1. どうして、わざと びょうきに するの?
1. 天然痘と、膿を使う「人痘法」
1. 天然痘の致死率と人痘法 ── 中国の記録と、人痘法の死亡率
てんねんとうと いう、とても こわい びょうきが ありました。かかった 人の 10人に 3人ぐらいが、なくなった と いわれます[1]。
一どかかると、もう かかりにくい、と 考えられて いました。そこで、あちこちで、てんねんとうの うみを 人に うって、しぬ 人を へらそうと する ほうほうが 行われました。たとえば 中国では、かさぶたを かわかして こなに し、くだで はなに ふきこんだ、という 記ろくが あります[2]。
ただし、これは あんぜんでは ありませんでした。この ほうほうで なくなる 人も、100人に 1〜2人 いました[3]。
10人に3人が亡くなる病気
天然痘は、かかった人の平均10人に3人が亡くなる病気でした[1]。ただ、一度かかると再びかかりにくい、と考えられていたようです[2]。
天然痘の膿を使う「人痘法」
そこで、天然痘にかかったことのない人に、天然痘の膿を傷から入れたり、鼻から吸わせたりして、自然にかかるより死亡率を下げようとする方法が、アジアやアフリカなどで行われました。人痘法と呼ばれます。1500年代半ばの中国では、かさぶたを乾かして粉にし、管で鼻に吹き込む方法の記録があります[2]。始まりの古さには諸説あり、紀元前200年ごろという説もあります[2]。
この方法で亡くなる人は1〜2%で、自然にかかった場合の約30%よりはずっと低いものでした。それでも安全ではなく、軽い症状の人から周りに広がる危険もありました[3]。
天然痘は、罹患者の平均10人に3人が死亡した[1]。この病気には、一度かかると再びかかりにくいと考えられており、それを使って、未罹患者に天然痘の膿を傷から接種する、あるいは鼻から吸入させて、自然感染より死亡率を下げようとする人痘法(variolation)が、アジア・アフリカなどで古くから行われた。1500年代半ばの中国では、乾燥させたかさぶたを粉にし、管で鼻に吹き込む吹入法の記述がある。起源には諸説あり、紀元前200年ごろとする説もあるが、断定はできない[2]。再びかかりにくいという認識も、この資料にもとづく。
米国立医学図書館(NLM)の展示解説によれば、人痘法を受けた人の死亡は1〜2%で、自然感染での約30%より低い。ただし安全ではなく、軽症の被接種者から周囲へ広がるおそれもあった[3]。
2. びょうきの ふせぎかたは、どうやって 海を わたった?
2. 1717年、大使の妻がイギリスへ持ち帰った
2. 1717年 ── モンタギュー夫人と人痘法のヨーロッパ伝播
1717ねん、イギリスの たいしの おくさん、メアリーさんが、トルコの まちで この ほうほうを 知りました[3]。
メアリーさんは、のちに イギリスへ ひろめた、と つたえられて います。1721ねんごろには、王ぞくの 人にも おこなわれました[3]。
この ころの ほうほうは、まだ あぶなさが ありました。もっと あんぜんな ほうほうを さがす 人が、あらわれます。
1717年、イギリス大使の妻レディ・メアリー・ウォートリー・モンタギューが、コンスタンティノープル(今のイスタンブール)で人痘法を知りました[3]。のちに彼女がイギリスへ広めたとされます。
1721年ごろには、人痘法が安全かどうかを確かめるため、囚人や孤児などに接種が行われたと伝えられ、王族にも接種されました[3]。当時の人たちの選択を、いまの感覚でそのままよいとは言えません。それでも、この試みがヨーロッパで人痘法を広げるきっかけの1つになったと、資料では説明されています。
1717年、英国大使の妻レディ・メアリー・ウォートリー・モンタギューは、コンスタンティノープルで人痘法を知り[3]、のちに英国へ広めたとされる。1721年ごろには、安全性を確かめる目的で、囚人や孤児などにも接種が行われたとされ、王族にも接種された。なお、囚人や孤児を対象としたこうした試験は、現代の研究倫理では認められない。
3. うしの びょうきが、ヒントに なった
3. 「乳しぼりの女性は天然痘にかからない」── ジェンナーの1796年
