1. キュウリの へたの ほうが にがいのは、なぜ?
1. キュウリのへた側が苦いのは、何の成分なのか
1. キュウリの苦味はククルビタシンと考えられる ── 出やすい場所と条件
キュウリを かじると、ときどき 頭の ほう(へたの ほう)が にがい ことが あります。にがさの もとは「ククルビタシン」という 成分だと 考えられて います[1]。キュウリだけでなく、メロン、スイカ、カボチャなどにも あります[2]。
横浜の 市の しらべでは、にがい キュウリを 食べても 体に がいは ないと されています。でも、とても にがい ものは 食べずに やめましょう。にがさは 頭の ほうと、こい 緑色の 実に 多く、さむい ときや、水が たりない ときに 出やすいと いわれます[1]。
ところが、お店で 売る キュウリには、にがさを ぜんぜん 感じない ものも 多いのです。にがさの つよさは 遺伝で きまる ためです。では、にがくない キュウリは、どうやって うまれたのでしょう。
キュウリを食べていて、頭部(へたの側)がやけに苦いことがあります。苦味のもとは、ククルビタシンという成分と考えられています[1]。この成分はキュウリだけでなく、メロン、スイカ、カボチャなど、ウリ科の植物に広く見られます[2]。
横浜市衛生研究所の資料では、苦いキュウリを食べても害はないとされています。ただし、強く苦いものは食べずにやめましょう。苦味は頭部に多く、濃い緑色のものほど多いようです。低温や水分不足、強い乾燥のときにも出やすいといわれます[1]。
一方で、苦味をまったく感じない市販品種も多く出回っています。苦味の強さは遺伝で決まるからです。では、苦くないキュウリは、どこから来たのでしょうか。
キュウリの苦味は、トリテルペノイドの一種であるククルビタシンによると考えられている。この成分はキュウリ、メロン、スイカ、カボチャなど、ウリ科の作物に共通して見られる[2]。なお、ゴーヤの苦味は別の物質によるもので、ここでの話とは分けて考える必要がある。
横浜市衛生研究所の苦情事例によれば、苦いキュウリを食べても害はないとされる(強く苦いものは食べずにやめる)。苦味は頭部(あたまぶ)に多く、濃い緑色のものほど強い。低温、水分不足、著しい生理的乾燥といった条件で出やすいと「言われている」という書き方で、原因が一つに決まっているわけではない[1]。
注目したいのは、苦味の強さが遺伝で決まり、市販品種には苦味をほとんど感じないものも多い点だ。つまり、苦くないキュウリは自然のままの姿ではなく、どこかの時点で苦味が弱まった結果とみられる。では、その切り替えはどこで起きたのか。
2. にがくない キュウリは、どうやって うまれたの?
2. 苦くないキュウリは、苦い祖先からどう生まれたのか
2. 苦味のスイッチ ── 栽培化でBtに選択がかかった
キュウリの にがさには、いくつかの 遺伝子が かかわって います。にがい 成分を つくる ために、9この 遺伝子が はたらくと 報告されました[2]。
この 遺伝子たちを まとめて 動かす スイッチが、2つ あります。ひとつは、葉の にがさを 決める「Bl」。もうひとつは、実の にがさを 決める「Bt」です[2]。
人が キュウリを 栽培する うちに、実の スイッチ Bt が かわった ものが 選ばれて、にがくない キュウリが にがい 祖先から うまれたと 考えられて います。葉と 実は ちがう スイッチなので、実が にがく なくても、葉は そのままの ことも あるでしょう。
野生の ウリの なかまは、にがい ものが ふつうでした。では、その にがさは、だれの ためだったのでしょう。
2014年、キュウリの苦味がつくられるしくみが、遺伝子のレベルで報告されました。ククルビタシンCを合成する経路には9つの遺伝子が関わり、その流れを調節するスイッチ役が2つ見つかっています。葉の苦味を決めるBl(ビター・リーフ)と、果実の苦味を決めるBt(ビター・フルーツ)です[2]。
この研究によると、栽培化の過程でBtに選択がかかり、苦くないキュウリが苦い祖先から生まれたとされています[2]。人が食べやすい実を選び続けた結果、実だけ苦くなくなった、という筋書きです。葉と果実は別のスイッチなので、実が苦くなくても、葉はそのままということもありえます。
つまり、苦味は「ある」のがもともとの姿で、「ない」のが人の選んだ姿だったことになります。では、野生のウリ科は、なぜ苦くなったのでしょうか。
2014年にサイエンス誌に報告された研究では、キュウリのククルビタシンC合成に9つの遺伝子が関わり、その経路を二つの転写因子が調節することが示された。葉の苦味を決めるBl(Bitter leaf)と、果実の苦味を決めるBt(Bitter fruit)である[2]。
重要なのは、栽培化の過程でBtに選択がかかり、苦くない作物が苦い祖先から導かれたと解釈された点だ。人間は苦味そのものを消したのではなく、果実側のスイッチが働きにくい個体を、食べやすいものとして残してきたことになる[2]。葉と果実が別々のスイッチで制御されているとまでは言えるが、葉が苦いまま残るかどうかまでは、この解説では述べられていない。
こうなると、疑問は逆向きになる。苦いほうが元の姿なら、植物はなぜわざわざ苦味をつくっているのか。
3. 野生の ウリは、だれの ために にがいの?
