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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

バレンタインに 女の子が チョコを あげるのは どうして?

バレンタインに「女の子がチョコ」を贈る形は、どうやって広まったのか

バレンタインに女性がチョコを贈る習慣は、どう形づくられたのか ── 170円のセールから、14世紀の鳥の詩まで

分野:歴史・文化

日本で はじめての バレンタインセールで、うれた ものは、板チョコ 3まいと カード 1まい。ぜんぶで 170円 だったと いわれて います[2]。

この ちいさな うりばから、女の子が チョコを わたす 日が ひろがって いったようです。では、2月14日が こいの 日に なったのは、いつ、どうしてでしょう。この 記事で、その ながれが わかります。

日本で初めてのバレンタインセールの売上は、板チョコ3枚とメッセージカード1枚、合わせて170円だったとされています[2]。たった170円の売り場から、「女の子がチョコをわたす日」の形が育っていったようです。

お菓子屋さんは、何を思いついたのでしょうか。そもそも、なぜ2月14日が恋の日なのでしょうか。国内の企業の資料や解説、英国の中世の手紙まで調べると、この2つの答えの流れが分かります。

報道によれば、日本初のバレンタインセールの売上は、50円の板チョコ3枚と20円のメッセージカード1枚で、合計170円とされる[2]。現在の「女性から男性へチョコを贈る日」は、この小さな催しを出発点の一つとして形づくられた面がある。

お菓子屋はどんな売り方を考え、少女たちの習慣はどう関わったのか。そもそも2月14日が恋の日になったのはなぜか。企業資料、論者の見方、中世の詩と手紙を比べると、その流れが分かる。

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1. 170円だった はじめての バレンタインセール

1. 板チョコ3枚の売り場が、翌年に出した宣伝文句

1. 1958年のバレンタインセールと、翌年の「女性から男性へ」のコピー

1958ねんの 2月、東京の デパートで、メリーチョコレートという おかしやさんが、はじめての バレンタインセールを ひらきました[1]。

でも、うれたのは 板チョコ 3まいと、メッセージカード 1まいだけ。ぜんぶで 170円だったと、しんぶんの きじには あります[2]。

つぎの ねん、お店は ことばを かえました。「年に 一度、女の人から 男の人へ、すきだと つたえよう!」と いう よびかけです[2]。ハートの かたちの 板チョコに、名まえを いれた チョコも うりだしました[2]。

日本で「女の子が チョコを わたす」かたちが できた ことには、おかしやさんの うりかたが かかわって いると いわれます[4]。でも、お店だけが ひろげたのでしょうか。

1958年2月、メリーチョコレートは東京の百貨店で、初めてのバレンタインセールを開きました。同社の公式年表にも、その記録があります[1]。ところが、初回の売上は、50円の板チョコ3枚と20円のカード1枚の170円だったとされます[2]。この金額は報道の記事に出てくる数字です。

翌1959年、お店は宣伝の言葉を変えました。「年に一度、女性から男性へ愛の告白を!」というコピーを初めて使い、板チョコをハート形にして相手の名前を入れる「サインチョコ」も売り出しました[2]。

ここに、答えの大きな部分があります。「女性から男性へ」「チョコ」という日本の形をつくる要素の一つに、お菓子屋さんの売り方の工夫があったと説明されています[4]。ただ、お店の言葉だけで、全国に広まるものでしょうか。

メリーチョコレートの公式沿革には、1958年2月に東京の百貨店で初めてのバレンタインセールを実施したとある。百貨店名は沿革に書かれていない[1]。報道によれば、初回の売上は50円の板チョコ3枚と20円のメッセージカード1枚の合計170円だった。ただし、この金額は報道の記事にあるだけで、同社の公式沿革では確かめられない[2]。

注目すべきは、売れ行きの小ささより、翌1959年の宣伝文句である。「年に一度、女性から男性へ愛の告白を!」のコピーが初めて使われ、板チョコをハート形にして名前を入れるサインチョコも売り出された[2]。贈る人を「女性」、贈り物を「チョコ」と、最初から決めて売り出したことになる。

この点について、菓子会社の明治の解説は、日本では「愛の日」という本来の目的から離れ、イベントの対象が広がって「日本型バレンタインデー」に変わったと述べる[4]。売り方が形をつくった面は確かにある。しかし、売り場の言葉だけで習慣が根づくとは限らない。当時の少女たちの側には、何かあったのか。

2. お店より まえに、女の子たちが はじめて いた?

