このサイトは、ほんの入り口です

ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

花火大会は、なんの ために ひらかれて きたの?

花火大会は、何のために開かれてきたのでしょうか

祈りから競技まで、花火大会の目的は土地ごとにちがう ── 隅田川・大曲・片貝・島原

分野:歴史・文化

290ねんぐらい まえ、江戸えどの 川で 上がった 花火は、たのしむ ためでは なかった、と いわれて います。

では、花火大会は なんの ために はじまったのでしょう。いまの 花火大会は、なんの ために ひらかれて いるのでしょう。この 記事で、そのこたえが わかります。

今から約290年前、江戸の隅田川で上がった花火は、夏の夜を楽しむためのものではなかったとされています。

花火大会は、どんな願いから生まれたのでしょうか。そして今の花火大会は、場所によって目的がちがうのでしょうか。公的な解説や公式サイトから、その答えが分かります。

隅田川花火大会の起源は、享保18年(1733)に行われた、飢饉の死者の慰霊と悪病退散のための水神祭とされる[1][2]。花火は、祈りの行事とともに上がり始めた。

では、祈りから始まった花火は、なぜ今、競技会にも、神社の奉納にも、復興の願いにもなっているのか。隅田川・大曲・片貝・島原を並べると、花火大会の目的は祈り・競技・奉納・復興と、土地ごとにちがっている。

読み方を切り替えられます。画面の上にある「よみかた」のボタンで、小学校低学年むけ・小学校高学年むけ・中学生むけの3つの書き方に切り替わります。むずかしいと思ったら、いつでもやさしい方に戻ってください。選んだ読み方はブラウザが覚えているので、次に別の記事を開いたときも同じ読み方で始まります。

1. 江戸えどの 花火は、なんの ために 上がったの?

1. 江戸の隅田川で、花火は何を願って上がったのか

1. 隅田川の花火は、何の行事で上がったのか

江戸えどの 花火は、いのりの ために 上がった、と いわれて います。

1733ねん、江戸えどでは 食べものが たりなく なって、たくさんの 人が なくなりました。そこで 8だい 将軍しょうぐんの 徳川吉宗とくがわよしむねが、なくなった 人を しのび、わるい 病気が なくなる ことを ねがう 水神祭を ひらいた、と つたえられます[1][2]。

この とき、両国橋りょうごくばしの ほとりの りょうりやが 花火を 上げた のが、「両国の 川びらき」の はじまり だそうです[1]。

大きな 音で わるい ものを おいはらう 気もちだったのかな、と かんがえた 人も います。ただ、これは かいた 人の すいそくです[1]。

隅田川花火大会の起源は、江戸時代中期の享保18年(1733)にあるとされます。この年は食べ物が足りなくなる飢饉があり、多くの人が亡くなりました。8代将軍の徳川吉宗が、亡くなった人をしのび、悪い病気がなくなることを祈る水神祭を行ったと伝えられています[1]。文化庁の「文化遺産オンライン」も、喜多川歌麿の浮世絵「両国花火」の解説で、同じ内容を記しています[2]。

このとき、両国橋のほとりの料理屋が、法要の意味をこめて花火を上げたことが、「両国の川開き」の由来とされています[1]。花火は、その川開きの中で上がりました。

なぜ花火だったのでしょうか。解説の筆者は、大きな音で悪霊を追い払う意味だったのだろう、と述べています。ただしこれは筆者の推測で、当時の人がそう考えていたと示す資料が挙げられているわけではありません[1]。

病気の種類についても、ここでは決めずにおきます。資料はただ「悪病」と書いています。

祈りで始まった花火は、いつ「楽しみ」に変わったのでしょうか。

隅田川花火大会の起源は、享保18年(1733)、8代将軍徳川吉宗のもとで行われた、飢饉の死者の慰霊と悪病退散のための水神祭とされる[1]。文化庁の文化遺産オンラインも、東京国立博物館蔵の喜多川歌麿「両国花火」の解説で、吉宗が飢饉と疫病による死者の慰霊と悪病退散を祈願して川開きに花火を上げたと記す[2]。独立した二つの解説が同じ筋を述べている点は重い。ただし、どちらも「とされる」という書き方の解説であり、当時の記録そのものを引いているわけではない。