3. 1796年5月14日 ── ジェンナーの牛痘接種と、1798年の報告
1796ねん、イギリスの おいしゃさん ジェンナーさんは、ある うわさに ちゅうもくしました。うしの 「ぎゅうとう」と いう びょうきに かかった、ちちしぼりの 女の人は、てんねんとうに かからない、と いうのです[5]。
ジェンナーさんは、5月14日に、8さいの 男の子に、ぎゅうとうの うみを うちました[5]。そのあと、てんねんとうの うみを うっても、男の子は 元気だった、と つたえられて います[2]。
ただし、これは いまの 目で 見ると、子どもに とても あぶない ことを した、ということです。いまでは、こんな ふうには ゆるされません。
地元の言い伝えを、確かめた人
1796年、イギリスの医師ジェンナーは、「牛痘(牛がかかる天然痘に似た病気)にかかった乳しぼりの女性は、天然痘にかからない」という話に注目しました[5]。この話はもともと地元にあった言い伝えで、ジェンナーはそれを試して確かめた人です。
5月14日、ジェンナーは、乳しぼりの女性サラ・ネルムズの手の牛痘から取った膿を、8歳の少年ジェームズ・フィップスに接種しました[5]。その後、少年に天然痘の膿を接種しても発症せず、健康だったと伝えられます[2]。
当時の実験は、いまの倫理では許されません。8歳の子どもに、天然痘という命にかかわる病気を近づけたからです。それを頭に置いたうえで、この記録がのちの予防接種の出発点の1つになったことを見ていきます。
本にして、世界へ
成果は1798年に『牛痘の原因と効果についての研究』という本にまとめられました。20年たたないうちに、ポルトガル語・フランス語・オランダ語・イタリア語、そして日本語など多くの言語に訳されたと、NLMは紹介しています[4]。
1796年、英国の医師エドワード・ジェンナーは、牛痘に感染した乳搾りの女性は天然痘にかからない、という地元の話に注目した。ジェンナーは「牛痘に最初に気づいた人」ではなく、この言い伝えを検証した人物だ。5月14日に、乳搾りのサラ・ネルムズの手の牛痘から採った膿を、8歳のジェームズ・フィップスに接種した[5]。その後、少年に天然痘の膿を接種しても発症せず、健康を保ったと伝えられる[2]。
ここで、実験の倫理に触れておく。8歳の子に、致死的な病気の膿を接種することは、現代の研究倫理では認められない。この歴史的な事例は、その前提で読む必要がある。
成果は1798年に『牛痘の原因と効果についての研究』として発表され、出版から20年たたないうちに、ポルトガル語・フランス語・オランダ語・イタリア語・日本語など多くの言語に訳されたという[4]。
4. 「ワクチン」は、どうして この なまえ?
4. 牛にちなむ名前を、パスツールが広げた
4. 語源 vacca とパスツールによる呼称の一般化
ワクチンは、ラテンごで うしを あらわす「ワッカ」から 来た ことばと いわれます[4]。ジェンナーさんが、うしの びょうきを つかったから です。
そのあと、フランスの パスツールさんという 人が、ほかの びょうきを ふせぐ くすりにも、この なまえを つけました。ジェンナーさんの 見つけた ことを たたえて、と つたえられて います[7]。
5. ほかの びょうきにも、つかえるように なった
5. 弱めた菌で、ニワトリコレラ・炭疽・狂犬病へ
5. パスツールの弱毒ワクチン ── 炭疽(1881年)と狂犬病(1885年)
パスツールさんは、ニワトリの びょうきの けんきゅうで、ふしぎな ことに 気づきました。ふるく なって よわく なった ばいきんを うたれた ニワトリは、かるい びょうきで すんで、なおった のです[6]。
この 考えを つかって、1881ねんには、たんそと いう びょうきの ワクチンが うまく いく ことを、人の 前で しめしました[6]。
1885ねんには、きょうけんびょうの 犬に かまれた 9さいの 男の子に、きょうけんびょうを ふせぐ ワクチンを うちました[7]。1886ねんの おわりまでに、350人に つかわれ、なくなったのは 1人でした[7]。
6. 日本には、いつ とどいたの?