2. 1960年代の少女たちは、机の中にチョコを入れていた?

2. 習慣は売り場が先か、少女が先か ── 論者の見方と、1970年代の定着

ある 本で、こんな 見かたが しょうかい されて います。1960ねんだいに、小学生の 女の子たちが、いつもより はやく 学校へ きて、すきな 男の子の つくえに チョコを いれて いた、と いう はなしです[3]。

そのころの 少女ざっしには、「そうすると こいが かなう」と かいて あったとも いわれます[3]。この イベントを はじめたのは、少女たち だった、と かんがえる 人も います。ただ、これは ひとりの 人の 見かたです[3]。

1960ねんには、ほかの おかしの 会社も、バレンタインを うりはじめました[3]。そして 1970ねんだいに、今のような 行事として ひろまったと いわれます[3]。

のちには、ともだちに わたす「友チョコ」も ふえました。友だちや しごとの 人に くばる「ぎりチョコ」も あります[4]。かたちは、じだいと ともに かわって きたのです。

現代ビジネスの記事は、日本式の習慣を始めたのは企業より先に、1960年代の少女たちだったという見方を紹介しています。小学生が早く登校して、好きな子の机にチョコを入れた。少女雑誌には「そうすると恋がかなう」と書かれていた、という話です[3]。ただし、これは一人の論者の見方であり、広く確かめられた事実ではありません。

企業の動きも並行して進みました。1960年には森永製菓や芥川製菓などが、販売促進としてバレンタインを展開します。それが1970年代に、今のような行事として定着したと説明されます[3]。

やがて、恋人だけでなく広がりが出ました。仕事の付き合いのある人に配る「義理チョコ」、友人に贈る「友チョコ」です。義理チョコは近年、次第に少なくなっているともいわれます[4]。

売り場の言葉と、少女たちの習慣。2つが重なって育った、と考えると自然です。では、日本にバレンタインを紹介したのは、さらに前のことだったのでしょうか。

習慣の出発点は企業か、少女か。現代ビジネスの論者は、日本式のチョコの習慣は企業の宣伝だけでなく、1960年代の少女たちが先に始めたと見る。小学生が早く登校して好きな男子の机の中にチョコを入れ、少女雑誌に「そうすると恋が叶う」とあった、という紹介である[3]。ただし一人の論者の見方で、他の資料で裏づけたものではない。そのため、本稿は「そういう見方もある」と書くにとどめる。

企業側の動きは、1960年に森永製菓や芥川製菓などが販売促進としてバレンタインを展開したところから広がり、1970年代に一般化していったと説明される[3]。少女たちの習慣と企業の売り方が、重なりながら進んだと読むのが無理がない。

その後、贈る相手も広がった。義理チョコは付き合いのある人や職場の上司・同僚に、友チョコは友人に贈るものだ。義理チョコは次第に低調になったとされる[4]。「愛の日」から離れて広がった結果であり、日本型バレンタインの特徴といえる。ところが、日本に初めてこの日を紹介した企業は、1958年より前にいたとされる。

3. 1958ねんより まえにも、バレンタインは あったの?

