「復元」と書く例)
  7. 東洋経済オンライン「丸の内駅舎はなぜ残せたのか 都市はストック活用へ」(工事中の記事。ページの公開日は2017年)。 https://toyokeizai.net/articles/-/562338 (1987年以降の保存運動、特例容積率適用区域制度、空中権、事業費)
  8. 土木学会 技術賞(2013年度)の受賞業績の紹介ページ。 https://jsce.or.jp/prize/tech/files/2013_11.shtml (駅舎全長約335m、全体の免震化、運行を続けながらの工事)

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