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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

太陽の まわりの わっかから、空の たかい ところの かぜが わかるの?

夕焼けと太陽のまわりの淡い環から、牧師は高い空の風をどう読みとったのか ── ホノルルのビショップの観察

ビショップ環とクラカタウ東風 ── 1883年の噴火後の薄明の観察から、成層圏の風が読み取られるまで

分野:自然

1883ねん、火山から でた けむりは、およそ 13日で 地球を ひとまわり した と いわれます[3]。その みちすじを かんがえたのは、ハワイの ぼくしの ビショップでした。

どうして ひとりの ぼくしが、地球の はんたいがわまで ひろがった けむりの うごきを つかめたのでしょう。たいようの まわりに できた わっかと、かぜの はっけんの はなしが わかります。

1883年にインドネシアの火山から出た煙は、約13日で地球を一周したとされています[3]。その通り道を最初に考えたのは、ハワイのホノルルで暮らす牧師、セレーノ・ビショップでした。

ただ一人の牧師が、地球の反対側まで広がった煙の動きを、どうやってつかんだのでしょうか。太陽のまわりに現れる淡い環のこと、高い空に東風が吹いていると考えられたいきさつ、のちに分かったことが分かります。

1883年のクラカタウ噴火の煙は、赤道ぞいを西向きに約13日で地球を一周したとされる[3]。成層圏という層そのものが発見される約20年前のことである。ホノルルの牧師ビショップは、新聞で船乗りに呼びかけて集めた報告から、その流れを考えた。

手がかりは、日没後の異様な光と、船乗りたちの観察だった。ビショップの名がついた光学現象、「クラカタウ東風」という呼び名、のちの気球観測との食いちがいと決着、1991年の日本での観測までを、理由と条件をたどりながら読むと分かる。

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1. ホノルルの 夕やけは、どうして ふしぎ だった?

1. 日が沈んだあとも、ホノルルの空に異様な光が残っていた

1. 1883年9月5日、日没後の異様な光 ── 56歳の牧師ビショップの観察

1883ねん 9がつ 5日の 夕がた、ハワイの ホノルルで、へんな 夕やけが 見られました[1]。

お日さまが しずんだ あとも、空の たかい ところが ふしぎな ひかりで ひかって いたのです。

これに 気づいたのが、ぼくしで、学校の 先生でも あった ビショップです。この とき 56さい。ものごとを しらべるのが 大すきな ひとだったと、しょうかいされて います[1]。

ビショップは、ジャワの ほうの ふんかの 水じょうきの なかの、とても かるい なにかが、空の ずっと たかい ところに のこって いるのでは、と かんがえました[2]。では、それを どう たしかめたのでしょう。

1883年9月5日の夕方、ハワイのホノルルで、太陽が沈んだあとの空に、いつもとちがう光が残りました。ハワイ大学のハミルトン名誉教授の解説によると、これに目を止めたのが、牧師で学校の校長、測量技師でもあったセレーノ・ビショップ(1827〜1909)です。当時56歳で、科学への関心が強い人物だったと紹介されています[1]。

ふつうの夕焼けなら、日が沈んで少しすれば空は暗くなります。それなのに、空の高いところが妙な光を放ち続けていました。ビショップは、ジャワの噴火で出た水蒸気などの中の、非常に軽い何かが、大気のとても高いところにとどまっているのではないか、という仮説を立てたと紹介されています[2]。

ただ、ホノルル一か所の空だけでは、仮説の確かめようがありません。遠くの空はどうなっていたのでしょうか。ビショップが選んだ方法は、とても素朴なものでした。

日が沈んだあとの空は、ふつう急速に暗くなる。ところが1883年9月5日の夕方、ホノルルでは、日没後に異様な光が長く残った。ハワイ大学の大気科学者ハミルトン名誉教授による紹介では、これを観察して記録したのが、牧師・学校長・測量技師であり、科学に強い関心を持っていた56歳のセレーノ・ビショップ(1827〜1909)である[1]。

ビショップは、この光の原因を、ジャワの噴火で出た水蒸気などの中の「非常に軽い何か」が、大気のきわめて高いところにとどまっているためではないかと推測した、と同じ解説者は紹介する[2]。なお、ビショップ本人の原著(1883〜84年のハワイの雑誌など)は、この調査では直接読んでおらず、引用はハミルトンの解説に頼っている。

とはいえ、仮説を立てただけでは、ホノルルの空の一例にすぎない。高い空の何かが本当に遠くから来たのなら、ほかの場所の空にも同じ光が、時間差をもって現れるはずである。それを確かめるには、広い範囲の目撃情報が要った。

2. ビショップは、船の ひとたちに なにを たのんだ?