3. 苦い野生の実は、だれに食べられていたのか
3. 苦味の持ち主と相手 ── 虫よけと、マストドンの糞に残った種
ククルビタシンには、虫など 食べに くる 相手から 植物を まもる はたらきが あると 考えられて います[2]。にがい 実や 葉は、食べられにくく なるからです。
アメリカの 大陸には、野生の カボチャの なかまが あります。この 実は、人や 今いる 動物には、ひどく にがいと いわれます[3]。
ところが、ずっと むかしの 大きな 動物 マストドンの ふんから、カボチャの なかまの 種が 見つかりました。にがさを 感じにくい 大きな 動物が 実を 食べ、種を はこんでいた かもしれません[3]。ただし、これは まだ「かもしれない」という 考えです。
ククルビタシンには、害虫など食べに来る相手から植物を守る働きがあると考えられています[2]。苦い葉や実は、食べられにくくなるからです。
アメリカ大陸の野生のカボチャ属の実は、ククルビタシンのため、人や今の哺乳類にはひどく苦いといいます[3]。そこで、2015年の研究が目をつけたのが、化石になったマストドンの糞でした。その中から、カボチャ属の種が見つかっています。
研究では、哺乳類46種の苦味受容体の遺伝子も調べられました。体が大きく食べ物の幅が狭い種ほど、働く遺伝子の数が少ない傾向があったそうです[4]。苦味を感じにくい大型の動物が実を食べ、種を運んでいた可能性が示されましたが、あくまで傾向からの推測です[3]。
苦味は、すべての相手を遠ざけるわけではなさそうです。そして、人はこの苦い実を、やがて栽培し始めます。
ククルビタシンは害虫を遠ざける働きがあるとされるが、これは「すべての相手に効く防御」とは限らない[2]。アメリカ大陸の野生カボチャ属(Cucurbita)の果実は、人や現生の哺乳類にはひどく苦いとされる一方で、化石化したマストドンの糞から同属の種子が見つかっている[3]。
2015年の研究は、ここに苦味受容体の面から注意を向けた。哺乳類46種のTAS2R遺伝子を調べると、体が大きく食べ物の幅が狭い種ほど、機能する遺伝子の数が少ない傾向があった[4]。そのため、苦味を感じにくい大型哺乳類が果実を食べて種を運んでいた可能性が考えられている。ただし、これは相関にもとづく仮説であり、因果関係が証明されたわけではない[3]。
カボチャ属は約1万年前にアメリカ大陸で栽培化され、北米東部でも独立に栽培化されたと示された[4]。苦い実を育てるという選択は、人類が複数の場所でたどった道だったことになる。では、苦い実を人が育てた理由は、実を食べるためだったのか。
4. スイカは、はじめ なにを 食べる ために そだてたの?