花火を上げたのは、水神祭の場にいた両国橋畔の料理屋で、法要の意味で上げたとされ、これが「両国の川開き」の由来になった[1]。資料によっては、上げたのを鍵屋とするものもあるが、料理屋とする説明が多い[3]。

では、なぜ花火なのか。imidasの筆者は、大音響で悪霊を追い払おうということだったのだろう、と書く。これは筆者の推測であり、そう語る同時代の記録が示されているわけではない[1]。起源は一つの出来事として確定したものではなく、「祈りの行事が花火の始まりと語られている」というところまでが、確かに言えることである。

では、祈りで始まった花火は、いつ夏の楽しみになったのか。

2. いのりの 花火は、どうして 夏の たのしみに なったの?

2. 祈りの花火は、どうして江戸の夏の風物詩になったのか

2. 祈りの花火は、競い合いを経て夏の風物詩になった

ぶんかちょうの ページには、「それから 両国の 花火は、江戸えどの 夏の ふうぶつ詩に なった」と あります[2]。毎年 夏に なると 見る もの、と いう ことです。

そこに 花火を つくる 店が 2つ 出て きます。鍵屋かぎやと、1808ねんに 鍵屋かぎやから わかれて できた 玉屋たまやです。2つの 店は、きそい合いました[3]。

花火を 見て 「たまやー」「かぎやー」と こえを かけますね。あの かけごえは、この 2つの 店の 名前から きて います[3]。

いのりの 花火を、見る 人が 店の 名前で よぶ ように なった。そこから、たのしむ ものとしての 花火が ひろがった、と かんがえる ことも できます。

文化遺産オンラインの解説には、その後、両国の花火は江戸の夏の風物詩となった、とあります[2]。夏が来るたびに見るもの、という意味です。

江戸の花火には、花火を作って売る店が二つ登場します。鍵屋と、文化5年(1808)に鍵屋からのれん分けして創業した玉屋です。この二つは競い合う関係になりました[3]。

花火を見ながら「たまや〜」「かぎや〜」と声をかけるのを、聞いたことがある人もいるでしょう。この掛け声は、二つの店の名前から来ています[3]。

見物の人が、どちらの店の花火か分かって声をかけた。そう考えると、この頃には、花火を「見て楽しみ、腕を比べる」人たちがいたように見えます。ただし、これは掛け声の由来からの想像で、資料にそう書かれているわけではありません。

祈りで始まった花火は、江戸の夏の風物詩になったと文化遺産オンラインは述べ、楽しみとして見られていた可能性もあります。では、「腕を競う」ことを目的にした花火大会はあるのでしょうか。

祈りの行事から始まった花火が、なぜ「夏の風物詩」と呼ばれるまでになったのか。文化遺産オンラインは、吉宗が川開きに花火を上げて以後、両国の花火は江戸の夏の風物詩となった、と述べるにとどまる[2]。その過程の詳細までは、ここで使った資料からは分からない。

手がかりになるのが、花火を作る側の競い合いである。江戸には鍵屋があり、文化5年(1808)に鍵屋からのれん分けした玉屋が創業して、両者は競い合う関係になった。「たまや〜」「かぎや〜」の掛け声は、この二つの屋号に由来する[3]。見物の側が、どの店の花火かを知って声を上げていたことになるので、少なくとも掛け声が定着したころには、花火は祈りの場面だけでなく、作り手の腕を見て楽しむ対象でもあったと読める。

ただしこの「読める」は、掛け声の由来から導いた推論であり、江戸の人々の気持ちを直接示す資料に基づくものではない。祈りから競い合いへ、と時代順に整理する読み方も、資料が示す範囲を超えやすい。確かに言えるのは、起源は祈りとされ、のちに屋号を呼ぶ掛け声が生まれるほど作り手が競った、という二点である。

では、「競い合い」そのものが目的になった花火大会は、現在どこにあるのか。

3. 花火の 「うでくらべ」が ある 大会って?