2. 新聞で船長たちに呼びかけ、約3週間で十数件の報告が集まった

2. 新聞での呼びかけと十数件の報告 ── 煙は噴火の約10日後にホノルルへ届いたと考えた

ビショップは、新聞に よびかけを のせました。「海で 見た ことを、船長さんたちは、おしえて ください」と たのんだのです[2]。

海の 上には、空を よく 見る ひとが たくさん います。さいしょの 3しゅうかんで、十いくつの ほうこくが あつまりました[2]。

ビショップは それを 見て、けむりの えいきょうが、火山から 赤道の ほうこうに そって 西へ すすみ、10日ぐらいあとに ホノルルへ ついたと かんがえました[2]。

ひとりでは 見えない ことも、たくさんの ひとの 目を あつめると 見えて きます。では、その けむりは、どんな ふうに うごいたのでしょう。

ビショップは、新聞を使って船長や航海士に呼びかけました。ハミルトンの紹介では、科学のために、海で見たことを発表してほしい、という趣旨の呼びかけでした。船は海のあちこちを動くので、遠くの空の様子を知る手がかりになります[2]。

集まった報告は、最初の約3週間で十数件でした。ビショップはこれをもとに、噴煙の影響がクラカタウから赤道ぞいに西へ進み、約10日後にホノルルへ届いたと考えました[2]。

この「約10日」は、あくまで「ホノルルに届くまで」の日数です。あとで出てくる「約13日」は、地球を一周する日数で、別の数字です。ここを混ぜないでください。

十数件の報告から、噴煙の通り道が見えてきました。では、この煙はどのくらいの速さで、どんな風に乗って動いたのでしょうか。

手がかりを広く集める方法として、ビショップは新聞を使った。ハミルトンの紹介によれば、船長と航海士に、海で観察したことを科学のために公表してほしいと呼びかけたもので、最初の約3週間で十数件の報告が寄せられた[2]。船は広い海のあちこちを移動し、観察者が空を見上げる機会も多い。陸の観測所に頼らずに済む、現実的な集め方だったといえる。

ビショップはこの報告から、噴煙の影響がクラカタウから赤道ぞいに西へ進み、約10日後にホノルルへ届いたと考えた[2]。この「約10日」は、あくまでホノルルまでの日数であり、後述の「約13日で地球を一周」とは別の数字である。

この二つの数字がおおむね合うことは、概算で確かめられる。クラカタウを東経約105度、ホノルルを西経約158度とすると、西へ進む角度は約263度で、地球一周360度の約73%にあたる。13日の73%は約9.5日で、「約10日」とほぼ一致する。ただしこれは筆者のざっとした計算であり、資料が両者の一致を述べているわけではない。

では、この煙はなぜ、わざわざ西へ進んだのか。そこには、高い空の風が関係していた。

3. けむりは、どうやって 地球を ひとまわり したの?

3. 煙は赤道ぞいを西へ、約13日で地球を一周したとされる

3. 赤道ぞいの煙の流れ ── 約13日の一周と、約30m/sの東風の推定

ビショップは、「赤道の ほそい おびの ように、けむりが ものすごい はやさで 西へ ながれ、地球を ぐるっと まわる」と 書いた と いわれます[2]。

けむりは、空の ずっと たかい ところまで のぼり、赤道に そって 西へ はこばれ、およそ 13日で 地球を ひとまわり したと されます[3]。

けむりが 西へ はこばれたと いう ことは、そこでは 東から 西へ ふく かぜ、つまり 「東かぜ」が ふいて いたと いう ことです。この かぜは 「クラカタウ東かぜ」と よばれます[3]。

かぜの はやさは、時間ごとの 空の ひろがりから、1びょうに 30メートルぐらいと かんがえられて います[4]。じどうしゃで いうと、時そく 100キロを すこし こえる はやさです。

ハミルトンさんは、これを のちに「ジェットきりゅう」と よばれる ものに つながる、さいしょの かんさつだと ひょうか して います[2]。ただし これは けんきゅうしゃの ひょうかで、「ビショップが ジェットきりゅうを はっけんした」と いいきる ことは できません。