3. 1932年のカタログと、売れなかった広告

3. 戦前の紹介と空白 ── モロゾフのカタログ、1936年の広告、1950年の再開

神戸の モロゾフという お店は、1932ねんの カタログで、2月14日に おくりものを する 外国の ならわしを しょうかいしました。ハートの かたちの 入れ物に はいった チョコも のせて いました[5]。お店は、これが 日本で はじめての バレンタインチョコの はんばいだと せつめいして います[5]。

1936ねんごろには、外国人が よむ えいごの 新聞に、バレンタインの こうこくも だしたと いわれます[4]。でも、その ころの 人たちは、あまり 気に しなかった ようです。

そのあと、チョコレートの もとの カカオ豆が 1937ねん いこう はいらなく なり、つくる 人が へりました。また つくれる ように なったのは 1950ねんです[4]。

だから「日本で はじめて」は、お店によって いう ことが ちがう ことも あります。いくつもの せつが あるのです[4]。

日本にバレンタインを紹介したのは、1958年が最初ではありません。神戸のモロゾフは、1932年発行のカタログで、2月14日に贈り物をする欧米の習慣を紹介し、ハート形の容器に入ったチョコレートなどを載せました。同社はこれを根拠に、日本で初めてバレンタインチョコを販売したと説明しています[5]。ただし「日本初」は同社側の説明で、別の資料での裏づけは確かめられていません。

1936年ごろには、英字新聞に広告を出したとされます。ところが当時の関心は薄かったようで、広がりませんでした[4]。

その後、カカオ豆の輸入が1937年以降止まり、チョコの製造が再開されたのは1950年でした。戦後の広がりの出発点として、1956年の不二家と1958年のメリーチョコレートが挙げられますが、これも諸説あります[4]。「誰が最初か」は、一つに決まらないのです。

では、その欧米の習慣は、なぜ2月14日なのでしょうか。

日本に最初にバレンタインを紹介したのは誰か。モロゾフ(神戸)は、1932年発行のカタログで、2月14日に贈り物をする欧米の習慣を紹介し、ハート形の容器入りチョコレートなどを載せた。同社はこれを根拠に「日本で初めてバレンタインチョコを販売した」と説明する[5]。ただし、これは同社の説明であり、独立した検証資料は確認できていない。

1936年ごろには同社が英字新聞『ジャパン・アドバタイザー』に広告を出し、日本初のバレンタインチョコの広告とされる。しかし当時は関心が薄かったようだ[4]。つまり、売り場の工夫が先にあっても、受け手の側が育っていなければ根づかなかった。

この流れは途切れた。カカオ豆の輸入が1937年以降止まり、チョコの製造は1950年に再開された。日本での広がりの起点には、1956年の不二家(ハート形のお菓子)と1958年のメリーチョコレートがよく挙げられるが、菓子会社の明治の解説も「諸説あり」とする[4]。誰が最初かは一つに決められない。では、その元の習慣は、なぜ2月14日なのか。

4. 2月14日は、どうして こいの 日なの?

4. 「鳥が相手を選ぶ日」と書いた、14世紀の詩

4. 恋の日の起点 ── チョーサー『鳥たちの議会』と、オルークの説

むかし、イギリスに チョーサーと いう 詩人が いました。1300ねんだいの おわりごろに、『鳥たちの ぎかい』と いう 詩を かいた 人です[6]。

その なかに、「せいヴァレンタインの 日に、鳥は みんな、あいてを えらびに やって くる」と いう ぶんが あります[6]。

ある 学者は、この 詩より まえには、せいヴァレンタインの 日と こいを むすびつけた ものが 見つからないと 考えました。チョーサーが むすびつけた のかも しれない、と いう せつです[6]。

ただ、「チョーサーが はじめた」とは いいきれません。鳥の きせつは 5月だと する べつの せつも あります[6]。

せいヴァレンタインが どんな 人だったかも、はっきり しません[8]。

2月14日が恋の日になったきっかけとして、よく語られるのが、14世紀後半のイギリスの詩人チョーサーの詩『鳥たちの議会』です。そこには、聖ヴァレンタインの日に鳥がみな相手を選びに来る、という趣旨の行があります[6]。