3. 大曲の花火は、なぜ「競う」ことが目的なのか

3. 大曲の全国花火競技大会 ── 余興から競技会へ

あきた県の 大曲おおまがりの 花火は、うでを きそう 大会です。ぜんこくの 花火師はなびしが あつまって、花火の できばえを 見せ合います[4]。

いちばん えらい しょうは、ないかくそうりだいじんしょうです。花火師はなびしの みなさんは、この しょうを めざします[4]。

はじまりは 1910ねん。諏訪すわ神社の おまつりを もりあげる 出しもの(よきょう)と して、花火の うでくらべの 会が ひらかれた のが きっかけ、と いわれます[5]。

おまつりの たのしみの ひとつだった うでくらべが、のちに ぜんこくから 人が あつまる 大会に なりました。

秋田県大仙市の大曲の花火は、全国の花火師が腕を競う大会です。正式には「全国花火競技大会」といい、日本の花火界で最高の褒賞とされる内閣総理大臣賞を目指して、花火師が集まります[4]。昼の部と夜の部があり、夜は10号玉と創造花火という二つの種目で競います[4]。

始まりは1910年(明治43年)です。諏訪神社の祭典の余興として「奥羽六県煙火共進会」が開かれたのが出発点とされます[5]。煙火は花火のこと、共進会は品物を出し合って優劣を比べる会のことです。

お祭りの余興として始まった腕比べが、のちに全国の花火師が集まる大会に育った、という流れです。隅田川の花火は「祈りの行事」でしたが、大曲の花火は「技を競うこと」が前面に出ています。

この大会には、競技のほかに、大曲花火協同組合青年部が1年かけて作る「大会提供花火」もあります。ワイドスターマインという花火で、競技の合間に打ち上げられます[5]。

競い合いの花火があるなら、神様に花火をささげる場所もあるのでしょうか。

大曲の花火(秋田県大仙市)は、隅田川の祈りの花火とは目的の置き方が異なる。全国の花火師が競い合い、日本の花火界で最高の褒賞とされる内閣総理大臣賞を目指す大会で、昼の部と夜の部があり、夜は10号玉と創造花火で競う[4]。技術の優劣を決める場なので、花火は「作品」として扱われる。

この大会の出発点は、1910年(明治43年)に諏訪神社の祭典の余興として開かれた「奥羽六県煙火共進会」とされる[5]。煙火は花火、共進会は産物や製品を持ち寄って優劣を比べる会を指す。つまり競技会は、最初から独立した大会だったわけではなく、神社の祭典に添えられた催しとして始まっている。ここで、祭りと競技が重なっていた点は見落としたくない。

また、競技とは別に「大会提供花火」がある。大曲花火協同組合青年部が1年かけて製作するワイドスターマインで、競技の合間に上がる[5]。競技に出る花火師だけでなく、地元の若い担い手が1年を使って作る花火も、同じ大会の一部を成している。

では、祭りの中で神様にささげるために上がる花火は、どのようなものか。

4. 神様に ささげる 花火って、どんな 花火?