ハミルトンの紹介では、ビショップは、赤道ぞいの細い帯の中を、ものすごい速さで西へ、地球をぐるりとまわる煙の大きな流れ、という意味のことを書いています[2]。

北海道大学の地球流体電脳倶楽部の解説によると、噴煙は成層圏に達し、赤道ぞいを西向きに約13日で地球を一周したとされます[3]。西へ運ばれたのですから、風は東から西へ吹いています。向きの言い方が逆になるので注意してください。ここから「赤道の上空の成層圏には東風が吹いている」と考えられ、クラカタウ東風と呼ばれます[3]。

風の速さについては、当時の薄明の報告が現れた地域の西の端が、毎日どれだけ進んだかをもとに、その高さでは約30m/sの強い東風が吹いていたはずだと推定されています[4]。30m/sは時速に直すと約108kmです。

面白いのは、成層圏という層が見つかったのが1902年で、ビショップの観察より約20年あとだという点です。成層圏そのものが知られていない時代に、その層の風の手がかりが得られたことになります[4]。ハミルトンは、ビショップの考えを、のちにジェット気流と呼ばれるようになる現象につながる最初の観察だと評価しています[2]。これは研究者の評価で、「発見者」と断定してよい話ではありません。

ところで、ビショップの名前は、風とは別のものにも残っています。太陽のまわりに現れる光の環です。

ビショップは、観察を、赤道ぞいの細い帯の中を、非常な速さで、地球をぐるりと西へ流れる煙の大きな流れ、と表現した、とハミルトンは紹介する[2]。煙が西へ進んだのだから、そこでは風が東から西へ吹いている。「西向きに運ばれた」と「東風」は同じことの別の言い方であり、混同しやすい。

北海道大学の地球流体電脳倶楽部の解説は、噴煙が成層圏に達し、赤道ぞいに西向きに約13日で地球を一周したとして、赤道上空の成層圏に東風が吹いていたと考える。これがクラカタウ東風である[3]。

風速は、ハミルトンのIPRC(国際太平洋研究センター)の報告によれば、薄明が見えた報告域の西の端の日ごとの進み方から、その高さに約30m/sの強い東風があったと推定される[4]。ざっと確かめるには、地球一周を約4万kmとして13日で割ればよい。約3,080km/日、つまり約128km/時、約36m/sとなり、約30m/sとおおまかに合う。ただし地球一周の長さの取り方や、煙の動き方で値は変わるので、厳密な一致を主張できる数字ではない。

ここで評価すべき点が二つある。第一に、成層圏の発見は1902年であり、ビショップの観察はその約20年前だ。当時は、成層圏の風という考え方そのものがなかったことになる。この推定は、成層圏の風の最初の手がかりとされる[4]。第二に、ハミルトンはこの煙の流れの観察を、のちにジェット気流と呼ばれるようになる現象につながる最初の観察と評価するが、これは研究者の評価であり、ビショップを「発見者」と断定する根拠ではない[2]。

この噴火後の空には、風の手がかりとは別に、もうひとつ、ビショップの名で呼ばれる光学現象が現れていた。太陽のまわりの環である。

4. ビショップの なまえが ついた 「わっか」は、どんな ひかり?

4. ビショップ環は、どんな粒が作る光なのか

4. ビショップ環の見え方と成因 ── 外側が赤いのは回折の特徴

火山の ふんかの あと、たいようの まわりに、うすい わっかが 見える ことが あります。「ビショップかん」と よばれる ものです[5]。

わっかの 内がわは しろっぽい 青、そとがわは あかちゃ いろから むらさき いろです。大きさは、空の 10から 30どぐらいと いう しりょうが あります[5]。

ふつうの かさ(ハロ)は、赤が 内がわに なります。ビショップかんは、赤が そとがわです。これは、小さな つぶの まわりで、ひかりが 水の はもんの ように 広がるためだと いわれます[6]。

この わっかは、大きさの そろった、とても 小さな つぶが たくさん あるときに 見えます。つぶの 大きさが かわると、わっかの 大きさも かわります[5]。

たいようを じかに 見ては いけません。目を いためます。ここでは はなしだけに します。

ビショップ環は、太陽のまわりに見える淡い光の環です。内側が白っぽい青、外側が赤茶色から紫がかった色で、半径は平均で約28度(粒の大きさによって10〜30度ほど)とする資料があります。内側の銀青色の部分が約20度とする資料もあり、数字には幅があります[5]。