オルークという研究者は1981年の論文で、これより前に聖ヴァレンタインの日と恋が結びついた例は見つからず、チョーサーが結びつけた可能性が高いと論じました[6]。

ただし、これは一つの説です。鳥の繁殖期については5月だとする別の説もあります[6]。聖ヴァレンタインがだれなのかも、はっきりしません。ブリタニカは、2月14日が恋の日として祝われるようになったのは14世紀ごろからで、古代ローマの祭りとの関係は「示唆されている」にとどまり、起源は曖昧だと述べています[8]。

詩に書かれた日は、人々の暮らしの中でどう使われたのでしょうか。

2月14日が恋の日になったのはなぜか。有力な説明の一つが、14世紀後半の英国の詩人チョーサーの『鳥たちの議会』にある。この詩には、聖ヴァレンタインの日に鳥がみな相手を選びに来る、という趣旨の行がある[6]。

オルーク(Oruch)は1981年の論文(Speculum)で、これ以前に聖ヴァレンタインの日と恋の結びつきは見つからず、チョーサーが結びつけた可能性が高いと論じた[6]。これは一つの研究者の説で、「チョーサーが始めた」と言い切れるものではない。鳥の繁殖期の日付には5月説もある[6]。

聖ヴァレンタインが誰かもはっきりしない。ブリタニカによれば、2月14日が恋の日として祝われるようになったのは14世紀ごろからで、古代ローマの祭りルペルカリアとの関係は示唆にとどまり、起源は曖昧である[8]。では、詩が書かれたあと、人は実際にどう使ったのか。

5. こいびとを「ヴァレンタイン」と よんだ、むかしの てがみ

5. 1477年、婚約者に宛てた手紙の書き出し

5. 1477年のマージェリー・ブルーズの手紙 ── 交渉の最中に書かれた愛称

1477ねんの 2月、イギリスの マージェリー・ブルーズという 女の人が、こんやくしゃの ジョン・パストンに、てがみを おくりました[7]。

はじまりは「わたしの とても いとしい ヴァレンタインさま」です[7]。じぶんで かいたのでは なく、そばに いた 書記が、マージェリーの いうことを かきとりました[7]。

このころ、ふたりの 家は、お金の やりとりを ふくむ 話しあいを して いました。てがみは、その まっさいちゅうに かかれました。そして 2か月あとに、ふたりは けっこんします[7]。

この てがみは、えいごで こいびとを「ヴァレンタイン」と よんだ、のこっている ものの なかで いちばん ふるい 手紙だと いわれます[7]。ただし、フランス語では、もっと ふるい 詩が あるという せつも あります[7]。

1477年2月、イギリスのマージェリー・ブルーズは、婚約者のジョン・パストンに手紙を送りました。書き出しは「私のとても愛しいヴァレンタイン様」です。マージェリーが話した言葉を、書記が書き取ったものです[7]。

面白いのは、そのときの事情です。二人の家は、持参金をめぐって話し合いの最中でした。ロマンチックな手紙のようでいて、家同士の交渉と重なって書かれたのです。二人は、その2か月後に結婚しました[7]。

この手紙は、英語で恋人をヴァレンタインと呼んだ現存する最古の例として紹介されます。ただし、1415年ごろのフランスの詩のほうが古いとする説もあり、最古と言い切ることはできません[7]。

鳥の詩が書かれてから、およそ100年。2月14日は、恋人に思いを伝える日として、手紙の中にも顔を出すようになっていました。

鳥の詩のあと、恋の日の考えは人々の暮らしに入ったのか。手がかりの一つが、1477年2月の手紙である。マージェリー・ブルーズは婚約者ジョン・パストン3世に宛て、書記に口述して手紙を書いた。書き出しは「my right well-beloved Valentine」で、愛称として「ヴァレンタイン」が使われている。現物は大英図書館が所蔵する[7]。

注目すべきは背景だ。二人の家は持参金をめぐる交渉の最中で、手紙はその間に書かれた。縁談は家同士の取り決めでもあった。二人は手紙から2か月後に結婚している[7]。恋の日の言葉は、人々の暮らしの現実的な事情の中に入りこんでいた。

この手紙は、英語で恋人をヴァレンタインと呼んだ現存最古の例とされる。ただし、1415年ごろのオルレアン公のフランス語の詩のほうが古いとする説もあり、「最古」とは言い切れない[7]。詩から手紙まで約100年。恋の日が実際に使われ始めた様子が分かる一方で、その先の日本のチョコまでは、まだ遠い道のりがある。

6. おうちの バレンタインは、いつの かたち?