4. 神様に花火をささげる、片貝まつりの四尺玉

4. 片貝まつり ── 奉納としての花火と四尺玉

にいがた県の 片貝かたかいまつりでは、花火は 神様に ささげる ものです。浅原神社あさはらじんじゃの おまつりの 日に、神様に おくる 花火が 上がります[6]。

ここには、とても 大きい 花火が あります。「四尺玉よんしゃくだま」は、おもさが 420キロぐらい。880メートルの 高さまで 上がり、ひらくと ちょっけい 800メートルに なる、と いわれます[6]。

おとな 1人を 60キロと すると、7人分ぐらいの おもさの 花火です。しかも 空で 800メートルに ひろがります。

それほど 大きな 花火を 神様に おくる ところに、まちの 人の 気もちが 見える ような 気がします。

新潟県小千谷市の片貝まつりの花火は、浅原神社の例祭で神様へ奉納する花火です[6]。奉納とは、神社に何かをささげることです。

1891年(明治24年)には三尺玉を4発打ち上げ、片貝は「三尺玉発祥の地」と呼ばれるようになりました[6]。いまは、さらに大きな四尺玉が名物です。重さは約420kg、約880mの高さまで上がり、開くと直径約800mになるとされます[6]。体重60kgの大人で比べると、7人分ほどの重さです。

観光協会は、これを世界最大と紹介していますが、ここでは協会の表現として紹介するにとどめます[6]。

大曲は腕を競い、片貝は神様にささげます。同じ「花火大会」でも、見ている人が受け取る意味は、場所によってちがうようです。

では、復興や町の元気を願う花火は、どう位置づけられているのでしょうか。

新潟県小千谷市の片貝まつりでは、花火は浅原神社の例祭で神様へ奉納される。新潟県観光協会は、これを「いわゆる花火イベントではない」と説明する[6]。見せるための催しではなく、ささげる行為として位置づけられている点が、大曲との決定的なちがいである。

片貝の花火は、大きさでも知られる。1891年(明治24年)に三尺玉を4発打ち上げたことから、片貝は「三尺玉発祥の地」と呼ばれる[6]。現在の四尺玉は重さ約420kg、約880mまで上がり、開くと直径約800mになるとされる[6]。60kgの人で比べると約7人分の重さである。規模の大きさと奉納の関係は、この資料からは言えない。

観光協会は世界最大の花火玉と紹介するが、これは同協会の表現であり、この記事では断定しない[6]。

では、神社でも競技会でもない、町のための花火はどうか。

5. 町が 元気に なって ほしい、と いう 花火も あるの?

5. 町の元気を願う花火と、止まってもまた上がる花火

5. 復興を願う花火と、一度止まった隅田川の再開

ながさき県の しまばら市では、「しまばらおんせん ガマダス花火大会」が ひらかれます。雲仙普賢岳うんぜんふげんだけの 噴火ふんかの あとの、まちが もとの ように もどる(ふっこう)ことを いのる 花火です[7]。

町に 人が あつまれば、町が 元気に なります。そのための、かんこうの とりくみの ひとつにも なって います[7]。

はじめに 話した すみだがわの 花火も、いちど とまって います。1961ねんまで つづき、つぎの としから 中止に なりました。1978ねんに 「すみだがわ花火大会」と 名前を かえて、また 上がる ように なりました[3]。

花火は、とまっても、また 上がる ことが あります。

長崎県の島原温泉ガマダス花火大会は、雲仙普賢岳の噴火災害からの早期復興を祈願し、観光活性化事業の一環として行われています[7]。祈りであり、人を呼ぶ取り組みでもある、二つの顔を持つ花火です。開始年については、ここで使った資料では分からないため、書きません。

隅田川の花火も、ずっと続いてきたわけではありません。「両国の川開き」は、何度かの中断を経ながら、1961年まで両国橋の上流で行われました。ところが交通事情の悪化などで翌年から中止になり、1978年に「隅田川花火大会」と名を改めて復活しています[3]。中止の期間があっても、花火は再び町の行事として上がっています。

祈り、競い合い、奉納、復興。四つの場所をたどると、花火大会の目的は一つに決まらず、土地ごとに重なっていることが見えてきます。

あなたの近くの花火大会は、どの顔を持っているのでしょうか。

長崎県の島原温泉ガマダス花火大会は、雲仙普賢岳の噴火災害からの早期復興を祈願し、観光活性化事業の一環として行われる[7]。復興への願いと、人を呼んで町を活気づける狙いが、一つの大会に同居している。