ふつうの暈(ハロ)は、氷の結晶で光が曲がるため、赤が内側になります。ビショップ環は外側が赤く、これは光が細かい粒のまわりでふくらむように広がる「回折」で起きる環の特徴だと説明されます[6]。回折の環は、粒の大きさがそろっているときに現れます。粒の半径はおよそ1マイクロメートル以下(1ミリの1000分の1以下)という説明があります[6]。

つまり、高い空に、とても小さくて大きさのそろった粒が広がっているしるしです。その粒は、噴火で出た微粒子です。粒の大きさが変わると、環の大きさも変わります[5]。

太陽を直接見ると目をいためるので、観察するときは必ず、建物などで太陽そのものを隠してください。

ビショップ環は、太陽のまわりに現れる淡い環で、内側が白っぽい青、外側が赤茶〜紫がかった色をしている。平均の半径は約28度(粒の大きさにより10〜30度)とする資料と、内側の銀青色の部分が約20度とする資料があり、数字は資料により差がある[5]。

この環を、よく見る「ハロ」と区別するのが、色の並びである。氷の結晶による屈折で生じるハロは、赤が内側に来る。ビショップ環は赤が外側で、これは光の回折で生じる環の特徴とされる[6]。回折環は、同じくらいの大きさ(半径約1マイクロメートル以下)の細かい粒がそろっているときに現れる[6]。粒の大きさが変わると、環の大きさも変わる[5]。

半径1マイクロメートル以下とは、1ミリの1000分の1以下という小ささである。つまり環は、噴火で出た微粒子が、高い空に大きさをそろえて広がったときに見える光であり、粒の大きさがそろっているかどうかが、見えるか見えないかの分かれ目になる[5]。

観察者の側にも注意がある。太陽のすぐ近くを見るため、必ず建物などで太陽そのものを隠して見ること。直接見ると目をいためる。

このような環は、日本でも現れたことがある。そのとき、粒の大きさはどうやって確かめられたのだろうか。

5. べつの かぜが 見つかって、はなしが ちがって 見えた?

5. 1908年に西風が見つかり、話が食いちがって見えた

5. ベルソンの西風との食いちがい ── 約27か月で入れ替わる周期(QBO)で決着

1908ねん、ベルソンと いう ひとが、アフリカの ビクトリアこの ちかくで ふうせんを とばしました。そして、赤道の たかい 空で、西から ふく かぜを 見つけました[3]。

あれ? ビショップは、東から ふく かぜだと かんがえて いました。ふたつは まちがいなく ちがって 見えます。

1953ねん いこうの ふうせんの かんそくで、なぞが とけました。赤道の たかい 空の かぜは、東かぜと 西かぜが、へいきんで 27か月ぐらいごとに いれかわって いたのです[3]。風が ゆっくり いったり きたりする、ブランコの ような うごきです。

ハミルトンさんは、そのあと 1998ねんに、むかしの きろくを あつめて しらべました。そして、この くりかえしは すくなくとも 1883ねんから つづいて いる げんしょうだと まとめました[4]。

ところが、1908年にベルソンという人が、アフリカのビクトリア湖の近くで気球を上げ、成層圏の赤道上空で西風を見つけました[3]。ビショップの時代の「東風」とは向きが反対です。どちらかがまちがいなのでしょうか。

答えは、どちらも正しかった、というものです。1953年以降の気球による観測で、赤道の成層圏の風は、強い東風と強い西風が平均約27か月で入れ替わることが分かりました[3]。この周期的な入れ替わりを「準二年周期振動(QBO)」といいます。ビショップの時代は東風の時期で、ベルソンの観測は西風の時期だったと考えると、話が合います。

ハミルトンはその後、1998年に過去の観測記録を集めて総説を出し、QBOは少なくとも1883年から続く現象だと結論しました。2018年には、ハミルトンらが、1883年の噴火のあとの風を、光学観測にもとづいて改めて調べた論文も出ています[8][4]。

一人の牧師の観察が、100年以上のちの研究で見直されています。では、ビショップ環のほうは、日本ではどう見えたのでしょうか。

クラカタウ東風の話には、続きがある。1908年、ベルソンがアフリカのビクトリア湖付近で気球を上げ、成層圏の赤道上空に西風を見つけた[3]。1883年の「東風」と食い違うように見えた。風向きの異なる二つの観測は、どちらかが誤りなのだろうか。

決着は、1953年以降の気球による定期観測でついた。赤道成層圏の風は、強い東風と強い西風のあいだを、平均約27か月の周期で入れ替わる[3]。これがQBO(準二年周期振動)である。1883年は東風の時期、1908年は西風の時期にあたると考えれば、二つの観測は矛盾しない。