4. スイカの仲間は、最初は果肉でなく種のために使われたのか
4. 6000年前のスイカ近縁種 ── 苦い果肉と、種子が先という仮説
アフリカの リビアにある むかしの 人の すみかの あとで、6000ねんほど 前の スイカの なかまの 種が 見つかりました。遺伝子を しらべると、この なかまは 果肉が にがい タイプでした[5]。
種には、にがい 成分が 入りません。それで、あまい 実を 食べる ためではなく、まず 種を 食べるために 集めたり、そだてたり した かもしれない、と 研究を した 人たちは 考えて います[5]。
赤くて あまい スイカが、いつ、どこで 野生の ものから できたのかは、まだ 話し合いが つづいて います。いちばん あたらしい データは、ナイル川の まわりを しめしている そうです[5]。
北アフリカのリビアにある遺跡で、約6000年前のスイカの近縁種の種子が見つかっています。遺伝子を調べると、この仲間は果肉が苦いタイプでした[5]。
ククルビタシンは種子には入らないため、果肉ではなく種が先に利用された可能性があります[5]。種子の形だけを見ても、甘いタイプか苦いタイプかは区別できないので、遺伝子の解析が決め手になりました。
赤くて甘いスイカが、いつ、どこで野生種から栽培化されたのかは、今も議論が続いています。最新のデータはナイル川流域を示唆するそうです[5]。夏に冷やして食べる甘いスイカは、長い道のりの終わりのほうに現れたことになります。
キュウリの苦味を弱めたのと同じ方向の選択が、スイカでもあったのか。ヒントになるのが、リビアのウアン・ムフギアグ遺跡から出た約6000年前のスイカ近縁種の種子だ。ゲノム解析の結果、その果肉は苦いタイプと判明した[5]。
ククルビタシンは種子には入らない。そのため、スイカの仲間はまず甘い果肉ではなく、種子を目当てに集められ、育てられた可能性がある[5]。ただし、これは推測にとどまる。種子の形だけでは、甘い種か苦い種かを区別できず、ゲノム解析があって初めて見えてきた手がかりだからだ。
赤く甘いスイカがいつ、どこで野生種から栽培化されたかは議論が続いており、最新のデータはナイル川流域を示唆している[5]。苦味を「弱める」だけでなく、苦い果肉の裏にある種子という別の価値を使う道もあった、と考えられる。同じウリ科でも、ヒョウタンは別の価値で人と結びついていた。
5. ヒョウタンは、うみを わたって きたの?
5. ヒョウタンは、海を漂ってアメリカ大陸に渡れたのか
5. アフリカ系ヒョウタンの遺伝的範囲 ── 海流で大西洋を渡った可能性
ヒョウタンは、アフリカにも アメリカの 大陸にも 昔から あります。むかしの 人が ふねに つんで はこんだのでは、と 考える 人も いました。
ところが、アメリカの 大陸で 見つかった 古い ヒョウタンの ひょうほんの 遺伝子の 情報を しらべると、どれも アフリカの ヒョウタンに 近い ものでした。ふるい 9つ、今の 36この ヒョウタンを くらべた 研究です[6]。そこで、アフリカの 野生の ヒョウタンが、海流に のって 大西洋を ながれて きた かもしれないという 考えが 出ました[6]。
ヒョウタンの 実を 海の 水に うかべても、長い 間 たねが 生きている という 実験が あると 紹介されて います[7]。ただし、これは 実験での 話で、海に 出た 実が みんな 生きのこる、という ことでは ありません。
ヒョウタンは、アフリカにもアメリカ大陸にも古くからあります。かつては、人が船で運んだという説が有力でした。ところが、2014年の研究は、アメリカ大陸の古代のヒョウタンを、現代36点と古代9点の標本で調べました。結果は、どれもアジア系ではなく、アフリカ系の遺伝的な範囲に入るというものでした[6]。
この結果から、後期更新世に、野生のアフリカ産ヒョウタンが海流に乗って大西洋を漂い、アメリカ大陸に渡れたという見方が出されています[6]。人が運んだ説と対立する意見で、どちらが正しいかは今も論じられています。
渡れる手がかりの一つとして、果実を海水に浮かべても、長い期間、種子が生きていられるという実験が紹介されています[7]。これは実験条件での話で、海に出たヒョウタンがみな生き残る、という意味ではありません。
ヒョウタンは、アフリカ大陸と新世界の両方に古くからある。そのため、人が運んだのか、自然に渡ったのかが長く論じられてきた。2014年の研究は、新世界の古代ヒョウタン(現代36点・古代9点の標本)が、アジア系ではなく、すべてアフリカ系の遺伝的変異の範囲に入ることを示した[6]。
この結果は、海流による漂流モデルとも整合する。野生のアフリカ産ヒョウタンが、後期更新世に大西洋を漂流して渡れたというものだ[6]。人が運んだとする2005年の説とは対立するため、結論はまだ一つに定まっていない。
漂流説の手がかりの一つが、果実を海水に浮かべても長期間、種子が生存しうるという実験である[7]。長い漂流でも生き残る力があることを示す一例だが、実験条件での結果であって、実際の海でどれだけが生き残るかを示すものではない。
6. 日本の ヒョウタンは、いつから あるの?