一方、隅田川の花火は連続した歴史ではない。「両国の川開き」は、何度かの中断を経ながらも1961年まで両国橋上流で続き、交通事情の悪化などでその翌年から中止された。1978年に「隅田川花火大会」と名を改めて復活した[3]。資料には、復活した理由までは書かれていない。

隅田川(祈り)、大曲(競技)、片貝(奉納)、島原(復興と観光)。この四つを並べて分かるのは、「花火大会の目的」が、時代と場所によって一つに決まらないという点である。祈りから始まったとされる行事が、土地ごとの事情に合わせて、別の目的を重ねてきた。

では、自分の住む土地の花火は、どの目的に近いのか。

6. 近くの 花火大会は、なんの ために ひらかれて いるの?

6. 近くの花火大会の「ひらく目的」を、書いてあるものから探す

6. 身近な花火大会の趣旨を、一次資料で確かめる

おうちの 人に、近くの 花火大会の ポスターや、市の おしらせを 見せて もらいましょう。

「しゅさい」と 「もくてき」が かいて ないか、さがして みます。だれが ひらいて いるのか、なんの ために ひらくのか、が わかるかも しれません。

いのり、うでくらべ、かみさま、まちの 元気。どれに ちかいか、くらべて みるのも おもしろいですよ。

近くの花火大会のポスターやチラシ、市や観光協会のホームページを、家の人と見てみましょう。「主催」と「目的」「趣旨」の欄があれば、そこに書かれた言葉を読んでみます。

祈り、技を競う、神様への奉納、復興や町の元気。この記事で見た四つのうち、どれに近いでしょうか。まったく別の目的が書いてあるかもしれません。

地元の神社や図書館に、花火大会の始まりが書かれた資料があれば、それも手がかりになります。この記事の出典欄にある文化遺産オンラインの「両国花火」の解説も、日本語で読めます。

身近な花火大会の趣旨は、主催者の公式サイトや市町村の広報にある開催趣旨の欄で確かめられる。主催が実行委員会なのか観光協会なのか神社なのかによって、書かれる言葉も変わる。

起源や由来が語られるときは、「とされる」という伝聞の書き方か、断定か、記録の引用かを区別して読むと、この記事で扱った隅田川の例のように、事実と推測の境がはっきりする。

各大会の公式情報や紹介、文化遺産オンラインの「両国花火」の解説は、出典欄から原文を読める。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

隅田川花火大会の起源、江戸の花火、大曲・片貝・島原の花火の目的は、次の解説と公式情報による。起源は資料により異なる書き方がある。

  1. imidas「隅田川花火大会」(2008) https://imidas.jp/rekigyoji/detail/L-55-155-08-07-G222.html (水神祭の起源、料理屋の花火)
  2. 文化庁「文化遺産オンライン 両国花火」 https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/455924 (起源の確認、江戸の夏の風物詩)
  3. san-tatsu「隅田川花火大会の解説」 https://san-tatsu.jp/news/439234/ (鍵屋と玉屋、中断と復活)
  4. 大曲の花火 公式サイト https://www.omagari-hanabi.com/ (競技大会の概要)
  5. tabi-mag「大曲の花火」 https://tabi-mag.jp/oomagari-hanabi/ (大会のはじまり、大会提供花火)
  6. 新潟県観光協会「片貝まつり」 https://niigata-kankou.or.jp/blog/detail_797.html (奉納の花火、三尺玉・四尺玉)
  7. そら花火「島原温泉ガマダス花火大会」 https://sorahanabi.com/nagasaki/shimabara/shimabaraonsen-gamadasu-hanabitaikai.html (復興祈願と観光活性化)

なおした ところ

更新履歴

更新履歴(改版の記録)

  •  初版を公開。

このサイトでは、公開した記事の本文は原則として書き直しません。誤りが見つかったときや、内容が古くなったときだけ手を入れ、その理由をこの欄に残します。