ハミルトンはこの経緯を、1998年に観測記録を集めた総説にまとめ、QBOが少なくとも1883年から続く現象だと結論した[4]。2018年には、ハミルトンとサカザキの論文が、1883年の噴火後の風を光学観測にもとづき再検討し、1902年のカリブ海の噴火後の風も推定している[8]。

ビショップの観察は、記録のおかげで、100年以上のちの研究にも使える材料になった。次は、環のほうに話を戻し、日本の空で何が起きたのかを見る。

6. 日本の 空でも、わっかが 見えた

6. 1991年、日本の空にもビショップ環が現れた

6. 1991年のピナトゥボ噴火と日本での観測 ── 粒の半径が約0.6マイクロメートルのときだけ現れる

1991ねん 6がつ、フィリピンの ピナトゥボ火山が ふんかしました。その 1か月ぐらい あと、日本の 空でも、天気の いい 日に、ビショップかんが 見えた ことが ありました[7]。

きしょうけんきゅうしょの あさのさんは、コンピューターで、どんな つぶの ときに わっかが 見えるかを しらべました。すると、はんけいが 0.6マイクロメートルぐらいの 小さな つぶが、そろって たくさん あるときにだけ、わっかが でる ことが わかりました[7]。

0.6マイクロメートルは、1ミリの 1700ぶんの 1ぐらいです。つくばの たいようこうどけいの かんそくから かんがえた つぶの 大きさとも あっていました[7]。

ビショップの 名まえが ついた わっかは、100ねんいじょう あとの 日本の 空でも、おなじ ような 小さな つぶで できて いました。

1991年6月のピナトゥボ火山の大噴火の約1か月後から、日本の空でも、条件のよい日にときどきビショップ環が見られました。日本気象学会の「天気」1993年5月号に、その報告が載っています[7]。

気象研究所の浅野氏によるシミュレーションでは、半径約0.6マイクロメートルの粒がそろって大量にあるときにだけ、環が現れるという結果でした。この大きさは、つくばでの太陽光度計の観測から推定した粒径とも合っています[7]。0.6マイクロメートルは、1ミリの約1700分の1です。

粒の大きさは観測や計算のしかたで値が動くので、「約1マイクロメートルより小さい」と幅をもって読むのが安全です[6]。

1883年にビショップが見た空の光が、約110年あとの日本の空でも、同じ種類の細かい粒によって現れていたことになります。

1991年6月のピナトゥボ火山の大噴火の約1か月後から、日本上空でも、条件のよい日にときどきビショップ環が現れた。日本気象学会の「天気」1993年5月号の月例会報告が、この現象を取り上げている[7]。

気象研究所の浅野氏が行ったシミュレーションでは、半径約0.6マイクロメートルの粒がそろって大量に加わったときにのみ環が現れるという結果が出た。つくばでの太陽光度計の観測から推定した粒径とも合っていた[7]。半径0.6マイクロメートルは、1ミリの約1700分の1である。

ただし、数字を一つに決め込むのは危うい。観測法や仮定で値が動くので、「約1マイクロメートルより小さい細かい粒」と幅をもたせて読むのが安全である[6]。

この例は、ビショップ環が「粒の大きさがそろっている」ことの目印になる、という前節の説明を、日本の観測と計算で裏づける。

ビショップの観察から約110年後、同じ種類の光が、別の火山の噴火のあとに、気象研究所の計算とつくばの観測で説明された。

7. 13日で ひとまわりの はやさを、けいさんで たしかめよう

7. 「13日で地球一周」の速さを、電卓で確かめる

7. 速さを自分で計算する ── 約30m/sと約36m/sのずれをどう読むか

でんたくが あれば、できます。地球の ひとまわりは、およそ 4まんキロメートルです。これを 13で わって みましょう。

1日に およそ 3000キロメートルです。1じかんに すると、128キロメートルぐらいです。じどうしゃで いうと、時そく 100キロを すこし こえる はやさです。

ビショップが しらべた けむりの うごきは、これぐらいの はやさに なります。ほかの 日数でも けいさんして、どれくらい かわるか 見て みましょう。

もっと 知りたい ひとは、日本きしょうがっかいの ウェブサイトに ある 「天気」1993年5月号の ほうこくを、下の リンクから よんで みましょう[7]。

電卓があれば、ビショップの考えた流れの速さを、自分で確かめられます。地球一周を約4万kmとして、13日で割ってください。1日に約3,100kmです。24で割ると時速約128km、さらに3.6で割ると秒速約36mです。