6. 日本のヒョウタンは、いつから人の暮らしの近くにあったのか
6. 日本列島のヒョウタン ── 粟津湖底遺跡と鳥浜貝塚の出土
日本でも、とても 古い ヒョウタンが 見つかって います。琵琶湖の ほとりの むかしの あとでは、約9600年前の 種が 出ました。福井県の とりはまの 貝づかでは、約8500年前の ヒョウタンの 実が 出た そうです[7]。
これらの 数字は、しらべた 資料によって すこし ずれます。それでも、ずっと 昔の 人が ヒョウタンを 知って いた 手がかりに なります。
ただし、これらの ヒョウタンが 海流で 日本に 来たのかどうかは、しらべた 本には 書かれて いません。どう 日本に とどいたのかは、べつの 問いです。
日本でも、ヒョウタンはとても古くから見つかっています。琵琶湖のほとりの粟津湖底遺跡では、約9600年前(誤差±110年)の種子が出ました。福井県の鳥浜貝塚からは、約8500年前の果実が出土したとされます[7]。
年代の数字は、資料によって少し揺れます。それでも、縄文時代の人々がヒョウタンを知っていた手がかりになります。
ただし、日本のヒョウタンが海流で来たとは、紹介した資料に書かれていません。日本への道のりは、まだ別の問いとして残っています。
日本列島でも、ヒョウタンは古い。琵琶湖畔の粟津湖底遺跡(あわづこていいせき)では約9600年前(±110年)の種子が、福井県の鳥浜貝塚(とりはまかいづか)では約8500年前の果実が出土したとされる[7]。年代の数字は資料によって揺れるため、おおよその目安として読むのが妥当だ。
こうした出土品は、縄文時代の人々が、ヒョウタンを身近に使っていた手がかりになる。苦いキュウリのように作物として弱められたウリ科もあれば、スイカのように種子から使われたもの、ヒョウタンのように、漂流する性質を持つとみられるものもある。
ただし、日本のヒョウタンが海流で渡来したとは、使った資料に書かれていない。大西洋を渡った可能性の話と、日本への渡来経路の話は、分けて考える必要がある。
7. 家で できる ことは?
7. 台所のキュウリを、口に入れずに観察してみる
7. 台所のキュウリの観察と、原典へ進むなら
おうちの 人と いっしょに、キュウリを 切って、頭の ほう(へたの ほう)と 先の ほうの 切り口を 見くらべて みましょう。におい、いろ、水っぽさを、メモします。にがそうな ものは、口には 入れません。
キュウリの ほかの ウリの なかま(スイカ、メロン、カボチャ)にも、にがさは あるのかな。本や 図鑑で しらべて みましょう。
家の人といっしょに、キュウリを切って、頭部(へたの側)と先の側の切り口を見比べてみましょう。におい、色、水っぽさをメモします。苦そうなものは、口に入れません。
キュウリ以外のウリ科(スイカ、メロン、カボチャ)の実にも苦味があるのかを、日本語の図鑑や公的機関のページで調べてみると、記事の続きになります。出典欄の資料は、どれも原文や解説を読めるように選びました。
キュウリの頭部(へた側)と先側を切り、断面のにおい・色・水気を見比べて記録する方法がある。苦味が出やすい部分なので、苦そうなものは口に入れず、観察にとどめる。
キュウリ以外のウリ科の実にも苦味があるかは、日本語の図鑑や公的機関のページで調べられる。原典に進むなら、キュウリの苦味は2014年のサイエンス誌の研究、野生カボチャは2015年のPNAS、スイカの種子はワシントン大学の解説、ヒョウタンの海渡りは2014年のPNASの研究が出発点になる。日本のヒョウタンの出土については、笹川平和財団のOcean Newsletterが読みやすい。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文の数値と主張は、次の資料で確かめました。
- 横浜市衛生研究所「苦情事例:キュウリの苦み」 https://www.city.yokohama.lg.jp/kenko-iryo-fukushi/kenko-iryo/eiken/eiseijoho/kujo/aji/jirei-kyuri.html (苦味が出やすい条件)
- Asian Scientist「Cucumber's bitter treat」(Shang et al. 2014, Science の解説) https://www.asianscientist.com/2014/12/in-the-lab/cucumbers-bitter-treat-cancer/ (苦味の成分と遺伝子)
- Kistler et al. 2015, PNAS(PMC) https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4679018 (野生カボチャ属とマストドン)
- Understanding Evolution(カリフォルニア大学バークレー校)「Cucurbita」 https://evolution.berkeley.edu/evolibrary/news/151209_cucurbita (苦味受容体と栽培化)
- ワシントン大学 "Seedy, not sweet"(2022) https://source.washu.edu/2022/08/seedy-not-sweet/ (スイカ近縁種の種子)
- ペンシルベニア州立大学ニュース(Kistler et al. 2014 の解説) https://www.psu.edu/news/research/story/frequent-flyers-bottle-gourds-crossed-ocean-many-times (ヒョウタンの海渡り)
- 笹川平和財団 Ocean Newsletter「ヒョウタンの伝播」 https://www.spf.org/opri/newsletter/306_3.html (ウィテカーの実験と日本の出土)
なおした ところ
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