6. わが家のバレンタインは、どの時代の形に近いか

6. バレンタインの習慣を、家族の話と資料でたどる

鳥の 詩、てがみ、デパートの 170円。バレンタインは、いろいろな ところから あつまって できた ようです。

おうちの 人に、ききたい ことが あります。はじめて バレンタインを 知ったのは、いつごろか。そのころは、だれが だれに、なにを あげて いたか。

おばあさんや おじいさんなら、1960ねんだいの はなしが ききたい ところです。ちかくに いなければ、むかしの しゃしんや ざっしを 本で 見るのも いいですね。いまと ちがう ところが 見つかるかも しれません。

じぶんの 学校や おうちの かたちは、どこから きたのでしょう。ききながら、かんがえて みましょう。

家の人に、聞いてみたいことがあります。バレンタインを初めて知ったのはいつごろか。そのころは、誰が誰に、何を贈っていたか。家族に聞けないときは、図書館で昔の雑誌や広告の写真を見るのも手です。

この記事の流れでいえば、1960年代の少女たちの習慣や、1970年代に行事として定着した時期のお話が聞けるかもしれません。聞く人の年代によって、バレンタインの形は少しずつ違うはずです。

メリーチョコレートの公式年表(出典[1])には、1958年のバレンタインセールが載っています。自分の家の形が、そこからどれだけ変わったのか。家族の話と並べると、日本型バレンタインの「その後」が見えてきます。

手元で確かめられることを、2つ挙げる。

第一に、家族の聞き取りだ。バレンタインを知った年代や、贈る人・贈られる人を聞く。家族に聞けなければ、図書館で昔の雑誌や広告を見てもよい。いずれも、本稿の1960年代・1970年代の説明と照らす[3]。年代で形がちがえば、定着期の変化を自分の家の例で確かめられる。

第二に、紹介されている資料を読んでみる。メリーチョコレートの公式沿革[1]、明治の解説[4]は誰でも読める。モロゾフの1932年のカタログ紹介[5]と照らすと、「誰が最初か」に諸説ある理由も分かる。チョーサーの詩やパストン書簡は、英語の原文が難しければ、日本語の紹介記事や解説書を探して読み比べるとよい[7]。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

メリーチョコレートの公式沿革、報道・企業の解説、論者の見方、英国の詩と手紙に関する解説を用いた。企業の説明や一人の論者の見方は、本文でそう断って使った。

  1. メリーチョコレート「沿革」 https://www.mary.co.jp/mary/company/history/ (1958年のバレンタインセール)
  2. 日刊ゲンダイ「バレンタインデーの由来」 https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/300489 (初回の売上、1959年のコピー)
  3. 現代ビジネス「バレンタインの習慣」 https://gendai.media/articles/-/59856 (少女たちの習慣という見方、1960〜70年代の広がり)
  4. 明治 Hello Chocolate コラム https://www.meiji.co.jp/hello-chocolate/column/175/ (日本型バレンタイン、1936年の広告、製造再開、義理チョコ・友チョコ)
  5. 神戸新聞「プレミアムボックス」 https://www.kobe-np.co.jp/rentoku/keyword/201802/0010953309.shtml (モロゾフの1932年のカタログ)
  6. Oruch, “St. Valentine, Chaucer, and Spring in February”, Speculum, 1981 に関する解説 https://chaucer.lib.utsa.edu/items/show/264471 (『鳥たちの議会』と恋の日)
  7. This is Paston「Valentine」 https://thisispaston.co.uk/valentine.html (1477年の手紙)
  8. Britannica “Valentine’s Day” https://www.britannica.com/topic/Valentines-Day (起源が曖昧であること)

なおした ところ

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