資料の約30m/sは、薄明の報告域の西の端が毎日進んだ距離から出した推定値で、ざっくり計算した約36m/sとは少しずれます。「だいたい合う」と読むのが安全で、ぴったり一致するとは言えません。

本文にあるとおり、ホノルルまでの約10日と地球一周の約13日も、経度から概算するとだいたい合います。

もっと詳しく知りたい人は、日本気象学会のウェブサイトで公開されている「天気」1993年5月号[7]が日本語で読めます。下の「参考にした情報源」のリンクから開けます。ビショップの観察を紹介するハミルトンの解説[1][2]は英語です。

この記事の数字は、自分で動かすとよく分かる。地球一周を約4万km、所要日数を13日として割ると、約3,080km/日、約128km/時、約36m/sになる。資料の約30m/sは薄明の報告域の西端の進み方から推定した値で[4]、約36m/sとは差がある。差の原因として、地球一周の長さの取り方、赤道上での経路、煙が広がりながら動くため「何を前線とするか」で進み方が変わること、などが考えられる。

同じ方法で、ホノルルまでの約10日も確かめられる。クラカタウを東経約105度、ホノルルを西経約158度とすると、西へ約263度で、約9.5日(13日×263÷360)になる。「約10日」と「約13日」は、同じ流れの別の区間の数字として矛盾しない。

資料の読みどころは、次のとおりである。日本語で読めるのは、日本気象学会の「天気」1993年5月号の月例会報告[7]で、ピナトゥボ後の日本の観測と粒径の推定が書かれている。ビショップ本人の観察と呼びかけは、ハミルトンの解説[1][2]が紹介しており、原著(1883〜84年のハワイの雑誌)にさかのぼって読むのも、よい次の一歩である。1883年と1902年の噴火後の風を再検討した論文[8]の要旨も、オンラインで読める。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:大学の解説記事、大学・研究機関の資料、天文雑誌の記事、日本気象学会の月例会報告、論文の要旨を使った。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。

  1. K. Hamilton「How a volcano and flaming red sunsets led an amateur scientist in Hawaii to discover jet streams」The Conversation。https://theconversation.com/how-a-volcano-and-flaming-red-sunsets-led-an-amateur-scientist-in-hawaii-to-discover-jet-streams-164299 (ビショップの人物像と、1883年9月5日の観察について。研究者による解説)
  2. 同じ著者による Honolulu Civil Beat 版の記事。https://civilbeat.org/2021/09/how-a-volcano-and-flaming-red-sunsets-led-an-amateur-scientist-in-hawaii-to-discover-jet-streams/ (船乗りへの呼びかけ、ビショップの仮説、煙の流れの記述について)
  3. 北海道大学 地球流体電脳倶楽部「Eruption of Krakatoa volcano」。https://dennou-h.ep.sci.hokudai.ac.jp/library/gfd_exp/exp_e/doc/bo/guide01.htm (約13日の一周、クラカタウ東風、ベルソンの西風とQBOについて)
  4. K. Hamilton, IPRC Climate(ハワイ大学)。https://iprc.soest.hawaii.edu/newsletters/newsletter_sections/iprc_climate_vol4_2/volcanic_eruptions_and_atmosphere.pdf (約30m/sの東風の推定、成層圏の発見との前後関係について)
  5. meteoros.de「Bishop's Ring」。https://old.meteoros.de/bishop/bishope.htm (環の色・大きさについて。大気光学の解説サイト)
  6. Astronomy「Volcanic twilights」。https://www.astronomy.com/observing/volcanic-twilights/ (外側が赤い理由と、回折・粒の大きさについて。天文雑誌の記事)
  7. 日本気象学会「天気」1993年5月号 月例会報告。https://www.metsoc.jp/tenki/pdf/1993/1993_05_0355.pdf (ピナトゥボ噴火後の日本でのビショップ環と、粒径の推定について)
  8. Hamilton & Sakazaki「Exploring the prehistory of the equatorial stratospheric QBO」の要旨。https://bibliotheque.meteo.fr/pub/DOC00044552-exploring-the-prehistory-the-equatorial-stratosphe.html (1883年の噴火後の風を光学観測から再検討した論文の要旨)

なおした ところ

更新履歴

更新履歴(改版の記録)

  •  初版を公開。
  •  低学年版の光の説明を身近なたとえにし、風向きのくり返しをブランコにたとえました。説明が重なる箇所を整理しました。

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