6. 1849年、長崎から。緒方洪庵と、お玉ヶ池
6. 1849年の伝来 ── モーニッケ、緒方洪庵、お玉ヶ池種痘所(1858年)
日本には、1849ねんに とどきました。ながさきの 出島(でじま)に いた オランダの おいしゃさん、モーニッケさんが、7月20日に 3人の 子に うちました[8]。うまく いったのは 1人でした[8]。
その あと、おおさかで おがた こうあんさんが、たねを もらって ひろめました。「うしに なる」と いう うわさが あって、なかなか すすみません でした[9]。1858ねんには、えどの おやくしょも みとめました[9]。
長崎・出島から
1849年(嘉永2年)7月20日、長崎の出島にいたオランダ商館の医師モーニッケが、日本で種痘を行いました。バタビア(今のジャカルタ)から送られたかさぶたを、3人の子どもに接種し、うまくついたのは楢林宗建の三男1人だけでした[8]。
広がる種痘所
同じ1849年に、緒方洪庵が京都でモーニッケ由来の痘苗を手に入れ、大坂に除痘館を開きました。「牛になる」といった迷信があったと伝えられ、接種を広めるには苦労があったようです[9]。1858年には、幕府が牛痘による種痘を免許制で公認しました[9]。
同じ1858年、江戸にお玉ヶ池種痘所が開かれました。ここは、東京大学医学部の前身、発祥の地とされています[10]。
7. てんねんとうは、どう なったの?
7. 1980年、天然痘の根絶が宣言された
7. 1980年5月8日 ── 天然痘の根絶宣言
1980ねん5月8日、せかいの 国が あつまる かいぎで、「てんねんとうは、せかいから なくなった」と せんげんされました[1]。
ワクチンで ふせぐ ことを つづけた けっか、この びょうきが 人の 中から、きえた のです[1]。
8. 「ワクチン」の ことばを、さがして みよう
8. 身近な予防接種の記録と、地元の種痘の歴史
8. 出口 ── 記録を読むこと、地元の種痘所を探すこと
おうちの 人に たのんで、母子健康手帳の 予防接種の ページを、いっしょに 見せて もらいましょう。ワクチンの なまえが、いくつ かいて あるでしょうか。
この 記事は、ワクチンを うけるか どうかを すすめるもの では ありません。うけるか どうかは、おうちの 人や おいしゃさんと 話して きめます。
家の人にお願いして、母子健康手帳の予防接種のページを見せてもらいましょう。ワクチンの名前がいくつ書いてあるか、数えてみます。天然痘の種痘は、いまの記録には出てこないことも、そこから気づけるかもしれません。
もう1つ、自分の住む地域に、江戸時代の種痘所や除痘館の跡が残っていないか、市や県の郷土資料で探してみるのもよさそうです。見つからなければ、近くの郷土資料館や図書館で、地域の昔の病気や医療を調べてみましょう。この記事は、予防接種を受けるかどうかをすすめるものではありません。受けるかどうかは、家の人やお医者さんと相談して決めるものです。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
出典について:米国CDC・WHO・米国立医学図書館(NLM)などの公的機関の資料、医学史の解説、大学図書館の資料、Wikipedia(二次資料)を使った。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。
- CDC「History of Smallpox」。https://www.cdc.gov/smallpox/about/history.html (天然痘の致死率、1980年の根絶宣言について)
- WHO「History of smallpox vaccination」。https://www.who.int/news-room/spotlight/history-of-vaccination/history-of-smallpox-vaccination (人痘法の記録、フィップスのその後について。後者は検索抜粋にもとづく)
- NLM「Smallpox: Variolation」。https://www.nlm.nih.gov/exhibition/smallpox/sp_variolation.html (人痘法の死亡率、1717年・1721年の話について)
- NLM「Smallpox: Vaccination」。https://www.nlm.nih.gov/exhibition/smallpox/sp_vaccination.html (1798年の報告の翻訳、ワクチンの語源について。語源は要約にもとづく)
- History of Vaccines「Edward Jenner timeline」。https://historyofvaccines.org/history/edward-jenner-frs-frcpe/timeline/ (1796年5月14日の接種について)
- Gavi「Age of modern vaccines」。https://www.gavi.org/vaccineswork/age-modern-vaccines-abridged-history-vaccines-part-2 (ニワトリコレラと炭疽の実験について。二次資料)
- Wikipedia「Louis Pasteur」。https://en.wikipedia.org/wiki/Louis_Pasteur (「ワクチン」の総称と、狂犬病ワクチンについて。二次資料)
- 長崎大学附属図書館「牛痘の父モーニッケ」。https://www.lb.nagasaki-u.ac.jp/siryo-search/ecolle/igakushi/contents/08_mohnike.html (1849年の日本での最初の種痘について)
- Wikipedia「緒方洪庵」。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%92%E6%96%B9%E6%B4%AA%E5%BA%B5 (除痘館と幕府の公認について。二次資料)
- Wikipedia「種痘所」。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%AE%E7%97%98%E6%89%80 (お玉ヶ池種痘所について。二次資料)
なおした ところ
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